ベッドタイム・ストーリー

乙一 Illustration/釣巻和

子どものころ、眠りにつくとき、母がベッドのそばに腰かけて、おとぎ話をしてくれた。

今は、椎名しいなが僕の横で、ベッドタイム・ストーリーを語ってくれる。

彼女の声に耳をかたむけて、僕は、身をゆだねる。

彼女の声を、どこまでも持っていく。

どこまでも、どこまでも

夜のむこうまで

彼女の声を

椎名というのは苗字みょうじで、名前は、アカリという。趣味は物語をつくって小説にすること。それと、占星術だ。といっても、彼女の書いた小説を読んだことはないし、占ってもらったことも一度だってない。彼女は大学の一年後輩である。椎名と僕は、ある【土曜日】に知り合って、話をするようになり、学食でいっしょにご飯を食べ、帰り道をならんであるくようになった。その椎名が、ここ最近、僕が眠れないとき、枕元でベッドタイム・ストーリーを聞かせてくれる。内容は、おとぎ話というよりも、宇宙に関するほら話だ。

たとえば、黄金の惑星の話。彼女に言わせると、この宇宙のどこかに、純金でできた惑星が存在するというのだ。

ほかにも、白金と水銀の、かわいらしい双子惑星の話。

ブラックホール同士の衝突で、宇宙がゼリー状にゆさぶられた事件。

高校時代、彼女はSF小説を好んで読んでいたという。そのときに空想したものだろうか。

いつだったか、地球外生命体を登場させてほしいと彼女にリクエストした。どうせほら話なら、そこに宇宙人をだしてくれたってかまわないはずだ。しかし彼女は、かたくなにそれを拒否する。理由を知ったのは、流星群が訪れた、ある夜のことだった。

その日、つけっぱなしのラジオで、しきりにおなじ話題がくりかえされていた。もうじき、一時間かそこらで、宇宙にただよう大小のちりのなかへ、地球が入っていくのだ。大気との摩擦まさつで塵は輝き、その光は夜空を、放射状にながれていくだろう。

今晩の流星群が発見されたのは三年前のことだ。あれからもう三年がたつのかと感慨深い。三年といえば、僕と椎名が知り合ってから、今まで流れた時間と、だいたいおなじである。はじめのうち、情報が錯綜さくそうして、巨大隕石が落下するといううわさもあった。地下にシェルターをつくる人や、食料を買い込む人も現れた。すぐに、ただの流星群だと判明して、混乱はおさまったけれど。

窓を開けると、まるい月がかがやいていた。偶然にも今日は満月だ。椎名はここに泊まっていくらしい。外泊の許可をもらうため、部屋の外で母親に電話をかけていた。もどってきた彼女は、ラジオに耳をかたむける。やがて口をひらくと、心地よい、いつもの声で、今晩のベッドタイム・ストーリーを語りだした。

しかし、今日のお話は、いつもと印象がちがっていた。出だしがまず奇妙だった。彼女は唐突に、「私には超能力があるのです」と、話しはじめたのである

先輩、聞いてください。

私には超能力があるのです。

自分の力に気づいたのは、小学生のときでした。授業中、退屈だった私は、教室にただよっていたほこりを、ぼんやりとながめていたのです。右に行ったり、左に行ったりする埃を、ぼーっと目で追いかけていたら、やがて、妙なことに気づきました。

いつのまにか、埃と、それを追いかける私の視線との関係が、逆転していたのです。埃のほうが、私の視線の先を追いかけ、右をむけば、埃も右に行き、左をむけば、埃も左についてくるのです。意識を集中させると、埃をおもいのままにあやつって、空中で文字を書くことだってできました。

でも、鉛筆えんぴつや教科書といった重いものは、ぴくりともうごかすことができません。埃のように軽いもの限定の、あまりに非力な能力です。埃をあやつるのにあきてしまうと、この力のことをすっかりわすれてしまい、中学、高校と、平凡な日常をおくりました。

大学に進学して間もないころのことです。講義を聞きながらあくびをしていたら、目の前に埃がただよってきました。そういえば小学生のとき、不思議ふしぎなことができたっけと、ためしに埃をにらんでみると、ぴくりと、埃がふるえ、空中でハートの形を描いたのです。不思議な力は、まだ備わっていたようです。観察をつづけていたら、この力の、ある特徴とくちょうに気づきました。

たとえば、埃が私の体にちかづくと、あやつることがむずかしくなり、体との距離がゼロになると、もう完全にうごかせない。

反対に、埃が私の体から遠ざかると、あやつることはかんたんになり、上下左右に高速で飛ばすことができる。

もしや、私の体との距離が、力の強さに関係しているのではないか?

私の体にちかいほど、力は弱まり

遠ければ、遠いほど、うごかす力は、強くなるのではないか?

小学生のとき、鉛筆や教科書を、うごかせなかったのは、目の前の、すぐそばに置いて実験していたからではないか?

その日の夕方、テレビをつけると、サッカーの試合が放送されていました。南米のスタジアムでおこなわれているものを、衛星をつかって生中継していたのです。日本にいる私の体から地球一個分の直径、つまり一万二千七百キロメートル離れた場所で、リアルタイムにおこなわれている試合です。ほんとうに私の念力が、遠ければ遠いほど、強くなるのだとしたら、これだけの距離があれば、ボールの一個くらいはうごかせるはず。私は、テレビをにらみ、こぶしを、にぎりました。

うごけ!

