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[24697] 【ネタ】ヴァナ・ディール浪漫紀行【FF11】
Name: 為◆3d94af8c ID:b82d47da
Date: 2010/12/16 23:49
FF14が巷で(酷い方向に)話題ですがなんか無性にヴァナの話を書きたくなった。
書きたいところだけ書きたいように書くつもりなので不定期更新&ぽんぽこ話が飛ぶやも。

【本編】→現実からヴァナ・ディールに転移しちゃった一般人が冒険者として頑張る話。主人公は設定好き冒険者。

【番外編】→ゼロ魔とクロス。多分あんまり更新はしない。本編中にもキャラだけ出てきますが、ホントにキャラだけ。

本編で言及しますがゲームシステム的な部分は一部排除してます。
サポジョブとか、ベッドが入るかばんとか。
あとミッション関係はあんまり絡まないかなあ、私自身クリアしてないもの、覚えてないものも多いので。まあ、そのうちそのうち。



[24697] 00-前文
Name: 為◆3d94af8c ID:b82d47da
Date: 2010/12/18 01:28


拝啓


かつて世界を共に駆け抜けた、


あるいはやがて出会う全ての仲間たちへ。





[24697] 01-誘うは異界のほむら
Name: 為◆3d94af8c ID:b82d47da
Date: 2010/12/16 23:57



 ──伝説は、こうしてはじまる
   すべての起こりは「石」だったのだと。


 ゲームは、そんな語りから始まった。








 気づいたら見知らぬ場所にいるというのはなかなか出来る体験ではないし、っていうかぶっちゃけしたくもない体験だ。
 健全な男の子の夢としてある日突然超能力とかサイヤ人とかに目覚めないかなあなんて夢想していた時期は俺にもあったが二十代も半ばをまたげばそんなのは黒歴史だ。全うなオタクとして妄言と現実の区別はつけて生きてきた。
 しかしその現実として、俺は気づいたら人気の無い荒野に一人たたずむ羽目になっていた。最後の記憶は会社から帰って飯食って風呂かっくらって寝巻きでベッドに倒れこんだところだ。ああいやその前にネットを徘徊していたか。
 ともかく目が覚めたら外で、しかも荒れ野に着の身着のままというのは、ちょっと尋常な事態じゃない。着ていたのが長袖のTシャツに綿のパンツというそのまま外に行ける格好で助かったなんて考えられるのは、異常すぎてむしろ冷静になってしまっているからだ。

「いや、しかし……ホントにどこだここ」

 呟いても返事はない。
 携帯も手元に無いので誰かと連絡を取ることも出来ず、仮にあったとしても電波が通じてるのかどうかさえ怪しい。何せ見渡す限り枯れた大地と岩ばかり、ところどころに朽木がぽつんと立ち尽くしているのが唯一の景色の変化で、あとは遠目に山の連なりが、あるいはもう少し手前に切り立った岩壁見えるばかりだ。むしろ日本なのか、ここは。
 全く持って途方にくれることしか出来ない。誰か人をとっ捕まえて襟首引っつかんでここはどこだと聞き出したいものだが、辺りに人の姿は無い。移動しようにもどっちに行けばいいのか見当もつかないし何より……。

 足元を見て大きくため息ひとつ。

 寝ていたのだから仕方ないのだが、ハイパー裸足タイム中なのであった。



 どれほど歩いたのか分からない。
 足の裏が痛い。
 結局俺は悩んだ挙句、裸足のままに歩き始めることにした。当てはない。方角も分からない。だが突っ立っているよりはマシだろうかと思ったからだ。
 けどそれも早くも後悔しはじめている。

 道もない荒野は前後左右どこを向いても同じに見える景色が続き、自分が本当に先に進んでいるのかさえ怪しくなってくる。
 実際、一度巨大な岩山を迂回しようとして気づいたらぐるりと岩山の周りを回ってしまっていたこともあった。

 何度目になるか、両足を投げ出して岩の上に腰を落とす。
 足の痛みと進展を感じられない状況にたびたび休憩をいれ、それがまた余計に状況を遅々として進歩させないでいるようで苛立ちが募る。
 空腹を訴える腹が疲労に拍車をかける。

 ────俺はいったいどこにいるのだろうか。

 日が斜めに傾いてからは早かった。一気に黄昏を過ぎ、明かり1つない荒野に漆黒の夜が訪れる。
 石を枕にして眠るのは初めての経験だった。すべてが夢でありますように、でなければせめて何か進展がありますようにと祈りながら。


 夢ではなかったが、進展はあった。

 夜が明けてどれほどが歩いた頃、道にぶつかったのだ。
 最も道といってもコンクリートで整備されたようなものではなく、ただ大地に人が歩き続けた結果できた街道のようなものだがそれでもないよりマシだ。影の動きから考えるに南北に伸びる街道だが、道があるということはどちらに向かうにせよ人がいるところに繋がっているはず。そんなわけで俺は南に向かって街道を辿っている。

 が、しかしである。

 たとえ道があったとしても代わり映えのない景色にどこまで続くかも検討のつかない道行きというのは人を消耗させる。
 裸足のままというのも疲れに輪をかける。昨日はシャツの袖を千切って即席の靴にしようかとも考えたが、吹きすさぶ風の冷たさと夜の寒さに断念している。

「くそ、ホントに何なんだよ。北か? 俺も拉致被害者の一覧に入ったりしちゃうのか? 遊んでんじゃねえよ日本政府……」

 話す相手もいない、八つ当たりするものもない。わけのわからない状況にぶつくさと愚痴がこぼれ、自分でも心がすさんでいくのが感じ取れる。

 ただ1つ、脳裏を掠める妙な違和感……というよりも既視感というべきだろうか。
 何故か俺はこの代わり映えのない景色をどこかで見たことがあるような気がしてならないのだ。

「なんだったかなあ……グランドキャニオンか……? いや、あそこはもっと赤っぽいっていうか、この辺灰色って感じだし……いや勝手なイメージだけど」

 道を見つけて、愚痴を零せるだけの余裕が出てきたのだろうと自分を納得させながら、俺はまた歩き始めた。



 また、無言でただただ足を進めるだけの時間が続いている。
 道はある。けど終わりが見えない。周囲にも何の変化もない。獣の一匹も見当たらない。
 意識が磨耗する。ぼんやりと歩き続けて、気づいたら盛大に道を踏み外していて慌てて探しに戻ったりもした。
 休憩中にぷっつりと意識が途絶えることも度々あって、もう時間の感覚もない。意識している限りで夜を越えたのは1度だが、もしかしたら半日以上気を失っていたときもあったのかもしれない。
 何故か足を前に動かす体力だけは尽きないのが不気味だ。

 体が震える。
 寒さではない。恐怖だ。

 ────俺はどうなるんだろう。

 それとも、どうにもならないのか。このまま野垂れ死ぬしかないのか。
 夜に理不尽な死は多々あれど、その中でもコイツは飛び切りに酷い。まるで拷問のようだ。道具のたった一つも使わずに、ひたすら俺の精神を削り取っていく恐ろしい拷問。

 けどちょっとだけ笑ってしまうこともある。
 丸一日、まあ多分だが、丸一日荒野に放り出されただけで俺はここまで追い詰められてしまうのだ。
 わけのわからない状況に、飯も水もなく、靴さえも履かせてもらえない。足の裏はもう見たくもない。体は埃にまみれ、にじむ汗が泥に変わる。
 たった1日だ。それだけの時間で浮浪者もかくやという姿だ。

 そして……無性に湧き上がる寂しさ。
 誰かと話したい。声をかけてもらいたい。せめて一目誰かの姿を見たい。ここに人間がいると確かめたい。

 俺は存外に寂しがり屋だったらしい。


 もう一度夜を越えて歩き始め、太陽が真上から差し始めた頃。

 不意に、荒野に初めての変化が訪れ俺は俯かせていた顔を上げた。

 はじめに聞こえたのは音だった。
 大地を鳴り響かせるかのような腹の底に響く途切れることのない重低音が、道の先から聞こえてきた。

 やがて進むにつれて音は大きくなり、鼓膜を、そして体全体を打ち振るわせる。その頃には音の正体も見え始めてきた。
 荒れ野にでんっと腰を下ろす巨大な鏡餅のような岩山を迂回すると、その先には切り立った崖と、その上からひと筋流れる白い線が見えた。いや違う、アレは滝だ。それも馬鹿にでかい!

 疲れも忘れて思わず駆け出す。

 滝まで50mほどはあろうかというところで、既に自分の呼吸音さえ意識しなければ聞こえないほどの轟音が響き渡っている。
 街道の先は大地が途切れ、差し渡し10mほどの深いクレバスのようになっており、滝壺はその底にある。

 知らず体が震える。今までに見たこともない雄大な景観だった。
 クレバスは底を流れる川が気の遠くなるような年月をかけて作り出したものだろう。滝の流れ落ちる岩壁のてっぺんから滝壺までゆうにビル10階分ほどはある。
 壮大で、遠大で、今までに見た何よりも力強く、なのにどうしてだろう。何故俺はこの滝の名前を知っているのだろうか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 その今までに見たこともないはずの景色はしかし、これまで以上に強い既視感を植え付け、俺の脳裏に1つの"まさか"を生み出した。

「まさかそんな、出来の悪い二次創作じゃあるまいに……やっぱ夢……じゃ、ないよな……」

 体の疲れが逃避する気力も湧きあがらせない。
 そんな馬鹿なとそれを否定する材料をずっと探す。

 大地の裂け目には橋が架かっており、滝から続く流れと丁度交差している。裂け目はそのまま延びていき、滝のある反対側でまたそびえる岩壁の中に続いていく。
 丁度ここは渓谷になっているようで。
 それはやはり酷く見覚えのある光景で。

 ありえないと唱える俺の思いは、無慈悲に打ち砕かれるのであった。


 ぱきり。


 小石を踏み潰したような音に振り返り、

「うぉあぁ?!」

 思わずたたらを踏んで盛大にしりもちをついてしまう。
 いつの間にか背後に忍び寄っていたのは、亀だった。しかも直立歩行する亀の化け物だ、某ミュータントな忍者も真っ青だ。
 背の丈は俺とそう変わらないだろうに、そのずんぐりとした鈍重そうな体躯が何倍にも体を大きく見せる。その亀野郎は右手に長剣を、左手に盾をはめて俺をねめつけていた。

