85%を超える世論の圧倒的な支持--。日本が死刑を維持する最大のよりどころだが、国際的な死刑廃止論議では、ほとんど説得力を持っていない。
死刑が廃止か停止されている世界の3分の2の国で、「有権者の大半を喜ばすために死刑を廃止するなどということは、起きたこともないし、あり得ない」(仏社会学者ガイヤール博士)からだ。
フランスの経験が示唆に富む。今でこそ死刑廃止運動の旗振り役を自任するフランスが、廃止に踏み切ったのは1981年、ミッテラン社会党政権が誕生した時。世論は死刑維持に賛成6割、反対3割だったが、新大統領は死刑廃止論で著名なバダンテール弁護士を法相に起用し、2人の政治リーダーシップで廃止を断行した。
以後18年間、各種世論調査で死刑廃止賛成が反対を上回ったことは一度もない。むしろ凶悪事件の後など事あるごとに、死刑復活法案が約30回も議会に提出されてきた。世論は絶えずぶれる。
99年に初めて賛否が並び、やがて死刑反対5割・賛成4割と逆転してからは、傾向が定着。07年、憲法に死刑廃止が明記された時、議会は世論の賛否比率を大きく超える圧倒的大差で承認した。今後フランスで死刑が復活することはない。
「まず社会での議論だ。普通の人々がお茶を飲み食事をしながら、死刑の賛否を話題にするくらいでないと始まらない。死刑賛成が6割に減ったら、次は政治の勇気。廃止されても、死刑反対が多数になるには教育が必要で、1世代はかかる。85%という数字は、まだ議論が行われていないことの表れだ」(ガイヤール氏)
他の西欧諸国も、ファシズムによる大量処刑の反省(ドイツ)など、廃止のきっかけはまちまちだが、議論を基に政治が断行し、世論がためらいながら後を追う流れは共通している。米国でも、最近の廃止例は州知事の政治決断だった(ニューメキシコ州)。
理不尽な仕打ちに報復したい、暴力に暴力で応えたいというのは、ある意味で自然な感情だ。残虐事件が起きると死刑支持論がぶり返すのは、死刑廃止国でも変わらない。
「世論は胸と腹で考えるが、司法は頭で考えないといけない。被害者と遺族はいかにひどい目にあったか社会に認知を求めている。そのために死刑が役に立たないと分かるには時間がかかる」(パリ第10大学のデジヌ教授)
渡るのに長い年月を要する感情と司法のずれ。そこに橋を懸け、世論が渡るのを待つのも、選良たる政治家の役割だという。
死刑廃止の道筋は、日本の民主主義が迷路にはまっている世論の不確かさと政治のリーダーシップの関係に、ある試練の機会を投げかけているようだ。
「議論を起こすための死刑執行」という千葉景子元法相の言い分は、議論と政治と世論の役割関係をごちゃ混ぜにしている点が、西欧の死刑廃止派を驚かせ、あきれさせた。それは日本の死刑廃止運動が、西欧の理屈を移植するだけで、日本の民主主義政治の問題として考えてこなかった底浅さの帰結でもある。【ジュネーブ伊藤智永】=つづく
毎日新聞 2010年11月23日 東京朝刊