「なぜ浅田真央はぼくの胸を打つのか」

なぜ浅田真央はぼくの胸を打つのか

2010年12月20日(月)

パリで浅田真央さんは「私はスケートが好きなんです」と言った

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 この仕事が始まって以来、ぼくが周囲の親しい人たちに「真央さんの本を書くことになった」と告げると、その度に言われてきたのが「彼女は調子が悪いみたいですね」「名古屋では残念でした」といった言葉だった。それらはもちろん、先だって行われたNHK杯で何度か転倒し、彼女自身としてはこれまでで一番低い8位という順位に甘んじたことを指しての言葉だったのだろうが、しかしその都度、ぼくはこんなふうに答えていた。

 「いや、実はぼくはそうは見ていないんです。むしろ、NHK杯のあの転倒によって、真央さんのすごさをあらためて実感したところです」

 NHK杯の真央さんを、ぼくはすごいと思いながら見ていた。いやむしろ、そういう思いしか湧きあがってこなかった。それは、今回の取材をするにあたって、あらかじめ真央さんのマネージャーさんと打合せをさせて頂いたのだが、その際に、フィギュアスケートに関する、ある興味深いお話を聞いていたからだ。

 「フィギュアスケートというのは、近くで見ているとすごく残酷なスポーツだというのが分かります。それは、『転ぶ』ということと背中合わせにあるからです。転ぶということは、普通の人でさえ恥ずかしいこと。それを選手は、多くの人の見ている中でしなければならないのです」

 そう聞いて、ぼくはハッとさせられた。確かに、「転ぶ」というのは、人間にとって原初的な「恥」につながるものだ。誰でも、人前で転ぶと顔から火が出るほど恥ずかしい。居たたまれなくなる。特にフィギュアスケートの場合には、恥ずかしいだけではなく減点にもつながってしまう。これほど残酷なことは、確かにあまりないだろう。

 そういう、フィギュアスケートにおける「転ぶ」ことの意味を聞いていたから、名古屋での真央さんには、かえって驚かされたのだ。彼女は、もちろん転ぶことを前提に滑っていたわけではないだろうが、しかしその可能性が少なくない中で滑っていたことは確かだった。今この状態で試合に出れば、転倒するかも知れないというのは十分に分かっていた。

観客席で練習を見つめる岩崎夏海さん

 しかしそれでも、彼女は試合に出場した。そうして、転んだ。何度も転んだ。しかしその度、立ち上がって、最後まで滑り続けた。ショートプログラムもフリーも、最後まで滑り、最後まで挑戦をやめなかった。

 彼女は、覚悟していたのである。転ぶことを受け入れていたのだ。
 真央さんとて、人間だ。恥じらいは、当たり前のようにあるだろう。しかし彼女は、それを押してもなお、転んだ。

 なぜか?
 それは、自身の成長のためには、今それが必要だと感じていたからではないだろうか。今ここで転んでおくことが、後の成長を促してくれることを知っていたからではないだろうか。短期的には後退と見えることが、長期的には前進を促すことを、彼女は分かっていて、それで今、転ぶことを選択したからではないだろうか。

 しかしそれは、分かっていたとしてもなかなかできることではなかった。人は、どうしたって目の前の嫌なことを避けようとする。そこから逃げ出してしまおうとする。

ぼくから見た真央さんは

 しかし浅田さんは、逃げなかった。覚悟を決め、最後まで滑りきったのだ。
 その意味で、ぼくにとってのNHK杯は、浅田さんが大きな前進を成し遂げた大会にしか見えなかった。他の何にも見えなかった。8位という順位は、ほとんど問題ではなかった。真央さん本人や関係者の方々は、また別の受け取り方をされたかも知れないが、少なくともぼくには、そういうふうに見えたのである。

 そうしてぼくは、その見方に自信があった。
 ぼくは、これまでの42年の人生をかけて、ほとんど一つのことを習得することに専念してきた。
 その一つのこととは、「ものを見る目を養う」ということだ。「何が価値あるものなのか」を見極める目を持つというのが、ぼくの人生の大きな目標の一つだった。

 そうして、そのための修練を、これまで積んできたのである。その達成には、もちろんまだまだ遠いのだけれど、しかしそれでも、かなりのところにまで来たという自負はある。ものの価値を見定めることも、最近ではいくらかできるようになってきた。余談だが、『もしドラ』という本は、「200万部は売れるだろう」という予測のもとに書いた。先日、それが現実のこととなったというのは、ぼくの見方がそう間違っていなかったということの、一つの現れだと思っている。





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著者プロフィール

岩崎 夏海(いわさき・なつみ)

岩崎 夏海作家。1968年(昭和43年)東京都生まれ。東京芸術大学美術学部建築科卒。放送作家等を経て、09年、小説『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(通称『もしドラ』・ダイヤモンド社)を執筆。ベストセラーになる。また近著には、『甲子園だけが高校野球ではない』(廣済堂出版)。『もしドラ』は、電子書籍、オーディオブック、マンガ、アニメ、映画など、さまざまなメディアへと展開。また11年には、3冊の本を出すことが予定されている。テレビ番組の制作などをする株式会社吉田正樹事務所に所属し、お笑い学校の講師など、執筆以外の活動にも取り組んでいる。


このコラムについて

なぜ浅田真央はぼくの胸を打つのか

200万部に迫るベストセラー、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』の著者である岩崎夏海氏が、国民的人気者であるフィギュアスケート選手の浅田真央さんの人間像に迫るドキュメンタリー。大会の取材やインタビューを通じて、これまで焦点が当てられてこなかった人となりや魅力を探る。

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