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藤岡真blog

2010-12-21

徹底検証 唐沢俊一追討日記 その33 池部良

16:13

天職でなかった(?)男 【訃報 池部良】

 小野耕世氏が『惑星大戦争』(77)公開時に苦言を呈して、「辛気臭い顔特攻する池部良よりも、私には初めて乗る宇宙船に口をぽかんとあけている『スターウォーズ』の坊やの方がずっと好ましい」と言う意味のことを言っていたが、これは池部良に酷なのであって、あれはあの映画で特に辛気臭い演技をしていたわけではなく、池部良という人の顔が基本的に辛気臭い顔なのである。

青い山脈』(49)の頃は知らず、代表作(最高傑作であろう)『暁の脱走』(50)はもちろん辛気臭さの限りをつくした映画であったし、私が名画座巡りしながら観た『白夫人の妖恋』(56)でも辛気臭かったし、『潜水艦イ57降伏せず』(59)のラスト、潜水艦で敵駆逐艦に体当たりする池部艦長も当然の如く辛気臭かったし、『昭和残侠伝』シリーズ(69〜)でも辛気臭かった。その『残侠伝』で名コンビだった高倉健主演の『冬の華』(78)では冒頭で健さんに殺されてしまう役。わけありという感じで淡々と殺されていた。今思うと、この役がその数年間に見た池部良で一番辛気臭くなかったかも。とにかく、中年すぎてからのこの人がほがらかに笑った映画を見たことがない。なにしろ、別に辛気臭くなくてもいい『小説吉田学校』(83)の緒方竹虎ですら辛気臭いのである。『あゝ決戦航空隊』(74)では米内光政役。この役、山村聰あたりがやると悲痛な演技の中にも豪放磊落さがにおうのだが、池部良の米内大臣鶴田浩二の大西瀧治郎に戦争継続を迫られるあたりのシーンは日本辛気臭い大賞ものかと思うくらい辛気臭い演技のぶつかり合いだった。

 それでいて、その演技には気品と知性がただよっていた。“スケベ良”とあだ名されたくらいモテたそうで、むっつりスケベというやつかと思ったら、本人は非常にユーモアあふれる、洒落た紳士であったらしい。なるほど、父君はユーモアあふれた政治漫画などで知られる漫画家池部均なのであった。ユーモア感覚に優れていたのも当然である。

 その彼がなぜ、辛気臭い顔でばかり映画に出ていたのかと言えば、俳優という職業を天職とは思ってなかったからだろう。戦後の再デビューである『青い山脈』は、33歳にもなって18歳の役で出ることが実はイヤであったらしいし、『昭和残侠伝』シリーズは、日本映画俳優協会の理事長の身でヤクザ役を演じることに抵抗があり、名前を出来るだけ小さくしてくれと東映の俊藤浩滋に頼んでいる。

 妖星ゴラス』(62)をはじめとする特撮シリーズも、実は嫌々の出演であったらしい。代表作がことごとく意に染まない出演であったという珍しい役者であるわけだが、これは本来は映画監督を志していたのに、たまたま役者の方で職を得てしまったという、人生のもともとでの食い違いによるのかもしれない。あの顔は“人生、ままにはならない”という諦念の顔だったのかもしれない。

 ……この人には実はご迷惑をかけて(?)いる。

 潮健児氏の自伝『星を喰った男』を上梓するとき、帯に潮さんが『残侠伝』で共演して親しくしてくれた池部さんの言葉が欲しい、と言うので、電話してお願いをした。電話口に出た池部さんは「潮ちゃんのためなら書きますよ」とおっしゃってくれたが、清川虹子さんが「良ちゃんともあろう人にわざわざ書いてもらうなんて失礼だわ。あなた書いて、名前だけお借りしなさいな」とおっしゃり、仕方なく私が代筆、というかゴーストで書いた。ちょっと面白く書いてやろうと“最近の役者は役者のようなものでしかない”みたいなことを書いてしまい(私も若かった)、書いてからどうか、と思ったのだが、潮さん自身がその文章を持って池部さんのお宅に伺い、見せたら、池部さんは苦笑して「面白いじゃない」と言っておられたとか。若気の至り、お許しくださいと泉下に祈るしかない。

 池部さんは潮さんのパーティにも出席してくださり、「僕が撮影所で潮ちゃんにつけたあだ名が“ピラニア”で、それが東映内で流行り、後のピラニア軍団の名前の元となった。あの名前は僕と潮ちゃんにマルCがある」と、ユーモアたっぷりのスピーチをしてくださった。実はこのとき、鼻梁などがげっそりとこけ、かつての二枚目のイメージがだいぶ損なわれていたように感じたのだが、後で聞いたら、持病のマラリアで熱が出て、出席もあやぶまれたのを“潮ちゃんの一世一代だから”と、病を押して出席してくれたとのことだった。あの時のお礼とお詫びもまた、伝えられぬまま、だった。92という長命ではあったが、いつでも、いつまでもいてくれる人、と思っていたのである。

