Wikipedia:削除依頼/朝鮮進駐軍
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議論の結果、削除 に決定しました。
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「朝鮮進駐軍」なるものをネット検索してもヒットするのはいわゆる嫌韓厨といわれる面々によるプロパガンダサイトのものばかりで、百科事典記事作成に当たって信頼に足る情報源が見当たらない。
参考文献節に列挙された文献で「朝鮮進駐軍」を表題に掲げたものはなく、全体が[1]の丸写しであり、本記事執筆のIP:122.27.1.205(会話 / 履歴 / ログ / Whois)はWikipedia:削除依頼/122.27.1.205氏による外部からの持込で対象とされた記事も同じ外部サイトから丸写ししており、IPの記事作成の傾向からして記事解説記述が参考文献節の文献を参考にして作成したとは到底考えられない。
朝鮮進駐軍を「戦後日本の混乱期において朝鮮民族が自称していた犯罪(武装)集団の名称」とあたかも在日朝鮮人全体を包含した代表組織のような定義しているが、このような事実はない。
構成員を現在日本国内に居住する朝鮮人に結びつけた定義を展開しているが、これも前述のとおり根拠不明なトートロジーに過ぎない。
「朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)」は後の在日本朝鮮人連盟の前身であると記述しているが、「在日朝鮮人連盟総本部」なる組織の存在は確認できず、これが後継組織に引き継がれたとも立証されない。
「組織では…各地域ごとに部隊名をつけ」とあるが、参考文献があると称するにも関わらず具体的な部隊を挙げていないなど、事実に関して出典による証明が無い。
当時の在日朝鮮人が暴力事件を起こし、それを進駐軍にならって例えたというような事実はあったかもしれないが、それすら出典付きで記述できていない。
そればかりか、意見・解説の類にも個々に出典は無く、{{独自研究}}状態に終始している。
朝鮮人による犯罪節と主な事件一覧節に列記した事件で朝鮮進駐軍により組織的に引き起こされたと断定されたものがない。
以上、記事全体を通じて事実であることが証明されないばかりか、あまつさえ虚偽や誹謗に類することを並べたてており、Wikipedia:削除の方針#ケース E: 百科事典的でない記事の「本文が検証可能性を満たさない内容に終始している場合」「独自の研究結果の発表」「広告またはスパム(嫌韓厨プロパガンダ)」「完全に異質な記事」に該当する。
--동아 일본 2009年12月29日 (火) 16:14 (UTC) (補筆--동아 일본2009年12月29日 (火) 16:43 (UTC))
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%89%8A%E9%99%A4%E4%BE%9D%E9%A0%BC/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%B2%E9%A7%90%E8%BB%8D
・朝鮮進駐軍-wikipedia-
http://www.youtube.com/watch?v=PGw6QB6kueo
なにやらハングル表記のお名前をお持ちの方が、たいそう無理のある強硬な削除依頼を出されて、ご自分の民族にとても都合の悪い歴史的事実をウィキペディアから削除することに成功なされたそうである。
>朝鮮進駐軍を「戦後日本の混乱期において朝鮮民族が自称していた犯罪(武装)集団の名称」とあたかも在日朝鮮人全体を包含した代表組織のような定義しているが、このような事実はない。
>構成員を現在日本国内に居住する朝鮮人に結びつけた定義を展開しているが、これも前述のとおり根拠不明なトートロジーに過ぎない。
>「朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)」は後の在日本朝鮮人連盟の前身であると記述しているが、「在日朝鮮人連盟総本部」なる組織の存在は確認できず、これが後継組織に引き継がれたとも立証されない。
削除依頼をされたハングルネームの方はそのようにおっしゃっておられる。
でもあった事はあったこと、事実は事実であるので、いくら朝鮮民族にとって都合の悪い事実であったとしても、そんなプロパガンダをすんなり鵜呑みにしてしまう事は出来ない。
その反駁に代えて、「百聞は一見にしかず」の映像を紹介しておくことにする。
(なお以下の映像の中に提示されている写真には、いわゆる朝鮮進駐軍服を着た朝鮮人と「在日朝鮮人連盟”中央”総本部」という看板が確かに確認できる)
・戦後の朝鮮人が行った悪事・朝鮮進駐軍
http://www.youtube.com/watch?v=38P1opWkYZs
「在日のタブー、朝鮮進駐軍」
※「朝鮮進駐軍(ちょうせんしんちゅうぐん)」とは。
在日朝鮮人は日本と戦争をした事実は無いにもかかわらず、終戦と同時に「朝鮮進駐軍」を自称し、日本各地において婦女暴行、暴行、略奪、警察署の襲撃、土地・建物の不法占拠、鉄道の不法乗車等、横暴の限りを尽くした。
●終戦後 「朝鮮進駐軍」武装部隊が首相官邸襲撃●
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「朝鮮進駐軍」部隊2000人による「首相官邸襲撃事件」が1946年起きた。
約2000人 の在日朝鮮人「朝鮮進駐軍」部隊が完全武装して首相官邸に突入。
日本の警官隊は当時武器の所持は禁じられていため、米軍憲兵隊に応援を頼んだ。
そこで米軍憲兵隊と「朝鮮進駐軍」との間で大銃撃戦闘へと発展した。
戦後の在日朝鮮人は、なんの国際法上の地位もないにも関わらず、勝手に自分たちを「戦勝国民である朝鮮進駐軍」であると詐称し、三万人もの武装集団となって全国主要都市に出現し暴れまくった。
