話を戻すと、NHK杯での真央さんは、不調だったかも知れないが、それは広い視野で見た場合、さらなる成長を果たすための過程に過ぎなかったと思っている。それはジャンプに例えるなら、より高く跳ぶために、一瞬身体を沈み込ませたようなものだ。だから、そこだけを抜き取って見ると後退に見えるのだけれど、広い目で見ると、前進の一過程となっているのである。
そういうわけで、ぼくは真央さんがNHK杯で身体を沈み込ませた後、いつ、どのようにジャンプするのかを見極めようと、パリにまで取材に来たのだった。
ただ、ぼく自身の見立てでは、そのジャンプの時期はもう少し先になるのではないかと予測していた。それは、名古屋での身体の沈み込ませ方が大きかったので、そこから反転するには、もうちょっと時間が必要じゃないかと思っていたからだ。
ところが、ショートプログラム前の真央さんの練習を見たぼくは、驚いた。前述したように、ほとんど失敗がなかったのである。それどころか、以前にテレビで見たことのある、独特の何とも言えない風情を漂わせていた。彼女は、その独特の貫禄を漂わせていたのである。
それは、アクセルジャンプの練習において現れた。おそらく、良くも悪くもトリプルアクセルが、真央さんの象徴の一つなのだろう。彼女もそのことは意識していて、だから、自分の調子を見極める基準の一つとして、トリプルアクセルをどう跳ぶかということを、とらえているように感じた。
そんなアクセルジャンプを練習する彼女の姿には、ある特徴があった。跳ぶ瞬間に、「スパッ」と何かを斬るような音が聞こえるのだ。但しこれは、実際にそういう音が聞こえるというわけではない。比喩的な意味で、そういう音が聞こえるような印象を受けるのである。彼女のジャンプは、跳ぶまさにその瞬間に、まるでマンガの吹き出しのように、「スパッ」という音が聞こえてくるかのように見えるのだ。
真央さんのジャンプはなぜ音が聞こえるのか
おそらくそれは、彼女のジャンプに入る前のモーションに理由があるのだと思う。非常にゆっくりして見えるのだ。また、跳ぶ直前に一拍間が空く。ぼくが想像しているよりちょっとだけ、遅れてジャンプするのだ。つまり、想像以上に「ため」ているのである。
また、それに反比例するように、ジャンプは切れ味が鋭い。それは瞬く間のできごとだ。その一連の動きは、まるでゆっくりと小動物に忍び寄った猫が、あっと思った瞬間にはもうそれを鋭い爪でとらえていたかのようである。こちらが想像していなかったタイミングで瞬時にパッと動くから、スパッという音が聞こえたかのように感じられるのだ。
これは、非常に興味深い現象だと思った。というのも、例えば野球でも、ゆっくりスイングしているように見えたバッターの打球がホームランになる時があり、あるいは競泳では、一番優雅に(ゆっくりと)泳いでいるように見えた選手が、一番初めにゴールする時があった。
そういう、モーションがゆっくり見えた時こそ、逆に動きが鋭いという現象はままあるのだが、この時の真央さんのジャンプは、ぼくの目にはそのようなものの一つに映って見えたのである。
おかげでというわけではないだろうが、練習後の記者席には、「真央さんが優勝するのではないか」といった雰囲気が広がった。けっしてひいき目ではなく、それほど好調だったし、真央さん自身も、後に「この日の練習は調子が良かった」と語っていた。
だからぼくは、名古屋で身体を沈み込ませた彼女が、ぼくの読みとは違って、もう少し早く、このパリでジャンプをするのかとも思ったのだが、しかしながら、そうはならなかった。彼女は、ショートプログラムの本番では、出だしのジャンプでミスをすると、その後は少し崩れてしまって、7位という結果に終わったのだ。