〜成功の本質と哲学〜

情報起業家 本條 勇冶 が”億を稼ぎ出す答え”を哲学的に説いていきます

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思慮と行動の根源 〜欲望の発生と慢性化〜


 問題定義

久しぶりのブログ更新です


まあ、前回の記事を読んでいただけているなら、

あえて説明する必要はありませんが、

例の件は私としても色々なことや視点を見つめ直す

いい機会になったと思います


私は根本的にプラス思考・・・と言われますが

実質は、プラス思考という訳では無くて

経験した物事を全て

「価値のある経験」

にしていきたいと思っているだけです


今の自分の精神と肉体を持ち合わせたこの人生は

1度しか無い訳ですし

その時間、その瞬間に経験できること、

体感できること、感じられることは

その瞬間のみの事象でしかありません


全ての時間、全ての瞬間が貴重な一瞬であり、

その現象が連鎖して継続していくのがのが人生であり、

そうして時を刻み、自己の終焉(死)に近づいていくのです


その中で、どんな出来事があり、

どんなに一般的には

「不幸」としか見られない現象が起きたとしても

それもその瞬間としては

1度しか体感できない貴重な出来事ですし

たった1度の人生の中で起きた

貴重な体験の1つだと思います


ただ、理想論としては誰もが1秒でも多く幸福を感じ、

できることなら、一切の不幸を感じることなく

一生を過ごしていきたいと思っているはずです


私も同様にそういう考えを持っていました


勿論、今も持っていると言えば持っているでしょう


ただ、私の場合は幸福の定義というか、

心理学上、人がどういう物事に幸福を感じ、

また、不幸を感じるのかというプロセスを

理論的にわりと深い部分で

理解している(つもり)の部分もあり、

また、実体験に基づく経験の上でも

その理論に沿った真意を体感している部分が多くあります


「幸福」とうものの形や定義は

当然ながら人それぞれですが、

普遍的に言える簡潔なことだけを述べていけば、

心理的の面だけを強く述べるなら、


「人は欲求を満たしていくことに大きな幸福を感じる生き物」


です


幸福な時が続いているという状態は、

まさに「欲を満たし続けている時」だと思います


幸福とは何か?

幸福の定義は?


などと言えば、非常に難しく感じる問いかけかもしれませんが

その答えをシンプルに導くなら、

人が幸福を感じる時ことが

「幸福そのものがそこに存在する事象」

であることから、その結論として、

心理のプロセス上


人が幸福を感じる時=欲を満たしている時


という図式が成り立ちます


幸福とは多少違う観点かもしれませんが

「快楽」についてを綴った哲学書には

やや難解と言われているプラトン筆の

「ピレポス」などがありますが

(興味を持たれても、読まない方がいいと思います(笑))