 まずい、襲われる。
 反射的にそう思った。こいつらは人間に容赦しない、なぜならこいつらは人間たちを憎んでいるからだ・・・・・・・・・・・・・

 亀の化け物が長剣を振り上げたのを見て、とっさに横に転がり生きながらえる。俺がつい一瞬前までいたところに刃が叩きつけられた。
 ぐげげ、と亀が喉を鳴らす。

 こいつ……嘲笑いやがった。

 カッと頭に血が上り、俺は脚を振り上げて後転の要領で体を起こした。火事場の馬鹿力とでも言えばいいのか、このところ運動不足だったはずの体は思いのほか良く動いてくれた。あるいは嗜む程度にかじっていた合気道のおかげか?
 だがそこから先につなげようがない。こっちは丸腰で、向こうはリーチのある長剣。よしんば懐に飛び込めたところで奴の体はあの堅牢な"鎧"が覆っている。素手で殴って痛い目見るのはこっちだ。
 じりじりと間合いを取ろうにも、向こうも離れた分だけ詰めてくる。一気に押し込んでこないのは……遊ばれているからか。

 どうする。むしろどうすればいい。逃げるか、いや逃げられるのか。
 やたらと体温が上がり粘っこい汗が背中に浮かぶ。頭の中を意味を成さない言葉が飛び交い、今の状況に集中できない。にもかかわらず目だけは相手に釘付けだ。

 パニックを起こしかけた頭が結論を出す前に、亀のほうが動いた────ッ。
 担い手の見た目に反してよく手入れされている長剣が振り上げられ、刃が陽光にきらめく。そしてそのまま俺の脳天めがけて振り下ろされ………………なかった。

「やぁ!! やぁ、やぁ!!」

 どこからともなくダッカダッカと荒い足音を立てて俺たちの間に割り込んできた巨大な黄色い鳥が、亀に向かって威嚇するように声を張りながらくちばしを振り下ろしている。

 ぐげぐぐ……。

 苛烈な鳥のくちばし攻撃に恐れをなした亀野郎は、恨めしげな視線を投げよこすとほうほうの体で逃げ出しはじめる。確かにあのくちばしでえぐられては堪ったものではないだろう。
 やがて亀野郎が岩陰の向こうに消えると、それを威嚇するようにクェッと啼いていた鳥もようやく大人しくなった。

「ふぅぅ……追い払ったかな。君、怪我はなかったかい?」

 そして鳥が俺のほうを見て話しかけて……いや、話しかけてきてるのはその背の鞍にまたがった小さな人影だ。あんまりに小さいものだから半分羽の中に埋もれてしまっている。
 羽の中から顔をのぞかせたのは、フードつきのローブを纏った小さな子供……いや、小人だった。

「それにしてもクゥダフがこんな街道まで出てくるとは、運がなかったというか。それとも君、アイツに何かしたのかい?」

 ああ、やっぱあれクゥダフだったのか。
 命が助かったという安堵にへたり込んだ俺は、なにを考えるよりもまず自分の考えがあたっていたことに納得してしまっているのであった。






     伝説は、こうしてはじまる

     すべての起こりは「石」だったのだと。




     遠い遠い昔、大きな美しき生ける石は
     七色の輝きにて闇を追い払い
     世界を生命で満たし
     偉大なる神々を生んだ
     光につつまれた幸福な時代が続き
     やがて神々は、眠りについた





     ────世界の名は、ヴァナ・ディール。








==

一人称書きやすい。

本作は逃げ男氏の『ゼンドリック漂流記』、検討中氏の『ログアウト』、黄金の鉄の塊氏の『Atlus-Endless Frontier-』に強い影響を受けているような気がします。




[24697] 02-ようこそヴァナ・ディールへ
Name: 為◆3d94af8c ID:b82d47da
Date: 2010/12/16 23:58



 ファイナルファンタジーXI。
 有名RPGシリーズの第11作目が国内初のコンシューマ対応オンラインRPGとなったことでその話題を耳にしたことのある人は多いはずだ。2002年に正式サービスを開始した本作は現在追加ディスク4枚にダウンロード販売の追加シナリオと今なお広がりを見せ続けている。
 発売当初こそブロードバンドユニットやらなにやらでやたらと高かった敷居も、デフォルトでインターネット接続機能のあるXbox360版や日々スペックアップを続けるPC版の登場でだいぶ手を出しやすくなっている。
 先ごろ同社の大規模MMO第二段となるファイナルファンタジーXIVが発表されたものの、根強い人気が続いている。まあFF14が予想の遥か斜め下を行く出来栄えとの評判も無関係ではないだろうが……。

 かくいう俺も、もう足掛け8年このFF11の舞台となる世界、ヴァナ・ディールを駆け回ってきた冒険者の一人である……。





 街に着いたのは日が沈んでもう一度上ってからだった。
 まああの滝……臥竜の滝ドラッケンフォールを横目に大地の裂け目にかけられた橋を渡ったところで俺の足の裏も限界に達しており、無理くり騙し騙しでどうにかその先の歩哨小屋アウトポストに辿りついた所で動けなくなってしまったというのもあるのだが。
 結局俺たちは夜はそこで明かした。そう、俺たち2人は、だ。

 例の亀の化け物から助けてくれた小人──いや、どっちもより正確な表現を使おう。獣人クゥダフとタルタルだ──は、俺の姿を見るや、

 ────君は冒険者、には見えないね。旅人かな? それにしてもそんな格好でグスタベルグをうろつくなんて正気じゃない……やぁ! どうしたんだ、裸足じゃないか! 靴はどうしたんだい、失くしたのか、それとも君はそういうなにか信仰でもあるのかい? とにかくとにかくこの辺りも最近は危険だよ。君はこれからバストゥークに向かうのかい? それならちょうどいい、ボクも街に向かっているところなんだ。良かったら君の護衛を引き受けさせてくれないかな。そうと決まれば先を急ごう、歩哨小屋に立ち寄れば履き物も融通してくれるだろうさ。

 そんな感じで黄色い鳥(これも言わずもがなだろう、チョコボだ。ゲームをしない奴でも名前くらいは聞いたことあるだろう)をその場で降りて俺を街まで案内してくれた。

 タルタルって奴は文字通り小人のような小さな体に笹の葉のような尖った耳と子犬のような黒い鼻を持ち、生涯を子供のような姿で過ごす種族だ。
 メルと名乗った彼も例に漏れず俺の腰にも届かないような体躯で、なのに俺には今まで出会った誰よりも心強く思えた。

「さ、ついたよ。ようこそバストゥークへ、と言ってもボクはウィンダス国民だけどね」

 そう言ってメルは小さな両手をいっぱいに広げて俺を歓迎してくれた。

 山肌をくりぬいて作られたゲートの向こうは、とにかく広かった。
 切り出した石を組んで作られたバストゥークの街は周囲を山に囲まれた盆地に築き上げられているはずなのだが、そんな閉塞感を微塵も感じさせることはない。
 ゲートを潜った先は橋の様な通りが続いており、それぞれの看板を掲げた店舗が軒を連ねている。そしてその向こうに見える噴水広場と、さらにその向こうの巨大な建築物。多段構造の打ち上げられた船のような形をしたそれは、バストゥーク名物の大工房だろう。ぶっとい煙突から煙が絶えず立ち昇っている。
 大筋で俺が知っている通りの街並みだが、それがとにかく広い。ゲート前の広場はちょっとした公園ほどもあるし、武器・防具・雑貨屋の三軒並びと呼ばれたゲートから続く商店の並びにはもっとたくさんの店が並んでいる。通りを行きかうのは鎧やローブを纏った格好からして旅人や傭兵……ではない、この通りを賑わせているのは冒険者たちだ。
 ゲームでは省略されていた世界が現実になるにあたって拡張されたような、そんな印象を受けた。

 とにかくご飯にしようご飯に、というメルに連れられて街へと歩き出す。確かにアウトポストでは疲れがピークに達していてたどり着くなり意識を失ってしまったから、食事は朝にもらった干し肉を食べただけだ。腹が空腹を訴えている。
 三軒並び(三軒じゃなくなってるが)を抜け噴水広場(確か炎水の広場だったか)を通り、大工房の前を通り過ぎて港区へ。ここまで行くと俺にも行き先はなんとなく分かっていた。

 たどり着いた先は案の定『蒸気の羊亭』だった。看板女将のヒルダというNPCの営む酒場だ。

 店に入ると中は昼前という時間もあいまってか既にそこそこの人入りだった。中には既にジョッキを傾けているものの姿もある。
 2人で奥のテーブル席に腰掛けると、メルが給仕を呼び止めた。

「ボクはベークドポポトとソーセージ、あとメロンジュースにしようかな。君はどうする?」

 首を傾げて尋ねるメルについ金持ってないぞ、と言ったらおごりだよ、と微笑まれた。
 子供にたかっているようで気は引けるが空腹には耐えがたいし、メルも振る舞いを見るに子供という年齢でもないのだろう。見た目では判断がつかないし、声音も子供っぽいというかともすれば女の子っぽい高さだが、タルタルはそういうものだと思うし、どうも受ける印象が年上っぽい気がするのだ。ならばここは素直に甘えておくとしよう。

 注文は決めていた。蒸気の羊亭といえば、頼むものは決まっている。

「じゃあソーセージと……あとブンパニッケルはある?」

「はい、今朝ザルクヘイムのほうからライ麦が届いたので、焼き立てですよ」

 なるほど今のところバスはコンクエ1位か、などと考えてしまうがバス国民でないと買えないはずなのでその辺はフレーバーなのだろう。
 あと何か飲み物を、と思ってメニューを見せてもらう。
 メニューには酒類にジュースがいくつか載っているがコーヒーはなかった。昼間から酒を飲むのも食事と一緒に甘いものを飲むのも趣味ではないので、結局水で妥協する。

「ふぅん……」

 給仕が下がるとメルが妙な目で俺を見ていた。

「な、なに?」

「いや、なんでも。それより……一息ついたところで色々聞いてもいいかな? リックのこと、結局道中じゃはぐらかされっ放しだったからね」

 ヒューム(地球人と同じ姿の種族のこと)サイズの椅子とテーブルがゆえに、椅子の上にずっと背負っていたかばんを置いてさらにその上に座ったメルが、今度こそ逃がさないぞ、という口調で問いかけてくる。

 リックは俺のことだ。もちろん純粋日本人の俺の本名じゃあない。昨日アウトポストで眠気と戦いながら交わした自己紹介をどう聞き取ったのか、彼はずっと俺のことをリックと呼んでいるのだ。
 まあ違和感はない。なんせお袋はやめてくれというのにこの年まで俺をりっ君りっ君と呼んでいたし、そのせいで幼友達はみんなそう呼ぶ。更に言えばFF11での俺のキャラの愛称でもあった。

