イチロー選手の球宴MVP獲得というのは明るいニュースでした。それは、単に史上初のランニングホームランであるとか、三安打ということではなく、明らかに勝利を呼び込むリーダーシップを発揮した文句なしのスーパースターの誕生を意味したからです。この夜、背番号51は異能の才人から、MLBを代表し、MLBを引っ張るリーダーの番号になりました。
イチローがベンチに退いて後も、リードを守らないとイチローのMVPが消えてしまう、そんな危機感からアメリカンリーグの大スターたちが、攻守にわたって必死のプレーを繰り広げていました。野球における理想的なリーダーシップが輝いた、そんな試合でした。数年前にMLBについて語った新書を刊行した際に「日本人選手がリーダーシップを取るべき」と書いたところ「そんな話は聞いたことがない」と多くの人に言われたのを思うと隔世の感があります。
5年契約でのマリナーズ残留も決まったイチローですが、今回のMVP授賞式で司会をしていたFOXのジニー・ゼラスコが式に際して口を滑らせたように、よほど深刻なアクシデントでもない限り「殿堂入り」というのは既成事実になっているようです。そんな中、MLBというスポーツのジャンルは益々日本ではビジネスの可能性が広がるでしょうし、アメリカにおける日本野球への視線は更に真剣なものとなるでしょう。
つまり、イチローが一段上の世界に入っていくということは、日米の野球という文化がより一層深い形で相互乗り入れをしてゆくことになるのだと思います。具体的にはMLBというコンテンツがより国際化した付加価値を獲得してゆくという面と、その国際化したMLBがより深く国際市場に入ってゆくという動きになっていくのだと思います。また、日本のプロ野球ないしアマ野球に対しても、アメリカからの関心が深まってゆくのに合わせて、コンテンツの発信ということがもっと広がっていって良いのではないでしょうか。
ですが、MLBの国際化ということでは、まだまだ動きが鈍いように思います。例えば、今回のMVPの授賞式ですが、今一つピリッとした感じがありませんでした。司会のゼラスコは明らかに日本の視聴者を意識していて「今は Good evening. かしら? それともGood morning? それって、オハヨウ?」というような聞きかたをイチローに対してしていたのですが、通訳を介したコミュニケーションでは「時差があるので、日本では今は夜か昼か?」というゼラスコの意図は完全に落ちてしまって、イチローとの問答では、単に現地サンフランシスコが夜ということから、「『コンバンハ』ですね」というトンチンカンな答えになっています。
また、ゼラスコはイチローに対して「将来の殿堂入り」という可能性、そして「今回の勝利によって手にした開幕権」を行使するかどうか、という遠回しの言い方で、マリナーズがワールド・シリーズに進出する可能性を聞いています。こちらの方はコミュニケーションのミスにはなっていませんでしたが、結果的にレトリックを駆使して場を盛り上げようとしたゼラスコのテクニックは、通訳を介したことで機能せず、言葉のやりとりとしては夢の舞台にしては貧困な結果に終わっています。
ただ、イチロー本人の頭の回転と、何よりも素晴らしい笑顔が場を救っていたのでMVP授賞式としては良かったと思います。イチローの笑顔は、WBCの時以上の素晴らしい表情で、成熟と成功の重なりあった輝きを放っていたからです。それはともかく、史上初の日本人の球宴MVPという「事態」に対して、日本の視聴者を意識したゼラスコの機転がうまく機能しなかったというのは褒められたことではありません。 それは通訳の責任でもないでしょう。球団が用意する通訳というのは、個人的な場でのコミュニケーションのプロであっても、セレモニー的な場でのレトリックにアドリブの機転というのを求めるのは酷だからです。
私はこの試合の5回の表が終わって、イチローの奇跡的な逆転ツーラン・ランニング・ホームランというプレーが、このまま試合が推移した場合は「球宴MVP」になるという可能性が出た時点で、FOXスポーツはコミッショナー事務局と、MVP授与式というコンテンツを「日本でも注目される」ことを踏まえて国際的なセレモニーになるよう(決して派手にそうせよというのではなく、ただ細かな配慮を利かすという意味で)演出をしっかりするべきだったと思うのです。
滑稽だったのは、副賞のクルマ贈呈のシーンでした。GM(ゼネラル・モータース)のシボレー部門が今回の球宴のスポンサーになっていて、MVPの副賞にはタホという巨大SUVのハイブリッド車が贈られることになっていたのです。その「タホ・ハイブリッド」のキーを、イチローは決して礼を逸したわけではなく、礼儀正しく神妙に受け取っていたのですが、決してエキサイトはしていませんでした。私はそれで良かったと思うのですが、プレゼンターのシボレーの役員は贈呈に際して、いかに素晴らしいクルマかを演説しながらだんだん声が上ずっていったのです。
とにかく決してエキサイトしないイチローを見て、とっさにこの役員は「しまった。 ハイブリッドの本場から来たイチローに、アメリカ製の巨大ハイブリッドを贈っても喜ばれないのは当然かもしれない……」と思ったのかもしれません。声は上ずり、原稿にあったのかどうか知りませんが「シボレー部門と全国のシボレーのディーラーを代表して、このクルマを貴殿に進呈することは名誉に思います」うんぬんというバカ丁寧なセリフも出てしまっていました。
