甦れ美しい日本 第019号
発行日:6/24
□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2005年6月25日 NO.019号)
☆☆ 私たちは書きたいから書くのです ☆☆
☆・・・・───────────────────────────
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
< 目次 >
☆「GIVE ME LIBERTY OR GIVE ME DEATH」ー平沼赳夫議員の演説を聞いて思うこと
☆書評 『教養のすすめ』岡崎久彦著 青春出版社1400円+税本日発売☆
1.佐藤守コーナー 「大東亜戦争の真実を求めて」その16
2.奥山篤信コーナー ジョージ.オーウェルのnationalismとpatriotism
3.西山弘道コーナー 「カーティス教授がみた現代日本政治」(その1)
4.有馬尉彰コーナー 日本型コンピュータシステムを考える必要性-1
5.花岡信昭コーナー 野田聖子氏は本当に首相候補か
6.青葉ひかるコーナー 「国民の 魂までも 売るなかれ」
7.山崎行太郎コーナー マルクス・ケインズとフリードマン・ルーカスの哲学的差異はどこにあるか?
☆櫻チャネル
1.佐藤守が7月4日(月)の『防人の道(午後11時から12時まで)』に出演
2.奥山篤信が7月14日(木)の『国民の息吹(午後7時から8時まで)』に出演☆
☆人権擁護法案という、私たちの人権を危うくする法案を、郵政民営化法案の
ドサクサに紛れて成立させようという陰謀が渦巻いています。
6月19日の日比谷公会堂における平沼赳夫議員の演説が今回メルマガに。
この法案の恐ろしさは下記アニメを御覧ください
http://homepage2.nifty.com/save_our_rights/jinken001.swf ☆
☆戦後サヨクに毒された反日テレビに怒りを籠めて、昨年8月15日に「日本文化チャ
ンネル桜」がスカイパーフェクトTVに開局しました。日本人の魂を吹き込み、見るものに
日本人の誇りと自信を与えようと番組企画に日夜努力されています。「桜」の内容に
つきましてはHPをご覧になってください。
http://www.ch-sakura.jp/
直接お問い合わせをされる場合は下記にお願いします。
(株)日本文化チャンネル桜
〒150-0002 東京都渋谷区1−1−16 若草ビル1・2階
TEL03−6419−3900 FAX03−3407−2263
E-mail info@ch-sakura.jp
できるだけ多くの方々に視聴契約をお願いいたします。月880円の視聴料は、日本を
変える義捐金と考えてください。このチャネルが普及するとき日本は変わります。☆
☆佐藤守のブログが開設早々人気沸騰です。
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/ ☆
☆クライン孝子さまはドイツにて日本の名誉を守るべく欧州に様々な形で働きかけております。
クライン孝子さまのブログには理不尽な中国に対する憤怒の思いが篭っております。日本の情報
をリアルタイムにキャッチされ、売国奴の群れを叩き斬るご活躍には頭が下がります。
http://www2.diary.ne.jp/user/119209/☆
☆青葉ひかるのニコニコプラン2525計画推進協議会に賛同を!
http://www.2525plan.jp/ ☆
☆一般公開掲示板-BBS-
http://imbbs3.net4u.org/3/sr3_bbss.cgi?cat=10819hirakawa
☆ウェッブサイト< http://www.hirakawa-i.org >☆
平河総研会員募集中です。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
──────────────────────────・・・・・☆
--------------------------------------------------------------------------
「GIVE ME LIBERTY OR GIVE ME DEATH」ー平沼赳夫議員の演説を聞いて思うこと
--------------------------------------------------------------------------
現在、人権擁護法案が自民党内で議論されている。この法案の目的は、「人権が尊
重される社会の実現」にあるという。しかし、その実現の手段は、人権委員会が人
権侵害を行った疑いのある個人に対して「出頭要請」を行ったり、「資料提出」を求
める。さらには「立ち入り調査」まで行うというのだから驚きだ。
もはや「人権派」たちの暴走はとどまるところを知らないようである。人権擁護
という一見すると誰もが反対できないスローガンの陰に、実は「人権派」たちの恐
るべき陰謀が隠されている。この大規模な策謀がいかに邪悪かつ危険きわまりない
ものであるのか。私たちはここで人権という衣を着た怪物たちに、NOと言わなけ
ればなるまい。そうでなければ、日本はこのまま暗黒密告社会へと雪崩のように突
き進むことになりかねないからである。
6月19日日比谷公会堂で急遽第二回反対集会が開かれた。そこで反対派の中心
的存在である平沼赳夫議員の日比谷公会堂における演説内容を紹介することにした
い。
平沼議員は言う。「私ども「真の人権を守る国会議員懇談会」は、人権の大切さと
差別をなくすことは大切だという認識は、人後に落ちないと思っている。しかし、
今、出てきている法案をよくよく吟味すると、大変大きな問題を抱えている。」
三年前にも同種の問題が法案という形で出てきたが、当時は言論界やマスコミが
憲法で保障されている「言論の自由」「報道の自由」「表現の自由」の侵害だと叩き、
廃案になった経緯がある。三年たった今、また同じ内容の法案が出てきた。しかし
今回は、マスコミに関する条項を凍結するという条文になっているからマスコミは
あまり騒いでいない。おかしな話である。
平沼議員によれば、まず問題点の一つは、「人権侵害」の定義のあいまいさにある。
「根本的にいくつかの大きな問題がある。その一つは、人権侵害の定義が非常に曖
昧だということだ。人権侵害の名を借りて、その延長線上に「疑わしい」というこ
と、極端に言うと噂の類でも人権侵害になるということで、真の人権が侵害される
恐れがある。人権侵害の定義を明確にしてほしいとさんざん議論してきたが、明確
な返答がない。人権侵害と言うのであれば、具体例としてどういう人権侵害がある
か、このことに対しても明らかな事例を出してほしい、こうぶつけても、返答は返
ってこない。非常に曖昧模糊とした状況がある。」
