この仕事が始まって以来、ぼくが周囲の親しい人たちに「真央さんの本を書くことになった」と告げると、その度に言われてきたのが「彼女は調子が悪いみたいですね」「名古屋では残念でした」といった言葉だった。それらはもちろん、先だって行われたNHK杯で何度か転倒し、彼女自身としてはこれまでで一番低い8位という順位に甘んじたことを指しての言葉だったのだろうが、しかしその都度、ぼくはこんなふうに答えていた。
「いや、実はぼくはそうは見ていないんです。むしろ、NHK杯のあの転倒によって、真央さんのすごさをあらためて実感したところです」
NHK杯の真央さんを、ぼくはすごいと思いながら見ていた。いやむしろ、そういう思いしか湧きあがってこなかった。それは、今回の取材をするにあたって、あらかじめ真央さんのマネージャーさんと打合せをさせて頂いたのだが、その際に、フィギュアスケートに関する、ある興味深いお話を聞いていたからだ。
「フィギュアスケートというのは、近くで見ているとすごく残酷なスポーツだというのが分かります。それは、『転ぶ』ということと背中合わせにあるからです。転ぶということは、普通の人でさえ恥ずかしいこと。それを選手は、多くの人の見ている中でしなければならないのです」
そう聞いて、ぼくはハッとさせられた。確かに、「転ぶ」というのは、人間にとって原初的な「恥」につながるものだ。誰でも、人前で転ぶと顔から火が出るほど恥ずかしい。居たたまれなくなる。特にフィギュアスケートの場合には、恥ずかしいだけではなく減点にもつながってしまう。これほど残酷なことは、確かにあまりないだろう。
そういう、フィギュアスケートにおける「転ぶ」ことの意味を聞いていたから、名古屋での真央さんには、かえって驚かされたのだ。彼女は、もちろん転ぶことを前提に滑っていたわけではないだろうが、しかしその可能性が少なくない中で滑っていたことは確かだった。今この状態で試合に出れば、転倒するかも知れないというのは十分に分かっていた。
しかしそれでも、彼女は試合に出場した。そうして、転んだ。何度も転んだ。しかしその度、立ち上がって、最後まで滑り続けた。ショートプログラムもフリーも、最後まで滑り、最後まで挑戦をやめなかった。
彼女は、覚悟していたのである。転ぶことを受け入れていたのだ。
真央さんとて、人間だ。恥じらいは、当たり前のようにあるだろう。しかし彼女は、それを押してもなお、転んだ。
なぜか?
それは、自身の成長のためには、今それが必要だと感じていたからではないだろうか。今ここで転んでおくことが、後の成長を促してくれることを知っていたからではないだろうか。短期的には後退と見えることが、長期的には前進を促すことを、彼女は分かっていて、それで今、転ぶことを選択したからではないだろうか。
しかしそれは、分かっていたとしてもなかなかできることではなかった。人は、どうしたって目の前の嫌なことを避けようとする。そこから逃げ出してしまおうとする。
ぼくから見た真央さんは
しかし浅田さんは、逃げなかった。覚悟を決め、最後まで滑りきったのだ。
その意味で、ぼくにとってのNHK杯は、浅田さんが大きな前進を成し遂げた大会にしか見えなかった。他の何にも見えなかった。8位という順位は、ほとんど問題ではなかった。真央さん本人や関係者の方々は、また別の受け取り方をされたかも知れないが、少なくともぼくには、そういうふうに見えたのである。
そうしてぼくは、その見方に自信があった。
ぼくは、これまでの42年の人生をかけて、ほとんど一つのことを習得することに専念してきた。
その一つのこととは、「ものを見る目を養う」ということだ。「何が価値あるものなのか」を見極める目を持つというのが、ぼくの人生の大きな目標の一つだった。
そうして、そのための修練を、これまで積んできたのである。その達成には、もちろんまだまだ遠いのだけれど、しかしそれでも、かなりのところにまで来たという自負はある。ものの価値を見定めることも、最近ではいくらかできるようになってきた。余談だが、『もしドラ』という本は、「200万部は売れるだろう」という予測のもとに書いた。先日、それが現実のこととなったというのは、ぼくの見方がそう間違っていなかったということの、一つの現れだと思っている。