「G2『在特会』の正体について」への見解(2)
強烈な愛国心の発露・運命共同体としての「在特会」
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エントリー(1)は反論としましたが、見解ということで進めさせて頂きます。
リアル社会に躍り出たネット右翼
この項目から始めます。反論と言うよりは私の意見を書かせて頂きます。後は読んだ人が反論かどうかについては判断をすれば良いと思います。
>ネットが一般化した90年代以降、急速に目立つようになった。当初こそこの「ネット右翼」は、言わば変形型の「オタク」に位置づけられていた。匿名性を盾に差別的な言辞を繰り返す様から攻撃的引きこもりと揶揄されることもある。(本文)
私がジャーナリスト安田浩一氏の記事の中で、全般的に評価出来る部分があるとすれば、この「ネット右翼」と称される人々に対するジャーナリズムのこれまでの偏見を幾分変えたのではないかーと言うことです。
これまで「ネット右翼」に関しては、マスメディアが意図的につくり出した姿がありました。それがニートであり引きこもりという人物像です。そのような人が全くいない訳ではありませんが、決してそれが全体像を表す言葉でないことは、これまで幾度も私が反論してきました。
せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:鳥越ネット、ネット右翼批判
安田氏はネット右翼という言葉を最も嫌う「在特会」の会員に対して、「ネット右翼」という言葉を使用しながらもごく普通の一般人であることを認めています。
「在特会」は何か?と問う上で大切なのは、参加者が従来の右翼団体などには一切関係していない人たちであることは言うまでもない。それはこれまでも右翼団体の活動家が「在特会」などに批判的であることからも証明される。
かつて一水会の木村三浩代表が極左の「人民新聞」に「在特会」を批判するコメントを寄せたことがあった。木村氏はこの中で次のように述べていた。
さる今年4月、在特会が埼玉県蕨市内で挙行した不法滞在フィリピン人カルデロン一家の即時強制送還を 求めるデモについて木村氏は「まるで弱い者イジメで、到底賛同できるものではない。右翼は弱い者イジメはしない」としている。
この点に関しては左翼と変わらぬ論点のすり替えに過ぎず、この時の活動の本筋は弱い者虐めなどではない。そのことを知りながら敢えてその点だけを強調したものとなっていた。
今回も「在特会」を批判する右翼として統一戦線義勇軍の関係者が登場している。しかし、その人たちの批判にしても著者自らが次のように書いていることでも明らかなように、このような批判も何らの影響力も与えないと言うことです。
>しかし、こうした言葉は、ネットを出自とする「行動する保守」の面々には何の影響も与えない。そればかりか「既存右翼が、これまで何か世の中を変えることが出来たのか」といった文言がネット上にはあふれている。(本文)
実はこの言葉こそがもっと掘り下げられるべき言葉であると私は思います。私はこの「在特会」の活動に参加して支援する人間の中では極めて異例な経歴を持っています。
かつて人気ブログランキングではトップであった「依存症の独り言」さんは、私を指して次のように書きました。
確かに右翼はいます。人気ブロガーでもある瀬戸弘幸さんは、自ら「右翼」を名乗っています。しかし、彼の場合は右翼がネットを活用しているのであって「ネット右翼」ではありません。
ネット右翼なんて本当にいるの?というエントリーの中にありました。
実は私はリアル社会からネットに入った右翼です。まさに今回の「リアル社会に躍り出たネット右翼」とは逆バージョンです。では何故私がリアル社会における右翼運動から撤退したのか?
それは今日までのリアル社会の右翼では、社会変革運動の資格さえも怪しいと思うようになったからです。それは反社会的な暴力団組織との腐れ縁を断つことがいつまでも出来ない。その実態がある限り一般の人が参加する変革運動になどには成り得ないと思ったからでした。
リアル社会の右翼団体と「在特会」を比較するほど馬鹿げたこともなく意味を持ちません。「ネット右翼」と規定することでこれまでの既成右翼と何らかの関係があると思わせようとした侮蔑的言葉を使い続ける限り、「在特会」の今後の伸張を正確に読み取ることは出来ないでしょう。
私はこの蔑称語を好んで使います。それは私だけが特異な存在であるからで、全てがそうである筈もないのです。これは私だけに与えられた特権とでも思ってお許しを願いたい(笑)
「在特会」の正体が本題であれば、副題は「いまや日本社会で最もやっかいな存在『ネット右翼』とは何か」ーでした。
ネット右翼とは国家・民族の危機に対して、これを傍観することが出来ないと立ちあがった愛国者の群れを指す言葉であると思います。
国家が危機に瀕した時に、それを救わんと立ちあがった憂国の人々であり、桜井誠こそ現代社会における<救国の若きリーダー>に最も相応しい人物であると私は思います。
その意味ではこの運動に参加している人たちは、今自分たちのやっていることに対して誰しもが誇りを抱いていると私は確信するものです。
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