すると、頭のなかにぼんやりと、サッカーボール周辺の光景がうかんだのです。ノイズだらけの映像のように、はっきりとしない光景でしたが、まるで神様の視点のように、ボールの上下左右、そして中身の構造まで、すべてが同時に見えたのです。私の意識が、透明で巨大な手となり、ボールに、そっとふれました。

次の瞬間、いえ、衛星中継によるタイムラグの後、テレビ画面のなかで、仲間にむかってパスされたボールが、急加速をはじめました。地面すれすれを滑空かっくうし、私の想像したとおりの軌跡をたどって、何人もの選手の足をくぐりぬけ、ついにボールはゴールネットへ。観客は総立ちになり、ボールをった選手は、ぽかんとした顔のまま拍手喝采はくしゅかっさいをあびていました。

先輩、あの、まだ眠らないでくださいね。

だって、これ、ベッドタイム・ストーリーじゃないんですから。

これは、私の身に、ほんとうにあった出来事なんです。

「月の砂漠には、だれかが指先で描いたような落書きがあるんです。それは、うさぎかえるの絵で、つまり鳥獣戯画ちょうじゅうぎがの模写なんです」

そういうお話を、先輩が寝る前にしたことがあります。白状しますが、その落書き、私が描いたんです。

私の能力は、私自身の肉体から離れるほどに、強く、どこまでも強くなっていくという特性をもっていました。地球を離れ、月を越えたところにも、意識の腕をのばすことができました。太陽系を抜け、銀河系の星々まで距離を隔てたなら、私の能力は、際限なく強大になっていき、地球の何倍もある木星型惑星を、埃とおなじように、サッカーボールとおなじように、右にうごかしたり、左にうごかしたりもできるのです。銀河の外に出て、宇宙のずっと果てまで行けば、銀河そのものを、お手玉することだってできるでしょう。

念力だけではありません。他にも、いろいろなことができるんです。たとえば、何もないところから、物質を生み出すことだって。大学の講義が退屈なとき、ひまつぶしに、となりの銀河や、そのとなりの銀河に、純金のかたまりでできた惑星をうかべたり、白金と水銀の双子惑星をならべたり

もちろん、それらの光景は、肉眼で見ていたわけではありません。意識の腕をのばすと、その場所の光景が、神の視点で頭のなかにうかんでくるのです。星々の挙動、すべての分子のふるまいが、手に取るように

星を生み、すべてを見ることができる

神のごとき能力の持ち主

普段、コンビニでおにぎりを買ったり、転んでひざをすりむいたりしている、この私が

でも、まだその先があるのです。おどろかないでくださいね。実は、銀河を飛びだしたあたりから、なにもかもがはっきりと、くっきりと、見えるようになり、電子がこれまでに通り抜けてきた道筋、これから通るであろう道筋まで、すっかり認識できるようになったのです。雲が晴れるかのように、私の視界は、現在の状態だけでなく、過去や未来の状態にむかってもひろがっていったのです。言い換えるなら、あまりにも、なにもかもが見えすぎてしまい、ついには、時間の流れまでが観察できるようになった、というところです。たとえば、ある恒星の誕生から死までが、同時に俯瞰ふかんで見えるのです。

いえ、見えるだけではありません。ためしに意識の腕をぐんぐんとのばし、何万年も前の、過去のある一点に集中してみると、そこに新たな星を生み出すことも可能でした。そうです。私は、時間を越えて、宇宙を自由にクリエイトできたのです。

このこと、家族にも、友人にも、話してないんです。

私と、先輩だけの、ひみつですよ

私の能力が、時間を越えるほど強大になる場所を、【時間の地平線】と呼んでいます。地球から遠く離れ、【時間の地平線】をすぎた場所ならば、過去や未来に腕をのばし、星々をつくることができるのです。はるか未来の宇宙で、気まぐれに銀河の星を減らすことも、増やすことも、ブラックホール同士を衝突させることさえできました

でも、どうやら、この能力には、私のまだ把握はあくしていないルールがあるようです。たとえば、何万年も前の宇宙に、気まぐれにつくって放置しておいた惑星を、やっぱり消そうとしたのですが、なぜか消えてくれません。私が意識を集中すればするほど、ぼんやりとして、見えなくなる銀河もあります。そういった例外が、なぜ起こるのか、わかっていません

何のために、このような力が、私に備わったのでしょう? 正直な話、実生活では、役に立ちません。車にひかれそうになっている子どもを、たすけることもできない。せいぜい、苦手な先生の鼻に、埃を誘導して、くしゃみをさせるくらいです。

こんな能力、ないも同然です。

そんなある日のことでした。

私は、先輩とはじめて、おしゃべりをしたんです

【土曜日】にだけ、オールナイトで昔の映画を上映するという、あの映画館。私と先輩のほかに、お客さんはいませんでした。【土曜日】の上映がなければ、私たちは今も他人だったはず。でも、私は臆病おくびょうでした。本心をうちあける勇気がなかったのです。先輩と顔見知りになっても、自分という人間に、どうしても自信がもてず。挙動不審になって、あとで落ちこんだり。宇宙の果てでは神のような存在でも、この町にいる私は、言いたいことも言えない、引っ込み思案のちっぽけな人間なのです。

どうやったら先輩との距離がちかづくのでしょうか!?