 閑話休題。

 バストゥークに来るまでの道すがら、メルの質問をかわし続けていたのはなにも答えられないと思ったからではない。むしろ俺自身が逃げ続けていたのだ。

「リックは、いったいどこから来たんだい?」

 その疑問から。

 まさか、と思い。
 そんな馬鹿な、と否定して。
 亀野郎やメルに出会ってそれでなお、俺は答えを出すのを避け続けていた。

 だがしかし。クゥダフ、グスタベルグ、バストゥーク、チョコボ、ここはタルタル、君はウィンダス。
 ここまで出揃えばもう覚悟を決めるしかない。

 俺はどうやらFF11の世界に迷い込んでしまった、ということらしい。おかしいのはこの状況か、俺の頭か。

 壮大などっきりを期待したがクゥダフもチョコボもメルもどう見てもCGなどではなかったし、バストゥークのゲートハウスには熊のような巨体のガルカがつめていた。尻尾ももちろんあった。
 あえて言うがFF11が感覚投入型のバーチャルゲームになったなんていう話は聞かないし、そもそもそんなSFな技術はまだない……と思う。少なくとも発表はされていない。
 ではすべて夢なのだということにしてしまいたかったが、その可能性は俺自身が最初に否定してしまった。
 どうするにしろ、そろそろ覚悟を決めないといけないだろう。

「その前に聞かせてくれないか? なんでメルはここまで俺に良くしてくれるんだ。言っちゃなんだが俺って相当怪しいと思うぞ」

 思えばクゥダフから助けられてからこちら、彼はずっと俺に好意的だ。
 わざわざ借りていたチョコボを放してアウトポストに案内してくれただけでなく余っていたブーツを融通してくれるように頼み込んでくれ、あまつさえこうしてバストゥークまで付き添ってくれて飯をおごってくれる。とてもじゃないが行きずりの男に対する施しにしては行き過ぎている。
 困っている人を助けるのは冒険者の義務だなんて嘯いていたが、それなら街で放り出したって構わなかったはずだ。

 そう言ったら、メルは笑った。

「君から匂いがしたんだ」

「におい?」

「そう、何か面白そうなことがありそうな匂い、冒険の匂いと言ってもいい。そしてボクは冒険者だ。好奇心のない冒険者なんて死んでるようなものだ」

 そんなことをのたまうメルは、ちびっこい癖になんだかやたらとかっこよかった。
 不覚にもその表情に見入っていると、いたずらっぽく笑って付け足した。
 
「それに、あの時君はまるで帰る家をなくした子犬みたいな顔をしていたよ。荒野に放り出していくのはあんまりに寝覚めが悪かったからね」

 と。





「はい、ベークドポポトとマトンのロースト、それに自慢のソーセージが二皿です。黒パンはどちらかしら?」

 料理を運んできたのは店主のヒルダだった。看板女将の名は伊達ではなく、30代は過ぎているであろうに若々しく、おっとりと優しい顔をした女性だ。
 確か亡夫の遺したこの店を女手1つで切り盛りしているという設定だったはずだがなるほど、昼間から鉱夫や技師と見えるおっさんどもが入り浸っているのも頷ける。

 テーブルに並べられた食事に手をつけながら、俺はぽつぽつと口を開いた。

「まず、恩を仇で返すようで悪いんだけどな……全部話せるわけじゃない、というか俺自身理解できてないことだらけなんだ」

 前置きするとメルはふむ、と先を促した。

「そうだな……とりあえずまず、俺は自分がどこから来たのか分からない」

「記憶喪失、というわけじゃなさそうだね」

「ああ、自分がどこにいてどんな暮らしをしていたのかとかは分かってる。けど気づいたらあの荒野にいたんだ。右も左も分からないまま歩いてたらクゥダフに襲われて……」

「ボクがそこを助けたと……」

「ちなみに最後の記憶じゃ俺は自分の部屋のベッドに潜り込んで寝るところだったはずなんだけどな」

 それで裸足だったのかい。メルは納得したように1つ頷く。

「間の記憶はすっぽり抜け落ちてる。本当に寝て起きたらあそこにいたんだ……信じられないかもしれないけど」

「そうだね……とても荒唐無稽な話だけれど、嘘には突飛過ぎる。少なくとも君の認識している限りではそれが真実なんだろう」

「そういってくれると助かる」

「じゃあ次、君はどこに住んでいたの?」

 来た。一番聞かれると面倒な質問だ。
 別の世界から来た、と言ってしまうのは簡単だ。ヴァナ・ディールでもいくつか異世界は観測されているし、信じてもらうことは難しくないだろう。
 しかしそれらはいずれもヴァナ・ディールと密接に関係する異世界であり、ここがゲームの世界でそれを遊んでいた現実世界から来たと言っても信じられないどころかまず理解が及ばないだろう。

 どう答えるべきだろうか。
 出来れば嘘はつきたくないが、真実は説明するに出来ない。

「…………遠いところだ。帰り道も分からないくらい」

 結局こんなあいまいな言葉で逃げざるを得ない。

「そこは、聞かれたくないところ?」

「まぁ……そういうことにしておいてくれ」

「そういうなら。つまるとこ君は、正真正銘の迷子だったわけだ」

 いや、深く突っ込まないでいてくれるのはありがたいのだがそのまとめ方はいかがなものか。そんでもって否定できない辺りが悔しい。
 行くも帰るも分からないとなれば、それは確かに迷子といって差し支えないだろう。

「他にも聞きたいことはあるけど……ひとまず君、これからどうするつもりだい?」

「……どうしたもんかな。帰る手立てを探したいところだけど、当てもなければ金もないんだ。頼れる相手もいないし」

 はぁ、とため息1つ。
 ここまで絶望的だと嘆くも喚くも通り越してただただ途方にくれるしかない。これなら外国で身包みはがされたほうがまだマシだろうに。
 場所が異世界では駆け込む先も泣きつく相手もいやしない。

 いや、1つだけ。
 ここがヴァナ・ディールであるなら、元の世界に戻る方法を模索するのにうってつけの身分がある。
 これが別のゲームの世界だったりしたら目も当てられなかっただろうが、ここでなら1つ、俺の持つヴァナの知識がある程度役に立つだろうし、情報を集めるのにも独自のネットワークが使える職業。

 けれどどうしてか、二の足を踏んでしまう。その道を取れば、俺が本当にこの異世界に染まってしまうような気がして。
 踏ん切りが、つかない。言い出す最後の一歩を躊躇ってしまう。

 しかしその一歩は、背中を押される形で踏み越えることになった。

「冒険者になる、なんていうのはどうだい?」

 冒険者。
 依頼さえあれば子供のお使いから傭兵家業、未開の土地の探索に果ては世界の危機をも救うどっちかというと荒事が得意な何でも屋。
 その生活形態は一定ではなく、自らの手を商品に、各々が求める"冒険"を報酬に日々を暮らしている。あらゆる国や民族、組織に囚われることなく好奇心や欲望を原動力に世界を駆け回る風来坊たち。
 アルタナ四国と呼ばれるヴァナ・ディール中西部に位置する四カ国では国際的にその活動が認められており、いずれかの国に所属することで様々な優遇を受けることが出来る。

 もっとぶっちゃけてしまえばMMOとしてのFF11におけるプレイヤーキャラクターたちの総称であり、一番馴染みのあるポジションといえる。
 どうすれば登録できるのか分からないが、確かに半ば行き当たりばったりとはいえそのくらいの行動方針があったほうがこの先……何もせずにただ絶望しているだけということにはならないような気はする。

「市民登録や身分を証明するものがない場合先任冒険者の紹介が必要になるけど、そこはボクが紹介者になるしさ。まあウィンダスの所属だから時間はかかるかもしれないけど、どうだい?」

 冒険者紹介システムか、なんて胸中で苦笑する。
 まあ国の金で部屋を提供したりしているのだ、どこの馬の骨とも知れない相手をほいほい冒険者にするわけにもいかないだろう。全国民に戸籍や住人登録がある世界ではないだろうから半分形式的なものとはいえ、なければないで色々面倒なのだそうだ。

 メルは身を乗り出して俺に道を示してくれる。けど、な。

「俺は戦う術を何も知らないんだ」

 俺には剣を振って戦う腕っ節もなければ、魔法を使うための術も知らない。そんなんで冒険者になる、なんて口で言ってもどうにかなるものではないだろう。

「誰かに師事するにしてもツテもないし金もない。1人で街を飛び出したってまた荒野で野垂れ死ぬだけだろ? せっかく助けてもらった命でそんな賭けはできないさ」

 そうだ。
 この命はメルに救ってもらったものなんだ。思いつきでリスクの高いギャンブルをするわけにはいかない。それはメルに対してもあまりに申し訳ない。

 だからやっぱり前途は暗い。一寸先は闇だ。
 がっくりとテーブルに突っ伏していると、つんつんとフォークで頭をつつかれた。いてぇ。

「なにするだ」

「あのねえ……なんでそこで真っ先にボクに頼るって選択肢を思いつかないかなあ」

「え、いやそりゃ悪いだろういくらなんでも」

「悪いことなんてないさ、そもそも言い出したのはボクだ。君が一人前になるまで世話するくらいの責任は負うさ」

「いやけどな、さっきも言ったけどほんとに文無しなんだ。ここの飯代だって返せやしないんだぞ……あ、いやもちろん出来るだけ早く稼いで返すつもりではあるけど。それに一人前になるまでって、どれだけかかるんだよ。お前バストゥークに何か用事があるんじゃないのか?」

「ないよ。商隊の護衛から帰ってきたところだから時間はたっぷりある。にしても君は本当に律儀というか、むしろ頑固だ。融通が利かないといってもいい」

「むか」

 なんでそんな呆れた調子で首をふられにゃならんのか。
 まあ俺としてはここでの好意を受け取るほかないのも確かなのだが、これ以上は本当にメルの負担になるばっかりだ。それはあんまりに忍びない。

 が、それはそれとしてここまで言われて黙ってちゃ故郷の母ちゃんに面目が立たない。

「お前はお人よしだな、馬鹿みたいにお人よし。あとちょっとおせっかい。誰かにいい人カモって言われたことないか?」

「言ってくれるなあ」

 ううん、とメルがうつむいて首をひねると、フードを被ったままなものだから布の塊がごそごそ動いているようにしか見えない。というか食うときくらいフード脱いだらどうなのか。
 にしても彼は妙に俺にご執心のようだが、俺のなにがそこまでコイツを惹きつけるのかさっぱりだ。匂いがどうとか言ってたが……袖口を嗅いでもわからない。当たり前か。

 やがて顔を上げるとぽんとひとつ手を打った。何か思いついたらしい。

「こういうのはどうだろう。これは取引だ」

「取引ぃ?」

「そう、さっきも言ったけど君からは何か面白そうな冒険の匂いがする。だから君の面倒はボクがみる、その見返りに君はボクに"冒険"を提供してくれ」

 悪くない話だろう?
 そういってメルは1つウィンクした。

 なにコイツ、なんでこんなにカッコいいわけ。惚れるっつーか俺コイツに掘られてもいいわ。とか思ったのは墓まで持っていく秘密である。

 あとで出来た仲間にいわれたことなのだが、このとき彼が俺をカモにして詐欺にかけようとしているとか、そういう可能性を俺は一切考えていなかった。思いつかなかったとも言う。
 思えばこのときからもう、俺もメルも互いにすっかり入れ込んでいたのだろう。
 正直に言って、俺はこのやたらと男前なタルタルと別れずに済むことを心の奥底でこっそりと喜んでいたのだから。


