[PR]
ニュース:エンタメ RSS feed
【海老蔵さん殴打事件】なぜ團十郎家は“特別”なのか (2/2ページ)
このニュースのトピックス:海老蔵さん殴打事件
さらに九代目(1838〜1903年)は「劇聖」と呼ばれた明治期の名優。俳優の社会的地位向上と歌舞伎の近代化に努め、河竹黙阿弥(かわたけ・もくあみ)(1816〜93年)らと写実的な歴史劇「活歴(かつれき)物」をおこしたほか、「新歌舞伎十八番」も制定した。
美男だった十一代目(1909〜65年)は若き日、「海老さまブーム」を起こす人気を誇ったが、團十郎襲名からわずか3年で死去。当代團十郎さんはその「海老さま」の長男にあたる。
ところで、顔にけがをした海老蔵さんは、「にらみ」ができるかが心配されている。それというのも、團十郎や海老蔵の名跡を継ぐ者だけが、襲名披露の口上の最後など、「ひとつ睨(にら)んでみせましょう」と観客を睨むことができる。観客も睨まれると「1年間風邪をひかなくなる」などと御利益を喜ぶ伝統があり、ある意味、神格化されてきた存在でもあるのだ。
家元を持たず、家名や名跡で家の芸を継承してきた歌舞伎界では、このほか尾上菊五郎家や片岡仁左衛門(にざえもん)家など多くの家があり、それぞれ家の芸を継承している。その中でも團十郎家が別格扱いされるのは、代々「團十郎」「海老蔵」がその名跡を特別なものにしてきた歴史を背負う存在だからといえる。