なやんでいたとき、ふと、書店で見かけたのが、占星術の本でした。

占星術

そうか!

占星術だ!

夜空にひろがっている、星々の位置をうごかすことができるなら。

占星術の結果さえも、自由に、選択できるのではないか?

星をうごかして、先輩との距離をちかづけよう、という計画の、それがはじまりでした。

椅子いすに腰かけて、椎名は、ベッドタイム・ストーリーを語る。いや、彼女に言わせると、これはおとぎ話ではなく、実際にあった出来事らしい。ほんとうだろうか?

それはともかく、彼女の説明によれば、西洋占星術では、その人の生まれた時間における星の配置が、一生の運勢を決めるのだという。

判断の決め手になるのは、十個の星と、十二の星座だ。

地球をのぞいた水星から冥王星までの惑星に、太陽と月をくわえた十個の星には、それぞれに意味があるという。たとえば火星は「勇気や闘争心」、水星は「知性」、木星は「成功」。それらが、どの星座の方向に位置しているのかが重要だ。

十二の星座にも、それぞれ意味がある。たとえば天秤てんびん座には「社交性や調和性」、射手いて座には「自由や遠いものへのあこがれ」。僕の生まれた時間、恋愛観をつかさどる金星は、「温厚さと所有欲」を示す牡牛おうし座の上にあったという。つまり僕のもとめている恋愛は、「一緒にいて安心できる人と、おだやかにすごすこと」という傾向になるらしい。たしかにそれは、自分がのぞんでいることで、椎名といっしょにいて感じることでもある。

しかし、彼女はしゅんとして、もうしわけなさそうに言った。

「先輩、ごめんなさい。その恋愛観は、私がつくりかえたものなんです。私が十二星座の位置をずらさなかったら、先輩はもっと、情熱的な恋愛を希望されていたはずです。でも、それでは私の性格と相性がわるいとおもって

椎名のとった行動は、つまりこうだ。意識の腕を太陽系の外にのばし、【時間の地平線】のむこうで、人類が発生する以前の星座の位置をずらしたのである。

僕が母の胎内から出産されたとき、本来なら、金星の背後には牡羊おひつじ座があったという。その場合、僕は情熱的な恋愛を求めるはずだった。真偽はどうであれ、彼女はそう信じている。

そこで彼女は、地球をぐるりとかこんでいる十二の星座を、全体的に三十度ずつ、ずらしたのだ。おかげで、牡羊座の位置には、となりあっていた牡牛座がずれこんできた。金星の背景にあった星座がひとつずれて、僕の恋愛観はおだやかなものに変化したのだ、と、椎名は言いはる。おかげで僕たちは、したしくなったのだと

それにしても、占星術の結果が変わったからといって、そういうふうに、人格へ影響するものだろうか? 僕には疑問があるけれど、椎名は、怒られるのを覚悟した子どもみたいに、指をいじりながらうつむいている。僕の恋愛観を操作したと信じ、そのことに罪の意識を抱いているようだ。僕はそれよりも、身勝手に十二星座をうごかしたことについて、彼女は反省文を書いたほうがいいとおもう。神をもおそれぬ行為だ。ガリレオ・ガリレイも泣くだろう。

いや、まてよ

どうもおかしい

太古の星座をいじったのなら、僕の恋愛観などという、些細ささいなことだけでなく、その他大勢の、重要な選択も同時に変化したはずだ。たとえば、占星術をもとに戦争をはじめたり、政治の方針を変えたりした国も、大昔にはあったのではないか。歴史は変化したはずだ。なのに、僕や彼女が、こうして生まれているのは、どうも都合がいい。

「私も気になってしらべてみました。大昔の、いくつかの歴史は変化しています。しかし、近代にちかくなればなるほど、変化がすくないのです。星空を変えたことにより、無数の変更点ができたとしても、それは些細なことで、歴史という広大な川のながれは、やがて、不変的な一本になっていくのかもしれません」

に落ちることもある。彼女がこれまでに語ったベッドタイム・ストーリーに、地球外生命体が登場しないことだ。宇宙の話が、すべて彼女の実体験だとするなら、つまり、過去や未来まで見える彼女の目でも、地球外生命体が見つけられなかったというわけだ。

そのことに絶望しか感じない。

まっ暗闇の広大な宇宙には、僕たちのほかに、だれもいないなんて

「あ、そうだ。先輩は、ご存じでしょうか。天王星の自転軸が、横倒しになっていることを。太陽系のほかの惑星は、コマみたいに軸が立った状態で回転しています。でも、天王星だけは、コマが横倒しなんです。ごろごろと転がるように、太陽のまわりをめぐっているのです。実はこれも、私のせいなんです

そのときだ

扉がノックされて、彼女は、話を中断した

白衣を着た、顔見知りの看護師が、部屋に入ってくる。

僕の容体に、変化がないことや、鼻の下にとりつけられたチューブから、問題なく酸素が送られていることを、看護師は手早くチェックした。

すこしだけ世間話をする。今日は、夜更かしをしている入院患者が、ずいぶん多いという。流星群が原因だ。あと三十分もすれば、夜空に無数のかがやきが見えるだろう。大部屋に入院している患者たちは、全員で窓際にすわっているのだろうか。花火を眺めるみたいで、たのしそうだ。僕のいる部屋は、個室なので、しずかなものである。

看護師が出て行くと、ふたたび病室には、僕と、椎名アカリの二人だけがのこされる。

つけっぱなしのラジオから、もの悲しい、ピアノの曲が、ながれていた

僕たちは、それに、耳をかたむける

先輩

ん? 