在日朝鮮人集団は、武装解除された日本軍の武器と軍服を盗用して武装し、勝手に「朝鮮進駐軍」と名乗り、無差別に多くの日本人市民を殺害した。
GHQの 記録に残っているだけでも四千人以上の殺害記録が残されている。
戦後の治安が整っていない空白を良いことに、「朝鮮進駐軍」と名乗った在日朝鮮人は、土地の不法略奪、金品略奪、強姦、銀行襲撃、殺略、警察襲撃など暴れ放題の限りを尽くした。
「朝鮮進駐軍」と名乗る暴徒たちは、個々に部隊名を名乗り、各地で縄張りを作り暴れた。
これら「朝鮮進駐軍」 元締め組織が「朝鮮総連」、ヤクザなどになっていった。
国有地も、都心駅前一等地周辺も、軒並み不法占拠した。そしてそのまま、パチ ンコ屋、飲み屋、風俗店等々が出現し、そのまま彼らの土地として登記され現在に至っている。
農家、農協倉庫を襲い、貨車を襲撃、商店街、国の食料倉庫も襲い、食料や商品を根こそぎ 奪って行き、それらは全て戦後の闇市で売りさばき、暴利で財を成したのは彼らであった。
財を成したのは彼らは分派し、政治組織として社会主義、共産主義組織へと発展し、政界にも進んだ。
「朝鮮進駐軍」と名乗る在日朝鮮人暴徒たちは、通りすがりの市民に言いがかりをつけ集団暴行をはたらく。無銭飲食は当たり前、白昼に目に付いた婦女子を路上で集団強姦するなどを、日常茶飯事に繰り返した。
在日朝鮮人は「朝鮮進駐軍」部隊と名乗り、武装して、町をのし歩いた。
彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩した。
腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を振り回しては、手当たり次第に日本人を殺傷、暴行し、略奪の限りを尽くした。
通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ、無銭飲食をし、白昼の路上で婦女子にいたずらをした。
善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。
こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。
袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、肩で風を切って街をのし歩いた。
終戦後の警官が、一切の銃器の所持が許されていなかったのをよいことにして、
「おれたちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人がなにをいうか」
と、丸腰警官を殴り、ド突き回し、警備用の木刀や飾りのサーベルをヘシ曲げた。
戦後当時の「朝鮮進駐軍」は今日の朝鮮総連本部である。
【昭和26年03月22日衆議院法務委員会】
【押谷委員】
お尋ねをいたしますことは、昨朝起りました朝鮮人による米兵に対する暴行事件であります。
昨二十一日の午前三時半ごろに、浅草の千束町の朝鮮マーケット附近におきまして、六名の米兵が多数の鮮人に取囲まれまして、集団的に暴力を加えられて、一名は死亡する、二名は負傷する、自動車も破壞されるというような不祥事を起したのでありますが、わが国の講和を前に控えて、今日日本の置かれたる国際的地位などから考え、この時期を思いまするときに、まことに遺憾しごくな事件だと考えます。
終戦後の第三国人どもは本当に酷かった。軍の兵器を盗んで来たらしく、三八式歩兵銃や南部式拳銃で武装し、小銃には着剣して強盗強姦傷害恐喝脅迫不動産窃盗、時には殺人まで、経済犯、実力犯を中心にあらゆる悪事を重ねていた。
銀座、浅草、新宿は朝鮮人、新橋、渋谷は台湾人に支配され、政府も警察も動揺し、手を拱いていた。戦勝国民は治外法権だったのである。
だから食管法に限らず、戦勝国民には日本法を適用出来なかった。服部時計店や白木屋も米軍の酒歩(PX)に接収され、そこへ行けば食料に限らず物資は山ほどあった。日本人は買えなかったが。
そうした情勢に便乗し、朝鮮人は戦勝国民だの「朝鮮進駐軍」を僭称して堂々と闇商売を行い、派手に稼いでいた。
そりゃ儲かるだろう。警察の検問を竹槍日本刀を振り回して強行突破したのだから(さすがに銃撃戦は挑まなかった模様)。
当時は物不足で、売る方は素人でも出来た。
仕入れこそ難しかった。
彼等は日本人露天商を襲って商品を奪う。
それで警察が黙認して捕まえないのだから、こりゃあ損のしようが無い。
警察が襲撃されることしきりで、署長が叩きのめされたり、
捜査主任が手錠を賭けられ半殺しにされるぐらいは珍しからず。
上野で朝鮮人経営の焼肉屋へ国税局査察部が査察に行った際、大金庫を開けて手を入れた瞬間を狙って二十人ぐらいで一斉に金庫の扉を押したものだから査察官は腕を切断されてしまった。
当時は警察署が襲撃される事が珍しくなく、第三国人の襲来によって犯人を奪還された富坂警察署事件、ついでに警官が殺された渋谷警察署事件、共産党が大群で警察署を包囲し外部との連絡を遮断「攻城戦」に出た平警察署事件等、枚挙に暇有りませんでした。
東京東部(すなはち大東京の中心地)北郊の荒川、古利根−中川、江戸川、利根川流域の牛は皆いなくなった。
当時、あの辺は畜力として農耕牛を使っていたが、深夜、不良朝鮮人が侵入して来て盗み出し、河原へひいて行って屠殺した。牛はモウと言って泣いたので皆気付いたが、銃砲刀剣で武装しているので追う訳には行かなかった。
永年愛育し、慈しんで来た牛が悲しそうに泣きながらズルズル引き出され殺されるのを傍観するのは無念で耐え難かったが、手向へば殺されるのでどうにも出来なかった。
そうして利根川水系流域一帯の牛は皆、不良朝鮮人に盗まれ、殺され、闇市で売られた。
この辺へも、新聞紙に包んだ肉塊を売りに来たものだ。
上流で屠殺した牛を、そのまま下流へ売りに来たのだろう。
かくて南関東から、牛はいなくなった。
家/畜相手ならまだしも、人間に対しても、関東以西の大都市を中心に、日本中に灰神楽が立つような勢で数多犯罪を重ねた。