ちなみに、この「タホ・ハイブリッド」というクルマについては、日本勢の持っている特許にはできるだけ抵触しないように開発したそうで、V8エンジンを必要に応じてV4にしたり、二基搭載しているモータをオン/オフさせて燃費低減を図るなど、それほど捨てたものではないのですから、ハイブリッドの「本場」である愛知県出身のイチローに対してであっても、もっと堂々と贈呈しても良かったのではと思います。
とにかくこの場については、イチローが何も言わずにニコニコ礼儀正しくしていただけで「シボレーのハイブリッド」の宣伝としては不自然なムードが漂ってしまったのです。まあ何とも微妙な要素の絡んだ現象としか言いようがありませんが、これも、MLBというコンテンツがインターナショナルなものになっているのに、MVPの副賞にはアメリカ国内向けのスポンサー選定をしてしまった結果と言えるでしょう。
私は日頃から、余りにも日本人選手中心の、それも「静的な個人記録数字」に偏った日本のMLB報道には疑問を持ってきました。そのために、自分でも機会があるたびに発言をしようともしています。また、日本人選手中心の日本のメディアの姿勢に関しては、アメリカでも有名で、イチローや松坂、あるいは「ハンカチ王子」を追いかけて殺到する報道陣のことは、良く取り上げられ、時には批判もされています。
ですが、このMVP授賞式の半端な演出を見ていて、私は日本国内でMLBが正当に報道されていない、あるいはコンテンツの魅力が伝わり切っていない、という問題に関しては、アメリカ側の努力不足もあるのではないか、そう思ったのです。MLBの何が面白いのか、何が人を惹きつけてやまないのか、そうした点については、過去の歴史や膨大なエピソードをもっともっと分かりやすく、日本市場に対して訴えるべきでしょう。
またMLBが国際化に向けて変わらなくてはならないということも言えると思います。最初に手を付けるべきなのは、MLB名物の子供じみた「乱闘」騒ぎでしょう。イチロー選手に関して言えば、オールスター直前のアスレチックス戦で、ホームインした直後にベンチへ引き揚げようとした際に、転がったボールを追っていた相手の投手と交錯したというアクシデントがありました。
これに対して、マリナーズの一部の選手が「俺達の宝であるイチロー様にケガをさせる気か」とエキサイトして両軍がにらみ合い、一触即発の危険な事態になったのです。事を重く見た審判は、何を血迷ったのか「元凶はイチローにあるのだから、最初にベンチから飛び出した真犯人が自首しなかったらイチローを退場にするゾ」と脅し、マクラーレン監督は「この日一番出場の可能性の薄い」選手を身代わりに差し出しすと、その選手が退場になるという奇妙な事態に発展しました。
イチロー選手は終始トラブルの外にいて、試合後に一連の事件のことを「分からない」と表現して距離感を示していました。これはこれで、イチロー選手らしいと思います。「そうか、そんなイチャモンをつけるならオレを退場にしろ」と「暴言」を吐いて胸を張って出て行けば面白かった、ふとそんなことも思いましたが、イチロー選手のキャラクターはそんなガキ大将的なものではないですし、とにかくこうした「乱闘文化」というローカルなバカバカしいものは、根絶すべきなのだと思います。MLBを国際化するということは、そうしたことも含まれます。
薬物疑惑の問題で選手会の圧力がまだ強く、疑惑の究明が不徹底に終わっていることも、同じように国際的な視点から見れば「まだまだ」だと言えるでしょう。MLBの国際化というと、日本のプロ野球が衰退するのでは、とか、日本を通り越して中国市場を狙っているというイメージで、「万能の強者」がアジアを荒らしてゆくようなイメージを持ちがちです。ですが、実体としてはMLBというのは、まだまだ北米ローカルの文化にとらわれており、その結果として国際化への脱皮が十分ではないのです。
考えてみれば、日本という地域は、MLBに優秀な人材を提供する一方で、そのコンテンツを購入する立場としては、非常に大きな市場でもあります。その立場から、どんどん発言をして、MLBのおかしなところは変えて行く、そんな「物言う」パートナーに脱皮するべきでしょう。イチロー選手は、このまま後5年プレーしてアメリカで2000本安打、日米通算で3000本を打てば文句なく殿堂入りとなるでしょう。
アメリカの野球殿堂というのは、日本のように「過去の人」を静かに顕彰するのとは違い、現役を引退しても常に子供たちの憧れのキャラクターとして、メッセージを発信し続けることが求められます。そのこと自体が北米ローカル文化だと言ってしまえばそれまでですが、その位置づけ自体は悪いことではないでしょう。
仮にそうした意味合いを含めた「殿堂入り」ということを引退後のイチロー選手が受諾するならば、いや現役時代からそれを意識してゆくのなら、平凡な北米の文化や価値観に合ったものだけではなく、日本人ならではの、そしてイチローならではの深くそして平易なメッセージが期待されていることに気づくべきだと思います。
ただ、これまでイチロー選手が発信しているメッセージは、ともすれば日本ローカルの価値観に左右され過ぎたり、難し過ぎたりして国際的な伝播力は弱いものが多いと思われます。シアトルの新聞では、イチローの「ひねった」メッセージが日本経由で伝わるたびに「ロスト・イン・トランスレーション」であると皮肉られていたものですが、それでは不十分だということです。「殿堂入り」をしてゆく存在に相応しいメッセージに昇華させてゆくには、工夫が必要です。ならば、そこにある種のブレーンを結集させてゆく、そんなことも含めてMLBに対して「物申す」チャネルを作っていきたいものです。 |