「さようならコンパルソリー」1988対訳
「さようならコンパルソリー、
こんにちはエキサイティングなフィギュアスケート」
スポーツイラストレイテッド 1988年 対訳 (全4回) 【1】
"A Change That Figures
Bye-bye to compulsories, hello to more exciting skating"
「当然の変更
さようならコンパルソリー、こんにちは楽しいフィギュアスケート」
(※figure =当然である、理にかなう)
http://megalodon.jp/2010-0201-1551-48/sportsillustrated.cnn.com/vault/article/magazine/MAG1067544/index.htm
1988年7月18日号
E.M. Swift
I've got Midori Ito spinning about in my mind.
You remember Ito. She was the 18-year-old Japanese figure skater who kept leaving the ice at the Calgary Winter Olympics like a bumblebee loaded with too much pollen, spinning three times in the air, landing and then soaring again. Here she comes...there she goes...whoa! -- almost made it into orbit that time.
私の頭の中には現在でもミドリ・イトーがおり、スピンしている。
イトーを覚えているだろう。18歳の日本のフィギュアスケーター、
カルガリー冬期五輪で、氷を置き去りにしつづけた。
花粉を満載したマルハナバチ(※訳注)のように、
空中で3度回転しては、着氷し、再び高く舞い上がる。
ここかと思えば・・・今度はあっちへ・・・オオ! 時は恍惚となった。
------------------------------------------------
※訳注:
<写真>
マルハナバチ (bumblebee)
・bumble =(ハチなどが)ブンブンいう
<写真>
コスプレ bumblebee コスプレ 赤ちゃん bumblebee
欧米人の脳内 マルハナバチ まとめ
マルハナバチ属 (bumblebee)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%90%E3%83%81%E5%B1%9E
>姿はミツバチに似て、丸みをおびており毛深いが、ミツバチより少し大きい。
>花粉媒介をおこなうものとして、日本よりはるかに重視され、親近感が強い。
マルハナバチ (bumblebee)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%90%E3%83%81
>ディズニーの『くまのプーさん』の挿絵にハチミツ壷と共に描かれる可愛い蜂は、
>色パターンからミツバチではなくマルハナバチなのでは、との指摘があり、
>西洋文化の中でマルハナバチが親しまれていることが伺える。
・「マルハナバチbumblebee」についてやや詳しく書いた。
この理由は相当にあるが、ここで詳述しない。
日本のフィギュアファン・伊藤ファンは、この理由を考えることが有意義である。
※訳注は以上。
------------------------------------------------
After completing each flawless triple jump, she would beam as if it were the first time in her life she had accomplished the feat. She thoroughly won over the crowd and stole the free skating show from the dueling Carmens, Katarina Witt of East Germany and Debi Thomas of the U.S. For figure skating fans, Ito was one of the highlights of the Games.
完璧な各トリプルジャンプの後には、まるで生れて初めて成功したように、
彼女はビーム(晴々とした表情・笑顔)を放つ。
観客を徹底的に味方に引き入れ、フリー・スケート・ショーを、
カルメン対決(東独カタリナ・ビットと米国デビ・トーマス) から奪った。
フィギュアファンにとってイトーは、今五輪のハイライトだった。
(2へつづく)↓
スポーツイラストレイテッド1988年 対訳 (全4回) 【2】
「さようならコンパルソリー、
こんにちはエキサイティングなフィギュアスケート」
(つづき)
Ito didn't win a medal, however; she had placed a lackluster 10th in the compulsory figures, which accounted for 30% of the scoring. But she won't have to improve that aspect of her skating before the 1992 Games in Albertville, France, because the International Skating Union, the sport's governing body, recently voted to phase out the compulsories in international competitionover the next two years. As a result, Ito is Witt 's heiress apparent.
しかしながら、イトーはメダルを獲得しなかった。
コンパルでは精彩を欠く10位。コンパルは採点の30%を占める。
それでもイトーは、92年アルベールビル五輪に向け、
その点(コンパル)を改善する必要はない。
なぜなら、国際スケート連盟(この競技の統治機関)が、
コンパルを今後2年間で段階的に無くすことを、最近票決したからだ。
その結果、イトーはビットの明白な後継者である。
The elimination of the compulsories is a monumental revision in the sport. Not many spectators will miss the compulsories, but then not many spectators ever saw them. They are tedious to watch. During this first segment of the three-part competition (the other parts: the short program and free skating), each skater would trace three figures -- variations on the figure 8.