川崎、浜松、大阪、神戸などが酷かった。その最も著しい象徴的事例に、元文部大臣、後の首相・鳩山一郎氏に対する集団暴行・傷害事件がある。
翁が軽井沢の静養先から帰京しようとして信越本線の汽車に乗っていたら、例の「朝鮮進駐軍」が後から大勢、切符も買はず、鉄道員を突き飛ばし押入って来て、
「俺達は戦勝国民だ、おまえら被支配者の敗戦国民が座って支配者様を立たせるとは生意気だ、この車両は朝鮮進駐軍が接収するから全員立って他の車両へ移動しろ、愚図愚図するな!」と追い立てた。
それで鳩山氏が、我々はきちんと切符を買って座っているのにそりゃおかしい、と一乗客として穏やかに抗議したら、たちまち大勢飛び掛かって袋叩きにし、鳩山翁を半殺しにした。
幸にして重体にも重傷にも至らなかったが、頭部裂傷だか顔面挫傷だか忘れたが、血に塗れ腫れ上がった痛々しい顔で帰京した。
年老いた祖父を理不尽に叩きのめされて怨まぬ孫も有るまい、いかに不出来な孫にせよ。
孫共はこれを知らんのだろう。
直後に総理大臣に成る程の大物でもかくのごとし。
いわんや庶民におては 土地も屋敷も物資も操も、奪い放題であった。
闇、賭博、傷害、強盗事件が多く、ことには、空襲や疎開で一時的に空いている土地が片端から強奪された。
今、朝鮮人が駅前の一等地でパチ/ンコ屋や焼肉屋を営業しているのは、皆、あの時奪った被災者の土地だ。
それでも警察は手が出せなかった。
歴代首相大臣等が絞首刑になって行く状況で、警察ごときに何が出来よう。
ある日、警察は何月何日を以て廃止す、再び登庁するを許さず、と命ぜられれば、それ切り警察は消滅する。
七百万の大軍を擁した彼の帝国陸海軍ですら、左様にして両総長 両大臣以下、自然廃官になった。まこと敗戦は悲しからずや。
たまりかねた警察が密かにやくざに頼み込み「浜松大戦争」になった訳だが、「小戦争」は日本中に頻発した。
最後の頼みの綱は連合国軍であったが、遂にはその憲兵隊でも手に負へぬ非常事態に立ち至った。
それでさすがに米軍も腹に据えかね、日本本土全域の占領を担当していた米第八軍司令官アイケルバーガー中将が、関東と言はず関西と言はず、はたまた北九州と言はず、不良朝鮮人活動地域に正規戦闘部隊の大軍を出動させ、街頭に布陣して簡易陣地を築き、重装甲車両を並べ、人の背丈程に大きな重機関銃を構へて不良朝鮮人共にピタリと狙いをつけ、ようやく鎮圧した。我々はその火器のきらめきを間近に見た。
この時、連合軍総司令官ダグラス・マッカーサー元帥の発した布告が、
「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」
と言い声名で、これぞ「第三国人」なる語のおこりである。
だから、外国人差別用語なはずは無い。
彼等自身、マッカーサー元帥以下、一人残らず皆、外国人ではないか。
連合国軍総司令官は、日本人に対してこそ絶大な権勢を振ったが、本国や同盟国、対日理事会や極東委員会に気を使わねばならぬ外交センスの要る役職であった。
何人にもせよ、敗戦国民以外を、声名発してまで差別なんぞする筈が無い。
「第三国人」の語は、国際法に則って説いた技術的専門用語に過ぎない。
終戦後の朝鮮人の横暴は目に余るものであった。
東京のど真ん中、銀座の交番に於いてさえ、朝鮮人を注意した巡査が複数の朝鮮人の襲撃を受け裸にされ警棒を尻に突っ込まれると言う乱暴を受けた。
当時の日本警察は拳銃の携帯が許されておらず、朝鮮人の横暴を止められなかった為、政府はマッカーサーに請願した。
これを受けて述べたのが、マッカーサーの
「朝鮮人は戦勝国ではない第三者だ」と言う三国人発言である。
1950年にGHQは日本占領を終結し、解放し、実質的に戦後は終わったとされています。
その際に朝鮮人は日本籍を剥奪され、韓国籍として朝鮮に帰れと命令しました。
不要の朝鮮学校と民団総連も廃止し解散請求しました。
すると在日朝鮮人は、なにを履き違えたか
「我々は先勝国民であり日本を統治する立場だ」と叫びだし、革命を叫んで、公共施設の不法占拠し火炎瓶や武器で武装して決起したのです。
警察も拳銃で対抗し射殺された人もでました
警察では対処できなくなり、GHQは軍隊の動員をして戦後初の戒厳令を敷いて朝鮮人による暴動を平定しました。
この戦後初の戒厳令が敷かれた朝鮮人動乱(正式名がない)事件は、日本の歴史からスッポリ抜けています。
死人も出ている事件なのに、日本の教科書には掲載されたことはありません。(日本各地で勃発しました、栃木や浅草などは戦場状態です)
逆に朝鮮民族学校の教科書には差別と弾圧として掲載され教育されています。
勿論、被害者側としてであり、立ち上がったのは国籍条項と朝鮮民族学校の廃校に対する
抗議としてであると述べています。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-748.html
参考映像
在日のタブー★朝鮮進駐軍★ Taboo of Koreans resident in Japan
http://www.youtube.com/watch?v=Eac23ZoQpDY
日本人必見 −【実話】戦後の朝鮮人との戦い
http://www.youtube.com/watch?v=gxaxPmBpaIE
http://www.youtube.com/watch?v=G4YkVY-EWKc
http://www.youtube.com/watch?v=aZ4jroWWsNc
http://www.youtube.com/watch?v=4iJZSLuy9XY
このページは以下にある削除依頼の議論を保存したものです。さらなる議論が必要な場合は当該ページのノートで行ってください。このページは編集しないでください。
議論の結果、削除 に決定しました。
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「朝鮮進駐軍」なるものをネット検索してもヒットするのはいわゆる嫌韓厨といわれる面々によるプロパガンダサイトのものばかりで、百科事典記事作成に当たって信頼に足る情報源が見当たらない。
