[掲載]2009年8月23日
■戦争遂行のシステムに責任を問う
太平洋戦争末期、沖縄戦における住民の「集団自決」が日本軍の「強制」であったか否かをめぐる教科書問題は、まだ記憶に新しい。
本書は、沖縄の「集団自決」が軍隊長の直接的命令によったかどうかは問わない。だが、ある意味で軍の「強制」であったと言う。「集団自決」の最も多かった慶良間列島を念頭に、こう言うのだ。
天皇制国家のなかで、天皇の軍隊である日本軍は、国民を皇民化しようとした。そして大戦末期、総動員体制をしいて「鬼畜米英」という意識を国民に教育し、住民は捕まれば男も女もひどい目に遭うと教え、「天皇のために死すべし」という意識を植え付けてきた。米軍が「鬼畜」であるという宣伝は、日本軍がアジアで行ってきたことのうら返しだった。しかも、沖縄は、久しく差別されてきたがゆえに、「天皇のために死ぬ」ことによって模範的な皇民となろうとする傾向が強かった。加えて、沖縄では家父長制的な家族制度が強く残っていて、家長のもとで、「女子供」は独自の考えを持つゆとりはなかった。
このような全体的な構造のなかで、沖縄、とくに慶良間の地域社会では、軍隊長でなく一兵士の言葉であっても、住民にはそれが「軍令」のように受け取られ、家長によって実行される状況が作られていた。こういう状況の下では、「集団自決」へのわずかな示唆でも、それは軍による「強制」として機能したのだと。
本書は、深刻な問題を大きな視野で冷静に論じており、説得力がある。住民を巻き込んだ日本の戦争はサイパンからグアム、フィリピン、沖縄、満州へとつながり、絶えず住民の犠牲を伴っていたと指摘する。そして上から下まで戦争遂行のシステムができているとき、その個々の局面を取り上げてそこで個人の責任を問うことは重要ではない。システム全体としての責任を見なければ、沖縄で「集団自決」した人々の犠牲を歴史において報いることはできない、と主張しているようである。同意できる議論である。
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はやし・ひろふみ 55年生まれ。関東学院大学教授。『沖縄戦と民衆』など。
著者:林 博史
出版社:吉川弘文館 価格:¥ 1,890
著者:林 博史
出版社:大月書店 価格:¥ 5,880