そして平沼議員の言うもう一つの問題は、人権委員会の権限の強大さにある。「も
う一つ大きな問題は、この人権委員会というのは専門的に言うと三条委員会という
形をとっている。三条委員会というのは主脳的権限を持つ委員会であり、具体的に
言うと、公正取引委員会や泣く子も震え上がる国税庁も三条委員会だ。三条委員会
になれば立ち入り調査権まで持つし、科料を課すことも出来る。大変大きな国家権
力が、ある意味では後ろ盾になって、権力の名の下に真に守られるべき人権が侵害
される恐れがある。」
また国籍条項の欠如は、北朝鮮による拉致被害者救出運動にも悪影響を与えるこ
とが懸念される。「私は日本でまじめに定住される方に対して偏見は持っていない。
しかし私はここにブルーリボンのバッジをつけているが、拉致議連の会長でもある。
そうすると、拉致問題解決のために政治家として信念を持って、北朝鮮関連の批判
や、襟を正していただきたいということを政治家として言い、行動する場合がある。
そのときに「これは人権侵害に通じる場合がある」ということになると、政治家と
して正当な行動に制約を受ける。一般市民の方々も同じだ。」
党内の合同部会では、座長が怒号と喧騒のなかで「一任」を取り付けた格好とな
った。しかし、法務部会の平沢勝栄会長も「議論が成熟していない」と述べている。
現状ではまだ政審にもかけられていない。平沼議員はこのような状況のなかで、
「我々はまじめに問題点を追及していきたい」と語ったのであった。まことに正論
であり、自由の尊さを理解している真の政治家である。
二万人の人権擁護員による徹底調査と庶民の密告は、多くの人々にとって脅威だ
ろう。何が「人権侵害」であるのか、また今後、その恐れがあると判断する根拠は
何か、これらは未だに明らかにされていない。昨今でも政治家の発言に対する「言
葉狩り」が横行する中で、よりいっそう「言いにくい」状況が形成され、必要な言
論が閉ざされることになりはしないか。
三条委員会とは、国家行政組織法第3条第2項で規定される委員会であり、政府
からは一定の独立を保った機関だとされている。人権委員会が国税庁と同等の強大
な権限を持てば、世の中の「差別」や「人権侵害」を楯に、「人権派」に反対する人々
を次々と摘発することになるだろう。フランス革命の悪夢の再来である。政治は言
葉によって動く。その言葉に制約をかける動きは政治の衰退を招くことになりかね
ない。
小泉政権は「税金の無駄遣い」を減らそうと必死のようだが、その一方で『人権
利権』に群がる二万人の人権委員を新たに抱えるというのだから、何という矛盾だ
ろうか。
最後に『死』に代えても尊い『自由』、パトリック.ヘンリーの『自由を、しからず
んば死を』(March 23, 1775)の言葉を噛みしめている。
間 一根(あいだ かずね);
1981年、東京都生まれ。國學院大學法学部卒業。
同大学院法学研究科博士課程前期在学。
専攻は現代政治、政策過程論。
ブログ「間政論」http://green.ap.teacup.com/politicalscience/
-------------------------------------
☆本日発売☆
書評 『教養のすすめ』岡崎久彦著 青春出版社
-------------------------------------
僕たちが逆立ちしても、追いつかない人物勝海舟、西郷隆盛、福沢諭吉、陸奥宗光、
安岡正篤について、彼らが如何にして並外れた教養をつけたかについて、岡崎氏が、
自身の漢籍の教養を以て、尊敬と愛情をこめて書かれています。
現在、IT社会の中で僕たちは、簡単に世界中のあらゆる分野の情報を得られます。
つまり知識などは明治の頃と比べて格段にアクセスできるのです。しかし、そうだ
としても、彼らが今僕たちの前に現われたとき、僕たちは彼らを圧倒できるでしょ
うか。絶対にできません。僕たちの頭にある知識とかインターネットで拾える知識
などは、単なる手段であり、それを用いる人間が優れた知と徳と体を持ち合わせて
いないと所詮薄っぺらなものに過ぎず、危機に対処できる大きな器にはなりえない
ということです。
兎に角この人物たちの学ぶことに対する並はずれた集中力は、単に努力だけで達成
できない、もって生まれた才能といえます。あの明治維新にはこの人物に匹敵する
大人物が同時に全国で輩出したということは、まさに日本が植民地化されることな
く今日を享受している奇蹟といえましょう。
戦後、自由平等という名のもとに,教育のレヴェルを最下位にあわせる(運動会の
ゴールインを手をつないで行わしめるような)ことにより、いわゆる国家エリート
が育たない環境が、逆に現在の政財官の体たらくとモラルの欠如を齎したといえま
す。日本もあらゆる分野、特に国家を運営する政治家、官僚エリートを育てる教育
を考えねばならないと思います。
本物の大物は天賦の才能は当然ありますが、自分を磨き上げる筆舌に尽くしがたい
忍耐と克己とストイシズムがあったということです。
『終章あとがきにかえて』はとても感銘深い纏めであり、日本が誇るべき、こうい
う偉人の姿を若い人に触れて欲しいという岡崎氏の強い願いがこもっています。
奥山篤信:
昭和45年京都大学工学部建築学科卒
昭和47年東京大学経済学部卒
三菱商事本社入社
一貫して海外畑
6年余にわたる米国三菱ニューヨーク本店勤務を経て
平成12年退社
コンサルタント会社ストラテジーズ設立
勉強会『平河サロン』主宰
平河総合戦略研究所代表理事
-------------------------------------
1.佐藤守コーナー
「大東亜戦争の真実を求めて」 その16
-------------------------------------
同時にこの『国民政府を相手にせず』という近衛声明直後に、別の『日華全面和
平工作』が松井石根大将の委託によって民間人・茅野長知氏、松本蔵次氏らによって
行われていたのだが、実現寸前まで進んだとき、松本重治同盟通信社上海支局長が
介入して交渉は頓挫する。仲介の労をとっていた茅野老が、上海で中国側の要人・
賈存得(孔祥熙行政院長の恩人の息子で孔院長の意を体し、日華和平工作に奔走し
ていた人物だといわれている)との会見を待っている時、以前から近衛首相と親交
があり日華和平交渉を試みているといわれていた松本重治氏と偶然出会い、「交渉経
過を打ち明けた」のである。後に「松本氏と会った日が『運命の日』だった」と茅
野老は回想している(「大東亜戦争とスターリンの謀略」三田村武夫著)。
ところが松本重治氏の著作「上海時代・・・ジャーナリストの回想(下)」には、茅
野老と出会う場面は出てこない。彼の意図は不明だが、国民政府の亜州司長・高
宗武と組んで別途汪兆銘との工作に取り組んでいた松本重治氏に取っては、成功
させたくない工作だったからではなかろうか?