きれいな

音楽ですね

うん

先輩

ん? 

きっと、

大丈夫ですよ」

ああ。

先輩

ん? 

いえ

会社の内定をもらい、大学卒業を目前にしたある日のことだった。体がだるいので、風邪かぜかとおもって医者に診察してもらったら、血液の成分に異常が見つかった。骨髄こつずい検査をうけたところ、腫瘍化した白血病細胞で埋めつくされていた。医者の診断結果は【急性白血病】。骨のなかにある、血液をつくり出す工場が、どうにかなってしまい、不良品の血液ばかり、送り出してしまう。体がだるいのも、まともな赤血球が減少して、全身にうまく酸素をはこべなくなったのが原因だ。ネットでしらべてみると、【なにも治療しなければ数日から数週間のうちに死ぬだろう】という文章を見つけて嘔吐おうとした。

白血病は血液のがんである。抗がん剤の投与で抑制をこころみたが、改善される様子はない。ごっそりと髪の毛がぬけたとき、もうだめだとおもった。数回目の入院で、確信は強くなる。自分は、あと半年も生きていられないだろう。医者や看護師、家族の表情は暗い。重たい悲愴感がたちこめていた。

たった一人、なぜか椎名だけは、あきらめたような雰囲気ふんいきを見せなかったけれど

彼女は大学を休み、ほとんどの時間を病室で僕といっしょにすごしてくれた。

しかし具合は悪化するばかりだった。血液中の酸素がすくないせいか、横たわっているだけでもうろうとしてくる。熱っぽくて、吐き気もするし、不良品の血が内臓をこわしたせいで血尿も出る。こわくなって、ありもしないものを見る。そのたびに椎名は、「なんにもいませんよ」と、僕をさとす。

病室のベッドで、眠りにつくとき、僕は不安になる。

まぶたを閉じて、闇のなかに入ると、このまま、宇宙の果てよりも、ずっと遠い場所に僕は行くのだろうとおもえる。でもそこには、【ほかのだれか】なんていないのだ。科学が未発達な世の中だったら、あるいは、【ほかのだれか】がそこにいて、僕たちをなぐさめてくれると信じられていたかも知れない。でも、今はそういう時代じゃないのだ。そこに行くということは、消滅だとしかおもえない。そこにはだれもおらず、まっ暗なだけの、さみしい場所だ。いや、さみしさもない。世界すらもない。

だから、眠るのがこわい

不安で寝付けないでいると、椎名が、ベッドタイム・ストーリーを語ってくれるようになった。

彼女の声は、やさしく、あたたかい。

すがりつくように、その声を聞きながら、目をつむる。

呼吸が、やすらかになる。

ある晩、夜中に目がさめて、ふと見ると、彼女が窓辺に立っていた。蛍光灯けいこうとうを消した暗い病室に、駐車場の明かりが窓から入ってきて、彼女のシルエットを壁に映している。椎名は熱心に星空を見上げていた。

今にしておもえば、彼女はそのとき

僕の運命を変えるため、星を、うごかしていたのかもしれない。

「星の配置を変えて、だれかの運命を変えることは、もうしないだろうとおもっていました。でも、最初の入院で化学療法をためしていたとき、先輩のホロスコープを見ながら、私は、決意したのです。先輩の運命を変えてみせる。絶対に死なせないって」

ホロスコープとは、その人がこの世に生まれたときの、惑星と星座の位置を表したものだという。

僕はラジオを消した。しずまりかえった病室に、僕たちの息づかいがある。

遠くから、窓のひらく音が聞こえてくる。流星群を見るため、どこかの病室の入院患者が、窓を開けたのだろう。

「先輩のホロスコープでは、土星がいくつかの星と重要な関わり合いをもっています。いずれもプトレマイオスが定めたメジャーアスペクト。土星の存在が、場を支配しているように見えます。

土星は、占星術の歴史において、不幸をつかさどる星なんです。あらゆる悪いことは、この星のせいだとおもわれていました。もっとも、それは画一的な見方で、成長をうながす試練の星という側面もあるのですが

でも、なぜ、土星は、不幸の象徴になってしまったのでしょう?

