2010年11月23日 20時3分 更新:11月23日 23時18分
【仁川(韓国北西部)西脇真一】発生から約2時間半後の23日午後5時15分、延坪島から避難民ら215人を乗せた定期船が、ソウル近郊の仁川港旅客ターミナルに無事到着した。上陸した乗客には安堵(あんど)の表情を浮かべる人もみられた。
黄海への玄関口のターミナルと延坪島を結ぶ船は1日1往復。延坪島に到着後、まもなく攻撃が始まったため、家族らにも会えないまま戻ってきた人もいた。島の住民でターミナルに着いた主婦、李チュンオクさん(54)は「家でテレビを見ていると、いきなりドーンと音がした。きょうの射撃訓練はずいぶん派手だなと思っていたら、突然窓ガラスが割れるなど自宅に被害が出て、北朝鮮の砲撃だと直感した」と語った。
李さんは「外へ出たら危ないと思い、部屋にいたが、避難を呼びかける放送があったので外に出てみると、あちこちで煙が上がっていた。これが戦争か、死んでしまうのかと思った」と興奮した様子で話した。持って逃げられたのは小さなバッグだけ。ジャンパーを羽織り、素足にサンダルを履いただけの姿が緊迫した避難の様子を物語った。李さんは、ターミナルから記者の目の前で、島に残る知人に電話をかけたがつながらず、心配そうな表情を見せた。
同じ船で避難した男性(51)は「自宅の周りは火の海だった。今では自分の家も燃えているかもしれない。住民は混乱していた。退避放送があったため、何とか午後3時出港の船に乗ることができた」と語った。
一方、島民の中には漁船で仁川へ避難してくる人も。漁船員の尹熙重(ユン・ヒジュン)さん(47)は延坪島の待避所で「仁川へ脱出しよう」と呼びかけ、家族や島民ら28人で乗船、午後4時半から4時間かけて仁川港に到着した。「待避所の4~5メートル先にも着弾した。一体誰がこんなことを」と疲れた表情で話した。
また、聯合ニュースによると、仕事で島に向かった金スンシクさん(53)=京畿道水原市在住=は延坪島に到着後、爆発音を聞いた。「訓練中なので下船するように」といったん船内放送が流れたが、すぐに「状況が分からないから乗船せよ」と訂正放送が流れ、見上げると「村から黒煙が上がっているのが見えた」と語った。
ターミナルには韓国メディアが多数詰めかけた。ターミナル運営チーム長の金在東(キムジェドン)さん(53)は「明日の定期便の運航は難しいかもしれない」と述べた。
島を行政上で管轄している甕津(オンジン)郡によると、延坪島からは個人所有の漁船16隻に便乗する形で計約290人が島外へ脱出した。
× × ×
一方、延坪島にある面(日本の町村にあたる)の行政担当の男性は23日午後6時半、毎日新聞の電話取材に答えた。男性は「午後2時半ごろ、数十発の砲弾が着弾し、民家の火災が発生した。いまも民家火災は延焼し続けており、消火活動で手が離せないのであとにしてほしい」と言って電話を切った。
甕津郡の担当者は電話取材に「島の担当者も状況把握に手いっぱいの状態だ。民間人の被害状況も正確に把握できていない。住民は避難所に移ったと聞いている」と話した。島にある保健所では、額に傷を負った男性住民1人が手当てを受けたという。行方不明者の有無は、把握していない。【金秀蓮】