 結局俺は、その場で冒険者になることを決意したのであった。




[24697] 03-待ち人来たらず
Name: 為◆3d94af8c ID:b82d47da
Date: 2010/12/16 23:58

 蒸気の羊亭を後にしたその足で向かった冒険者登録は、なんかやたらと待たされた。で、待ち時間の割りに手続き自体はそう時間はかからず、終わってみたら認印の発行に一両日程度かかるとか言われた。くっそう、お役所仕事め。
 まあやはり俺自身の身分証明がなく、保証人になってくれたメルが他国の所属だったことが発行までの時間を長くしているらしいが。

 ところで認印って何かと思ったらシグネットのことだった。ゲームじゃかけてもらうと敵を倒したときにポイントが入ったりちょっとしたボーナスのもらえる魔法程度の認識だったのだが、メルに見せてもらったそれは乳白色の宝石をあしらったネックレスのようなものだった。
 シグネット自体はヴァナ・ディールを構成する重要な要素であるクリスタルの欠片で出来ており、魔法の認印として内部に名前や所属国などなどの情報が書き込まれているらしい。本人確認も可能で、他人が使っても活性化しないので国際的な身分証明にもなり、入出国をはじめ競売やモグハウスなど各種施設の利用には必須のようだ。
 また一定期間ごとの更新が必要で、更新の際には活動の証明としてクリスタルを提出しなければならないとのこと。無届で連続して更新をサボると登録抹消されることもあるそうだ。加えてクリスタルは余剰があれば納入することで戦績点に換えることが可能で、それを使って官給品の装備などと交換が出来るという寸法だ。これはコンクェスト政策にも直結しているので積極的に活用するようにと登録のときに言われた。

 ここで言うクリスタルはただの水晶ではない。世界を構成する最も根源的な八属性の力をこめた結晶は、合成や飛空艇の動力にも使われる重要な資源なのだ。
 生き物が死ぬと時折その体から零れ落ちることがあり、つまり冒険者には獣人や危険なモンスターとの戦闘を奨励しているということだ。あと個人レベルの譲渡はともかく、クリスタルの売買は国営のショップ以外禁止だそうだ。これもまたゲームにはなかった決まりである。普通に競売で売ってたのになあ。

 コンクェストについては……別の機会にしよう。

 さてここまで聞いて思ったのだが。
 どうもこの世界は俺の知っているFF11の世界そのままというわけではないようだ。まあアレはゲームの世界なので当然といえば当然だろう。全体的にゲームの世界を現実にマッシュアップしているような印象が強い。街や荒野の広さも然りで、ゲーム中には出てこない村や集落もありそうだ。
 冒険者として活動するにはゲームの知識だけでは戸惑うことも多そうだが、そこはありがたいことにメルという頼れる先輩がいる。この出会いには感謝してもしきれないだろう。
 ついでに言えばメルは割と説明好きのきらいがあるらしく、シグネットについても事細かに教えてくれた。そういう意味でも彼とは気が合いそうだ。何せ俺はただの冒険者にあらず、根っからの卓ゲ者で設定好きなのだ。

 さておき。

 手続きは大工房……正確にはその屋上で行った。屋上はちょっとしたグラウンドほども広さがあり、大統領官邸をはじめとする各種国家機関にお役所が集まった最重要機関でもある。
 建物内部には鍛治ギルドに火薬研究所、そしてシリーズのおなじみキャラ、シドの研究室を初めとする各種工房が集まっている。
 バストゥークは技術に秀でたヒュームと力に秀でたガルカによって築かれた技術大国だ。アルタナ四ヶ国において常に最新の技術を発信し続けるバストゥークの開発力の高さは、工房内に設置された巨大な水車や昇降機、鍛治ギルドの炉にも垣間見ることが出来るだろう。
 一方でいまだ年若いこの国には建国当初から何かと影が付きまとっていたりもするのだが……今は蛇足だろう。

 見学させてもらった鍛治ギルドの炉や実際に乗った昇降機は感動モノだった。生粋のバス国民だった俺は何度となく利用した施設だが、モニタの向こうに見るのと自分で乗るのとでは大違いだ。
 さすがに用もないのにシドやプレジデントに会うことこそ出来なかったが……ただ大統領官邸の門番してたのは、あれ多分ナジだ。やっぱり門番だったかと何気に一番感激してしまった気がする。おかげで変な目で見られた。




 そんなこんなで大工房を後にし、軽く街を案内してもらうと、時刻は既に夕方になっていた。
 夕食にと工房にある職人食堂で購入したソーセージロールを食べ歩きしながら、俺たちはバストゥーク居住区へ向かっている。駆け足気味に冒険者登録まで済ませてしまったがぶっちゃけそろそろ疲れがピークに達している。ただ精神的な疲労というべきか、はしゃぎ疲れたというべきか……体はまだなんとなく動けそうな気がするから不思議なものだ。
 ともかく身の回りのもろもろはゆっくり揃えればいいだろうということになり今日の寝床に足を運んでいる次第だ。

 寝床……つまりモグハウスである。大都市の一角にこしらえられたこのワンルームマンションは、なんと冒険者に無償で貸与されており、それだけでも各国が冒険者支援にどれほど心血を注いでいるのかうかがい知れるだろう。ちなみに所属国以外で借りるとレンタルハウスと名前が変わる。
 バストゥークのそれの見た目は総石造りの2階建て安アパートといったところか、それが5棟は並んでいる。ゲームじゃ市街地のゲートから部屋に直結だったからこうして外から見るのはなんか新鮮だ。
 ちなみにこれまたFFシリーズおなじみの獣人、モーグリたちがハウスキーピングを勤めているのが名前の由来……なのだが、メタ視点から見ると実はFF7の中にあったミニゲームが元ネタではないかと言われていたり。

「全部で200室ってところか?」

 もぐりと最後の一口を押し込んで咀嚼する。
 目算なので多少前後するだろうが、大体そんなものだろう。

「そのくらいだったかなあ。ウィンダスやジュノも同じくらいだったし、サンドリアもそう変わらないんじゃないかな」

 総じて1000人分ということか。1つのサーバに3000人以上が登録していた感覚からするとちょい少ない気もするが……現実に1人1室となるとこんなものだろうか。考えてみたら最初からバストゥークに住んでたらモグハウスは要らないだろうし、レンタルハウスだって常に契約してるわけじゃない。

「しかし、よくまあ土地が確保できたもんだな」

 実際面積だけ見れば結構な広さの土地を占拠している。居住区の一角が丸々モグハウスになっていると言って過言ではない。
 これだけの土地、徴用したりすれば住民の反発も相当なものだろうし、新たな地区を開拓するにしてもバストゥークは周囲を山に囲まれた盆地だ。そう簡単に出来ることではあるまい。
 じゃあどうやって用意したのか……。

「水晶大戦さ」

 ぽつりと、傍らを歩くメルが小さく呟いた。

「え?」

「これだけの用地を確保できた背景には、20年前の大戦が絡んでるんだ」

 平坦な声は囁くような、ともすれば聞き逃してしまいそうなか細さだったが、それで合点がいった。


 20年前。
 FF11のストーリーの根幹を成す重大な出来事があった。

 それが水晶大戦、あるいはクリスタル戦争と呼ばれる大戦争だ。

 その戦争はヴァナ・ディール中西部にある2つの大陸、俺たちが今いるクォン大陸とその隣のミンダルシア大陸では世界全土を巻き込む大規模なものだった。
 創世神話において女神アルタナに生み出されたとされる人間、つまり地球人と変わらぬ姿のヒューム、メルたち小さな民のタルタル、笹の葉のような耳が特徴的な長身痩躯のエルヴァーン、猫のような耳と尻尾を持つミスラ、熊と見まごう体格のガルカの5種族と、男神プロマシアに生み出されたとされる獣人たちが総力を挙げて激突したのである。

 人間と獣人との関係は決して良好とは言えないながらも、それまでは細々とした交流がないわけではなかった。だがあるものの登場が両者の関係を決定的なものにしてしまう。
 『闇の王』とそれに率いられた『闇の血族』の出現である。歴史に突如として姿を現した闇の勢力は、力と恐怖によって瞬く間に獣人たちを支配し、『獣人血盟軍』の旗を掲げ人間たちの殲滅を謳った。
 緒戦、各個に独立して対抗していた人類は苦戦を強いられ各地で敗退が続いていた。このままでは敗北は必至と見た国々はついに協力してこれに当たることを決意、バストゥーク、サンドリア、ウィンダス、そしてジュノの4ヶ国からなるアルタナ連合が結成された。この音頭をとったのがジュノ大公カムラナートである。
 その後戦況は一変、アルタナ連合は攻勢に転じ、ついにクォン大陸の北限の地ザルカバードにて闇の王を封印。かろうじて終結を見たのである。

 水晶大戦では多くの被害が出た。各国はいずれもその首都まで獣人たちの侵攻を許してしまったことさえある。
 そして……終戦から20年たった今なお、その傷跡は埋まらない。獣人たちとの戦いも終わってはいない。

 つまり、モグハウスの建設はその傷跡をどうにか埋めようと……あるいは覆い隠そうとあがいていることの証でもあるのかもしれない。

「そもそも冒険者って、戦後復興のために立ち上がった市民兵が始まりでもあるんだ。彼らのために建てた仮宿舎が、モグハウスの原型なのさ」

 俯き加減で話すメルの顔はフードの陰に隠れてしまってうかがえない。彼自身、20年前の大戦に何か思うところがあるのだろうか。
 気にはなる、だがかけてやれる言葉もない。俺の言葉なんて望んでいるとも思えない。

「なるほどなあ……色々詳しいなあ、メル先生は」

 だからわざとらしく明るく話を逸らすしかなかったが、幸いにも彼もそれに付き合って笑いながら答えてくれた。

「先生はやめてよ。せめて先輩がいいね」

「はい、じゃあメル先輩質問。ここ冒険者じゃなくても借りられるの?」

「残念ながら冒険者専用。けど借主に同伴する分には問題ないから、今日はボクのところで我慢してよ」

「我慢だなんて滅相もない」

 屋根があるところで寝られるだけでも万々歳である。いつまでも転がり込んでるのも悪いし、受けた恩はさっさと返したいので早いうちに認印が届くのを期待するばかりだ。

 西の空に傾いた太陽がバストゥークを取り囲む山並みの向こうに沈み、夕焼けの空に夜闇が忍び寄る。立ち並ぶ家々の窓に段々と灯りが点り、煙突からは煙が、窓からは夕餉の香りが漂ってくる。
 住宅街からは子供たちの遊ぶ姿が消え、家路を急ぐ人々が忙しなく通り過ぎる。
 一方でモグハウスを出る冒険者たちの姿も。彼らはこれから外食なのだろう、酒場が本格的に運転を始め、街は夜の活気に賑わい始めるわけだ。

