オモイカネ弐型
On Wednesday 15th December 2010, @heavybell said:
ひたすら鬱々とした話が続くだけ。逃げるなら今だ!
最悪、俺のことが嫌いになるかもしれない。
うん、嫌われたくないなら書くなよと。でも辛いときは書きたくなってしまうものです。愚痴を言いたくなるのです。
そもそも私はコンプレックスの塊だ。幼少の頃よりエリートになるべく教育を施されてきた。まず幼少期は親が用意した問題に応えられないと殴られた。全身に痣を作った。それぐらい厳しかったんだ。学校は地方だけど私立だった。月月火水木金金。平日は地元の塾で四谷大塚の問題を解かされ、休日は日能研やサピックスといった大手の塾のテストを受けさせられた。その甲斐あって小5で英検3級取ったり、成績も比較的良かった。しかし中学に入って精神を患いこれまでの人生設計はパーになってしまった。なんとか受け入れてくれた高校も5年がかりで卒業、大学へはAOでなんとかはいれた状態。かつて見た明るい未来はどこへ行った?そして現在半年の休学状態。これで留年は確定だ。
昔母は勉強が出来れば可愛がってくれたが、できないとボコボコに殴られた。おかげで人一倍愛されたいと思うようになった。しかしこれまでの経験から自分のような根暗で、どう仕様も無い人間は愛されることはない、と思い込むようになってしまった。特別な才能も持たず、優れた容姿もなく、運動能力も平均以下、性格も褒められたものではない。あぁ、出来る人間じゃなければ誰も愛してくれない。かつての母がそうだったように・・・
そして中学・高校には辛いことがあった。中学時代、つまり精神を病み始めた頃に父の借金が発覚、毎月の支払を巡って両親は互いに罵声を浴びせあい、自分はひたすら怯えていた。ひどい時には父が包丁を持って暴れたのを自分が押さえつけた。そんな状態で一番しわ寄せが来たのが自分だった。母はパラノイア的に分刻みで携帯にメールしてきて、返信が遅れると電話で怒鳴りつけてきた。おかげで精神は疲弊しきった。
実を言うと母も精神を病んでいた。それも自分が小学校3年生の時に。今でも覚えているのは引き出しをノックして「お父さん?そこにいるの?」などと意味不明の言動をしたことだ。あれは本当に怖かった。
ふと思い出したが中学時代、夕飯がチクワと白米、あるいはそれに準ずるレベルのものが続いたことがあった。あれは心に刺さった。しかも親のガソリン代の捻出のために大好きなゲーム作品も売り飛ばした。
金はないし、正直言って周囲がいうほど俺は賢くない。本当に何のとりえもないダメ人間だ。そんな自分が渇望するもの。それは人に愛されたいということだ。これは何も女性に限ったことではない。しかし残念なことに心のバケツには常時穴が開いているように感じる。
結局高校時代父親は自己破産。そして父親の実家に転がり込んだことによって経済状況が好転し、家庭も以前と比べて大いにマシになった。しかし心にあいた穴は埋まらない。破滅的なルックス、貧弱さ、愚鈍さ、ねじれ曲がった性格。こんなヤツが…人になど愛されるわけがない!
今までこちらが好意を抱いた相手はことごとくフラれた。
男友達も何人も離れて行った。
親戚もアテにならない。父方の親戚は父の昔の所業のおかげで我が家に近づこうともしないし、母方の家系はもっとひどい。母の叔母は母の口座・キャッシュカードから秀百万盗んで使い込んだ。母方の祖母はそんな人に50万貸せと母に迫った。これは悪意なのか?それとも生存競争故の仕方のないことなのか?おそらく後者であろう。
自分でもおめでたいとは思うが、そういった人々に特に恨みはいだいていない。恐らく仕方のない選択であったのだろう。母の叔母の家は自営業だが行き詰まっているらしい。そうなると何がなんでも自分たちの生活を動かさなければならないだろう。
かつてゲーテは「若きウェルテルの悩み」で以下のような一文を書いた。
「世の中のいざこざの大半は悪意や悪巧みによるものよりも誤解や怠惰によるものがほとんどであると。」
私はこの言葉に同意する。
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