 改めて冥福をお祈りしたい。

 辛気臭い;思うようにならず、いらいらするさま。また、気がめいるさま。(大辞泉

 池部良のことは殆ど知らないくせに、小野耕世の馬鹿が書いた、「辛気臭い」というキーワードと、『星を喰った男』のエピソードを組み合わせてでっちあげた、駄文の極みのような文章である。

 いいかね。池部良という俳優は、日本映画でも稀有な「江戸っ子の二枚目」なんであるよ。そう、唐沢俊一が寝ては夢起きては現と憧れながら、絶対に到達できない理想の姿。それが池部良なのだ。池部良の『坊っちゃん』はまさに当たり役で、坊っちゃんを演じられる役者は、池部良以外にはいないのではないか。坂本九とか中村雅俊坊っちゃんなんか、殺意を抱くほど酷えもんだ。

D

 イケメンという糞みたいな言葉が流行っているが、なんの説明もなく二枚目と分かる役者は、その後も加山雄三くらいなんじゃないかなあ。でも、加山は江戸っ子じゃないし。

 大体、親が漫画家(と一言では片付けられないくらい面白い人物だった)の池辺均だからって、なんで「ユーモア感覚に優れていたのも当然である」なんて言えるの。そんな理屈が通るなら、従兄は岡本太郎だぜ。だから画才があって当然、なんて話にゃならんだろう。因みに岡本太郎は、池部のエッセイに戦場での「騎乗の辛気臭い上官」として登場する。

 そのエッセイだ。池部は日本文芸大賞を受賞した著名なエッセイスト。唐沢はそんなことも知らないようだね。洒脱なユーモア溢れるエッセイを、実際に読んでいりゃあ、上のような間抜けなことは書かないだろうし、ゴーストライターとして帯の代筆をするなんて暴挙に走りっこないからね。そもそも、清川虹子の言い分が全く理解出来ない。池部良が納得して書いてくれると言っている文章を、なんで唐沢みたいなチンピラが代筆しなければならんのか。清川が本当にこんなことを言ったとしたって、突っぱねて池部の文章を載せるのが正道だろうし、故人である清川虹子のせいにしているけど、これは唐沢が勝手にやったことなんじゃないのか。

 そして、出版パーティに(ちゃんと「自伝」と書いているな)病を押して出席してくれたことに対しても、自分が駄文で代筆したことにも、なんの挨拶もしていなかったとは、呆れ返る非常識。

 その挙句の追討が、

池部良という人の顔が基本的に辛気臭い顔なのである

 とは、死んでしまえと言いたくなる。まあ、不細工な田舎者の僻みなんだろうけど。

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2010-12-20

徹底検証 唐沢俊一追討日記 その32 アレックス・アンダーソン

16:13

 消されかけた男 【訃報 アレックス・アンダーソン】

 10月22日、アレックス・アンダーソン死去、90歳。

 アルツハイマーの合併症だったとか。

 60年代にテレビでやっていたアニメ『空飛ぶロッキーくん(ママ)』の原作者。栗葉子のロッキー、浦野光のブルウィンクル、牟田悌三のナレーションでわれわれの世代にはおなじみのアニメだったが、声が印象的ということはアニメそのものはあまり面白くなかったということだろう。実際、原語版のビデオを手に入れて見たことがあるのだが、10分と見続けていられなかった。動きがほとんどないのだ。

 だがアメリカにおいては国民的といっていい人気を博し、あのロバート・デ・ニーロが制作・主演してアニメとの合成で2000年に実写映画化したほどだった(評判はさんざんで日本では未公開、WOWOWで放映された)。アニメとしては同じころ見ていたフライシャースタジオのポパイやハンナバーベラの原始家族などに競べても格落ちだったが、それでも毎回熱心に見ていたのはキャラクターが印象的だったからだろう。殊に敵方のロシアのスパイ、ボリスとナターシャのコンビが主人公たち以上に魅力があった。悪玉キャラに人気が出た最初の例ではないか。

 われわれの世代がテレビ時代ごく初期に目にしていた洋モノアニメに『ヘッケルとジャッケル』、『マイティマウス』などがあるが、これらの制作はポール・テリーが創立したテリー・トーン・スタジオ(ママ)の作品であって、最初は劇場用短編アニメを作っていた。ポール・テリーが初めてアニメーションを制作したのは1915年、前年に見たウィンザー・マッケイの『恐竜ガーティ』に触発されてだった。ウォルト・ディズニーが初めてアニメを作る5年も前である。先輩にあたるわけだが、演出の才能も商売の才能もケタが違った天才、ウォルト・ディズニーに、あっという間に水をあけられてしまう。それでもテリーは

「ディズニーはリムジンの高級車、自分の作品は乗り合いバスさ」

 と平然として、完全主義のディズニーとは一線を画したアニメの大衆化に尽力する。製作費の節約のため、顔と体を別々のセルに描いて取り換えて撮影したり、セルをプールして使い回す方式などはポール・テリーが開発した手法である。