コンパル除去は、フィギュアにおける記念碑的な修正である。
コンパルを恋しく思う観客は多くはないが、コンパルをかつて見た観客も多くはない。
コンパルは見ていて退屈である。
3つに分れた競争の最初の1つにおいて、(残る2つはショートとフリーである)、
各スケーターは、8の字の上に3つの図形を描く。
This could take as long as eight hours to complete at a championship; the majority of that time was consumed by the judges, bent over with their rumps in the air, inspecting the marks left on the ice by each skater's blade -- tracings almost indiscernible from a distance of more than a foot.
選手権大会において、このコンパルは終わるまで8時間かかることもある。
時間のほとんどはジャッジに消費される。
ジャッジ達は腰を曲げ、尻を空中に浮かべながら、検査する。
各選手が氷に残こしたスケート跡、氷から30センチの距離でもほとんど見えないものを、
検査しているのだ。
Scoring could be widely divergent and, often, politically inspired. The whole exercise added a certain mystique to the sport. To become proficient in compulsories, a skater must practice them day after day for years and years, and the only people who ever see the results of these efforts are the coaches, the judges and the skaters themselves.It was the coaches who were most vocal in their support of the compulsories, for teaching figures is an art in itself and learning them helps make skaters better all-around.
コンパル採点は、一貫性がない可能性があり、しばしば政治的印象も有りえた。
(訳注: 「政治的印象」とは不正や八百長の可能性・示唆とも推測可能)
コンパルの練習は、フィギュアスケートにある種の神秘性を加えた。
コンパルの達人になるために、スケーターは毎日毎日、何年も何年も練習しなければならず、
努力の成果を見ることが出来るのは、常に、コーチと、ジャッジと、選手本人だけ
(訳注: つまり観客以外)である。
最も意見を言う(口数が多い)のは、コーチたちだった。
それはコンパル支援において、つまり次のようなことを教えるために。すなわち、
「コンパルはそれ自体でアートであり、
コンパルを学ぶと、スケーターを万能にし、多才にし、全般的に向上させる」。
(3へつづく)↓
スポーツイラストレイテッド1988年 対訳 (全4回) 【3】
「さようならコンパルソリー、
こんにちはエキサイティングなフィギュアスケート」
(つづき)
One of the reasons it is so expensive to train a world-class figure skater -- $25,000 to $30,000 a year -- is that two to three supervised hours a day must be spent trying to master figures. This is not the territory of phenoms. The most experienced skaters are invariably marked highest in the compulsories.
世界レベルのフィギュア選手を育てる費用が、非常に高い
(年間で約350万円〜450万円:88年当時)のだが、理由の一つは、
1日当たりのコーチとの2〜3時間が、コンパル習得のために費やされる、
ということである。これは天才たちの領域ではない。
コンパルにおいては、最も経験のある老練なスケーターが常に、
最も高い得点になる。
"You watch," predicts coach Carlo Fassi, whose past pupils include Olympic champions Peggy Fleming , Dorothy Hamill and Robin Cousins. "Our champions will start getting younger, so that they will soon be children, as in gymnastics. There will be 15 other Itos in the next Olympics. All they will be able to do is tricks."
「見ていてごらん」とコーチのカルロ・ファッシ
(教え子には五輪覇者の、ペギー・フレミング、ドロシー・ハミル、ロビン・カズンズらがいる)
が、次のように予言する。
「フィギュアのチャンピオンは若くなっていくよ。そしてすぐに子供になる。
体操競技のようにね。
次の五輪にはイトーが15人いるはずだ。彼らができるのはトリック、芸だけだ」
(※訳注: tricksは動物の芸。人間はacrobatics。また、欧米では子供は人間ではない)。
Tricks -- i.e., triple jumps, double Axels, combination jumps, death drops -- have contributed to the surge in popularity that figure skating has enjoyed on television in recent years. But Fassi 's point is a good one. One of the appealing aspects of figure skating as compared with gymnastics is that its ladies' champions are not little girls.