松本重治氏は高宗武を連れて板垣陸相に会い『中国側には全然戦意がない』と告
げ、他方中国政府には全く正反対に『日本側に戦意なし、徹底抗戦すれば日本側は
無条件で停戦、撤兵する』と秘密電報を打つのである。
話が逸れるが、松本重治氏はいわゆる「南京大虐殺」事件にも関与している。彼は
「南京占領」を無意味な軍事行動だと見ていたが、「上海派遣軍は、最初の2個師に9
月10日の3個師の増援を得て、長い苦戦の後、やっと上海周辺を掃討すると、敵
が大スピードで総退却するので、自然と追撃戦となってしまったのであった。これ
は当初の上海派遣軍の意図するところ以上の戦争となってしまったのである」と書
いているが、その中に「柳川兵団の進撃が早いのは、将兵の間に『略奪・強姦勝手放
題』という暗黙の了解があるからだ」という、柳川兵団に従軍していた同盟記者達の
噂話を信じ、南京占領後の「慰霊祭」で、松井石根最高司令官が突如「お前達は、せっ
かく皇威を輝かしたのに、一部の兵の暴行によって、一挙にして、皇威を落として
しまった」と泣きながら部下を叱責したのを見て「松井さん、よくやったなあ」と感動
して「日本軍名誉回復の一助として」松井大将の訓戒のニュースを世界に発信したと
いう。その後、彼の記事が上海の「ノース・チャイナ・デイリーニュース」など各英字
紙に掲載された、と得意げに書き、「日本軍の恥ずべき暴行・・・、は絶えず私の心を
痛めた」と書いている。しかしこれはおかしい。彼は自らが発信した松井司令官の
慰霊祭での「部下に対する叱責」の“具体的内容”を自ら調査した形跡が全く無い。
しかも彼自身が、『虐殺現場』を見たとは言っていない。全てが同僚などからの伝聞
である。
そして「ジャキノ(神父の)難民区で共に働いたティンバレー君が総局事務所にや
ってきて「『中国における日本軍の残虐行為』なる書物を編集、発行することになっ
た」と報告されたとしている。そして「南京大虐殺報道」が一人歩きを始めるや、
本多勝一氏の「中国の旅」、洞富雄早大教授の「南京事件」、鈴木明氏の「南京大虐殺の
まぼろし」など、その手の著作で事実を知り、「心苦しさを覚えつつも通読したが、
事件の正確な全貌はなかなかつかめなかった」というのだから、彼が目撃した事実
はないことを証明している。「だからといって私は反論をしようとは思わない」など
と言っているが、この頃、浅海一男・東京日日新聞社会部記者も南京へ進撃中の部
隊に従軍していて、彼が当時『士気高揚?』のため『“百人斬競争”写真』という題
で掲載したフィクション記事が、戦後南京の法廷に提出されて向井・野田両少尉が
処刑された。そしてこれを掲載した当該新聞社は未だに責任をとろうとしないのだ
が、ジャーナリスト達の無責任さを示す例として大変興味深い。
ところで、当時若干三十歳台であった松本重治氏が取り組んでいたという汪兆銘
を中心にした新政権構想の方はどうであったか。
昭和13年春、高宗武が密かに来日、松本氏の斡旋で近衛内閣も直接この工作に
関わり、松本氏が親しい犬養健、西園寺公一などが参加、勿論尾崎秀美も「都度情
報を入手し意見を求められていた」と証言している。
汪兆銘が重慶を脱出してハノイに着いた時点で近衛と共同声明を出す予定にな
っていたのだが、“手違い”で「反共、和平」の通電となる。この時、当然のことだが
松本氏は香港にいて中国側要人たちと協議を重ね、ハノイに飛んだ高宗武とも連絡
を取り合って工作を推進していたのであった。この間の彼の『工作』については、
上記『上海時代(下)』(中公新書)に詳しいから、一読をお勧めする。
その後近衛内閣総辞職に伴い汪兆銘工作は平沼内閣に引き継がれ、紆余曲折を経
て昭和15年11月30日に日本政府が「新国民政府」として正式承認し、日華間に条
約が成立するのだが、蒋介石は重慶を脱出した汪兆銘を「反逆者」に指定して逮捕命
令を出していたのである。
三田村氏は「日本の軍および政府首脳部に真の具眼の士がいたならば、中国から
反逆者として逮捕命令を発せられた汪兆銘を、おそらく(交渉)相手としなかった
であろう」と述べているが全く同感である。
尾崎やゾルゲのような筋金入りの「コミンテルン要員」は別にしても、国家の命運
をかけた重大問題を「峻別」すべき立場にある者達が、己の出世欲やしがらみで視野
狭窄症に陥り、敵の情報員に利用され、大局的判断を誤ったことが悔やまれてなら
ない。真に「和平」を望みながらの活動であったにせよ、結果的に利敵行為となった
ことを真摯に反省しなければならないが、現在の日中関係にもこの教訓は全く生か
されていない様に思う。 (続く)
佐藤守:
防衛大航空工学科卒(第7期生)。
航空自衛隊に入隊
戦闘機パイロット(総飛行時間3800時間).
外務省国連局軍縮室に出向。三沢・松島基地司令、
南西航空混成団司令(沖縄)を歴任.平成9年退官.
岡崎研究所特別研究員.軍事評論家.
日本文化チャンネル「桜」軍事コメンテーター.