ピレポスは、快楽そのものをより最善とするか

その快楽を感じ取れる知性や思慮を最善とするか、

言ってみれば、卵が先かニワトリが先かに近い議論を

展開するという内容ですが

私が今回考察するのは、そこまで深い

「何が最善か」というような幸福の「1」と「0」とを定め、

その定義を追求するようなものでは無く、


人が幸福を感じる時=欲を満たしている時


という観点から、欲そのものと、

その先にあるものを考察してみようと思います。



 解明

欲を満たすということは、

誰もが日々当たり前のように繰り替えていると思います


人間の欲望についての有名な理論では

マズローの欲求5段階説などがありますが

一応紹介しておくと、マズローが唱える欲求の段階層は

以下のようになっています


『生理的な欲求』

 ↓

『未来に安泰を求める欲求』

 ↓

『親和を求める欲求』

 ↓

『親和の中で尊重されることを求める欲求』

 ↓

『自己実現を求める欲求』



簡単に言えば、まずは自分自身が生きていく上で

必要不可欠となる、食欲などの生理的欲求から

未来への安全を確証できる精神的な欲求へ、

そして、その欲求は集団を意識するようになり、

その中でも尊重されることを求め、最終的には

自分らしさを追及し、

自らを為すことへの欲求に行き着くという論説です


あくまで心理学上の論説ですので、

絶対的に正しいという定義はありませんが

あながち大間違いなものでも無いと思います


最初の段階の生理的に欲してしまうものを

心理学上の欲求というかは別として

個から和へ、そして自己追求に行き着くという流れは

まさにその通りだと思います


ただ、言ってみればどの欲求も、

常にあるものだと思いますし

どの欲求を満たすことでも、

人はその瞬間に幸福を感じる生き物だと思います


その上で、マズローが欲求が生じる心理的観点を

段階的にしたことにも多大に関係があると言えるのですが、

その上で、人間という生き物の、

ある重要な心理プロセスを1つ、述べることができます


そのプロセスというのは、


人はその欲を満たすことが当たり前になった時、

その欲を満たすことに幸福を

自覚的には感じられなくなる生き物である



ということです


ろくに食べることも寝ることも許されない

奴隷のような生活をしている人へ

一切仕事もせず、好きなだけ好きなものを

好きなように食べられる1日を与えたなら、

その1日を与えられたその人は、

言うまでもなく幸福を感じるはずです


更に、1日で終わるはずのその1日が

一生続くものである知らされた時、

その事実を知った時の喜びは

計り知れないものになるでしょう


しかし、家から一歩も出ることはできず、

何の娯楽も無い空間で食事だけが永遠と運ばれてくる

という条件であったならどうでしょうか?


この文章を読んでいるあなたなら、

この条件は過酷だと思うはずです


しかし、その人がこれまでに、

そのような日々しか過ごしてきていなかったのであれば、

その条件の過酷さは、その人にはわからないでしょう


何故そのような境遇にある人にはその過酷さがわからず

この記事を読んでいるあなたには、

そこに過酷さを感じるのでしょうか?