参考文献節に列挙された文献で「朝鮮進駐軍」を表題に掲げたものはなく、全体が[1]の丸写しであり、本記事執筆のIP:122.27.1.205(会話 / 履歴 / ログ / Whois)はWikipedia:削除依頼/122.27.1.205氏による外部からの持込で対象とされた記事も同じ外部サイトから丸写ししており、IPの記事作成の傾向からして記事解説記述が参考文献節の文献を参考にして作成したとは到底考えられない。
朝鮮進駐軍を「戦後日本の混乱期において朝鮮民族が自称していた犯罪(武装)集団の名称」とあたかも在日朝鮮人全体を包含した代表組織のような定義しているが、このような事実はない。
構成員を現在日本国内に居住する朝鮮人に結びつけた定義を展開しているが、これも前述のとおり根拠不明なトートロジーに過ぎない。
「朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)」は後の在日本朝鮮人連盟の前身であると記述しているが、「在日朝鮮人連盟総本部」なる組織の存在は確認できず、これが後継組織に引き継がれたとも立証されない。
「組織では…各地域ごとに部隊名をつけ」とあるが、参考文献があると称するにも関わらず具体的な部隊を挙げていないなど、事実に関して出典による証明が無い。
当時の在日朝鮮人が暴力事件を起こし、それを進駐軍にならって例えたというような事実はあったかもしれないが、それすら出典付きで記述できていない。
そればかりか、意見・解説の類にも個々に出典は無く、{{独自研究}}状態に終始している。
朝鮮人による犯罪節と主な事件一覧節に列記した事件で朝鮮進駐軍により組織的に引き起こされたと断定されたものがない。
以上、記事全体を通じて事実であることが証明されないばかりか、あまつさえ虚偽や誹謗に類することを並べたてており、Wikipedia:削除の方針#ケース E: 百科事典的でない記事の「本文が検証可能性を満たさない内容に終始している場合」「独自の研究結果の発表」「広告またはスパム(嫌韓厨プロパガンダ)」「完全に異質な記事」に該当する。
--동아 일본 2009年12月29日 (火) 16:14 (UTC) (補筆--동아 일본2009年12月29日 (火) 16:43 (UTC))
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%89%8A%E9%99%A4%E4%BE%9D%E9%A0%BC/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%B2%E9%A7%90%E8%BB%8D
・朝鮮進駐軍-wikipedia-
http://www.youtube.com/watch?v=PGw6QB6kueo
なにやらハングル表記のお名前をお持ちの方が、たいそう無理のある強硬な削除依頼を出されて、ご自分の民族にとても都合の悪い歴史的事実をウィキペディアから削除することに成功なされたそうである。
>朝鮮進駐軍を「戦後日本の混乱期において朝鮮民族が自称していた犯罪(武装)集団の名称」とあたかも在日朝鮮人全体を包含した代表組織のような定義しているが、このような事実はない。
>構成員を現在日本国内に居住する朝鮮人に結びつけた定義を展開しているが、これも前述のとおり根拠不明なトートロジーに過ぎない。
>「朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)」は後の在日本朝鮮人連盟の前身であると記述しているが、「在日朝鮮人連盟総本部」なる組織の存在は確認できず、これが後継組織に引き継がれたとも立証されない。
削除依頼をされたハングルネームの方はそのようにおっしゃっておられる。
でもあった事はあったこと、事実は事実であるので、いくら朝鮮民族にとって都合の悪い事実であったとしても、そんなプロパガンダをすんなり鵜呑みにしてしまう事は出来ない。
その反駁に代えて、「百聞は一見にしかず」の映像を紹介しておくことにする。
(なお以下の映像の中に提示されている写真には、いわゆる朝鮮進駐軍服を着た朝鮮人と「在日朝鮮人連盟”中央”総本部」という看板が確かに確認できる)
・戦後の朝鮮人が行った悪事・朝鮮進駐軍
http://www.youtube.com/watch?v=38P1opWkYZs
「在日のタブー、朝鮮進駐軍」
※「朝鮮進駐軍(ちょうせんしんちゅうぐん)」とは。
在日朝鮮人は日本と戦争をした事実は無いにもかかわらず、終戦と同時に「朝鮮進駐軍」を自称し、日本各地において婦女暴行、暴行、略奪、警察署の襲撃、土地・建物の不法占拠、鉄道の不法乗車等、横暴の限りを尽くした。
●終戦後 「朝鮮進駐軍」武装部隊が首相官邸襲撃●
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「朝鮮進駐軍」部隊2000人による「首相官邸襲撃事件」が1946年起きた。
約2000人 の在日朝鮮人「朝鮮進駐軍」部隊が完全武装して首相官邸に突入。
日本の警官隊は当時武器の所持は禁じられていため、米軍憲兵隊に応援を頼んだ。
そこで米軍憲兵隊と「朝鮮進駐軍」との間で大銃撃戦闘へと発展した。
戦後の在日朝鮮人は、なんの国際法上の地位もないにも関わらず、勝手に自分たちを「戦勝国民である朝鮮進駐軍」であると詐称し、三万人もの武装集団となって全国主要都市に出現し暴れまくった。
在日朝鮮人集団は、武装解除された日本軍の武器と軍服を盗用して武装し、勝手に「朝鮮進駐軍」と名乗り、無差別に多くの日本人市民を殺害した。
GHQの 記録に残っているだけでも四千人以上の殺害記録が残されている。
戦後の治安が整っていない空白を良いことに、「朝鮮進駐軍」と名乗った在日朝鮮人は、土地の不法略奪、金品略奪、強姦、銀行襲撃、殺略、警察襲撃など暴れ放題の限りを尽くした。
「朝鮮進駐軍」と名乗る暴徒たちは、個々に部隊名を名乗り、各地で縄張りを作り暴れた。
これら「朝鮮進駐軍」 元締め組織が「朝鮮総連」、ヤクザなどになっていった。