 アレックス・アンダーソンは、このポール・テリーの甥にあたる。テリー・トーンでアニメーターとして働いていた頃、テレビの台頭を見て、これからはテレビにアニメを売る時代だ、と直感し、伯父に進言するが却下される。そこでアンダーソンは伯父のもとをやめ、幼なじみだった友人のジェイ・ウォードと組んで、テレビジョンアーツプロダクションを設立、アメリカにおける最初のテレビアニメ『クルセイダー・ラビット(進めラビット)』を制作する。1950年のことであった。

http://www.youtube.com/watch?v=lCyNmM8oGXY

 彼らはエクゼクティブ・プロデューサーとしてテレビ草創期の大立者であるジェリー・フェアバンクスに売り込みを依頼するが、ウブな彼らはこの作品の権利を全てフェアバンクスに取られ、会社も解散せざるを得なかった(フェアバンクスは作品を自分のプロダクションの作品としてNBCに売るが、NBCは自分のところのネットワークではこの作品を流さず、系列の地方局で放送しただけだった。しかし、その後数年で『クルセイダー・ラビット』は全米の人気となる)。

『クルセイダー・ラビット』を今見てみると、止め絵の多用、ナレーションによる状況説明、アップでの口パクなど、後のテレビアニメで使用されるテクニック(低予算故の)がほとんど使われていることがわかる。日本のアニメ評論家には、こういうテクニックは手塚治虫が考案した、と言う者もいるが、実は10年以上前に放映された『クルセイダー・ラビット』がもう、やっているのである。

 とにかく、自分たちの作ったアニメを他人にとられた(ここらへん、最初に作ったウサギのオズワルドの権利をユニバーサルにとられたディズニーとパラレルである)アンダーソンとウォードは、数年の雌伏の後に、さらにテレビ向きに洗練された『ロッキーと仲間たち(空飛ぶロッキーくん)』を作り出して世に問い、大人気を博す。だが、ウォードがこのアニメの制作スタジオをロサンゼルスに開いたとき、アンダーソンは、住んでいるサンフランシスコからロサンゼルスに移ることを拒否。ウォードは新しいスタッフをロサンゼルスで集めてアンダーソン抜きで制作を開始した。これ以来、彼の名は、ロッキーやブルウィンクルのキャラクタークリエイトとのみ記されて、制作や演出には関わっていない。プロダクションの名義も『ジェイ・ウォード・プロダクション』であり、アンダーソンの名前は入っていない。彼がどういう考えでロサンゼルスへの移住を拒否したのか、その理由はよくわからない。だが、どうもアンダーソンは仕事仲間に恵まれていなかったようだ。結局、この作品においても、キャラクターの権利はジェイ・ウォードに奪われていた。キャラクターの権利登録書類の創作者名が、全てウォードの名前に書き換えられていたのである。それにアンダーソンが気づいたのは、1989年のウォードの死後2年たって制作された、ジェイ・ウォード・プロのアニメに関するドキュメンタリー番組をサンフランシスコの自宅で見ていたときだった。そこに、彼の名前は一回も出て来なかったのである。アンダーソンはこれにより、長いあいだ、ウォード・プロダクション相手に訴訟を戦うことになった。その決着がついて和解したのは1996年になってからである。

 現在アメリカのテレビアニメの生みの親の名誉を独占し、ウォーク・オブ・フェイムにも名の刻まれているウォードに対し、アンダーソンはほとんど忘れられている存在である。消されかけた、と言ってもいいかもしれない。だが、もともとの、テレビでアニメーションを放送したらというアイデアは、他の誰でもない、アンダーソンがアメリカで最初に思いついたアイデアだった。

 この事実だけは永久に残っている。

 ちなみに、奥さんの談話によると、アンダーソンは第二次大戦中は海軍でスパイをやっていたそうである。ボリスとナターシャが魅力あるキャラなのも当然、と言えるかもしれない。スパイなのに少々ノンキすぎるところも、何だか相似形である。

 R.I.P.

『空飛ぶロッキー君』の中で忘れられないエピソードは、UFOから降りてきた宇宙人が、TVカメラを銃と誤解しカメラに向けて冷凍光線を発射してしまうという奴。世界中でTVに見入っていた人たちは皆、凍りついてしまった。それでどうなったかというと、「視聴者がTVの前を離れないと分かったので、以後TVはコマーシャルしかオンエアしなくなった」んだと。凄いですねえ。そうか、TV番組というものはコマーシャルを見てもらうための餌なのか。おれは世の真実を一瞬にして理解してしまった。後年、広告代理店に奉職する一つのきっかけになったといっても大げさではない(ウソジャナイヨ)。番組タイトルは『空飛ぶロッキーくん』じゃなくて『空飛ぶロッキー君』ね。因みに原題は“The Rocky and Bullwinkle Show”

 声が印象的ということはアニメそのものはあまり面白くなかったということだろう。

 え? なんだって?