それは


あなたは労働をせず、

食事だけを好きに取れること以上の幸福を知っているから



です


本来、「生きてさえいければいい」という観点なら、

食事さえ運び続けてくれればそれは達成できます


しかし、そのための食欲や睡眠欲さえ

まともに満たせない人からしてみれば

その欲を満たせない日々は苦痛だった訳です


その人は“満足に”その欲を満たせなかったというだけで、

決して死に至るほどの苦痛を課せられていた訳ではありません


しかし、その欲を“満足に”満たせないことは

やはり苦痛だった訳です


そして、その欲を満たせる環境には、

十分な幸福を感じられたことでしょう


少なくとも、これだけの経験則では、

他の快楽など知りませんから

その生理的な欲求を自由に満たせる日々には

十分以上の幸福を感じられるはずです


しかし、それ以上の欲を満たすことを知っている、

それ以上の幸福を感じることができることを知っているあなたは

食事だけを与えられる自由が無い日々に

そこまで大きな魅力は感じられないでしょう


これはある意味、食事や睡眠程度は

ある程度満たせる環境にあるというのも一理あります


勿論、これらの欲も完全には満たせていないかもしれませんが

それでも、それなりには満たせているはずです


または、食事にもお金がかかる訳ですから、

そのお金を多額に食事に費やす以上の使い道が

あなたの中にあるかもしれません


もしくは、将来的な安定を考慮し、

食費として消費していくよりも、

貯蓄していくことを望んでいるかもしれません


いずれにしても、例に上げた

「奴隷のような日々を過ごす人」には

その生理的欲求さえも満足に満たせていないという点と

それ以上の快楽を知らないという点で

その生理的な欲求を満たす以上の思慮は生み出されません


しかし、あなたは確実に遥かに生理的な欲求を超えて、

他の欲求や未来を安定させたいという欲求が生じているのです


そして、その生理的な欲求だけを満たせる日々には

そこまで大きな魅力は感じないはずです


勿論、それは私も同じです


そのような一生を定められたなら、

私なら、自殺さえ考えるかもしれません


しかし、そこまで考えてしまうのは、

これまで培ってきた経験や自由、幸福の記憶から

そのような考えが生み出されてしまう訳です


人は、奪われることに何よりも不幸を感じる生き物です


世界史、日本史を問わず、大きな革命が起こった時代には

必ずと言っていいほど、国を統治する者が

国民から、何らかの自由を奪ってしまうことから始まっています


与えられていたはずの自由な時間や収益を失った時、

人はそれを手にしていなかった頃よりも大きな絶望感を覚えます


これは身近な物事でも、

誰もが与える側、与えられる側で経験していることだと思います


つまり人は、一度満たしてしまった欲を満たせなくなった時

当初満たせないことが当たり前だったはずの心理状況には

簡単には戻れないということです


このような心理経緯から、一世を風靡した成功者や芸能人が

実際に破綻していった事例も決して少なくありません


最近だと某有名音楽プロデューサーの逮捕劇なども

まさにこの心理状況の

延長線上にあった事件と見ていいと思います


この心理は、心理学を学んだ上で

そのプロセスを知っていても

決して拭い去れない人間心理の普遍的なものです


ただ、この心理プロセスから

逃れられないことを知っているからこそ

私は常に勝ち続ける努力、

稼ぎ続ける努力を惜しみません


どのような状況に陥っても、自分の収入は下げないよう

あらゆる手を尽くして行動し続けています


「何故、そんなに稼いでいるのに、そこまで努力できるんですか?」

「そんなに稼いでどうするんですか?」



など、私の生活を知る人は、

このような質問を私に投げかけてくることがあります


その理由は色々な視点で、様々ある訳ですが

この心理プロセスから自分に

鞭を振るっているというのも一理あります


結果として、私は常にその収入を留めることなく

増やし続けているのです


「お金は何に使っているのですか?」


というようなことを聞かれることもありますが

私は収入の9割くらいは結果的に

貯金する経緯になっています


これは意識している訳ではありませんが

必然的にそうなってしまいます


何か大きな事業でも始めない限りは

そこまで大きなお金は使いたくても使えません


最近の生活では使ってもせいぜい1割程度なのです


最近であれば収入の1割と言っても、

4〜500万円ほどの金額になりますので

それなりの金額は発散している訳ですが

私にとって


「毎月数千万円の資金が増えること」





「毎月数百万円のお金を使うこと」


は、とくに普通のことであり、

この生活レベルや資金増加率が下がることは

私にとっては絶望的なことであると言えます


「そんなに稼いでいるくせに何を言ってるんだ!」


と、思われるかもしれませんが

この収入や資金増加率、生活レベルは

私は本気で普通だと思っていますし、

毎月収入を計算してますが、少しでも前の月を下回ったなら、

自分の意思で翌月は鬼のように仕事を増やします


そういったスタンスで私は自分の収入を

数十万、数百万、数千万と増やしてきました


しかし、例えば今の収入が10分の1になったなら・・・


それでも数百万円の収入になる訳ですが、