国有地も、都心駅前一等地周辺も、軒並み不法占拠した。そしてそのまま、パチ ンコ屋、飲み屋、風俗店等々が出現し、そのまま彼らの土地として登記され現在に至っている。
農家、農協倉庫を襲い、貨車を襲撃、商店街、国の食料倉庫も襲い、食料や商品を根こそぎ 奪って行き、それらは全て戦後の闇市で売りさばき、暴利で財を成したのは彼らであった。
財を成したのは彼らは分派し、政治組織として社会主義、共産主義組織へと発展し、政界にも進んだ。
「朝鮮進駐軍」と名乗る在日朝鮮人暴徒たちは、通りすがりの市民に言いがかりをつけ集団暴行をはたらく。無銭飲食は当たり前、白昼に目に付いた婦女子を路上で集団強姦するなどを、日常茶飯事に繰り返した。
在日朝鮮人は「朝鮮進駐軍」部隊と名乗り、武装して、町をのし歩いた。
彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩した。
腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を振り回しては、手当たり次第に日本人を殺傷、暴行し、略奪の限りを尽くした。
通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ、無銭飲食をし、白昼の路上で婦女子にいたずらをした。
善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。
こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。
袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、肩で風を切って街をのし歩いた。
終戦後の警官が、一切の銃器の所持が許されていなかったのをよいことにして、
「おれたちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人がなにをいうか」
と、丸腰警官を殴り、ド突き回し、警備用の木刀や飾りのサーベルをヘシ曲げた。
戦後当時の「朝鮮進駐軍」は今日の朝鮮総連本部である。
【昭和26年03月22日衆議院法務委員会】
【押谷委員】
お尋ねをいたしますことは、昨朝起りました朝鮮人による米兵に対する暴行事件であります。
昨二十一日の午前三時半ごろに、浅草の千束町の朝鮮マーケット附近におきまして、六名の米兵が多数の鮮人に取囲まれまして、集団的に暴力を加えられて、一名は死亡する、二名は負傷する、自動車も破壞されるというような不祥事を起したのでありますが、わが国の講和を前に控えて、今日日本の置かれたる国際的地位などから考え、この時期を思いまするときに、まことに遺憾しごくな事件だと考えます。
終戦後の第三国人どもは本当に酷かった。軍の兵器を盗んで来たらしく、三八式歩兵銃や南部式拳銃で武装し、小銃には着剣して強盗強姦傷害恐喝脅迫不動産窃盗、時には殺人まで、経済犯、実力犯を中心にあらゆる悪事を重ねていた。
銀座、浅草、新宿は朝鮮人、新橋、渋谷は台湾人に支配され、政府も警察も動揺し、手を拱いていた。戦勝国民は治外法権だったのである。
だから食管法に限らず、戦勝国民には日本法を適用出来なかった。服部時計店や白木屋も米軍の酒歩(PX)に接収され、そこへ行けば食料に限らず物資は山ほどあった。日本人は買えなかったが。
そうした情勢に便乗し、朝鮮人は戦勝国民だの「朝鮮進駐軍」を僭称して堂々と闇商売を行い、派手に稼いでいた。
そりゃ儲かるだろう。警察の検問を竹槍日本刀を振り回して強行突破したのだから(さすがに銃撃戦は挑まなかった模様)。
当時は物不足で、売る方は素人でも出来た。
仕入れこそ難しかった。
彼等は日本人露天商を襲って商品を奪う。
それで警察が黙認して捕まえないのだから、こりゃあ損のしようが無い。
警察が襲撃されることしきりで、署長が叩きのめされたり、
捜査主任が手錠を賭けられ半殺しにされるぐらいは珍しからず。
上野で朝鮮人経営の焼肉屋へ国税局査察部が査察に行った際、大金庫を開けて手を入れた瞬間を狙って二十人ぐらいで一斉に金庫の扉を押したものだから査察官は腕を切断されてしまった。
当時は警察署が襲撃される事が珍しくなく、第三国人の襲来によって犯人を奪還された富坂警察署事件、ついでに警官が殺された渋谷警察署事件、共産党が大群で警察署を包囲し外部との連絡を遮断「攻城戦」に出た平警察署事件等、枚挙に暇有りませんでした。
東京東部(すなはち大東京の中心地)北郊の荒川、古利根−中川、江戸川、利根川流域の牛は皆いなくなった。
当時、あの辺は畜力として農耕牛を使っていたが、深夜、不良朝鮮人が侵入して来て盗み出し、河原へひいて行って屠殺した。牛はモウと言って泣いたので皆気付いたが、銃砲刀剣で武装しているので追う訳には行かなかった。
永年愛育し、慈しんで来た牛が悲しそうに泣きながらズルズル引き出され殺されるのを傍観するのは無念で耐え難かったが、手向へば殺されるのでどうにも出来なかった。
そうして利根川水系流域一帯の牛は皆、不良朝鮮人に盗まれ、殺され、闇市で売られた。
この辺へも、新聞紙に包んだ肉塊を売りに来たものだ。
上流で屠殺した牛を、そのまま下流へ売りに来たのだろう。
かくて南関東から、牛はいなくなった。
家/畜相手ならまだしも、人間に対しても、関東以西の大都市を中心に、日本中に灰神楽が立つような勢で数多犯罪を重ねた。
川崎、浜松、大阪、神戸などが酷かった。その最も著しい象徴的事例に、元文部大臣、後の首相・鳩山一郎氏に対する集団暴行・傷害事件がある。
翁が軽井沢の静養先から帰京しようとして信越本線の汽車に乗っていたら、例の「朝鮮進駐軍」が後から大勢、切符も買はず、鉄道員を突き飛ばし押入って来て、
「俺達は戦勝国民だ、おまえら被支配者の敗戦国民が座って支配者様を立たせるとは生意気だ、この車両は朝鮮進駐軍が接収するから全員立って他の車両へ移動しろ、愚図愚図するな!」と追い立てた。
それで鳩山氏が、我々はきちんと切符を買って座っているのにそりゃおかしい、と一乗客として穏やかに抗議したら、たちまち大勢飛び掛かって袋叩きにし、鳩山翁を半殺しにした。