 じゃあ、ポパイの浦野光や、クマゴローの滝口順平、ウッドペッカーのグレイス・スタッフォード(ウォルター・ラッツの奥さん)、アニメじゃないけどトッポ・ジージョの山崎唯の声が印象的なのは、アニメそのものが面白くなかったからなのかい。いや、今の声優ブームの基はアニメそのものがつまらんからだと言いたいのかね。どうして自分の都合で、こんなおかしな理屈を捏造するのだろう。原語版のビデオを10分と見続けていられなかったのは、あんたの語学力のせいだろうって。

 それから、ハンナ・バーベラの“The Flintstones”の日本題名は『恐妻天国』だった。

 日本のアニメ評論家には、こういうテクニックは手塚治虫が考案した、と言う者もいるが、実は10年以上前に放映された『クルセイダー・ラビット』がもう、やっているのである。

 はいはい。手塚治虫がリミテッドアニメの手法を日本に導入したのは、1962年の『鉄腕アトム』だから確かに、『進めラビット』の十数年後だが、手塚本人が世界初を謳っていたわけではないから(当たり前だ)、これまた酷い言いがかりだよな。

 ポール・テリーのスタジオは“Terrytoons”なので日本語表記も、「テリーツーンズ」だろうね(唐沢は「カーツーン」って言葉を知らないのかな)。

”CRUSADER RABBIT”によれば『進めラビット』は唐沢が書いているように、アレックスが友人のジェイ・ウォードと組んで、テレビジョンアーツプロダクションを設立して製作したものだが、TV放映の時権利を売り渡し、ウォードは不動産業(もともと不動産業者だった)に戻り、アレックスは広告業に転身した。その後、ウォードはロサンゼルスにジェイ・ウォードプロダクションを設立して、TV用アニメーション“The Rocky and Bullwinkle Show”を制作したが、アレックスサンフランシスコから引っ越したくないという理由で参加しなかった。なお、ヘラ鹿のBullwinkle という名前は、アレックスカリフォルニア州Bullwinkeモーターという会社名をもじって付けたという。中途でリタイアしたという印象から、アニメ史上ではマイナーな扱いなんだろう。だから、ロッキーくんよりも『クルセイダー・ラビット』の作者として語った方がよかったんじゃあるまいか。

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猫なんとか軒猫なんとかさん猫なんとか軒猫なんとかさん 2010/12/20 21:54 デニーロが制作した"THE ADVENTURES OF ROCKY & BULLWINKLE"わざわざmazon.comで取り寄せたこちがあります。
価格は10ドルを割っていました、今まで買ったなかで最も安かったソフトです。
向こうでも作中のデニーロのタクシードライバーのものまねの評判が芳しくなかったという話もあります。
DVDソフトはいまだに未発売ですが日本でもかつて映画版のVHSの日本語吹替ソフトが販売されていました。
クレジットはされていませんがキャストは、
ロッキー、矢島晶子
ブルウィンクル、中尾隆聖
ナレーション、チョー
だったとおもいます。
他にもボリスとナターシャをおしおきする上司のフェアレスリーダーをなぜ忘れてる?
↑デニーロが演じたのがこのキャラです。

長々と失礼しました。

藤岡真藤岡真 2010/12/20 22:24 >猫なんとか軒猫なんとかさんさん
>デニーロが制作した"THE ADVENTURES OF ROCKY & BULLWINKLE"
 予告編を見る限り、めっちゃ面白そうですね。デニーロの怪演キャラもたってるし。 

http://www.youtube.com/watch?v=sQXEny-BzKc

2010-12-19

徹底検証 唐沢俊一追討日記 その31 池内淳子

16:13

 私事であるが、昨日、3年ぶりに空手道拳道会全国選手権の組手に出場した。二回戦で、前回優勝の名古屋支部T師範代(四段)の上段廻し蹴り(わざアリ)を喰らいあえなく敗退。体中痛いぞと。

 

f:id:sfx76077:20101219112011j:image

 閑話休題。

 唐沢が久しぶりに裏モノ日記を更新した。と言っても、追討記事だけどね。現在、唐沢はほとんど消息不明という状態でネタにも事欠く(著作は全部廃棄しちまったんんで)状態だったので丁度いいや。

 で、今回は池内淳子の追討。

 割烹着の裏の色気 【訃報 池内淳子】

 9月26日、肺腺癌で死去、76歳。

 池内淳子はかわいかった。

 と、書くと“母さん女優”の代表である人に何を、と言われるかもしれないが、私が名画座めぐりをしていた時代、オールナイトで観る新東宝映画での池内淳子は可憐という形容が似合う、何とも可愛らしい女優さんだった。『鋼鉄の巨人 スーパージャイアンツ』の孤児院のシスター役など、可愛くてゾクゾクしたものである。悪人の田宮伊右衛門に惚れてしまう四谷家のお嬢様・お梅を演じた『東海道四谷怪談』(中川信夫・59)も、出てきてほとんど台詞をしゃべらぬままにお岩の呪いで伊右衛門に斬り殺されてしまうのだが、立っているだけで可愛らしかった。当時26歳。