それは、望遠鏡のない時代、太陽系の惑星で、土星がもっとも遠い星だったからです。古代の人々にとって土星とは、世界の果てであり、限界、終わり、終着点、そして、死を連想する星だったのです。

私には、わかります。飢饉ききんによって、家族や、愛するものたちが亡くなるとき、それを不吉な星のせいにする気持ちが。そうしなくては、だれかのせいにしなければ、心が、ばらばらに砕け散る、そのようなおもいが

先輩のホロスコープにおいて、土星が太陽にかげりをもたらし、木星の守護を打ち消しています。先輩の運命を変えるには、この惑星を、どうにかしなくてはいけない。そうおもいました」

不吉な星、土星が、僕の人生を支配している

いや、まってほしい。

彼女の話は、現実的ではない。僕は占星術を完全に信じているわけではないのだ。大昔、人は星を見て、運命を知ろうと努力し、その過程で天文学という学問が生まれたと聞く。でも、それは遠い昔のこと。占星術が、天文学の母親だとするなら、今はもう、科学という名の子どもは完全に自立し、産みの親を殺してしまったのだ。僕にはそうおもえる。だから、そうかんたんに、信じる、なんてことはできない。

でも、椎名は真剣な目をしていた。

彼女はどこまでも占星術を信じている。

僕の運命さえも、ねじまげることが、できるのだと。

死の象徴、土星を、どうにかすることで、僕が救われるのだと。

「たとえば、太陽系が誕生するとき、土星を破壊しておくというのはどうでしょう? そうすれば、先輩のホロスコープから、土星が消えているはず

本気で言ってるのか?

もちろん、彼女は本気の目だった。

「過去にさかのぼってそうするには、私の意識の腕が、時間を越えられる場所、つまり、【時間の地平線】のむこうまで行くひつようがあります。そこから土星を狙って、高重力の天体を撃ち出すのです。でも、実行はしませんでした。なぜなら、土星を破壊すると、【土曜日】まで消えてしまう可能性があったから

そうです。【土曜日】です。【土曜日】が、なくなっちゃうかもしれないんです

現在の週や曜日の概念は、紀元前一世紀頃に完成したそうです。その当時、太陽と月、地球をのぞいた水星から土星までの七個の星が、一時間ごとに地上を守護しているとかんがえられていました。それが曜日という概念のはじまりです。

もし、土星を破壊すれば、一週間は六日になり、土星から名前をもらった、【土曜日】という概念も消える可能性がある。私と先輩が最初に出会い、話をするようになった、【土曜日】のオールナイト上映も、なかったことになる。私たちは、会わなかったことになるのです

なるほど

曜日が減る可能性については、納得してもいい。

神秘の範疇はんちゅうではなく、天文学と歴史に関する考察が元になっているからだ。

「でも、それを解決する方法があります。

【土曜日】をのこしたまま、不吉の星、土星だけを消す方法が。

先輩を救う、究極の方法

その鍵になるのが、天王星です」

ここで、その名前が出るとはおもわなかった。

天王星。

自転軸が横倒しになっている、奇妙な惑星だ。

それにしても、彼女の話についていくのはたいへんだ。

ただでさえ、酸素がたりなくて、ぼんやりするというのに。

ややこしい話をすることで、彼女は僕に、とどめをさそうとしているのだろうか

もうすこしだけ、彼女の論理に、つきあってみよう。

「天王星は、土星のひとつ外側をまわっている星で、一七八一年に発見されました。望遠鏡が発達し、世界の果てにある星は、土星ではなくなったのです。

もしも

もしも、この星が、もうすこし太陽に近いところを公転していたら、どうなっていたでしょう

古代において、この星が発見されていれば、人々にとって、天王星こそがもっとも遠い惑星になっていたはず。すなわち、世界の果て、限界、死をイメージされる星は、土星ではなく、天王星だったのです!

先輩のホロスコープにおいて、天王星は、他の星との関係がうすい。些細なマイナーアスペクトが一個あるだけなんです。この星が先輩の運命を支配することはないでしょう。さらに、先輩が生まれた時間、天王星は逆行現象をおこしています。逆行とは、地球から観測したとき、逆向きにすすんでいるように見えることです。占星術において、逆行中の星には、【あいまいになる】という意味が付与されます。土星のかわりに、天王星が不幸の星になってくれれば、先輩のホロスコープを支配する試練と苦難の影は、きれいにぬぐい去られることでしょう。

私の計画は、つまり、こうです!

天王星の公転軌道をずらし、古代の人々が、肉眼で観測できる距離まで、地球にちかづけてやるのです。

そのあと、土星を破壊します。古代において観測される惑星は、七つのままですから、【土曜日】が消えることもありません。

死に神を演じる役者は、土星から天王星に変更され、先輩の横を素通りしてくれる、というシナリオです。

なにか質問はありますか?」

質問、というか、僕は、彼女の神経がまともなのかどうかを、まずはうたがった。

つまり、彼女は、土星のかわりに、天王星を不吉な星にしたてあげようというわけだ。

天王星なら、ホロスコープにおいて、僕を支配しない場所にあるから。

こいつ

どうかしてる

天王星の公転軌道をずらす、と彼女は言った。

でも、いったい、どうやって?