著書に「国際軍事関係論」
ブログ;http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/
-------------------------------------
2.奥山篤信コーナー
ジョージ.オーウェルのnationalismとpatriotism
------------------------------------
僕が何故かかるテーマに論文を書こうと思った背景は、ある若者の会のブログに日
本の国家観の喪失について簡単なコメントをしたところ、ある青年より,国家の定義
が曖昧だとしてイギリスの作家ジョージオーウェル(1903−1950)の”Notes
on Nationalism”を読むようにとコメントされ、負けず嫌いの僕は、自分に鞭打ち
ながら、この英語論文と悪戦苦闘することとなったからだ。
僕も青春時代オーウェルの“Animal Farm”とか”1984”を読んだ記憶はある。当時
戦後民主主義教育を受けた僕は、反ファッシズムとか反全体主義の文脈の中でオー
ウェルの教訓を読み取ったものだ。
今回オーウェルの経歴を整理してみたが、かなり思想的に遍歴のあったようだ。ま
ずビルマで警官をしていた当時はアナーキスト、1930年代には社会に疑問を感
じ社会主義者、ただドグマティックなものを忌み嫌い、自由と正義を指針とするも
のであった。その後スペイン内乱に共和国軍側にトロッキストとして義勇兵で従軍
するのだが、ここでスターリニストの社会主義ドグマの齎す恐ろしさを目の当たり
に見て、アナーキストへの傾倒を深め、スペイン内乱を題材に『カタロニア賛歌
(Homage to Catalonia”』を書く。
そして国家やその国家が故の指導者の危険性を明確に打ち出し、ソ連を徹底批判し
た“1984”に至るのである。その間、彼は資本主義の行き着く先はファッシズ
ムである、イギリスのインド政策とヒトラーと何処が違うのかなど逡巡もあったよ
うだ。彼を冷静な理論家として位置づけるべきではなく、自由を愛する人間味溢れ
る政治的作家として捉えるべきであろう。だから彼の思想の変遷がそこにあるわけ
だ。
ただオーウェルは完全に国家を否定したものではなく自由(freedom)を維持するも
のとしてのある形の国家は認めていたようである。いみじくも彼の『2足す2が4
であることが自由に言えることが自由なのであり、それさえ国家が与えれば良いの
だ』が彼の言う自由の原点を示すのではなかろうか。
それで本題に戻るとして彼の定義するnationalismとpatriotismについて;
“nationalism”:自分を一つの国家とかユニットにidentifyし、その国家意志が
善であろうが悪であろうが、それの国益を推し進めるもの。
“patriotism”;自分が世界で一番と信じる場所や生活様式に捧げる、だがそれを
他人に強制することはしない。どちらかといえば軍事的にも文化的にも防御的なも
のであり、nationalismが必然的に齎す権力への渇望という要素がない。
僕はこのオーウェルの定義はあのナチズムや共産主義が席捲した時代としては説得
力があると思う。特にヨーロッパのように色々な民族や宗教が入り乱れ、そこにユ
ダヤやイスラムとのキリスト教の問題などある場合、共産主義やナチスドイツが陥
った極端な国家主義が個人のpatriotismとしての自由を剥奪してしまうという現
実に、即ち自由を愛するオーウェルの国家罪悪論=アナーキズムがあてはまるから
だ。
では現代日本はどうだろうか。ここで僕たちが忘れてはならない日本の特性は、日
本は古今東西稀なるhomogeneousな社会であり、2665年(皇紀)間、天皇を頂点とす
る秩序が、先祖の努力により概ね平和で文化的に維持された世界に比類なき国であ
ることだ。
僕は、homogeneousな日本人にとっては、オーウェルの言うところのnationalism
はpatriotismにそのまま置き換えてよいのではないかと考えている。世界には色々
な国家があり、その大義名分はそれぞれの国家の国柄であるように。
最後に、地球市民とか世界は一つとかいう、日本独自の造語がある。戦後日本は国
家権力を悪として安易な人権平和主義、性善説を過信した結果が拉致問題の放置、
領土感覚の希薄などを齎した。まさにその日本ならではの空想楽観主義からくる造
語にすぎないのである。
あのグローバリズムを唱える人工国家アメリカでさえも忠誠を誓うべき、確たる星
条旗があり国家があるということ、国家という現実がなければ世界は逆に混乱と無
秩序に陥ることこそが歴史の教訓であると認識すべきだ。ボーダーレス社会の到来
は避けがたいが、それはあくまでも経済の手段、情報世界の問題であり、断じて国
家存続の問題であってはならない。
僕たちは戦後自虐主義で喪失した国家、それは世界に比類のない平和で伝統あふれ
る日本国家というものを甦らせ、個性と品格ある国家として、平和な世界秩序のた
め、国際社会で名誉ある地位を獲得しなければならない。そのためには、地球市民
ではなく、国民一人ひとりが日本人のidentity を持つことが大切なのだ。
奥山篤信:
昭和45年京都大学工学部建築学科卒
昭和47年東京大学経済学部卒
三菱商事本社入社
一貫して海外畑
6年余にわたる米国三菱ニューヨーク本店勤務を経て
平成12年退社
コンサルタント会社ストラテジーズ設立
勉強会『平河サロン』主宰
平河総合戦略研究所代表理事
-------------------------------------
3.西山 弘道
「カーティス教授がみた現代日本政治」(その1)
-------------------------------------
今年3月、現代日本政治の研究者であるジェラルド・カーティス米コロンビア大
教授の話を聞く機会があった。カーティス教授は「代議士の誕生」の著書もあり、
長年日本政治を分析してきた碩学である。55年体制に詳しかった教授が今の小泉
永田町政治をどう見ているか興味があった。話は期待通り大いに参考になるもので
あった。以下、カーティス教授の話を中心に現代永田町政治を論考してみよう。
カーティス教授の名著「代議士の誕生」が出版されたのは昭和40年だった。周
知のように本は、佐藤文生自民党代議士(故人)の初選挙運動に密着して自民党の
地方から中央に至る権力構造を分析したものである。昭和40年といえば自社2大