 上記四谷怪談は新東宝だが、その倒産後東宝に移籍し、またも『四谷怪談』(豊田四郎・65)に出演している。もうこの時は30代になっていて、役は佐藤与茂七(平幹二朗)の妻、おそで。与茂七が死だと思い込み(実は別人)、その下手人である直助権兵衛(中村勘三郎)の言葉に騙され、仇を討ってやると言われて、その代償に直助に身をまかせる。そこに実は生きていた夫の与茂七が現われ、与茂七への貞操でわざと彼の刀にかかって死ぬおそで。直助権兵衛も討たれるが、この映画での彼は

「へ、おそでさんとも契れたし、俺は幸せだ」と笑って死んでいく。確かに、池内淳子と寝られたのなら本望だろう、と思えたものだ。

 この二本の四谷怪談の間の1960年に、池内は怪作『花嫁吸血魔』(並木鏡太郎)に出演、毛むくじゃらの吸血怪物に扮して、あの大伴昌司をして“ショック!”と言わしめている。デビューの翌年の57年に勝手に結婚、引退してしまい(相手は喜劇役者でジャズミュージシャンの柳沢慎一)、しかもたった三ヶ月でスピード離婚してまた新東宝に戻ってきた彼女に対する大蔵貢のみせしめのためだったと言われており(異説あり)、ワンマン経営者だった大蔵貢が悪役的にされているが、大蔵にしてみれば、契約女優のこのわがままを放っておけば他の俳優たちへのけじめがつかない、という気分だったろう。しかも、池内は後にこの『花嫁吸血魔』を自分のキャリアから消そうとし、残っていたフィルムを買い占めて焼却させたという。『吸血鬼ノスフェラトウ』『やぶにらみの暴君』とならぶ、文化財棄却の憂き目にあいかけた映画ということになる。

(幸い、残っていたフィルムを元に復刻され、DVDが出ている。池内はどう思っていたのか)。

 その後、新東宝は倒産。東宝に移籍して上記『四谷怪談』やクレージー映画、駅前シリーズなどで活躍するが、しかし彼女を大スターの位置につけたのはテレビの世界だった。当時“よろめきドラマ”と呼ばれた昼ドラの世界で、彼女は女王となり、また“ほんだし”のCMの割烹着姿で、日本のお母さんのイメージの代表格となった。

 しかし、彼女は最初の結婚によほど懲りたのかそれ以来一生独身を通した(長門裕之が暴露本で彼女を愛人と名指しで言って物議をかもしたこともあった)。同じく割烹着の似合うお母さん女優だった森光子山岡久乃結婚に失敗して独身を通しており、母さん役のうまい女優は実際は家庭的には幸薄い女性である、というジンクスを芸能界に作り上げた。実際、彼女は女らしいというよりはむしろ男性的な気っぷの持ち主だったという。

 私も年齢的には割烹着を着たCM、それから『ただいま11人』『つくし誰の子』などといったテレビドラマの主人公として池内淳子を知ったクチだが、驚いたのは1973年の大河ドラマ国盗り物語』。この物語の前半、若き日の斎藤道三(かつて『四谷怪談』で夫婦を演じた平幹二朗)のパトロンとなり、道三の愛人となる油問屋・奈良屋の後家主人、お万阿を演じた。このとき池内40歳。やり手の商人でぜいたく趣味の金持ち女でありながら道三の野生の魅力に魅かれていく、という役で、道三の入っている岩風呂に意を決して入っていくあたりの思い詰めた表情が絶品であり、熟女の色気をふんぷんと感じさせたものである(見ていた私はこのころ15歳、性だの愛だのに敏感な年ごろであり、それには40歳の色気は濃すぎたようである)。お母さん役で名をなしながら、こういう役も自在にこなすあたり、やはり新東宝時代に体験した苦労は無駄ではなかったと思いたい。

 役者としての最後の代表作は唐沢寿明版の『白い巨塔』における財前五郎の母親役だろう。76歳という享年は今日びの常識では早いだろうが、根っからの女優である彼女にとり、ほぼ現役のままで迎える死は本望だったかもしれない。たぶん、あの世でも女としての幸せよりは女優業を選ぶ人であると思う。

 ご冥福をお祈りする。

 “母さん女優”の代表である人

 わはははははははは。

 本当にもう、馬鹿はしゃしゃり出てこないで、布団被って寝てなさい。

『女と味噌汁』というタイトルから、お母さん女優を連想したのか。馬鹿じゃなかろか(馬鹿だが)。いや、味噌汁の前に、なんで「女」なんて言葉が付いているのか考えもしなかったんだろうね。