「それはですね、先輩、土星を破壊する手順とおなじです。【時間の地平線】のむこうから、小惑星をぶつけてやるのです。しかし、今度は破壊が目的ではありません。ビリヤードのボールのように、小惑星をぶつけて、天王星を押し出してやるのです。

ある晩、先輩が寝たあと、私は、星空を見上げました。意識の腕をぐんぐんと遠くまでのばし、時間軸にそって視界がひろがるところまで行き、過去の宇宙で小惑星をつくったのです。私の生み出した星は、何千年という時間をかけて真空をすすみ。天王星の方角からずれそうになると、そのたびに力をくわえて微調整。でも、太陽系にちかづくと、私の視界から時間軸の奥行きが薄れてゆき、過去の宇宙における天王星の位置がさだまらなくなって。結果として小惑星は、天王星をかすりもせず、宇宙の果てに消えました」

彼女の体にちかくなると、その力は、弱くなっていく。

時間を越えて、過去に影響をおよぼすことも、できなくなる。

どうやら、太陽系の惑星をどうにかするのは、彼女にとって、むずかしいことのようだ。

これなら土星の破壊もむずかしいのではないか。

「いいえ。破壊するだけなら、きっとかんたんです。多少、方向がさだまっていなくても、はるかに巨大な高重力天体をぶつけてやれば、土星の輪っかごとのみこんで、どこかへ持ち去ってくれるでしょう。でも、天王星は、破壊してはいけない。だからむずかしい

このビリヤードを、これまでに何百回と、くりかえしています。先輩が眠りについたら、毎晩のように。もどかしいのは、私の思考が、体の内部でおこなわれていることです。地球の時間にしばられていることです。時間を俯瞰してながめている、その瞬間にも、私や先輩の体には時間が流れているのです。このチャレンジは、回数に制限があるのです。先輩が、先輩の病状が、今よりも悪化する前に、成功させなくてはいけないのです。

失敗の原因は【時間の地平線】にありました。そこを越えた場所でなければ、私は過去の宇宙に手をのばすことができない。ずっと遠くから太陽系の方角に狙いをさだめて天体を放ることしかできない。

そこで、宇宙に巨大な望遠鏡をつくりました。手近にあったブラックホールをはこんできて、表面が鏡になっている円盤状の天体を生み出し、バランスよく配置してやれば、望遠鏡がわりになることがわかったのです。重力によって光がねじまげられる現象を利用し、ブラックホールを大口径のレンズがわりにつかったというわけです。これを【時間の地平線】を越えた場所に設置することで、過去から未来までの太陽系の姿を観測できました。小惑星が天王星に衝突する未来を見ながら、過去で軌道を微調整してやればいいのです。

でも、なかなか思い通りになりません。私がほんのすこし小惑星の軌道を微調整するだけで、まるでスロットマシンのように、望遠鏡で見える未来の状況が目まぐるしく変化するのです。それに意思決定が追いつかず、惜しいところで小惑星の進路をミスしてしまうのです

私は

もどかしいです

先輩の運命を変えられる、一歩手前まで来てるのに

一回だけ、惜しいところまでいったのです。うまくぶつけることが、できたのです。現在、天王星の自転軸が横倒しになっているのは、そのときの衝撃が理由です。残念ながら期待通りの軌道にのせることはできませんでした。でも、それ以来、天王星は、地球に接近したとき肉眼でも見えるようになったのです。

もう一度。

もう一度、ぶつけることができたなら、天王星は、完全に見える位置まで来るでしょう。そのとき天王星は、不幸をつかさどる星になるんです。先輩の運命も、それで変わるはず。きっと、そうしてみせます。先輩の、のこり時間が、とぼしくなる前に

でも、安心してください。もしも、天王星の公転軌道を変えられなかったら、そのときは

土星を、壊すつもりです。

たとえ、【土曜日】が、なくなったとしても

私たちが、他人のまま、出会わないことになったとしても

私が。私が、遠くに、いたなら。遠い宇宙の果てにいたなら。先輩の体の構造を、根本からつくりかえてあげられたでしょう。永遠に生きさせてあげることもできたはず。でも、こんなにちかくにいては、私は無力な、ただの一人の人間なのです。でも、せめて、無力な人間のまま、ちかくにいたかったのです。皮肉ですね。接近すれば、するほどに、私は、なにもできなくなるんです

私のせいなんです。先輩の過酷な運命は、きっと私のせいなんです。私はずるいんです。先輩にずるをしたんです。金星の背後にある星座を入れ替えて、ほんとうは、ほかの人を愛するはずだったものを、無理矢理、私のほうに軌道修正して。だから、星々の神から、罰をうけたんです。先輩の心を、つくりかえてしまった。先輩のなかにある、私への想いは、はたして、ほんとうのものでしょうか。そうおもうと、たまらなく、怖いんです

椎名は、それだけ言うと、顔を両手でおおった。

開け放した窓から、満月の白い光がさしこんで、病室の壁やシーツを、彼女の全身を、ぼんやりと、燐光りんこうをまとうように照らしている。

彼女は肩をふるわせる。土星殺し、【土曜日】殺しを決意した肩は、そのスケールとはくらべものにならないほどちいさい。

彼女の、これまでの話は、罪の告白だ。そのゆるしを、彼女は求めている。

椎名。

彼女は、顔をあげる。

大丈夫だ。何も問題ない。僕はそう話しかけた。心配しなくていいよ。なぜかって? 星の配置が人の運命を支配する、という前提できみは話している。でも、僕は占星術のことを、万能だとはおもっていない。

