全国高校駅伝は常連校が多い。男子は33年連続出場を決めた倉敷(岡山)を筆頭に、25年の大牟田(福岡)、19年の仙台育英(宮城)など15年以上の連続出場が47校中9校を数える。
そんな厚い壁を破った例に、昨年の関大北陽(大阪)がある。31年続いた清風を倒すと、今年はアンカー区間で28秒差を逆転する力強さを見せ、2年連続で都大路切符を手にした。それまで紙一重の敗戦を何度も味わった米川修二監督は言う。「五分五分の力関係では勝てない。伝統の力というか、目に見えない力があった」。転機は08年の校名変更。「関大という看板も追い風だったが、むしろ北陽高生がいるうちにとの思いが強かった」と語る。今春、地元の有望選手がまとまって入学するなど初出場の成果も表れた。「初めてトップクラスの選手たちが入ってくれた」と、新たな伝統の礎を感じ始めている。
ただ、関大北陽のような躍進はまだまれだ。岡山県のある公立校指導者はあきらめにも似た心境をのぞかせる。「一部の強豪私学を除けば、趣味のランニングクラブのようなもの。練習環境、支援体制、指導のノウハウ。何一つ勝てない」
倉敷の勝又雅弘監督は、記録が始まった第29回大会(78年)当時の主将。「一度でも失敗したら二度と取り戻せない。毎年、数字が積み重なるたびに重圧で苦しくなる」。記録に対する思いは人一倍強く、25年に及ぶ同校でのコーチ、監督歴の中で、自宅の布団で眠ったのは半年にも満たないほどという。
駅伝にささげる指導者の存在も大きいが、部員の変化も見逃せない。約30人の部員はかつては広島や兵庫から積極的に集めたが、5年ほど前から地元のトップ選手が主力になった。1学年5人という手厚い特待生枠も魅力だが最大の理由は“進学実績”。陸上競技専門誌の昨年調査では、大学駅伝の全国主要40校のうち、出身高校別では倉敷が26人で全国最多。都大路とは無縁の部員らも着実に成長した証しだ。勝又監督は「うちは決して進学校ではないが、3年間陸上を頑張れば大学に行ける」と胸を張る。
出場校の一極集中に、坂口泰・日本陸連男子マラソン部長は「高校駅伝の魅力は底辺の拡大」と語るが、そのヒントは一極集中の中に隠れている面も否定できない。【田原和宏】=つづく
毎日新聞 2010年12月19日 東京朝刊