『女と味噌汁』での池内の役は、新宿の弁天下の芸者"てまり"。第一回の放映時での設定では、25歳で一人暮らし。当然独身だし、お母さんじゃあない。母親役なら『つくし誰の子』だろうが、四人の子供(長男は近藤正臣!)総てが実子ではないという複雑な家族関係で、割烹着の似合うお母さんのベタなホームドラマとは一味も二味も違うものだった。

 今回の追討はほぼwikipediaの丸写し。残念ながら、そこには『女と味噌汁』の内容が書かれていなかったので、本だしのCM=日本のお母さんなんてお馬鹿な連想をしちまったんだろう。大体、割烹着の似合うお母さん女優だった」森光子山岡久乃なんて人たちと、池内淳子を一緒に語る段階で、この馬鹿は池内淳子のことが全く分かっちゃいないことがバレバレなのだ。

 池内はしっとりした大人の色気を纏った女優であり、また魔性の女でもあった。唐沢は童貞という噂もあるけれど、山岡久乃と並べて語るなんて、女の色気ってものが全然分かってないよなあ。

 おれが一番好きな池内作品は、1965年東宝制作の『けものみち

 松本清張の代表作で、これまで何度も映像化されている。直近ではヒロイン成沢民子米倉涼子が演じて話題になった(もっともこのTV番組は“別物”ですけどね)。過去にも民子役は、十朱幸代、名取裕子といった大物女優によって演じられている。

 でも、おれにとっての『けものみち』池内淳子主演の『けものみち』。なんといっても池内淳子の妖艶さが半端ではない。米倉涼子はともかく、十朱幸代や名取裕子には、色気というものが、全くないしね。

 それに池内を囲む助演陣が、池辺良、小沢栄太郎伊藤雄之助小林桂樹、中丸忠雄、大塚道子、黒部進という豪華メンバーなのだ。

 物語は、田舎の旅館の女中民子が、その美貌に目を付けたホテルマンにそそのかされ、寝たきりの夫を放火で焼死させた後に、政界の黒幕鬼頭洪太の妾になり、富と権力に目覚めていくというもの。民子は鬼頭の寵愛を一身に受け、やがてはこの老人を自分の虜にして、富と権力を掌握しようと考え始める。そして、鬼頭を殺害しようと企んだのだが―

 民子は己の才覚と美貌に酔っていたが、彼女が笠に着ていたものは、総て、“怪物”鬼頭洪太の庇護があってこそのものだったのだ。裏切りが露見し、民子は入浴中に風呂場に放火され、無残にも焼き殺される。鬼頭には次の若い愛人が用意されていた。

 この風呂場での最期のシーンは、邦画史上最も妖艶なシーンではなかろうか。

 この役を、森光子山岡久乃が演じるところを想像してみなよ、出来ないから。国盗り物語』の入浴シーンなんて児戯に等しい。

 唐沢も触れているが、池内がメジャーになったのは、フジテレビでオンエアされた、丹羽文雄原作の『日日の背信』(演出はあの岡田太郎)である。映画ではいまいちだった池内は、これでよろめき女優の名を欲しいままにし、昼メロの女王として売り出したのだ。それが何ゆえに貞淑な女性としての役柄でヒットドラマを量産するようになったのか。その肝心なところをすっ飛ばし、“母さん女優”の代表である人なんてお間抜けなことを書いているんだから。

76歳という享年は今日びの常識では早い

 何度も書くが、享年とは、「人のこの世に生存していた年数」だから、厳密に言えば「享年76」。年数だから早いも遅いもない。

 なんで、池内淳子の追討なんかするんだろうね。

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おさかなおさかな 2010/12/19 09:36 池内淳子の代表作はご指摘の通り「けものみち、それに川島の「花影」も
そうですが東映で撮った「沓掛時次郎遊侠一匹」じゃないのかしら。
でもウィキペディアのフィルモグラフィーにはこの映画、載っていないのです
ね・・・。
新東宝とテレビだけで池内淳子を追悼っていうのはファンとしてはちょっと可哀相です。

藤岡真藤岡真 2010/12/19 10:20 >おさかなさん
 コメントありがとうございます。
『沓掛時次郎遊侠一匹』。川本三郎も「時代劇ここにあり」で「映画ではあまり作品に恵まれなかった池内淳子にとって、この作品は代表作になっている」と賞賛していますね。未見です。残念。

犯人はヤス犯人はヤス 2010/12/20 05:02 >なんで、池内淳子の追討なんかするんだろうね。
そこに著名人の訃報があったから、程度なんでしょうけどね。唐沢氏の鬼門である(本人の認識は別として)「プロレスラーの追討」はヤメたんですかね? 山本小鉄氏のパートナーが後を追うように…的な話は、いかにも書きそうだなって感じだったんですが。