大昔、人々は、星の配置から運命を読もうとして、夜空を見上げた。霊感があるとしかおもえないほど勘の鋭い人や、想像力のある人が、星の配置のなかに、様々な意味を見出した。でも、それは人々のなかに、運命を読もうという意思があったから、そこに意味が見えたんじゃないかな。ほんとうは星の配置に意味なんてなかった、と言うつもりはない。たしかに意味はあったんだろう。でも、それは、見上げる人々の胸に、生じるものだったんだ。星の配置が、人の運命を左右するというのなら、じゃあ、人というのはいったい何だろう。僕は、人は、人なんだとおもう。何の支配下にもおかれていない。でも、僕たちは、こわがりなところがあるから、星空を見上げて、勇気をもらわなくちゃいけなかったんだ。星空に、背中を押してもらわなくちゃいけなかったんだ。つまりそれが占星術なんだとおもう。それは人々を魅了し、勇気をあたえ、進む道を示してくれる。でも、それが万能な法則性かと言えば、そうじゃないと僕はおもうんだ。

星の並びや、配置とは無関係に、僕は、この病気になっていただろう。

土星があったとしても、なかったとしても、僕はこの体だったにちがいない。

これが僕の

科学の時代に生きる僕の論理だ。

「や、やめてください、先輩。自分が、何を言ってるのか、わかってるんですか。だって、そんな風にかんがえたら、もう、おしまいじゃないですか。だって、星をうごかして、先輩の運命を、変えるなんてこと、できないってことでしょう? 先輩の運命は、もう、確定してるってことじゃないですか!」

僕は、それでいい。それでいいんだ。

占星術は、きっと、そういうものなんだ。

きみは十二の星座をうごかして、僕の恋愛観を変えたとおもってる。でも、そうじゃない。だからといって、無意味だったわけでもない。きみは、星の配置に、背中を後押ししてもらったんだから。星空に勇気をもらったんだから。

でも、金星の背後にどんな星座があったとしても、僕たちはこうなっていただろう。だから、きみは赦しを請うような罪なんて、犯してないってことだ。金星と星座の組みあわせなんかじゃなく、自分たちの意思でむきあっていたんだ。いっしょに学食で食べて、ならんで道をあるいて、だれの作為もなく、本の貸し借りをした。どんな星の配置だったとしても、映画館のオールナイト上映に行き、居眠りをして、僕はきみに怒られていただろう。喫茶店きっさてんでおなじ雑誌をのぞきこんで、芸能人のだれとだれがつきあっているとか、そういうつまらない話で、貴重な時間をドブにすてた。つまらない話を、えんえんと、気が遠くなるまでした。僕はあの時間を。いっしょにいた時間を確信しているんだ。負い目を感じなくていい。きみのせいでもないし、罰があたったわけでもないんだ。僕はちかいうちに消えるだろう。きみはこれからも生きていく。生きていくんだ。時間を重ねていく。だけど、何の負い目もいらないんだ。

外の街路樹がいろじゅが、風でそよいでいる。

しずかな空気が、ベッドの周囲にたちこめている。

どこかの病室で、カーテンの開けられる音がした。起きている入院患者のだれかが、夜空を見上げるため、またひとつ、窓を開けたのだ。頭がもうろうとする。酸素がまわっていない。ぼろぼろの体で、しゃべりすぎたようだ。

もうすぐ流星群が見えるはずだ。僕たちは、すこしの間、無言になり、夜の気配に耳をすました。星空にまつわる、彼女の不思議な話は、どうやらもう、これで終わりのようだ。彼女はこれが、フィクションではなく、真実だと言っていたが、ほんとうだろうか。あまりに真剣な表情で語るものだから、おもわず信じかけてしまったのだけど

椎名の横顔を見る。

どちらでもいいか、とかんがえた。

そうだ。

どちらでもいい。

先輩」

長い沈黙のあと、彼女がふりかえって、口をひらいた。

「あの、そういえば、おもいだしたことがあるんです。ええと、その、今夜の流星群のことなんですけど。あれ、三年前の段階では、一個の小惑星だったんです

まあ、たしかに、そういう噂があった。

今晩の流星群が発見されたのは三年前のことで、はじめのうちはその正体がはっきりわからず、情報が錯綜し、巨大隕石が落下すると報道した番組もあった。やがて、最新の観測データによると、細かな破片の集団であることが判明し、世界中の人々が胸をなでおろしたのである。

「いえ、そうじゃありません。やっぱり、あれは一個の小惑星だったんです。直径二十キロほどでしょうか、恐竜を滅ぼした隕石の二倍くらいのやつでした。そいつが地球にむかっていたのです。巨大隕石がふってくるというニュースを、朝にハミガキしながら見ました。そして、すぐに宇宙へ意識をむけて確認したのです。もちろん、これはいけないとおもって、粉々に砕いて、ちらしておきました」

なんだって?

小惑星を、砕いた? 

ハミガキしながら?

「それをやったのが、早朝の、まだ寝ぼけているときだったので、つまり、その、すっかりわすれてました

馬鹿ばかじゃないのか? どうして、そんな、人類の命運を左右するようなことを、今までわすれていたんだ? 

