「疑わしきは被告人の利益に」。法廷で弁護側が再三繰り返したのがこの言葉だった。自分が裁判員だったら、どう判断するのか。常にそう考え法廷を見つめたが、最後まで有罪と確信することはできなかった。
指紋やDNAが被告と一致したと主張する検察側。公判では、大学の講義のようにモニターを使って説明した。基礎から分かる映像を見せられ、目の前で実際に鑑定をされたりすると、その精度が分かったような気になった。「一致するのは世界中で被告だけ」。鑑定人がそう断言すると「間違いないのでは」と思ったりもした。
被告は家具職人として19歳で上京し、約50年ぶりに鹿児島に帰郷した。姉夫婦と同居して近所の内装工事をしたりして過ごしていた。ただ、金遣いが荒く、事件前に3日間で年金をパチンコや飲み代に使い果たし、起業するためにした借金も散財していたという。
裁判員へのアピール力という点で、私の目には弁護側に勝ったように映った検察側だが、主張には多くの疑問も残った。「どのように逃走したのか」「強盗目的だったはずなのに、なぜ室内に現金が残っていたのか」。真犯人しか知り得ない「真相」に、検察側は踏み込まず、解明されないままだった。
刑事裁判では、合理的な疑いを差し挟む余地がない程度まで検察側が立証することが必要といわれる。私の疑問が「合理的な疑い」とまで言えるかは分からないが、自分の判断が1人の命を奪うことになるかもしれないと考えると、「死刑」と断じる気にはならなかった。
「被告人は無罪」。主文を読み上げる裁判長の声が法廷に響くと、遺族の一人は顔をゆがめて涙をぬぐった。公判で「死刑にしてほしい」と声を詰まらせながら訴えた姿を思い出す。平穏に暮らしていた両親を惨殺され、「犯人」だと思っていた被告が全面否認した。悲しみや怒りは当然だし、被告が無罪となれば、その気持ちが行き場をなくしてしまうことも理解できた。
「判決の通りです」。判決後の会見は、裁判員たちが一様に言葉少なだったのが印象的だった。「遺族の方には申し訳ないが、証拠が不十分だった」。今回の判決が、事件に真剣に向き合い、悩み苦しんだ末の結論だったことは想像に難くない。遺族には残酷な結論となったが、私には裁判員の気持ちも理解できた。【川島紘一】
2010年12月11日