 ふと、そんな人の流れが集まる先があることに気づいた。
 丁度モグハウスと住宅街の中ほどに、一際大きな建物がある。意匠は宮殿かあるいは劇場か何かのようにも見えるが、ちと住宅街には似つかわしくない。

「なあ、あれって何だ?」

「ああアレ? 公衆浴場だよ、って言ってわかるかい?」

「こうしゅうよくじょう……って風呂か! おお、風呂あるのか……」

 風呂があるなら是非入りたい。今の俺は一昼夜荒野をさまよってすっかり埃だらけだ、風呂好きの日本人としてはさっぱりしたいと思っていたところだ。

「バストゥークも面白いこと考えるよ、ウィンダスじゃみんなではいるでっかい浴槽なんてとてもじゃないけど思いつかない。そもそも桶にお湯を張って中に入ること自体稀だよ」

 なんて言いながらメルはうんうんと感心した様子で頷いている。サンドリアの冒険者も最初は驚いてたよ、なんて。

 その辺りはお国柄というものか。
 バストゥークは鉄鉱や工業によって成り立つ国だ。文字通り汗水たらし、泥と油にまみれる鉱夫や技師の疲れを癒す施設が強く求められていたのだろう。
 それに周囲に森や草原などの豊かな自然があり、それに裏づけされた綺麗な河川が豊富な二国と比べるとバストゥークの環境は割と苛酷だ。乾いた土と岩ばかりの荒野に取り囲まれ、流れる河川は工業排水によってお世辞にも綺麗とはいえない。市内を流れる川が黒灰河ブラックアッシュリバーなんて呼ばれているほどだ。
 住人たちが共同で使える大浴場が設置されるのも自然な成り行きに思える。

 で、気になるのは……。

「有料……か?」

「ぷ、くっくく……」

 何故笑われたし。

「だ、だって、そんな物欲しそうな顔するんだもの……くくく。あそこも国営だから、そんな高いもんじゃないよ、はい」

 くすくすと笑いをこらえながら、メルはポーチからいくらかギル硬貨を取り出して俺に寄越す。なんか、子供にお小遣いをもらっているような気分になるなこれ。
 畜生こいつもいつまで笑ってやがる!

「メルは行かないのかよ」

「ごめんごめん、そんな不機嫌な顔しないでくれよ。ボクはほら、荷物があるから先にモグハウスに置いてくるよ。出たところで待ち合わせしよう」

 そういえばメルはずっと大きな背負いかばんを身につけていた。酒場では尻に敷いていたが、多分それがゴブリンのかばんなのだろう。
 出たところでっていうか俺が中で待ってればいい気がするのだが、とりあえずメルとはその場で別れて俺は公衆浴場へ向かった。

 浴場の受付をしていたのはモーグリだった。

「ここの管理もモーグリなのか……」

「クポ? お客さん初めてクポ、それならいくつか決まりがあるからよく聞くクポ」

 小銭を渡すとモーグリはタオルを二枚寄越し、クポクポいいながら説明を始める。
 明らかに航空力学を無視した小さな羽根でぷかぷかホバリングしており、いちいちくるくる回ったりするものだからどうも要領を得なかったが、ようは中に入って服を脱いだらまずタオルで汚れを落としてから湯に入れ、荷物は目の届くところに置くこと、盗難にあってもモーグリは責任を取れない云々。
 非常に残念ながらコーヒー牛乳はなかった。あとフルーツオレも売ってない。いつか持ち込んでやろう。

 中の広さはかなりのものだ。25m四方はある建物の中は、その面積のほとんどを床を掘り下げた形の浴槽が占めている。熱気がこもらないようにか天井はなく夜空が見えていて、どちらかというと高い壁に囲まれた露天風呂のような感じだ。何か魔法の力でも働いているのか肌寒さは感じないのは徹底している。混浴ではないため壁で仕切られた隣にもう一個同じ設備があるわけだ。
 受付から直で風呂場なのには少し戸惑ったが周りの客に習って俺もその場で服を脱ぎ、専用に別の湯が用意されている洗い場で汗と泥を落とす。それだけでもだいぶさっぱりした。
 浴槽には20人ほどの男たちが浸かっていたが、みんな端のほうに寄っている。荷物からあまりはなれないためと、その辺りは内に向かって階段状になっていたからだ。そこが腰掛けるのに丁度よく、なるほどこれならタルタルも利用できる。
 けど今のところタルタルの客は1人しかいない。メルではなく。その他にはエルヴァーンが2人いたが、あとは全員ヒュームとガルカだ。バス国民以外にはやはりなじみがないということだろうか。

 そして気づいたのだが、ヒュームとガルカが浴槽の真ん中あたりで綺麗に左右に別れている。
 バストゥークに住む両種族の間には深い確執があるという設定だったが……なるほど、どうやら事実らしい。

 ため息をつきながら俺も浴槽に入る。場所はヒュームとガルカの丁度中ほど、一番深いところで下腹あたりまでの湯の中で腰を下ろし、肩までじっくりと浸かる。

 あぁぁ……至福のとき。生き返るとはまさにこのことよの。

 口から魂が出て行きそうなほど深く息を吐く。
 ぐぐっと背伸びをして肩や背筋をほぐしながら空を見上げると、見えたのは満面の星空だった。青く輝く月の回りにちらちらと星々が瞬いている。
 今日は水曜日だろうか。ヴァナの1週間は8日だ。火、土、水、風、氷、雷、光、闇の曜日が日ごとにめぐり、月もそれに合わせて色を変える。曜日と属性は無関係ではない。火曜日(ひようび、だ。水や土も同じく訓読みをする)には火の属性の力が高まり、例えばファイアの威力が増したりする。月の色によって世界の属性が高まるのか、高まった属性によって月の色が変わるのかまではわからないが。
 余談だがヴァナ・ディールで使われる天晶暦は1ヶ月30日、12ヶ月で1年のシンプルなもの。対して月齢が84日周期で巡るため太陰暦ではないということになる。

 そんなことをつらつらと思い出しながら星空を眺め続ける。北の天頂に一際黄色く輝く星、あれがオーディン座のスレイプニルかなあ、なんて考えながら。

 やはりここはファンタジーな世界だ。
 街を照らす角灯の明りはやわらかく穏やかで、大都市といわれるバストゥークが灯すそれでさえ星空をかき消すにはいたっていない。
 日本じゃ、少なくとも東京じゃ見られなかった空だ。今更のように自分が異世界にきているのだと実感させられる。


 ────異世界、か……。


 口の中で転がした言葉の現実味のなさに我がことながらどう反応するべきか迷ってしまう。
 グスタベルグの荒野を彷徨っていたときには理不尽さを愚痴に零しながら心を不安と絶望に支配されていた。それがメルに助けられて、ここがヴァナ・ディールだと分かってからはどうだろう。俺は妙にはしゃいでいた気がする。メルの言葉に乗せられたとはいえ、あっさりと冒険者登録なんてしてしまうほどに。

 多分……不安を誤魔化しているのだ。メルに助けられてもう大丈夫だと、ここはあんなにも愛したヴァナ・ディールなのだと自分に言い聞かせて。

 そのメルもメルだ。勢いづいて彼の世話になりっぱなしだが、荒野で拾った男を自腹切って世話をすると断言するなんて、あんまりにお人よしが過ぎるだろう。
 かといって、俺は彼が差し伸べてくれる手を払うことは出来ない。今の俺にとってメルだけが唯一のよりどころなのだ。彼から離れてしまえば、俺はまた1人になってしまう。

 メルがいなかったらと想像して、熱い湯に浸かってるにもかかわらずぶるりと震える。

 荒野に独りぼっちだった時間に感じた孤独……ただの二晩にもかかわらず、あの孤独はまるで鑢をかけるかのように俺をじりじりとすり減らしていった。
 アウトポストに案内してもらったその夜、俺の足にケアルの魔法をかけて部屋を出て行こうとしたメルに、思わずすがり付いて「行かないでくれ」なんて言ってしまうほどに。多分、あの時俺は泣いていた気がする。メルはそんな情けない俺を笑いもしなかった。小さな手に優しくなだめられながら、俺は泥のように眠った。

 思い出すだに赤面ものだが、それほどにあの時はくたくただったのだ。
 あの孤独をまた味わうことだけは、ごめんだ。

 だがメルのことを何も知らないというのも事実だ。
 メルは冒険者で、フードのついたローブ──鮮やかな白地に胴部や裾、袖に青をあしらった意匠はおそらくリネンクロークあたりか──と腰に差していた短杖ワンドから察するに多分、白魔道士。ケアルつかってたし。
 チョコボに乗っていた様子や言動から察するにそれなりに経験をつんでいるのだろうとは思える。

 が、分かるのはその程度でそれもほとんど推測。そしてそれは向こうにしてみても同じはずだ。
 にも関らずなぜこんなに親切なのか理解できない。どう考えてもちょっとおかしい。それが冒険者というものなのか、それとも。

「なにか、知ってるのか。俺になにが起きたのか……?」

 やめろ。彼が俺を裏切るはずがない。

 だってもしそんなことになってしまったら。

 俺は……──。




 じゃぶんと隣に誰かが入ってきて、我に返る。
 隣にいたのはガルカの男……というかガルカには男しかいないが……だった。
 皆一様に巨体を誇る彼らの例に漏れず、その男も俺より頭1つ2つ背が高く、何より広い肩幅と鍛え抜かれた隆々とした肉体が更に彼を大きく見せる。
 その岩のような体にはいくつも傷をこさえており、中でも獅子の鬣のような剛毛にぐるりと縁取られた顔の中央、額から鼻筋を通って右のほおまで走る傷が印象的だ。
 戦士、だろうか。だとしたらかなりの歴戦のつわものといった風情だ。

 むっつりと湯に浸かるガルカにじろりと睨まれ、慌てて目を逸らした。


 ええと、なに考えてたんだっけ。そうそう、冒険者になんかなるって決めちゃったけど大丈夫なのかってことだ。
 そもそもこの世界、最初はFF11の……つまりゲームの世界に迷い込んでしまったのかと思ったけどそれもちょっと怪しい気がしてきた。
 大工房でも思ったことだが、この世界は全体的に現実とマッシュアップされているイメージがある。

 言い換えれば、だ。

 このヴァナ・ディールは酷く現実的なのだ。
 それを最も強く感じたのは、登録手続きのあと競売所を案内してもらったときのことだ。

 FF11の市場はこの競売で成り立っていた。
 プレイヤー個人個人が露天のように物を売るバザーとは違い、競売はアイテムの売買を指定の窓口で一括して行っている。競りの方式はやや特殊で、売り手が設定した価格以上の金額で入札すれば即落札となる。価格の目安は落札履歴で一覧できるという仕組みだ。
 譲渡不可の属性を持つ一部のアイテムを除き、武器、防具、アクセサリー、薬品、素材、料理、果てはペットの餌と、ありとあらゆる品がこの競売に出回っていた。物を売ろうと思えばまずこの競売に流すのが基本で、つまりFF11の経済は冒険者たちがまわしていた。

