玄関の引き戸には「忌中」の紙が張られていた。古びた赤い郵便受けには、手書きで夫婦の名が見える。ツルの飛来地として知られる山口県周南市。山里の一軒家で弘さん(65)=仮名=は一人、冬を迎えていた。11月7日に寝たきりだった妻が61歳で亡くなったが、みとることはできなかった。
「この1年半、会えちょらんのよ。面倒見たんならあきらめもつくけんど……」。家の前に座り、土をいじる。弘さんの両目から涙がこぼれていた。
09年5月15日午前2時過ぎ、弘さんは寝ていた妻の首を包丁で二度、三度と刺した。そして自らの首も。妻の介護に苦しみ、心中するつもりだった。しかし、死にきれず、自ら警察に通報した。軽傷。殺人未遂容疑で逮捕された警察署で「殺した」はずの妻も軽傷だったことを知った。
妻が脳梗塞(こうそく)を患ったのは94年。2年後に脳出血を起こし、生死の境をさまよう。一命は取り留めたが、言語障害と寝たきりの体が残った。
弘さんの介護生活が始まった。食事を作り、風呂に入れ、排せつの世話をする……。当時50歳。介護のために会社を辞めた。
「好きになって嫁に来てもらった。女房の守りはわしがやる」。そう覚悟した。すべてを背負い、13年がんばってきた。
市の措置で県内の介護施設に入所した妻は厳罰を望まず、地域住民からは減軽嘆願書が出された。事件から4カ月後、裁判員裁判で山口地裁は懲役3年、保護観察付き執行猶予4年の判決を下した。
刑は確定した。妻が暮らす施設は自宅から車で約30分の距離。でも、弘さんは会いに行かなかった。代わりに面会に出向いた弘さんの姉に、妻は「何しとる?」と弘さんのことを何度も聞いたという。
妻が息を引き取った翌日。「面倒見てやりたくて」と一昼夜、棺(ひつぎ)に寄り添った。「あんなことして簡単に顔を合わせられん」。深い悔恨と、みとれなかった悲しみがにじむ。
「執行猶予が終わったら行けるかもしれない」。そんな淡い期待も、かなうことはない。
今も朝3時に起き、仏壇に供えた花の水を替える。朝食を作り、遺影に「ご飯できたよ」と語りかける。記者が訪ねた日はカレーライスが置かれていた。
あの夜、介護で疲れ果てて横になった弘さんは、未明に目を覚ました。「頭が真っ白になっていた」。事件直前の自らの状態をこう表現し、介護漬けの日々を振り返った。【夫彰子】=つづく
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「再生へのシグナル」第2部は、限界に達した介護の現状を問い、新たな取り組みを追う。
毎日新聞 2010年12月19日 西部朝刊