幸にして重体にも重傷にも至らなかったが、頭部裂傷だか顔面挫傷だか忘れたが、血に塗れ腫れ上がった痛々しい顔で帰京した。
年老いた祖父を理不尽に叩きのめされて怨まぬ孫も有るまい、いかに不出来な孫にせよ。
孫共はこれを知らんのだろう。
直後に総理大臣に成る程の大物でもかくのごとし。
いわんや庶民におては 土地も屋敷も物資も操も、奪い放題であった。
闇、賭博、傷害、強盗事件が多く、ことには、空襲や疎開で一時的に空いている土地が片端から強奪された。
今、朝鮮人が駅前の一等地でパチ/ンコ屋や焼肉屋を営業しているのは、皆、あの時奪った被災者の土地だ。
それでも警察は手が出せなかった。
歴代首相大臣等が絞首刑になって行く状況で、警察ごときに何が出来よう。
ある日、警察は何月何日を以て廃止す、再び登庁するを許さず、と命ぜられれば、それ切り警察は消滅する。
七百万の大軍を擁した彼の帝国陸海軍ですら、左様にして両総長 両大臣以下、自然廃官になった。まこと敗戦は悲しからずや。
たまりかねた警察が密かにやくざに頼み込み「浜松大戦争」になった訳だが、「小戦争」は日本中に頻発した。
最後の頼みの綱は連合国軍であったが、遂にはその憲兵隊でも手に負へぬ非常事態に立ち至った。
それでさすがに米軍も腹に据えかね、日本本土全域の占領を担当していた米第八軍司令官アイケルバーガー中将が、関東と言はず関西と言はず、はたまた北九州と言はず、不良朝鮮人活動地域に正規戦闘部隊の大軍を出動させ、街頭に布陣して簡易陣地を築き、重装甲車両を並べ、人の背丈程に大きな重機関銃を構へて不良朝鮮人共にピタリと狙いをつけ、ようやく鎮圧した。我々はその火器のきらめきを間近に見た。
この時、連合軍総司令官ダグラス・マッカーサー元帥の発した布告が、
「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」
と言い声名で、これぞ「第三国人」なる語のおこりである。
だから、外国人差別用語なはずは無い。
彼等自身、マッカーサー元帥以下、一人残らず皆、外国人ではないか。
連合国軍総司令官は、日本人に対してこそ絶大な権勢を振ったが、本国や同盟国、対日理事会や極東委員会に気を使わねばならぬ外交センスの要る役職であった。
何人にもせよ、敗戦国民以外を、声名発してまで差別なんぞする筈が無い。
「第三国人」の語は、国際法に則って説いた技術的専門用語に過ぎない。
終戦後の朝鮮人の横暴は目に余るものであった。
東京のど真ん中、銀座の交番に於いてさえ、朝鮮人を注意した巡査が複数の朝鮮人の襲撃を受け裸にされ警棒を尻に突っ込まれると言う乱暴を受けた。
当時の日本警察は拳銃の携帯が許されておらず、朝鮮人の横暴を止められなかった為、政府はマッカーサーに請願した。
これを受けて述べたのが、マッカーサーの
「朝鮮人は戦勝国ではない第三者だ」と言う三国人発言である。
1950年にGHQは日本占領を終結し、解放し、実質的に戦後は終わったとされています。
その際に朝鮮人は日本籍を剥奪され、韓国籍として朝鮮に帰れと命令しました。
不要の朝鮮学校と民団総連も廃止し解散請求しました。
すると在日朝鮮人は、なにを履き違えたか
「我々は先勝国民であり日本を統治する立場だ」と叫びだし、革命を叫んで、公共施設の不法占拠し火炎瓶や武器で武装して決起したのです。
警察も拳銃で対抗し射殺された人もでました
警察では対処できなくなり、GHQは軍隊の動員をして戦後初の戒厳令を敷いて朝鮮人による暴動を平定しました。
この戦後初の戒厳令が敷かれた朝鮮人動乱(正式名がない)事件は、日本の歴史からスッポリ抜けています。
死人も出ている事件なのに、日本の教科書には掲載されたことはありません。(日本各地で勃発しました、栃木や浅草などは戦場状態です)
逆に朝鮮民族学校の教科書には差別と弾圧として掲載され教育されています。
勿論、被害者側としてであり、立ち上がったのは国籍条項と朝鮮民族学校の廃校に対する
抗議としてであると述べています。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-748.html
参考映像
在日のタブー★朝鮮進駐軍★ Taboo of Koreans resident in Japan
http://www.youtube.com/watch?v=Eac23ZoQpDY
日本人必見 −【実話】戦後の朝鮮人との戦い
http://www.youtube.com/watch?v=gxaxPmBpaIE
http://www.youtube.com/watch?v=G4YkVY-EWKc
http://www.youtube.com/watch?v=aZ4jroWWsNc
http://www.youtube.com/watch?v=4iJZSLuy9XY
それを成さなければ、反対に虚偽が「史実」と称され、事実に「虚構」の汚名を被されてしまいます。
日本は毅然として真実を主張すべきです。
その大嘘を繰り返し喧伝することで、なぜか被害者が贖罪意識に苛まれる。
そのような愚かな倒錯行為が戦後の日本では繰り返されてきました。
しかし嘘は暴かれるものですし、真実はいつか明るみに出てくるものです。そして嘘をつき真実を隠蔽しようとした連中こそが、歴史という法廷で裁きを受ける立場になります。
その法廷の被告席にあるのは、決して日本人ではなく、被害者を自称していた在日や韓国朝鮮人に違いないことは明らかに思えます。
こんな事があっていいのだろうか。日本は日本で、この事実を教科書に載せるべきだと思うんだ。朝鮮学校だってメチャメチャに日本の悪口言ってるわけですから(日本の金で日本の領土で…問題)。
なのに
ニュースやテレビで「あの忌々しい事件からちょうど何年たちました」と、聞いたことがない。
日本の歴史にはそんな残忍な事が起きたことなんて、ひとことも書かれていない。在日ワードなんてもってのほか。
ましてやWiki…!何処にこの忘れちゃあいけない事件が残るんですか!