桑江太郎桑江太郎 2010/12/20 05:08 はじめてコメントいたします。
今回も底の浅い追悼(あ、追討か)でヘドが出そうになり、思わず何か書かずにいられなくなりました。
沓掛時次郎 遊侠一匹に触れてないのも不自然ですし、
毎回毎回、興味もないのに興味があったフリをするから墓穴を掘るというパターンは健在ですね。
学習能力ゼロですね。

rinchonrinchon 2010/12/20 06:33 豊田四郎版の四谷怪談はもう30年近くも前にオールナイトで偶然見て仲代達矢の伊右衛門像にえらく衝撃を受けた思い出があります。最後に見たのが20年前位になるでしょうか、かなりうろ覚えなのですが。
おそでと与茂七って許嫁の仲の筈ですがwikipediaの四谷怪談の項では袖の夫って書いてありますね。はてと思って、豊田四郎 四谷怪談で検索するとやはり大概許嫁と書いてあります。
豊田四郎版では直助権兵衛が与茂七の仇を討つと言いくるめておそでと仮の夫婦生活を始めるも肌を許さず、父と岩が伊右衛門に殺されたと知って伊右衛門を討つ事を条件に初めて床を一緒にしたところに与茂七が現れて……という順番だったので、
>仇を討ってやると言われて、その代償に直助に身をまかせる。
と書かれると違和感がありますね。むしろ仮とは言いつつ快活に直助権兵衛と息の合った夫婦の様な会話を交わす初々しさが印象にあります。

>「へ、おそでさんとも契れたし、俺は幸せだ」と笑って死んでいく。
このセリフは伊右衛門の生き方との対比になってるので、
>確かに、池内淳子と寝られたのなら本望だろう、と思えたものだ。
ですませられちゃうとなあ、と思ったりします。まあ追悼記事なので池内淳子に関連付けなきゃしょうがないんでしょうけど。

藤岡真藤岡真 2010/12/20 08:10 >犯人はヤスさん
 恐らく唐沢は「スーパージャイアンツ」と「本だしのCM」しか持ち駒なしで、あとはwikipediaから仕込んできたんでしょう。本当につまらない文章です。

>桑江太郎さん
 コメントありがとうございます。唐沢は日頃裏モノを自称しているのですから、そうした視点で追悼記事をかくというやり方もあると思います。そのネタが『花嫁吸血魔』のみ、しかも大蔵貢との確執、フィルムを買い取り焼却処分したことなど総てwikipediaの丸写しなんですから。

>rinchonさん
 女優池内淳子を語るのに『四谷怪談』が相応しいのか、たまたまこれしか知らなかったんでしょうか。『花影』(唐沢は池辺良も追討しています)『けもの道』『沓掛時次郎 遊侠一匹』も見ていないんでしょう。そのあげくが、
>確かに、池内淳子と寝られたのなら本望だろう、と思えたものだ。
 って、ねえ。
 それに、豊田版『四谷怪談』は、やはり仲代達矢と岡田茉莉子の映画ですから。

2010-12-16

 唐沢俊一 小心者は語るに落ちる

09:23

(註 語るに落ちる:問い詰められるとなかなか言わないが、かってに話させるとうっかり秘密をしゃべってしまうこと)

 唐沢は『漫棚通信ブログ版』からの盗用をなんとか言い繕おうとして、ごちゃごちゃ言い訳をしているのいだが、小心の余りついつい本音を吐いている。まことに無防備な状況なのだが、面白いので検証してみよう。

 唐沢俊一ホームページ ニュース ※ご報告(6/5)

 本書の一部がサイト『漫棚通信』の内容と酷似している、という指摘がサイト運営者の方からなされました。

 悪意または盗用という意はまったくありませんが、山川惣治『サンナイン』のストーリィ紹介に関し、当サイトの紹介を大いに参考にさせていただいたことは事実ですし、ある作品のストーリィを紹介するという性格上、参考にさせていただいたサイトとの記述の非常な類似のあることも事実です。

 お分かりですか? ここで唐沢はとてもおかしなことを書いている。それは後々まで無断引用という言訳をしていったのとは矛盾したことなのだ。つまり―

 ある作品のストーリィを紹介するという性格上、参考にさせていただいたサイトとの記述の非常な類似のあることも事実です。

 変だよねえ。だって、唐沢は終始、「引用したのは事実だが、その旨を書き添えるのを忘れてしまっただけで、悪意または盗用という意はまったくない」と主張しているはずなのに、上の引用文は「同じ話の要約なんだから、似ているのは当たり前」という開き直りなんだもの。似ているのは、コピペ(引用)したからと認めているのに、なんだってこんな余計なことを書くのだろう。それは容易に類推出来る。唐沢は無断引用と言う言訳が通用しなかったときのことを考えて、こうした開き直り風の苦しい言訳を考えていたのだろう。ところが、小心の余り、それまでも同時に提示してしまったのね。いきなり言い訳が矛盾してるっての。

 さらに、唐沢は漫棚通信さんから「本当に原典を読んで書いているのか?」という疑問を投げかけられたときに、偶然にも漫棚通信で要約された部分だけコピーを所持しているという、なんか自分で自分の首を絞めているような言訳をして、原典の何ページにはこんなことが描かれていますとか、詳細に説明した後、またこんなことを書いているのだ。