トリック、芸--- すなわちトリプルジャンプ、ダブルアクセル、
コンビネーションジャンプ、デスドロップ --- これらは、
フィギュアが近年テレビで享受した人気急増に、寄与した。
しかし、ファッシの論点は良い論点だ。
フィギュアスケートの魅力の一つは、体操と比較した場合、
女性チャンピオンが小さな少女でない、ということだ。
Puberty doesn't signal the far side of the hill. Maturity and experience count for something -- most tangibly in the execution of the compulsory figures. Midori Ito was a winning freestyle skater; Katarina Witt was a winning figure skater.
思春期は丘の向こう側を示さない。(※訳注: ニュアンス不詳。
「その本質・将来が不明確」の意とも推測できる)。
成熟と経験は、何かにおいて、---実体的にはコンパルの実行において、
重要な価値がある。
ミドリ・イトーは、勝利のフリースタイル・スケーターであり、
カタリナ・ビットは、勝利のフィギュア(コンパル)・スケーターだった。
(※訳注: 「figure」はコンパルの意味なので「コンパル・スケーター」とも言える。
また、イトーの「freestyle」は日本語では「フリー」との表現も見られ、
欧米でも当時「best free skater」と言われた。
したがって、また文脈的にも、次の表記も可:
伊藤は、 フリー女王、
ビットは、コンパル女王 )。
(4最終回へつづく)↓
スポーツイラストレイテッド1988年 対訳 (全4回) 【4】最終回
「さようならコンパルソリー、
こんにちはエキサイティングなフィギュアスケート」
(つづき)
Still, there's no getting around the fact that the compulsory figures were the hieroglyphics of sport. The tedious repetition required for compulsory figures, not to mention the added expense of the extra hours of ice time and coaching fees, has probably dampened the enthusiasm of many novice skaters.
依然として、
コンパルがこの競技の象形文字文で、象徴であり、訳の分からないものだった、
という事実に、(この論述が)達していない。
(※訳注: hieroglyphic象形文字文には、「象徴」と「訳の分からない」の意味もある)。
コンパル(習得)に必要な退屈な反復練習は、
コーチ料や余計なリンク時間の費用追加は言うまでもないが、
恐らくは、多くの初心者スケーターの「やる気」をそぎ落とした。
Despite its spectator appeal, figure skating in the U.S. hasn't been growing at the participant level. For the last six years the number of skaters registered with the U.S. Figure Skating Association has remained steady at 30,000. Nevertheless, the USFSA voted against abolition of the compulsories. One reason is that America has an abundance of coaches able to teach the compulsories, a fact that has enabled the U.S. to produce more than its share of Olympic medalists.
米国のフィギュアスケートは、
観客への魅力にもかかわらず、人々が参加できるような水準には成長していない。
過去6年間、米フィギュア協会の登録スケーター数は3万人のままである。
にもかかわらず、米フィギュア協会はコンパル廃止に反対した。
理由の1つは、次のような事実である。すなわち、
コンパル教習できるコーチがアメリカには豊富におり、
コーチたちは米国の五輪メダル数をさらに増加させることが出来る、という事実である。
The guess here is that more kids will turn to figure skating now that the compulsories are on their way out. More families will be able to afford it. Ice time at rinks, another limiting factor, will open up. Practice hours will become less grueling. A different type of kid, a more athletic one, will begin to appear on the ice. And coaches will find that they can make up for the loss of income that the end of compulsories will cost them by working with more students.
ここで推測されるのは、次のことである。すなわち、
コンパルがなくなるフィギュアスケートに、子供たちが沢山集まってくる、
ということだ。
より多くの家族が、スケートを習わせる余裕ができる。
リンクの使用時間(これも要因だったが)も、開かれたものになる。
練習がそれほど厳しくなくなる。
独特なタイプの子供、よりアスレチックなやつが、氷上に現れ始める。
そしてコーチたちは気付く。つまり、コンパル廃止がもたらすコーチ収入減少を、
沢山の生徒を教えることで埋め合わせ、取り返すことができる、と。
And Midori Ito?
She had best be alert, because somewhere there's another leaping sprite with her eyes set on the gold in 1992.
そして、ミドリ・イトーは?
