2010年12月20日11時4分
私立大学などの団体が予算確保を求めるために開いた緊急大会は、立ち見もあふれ、大学関係者の関心の高さをうかがわせた=1日、東京都内 |
大学関係者が、来年度の予算編成の行方に注目している。先月あった政府の「事業仕分け」で、留学生や研究者支援事業に厳しい判定が出たのを経て、大学予算が減らされるおそれがあるからだ。研究や人材育成に対する国の戦略が問われる一方で、「大学側にも予算獲得のために社会的理解を得る努力が求められている」との指摘もある。
■「人材育成に投資を」 大学幹部300人、猛抗議
東京都内で1日、私立大学や短大などの団体が緊急大会を開いた。予算編成への意見をまとめるためで、会場は全国から駆けつけた300人以上の大学幹部らであふれた。
「事業の中身を見ずに仕分けするなんて間違っている」「人間を育てることの意味を考えてほしい」。政府への批判が殺到し、私大関連の予算確保を求める決議文を文部科学省幹部に手渡した。
大学側が危機感を強めたのが、国の事業仕分けと、来年度予算の「特別枠」で優先順位をつける政策コンテストの結果だ。
11月の事業仕分けでは、大学生の就業力の育成支援や、大学間や地域との連携、留学生の受け入れ支援といった事業が「廃止」「いったん廃止」と判定された。仕分け人からは「多くの大学に薄く広く予算をつけるのはバラマキになる」などの意見が相次いだ。
政策コンテストでも、無利子奨学金拡大や、大学への運営費交付金や補助金の一部を盛り込んだ予算が、軒並み減額評価になった。
大学側は猛反発。国立大学協会も8日、全国の学長が集まり「強い人材を育成するためには十分な財政的投資が不可欠」として予算確保を要求し、公立大学協会も「地域と連携する公立大学の役割を見ていない」と、事業仕分けを批判する緊急声明を出した。
事業仕分けでは、多くの事業が、「大学のもともとの予算の範囲でやるべきだ」とされたが、国立大学の収入の柱となる運営費交付金はこの6年で830億円減。また、経済協力開発機構(OECD)によると、国内総生産(GDP)に占める高等教育への公的支出の割合は、日本はOECD加盟国平均の半分ほどにとどまる。
「大学予算に余裕はなく公的支援も乏しい」。これが予算を要望する側の主張の前提になっているが、厳しい予算編成の中、一定の減額は避けられない見通しだ。
■「発信すれば意義伝わる」 市民支援得る研究も
緊縮財政を迫られる国と、予算減に抵抗する大学。深まる対立の一方で、自主的な取り組みも広がっている。
「宇宙はどう始まったのか、なぜ我々はそこにいるのか。それを知りたいのです」
東京大の数物連携宇宙研究機構の村山斉・機構長は、月1回ほど子どもや市民向け講演会で、研究の目的や成果を分かりやすく説明する。講演会をするのは「成果の還元は義務だと感じるし、研究の意義を知って欲しい。それに、研究がとても面白いので聞いてほしいんです」。
文科省の「世界トップレベル研究拠点事業」の一つで、大学本来の予算以外に別枠で予算を配分されている。この事業も昨年の事業仕分けで予算を圧縮すべきだとされた。だが、講演会の参加者が機構を支える動きも出ている。例えば、海外から招いた研究者の日本での住居探しを手伝うなど、「応援団」に名乗りをあげてくれているという。
村山機構長は「研究費を得るにあたり、その研究が一般の人にどう影響するのかを発信する動きが、日本では緒に就いたばかり。今後は一般への発信の機会や必要性は一層増すだろう」と話す。
国際化の拠点大学をつくる事業も仕分けで見直し対象に。だが拠点校の一つ、早稲田大は、英語のみで学べるコースの増設や20年度までに外国人教員を全教員の14%に増やす方針は変えないという。大野高裕・教務部長は「国際化は我々の基本戦略。助成に頼らぬ気概と仕組み作りは不可欠だと考えている。事業の見直しは、各拠点校がそれぞれの戦略を問われる機会になるのではないか」と話す。(井上裕一、三島あずさ)
■上山隆大・上智大学教授 「言葉語り、市場と向き合って」
米国の大学での研究と外部資金、それを取り巻く企業や社会の現実を実証的に描いて話題になっている「アカデミック・キャピタリズムを超えて」の著者、上智大教授(経済史・科学技術史学)の上山隆大さん(52)。日本の大学の予算獲得の姿勢や、研究への考え方について聞いた。
大学に資金を投入すれば社会で役立つ何らかの種子が生まれるというのが米国の常識。私学でもエリート大学なら研究費の7〜8割は政府資金。日本のような予算削減は考えられない。新しい分野に大きな予算を投入しなければ新しい産業は出てこない。
そのために、米国の研究者は社会に訴える意識が強い。議会の公聴会などさまざまな機会に、エリート大学の研究者らが出て、納税者に自分たちの研究の意義を説明して答えていくことが珍しくない。もともとは研究とその有用性を合わせるのに苦しんだ歴史がある。鍛えられ方が違う。
日本の大学では、研究者としては優秀だが、社会的な意味、問題についてナイーブ(未熟)な人が多い。社会に訴えかける力、意味のある言葉が出てこない。密室での陳情や役所間の折衝に研究費も依存してしまうと、言葉も紋切り型に聞こえる。これでは世界の大学と競い合えない。
日本でも、人とのつながりや交換によって相互関係が成り立つ「市場」とかかわりながら存在意義を訴え、大学が社会に提供するものは何か考えるべきだ。これは理系、人文系にも共通する。基礎的な知識をつくり出す大学だからこそ言葉を持ち、市場と向き合う必要があるのではないか。(編集委員・山上浩二郎)