記者の目

文字サイズ変更

記者の目:「はやぶさ現象」を振り返る=永山悦子

 6月13日、ぐるっと360度、地平線まで無数の星に埋め尽くされた夜空が広がる冬のオーストラリアの砂漠に、私はいた。そこへ7年間60億キロの旅を終えた小惑星探査機「はやぶさ」が帰ってきた。探査機本体はバラバラになりながら、満月よりも明るく燃え上がり、その中から「子ども」のようにカプセルの光が飛び出した。手がかじかむほどの寒さも忘れた、はやぶさの見事なフィナーレ。今思い出しても胸が熱くなる。

 はやぶさには、地球帰還前後から想像を超える世間の関心が集まった。これまでの宇宙のニュースとは違う「はやぶさ現象」が起きた。私は、この現象の謎を解くことが、混迷する日本の針路を開く一つのカギになると考える。

 はやぶさは127億円で開発され、人類初の小惑星からの岩石採取に挑み、小惑星イトカワの物質を持ち帰ることに成功した。持ち帰った物質は太陽系の歴史を解明する手がかりになると期待され、宇宙開発史に名前を刻む偉業だ。さらに、はやぶさは「数々のトラブルをけなげに乗り越えた不死鳥のような粘り強さ」「動画サイトや宇宙航空研究開発機構(JAXA)ホームページでの擬人化」「ツイッターによるリアルタイムの情報発信」など、幅広い関心を集める要素が多かった。

 ◇見学に20万人、映画化の話も

 だが、これらだけでは、はやぶさのカプセルの全国公開に計20万人以上が押しかけ、国内外から映画化の話が舞い込み、主に文化活動を表彰する菊池寛賞など宇宙開発とは縁遠い賞が次々贈られる--などの現象を説明できない。

 05年に、はやぶさがイトカワに着陸する様子を伝えたJAXAのブログに携わった寺薗淳也・会津大助教は「はやぶさは、日本の閉塞(へいそく)感を打破した。先が見通せない危機的な状況を、チームワークで乗り越えた姿は人々を勇気づけ、『やればできる』『やらなければいけない』という思いを植えつけた」と分析する。

 実際、自分の人生と、はやぶさの旅を重ね合わせた人たちは多い。プラネタリウム向けのはやぶさの映画を製作した上坂浩光監督は「心臓病の人から『人生を投げ出したくなったときに映画を見て気持ちが変わった』と手紙をもらった。はやぶさがやったことの重みを感じた」と話す。

 私は「記者の目」欄で過去2回、はやぶさを取り上げ、「事業仕分け」に代表される科学技術に確実な成果を求める風潮に疑問を呈し、未知の領域に挑戦する研究を許容する懐の深さを求めた。だが、今回の現象を見ると、はやぶさの影響は、宇宙開発や科学技術にとどまらない。直接持ち帰った土産は、肉眼では見えない微粒子だが、人々の人生観や価値観という心の琴線に触れる効果をもたらした。

 ◇頑張ればできる、国民の自信に 

 国内外の宇宙探査に詳しい的川泰宣・JAXA名誉教授は「多くの人は、日本は安全保障でも経済でも、自分の足だけでは立てない国、と思っていた。ところが、はやぶさは、ほぼ日本の力だけで成功した。日本はもっといい国になれる、頑張れば世界一流のことができる、と思うきっかけになった」と話す。

 私たちは今、自分の国やふるさとについて考える機会があまりない。逆に、先行き不透明な日本のことなど考えようもない、と感じているかもしれない。そんなとき、はやぶさは私たちが暮らす国を見つめ直し、考えるスイッチを入れた。

 冷静に振り返ると、はやぶさの評価が今のように定まったのは、帰還前後のこと。仮に帰還できなくても、小惑星への着陸・離陸など人類初の成果を上げていたが、はやぶさ後継機は事業仕分けで予算を削られそうになり、担当閣僚は「(帰還まで)踊り場に置いておいた」と説明した。

 はやぶさプロジェクトを率いた川口淳一郎JAXA教授は「これまでの宇宙探査は『役に立たないこと』の代名詞だった。だから、政治家や役人は、この盛り上がりに『あれ?』と感じたのではないか」と指摘する。そして、こう続けた。「はやぶさは『国民は本当に役に立つものだけを欲しているのか』という問いを投げかけた。『国民が欲しているのは、国の明るい展望ではないか』と」

 人々は、自分や国の未来を前向きに考える共通の基盤を探しているのだ。政府は今後、「国民が本当に欲していること」を見極め、予算配分や日本の針路を考えることが必要だ。はやぶさ現象を一過性のブームで終わらせないため、科学に限らぬ広い分野から「第二のはやぶさ」が生まれることを願いたい。だから、はやぶさ、ゆっくりおやすみ。(東京科学環境部)

毎日新聞 2010年12月21日 0時23分

PR情報

記者の目 アーカイブ一覧

 

おすすめ情報

注目ブランド