政党の55年体制華やかなりし頃であった。カーティス教授は55年体制時代の特徴
をinformal coordination,非公式調整、(別名「癒着」)と
指摘した。55年体制が終わった今は、この非公式調整のシステムが崩壊し、新たな
システムが生まれつつあるという。
私はこの「非公式調整・癒着」という教授の言葉より、「腹芸」、或いは「談合」
という言葉の方が、より実態を表していると思う。自社55年体制でよく言われた
のは、公式・表の世界では対立しながら、非公式・裏の世界では際限なく妥協して
いく自社両党の談合=「国対政治」であった。昼は国会で自民党にあくまで抵抗す
るポーズをとりながら、夜は赤坂の料亭で自民党のタダ酒を飲ましてもらう社会党
議員、或いは賭け麻雀で自民党がわざと負け、カネをせしめる社会党幹部の実態が
伝えられていた。政権獲得を早くから断念していた社会党は、自民党の一党支配を
許す代わりに、「裏の国対政治」の世界で党の延命を図っていた。95年、村山自社
さ内閣が成立した時、世間はアッと驚いたが、実はその底流には自社の長期にわた
る裏の談合的つながりがあったのであり、自社両党幹部にとって連立には全く違和
感はなかったのである。
カーティス教授のいう非公式調整は、政界ばかりでなく経済界、官界、マスコミ
にも存在していた。「談合は必要悪」といわれるほど談合体質は現在でも経済界に根
強くあり、そもそもかつてあって今は存在が薄い「財界」というものも業界を取り
仕切るという意味で「談合」機関であったろう。官界然り、マスコミでも最近の「N
HK問題」は、NHK幹部がウラで自民党議員に「陳情」するという「非公式調整」
そのものであった。
非公式調整=談合、腹芸は人間と人間の「本音」の世界のコミュニュケーション
であり、「大人」の世界の人脈のさばき方である。子供や若者には通用しない。fo
rmal公式な場が多かった日本では、「本音と建前」の使い分けは恐らく武士の時
代から延々続いている「大人の人間の知恵」であったろう。特に建前ばかりが多い
政治の世界では、本音の人間関係がシステムをうまく動かす知恵であった。
自民党の「国対政治」でこんな有名な話がある。亡くなった梶山静六さんが国対
委員長の時代、あるエリート官僚出身の若手代議士が国対委員になり、梶山委員長
のところへ、「こんな大事な仕事を任せられ、どうすればいいですか」と聞きにきた。
すると梶山氏は「お前、歌の30曲位すぐ覚えろ」といい、その若手代議士はキョ
トンとしたという。その頃は赤坂の料亭華やかなりし頃で、各党国対族は料亭の後
で必ず歌を唄わされ、なるほど30曲位知らなければ場が持たなかったという。
「理屈」より「情」という永田町政治の実態を梶山氏は教えたかったのだろう。
本音の人間関係をつかむ─これは我々マスコミ・政治記者の場合も同様であった。
政治記者になった初め、先輩記者から言われたことは「政策の勉強なんかしなくて
もいい。まず人脈をつかめ」ということだった。政策で日本の政治は動いていない、
人脈で動いている─これは一面真実であった。たとえば、ある政策について当該役
所の担当官僚に話を聞きに行った。その官僚は「建前」の役所の政策を滔々と喋っ
た。ところが、その後の彼の行動はその政策と全く異なる行動をとっていた。最初、
私は彼の行動がわからなかった。しかし、その後彼の周囲を調べていくうちにハタ
っとわかった。彼はその政策に反対する、ある自民党幹部の娘婿だった。(官僚の閨
閥つくりが何と多いことか!)
政治を取材するということは、「建前・理屈」の政策だけではなく、その政策を
立案する政治家・官僚の人間関係までとことん調べなければ、奥底までわからな
いということだ。それから政治記者新米の私は、毎晩夜寝るとき「国会議員便覧」
を熟読して政治家の人間関係を頭に叩き込んだ。
しかし、こういった「非公式調整」の時代は55年体制終了とともに幕を閉じた。
どう変わったか次号で論考したいと思う。
西山弘道:
昭和44年早稲田大学政治経済学部卒業後、
文化放送入社以来、放送記者として30余年、
ニュースの現場を踏む。
平成5年報道部長。兼ニュースキャスターとして
「西山弘道の世の中朝一番」なfどの番組で活躍。
また政治記者として、田中内閣以降の「永田町戦国史」
をウォッチ。
現在、文化放送編成局次長。
-------------------------------------
4.有馬尉彰コーナー
日本型コンピュータシステムを考える必要性-1
-------------------------------------
今日のコンピュータ社会では、ほとんどのコンピュータが、ネットワークで結ば
れてきているため、一たび問題がおきれば、被害も大きい。最近の米国 大手カー
ド会社の顧客情報流出事件は今日のインターネットシステムの欠陥を物語っている。
現在のインターネット社会では、おそらく、どんなに手をこうじても完全にセキュ
アなシステムを作ることは、難しいだろう。なぜならば、今日のネットワークを支
えるTCP/IPのプロトコルは、全てのリンクも異なるネットワークを超えてコミュ
ニケーションを容易に実行することを実現した優れものであるからである。
もし、高度なセキュリテイを実現するとするならば、現在のインターネットシス
テムとことなるものを開発する必要があると、いわざる得ない。日本でもその目的
で優れた開発が進められている。「e-TRON」である。
デジタル情報は情報の品質を全く劣化させずに内容を複製でき、また、改変する
ことも出来る。しかし玄関の鍵は、特定の扉を開け閉めできる物理的実態をもった
小さな金属である。e-TRONは、この物理実体をデジタル情報の中に組み込もうと
している。いわば、電子的実体である。e-TRONのeは、entity(実体)のeであ
る。
さて、TRONとは何か。今、世界中のコンピュータの種類のなかで、一番多い
ものと問えば、誰もが、パソコンと答えると思う。しかし、パソコンは、全体の2%
でしかない。実際はそのほとんどが、クルマや、テレビ、エアコン、冷蔵庫、そし
て、ケイタイなどである。つまり、高度に進み生活に密着した時、技術は見えなく
なる。私は技術のtransparencyといっている。
このコンピュータを東大の坂村健教授は「組み込み型コンピュータ」といってい
る。2003年に、パソコンの三倍以上出荷された優れたコンピュータといえば、それ
はケイタイであるということが出来るであろう。ケイタイは、インターネットに接