しかし、酸素が欠乏気味の脳に、そのとき、あるひらめきがおこった。

僕は息をのみ、そのまましばらく、まばたきさえできなかった。

僕が完全に停止してしまったので、彼女は心配して、「先輩! 先輩!」と言いながら肩をゆすぶった。返事をしてやると、彼女は、ほっとした顔をする。

「ああ! よかった!」

ええと、つまり

これまでの話が、彼女の創作ではなく、すべて真実だったと仮定して

彼女がなぜ、このような能力を持ってしまったのか、急にわかったような気がしたのである。

彼女の話と同様に、現実味を欠いた、僕の想像だけれど、つまり人類は、生きのびようとしたのではないか? 

小惑星から文明を守るため、人類全体の、生きようとする意思が、彼女のなかに、そのような能力を発現させたのではないか? それなら、過去の歴史に変化が生じても、僕や彼女が生まれてきたことにも納得がいく。人類は生きのびるために、彼女の存在を、のこさなくてはならなかったのだ。彼女の存在や、彼女の周囲の環境が、できるだけ変わらないように歴史は修正されてきた。人類が経験したすべての過去は、現在において、椎名アカリという、ただ一人の人間が存在するための土壌どじょうだったというわけだ。

そしてもうひとつ

そこから導かれる、仮定の仮定が、頭をよぎる

文明をはぐくむ知的生命体には、危機にひんしたとき、彼女のような能力者があらわれるのだとしたら

つまり、生きのびるための防衛機能だ。

知的生命体には、人類かいなかを問わず、そのようなものがあるとしよう。今回、人類におそいかかった危機は、小惑星の衝突だった。

しかし、宇宙全体の視点でかんがえるなら、平気で銀河をお手玉したり、惑星を消したりする椎名の存在こそ、災い以外の何物でもない

もしも宇宙のどこかに、人類以外の知的生命体が存在していたなら、椎名こそが、あらゆる不吉の根源におもえただろう。つまり、彼女に対しての防衛機能がはたらいていたはずだ。

彼女は、さきほど、次のように言った。

この能力には、自分の把握していないルールがある

なぜかはわからないが、消せない星や、見えない銀河がある

それは実のところ、椎名に対する防衛機能がはたらいていた結果とはいえないか? 彼女から身を守るため、力を打ち消す何かがあったり、彼女の視界をさえぎる何かがあったりしたのではないか。つまりそこには、人類ではない、【ほかのだれか】がいたのではないか?

事実を確認する方法が、あるとはおもえない。光の速さで何万年かかるかわからない、はるか遠い銀河のことだから。馬鹿げた空想だ。わざわざ口にするほどのものではない。真偽はともかく、そうだったらいいなと、僕はわらいをかみしめる。そんな僕を見て、椎名は首をかしげた。しらなかった。人間って、わらえるものなんだな、こういう状況でも

そのとき、窓の外を、光の粒が横切った。

ひとつ。またひとつ。

はじまった。ハミガキをしながら、彼女が破壊したという、かつて小惑星だった塵が、地球にふりはじめる。大気にふれて熱を発し、光の粒になったものが、夜空に放射状の線をひいた。満月をかすめて、よぎっていく。遠くから、歓声が聞こえた。入院している大勢の患者が、この夜空を、窓から見上げているのだろう。

ふと、僕はかんがえた。

あと何日、何分、何秒、自分にはのこされているだろう。

明日の朝が、僕にはあるのだろうか。

光の粒が、数をましていく。これまで夜空にうかんでいたすべての星が、光を発してふりそそぎ、地上に押し寄せてくるような、錯覚におそわれる

先輩」

ん?

きれいですね」

ああ。

先輩」

ん?

いえ

椎名。

はい?」

ありがとう。

いえ

椎名が笑みをうかべて、僕をふりかえっていた。わらっているけれど、涙をためていた。椎名アカリ。彼女の趣味は、占星術。そして、物語をつくって、小説にすること。彼女の物語を、読んだことはないけれど。椎名の目のふちにもりあがった涙が、こぼれて、ほおに線をひく。

自分はやがて、宇宙の果てより、ずっと遠くへ行く。そこに世界があるのか、ないのか、僕にはわからない。でも、もしもそこに世界があるのなら。彼女に呼びかけてみよう。遠ければ遠いほどいいのなら、きっと聞こえるはずだから。それなら、もう、こわくない。僕は、信じることにした。彼女の不思議な力を。彼女の物語を。僕は、物語に、勇気をもらう。

そのとき、ついに光が、夜空を埋めつくし、一分のすきもないほど、頭上が輝きにつつまれた。流れ星で願いがかなうなら、地球上にいる、すべての生命の願いを、今夜一晩で、すっかりかなえてしまうだろう。

子どものころ、眠りにつくとき、母がベッドのそばに腰かけて、おとぎ話をしてくれた。

今は、椎名が僕の横で、ベッドタイム・ストーリーを語ってくれる。

彼女の声に耳をかたむけて、僕は、身をゆだねる。

彼女の声を、どこまでも持っていく。

どこまでも、どこまでも

夜のむこうまで

彼女の声を

END