羽田空港:「空」の変遷映し12年…ミニ国際線ターミナル

2010年10月20日 11時9分 更新:10月20日 13時34分

20日に閉鎖される現国際線ターミナル=東京都大田区で
20日に閉鎖される現国際線ターミナル=東京都大田区で
21日に供用開始される新国際線ターミナル=東京都大田区で
21日に供用開始される新国際線ターミナル=東京都大田区で

 新滑走路と新国際線ターミナルの供用開始を控えた東京・羽田空港で20日、現国際線ターミナルの営業が終了し、わずか12年余りの歴史を閉じる。延べ床面積が新ターミナルの16分の1というこぢんまりとしたビル。その歴史は、日本の航空行政の変遷に翻弄(ほんろう)された日々だった。【本多健】

 「どこか家族的というか、高度経済成長期の雰囲気もあるでしょう」と苦笑する職員もいる現ターミナル。2階建て延べ約9600平方メートルで、ボーディングブリッジは2基しかない。コーヒーショップなど飲食店3店や免税店、銀行や入国審査のブースが狭いスペースにぎっしり並んでいる。国内線からの乗り継ぎバスを降りた際、巨大な国内ターミナルとのあまりの落差に「ここでいいのか?」と真顔で職員に尋ねる利用客もいたという。

 78年に成田空港が開業し、ほとんどの国際線が成田へ移転した後も、国は中国への配慮から台湾の航空会社だけは羽田に残した。その後、新設する国内線第2ターミナルビルに国際線を入れる計画もあったが、バブル経済崩壊のあおりで同第1ターミナルだけが先行開業したため、98年に現国際線ターミナルを暫定的に建設した。

 成田で2本目の滑走路運用が始まると、台湾の航空会社も02年に成田へ移った。だが、00年に羽田で4本目の滑走路建設の方針が決まると、羽田と成田の国内・国際のすみ分け原則が揺れ始める。

 日韓共催の02年サッカー・ワールドカップをきっかけにした国際チャーター便が03年、「定期チャーター便」として羽田-ソウル間で就航。チャーターといっても毎日運航し、個人客の航空券購入も可能という事実上の定期便だ。

 定期チャーター便の就航先は上海、香港と増え、「ロビーに座る椅子さえない」というほど手狭になった。08年に約15億円かけて改修し、北京便も就航したが、改修から2年で閉鎖となる。

 大手旅行会社幹部は「W杯向けチャーター便の申請の際、(羽田と成田のすみ分けを掲げる)国の顔色をうかがう日本の航空会社が1便しか申請しない一方で、韓国の大韓航空は1カ月で約140便申請した。韓国のしたたかさに舌を巻いたが、日本の航空戦略のなさに危機感を感じたのもあのころからだ」と振り返る。

 旧ビル解体後の敷地は、国内線第2ターミナルのボーディングブリッジの新設用地になるという。

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