2010年12月22日10時42分
沖縄返還に向けて日米両政府が行った交渉の詳細が22日、外務省が公開した外交文書で分かった。1969年11月に開催された、佐藤栄作首相とニクソン大統領による首脳会談の公式記録も公表された。会談前の外務当局による協議で、沖縄の米軍基地をベトナムへの出撃に使うことを日本側が容認していたことを示す文書もある。
公開されたのは、主に50〜70年代の外交文書約280冊分。沖縄返還交渉については、69年11月に返還合意が成立するまでの約半年間の公電や会談録などを集中的にまとめたファイルもあった。これによると、交渉終盤の焦点は返還後の基地からの米軍の「自由発進」だった。
米側は朝鮮半島や台湾に加え、ベトナムへの出撃にも沖縄の基地を使わせるよう求めた。日本側は「地域は拡張に歩み寄るも、『諾』の意図の表現は出来るだけぼかすの他ないと考へる次第」などと苦悩している。
7月の会談では、米側が「万一に備え秘密合意の形式について考えてみたい」と密約の検討を提起。2カ月後に下田武三・駐米大使が米側に「秘密文書は絶対に避けることとしたい」としつつ、ベトナム戦争が続く限り「軍事行動の継続を日本側が承認すべきことは当然」。「本年秋の時点において、これを明示することが出来ないというに過ぎない」と伝え、ベトナム出撃を事実上容認した。
この経緯をふまえ、69年11月に発表された日米共同声明には、ベトナムへの出撃容認を示唆する表現が盛り込まれた。ただ、返還後に実際に米軍が沖縄からベトナムに出撃した例はないとされる。
沖縄の核兵器について、米側は69年5月の段階で有事の再持ち込みを確認したうえで返還時には撤去する方針を決めていたが、日本側外交当局に明かさずに交渉していた。