中国東北部出身で府内で育った焦春柳(ジャオツゥンリョウ)さん(22)=奈良市在住=が先月、大阪市中央区でのシンポジウム「若者が語る多文化共生」にパネリストとして参加した。いじめから逃れようと日本名を名乗って通学したことや在留資格を失って家族が強制送還された体験を語った。
財団法人アジア・太平洋人権情報センターなどが主催。パネリストは、焦さんやベトナム難民2世女性など外国にルーツを持つ4人で、いずれも大学生か大学院生。
焦さんは9歳だった97年、母親が「中国残留孤児の四女」として、両親と妹の4人で正規に入国し、大阪府内の小学校に通学した。焦さんは「初めは日本語もできず、いじめられました。引っ越しで転校したのを機に『北浦加奈』と名乗りました」と振り返った。
両親も仕事に就き、一家は日本の生活になじみ始めたが、02年になって入国管理局から「残留孤児と血縁がないことが判明した」と一家の在留許可を取り消された。翌年、父が強制収容された。
焦さんと母、妹は仮放免されたが、母は結核を患った。「母が夜、こっそりと血を吐いている姿を見て、私がなんとかしなければと思い、中学校を休んで塗装工場で働き始めました」。焦さんの目に涙が浮かんだ。
定時制高校に進み、写真部に入部。家族や友達を写した作品で各種コンクールで入賞するほどに。一方、両親らは強制送還され、妹と2人での生活が始まった。このころから、メディアの取材を受けるようになった。
「取材されるのも、『不法入国』という言葉とともに報道されるのもつらかった。一方で見ず知らずの人から励まされ勇気づけられました」と焦さん。09年10月、法務省の異例の判断で妹とともに在留特別許可を得た。
「私にとって『恥』と思えることもこうして語るのは、まだ私と同じ境遇の子どもたちがいるからです。子どもたちは悪くない。子どもの声を聞いて」と締めくくった。【村元展也】
毎日新聞 2010年12月16日 地方版