| 私は中学1年までは、自分で言うのもなんですが優等生でした。地味で。
 それが、中学2年になって、一緒に住んでいる父が義理の父だと知った時
 
 頭が真っ白になり、どうでもいい。という気持ちになり・・
 
 2年生の夏休み明けから、親友のAちゃんと、学校に行くのを辞めました。
 
 Aちゃんも、同じ位の時期に父親を亡くしていました。
 
 でもとっても明るい子なので
 
 『不登校にでもなっちまおうよ』
 
 くらいの気持ちで本当に不登校になりました。
 
 家庭内はバラバラでしたから、そんなに責められもしませんでしたが、
 
 義理父から暴力を受けるようになったのも私が不登校になったのが理由で
 
 『学校に行かないなら飯食うな、風呂はいるな』
 
 と言われていたので、父が寝たのを確認してからご飯を静かに食べていました。
 
 でも1度、お風呂をくむ音で父を起こしてしまい、殴られました。
 
 
 学校の先生も、何度も家に来て学校に来て、と言いました。
 
 なので私は、髪を金髪に染めて、久しぶりに学校へ行きました。
 
 当然、先生も生徒もびっくりです。
 
 あんな地味だった私がいきなり化粧して金髪で登校。
 
 
 先輩に呼び出されたり、大変色々ありました。
 
 その頃から色々噂が流され始め
 
 『runaは芸能人と付き合ってるから調子にのっている』
 
 と黒板に書かれたり、たまに学校に行ってもほとんどの人が私を怖がってか
 
 話かけてこなくなりました。
 
 私は家出をして帰っては泣きながら部屋の壁にぐちゃぐちゃな落書きをして詩を書いていた。
 
 家の鍵が開けてもらえないときは、犬小屋でポチと一緒に寝ました。犬って、優しいんですよね。
 
 
 
 
 3年生になっても引っ越しても不登校、夜遊びは続き、私は学校の鞄を捨ててしまったので普段のバッグで
 
 学校へ行っていました。
 
 髪を染めていたし化粧もしていた事で、陰口も沢山、言われました。
 
 私も昇降口でタバコをすったり、廊下で寝てみたり、職員室で先生と喧嘩したり、授業中勝手に抜け出して
 
 先生が町中探し回るほどの問題児でした。
 
 
 あいかわらず噂は流れていて
 
 『ヤリ○ン女』
 『援○女』
 
 ずっとずっと話したことのない子達にも言われ続けて、ロッカーにはごみを入れられ
 
 3年の後半はほとんど学校には行かず、遊び回る毎日。
 
 彼氏が東京にいたので1週間東京にいることもありました。
 
 卒業式も制服が無いし金髪だったので出られなく、校長室で証書をもらいました。
 
 
 
 そんな最低な私を2年間面倒を見てくれたS先生。
 
 本当に感謝しています。家に入れないとき、車でずっと一緒に待っていてくれた。
 
 喧嘩しても心配してくれてるのがよく分かった。。家に何度も来てくれた・・・
 
 今でもそのS先生とは仲良しです^^番号も知ってるし、学校にあいにも行きます。
 
 『runaほどの問題児は俺の人生史上初だった笑』
 
 と、笑いながらなんでも話せる仲です。これから、恩返ししたい。
 
 
 そしてその頃出あった亡くなった彼も、私の心の支えでした。
 
 
 
 まだまだいろんな事があった中学時代、これは本当にごく1部です。
 
 悲しい事、辛いこと・・沢山あったけどそれ以上に周りの方たちに大変な迷惑をかけてしまった。
 
 
 本当に最低だと、自業自得だと今冷静になり思います。
 
 その分も、これからは周りの方たちを大切にしたい。
 
 
 大切にしなくちゃいけない。
 
 
 義理の父にも、謝りたい。私から仕掛けたような確執だったんだと思うから
 
 
 近いうちに義理父に手紙を書くつもりです。
 
 
 たくさんの幸せを与えられる人間になりたい。
 
 
 外見は派手な私ですが、気持ちはいつも謙虚でいたい。
 
 振り返るとそう思います。
 
 
 
 
 
 
 
 6年以上前のことなので駄文ですいませんでした;;
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