彼女は油断せず、警戒するのがいちばんだ。
なぜなら、どこかにもう一人、1992年の金メダルを見据えた跳ねる妖精が、
いるはずなのだから。
---------------------
スポーツイラストレイテッド1988年 対訳 (全4回) 【1】〜【4】
「さようならコンパルソリー、
こんにちはエキサイティングなフィギュアスケート」
は以上。
■はい、では見てみましょう。↓
NHK
http://www.youtube.com/watch?v=l5s7TGga9Zc
こんにちはエキサイティングなフィギュアスケート」
スポーツイラストレイテッド 1988年 対訳 (全4回) 【1】
"A Change That Figures
Bye-bye to compulsories, hello to more exciting skating"
「当然の変更
さようならコンパルソリー、こんにちは楽しいフィギュアスケート」
(※figure =当然である、理にかなう)
http://megalodon.jp/2010-0201-1551-48/sportsillustrated.cnn.com/vault/article/magazine/MAG1067544/index.htm
1988年7月18日号
E.M. Swift
I've got Midori Ito spinning about in my mind.
You remember Ito. She was the 18-year-old Japanese figure skater who kept leaving the ice at the Calgary Winter Olympics like a bumblebee loaded with too much pollen, spinning three times in the air, landing and then soaring again. Here she comes...there she goes...whoa! -- almost made it into orbit that time.
私の頭の中には現在でもミドリ・イトーがおり、スピンしている。
イトーを覚えているだろう。18歳の日本のフィギュアスケーター、
カルガリー冬期五輪で、氷を置き去りにしつづけた。
花粉を満載したマルハナバチ(※訳注)のように、
空中で3度回転しては、着氷し、再び高く舞い上がる。
ここかと思えば・・・今度はあっちへ・・・オオ! 時は恍惚となった。
------------------------------------------------
※訳注:
<写真>
マルハナバチ (bumblebee)
・bumble =(ハチなどが)ブンブンいう
<写真>
コスプレ bumblebee コスプレ 赤ちゃん bumblebee
欧米人の脳内 マルハナバチ まとめ
マルハナバチ属 (bumblebee)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%90%E3%83%81%E5%B1%9E
>姿はミツバチに似て、丸みをおびており毛深いが、ミツバチより少し大きい。
>花粉媒介をおこなうものとして、日本よりはるかに重視され、親近感が強い。
マルハナバチ (bumblebee)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%90%E3%83%81
>ディズニーの『くまのプーさん』の挿絵にハチミツ壷と共に描かれる可愛い蜂は、
>色パターンからミツバチではなくマルハナバチなのでは、との指摘があり、
>西洋文化の中でマルハナバチが親しまれていることが伺える。
・「マルハナバチbumblebee」についてやや詳しく書いた。
この理由は相当にあるが、ここで詳述しない。
日本のフィギュアファン・伊藤ファンは、この理由を考えることが有意義である。
※訳注は以上。
------------------------------------------------
After completing each flawless triple jump, she would beam as if it were the first time in her life she had accomplished the feat. She thoroughly won over the crowd and stole the free skating show from the dueling Carmens, Katarina Witt of East Germany and Debi Thomas of the U.S. For figure skating fans, Ito was one of the highlights of the Games.
完璧な各トリプルジャンプの後には、まるで生れて初めて成功したように、
彼女はビーム(晴々とした表情・笑顔)を放つ。
観客を徹底的に味方に引き入れ、フリー・スケート・ショーを、
カルメン対決(東独カタリナ・ビットと米国デビ・トーマス) から奪った。
フィギュアファンにとってイトーは、今五輪のハイライトだった。
(2へつづく)↓
スポーツイラストレイテッド1988年 対訳 (全4回) 【2】
「さようならコンパルソリー、
こんにちはエキサイティングなフィギュアスケート」
(つづき)
Ito didn't win a medal, however; she had placed a lackluster 10th in the compulsory figures, which accounted for 30% of the scoring. But she won't have to improve that aspect of her skating before the 1992 Games in Albertville, France, because the International Skating Union, the sport's governing body, recently voted to phase out the compulsories in international competitionover the next two years. As a result, Ito is Witt 's heiress apparent.
しかしながら、イトーはメダルを獲得しなかった。
コンパルでは精彩を欠く10位。コンパルは採点の30%を占める。
それでもイトーは、92年アルベールビル五輪に向け、
その点(コンパル)を改善する必要はない。
なぜなら、国際スケート連盟(この競技の統治機関)が、
コンパルを今後2年間で段階的に無くすことを、最近票決したからだ。
その結果、イトーはビットの明白な後継者である。
The elimination of the compulsories is a monumental revision in the sport. Not many spectators will miss the compulsories, but then not many spectators ever saw them. They are tedious to watch. During this first segment of the three-part competition (the other parts: the short program and free skating), each skater would trace three figures -- variations on the figure 8.