続でき、デジカメとして使え、メールをやり取りできる。なぜこの様な機能をもつ
ことが出来るのかといえば、内蔵するコンピュータが、極めて小さく、高性能であ
るからだ。しかも、それが、もし高齢者であれば、店頭で1円で買えるのである。
このコンピュータを動かしているOS(基本作動システム)は、何であろうか。
コンピュータであるというならばもしかして、ウィンドウズかと思われる向きもあ
るかもしれない。それこそ、坂村教授の開発した日本のTRONである。
TRONとは、The Real time Operating system Nucleus リアルタイムでコン
ピュータを動かす基本ソフトということが出来るであろう。
他の組み込み型コンピュータもそうだが、立ち上げるのにほとんど時間を要しない。
そのあたりがウィンドウズと違うところである。ウィンドウズは近年Xpのように
OSが大きくなるにつれて、ますます立ち上げの時間を要するようになってきた。
と同時にあまりに大きくて従来のPCでは入らないという不便も出てきたのである。
ケイタイは、坂村教授のいう「どこでもコンピュータ」そして最近希望を持って
語られることの多い「ユビキタス社会」ユビキタスコンピューテイングの世界を実現する最も有
力なツールといえるであろう。
PCがコンピュータのごく一部でしかないとすれば、今日から、未来にかけてあ
らゆるモノの中にコンピュータが入るだろうという坂村教授の20年以上も前の予
言は確実に実現しつつある。それを実現した技術が、小さなコンピュータを作ると
いうことである。
現在、愛知万博で利用されている日立の開発した、RFID(IC無線タグ)は、
なんと0.4ミリ角のチップで、その中に、メモリ、アンテナ、プロセッサと3つ
の機能が入っている。安く、小さくの実現が、入場券の中にコンピュータを入れる
ことを実現した。
今や、コンピュータを内蔵したモノがあふれだしつつある。モノが、インテリジ
ェンスを持ちつつあるのである。 (続く) 2005/06/23
有馬 尉彰;
昭和41年学習院大学経済学部卒業
東急電鉄勤務を経てi-HITS副社長など歴任
インターネットイニシアテイブ(IIJ)顧問他 政府関係委員多数
立教大学大学院講師 武蔵工業大学講師 前慶応義塾大講師など
著書に「マルチメデイアオムニバス」(東洋経済新報社)他
-------------------------------------
5.花岡信昭コーナー
野田聖子氏は本当に首相候補か
-------------------------------------
「ポスト小泉」論議が高まりつつあるが、候補の顔触れの中に野田聖子氏が登場
する。これになんともいえぬ違和感を抱いている。たしかに、「華」のある女性議員
ではある。祖父は著名な議員で、血筋もいい。だが、本当に首相候補たりえるのか
どうか。
6歳下の参院議員、鶴保庸介氏と結婚し、子づくりに励んだものの、卵管閉塞で
かなわず、体外受精に挑戦した。これが成功して、まもなく受精卵を胎内に戻すの
だという。「私は、産みたい」という著書が話題になった。
野田氏はいま44歳。少子化時代にあって「美談」であるようにも映る。だが、
あえていえば、体外受精は1回40万円ほどかかる。経済的事情から断念している
女性も多いのだ。体外受精の前には注射で排卵時間をコントロールする方法に挑み、
国会を脱け出して注射を打ちに病院へ通ったという。
以上の事情について、判断は避けよう。子供がほしいという気持ちは純粋なもの
に違いないからだ。野田氏は45歳になる9月まで不妊治療を続け、その後は政治
家としての仕事を優先させるという。
別の観点から野田氏を考えよう。首相候補と目されるに至ったのは、野中広務氏
や古賀誠氏の推挙による。日中関係の打開をはかる狙いで加藤紘一氏らと訪中した。
郵政民営化反対派の急先鋒でもある。つまりは、「反小泉」勢力のキャンペーンガー
ル(といったら失礼か)の位置付けにあるのだ。
もっといえば、絶大な人気を誇る安倍晋三氏が「小泉路線継承」を旗印に登場し
た場合、反小泉派が安倍氏に対抗できる候補として一致して推す可能性があるのが
野田氏ということになるらしい。
となると、なんのことはない。反小泉派の人材難を自ら露呈しているようなもの
ではないか。
サッチャーを尊敬するという野田氏だが、どういう国家観を持ち、国家像を描い
ているのか、定かではない。加藤氏らとの訪中というのも、いかにもうさんくさい。
対中宥和策が叫ばれる中、親中派のヒロインに祭り上げられたりしたら、ポスト小
泉論議はいよいよおかしなことになる。
花岡信昭:
政治ジャーナリスト、慶應義塾大学院・国士舘大学院非常勤講師、
読売新聞監査委員会審査委員。
1969年早大政経学部政治学科卒、
産経新聞入社、政治部長、論説副委員長などを経て2002年退社、評論活動に入る。
著書に「小泉純一郎は日本を救えるか」(PHP)など
-------------------------------------
6.青葉ひかるコーナー
「国民の 魂までも 売るなかれ」
-------------------------------------
新たな戦没者追悼施設建設に「日本遺族会」が反対しているのは当たり前のことで
すよね。
ですから、遺族が望まない、遺族も行かない追悼施設を創ることに何の意味がある
のでしょうか。戦後、占領軍が靖国神社を潰すことになりかねなかったので、緊急
措置として一宗教施設という位置付けにして靖国神社自体が神社を守ってきたとい
うのが歴史的事実ですから、今までもこれからも靖国神社は立派な国の追悼施設な
のです。
それなのに、中国や韓国から、脅迫や脅しがあるからといって、無駄以外のなにも
のでもない魂の入っていない新たな追悼施設を創るなんて言い出す外務官僚や政治
家さんはいつになったら覚醒するのでしょうか。
どうぞ死者達の視線を認識してください。
それに、いったい宗教性を排除した施設とは何なのでしょうか。
人はそこに英霊を信じるから祈るのですから、こういう宗教性を持たない施設に
人々は何を拠りどころに行くのでしょうか。
霊験あらたかに厳かに振舞い祈ること自体、宗教心ですから、宗教性のない施設を
要するということは、当然「祈る」気持ちや行為は認めないわけですから、ロック
やジャズを流したり、日々谷公園のような集会施設にしたりするんでしょうか。
宗教性があってはいけないわけですから、博物館や美術館のようにただ眺めるだけ
なのでしょうね。