悔しくないんですか…向こうにはあることないこと日本の悪口を歯の生え揃わない子供達に教えてるんですよ…!
この事件、これだけの問題じゃなくて、日本国民に知られたら、政治家や特権に守られた在日にとって不利な情報、歴史をもみ消しまくって、情報操作をする国になってしまいそうで怖いです。なので、二つの意味で、この事件は広めるべきだと思います。「そんな簡単に真実を消されてたまるか」と・・・
つまり彼らは異常者集団、キチガイ国家であり、常識や理性的判断を彼らに期待するのはそもそもお門違いなのです。
洗脳を受けている連中にはどこまでも冷徹に容赦なく現実を突きつけ、その人格が崩壊するまで追い詰めるよりほか、和解の手段は何もないのですね。
そのことを日本人自身が理解しておくべきです。
こうでもしなければ、彼らは民族の誇りを保てないのでしょうか?
なんだか哀れに思えてしまいますが、情けを見せると付け込まれそうですね。
私の祖父は朝鮮進駐軍でした。今年亡くなったのですが、私が幼いころ、祖父の家にいたとき、祖父の兄弟と話をしていたのをおぼえています。祖父は「朝鮮進駐軍の時はよかったなあ」といったあと、朝鮮語で祖父の兄弟と話しはじめました。私は朝鮮語がまったくわからなかったので、話している内容はわかりませんが、楽しそうでした。しばらくすると私は母に別の部屋に連れて行かれました。子供に聞かせたくない話だったのでしょう。母と祖母は祖父たちの話に腹をたてている様子でした。母は「戦ったこともないのに、何が進駐軍だ。日本の女の人にひどいことをして・・・」といっていました。当時はよくわからなかったのですが、年を経るに連れ、どうやら祖父は女性を襲った時の話をしていたようだと見当がつきました。
このことは黒く重いしこりとなってずっと私の心にのこりました。
民潭の人はよく「民族の誇り」といっていましたが、そのような非道をして、何が「民族の誇り」でしょうか。
日本では、韓国政府の管理を受けない韓国の研究者が書いた歴史研究を読むことができます。
それらのおかげで、韓国政府の作った歴史教科書が政治的ファンタジーであり、捏造と誇張の集合体であることを理解できました。
私は日本で生まれ育ったおかげでうそを刷り込まれなくて良かったと思っています。
朝鮮進駐軍は朝鮮民族の暗黒面として、ベトナム戦争での韓国軍の蛮行ともども記憶されるべきだと思います。よくもまあ韓流ブームなんていってるなあと思います。朝鮮進駐軍が非道を繰り広げているころ、インドネシアでは国が敗れてもインドネシア独立のためにたくさんの旧日本兵達が戦っていました。アジアの隣人の自由の為に戦っていたのです。それにくらべて朝鮮進駐軍の行いはなんと醜いことでしょう。
ぜひ教科書に載せるべきだと思います。
実際は、どれほど酷いこともすでに60年彼方の話であって、今現在を生きているほとんどの人には直接関係ない話なのです。
ただ、一方がもう片方を過去のことで批判し相手に贖罪を求め続ける(それによって自分の立場の道徳的優位を保持する)という不毛な応酬のなかで、それに対する反論としてこの話もあるだけのことです。
思うに、起きてしまったことそれ自体は今現在の価値観や道徳をもって判断されるべきではなく、あくまで感情を切り離した客観的事実としてだけ語られれば十分です。
それを善を称する側が悪とされる側を一方的に批判し続けるための道具として引用し使うなら、それは両者の間に新しい憎悪を再生産し続け、過去の不幸を現在の不幸へと結びつけるだけの結果になります。
それゆえ歴史において、善悪は客観的に判断定立されるべきものではありません。
なおかつ客観性を装った過去に対する善悪判断に基づいて、それとは直接関係しない今ある人や国を批判すべきではありません。
我々が批判すべきは現在における目の前の悪だけで十分なのであり、過去を断罪するような不毛で愚かな真似をすることにおそらくは何の意味もないのです。
歴史を道徳的に断罪する必要はありません。それは起きてしまった事実としてだけ記憶されていれば十分です。
そうであるならば、あるいは過去の呪縛から人間たちは解き放たれ、昨日の敵が明日の友となる世界を構築することも不可能ではなくなります。
過去への道徳的断罪は未来の平和や共感の構築を根本で邪魔します。その意味で愚かで不毛な行為だといえます。
んで、ネット上の資料は、削除、改変されやすいので、資料価値は低いと見なされています。
ですので、「朝鮮進駐軍」を取り上げた書籍、雑誌などを出典として、「○○には、こう記述されている」という形式の記事になさるのがよろしいかと。書籍、雑誌が国会図書館に蔵書されてたりするとベスト。
ただし、その際も、文章のコピペは著作権侵害案件で削除される可能性もありますから、噛み砕いて、自分の文章に修正されるか、書籍名やページ数を明記し「引用」の範囲に収まる程度の記述にしておくかしておく必要があります。
一応、補強証拠を同時に引用することを心がけていますが、できればおっしゃられるとおりの方法がベストなのでしょうね。
それさえも出来ないから削除されたんでしょ。
あなた方の主張は我田引水に過ぎない差別的極まりない事を、自覚なさい。
朝鮮進駐軍については、写真も残っていますい、何よりそれを実際に目撃した証言者がいます。
考えれば北朝鮮による拉致事件さえ、総連は嘘だと主張し続けてきたほどです。
今だってもし小泉訪朝での金正日発言がなければ、ウィキの記述だって改ざんされていたことでしょう。