コンパル除去は、フィギュアにおける記念碑的な修正である。
コンパルを恋しく思う観客は多くはないが、コンパルをかつて見た観客も多くはない。
コンパルは見ていて退屈である。
3つに分れた競争の最初の1つにおいて、(残る2つはショートとフリーである)、
各スケーターは、8の字の上に3つの図形を描く。
This could take as long as eight hours to complete at a championship; the majority of that time was consumed by the judges, bent over with their rumps in the air, inspecting the marks left on the ice by each skater's blade -- tracings almost indiscernible from a distance of more than a foot.
選手権大会において、このコンパルは終わるまで8時間かかることもある。
時間のほとんどはジャッジに消費される。
ジャッジ達は腰を曲げ、尻を空中に浮かべながら、検査する。
各選手が氷に残こしたスケート跡、氷から30センチの距離でもほとんど見えないものを、
検査しているのだ。
Scoring could be widely divergent and, often, politically inspired. The whole exercise added a certain mystique to the sport. To become proficient in compulsories, a skater must practice them day after day for years and years, and the only people who ever see the results of these efforts are the coaches, the judges and the skaters themselves.It was the coaches who were most vocal in their support of the compulsories, for teaching figures is an art in itself and learning them helps make skaters better all-around.
コンパル採点は、一貫性がない可能性があり、しばしば政治的印象も有りえた。
(訳注: 「政治的印象」とは不正や八百長の可能性・示唆とも推測可能)
コンパルの練習は、フィギュアスケートにある種の神秘性を加えた。
コンパルの達人になるために、スケーターは毎日毎日、何年も何年も練習しなければならず、
努力の成果を見ることが出来るのは、常に、コーチと、ジャッジと、選手本人だけ
(訳注: つまり観客以外)である。
最も意見を言う(口数が多い)のは、コーチたちだった。
それはコンパル支援において、つまり次のようなことを教えるために。すなわち、
「コンパルはそれ自体でアートであり、
コンパルを学ぶと、スケーターを万能にし、多才にし、全般的に向上させる」。
(3へつづく)↓
スポーツイラストレイテッド1988年 対訳 (全4回) 【3】
「さようならコンパルソリー、
こんにちはエキサイティングなフィギュアスケート」
(つづき)
One of the reasons it is so expensive to train a world-class figure skater -- $25,000 to $30,000 a year -- is that two to three supervised hours a day must be spent trying to master figures. This is not the territory of phenoms. The most experienced skaters are invariably marked highest in the compulsories.
世界レベルのフィギュア選手を育てる費用が、非常に高い
(年間で約350万円〜450万円:88年当時)のだが、理由の一つは、
1日当たりのコーチとの2〜3時間が、コンパル習得のために費やされる、
ということである。これは天才たちの領域ではない。
コンパルにおいては、最も経験のある老練なスケーターが常に、
最も高い得点になる。
"You watch," predicts coach Carlo Fassi, whose past pupils include Olympic champions Peggy Fleming , Dorothy Hamill and Robin Cousins. "Our champions will start getting younger, so that they will soon be children, as in gymnastics. There will be 15 other Itos in the next Olympics. All they will be able to do is tricks."
「見ていてごらん」とコーチのカルロ・ファッシ
(教え子には五輪覇者の、ペギー・フレミング、ドロシー・ハミル、ロビン・カズンズらがいる)
が、次のように予言する。
「フィギュアのチャンピオンは若くなっていくよ。そしてすぐに子供になる。
体操競技のようにね。
次の五輪にはイトーが15人いるはずだ。彼らができるのはトリック、芸だけだ」
(※訳注: tricksは動物の芸。人間はacrobatics。また、欧米では子供は人間ではない)。
Tricks -- i.e., triple jumps, double Axels, combination jumps, death drops -- have contributed to the surge in popularity that figure skating has enjoyed on television in recent years. But Fassi 's point is a good one. One of the appealing aspects of figure skating as compared with gymnastics is that its ladies' champions are not little girls.
トリック、芸--- すなわちトリプルジャンプ、ダブルアクセル、
コンビネーションジャンプ、デスドロップ --- これらは、
フィギュアが近年テレビで享受した人気急増に、寄与した。
しかし、ファッシの論点は良い論点だ。
フィギュアスケートの魅力の一つは、体操と比較した場合、
女性チャンピオンが小さな少女でない、ということだ。
Puberty doesn't signal the far side of the hill. Maturity and experience count for something -- most tangibly in the execution of the compulsory figures. Midori Ito was a winning freestyle skater; Katarina Witt was a winning figure skater.