少なくとも資金増加率は悲しいほど低くなります


しかし、私の今の収入を10分の1にした金額でも

十分以上に幸福を感じられる人がいることは

間違いありません


世間の平均所得を考えれば、

そういう人の方が遥かに多いと思いますし

月数百万円の所得があれば、

ご家族にも十分な贅沢をさせられると思います


私が絶望的に感じる収入で、

十分以上に幸福を感じられる人もいるという事実



自慢話にしか聞こえなかったかもしれない、この比較話ですが

これは私と世間一般水準の収入比較とは別のレベルで

世界的に見れば、幾らでもありえることです


最初の段階で例にあげた、奴隷のような生活を送る人と

あなたの感覚を比較した上でも、それは同じことが言えます


世の中には、それに近い生活を送り、

食欲さえ満たすことができず

死に至ってしまうような人々も多くいるような国もあるのです


そのような国で生活する人からすれば、

自分自身やその子供達が満足に食べることができ

元気に生きていける現実を手にすることができるだけで

どれほど幸福を感じられることでしょう


しかし、そういう現実があることは知っていながら

やはり自分自身の観点や幸福を感じる感覚は

それぞれ自分の中にしか存在しません


それは私も同じことです


人間はそういう生き物なのです


だからこそ、私は自分の観点を追及し

自分が素直に幸福を感じ続けられるよう、

出来る限りの欲を常に満たせるよう、

行動し続けてきたのです


ただ、心理学上の理論としては知っていたことですが

どんなに満たしたところで欲は尽きないということを

ここ最近になって強く体感し、

物事の考え方も少しづつ変わってきました


お金で満たせるであろう、あらゆる欲望に関しては

実質、いつでも自由自在に満たせるようになった今、

実際にそれを満たそうとアクションを起こすことは

ほとんど無くなっている自分がいます


あんなにも欲しかったマンションや車、時計など

多少なりと実際に購入したものもありますが、

手元にある自分のお金を、

その欲望発散のために消費することに

価値を感じられなくなっているのです


つまり、お金の力で手に入るレベルのもので

欲しいものを手に入れるという形状の欲は

私にとって、

すでに当たり前に満たせるレベルの欲になった

ということです


満たせることが普通となった欲を満たすことには、

もはや幸福を感じられません


つまり、私にとって「お金」というのものは、

失ったり、入ってこなくなれば、

そこに絶望感はしっかりと覚える訳ですから

私を不幸にすることはあっても、

幸福にしてくれるものでは無くなっているのです


勿論、お金は、今の私の私生活を

普通に支えてくれているものでもあります


しかし、それが普通になってしまえば、

あることが当たり前になってしまうのです


前回の記事で書いたような事件も含めれば

ここまでの収入を得るようになって

人付き合いもかなり深く考える必要もあり

色々と不自由な点も増えました


それでも、仕事を増やし、

お金を稼ぐ理由はこれまで述べた通り、

人の普遍的な心理として、今の生活と

資産が増え続けるという現状を失いたくないからです


また、多少違う観点での「お金を稼ぐ理由」として、

以前までの私は、一生生活できる分のお金は

できるだけ早めに稼いでおきたいという願望もありました


今は現にそれくらいのお金が手元には十分以上ある訳ですが


「できるなら、これくらいの生活は一生できるお金が欲しい」


という願望が常に増強し、今に至っているというのも一理あります


私の性格的な話になりますが

私は小学生くらいの頃から、

夏休みの期間などに出される大量の宿題などは

そのテキストを配られたその日から徹夜で取り組み

1日でも、1秒でも早く終わらせるタイプでした


なので、夏休みなどの数日前にテキストが配られたなら、

夏休みが始まる前には、すでにその宿題を終えていました


また、中学生時代は他に興味を削がれ、

全く勉強はしなかったのですが

高校では、成績でトップを取ることに多少の快感を覚え

全科目の教科書などを先に全て読み、

1年分の教養を新学年、新学期の1カ月くらいで全て身に付け

授業中はほとんど勉強はせず、

その教師の心理だけを読んでいました


授業の中での言い回しや、黒板の書き方から

その教師のテスト傾向だけを読み、

効率的にポイントを押さえ、

テストの前日のみ、

身につけた教養の中からそのポイントのみを復習し、

テストの点だけを追い求めるというスタイルを取っていました


テストの取り組み方はあまり関係ありませんが、

私は性格上、

「やらなければいけないこと」や

「やりたいこと」は

何を差し置いてでも、

先に消化しなければ気が済まない性格なのです


その心理は「やらなければいけないこと」があるうちは

自分はその「やらなければいけないこと」に

縛られていることになり、

その物事に自由を束縛されているように感じるのです


それは、自分自身が積極的に「やりたいこと」でも同じです


つまり、私は幼年期より、

常に精神的な束縛を嫌い、

自由を求めていたのです


その上で、私は社会に出るようになり、

自分の力で生きていくために仕事をし、

そして、お金を稼ぐということが

私にとって、一番わかり易い

「やらなければならないこと」になりました


