その後、バンクーバーオリンピックが開催された。ぼくは、予備知識をほとんど持たないままに生中継を見たのだが、フィギュアスケートは日中に放送していたので、ショートプログラムもフリーも、会社のテレビで見た。
そこでぼくは、思わず叫んだ。
「すごい!」
当時、一緒に見ていた同僚が証人になってくれると思うのだが、ぼくはショートプログラムもフリーの時も、真央さんの番となると画面に釘付けになり、滑ってる間はすごいすごいと連発しながら、その演技に夢中になっていた。
そうして、フリーが終わり、真央さんの天を見上げる顔が大写しになった瞬間、ぼくは心を貫かれた。
「これは……」
真央さんは、喜びと悲しみ、希望と絶望がない交ぜになった、何とも言えない表情で天を見上げていた。やがて視線を下に落とすと、やれやれといった表情で両の手を腰に当て、リンクの中央に大儀そうに移動すると、観客の声援に笑顔で応えたのだった。
その一挙手一投足に、何とも言えない風情が漂っていた。その佇まいに、何とも言えない貫禄が備わっていた。真央さんのその顔は、心の深いところにまで降りていき、そこにあるものを見聞きしてきた人間のそれだった。その過程で、人間としての見栄や体面といったものが全て削ぎ落とされ、魂が剥き出しになった時の、作り物ではない、本当の顔だった。
それでぼくは、年来の疑問が少しだけ解けたことを知ったのだった。
「ぼくは、浅田真央さんに人間の本当の顔を見たのだ。その顔に興味を持ち、なぜそうした顔ができるのかを知りたいと思った。だから、興味を抱いたのだ」
その後、前述したようにさまざまな方々のご協力、ご厚意があり、浅田真央さんの本を書かせて頂くこととなった。
その取材の手始めとして、名古屋でのNHK杯(10月22〜24日)を観戦した。また今回、パリでのエリック・ボンパール杯(11月26日〜28日)を取材し、その取材記を、ここに書かせて頂くことになった。
スケート選手が「転ぶ」ということの意味
前置きが長くなったが、ここからがパリの浅田真央さん取材記である。
ぼくは、ショートプログラムが開催された日、つまり2010年11月26日の金曜日に、エリック・ボンパール杯が行われたパリのベルシー体育館へと赴いた。
このベルシーというところは、パリ中心部からは地下鉄で15分ほど下ったところにあり、東京でいえば汐留みたいな場所だった。近隣には古い建物と新しい建物が混在し、ビレッジと呼ばれるSOHOのような商店街もあって、パリの中では比較的新しい街区であるらしい。ベルシー体育館も、そんな街区にぴったりの、ちょっと近未来を思わせる、デザイン性に富んだ建物だった。
会場に入ると、ちょうど男子の練習が始まったところだった。まず目についたのは、スタンドの正面に陣取っていたフランスの子供たちだ。おそらく、見学か何かで近所の小学校から招かれたのだろう。彼らが無邪気な声援を送っていたおかげで、会場は自然、和やかな雰囲気に包み込まれていた。
そうした中で、いよいよ女子の練習が始まった。いよいよ、真央さんの登場である。ぼくは、非常な興味を持って彼女の練習を見守った。すると、滑り始めた彼女を見てまず思ったのは、その表情が明るいということだった。滑りも、ミスらしいミスが一つもなかった。この日の練習中、彼女は終始気持ち良さそうに滑っていた。