思春期は丘の向こう側を示さない。(※訳注: ニュアンス不詳。
「その本質・将来が不明確」の意とも推測できる)。
成熟と経験は、何かにおいて、---実体的にはコンパルの実行において、
重要な価値がある。
ミドリ・イトーは、勝利のフリースタイル・スケーターであり、
カタリナ・ビットは、勝利のフィギュア(コンパル)・スケーターだった。
(※訳注: 「figure」はコンパルの意味なので「コンパル・スケーター」とも言える。
また、イトーの「freestyle」は日本語では「フリー」との表現も見られ、
欧米でも当時「best free skater」と言われた。
したがって、また文脈的にも、次の表記も可:
伊藤は、 フリー女王、
ビットは、コンパル女王 )。
(4最終回へつづく)↓
スポーツイラストレイテッド1988年 対訳 (全4回) 【4】最終回
「さようならコンパルソリー、
こんにちはエキサイティングなフィギュアスケート」
(つづき)
Still, there's no getting around the fact that the compulsory figures were the hieroglyphics of sport. The tedious repetition required for compulsory figures, not to mention the added expense of the extra hours of ice time and coaching fees, has probably dampened the enthusiasm of many novice skaters.
依然として、
コンパルがこの競技の象形文字文で、象徴であり、訳の分からないものだった、
という事実に、(この論述が)達していない。
(※訳注: hieroglyphic象形文字文には、「象徴」と「訳の分からない」の意味もある)。
コンパル(習得)に必要な退屈な反復練習は、
コーチ料や余計なリンク時間の費用追加は言うまでもないが、
恐らくは、多くの初心者スケーターの「やる気」をそぎ落とした。
Despite its spectator appeal, figure skating in the U.S. hasn't been growing at the participant level. For the last six years the number of skaters registered with the U.S. Figure Skating Association has remained steady at 30,000. Nevertheless, the USFSA voted against abolition of the compulsories. One reason is that America has an abundance of coaches able to teach the compulsories, a fact that has enabled the U.S. to produce more than its share of Olympic medalists.
米国のフィギュアスケートは、
観客への魅力にもかかわらず、人々が参加できるような水準には成長していない。
過去6年間、米フィギュア協会の登録スケーター数は3万人のままである。
にもかかわらず、米フィギュア協会はコンパル廃止に反対した。
理由の1つは、次のような事実である。すなわち、
コンパル教習できるコーチがアメリカには豊富におり、
コーチたちは米国の五輪メダル数をさらに増加させることが出来る、という事実である。
The guess here is that more kids will turn to figure skating now that the compulsories are on their way out. More families will be able to afford it. Ice time at rinks, another limiting factor, will open up. Practice hours will become less grueling. A different type of kid, a more athletic one, will begin to appear on the ice. And coaches will find that they can make up for the loss of income that the end of compulsories will cost them by working with more students.
ここで推測されるのは、次のことである。すなわち、
コンパルがなくなるフィギュアスケートに、子供たちが沢山集まってくる、
ということだ。
より多くの家族が、スケートを習わせる余裕ができる。
リンクの使用時間(これも要因だったが)も、開かれたものになる。
練習がそれほど厳しくなくなる。
独特なタイプの子供、よりアスレチックなやつが、氷上に現れ始める。
そしてコーチたちは気付く。つまり、コンパル廃止がもたらすコーチ収入減少を、
沢山の生徒を教えることで埋め合わせ、取り返すことができる、と。
And Midori Ito?
She had best be alert, because somewhere there's another leaping sprite with her eyes set on the gold in 1992.
そして、ミドリ・イトーは?
彼女は油断せず、警戒するのがいちばんだ。
なぜなら、どこかにもう一人、1992年の金メダルを見据えた跳ねる妖精が、
いるはずなのだから。
---------------------
スポーツイラストレイテッド1988年 対訳 (全4回) 【1】〜【4】
「さようならコンパルソリー、
こんにちはエキサイティングなフィギュアスケート」
は以上。
■はい、では見てみましょう。↓
NHK
http://www.youtube.com/watch?v=l5s7TGga9Zc
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