江戸時代に存在した士農工商の身分制度に基づいた社会クラスが明治新政府によって潰され、日本人の心にある種の空虚があり、日露戦争以降、そこに民族国家主義がすっぽり収まってしまったんでしょうね。
和をもって尊しとなす日本人は、世間、集団、国家に自らを自虐的なまでに捧げつくそうとすることがあります。国全体が間違った方向に突きすすんでいても、日本人にはなかなか止められないのです。
【2006/08/29 17:55】
URL | Lexar #tV7uNBRQ[ 編集]
ブログ拝見しています 貴ブログのトラックバックを通して貴重な情報を得ています。 今回の国防婦人会といい、以前の生徒による先生の密告といい、北朝鮮では過去の事例ではないのかも知れません。 つくづく「権力からの自由」を確立しなければ危ないと思います。 その意味でも10年前の8月15日に亡くなった丸山真男は学者の良心を貫いた生きざまを残していますね。私も「リベラリストの肖像」(岩波新書)を読んでそう思いました。 じつは今朝、私どものブログに新しく書き込みましたので一見してくだされば幸いです。
【2006/09/16 12:48】
URL | 戦争を語りつぐプロジェクト #-[ 編集]
>本当は人間としての本能から、自分の子供を決して危ういところには出したくない筈の婦人たちは、こうして戦争に加担していきます
果たして、そう言い切れるのでしょうか?我が息子を特高警察や憲兵に差し出す鬼畜な母親も大勢いたのが現実です。俳優の三國廉太郎は徴兵検査を受けるのを頑なに逃げ回り、最後は潜伏先を母親に密告されて特高警察に逮捕されました。当時は1943年だったから、社会の抑圧や世間の目は相当に厳しく、徴兵を受けるよりも逃げるほうが非常に勇気が必要でした。
>「優しい顔しながら男を戦場へ送り付ける」と、苦笑していた人もあったようです
まぁ、所詮、苦笑している程度で、男性が戦場に強制連行されていく中でも、事態を傍観し、安全な銃後でぬくぬくと過ごしていたわけだから、その罪は万死に値する。
>当事者たる女性たちには単純な使命感があっただけであり、彼女たちがしていたのは悪いことでもなんでもなく、現場を見る限りは人道的な見地に立ったものであった
悪いこと以外の何物でもない。使命感があるならば、強姦でも殺人でもOKなんでしょうか?男性を戦争に送り出すことは殺人行為以外の何物でもありません。どこが人道的なのか?
>家庭に縛られ、外に出ることのなかった女性たちが、軍事政権下、堂々と外を闊歩し始めた。その事は評価されても良いかも知れません。ただ、その事で、本来、女性が止めねばならない筈の、戦争への推進力になってしまった。
家庭の外に闊歩することがいいこととは限りません。殺人を犯すくらいならば、部屋で引きこもっていたほうがマシです。全く評価に値しないどころか非難すべき事柄であろう。大体、女に戦争を止めるなどという役割を期待することが間違いです。そんなものは女には備わっていないのですよ。
>大勢で何かをすることで、社会に役立っている安心感と、活動している充実感は得られるでしょう。でも、その先に何があるか・・国防婦人会の人たちを罪に問うのは時代性を考えると酷であるようにも感じます
安心感・充実感があっても、それが殺人や強姦では意味がありません、それどころか害悪です。国防婦人会を罪に問うのは当然です。罪に問わないなら、殺人犯や強姦魔を免責することと同じです。彼女たちは死刑に処されるべきだ。
>ごく普通の主婦たちが、充実感を持って、結果的に世論を大きく戦争へ加担させる力となったこと・・・彼女たちのしたことは、決して悪いことではない。
悪いことでしかない。充実感をもって殺人したり強姦したりすればOKなのか?おかしな論理ですね。
>良いことをしている筈の、普通の人が悪に加担することの怖さ
それは「良いこと」でもないし、「普通の人」でもないのですよ。単なる殺人者です。徹底的に罰することでしか未来は開けない。
>第二次大戦で誰が悪かと言う論争は、ここでは避けたい
だから日本は駄目なんだ。最も悪いのは裕仁(昭和天皇)に決まっている。その次は、戦争指導者(陸軍・海軍上層部や政府首脳)、そして国防婦人会に代表されるような自分は安全地帯の銃後にいながら、息子を玉砕・特攻に差し出す女達だ。
>だからと言って、彼女たちの責任を問うつもりはありません
あなたは、自分が強姦されても殺されても、責任を問わないのですか?OKなんですか?
【2007/09/06 13:39】
URL | 通りすがり #mQop/nM.[ 編集]
|