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響く威嚇発砲 ひるまぬ民衆 きょうコザ騒動から40年2010年12月20日 
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ブルース・リーバーさんが乗車していた陸軍MPの車両。怒りを爆発した民衆によって横転させられた=1970年12月20日、コザ市上地(当時)の軍道24号(現国道330号)
  ブルース・リーバーさん

 【沖縄】民衆の反米軍感情が爆発した1970年の「コザ騒動」から20日で40年を迎えた。当時、米陸軍のMP(憲兵)として交通事故の処理に当たり、騒動のきっかけになったとされる民衆への威嚇発砲を行ったブルース・リーバーさん(61)=米オハイオ州=が19日、沖縄市内のホテルで琉球新報の取材に応じた。自身の威嚇発砲が騒動のきっかけになったことにリーバーさんは「(命令した)少尉は早く退散させたかったのであろう。しかし強い怒りを持った人たちは威嚇発砲では退散しなかった」と自らの体験を生々しく語った。MP側からの初証言で当時の緊迫した状況があらためて浮き彫りになった。
 リーバーさんは「沖縄の人を傷つけることは全く考えていなかった」と言う。民衆が次々と米軍車両に火を放つ場面を目の当たりにし「沖縄の人が怒るのも無理がなかった。戦後、米兵たちは沖縄の人を『人間以下』に扱い、あまりにもひどいことをしていた」と振り返った。
 1970年12月20日未明、リーバーさんはゲート通り付近をパトロール中に無線で呼び出され、最初の交通事故現場に向かった。徐々に膨れ上がる群衆は何を叫んでいるのか理解できなかったが、顔の表情で憤慨しているのが明らかだった。群衆からは石や空き瓶などが自分たちを目がけて投げ付けられた。ウィリアム・ブルックス少尉の命令で、リーバーさんらは群衆を分散させるため、京都ホテル前で威嚇発砲した。リーバーさんは3発を発射。7〜10人のMPが一斉に行った威嚇発射でごう音が響き渡ったという。
 リーバーさんは「(威嚇発砲は)いい案と思わなかったが、少尉の命令で行った。しかし結果的には怒らせてしまった」と話した。
 リーバーさんはコザ騒動が40年を迎えるのをきっかけに10年ぶりに来沖した。(問山栄恵)



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