ああ、何と恥かしいことでしょう。諸外国からお客様がいらした時にも、「中国と韓
国から苦情をいわれたので、新しく建てたのです」って言うのですね。
日本語を話すわたくし達は、日本人という集まりであり、その全体が日本という国
ですよね。その国のために命をかけ、命を落とした方々は靖国神社を想い、散って
いきました。
涙なしでは読めない多くの先人達の悲しい感動の手紙。
特攻隊は勿論のこと、さまざまな形で戦死した多くの方々の魂を犠牲にさせないた
めにも、後世のわたくし達は日本を大切にしなければならないのです。中国や韓国
に魂までも売ってはいけないのです。
そもそも、過去のある時代には生きていなかった現代の人間が、その時代の人々の
思いや境遇を想像することはしても、現代人の感覚や知識でその時代の出来事の善
し悪しを判断することなどしてはいけないことではないでしょうか。
たったひとつ明らかなことは、「戦争があった」という事実だけなのです。
ですから、その事実を批難してもはじまらないことでしょう。
当時は、さまざまな選択肢の中からやむを得ず決したことだったに違いありません。
善悪という基準で考えるしろものでもないということでもありましょう。
「殺すか殺されるか」が戦争ですから。
アメリカに負けた日本はとっくに、過去を水に流しています。そして、必至で戦後
復興をしました。
それに比べて近隣諸国である中国と韓国は、他国の慰霊に対しても「分祀しろ」な
んぞと仰々しく迫ってきます。日本人が言わねば「分祀」の意味なども本来わから
ぬ外国人に言われて、近隣諸国を代弁している嘆かわしい政治家。
「政権をとったら、新追悼施設を是非実現させたい。」などと得意げに宣う軽薄な政
治家の自国の歴史への無責任発言は、「いつになっても政権はとれません。」とわざ
わざ披露しているに等しいのです。
なぜなら、良識ある国民の多くは、まだそれほどお馬鹿さんではないからです。
危機のため、必至に身をゆだねた青年達がいた、日本人にとって宝といってもいい
若者達がいた、国家を守るために命を捨てた崇高な人々がいたという事実を思うこ
とこそが、大切なことです。
「後を頼む」と言いつつ散っていった方々への感謝の気持ちを抱き、この日本をい
つまでも繁栄させ、相手国の狡猾な恫喝に屈しないことこそが、先人へ報いること
でしょう。
自国を守れなければ、例えば「もし、ソ連に侵攻されていれば」(北方領土は戦後侵
攻されたままですが)ということを考えただけでも、空恐ろしい現実だったでしょ
うに。国を守ってくださった方々への感謝を子供達にいかに伝えていくのかを政治
家や官僚も考えるべきでしょう。
「国」こそ守るべきものであるということを、教えられなかった戦後世代ですが、
今後はもう少し考える教育があるべきですよね。
余りにも誇りなき売国奴が増殖しすぎましたから。
「親切」や「善意」だけではなく命がけで守る「国家」を考えたり、教えたりする
ことを忘れた結果が、現在のおかしな政治家や官僚を育てました。
今生きている人間の気持ちなんぞは、彼等の無念さ不本意さからみれば、どれほど
のものでもないのですから、軽々しく「新たな施設」なんぞと論じないでください
よ、おかしな方向へこの国を導き、崩していく売国奴さん達!。
(05・06・23)
青葉ひかる;
三重県出身
早稲田大学卒
元日本航空(株)勤務
評論家
2525計画推進協議会(2525プラン)会長
http://www.2525plan.jp/
ラジオ日本(1422kHz)
「青葉ひかるのガンバレ日本」
毎週(土)16:50〜17:00放送
------------------------------------
7.山崎行太郎コーナー
マルクス・ケインズとフリードマン・ルーカスの哲学的差異はどこにあるか?
-------------------------------------
ルーカス批判の哲学的核心はどこにあるのか。それは一言で言えば、「合理主義的
人間観」とでも呼ぶべき楽観主義的な人間存在論にあると思われる。つまり常に合
理的に行動する人間は、合理的な判断や予測と矛盾するような、無意識的な自暴自
棄的行動はとらないだろう、という人間観である。私は、ここに、マルクス・ケイ
ンズとフリードマン・ルーカスの哲学的差異が隠されていると思う。
マルクスやケインズは、人間における無意識とでも呼ぶべき「不可知領域」を重視
していた。意識を超えた無意識の行動の領域の重視である。意識を超えた自然への
畏怖である。しかし、フリードマン・ルーカスには無意識というものへの視点も畏
怖もない。それがいかにも「アメリカ的」と言うほかはない。アメリカ以外の場所
ではそういう楽観主義はなりたたない。アメリカにドストエフスキーやニーチェの
文学や哲学が定着しない理由である。
それは哲学的に言えば関係論的思考と実体論的思考の相違と言い換えてもよい。そ
れが経済学的には「需要重視の経済学」と「供給重視の経済学」の違いとなって現
れる。人間は、常に合理的行動をとるはずだというのがフリードマン・やルーカス
であり、いや、人間と言うものは、知っていることと行うことは一致しない、常に
非合理主義的な行動をとる、というのがマルクスやケインズである。
言うまでもなく、ルーカスの「合理的期待仮説」は、「合理主義的人間観」の上に
成立している。つまり、経済主体としての人間は、政府の経済政策に(たとえばケ
インズ主義的な総需要拡大政策…)容易には騙されない、というわけである。言い
換えれば、ケインズ主義的な総需要拡大政策は、「騙される人間(消費者)」の存
在を前提にしている。総需要拡大政策とは、一種の「騙しのテクニック」である。
擬似的な景気回復としての総需要拡大政策によって一時的に景気が回復したかに見
える。その時、消費者や企業は、それが擬似的な景気回復だと合理的に判断し、消
費や投資を抑制し続けるか。それともその擬似的景気回復に誘導されて消費や投資
に走るか。私は、おそらく多くの経済主体が、その擬似景気回復に幻惑されて消費
と投資に向かうと思う。そこにケインズ主義の秘密があるが、それに対して、ルー
カスの「合理的期待仮説」は、経済主体としての人間や企業は決してその種の擬似
的景気回復に騙されない、ということを経済学的な前提にしている。
たとえば、これを経済行動の分野に適用すれば、景気がよくなると予測すればそれ
に対応した楽観的な消費と支出を繰り返すが、景気が悪くなると予測すれば、「買
い控え」や「貯蓄」へ向かうというわけだ。現に、現在の日本の経済状況を見れば