 当然だろう。
 FF11はMMOだ。世界の主役はあくまで冒険者……プレイヤーキャラクターたちであり、街の住民たちはみなNPC、システムの一部に過ぎない。


 だが案内された競売所は俺の知っているものとは全く違った。いやむしろより本来の意味での競売がそこでは行われていたのだ。


 建物の中は30人ほどが収容できる部屋がいくつか並んでおり、その中で武器や防具などのカテゴリごとに競りが行われている。今日行われた競りは5件で、俺たちが行ったときには既にすべて終了していた。
 競りの会場のほかには鑑定所もあり、専門の資格を持った鑑定士が勤めている。競りにかけられるのはその鑑定所で10万ギル以上の値がついたものに限られているという。
 更にメルが言うには、競売に出回るのはおおよそ30万ギル以上のもの。それ以下のものは競りで値段を吊り上げるより商店などに売ってしまったほうが早いからだそうだ。

 驚いたのは、競りには冒険者以外も多々参加しているという話だ。
 例えば武器や防具ならそれを扱う商人や商店店主が、あるいは珍しい品物であれば金持ちの好事家が。

 俺はメルに聞いてみた。武器も防具も薬も、冒険者が冒険者同士で取引をする大規模な市場はないのか? と。
 それに対する返事がこうだった。

「なに言ってるの、そんなものがあったら世界の経済が破綻しちゃうよ」

 それでわかった。
 この世界において冒険者は時代の立役者かもしれないが、決して世界の主役ではないのだ、と。
 街を歩く人々は、鉱夫も主婦も商人も旅人も子供も大人も老人も、決してシステム的なNPCなどではない。生きた人間だ。
 冒険者は経済活動に参加こそすれ、その全てを担っているのではない。むしろ世界的に見れはほんの一部に過ぎない。

 そういう酷く"現実的な"世界なのだ、俺が今いるこのヴァナ・ディールは。

 そんな現実的な世界で冒険者は、今日もどこかで命を落としている。
 敵に倒されたら戦闘不能になって、いくらかのペナルティだけでホームポイントに戻ってこれるなんてことはありえない。

 冒険者になるということは、死と隣り合わせになることなのだと、やっと気づいた。
 そう考えるとメルは酷い奴かもしれない。そんな冒険者になるように勧めるだなんて。

 けど、辞めるつもりもなかった。
 メルと離れたくないというのもあるが、元の世界に帰る手立てを探すにはほかに方法がないと思ったからだ。
 もっと言えば全く当てがないわけでもない。ヴァナ・ディールで異世界の存在が観測されていることは前にも述べたが、実は1人いるのだ。異世界への扉を開いちゃうような人が。
 だがぺーぺーのままでその人に話を聞いてもらえるかどうかわからないし、それにメルに頼り続けるのもいやだ。
 せめて自力でその人のところにたどり着ける程度の実力は身につけたい。そう思い始めていた。

「どうなるかな……」

 ぶっちゃけ俺、貧弱一般人だし……。

 呟きながらぼんやりと星空を眺め続けていた。
 とりあえず、メルの部屋に行ったら闇の王とかがどうなってるのか確認しないとな。そんなことを思いながら。










 ゆすゆす。

「おい」

 ゆすゆすゆす。万力みたいな手で肩を揺さぶられている。ゆすゆす。

「起きろ」

 ふぁい、起きます起きます。すみません仕事中に転寝して。昨日新人引き連れて俺式ヴァナ・ディール観光案内なんてやったのがいけなかったんですすみません部長。
 しかしそのせいか妙な夢を見た。俺がヴァナ・ディールの世界に迷い込んでしまうなんて愉快な奴だ。
 助けてくれたタルタルのメルとその後どんな冒険をするのか、もうちょっと続きが見たかったななんて思いながら目を開けたら。

 部長がヤクザ面の熊になっていた。

「ぅどぉうわぁ!?」

「やかましい」

 岩石みたいな手で小突かれて頭がぐわんぐわんする。

 待て待て、どこだここは。アンタ誰よ!?
 混乱して辺りを見回す。そこはでっかい浴槽の中だった。頭上にはお星様が煌いている。


 ────あ、あー、夢じゃなかったか。残念なような安心したような。


 さっきまでと変わらずそこはバストゥーク居住区の公衆浴場だ。どうやら転寝してしまっていたらしい。

「のぼせるぞ」

 それを隣に座っていたスカーフェイスのガルカさんが親切に起こしてくれたようだ。

「あ、いやどうも、ご親切に」

「構わん」

 そういってガルカはざばぁと浴槽をあがりのっしのっしと出て行った。

 むう、渋い。そしてクール。
 腹の底に響くいい声だったぜ……ってなんかこっち来てから男にばっかり見入りすぎじゃないだろうか。やだ、そっちのケはないわよ俺!!
 とか馬鹿なことを考えながら1人で身悶えてみたのだが、周りの客に変な目で見られるだけだった。ハッテン場ではないようで安心である。

 しかし。
 再度当たりに視線を巡らせるもののメルの姿は見当たらない。というより全体的に客の姿も少なくなってきていた。
 さっきまで1人だけいたタルタルの姿もない。

 やっべ、どれくらい寝てたんだ?

 メルは先に上がってしまったのだろうか、だとしたら待たせていることだろう。
 慌てて浴槽を出て体を拭き、ちょっと躊躇ったが着替えもないので同じ服を着て外に飛び出した。




 果たしてメルはご立腹でお待ちかねであった。

「遅いよ、なにしてたのさ! 全く、湯冷めしちゃうところだったじゃないか」

「悪い悪い、うっかり風呂ん中で寝ちまってさ。つか起こしてくれりゃよかったのに」

 外で待っていたメルは、先ほどまで着ていたのと同じ形だが褐色がかった綿で織られたコットンチュニックを着ている。もちろんフードもすっぽりだ。多分寝巻きなんだろうけど……クローク系好きだなあ。

 ぷりぷりと頬を膨らませて、まータルタルって卑怯ね! って感じの可愛らしさで起こっていたのだが、俺が寝ていたと聞くやふぅん、と目を細めた。
 何かしらその猫のような顔は。ミスラかお前は。

「寝てたんだ、それは悪かったね。大丈夫? のぼせて頭痛くなったりしてない? ほら、体冷やすからちゃんと乾かして?」

「てめ、ここぞとばかりに子ども扱いするなよ!」

「おや、そういうこと言うのかい? 誰だったかなあ、歩哨小屋でボクにすがり付いて泣きながら、」

「おおおあぁあだぁ! 言うな馬鹿! 悪かったよこの通り!!」

「素直でよろしい」

 なんかもう既に頭が上がらなくなってる俺。
 むしろ現在進行形でメルからの借りは雪ダルマ式に増えているわけで……へ、返済できるのかなあ。

 先行きに不安を感じながらモグハウスへ向かっている最中。それは起きた。



「きゃぁ!?」



 悲鳴!?

 通りの角から聞こえた女性の悲鳴に思わず体が硬直する。

「な、なんだ!?」

「行くよ!!」

 足元から飛び出した小さな影に我に返り、慌ててその後ろを追う。

 現場はモグハウスの立ち並ぶ一角だった。既に何事かと冒険者たちが集まりだしている。好奇心旺盛なことだ。
 メルのあとについて駆け込んだ俺の目に飛び込んできたのは、2人の人影が決闘のように対峙している姿だった。

「ちょっと、落ち着いて! 私は何もしないわ!」

 相手をなだめようとしているのは、先ほど悲鳴を上げたと見られる女性で、冒険者らしくハーネスと呼ばれる軽装鎧を纏っている。
 上背が俺と並ぶか超えるかと見える長身痩躯で、つんと尖ったエルフ耳が頭の横に張り出している。エルヴァーンの女性だ。

「…………」

 対するのは、小柄で、14,5歳と思しいヒュームの少女だ。ライトブルーのショートヘアに眼鏡をかけている。
 まるで学生服のようなブラウスにプリーツスカート、それに黒いマントを羽織っている。傍目にもどれも上等な品に見えるが、右手に握っているものが不釣合いだった。
 おそらく先ほどエルヴァーンの女性に悲鳴を上げさせたのはそれだろう、物騒な大ぶりのナイフだ。

「ね、大丈夫だから、それを返してちょうだい?」

「近寄らないで」

 女性が落ち着かせようとするものの、少女のほうは取り付く島もない。牽制するようにナイフを突き出して、女性を睨みつけている。
 しかしその表情に浮かんでいるのは……焦り、いや困惑?

 そうしている間にも段々と人が集まり、2人はすっかり野次馬に囲まれている。
 少女が瞳に宿す光は剣呑で、ともすればその場にいる全員を敵に回しかねない勢いだ。

 一触即発の状態がどれほど続いたか。

 じり、と動いたのは女性でも少女でもなかった。野次馬の中の1人が、少女を取り押さえようと後ろから忍び寄る。
 もうあと一歩で手が届くかという距離で、しかし動いたのは少女のほうが早かった。

「あッ!」

 叫んだのは誰だったか。
 ナイフをふるって後ろから近づいていた冒険者を振り払った少女は、その場を逃げ出そうとナイフを構えて野次馬のほうへ……。

「危ない!!」

 まっすぐ。

 こちらに突っ込んできた。


 少女と目が合った、気がした。
 深く、昏く、敵意をむき出しにした蒼い瞳。一瞬、その瞳が揺らいで見えた。









「え?」

 ……何した、俺?

 ほうけた声を出したのは俺だ。
 記憶に空白が、自分の体がどう動いたのか思い出せない。
 
 気づいたら少女は地面に引き倒され、俺はその細い腕を掴み、手からナイフをもぎ取っていた。

「…………ッ!!」

「どぁ!?」

 呆然とした隙に少女の足が跳ね上がり俺の鳩尾をえぐる。
 激痛にしりもちをついた俺を尻目に、少女は猫のように飛び起きてそのまま夜の住宅街に走り去ってしまった。

「いっつつつ……」

 腹をさする。体重の乗っていない蹴りだったからそれほど後には引かないだろうが。

「大丈夫? ごめんね、まさかあんなに勘のいい娘だとは思わなかったわ」

「リック、怪我はない?」

 助け起こしてくれたのはメルと、先ほど後ろから忍び寄ろうとしたヒュームの女だ。
 シーフの彼女は気配を絶つ術には自身があったそうだが、あの少女は思った以上に鋭かったようだ。

「俺は大丈夫だ。それよりあの娘は……?」

「逃げられちゃった。けど私ちょっと探してみるわ、このあたりは庭みたいなものだし」

 俺が無事と見るとシーフの女は「んじゃね」と言い残してその場を後にした。
 それを騒ぎの終わりと見て取ったのか、野次馬たちも三々五々に散らばっていく。

 一方メルは、騒動の中心にいたエルヴァーンのほうに話を聞いている。

「じゃあ本当に突然?」

「ええ、なんだか迷子みたいだったし、鉱山区のほうに迷い込みそうだったから声をかけたのよ。そしたら私の顔を見るなり血相を変えて……突然で私も油断したのね、ナイフを取られちゃって」

「なんだろう、それはずいぶんと妙な話だね」

 意識の外でそんな会話を聞きながら、俺は手に残ったナイフを見つめた。

 あの一瞬。
 俺の体は、完全に俺の制御を離れて動いていた。

 いったい何なんだったんだ……?