やらなければいけないこと=お金を稼ぐこと


という図式が成り立った時、私は1日でも、1秒でも早く

その物事を片付けたくなりました


そうして、試行錯誤を繰り返しながら様々なビジネスを通過し

今に至っている訳です


しかし、宿題やテストと違い、お金を稼ぐということに

限界はありませんでした


自分自身に「自由」さえあれば良かったなら、

今、手元にあるお金だけでも、

一般水準の数倍の生活ができます


しかし、私には明らかに他の「欲」も生まれていきました


それは単純な生活水準がどうのというレベルを超え

「お金」というものが、

人生における「点数(スコア)」のようなものに感じはじめ

その「点数」を1点でも多く集めることに

価値を感じてしまったのです


だからこそ、今は収入の増加率が下がることに

絶望感を感じますし

「点数」を大幅に削ってまで

モノが欲しいとも思えないのです


その「点数」を貯めて

どうなるというものでは無いことはわかっています


しかし、それはテレビゲームのテトリスで高得点を取ることや

RPGゲームのドラゴンクエストなどで、

レベルを貯めることと一緒です


それを成してどうということに理由はありません


それは、自分にしかわからない完全な自己満足であり、

人生をゲームとしたなら、お金を貯めることが

そのゲームの目的になっているというだけです


テトリスなどのゲームで人には出せないスコアを出し、

優越感を得る。


私がお金を稼ぐことは、

もはやそれに等しい感覚にあります


点を稼ぐことに理由などありませんし、

故にそれだけが理由なのです


つまり、今の私には金欲、物欲を超えた欲によって、

金銭を交換価値のある紙幣という概念を超えて

欲しているという面があり

その欲を満たすことに、

少なからず「幸福」を感じていたわけです


しかし、こうして資産が増えていくことも普通になると、

食事を取れていることと同様に、

その欲を満たせることが普通になります


当然そうなれば、その欲を満たせることに「幸福」を

自覚的には感じられなくなります


人間の脳は他の動物よりも発達しすぎているため

「欲」そのものが慢性する性質を持っています



更に、

「欲」を経験によって学習する性質を持ちながら、

その思考を「欲」によって定め、行動する生き物でもあります



その欲を満たせる能力や行動力に個人差はあれど

誰もが、今より、

そして今以上に欲を満たせることを願っています


それこそが幸福を願うということに直結しています


現代の日本社会においては、

お金によって満たせるであろう欲が非常に多く

そして、たくさんの情報だけが行き交っているために

自分には満たせていないと感じる

多くの願望だけが先行して生まれていきます


それが、わかりやすい欲の形として表れ

「お金を求めること」に繋がっているのです


情報だけが先行するあまり、

その欲を満たせないことを

「不幸」とさえ感じる人さえいるのです


しかし、多くの人が感じているその欲望は、

他者や情報社会によって与えられ、

その上で生じたものです


自分自身の欲の正体と本質を客観的に見つめ直せれば

わりと違った観点が多く見えてくると思います


「何故、お金を稼ぐのか」

「何故、このビジネスするのか」



これらを欲望の側面から見つめ直すことは

ビジネスを営む上でのマインドセットにおいて、

非常に重要なことです


また、国を統治する者や企業を経営する者、

そしてビジネスを営む者は

結果として、人や顧客を扱う以上、

今自分が管理している人間やその顧客が

どういったプロセスで、

どのレベルのどんな欲を持っているのかを

きちんと把握する必要があります


そして、時には、その欲そのものを意図的に生成し

満たすということも必要になってきます


自分自身も含め、人から「欲」が無くなることはありません


そして、人の思考や行動の大半は

「欲」によって突き動かされています


だからこそ、顧客であれ、ビジネスパートナーであれ

どのような人を扱う上でも、

ある程度は「答え」に近いものが存在するのです


もしも、あらゆる欲を全て満たした先があるとすれば

それはもはや「人」では無く、

まさに「神」と言われる存在に近いものか

何の思慮さえも持たない「生き物」でしょう



 ビジネスへの活用

今回の小論は、文中にも述べたように、

ビジネスに取り組む上で自分自身のマインドセットにおいて、

そして顧客や他者を扱う上でも非常に重要なプロセスです


人の「欲」の正体の本質を手に取るように見抜ければ、

その「欲」を「お金」に変えることは非常に簡単です



実質、世の中のビジネスの多くは、

その図式で成り立っているのです


むしろ、絶対的に勝ち続けている企業などは

その「欲」を意図的に植えつけるところから戦略を組んでいます


悪い言い方をすれば、人の欲につけこむことができれば、

真っ当な商売でも詐欺的な商売でも、

簡単にお金を生み出せるということです


更に言えば、人に欲を植えつけることができれば

どんな商品でも売れますし、

どんなビジネスでも巧くいきます


私が、インターネットの世界で営んでいるビジネスにおける

マーケティング戦略にも、コピーライティングにも

この「欲のプロセス」を、

非常に深いところで幾度と利用していますし

あらゆるビジネス上で人を扱う上でも、関連しています