ただいずれにせよ、今まで散々嘘を付き続けてきた在日が、その過去の犯罪を指摘されることに関して差別だと主張する資格はもはやないのです。
それを言うなら、自分たちがついてきた嘘を総括し反省するのが先でしょう。
不法入国を強制連行だと主張し、自主的な売春を従軍慰安婦だと喧伝し、拉致をなかったと主張してきた筋金入りの嘘つき集団。
結局、在日というのは、平気で黒を白と主張する恥知らずな人間のクズなのですね。
なおかつ嘘で日本人を貶めることに良心の呵責も感じない真の差別主義者です。
ここのサイトには、朝鮮進駐軍は存在しなかったという立場から、朝鮮進駐軍だとされる写真は捏造であるという解説がされています。
(その証拠が、写真を掲載していた朝日新聞のキャプションが「武装警官」だったということらしいのです。)
しかしながら、このいわゆる「武装警官」なる表現は朝鮮総連の施設を警備する総連自前の「私設武装警官」という意味で使われているものです。
その証拠にこのいわゆる武装警官の腰ベルトバックルには星が付いていますが、このような服装の警官が公式に存在していた事実はありません。
したがって、上記サイトにおける否定論証そのものが致命的な誤りであることは自明です。
過去の恩讐を引きずりながらの善隣友好という考えそのものが空虚なことです。
子孫の代に過去の恩讐を背負わせたくないなら、それは敵味方だった過去ごと捨てるしかありません。
しかし今現在の既得権益を守りあわよくばそれを増大させたいとも願う在日の人たちは、過去の事件を利用して日本人を心理的な劣位に置こうとし続けています。
それどころか歴史事実を捏造してまで過去のことを蒸し返し、無関係な現在の人々に理不尽極まりない謝罪と賠償を要求さえしています。
こういう性根の歪みきった、いやむしろ心の狂っている人たちと友情も共存もありえないのは自明なことなのです。
しかして、もし在日の中にも心ある人間がいるなら、真に互いの子孫の善隣友好を願うのであれば、そのような卑しく浅ましい真似をしている同胞たちを厳しく諌め、日本人社会への謝罪と融和をこそ求めるべきでしょう。
つまり在日の悪事を在日自身が暴き立てることなくしては、在日の犯してきた罪の精算はできないということです。
同時にそれは、嘘をつき日本人を屈辱し続けてきた在日の子孫が日本にいられなくなる未来をも意味します。
果たしてそれで誰が幸せになるのか、これはそういう問題です。
従軍慰安婦に強制されたというのも削除されるべきではないのか。
強制ではないという証拠はいくつもあるのに、
強制されたという裏付けの取れたものはないではないか。
無論、従軍慰安婦に関しては証拠ではなく、軍による強制の事実そのものがないので、証明ができなくてこれは当然なのです。
小学生にもデモの権利? 韓国国家人権委が驚き決定 (1/2ページ)
2010.8.4 18:49
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/100804/kor1008041852001-n1.htm
>小学生にもデモをする権利がある−。韓国で国家人権委員会の下した決定が議論を呼んでいる。
>国際的にも“デモ天国”で知られる韓国だが、さすが今回の決定に世論の大勢は「行き過ぎ」と批判的だ。
>背景には韓国版・日教組ともいうべき教員労組「全教組」による“偏向教育”があり、韓国の教育界も頭が痛い。
>国家人権委員会は金大中政権時代の2001年にできた。
>最近は「学校でのヘアスタイルや服装規制は人権侵害」と発表するなど、日常的な問題には熱心な反面、肝心の北朝鮮の人権問題には依然、冷淡といわれ、保守派の間では批判や不満が強い。
この文中に出てくる「国家人権委員会」について、「人権擁護法案」の事を連想しました。
日本はこんな風になってはいけませんね。
悪のその根源を辿って行けば、そこにはいつも赤い人達がいます。
彼ら地獄の悪魔そっくりな赤い人たちにとって、日本だけは決して許すことの出来ない不倶戴天の敵なのでしょうね。
ある意味、日本を憎む性根、これこそは国や民族の別なく隠しきれない悪魔の紋章そのものです。
彼らはかつてもいままでも、ありとあらゆる手立てを講じて日本を破壊しようと企んでいます。
(ソ連設立に始まる共産主義者たちの野望を打ち砕いた真の敵とは、結局のところ日本とアメリカでした。
彼ら赤い人達は、日本とアメリカの人的能力によって生み出され世界にばらまかれた知恵と豊かさの前に敗北したのです。
だからこそ彼らはその悪魔のような性根でなんとか日本を貶め引き釣りおろしたいと希求しています。
実際、中国は意図しようがすまいが、現実の行動としてその復讐を両国に誓っています。
なので私たちは奴らの矢面に立たないで済むように一歩引き下がって彼らの自滅を待つことにしました。
しかし今度は上手く罠に誘いこんできっちり根絶やしにします。)
一方的な洗脳知識で自信を失う国民が
多いところ、目の覚めるような切り口で
反証されていること、頭が下る思いです。
さてウィキ削除の件朝鮮進駐軍事件
とすればいいのでは?と思いますが
いかがでしょうか。
新聞にも載っているのですよね。
事件としては証明されているのでは
と思いますが。
ご存知であればご容赦ください。
扱ってます。
ですので、「事件」とすることには同意したいと考えます。
仕方ないので石でも投げつけて様子を見ていますが、まあ彼らは本当にダメな連中です。