 無骨なナイフは、答えを教えてくれたりはしなかった。





==


ヴァナディール編の1を加筆修正しました。
リックがグスタベルグに現れたあと彼は2日ほど荒野をさ迷っています。


>ゼンドリック漂流記ということは全ジョブ盛りの……!?

イヤソレハナイ。


>ルイズの装備はカーバンクルミトン、エボカーリング、アポロスタッフかな。

ほう、よくわかったな。ジュースをおごってやろう。
まあ鉄板装備ですな。



[24697] 04-そして、めぐりあう
Name: 為◆3d94af8c ID:b82d47da
Date: 2010/12/16 23:59



「天晶暦886年……獣人勢力の活性化が目立つも闇の王の影はいまだ見えず、冒険者の時代は今始まったばかり、か」

 床に座り込んで読んでいた新聞をばさりとたたんで、なにを見るわけでもなく天井に視線を向ける。
 シンプルな部屋だ。広さは12畳ほどで、床には絨毯が敷いてある。その他にはちょっとした作業台と、後はタンスとベッドがあるばかり。暖炉の火が赤々と揺れているレンタルハウスの一室である。

 メルの借りていたレンタルハウスにはヴァナ・ディールトリビューンと題された新聞のバックナンバーが完備されていた。
 現実世界──便宜的な言い回しだ──ではゲーム内で発行されている新聞という設定で刊行されていたが、やはりこの世界でも違わず存在した。世界情勢を知るにはもってこいである。

 トリビューンを読む限り今はまだ辺境航路もコロロカの洞門も開いていない。むしろコンシュタットやラテーヌにやっと出張チョコボレンタル所が設置されたなんて記事が掲載されているほどだ。
 つまりほぼFF11サービス開始当初の情勢と見て相違ないだろう。
 三国ミッションに始まりジラートミッション、プロマシアミッション、アトルガンミッション、そしてアルタナミッション。そのどれを匂わせる記事も書かれていない。いつかは起こるのであろうが、MMO内の時間経過などないに等しい。ストーリー的には884年で時間が止まってるようなものだった以上、いつか起こりうる以上の推測は無意味だ。ゲーム内時間としての天晶暦は、正式サービス開始の時点で895年であったことからも分かるとおりあくまでタイムカウンター的なものでしかない。
 それにあまりミッション方面に首を突っ込む気はないし、冒険者は俺だけじゃない。俺の第一目標は元の世界に関する手がかりなわけで、世界の危機はこの世界に根付く冒険者に任せるとしたものだろう。頑張れ名も知らぬ主人公たち。
 っていうかプロマシアミッションとかマジモンの神様とのガチンコ勝負だ、なにそれ怖い。プリッシュには会ってみたいが。

 それはともかく、ひとまず最優先事項としてはウィンダスのアノ人にコンタクトを取ることであろうか。
 誰あろう"連邦の黒い悪魔"と名高いシャントット女史のことだ。

 ぶっちゃけヴァナ・ディール最強と目されるうちの1人で、聞いた話になるが少し前に追加されたシナリオでは自力で異世界への扉を開いたとかいう。FFシリーズオールスターのディシディアはおろかFF14にさえ出没していると言われるお方だ。相談相手としてはこれ以上ないだろう……と思いたい。
 ウィンダスへ到達するだけなら大して難しい話ではないが問題はシャントット博士が話を聞いてくれるかどうかだ。なんか下手に接触すると呪われそうな気がしてならない。いやむしろ呪われるくらいならまだマシだ。ブチ切れられたら人生終わるのは確定的に明らかである。
 なので慌てて会いに行くより、最低限こちらに興味を持ってくれる程度に冒険者として名声をあげておくのがいいのではないか、という心算だ。

 さてそう上手くいくかどうかなのだが……。

「に、してもな……どうにも気持ちが悪い」

 シャツ越しに自分の腹に触れてみる。割れている。
 胸板をつついてみる。肉厚だ。
 力瘤を作ってみる。固い。


 明らかにゲームが趣味の貧弱サラリーマンの体ではない。


 先ほど完全に俺の意思を無視して条件反射で動いた肉体は、風呂では気づかなかったのだが意識して触れてみるとやたらと鍛えられて引き締まっていた。
 いや間違いなく俺の体だ。盲腸の手術痕や膝にある小さなほくろは、見慣れたもの。しかしどうしてか、まるで歴戦の戦士のような体つきに変貌してしまっているのだ。

 そして、剣を振るための知識と記憶。盾の効率的な使い方。
 あたかも厳しい修行の果てに備わったかのような戦いの記憶が体に刻み込まれている。
 剣の他にも斧、弓あたりは何とか使えそうだ。黒魔法や盗みの技、果ては踊りの記憶も多少あるものの、この辺は実践に足るものではない。

 異常はそれだけではない。

 そもそもここは異世界、日本はおろか地球ですらないのだ。ヴァナ・ディールの共通語は日本語でも英語でもない。
 にもかかわらず、俺は新聞を読めた。メルと会話が通じていた。
 読み書きできるなんてレベルではなく、ほぼ日本語と同列にヴァナ共通語の知識が脳内に刷り込まれていたのだ。ヴァナ共通語が第一言語になっていることに気づいたときには愕然とした。
 なんでこんなこと、酒場でメニューを読めた時点で気づかなかったのか。冒険者登録で書類を書いたときに気づかなかったのか。それほどまでに違和感がなかった。

 一応、想像できる理由がないわけでもない。
 それは俺の使っていたFF11のキャラクター。
 前衛ジョブを中心に育てていたデータが肉体に反映されているのであれば、俺のこの体も覚えのない知識も道理は通る……が、納得はいかない。
 仮にキャラデータが反映されているにしても若干腑に落ちない部分がいくつか残る。習得しているはずなのに使えないジョブとか。

「だぁ! もうわけ分からん!!」

 ついさっきここはゲームのFF11とは無関係の独立した異世界ではないかと思い始めたばかりだというのに、俺の体にはゲームのデータが中途半端に反映されている。
 理不尽に理不尽が重なってもう意味不明だ。考えるだけ無駄な気がしてきた。

 ともかく今は剣で戦う知識と記憶が一番深く備わっているとだけ覚えておけばいいか。

「どうしたんだいリック、そんな大声出して」

「っと、お帰りメル。まあ、ちょっと考え事をな」

 タルタルにはだいぶ大きな扉を押し開けて、部屋の借り主が戻ってきた。
 モグハウスについたところでメルはなにやらモグ金庫から荷物を取ってくるといって部屋を出ていたのだ。

 モグ金庫といっても、物理的にでかい倉庫がモグハウス棟に併設されていて、メルの契約しているモーグリは今そっちで金庫番をさせているらしい。部屋においておくと気が散るからだそうだ。まあ、確かに。何の用もないのにずーっとぷかぷかういてるしなあいつら。
 あとモグハウスを借りない……つまりバストゥークにもともと住んでた冒険者も金庫だけ借りることができるらしい。
 というのもモグ金庫はモーグリ独自の転移魔法で他国からでも荷物を引き出せると言う非常に便利な機能があるからだ。これも冒険者支援の一環で、国家間の冒険者の行き来を活発にしている一因だろう。
 ちなみに手紙や荷物の配送にもモーグリを使うことが多いそうだ。でかい荷物は無理らしいが。そういえばFF9にモーグリの郵便屋ってあったなあ。

 で、戻ってきたメルはなにやらうんとこよいしょと両手で剣を抱えていた。刃渡りが自身の身長ほどもありそうなものだ。

「うぉっと、またいきなりなにを持ち出してきたんだ」

 慌てて駆け寄って受け取ってやると、ずっしりと鋼鉄の重みが手にかかる。模造刀ではない、真剣の重みだ。刀身には鞘ではなく布が巻きつけてある。

「ずっと仕舞いこんだままだったんだけど、ちょっと持ってもらえるかな。その、両手剣」

「両手剣……」

 触ってみた感じ肉厚な刃に長めの柄は確かに両手剣ぽいが……刃渡りが60センチそこそこでは長剣というにもいささか心もとないわけで。
 ひょいと片手で持ててしまう。

「両手剣」

「…………悪かったねタルタルサイズで」

「あー、なんというか、これメルが使ってたのか? てっきりメルは白魔道士かと思ってたんだけど」

「ボクは白魔道士だよ。その剣は……まあ昔ちょっとね。それよりボクのほうこそ君は戦士の心得があると踏んでいたけれど、剣は使えるかい?」

「なんとかなる、と思うけど」

 確証はないが振れない気もしない。俺の体にナイトの記憶が宿っているのであれば片手剣はお手の物だ。

「ちょっと振っていいか?」

「いいけど、周り気をつけてね」

 メルに了解を取って巻きつけてあった布を取り払う。下から出てきたのは鋼の刃だ。刃幅は指4本分ほどで黒金色に輝いている……が、その輝きは鈍い。刀身は曇って多少の錆が浮いている。ずっと仕舞いこまれていたというのは本当だろう。
 柄に巻いてあるのは革か。合成のレシピによく動物のなめし革を要求されたのはこれだろうか。

「やっぱりずっと放りっぱなしだったからだいぶ曇っちゃってるね」

「柄がちょっと細いけど布でも巻きつけて何とか……」

 軽く振ってみる。ひゅんと風を切る音。無意識に体が構えを取る。
 やっぱり、体が剣の振り方を知っている。

「うんうん、見込みどおり。さまになってるよ、リック」

「そうか? けど分かるもんなのか、俺が剣士かどうかなんて」

「足運びとか筋肉のつき方とか見ればなんとなくね。それにさっきの立ち回りも」

 そういえば自分の記憶にはないのだが、俺はあの青い髪の少女のナイフを寸でで見切っていたらしい。ホントに自覚ないのだが。

「実際どうなの? リックは実戦経験とか」

「……いや、ない。なんというか知識はあるというか、ずっと素振りだけでレベル上がっちまったような」

「なにそれ。とりあえずは明日、その剣でリックの実力を見てみようか。それから剣と鎧を買いに行こう」

「え、この剣じゃダメなのか? 錆も落とせばまだ使えると思うんだけど」

「だめだめ、こういうのは体に見合ったものを使うべきだよ。間に合わせでやってると痛い目見るんだから」

 実戦経験をつんでるであろうメルが言うならそれは多分真実だ。ゲームじゃないんだから、タルタルの鎧をガルカが着ることや、数年放っておいた生ものが腐らないことはありえない。
 そして結局メルからの借りが雪ダルマ式に増えるという寸法である。剣や鎧ってどれくらいの金額になるんだ……っていうかそんなにひょいと買ってあげるとか言えるあたりメルは実はめちゃくちゃ高名な冒険者だったりするのだろうか。

