アニメ「宇宙戦艦ヤマト」で社会現象を巻き起こした西崎さんが、原作者として名を連ねる実写版映画「SPACE BATTLESHIP ヤマト」の12月公開を前に、非業の死を遂げた。
7日午後0時35分ごろ、小笠原諸島・父島の二見港で、停泊中の汽船「YAMATO」(485トン、井出金吾船長、9人乗り組み)から西崎さんが海中に転落した、と小笠原海上保安署に通報があった。監視取締船「さざんくろす」が急行し、約20分後に救助。小笠原村の診療所に搬送したが、午後2時58分、死亡が確認された。
「YAMATO」は西崎さんが水産学校から買い上げて改修した調査船で、同保安署によると6日夕、二見港に入港し、7日朝から港内で試験航海していた。西崎さんはウエットスーツを着用して遊泳の準備をしていた際、船の右舷中央部から転落した。同保安署は誤って落ちたとみて詳しい状況を調べている。
西崎さんは1934年12月18日生まれ。63年にオフィス・アカデミーを設立し、本格的にプロデューサーの仕事を始めた。72年にアニメ「海のトリトン」を製作、74年に「宇宙戦艦ヤマト」を製作した。その劇場版アニメ映画が77年大ヒットし社会現象になった。その後、映画「さらば宇宙戦艦ヤマト」(78年)「ヤマトよ永遠に」(80年)「宇宙戦艦ヤマト完結編」(83年)などを製作。昨年公開のアニメ映画「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」ではプロデューサー兼監督を務めていた。
その一方で、91年に代表を務める「ウエスト・ケープ・コーポレーション」が倒産。97年に覚せい剤取締法違反などで逮捕された。99年にも再び覚せい剤所持、銃と銃弾の所持で逮捕され、実刑判決を受けた。また「ヤマト」をめぐり漫画家の松本零士さんと訴訟合戦になったが、2003年に過去の作品は両者の共同著作とすることで和解が成立していた。