例えば、私は自分が作るコピー(セールスレター)の中で

「ある特定の欲そのもの」を

生み出すような構成していることも、多々あります


そうしたコピーを作ることによって、

私は数万円の商品で成約率4%、5%は

普通レベルで出し続けていますし

1カ月で4000万、5000万円は売れる

情報商材のセールスレターを相当数書いています


勿論これは、特別な広告やリストに向けて投げた

セールスレターの成約率ではありません


単純にASPなどに登録して、適当なアフィリエイターが

それぞれの媒体で

適当なアクセスを流した上での成約率や売上です


業界に詳しい人ほど、

この数字はとても信じられない数字だと思われるでしょう


これは、日本で売られている情報商材の売上や

セールスレターの成約率の中とは

全く比べものにさえならない驚異的な数字だからです


勿論、私はその上を目指していますし、

この程度の数字はとくに普通だと思っていますが

信じる、信じないはどっちでもいいです


ただ、私は真実しか述べていません


また、アフィリエイトはマーケティング主体で行っていますが

月1000万円は毎月のように売り続けています


これらにも一切広告費やリスト購入費はかけていません


ただ、業務的なものは人にやらせていますので、

人件費はかかっていますが、

実質1人でもできるレベルの労力です


これも実績のある、

業界のことをよく知っているアフィリエイターにとっては

とても信じられないと思うであろう数字になっていることでしょう


しかし、事実なのです


私はどのビジネスで成功を目指すとしても

まずは心理学や哲学を学ぶべきだと本気で思っています



私がこれだけの実績を出せるのは

これらの知識が人よりあるから

というだけです


しかし、たったそれだけのことですが

これらの知識が人よりある以上、

どんなビジネスのフィールドに立っても、

そうそう負ける気がしません


今、多くの人がお金を稼ぐためや成功するために

どれだけ遠回りで、無駄なことを学んでいることか・・・

非常に無駄な時間と労力を使っていると思います


少なくとも、私の心理学や哲学の知識など、

まだまだ非常に浅はかなレベルです


従って、セールスレターの成約率にしても売上にしても

実際はもっと高いレベルを狙えます


今でも2〜3カ月で億単位の数字を上げられるサイトを

毎月1つ2つと作れる訳ですから、

実質、お金など、幾らでも稼げてしまう訳です


その上で


「とにかくお金を莫大に稼いで経済界に名を残してみよう」


などと本気で考えることもありましたが

「でも、そこまでやっても・・・」と思う一面もあります


私にとっての「ビジネス」は

「お金をいくら稼げるか」という観点でしたから、

その結論として、「いくらでも稼げる」という答えが

ある程度出た以上

もはや、「ビジネス」そのものに

興味がなくなっているというのも一理あります


今はただ、

「スコア(収入)を下げたくないからやっている」

に等しい状態です


そんな中、そろそろ別の欲を

満たしていきたいと思う自分もいるのです


今回の記事は話も飛び飛びで

支離滅裂な内容になってしまったかもしれません


あまり無関係な自分の話もありますが

ビジネスとして、色々と重要な点も述べたつもりです


よろしければ、次回もお付き合いください
  1. 2008/12/14(日) 07:16:35|
  2. 成功哲学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
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コメント

初めまして

本條様、 初めまして、紗帆と申します。
楽しく読ませて頂いています
(私には難しすぎる部分もありますが^^;)

私も人生の転機を迎えた「娘の死」というものに対面せざるを得なかった日から、スピリチュアル関係の本や宗教関係の本を読み漁っていますが、どれも、いま一つ腑に落ちるものはありませんでした。

しかし、現在思っているのは「この世はニュートラル」
受け手自身がその事項に対して意味を持たせている・・・だから、同じ事柄に対しても人によって感じ方が変わる。
(例えば、リンゴひとつが今ここにある。りんごはただ存在しているだけ。しかし見る人によって、おいしそうなリンゴだ、とかまずそうなりんごだとか大きいりんごだとか紅すぎるりんごだとか、そのリンゴに対する思いが異なるわけです)

今では、良くも悪くも、この世は完璧にまわっている、と思っています。

何故なら、神の壮大な遊びがこの世だから・・・
逐一狂う事はないのです。
「神との対話」ってご存じでしょうか?おもしろい本ですね。何ひとつ制限はないし、ブラボーです^^

そうは言っても日常のささいな出来事に一喜一憂するまだまだ未熟なわたしがいるのですけど^^それも含めて完璧ということです・・・
ただ、人間は現在のこの肉体で、苦しみも悲しみも楽しみも味わう事が目的といえば目的なのでしょうか・・・?
このネットビジネスというものもその内の一つかも知れませんね^^
色即是空空即是色
  1. 2008/12/19(金) 12:08:11 |
  2. URL |
  3. ☆紗帆☆ #MAABAltA
  4. [ 編集]

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