それがかなりの確率で正しいとわかるかもしれない。主にマスコミ情報やアカデミ
ズム情報を通して、リストラや倒産が予測される現在、日本の消費者や企業は、貯
蓄や余剰資金があるにもかかわらず消費したり設備投資したりしようとしない。こ
こに景気回復がすすまない大きな要因があることは言うまでもない。
しかし、マスコミやアカデミズムが垂れ流す情報や予測に間違いはないのか。もし
消費者や企業が、間違った情報や予測を盲信し、それに基づいて経済行動を選択す
るとすれば、それこそ非合理ではないのか。たとえば「中国ビジネス」を宣伝する
マスコミと、そのマスコミ情報に乗せられて中国に進出した企業の経済行動は、合
理的なのか。
たびたび「景気回復の兆し」が政府側から発表さされるが、誰もそれを信じようと
しない。なぜか。それは、消費者の多くが、過去の経験則にあわせて、つまりさま
ざまなデータを元にした合理的な判断によって、それが正しい予測だとは考えない
からだ。しかしたまたま、いつもは間違ってばかりいる(?)政府発表の経済予測
が、その時だけは、正しかったとすれば…。消費者や企業は正しい合理的な経済行
動を選択するのか。
人間という存在は本質的に騙される動物である。
小林秀雄は『ヒットラーと悪魔』というエッセイで、こう書いている。
《もっとはっきり、彼(ヒットラー)は世界観を美辞麗句と言わずに、大きな嘘と
呼ぶ。大衆はみんな嘘つきだ。が、小さな嘘しかつけないから、お互いに小さな嘘
には警戒心が強いだけだ。大きな嘘となれば、これは別問題だ。彼等には恥ずかし
くて、とてもつく勇気のないような大嘘を、彼等が真に受けるのは、極く自然な道
理である。…と。》
(『ケインズとマルクスの同一性と差異性』続く)
山崎行太郎;
文藝評論家
昭和47年慶応義塾大学大学院(哲学専攻)修了
東京工業大学講師を経て現在、埼玉大学講師、
日大芸術学部講師。
著書『小林秀雄とベルグソン』(彩流社)『小説三島由紀夫事件』(四谷ラウンド)
その他。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/
http://yamazakikoutarou.gooside.com/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
巻末までお付き合い頂き、ありがとうございます。
次回の配信は、7月1日(金)を予定しております。どうぞお楽しみに!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
登録内容(メールアドレス等)の変更、メールニュース配信の停止は、
こちらからお願いします。
<http://www.melma.com/mag/12/m00133212//>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
有限責任中間法人 平河総合戦略研究所< http://www.hirakawa-i.org >
発信元:< info@hirakawa-i.org >
掲載された記事を許可無く転載することを禁じます
Copyright(c)2005 Hirakawa Institute
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
最新の記事
-
甦れ美しい日本 第790号
12/19
-
甦れ美しい日本 第789号
12/18
-
甦れ美しい日本 第788号
12/17
-
甦れ美しい日本 第788号
12/16
-
甦れ美しい日本 第787号
12/15
このメルマガもおすすめ
-
Japan on the Globe 国際派日本人養成講座
- 最終発行日:
- 2010/12/19
- 読者数:
- 12720人
日本に元気と良識を。歴史・文化・政治・外交など、多方面の教養を毎週一話完結型でお届けします。3万8千部突破!
-
月刊アカシックレコード
- 最終発行日:
- 2010/12/07
- 読者数:
- 18579人
02年W杯サッカー韓国戦の「誤審」を世界で唯一「前日」に誌上予測し、誤審報道を「常識化」した推理作家が、政官財界の分析にも進出し、宣伝費ゼロで読者19,000人を獲得。2009年9月から月刊化。
-
宮崎正弘の国際ニュース・早読み
- 最終発行日:
- 2010/12/18
- 読者数:
- 17326人
評論家の宮崎正弘が独自の情報網を駆使して世界のニュースの舞台裏を分析
-
頂門の一針
- 最終発行日:
- 2010/12/19
- 読者数:
- 4750人
急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。
-
花岡信昭メールマガジン
- 最終発行日:
- 2010/12/19
- 読者数:
- 6328人
政治ジャーナリスト・花岡信昭が独自の視点で激動の政治を分析・考察します。ときにあちこち飛びます。
発行者プロフィール
- 2005/12/28
- 2005/12/22
- 2005/12/16
- 2005/12/8
- 2005/12/2
- 2005/11/25
- 2005/11/18
- 2005/11/11
- 2005/11/8
- 2005/11/4
- 2005/10/28
- 2005/10/25
- 2005/10/21
- 2005/10/14
- 2005/10/7
- 2005/9/30
- 2005/9/23
- 2005/9/21
- 2005/9/16
- 2005/9/13
- 2005/9/8
- 2005/9/2
- 2005/8/25
- 2005/8/19
- 2005/8/12
- 2005/8/5
- 2005/7/29
- 2005/7/22
- 2005/7/15
- 2005/7/8
- 2005/7/1
- 2005/6/24
- 2005/6/17
- 2005/6/10
- 2005/6/3
- 2005/5/27
- 2005/5/20
- 2005/5/13
- 2005/5/6
- 2005/4/28
- 2005/4/22
- 2005/4/15
- 2005/4/8
- 2005/4/1
- 2005/3/25
- 2005/3/18
- 2005/3/18
- 2005/3/11
- 2005/3/4
- 2005/2/25
- 2005/2/18