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大糸線、廃線の不安に揺れる沿線 1両が結ぶ地域の足

2010年12月20日

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 「廃線にするのか、どういうやり方がいいのかよく考える」。今月1日の記者会見で、大糸線糸魚川―南小谷間の廃線の可能性に言及した佐々木隆之JR西日本社長の発言が、沿線で暮らす人々の間に波紋を広げている。北陸新幹線の開業に伴い、並行する北陸線が地元第三セクターに経営分離されると、大糸線は同社の「飛び地」になる。「いずれは」の不安が、にわかに現実味を帯びる。沿線人口が減る中で、廃止への流れを食い止めることができるのか。現状をみた。

 いまにも雪に変わりそうな冷たい雨が降る中、ほの暗い無人駅に1両のディーゼル車が入ってきた。15日午前7時、長野県境の大糸線・平岩駅。新潟側の下り始発だ。

 乗り込んで来たのは、糸魚川高校2年の横川雅矢さん(17)1人。大きなバッグを肩にかけた野球部員だ。

 同7時6分、動き出した車内で、社長発言について尋ねた。「なくなったらどうしようと家族で話した。おばあちゃんも病院に通っているし」

 ディーゼル車は、姫川沿いを下る。急な渓谷でトンネルやスノーシェッドが続く。次の小滝駅からの乗客はなく、根知で高校生4人、頸城大野で十数人が乗り込む。

 糸魚川で降りたのは22人。北陸線に乗り換え、同市能生の海洋高校に通う西沢雄太さん(18)は、来春卒業。だが、「中3の妹のころはどうなるのか」と気をもむ。

 翌日、平岩駅近くの姫川温泉にある横川さんの自宅を訪ねた。辺りは、1995年7月の「7・11水害」で被災した。土産店を営んでいた祖父母は、小滝―南小谷間が2年余り不通となり客が途絶えたため、97年に店を閉めた。

 「以前は浴衣姿の客が来て、夜11時まで店を開けていた」と、祖母の恭子さん(81)は懐かしむ。近くに5軒あった旅館は2軒に。横川さん宅を出た夜8時ごろ、かつての「温泉街」に人影はなかった。

 会社員の父、寛さん(46)は「地域の足という陳情には限界がある。ジオパーク(地質遺産公園)を走る観光路線として、ガイドを乗せたり糸魚川らしい弁当を売ったりして、踏み込んで結果を出さないと……」と、大糸線の将来を案じる。

■JR西・東エリアで「分断」

 週末は、旅行や所用で利用する人が多い。

 土曜の11日午後1時12分、糸魚川発に乗った。乗客は17人。東京都立川市の自宅に帰る女性(62)は、母親の介護のため糸魚川の実家で半月、夫が待つ自宅で半月暮らす。

 月1度の行き来は、中央線の特急「あずさ」と大糸線を乗り継ぐ。「若い頃は糸魚川から新宿まで急行が走っていた。大糸線がなくなったら、糸魚川はさびれていきますね」

 長野県小谷村の南小谷駅。糸魚川発の列車は同駅か手前の平岩止まりで、松本方面に行くには乗り換えが必要だ。急行は廃止され、直通列車はない。大糸線はJR西と東のエリアで事実上分断されている。

 着いた南小谷駅のホームには、新宿行きの特急「あずさ」と、10月からJR東が運行を始めた新型の「リゾートビューふるさと」が並んでいた。

 1両が1日9往復の新潟側と、白馬、安曇野、松本と観光地がつらなる長野側ではまったく事情が異なる。

 南小谷発「あずさ」で行った松本からの帰り、午後4時47分発、信濃大町行きの普通列車(4両)は8割方座席が埋まり、立ったままおしゃべりする高校生も目についた。

 新潟側で廃止の可能性がとりざたされる一方で、JR東は「管内で廃止を検討している線区はありません」(広報部)。沿線住民からは「いっそJR東に移せないものか」との声が上がっている。(遠藤雄二)

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