 このポイントにおいて、当方が現物のコピーの所持及び書評に必要な通読を完了していたことを認めていただいたことに感謝いたします。しかしながら、古書市場においても入手の極めて 困難な本書籍を手元に置き参照できるという、ある意味の贅沢を、どれくらいの人間が享受できることかに関しては、ご理解をたまわりたくお願い申し上げる次 第です。

 情けなくなるね。

 つまり、コピーを持っていて、それを参照して書いたのだという苦しい言い訳に、せっかく漫棚通信さんが理解を示して下さってくれているのに、その嘘がばれたときのために用意した開き直りの言訳、「だって、その本滅多に手に入らない本なんだから、持ってなくたってとやかく言いわれる筋合いはないし、そんなもの持ってるような贅沢な人間の文章、コピペしたっていいじゃんか」ってことを、またもや小心の余り同時に書いてしまう。論理の崩壊、自己矛盾、それらを敢えて犯しても保身に走る姿は気の毒なほどだ。

 同じことを何度も書いて恐縮だけど、上の言い訳だって大嘘で、おれに対するメールにはこんなことを書いていた。

ミステリ作家であるという藤岡さまにこんなことを言うのは釈迦に説法でもありましょうが、あえて私が漫棚通信サイトの文章を自分の文章として盗んで引用したと断定するのなら、その犯行動機があまりに弱くありませんか(あの漫画作品は国会図書館などでいくらでも手に取ることが可能な本で、稀書というものでもありません)。これではミステリプロットとして提出してもボツ必至だと思いますが、如何?

 まあ、臆面も無くしゃあしゃあと。

 大体、おれはお前にミステリプロットなんて提出した覚えはねえよ。こんな見え見えの犯罪、動機以前にミステリになんかなりっこないっての。

 本年は著作は一作も出版されず、雑誌連載も4本なくなり、ボディブローがいよいよ効いて参りましたね。

oono_noono_n 2010/12/16 16:30 「無断引用」などという座りの悪い矛盾を内包した用語を使っている時点で著作権法を読んだことがない、概念すら知らないということになりますね。

topiesotopieso 2010/12/16 17:12 解説者「唐沢選手は基礎をやってませんからこのボディブローでダウンすると二度と立ち上がれないでしょうね」
アナウンサー「どうやら唐沢選手の作家人生もはや風前の灯火」
唐沢「燃え尽きたよ俺のコスモ…ブーメランラッシュ」

amateur2010amateur2010 2010/12/16 18:05  ここが唐沢氏のターニングポイントでしたね。私自身もこの件で、唐沢氏に問題がある事に気付きましたから。こんな対応をしたからこそ、問題点が周知された訳で、ある意味こんな性格であった事が幸いしたと言えるかもしれません。

 藤岡さんがメールでご連絡を取っておられた事は、唐沢氏の釈明の矛盾点を突くに於いて重要な証拠となっていますね。お見事です。

藤岡真藤岡真 2010/12/16 18:41 >oono_nさん
 おっしゃる通り、「引用」は無断で行っても構いません。唐沢の場合は、語尾や語り口を、自分の文章に見せかけるために改竄していますから、引用ですらないのです。

>topiesoさん

 リンかけも最初は美しき姉弟愛のボクシング漫画だったのに、いくところまでいっちまいましたね。ブーメランラッシュは総てのボーナス終了後突入します。←違うって。

>amateur2010さん
 性格の卑しさが100%発揮された事件でした。虚言癖、無能、見栄っ張り、臆病、性悪、総てが露呈して取り返しが付かないことに。

2010-12-15

 唐沢俊一 ブーメラン、ブーメラン!

09:23

 小ネタです。えろうすんまへん。

 裏モノ日記2007年6月24日

朝、7時起床。しばらくベッド読書、『虹の橋 黒澤明と本木荘二郎』続き読む。“エグゼクティブプロデューサー”のことを平気で“エクレクテルプロデューサー”などと書く神経がすごい。文体の癖はマキノ雅弘などの模倣ではないかと思う。時勢を憂いアウトローを気取り成功者を侮蔑するそのスタイルのアナクロニズムを、著者がアナクロニズムと思っていないところがかえってこの本の個性か。インタビュー相手にも

「チリ紙交換を職としています」

と自己紹介する韜晦ぶり、失笑でしかないのだが。

 突っ込みません。存分にブーメランをお愉しみ下さい。

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 さて、唐沢は23日の裏モノ日記で、この本を

藤川黎虹の橋 黒澤明と本木荘二郎』(1984,虹プロモーション)

 と紹介しているのだが、著者名は藤川黎一である。ここで一つ疑惑が湧いてくるのだが。上の書影、腰巻のせいで著者名が藤川黎に見えるのだ。本当に読んだの? ネットで拾ったネタじゃないの? という下種の勘繰りはまた暇を見て。