 そうと決まれば早く寝よう。と促すメルにしたがって天井からつるしてあるランプの火を吹き消す。煌々と燃える暖炉の火だけがちらちらと瞬いている。こっちは放っておいてもモーグリが消しに来てくれる。
 メルはその体には多少広すぎるベッドに、俺は毛布を借りて絨毯の上に寝転がった。本当は逆にしようと言っていたのだが、俺はこの方がいいといって押し切った。この上メルからベッドまで奪っては申し訳がなさ過ぎる。

 けどなんというかこれは……外国にホームステイしているような気分だ。外国どころじゃないが。

「そういえばさ、メル」

「ん、なに?」

 寝転がったまま聞くと、メルもベッドの中から答えた。

「メルって冒険者になって長いのか……?」

「5年くらい、かな……こういう生活を始めたのは。冒険者って職業として認められたのはつい最近だけど」

 そういえば世界的に冒険者が公認になったのは天晶暦884年だから……つい2年前のことになるのか。

「じゃあ今世界は冒険者ブームってわけだ」

「ぶーむ? まあ、流行の仕事にはなってるね……どれほど残るか知らない……ふぁ、けど」

 メルの声がむにゃむにゃぽわぽわとしてくる。今ベッドに入ったばかりだというのに、寝つきのいいことだ。
 半分寝ぼけた声でメルはぼそっと呟いた。

「リック」

「なんだよ」

「いっしょに冒険……しようね……」

 それきり、静かな細い寝息が聞こえてきて、返事をしたかしないか、俺もすぐにまぶたを閉じた。








 ぎょろり。
 硬いうろこの隙間からのぞく無機質な瞳に剣呑な光が宿り始める。発達した後ろ足2本で立つロックリザードは、目に力を溜めるかのように体を震わせた。

「石化の邪眼だ、気をつけて!」

 背後から聞こえたメルの声に慌てて目をそらす。視界の端でロックリザードの目が光を放ったように見えたがどうにか体に影響はない。
 しかし敵はまるで最初からそれを狙っていたかのように体当たりを仕掛けてきやがった。

 ────この、トカゲ野郎の癖にッ!

 慌ててひきつけた盾に重い衝撃が走る。
 腕どころか体全身がしびれそうだが、ありがたいことにチートっぽい下駄を履かされた俺の体はそのくらいでは崩れたりしなかったし、メルのかけたプロテスが衝撃から身を守ってくれる。

 体当たりを受け止めた盾でそのままロックリザードの体を押さえ込み、右手の剣を叩きつける。

 ゥゥグルルル!

 重量で叩き斬ることに重きを置いた肉厚の刃が大トカゲの足を引き裂き、憎々しげなうめき声を上げさせる。
 トカゲは俺から距離を取ろうとするが、今の傷のせいで足に力が入っていない。チャンス!

「おら!!」

 思い切りトカゲの頭を盾で殴りつける。
 今度こそ体勢が、

 崩れた!

 その瞬間を狙って下から掬い上げるように剣を振るう。
 狙い違わず刃は大トカゲの首筋、体と頭の鱗のちょうど継ぎ目を深々と切り裂いた。

 ォォォオォン……。

 それが断末魔の悲鳴だった。トカゲの短い前足では傷を押さえることも出来ず、がくりと足を踏み外して地面に倒れこみ……そのまま幾度か痙攣して、トカゲはついに動きを止めた。
 で、ついでに俺もそのままへたり込んだ。

「ふぅぅぅ……」

 大きく息を吐き出す。無意識に息を止めていたような気がして、大きく何度も深呼吸。
 心臓が早鐘のように脈打っている。体温が跳ね上がって背中に汗が吹き出る。

 肉体的な疲労はない、ダメージも大して負っていない。

 だが生まれてはじめての"戦闘行為"が精神に大きく負担をかける。手にかかる剣と盾の重み、肉を切り裂く感触、あふれ出る血の匂い。
 なにより……自分の実力が分からないというストレス。
 理屈では大丈夫だと思っていても、実際剣を振るうのは怖い。体より心が疲れた。

「お疲れ様、リック」

 もしものときに備えて後方で見守っていたメルが水袋を差し入れてくれる。ありがたい。ありがいが……このタルタル、結構スパルタだった。
 朝食後、居住区の広場で剣の素振りをしてみたところ、案の定馬鹿みたいに体が良く動いた。するとメルは言いました。「思ったよりいけそうだね、外出てみようか」と。
 んでもって俺たちはバストゥーク港の門から出て街道を外れて歩くこと2時間ほど、北グスタベルグの荒野でトカゲ狩りにいそしんでいるわけである。俺たちって言うか主に俺だが。ちなみに盾はクゥダフが使っているもので、これもメルが倉庫の肥やしにしていたものだ。服も当座のしのぎということで、普段着にも使える厚手の生地に綿をキルティングした綿鎧を古着屋で調達した。

 これで倒したトカゲは5匹だか6匹。ペースは、多分早い。

「にしても本当に実戦は初めてなのかい? とてもそうは思えない、ここら辺のクゥダフくらいなら余裕で相手に出来るんじゃないかい?」

「勘弁してくれ、正真正銘素人なんだ。それに動物相手と獣人じゃ勝手が違うだろう」

 動物は本能に任せて攻撃してくるだけだが、獣人は違う。やつらはしっかりとした知性を、文化を持ち、1人1人がれっきとした戦士なのだ。
 にわか仕込みの駆け出し冒険者には荷が重い。

「うーん、まあ確かに……。それにリックの動き、剣筋も見切りもいいのに時々変に動きがずれたり遅れたりしていたね」

 メルの指摘には思い当たる節があった。
 何のことはない、昨日と同じだ。俺の意思を無視して体が勝手に動きやがるのだ。
 目は敵の動きを捉えている、体もすばやく反応する。認識だけがそれに追いつかない。染み付いた記憶、身に覚えのない経験によって反応する肉体が、一瞬とはいえ意識的な制御を離れてしまうのだ。
 無意識の反応を考慮に入れた上で動けるのならば問題ないのだが、そうではないがために自分の行動が把握できなくなる。結果対応が遅れるわけだ。
 まるで自分の体ではないような気分だ。今の俺には高すぎるスペックに振り回されている。これは克服するためには何とか肉体を慣らしていく必要があるだろう。

 けど。

「くく……」

「? 何笑ってるのさ、リック」

「いや、なんでも」

 けど、少しだけ楽しい。
 ついこの間までただのサラリーマンとして退屈な日常を送っていた俺が、剣と盾を構えて荒野のモンスターを狩っている。
 あまりに現実離れしていて、そんなことありえないと思いながら、だが常に心のどこかで夢描いていたことが実現してしまったような気がして心が躍る。

 そんな場合じゃないってのは理解してるんだけど、な。

「さてと、とりあえず捌いちゃおうか」

「あ、俺にもやらせてくれっていうか、やり方教えてくれよ」

「いいよ、覚えておいたほうがいいだろうしね」

 荒野に巣食う生き物たちも、もはやシステムに管理された敵ではない。倒せば死体は残るし、捌かなければ素材になることもない。クリスタルだけはホントにぽろりと零れ落ちるのが不思議ではあるが。
 鱗の薄い腹からナイフを滑らせて皮をはぎ、錬金術の素材になる尻尾も切り落とす。手に入れた品物はギルドや合成を生業にする冒険者に売ることになる。
 肉は硬くて食えたものではないのでそのまま大地に転がしておく。こうしておけばまた別の生き物の糧になるわけだ。
 解体はちょっと腰が引けるが、やらないわけにはいかない。こっちの都合で命を奪ってるわけで……命を奪う、改めて考えると重い言葉だ。ここはゲームじゃあない。

 メルがかばん(ゴブリン謹製のあれだ。見た目よりたくさん入るが、さすがにベッドは無理だった)に戦利品をつめているのをぼうっと見つめていると、視界の端に通りがかった人影が見えた。

 二十歳かそこらのミスラだ。
 ミスラは総じて華奢でしなやかな女性の肉体に、猫のような耳と尻尾を持つ種族で、バストゥーク近辺ではあまり見かけることはない。大半がタルタルと一緒にミンダルシア大陸の南端、ウィンダス連邦に住んでいる。
 男もいないわけではないのだが極端に数が少ない上に南方のオルジリア大陸にあるミスラの本国、ガ・ナボ大王国から出てこないため中の国での男女差は非常に極端で、人によってはミスラは女しかいないと思い込んでいるほどだ。実際プレイアブルキャラクターとしては女性しか選択できなかった。
 さて……。
 気になるのはどうやって繁殖してるのかという話である。エルシモ島のカザムという村は中の国におけるミスラの拠点とされているが、やはり男ミスラの姿はなかった。NPCとして設置されていなかっただけかもしれないが。
 ただアルタナ5種族の間でなら子供を作ることは可能らしいと言う話もある。実際2名ほどヒュームとエルヴァーンとハーフは確認されている。ソースのない情報ながら混血の場合ほとんどパターンで母方の血が強く残り、外見的にハーフだと分かる例は稀少なのだとか。それが事実だとするとクォン、ミンダルシア大陸出身のミスラはほとんどが実はハーフという可能性も。そう考えると……ふむ、夢が広がる。

 とか馬鹿なこと考えていたらメルに睨まれていた。

「なんか変なこと考えてなかった?」

「なにをおっしゃるうさぎさん」

 さーてさっきのミスラさんはどこかしらーっと。

 いたいた。なにやらきょろきょろと辺りを見回しているが、探し物だろうか。彼女が振り返るたびに尻尾がゆらゆらとゆれている。
 身にまとっているのは漆黒に染め上げられた生地を用いたダブレットと呼ばれる軽装の綿鎧だ。ふんだんに施された銀の意匠が目にも鮮やかである。頭には同じデザインのベレー帽が乗っけており、腰には大ぶりのナイフと矢筒、背中に長弓を背負っている。どう見ても狩人だな、あれは。

 と、観察していたら向こうもこちらに気づいててこてこ近寄ってきた。なんだ?

「ねねね、お兄さんたち冒険者だよね。この辺の人?」

 座り込んでいる俺と小さなメルに視線を合わせようと、腰をかがめてずいと身を乗り出してくる。近い近い顔が近い。
 きょろきょろとした大きな目、動物っぽい黒い鼻、血色よく薄桃に染まった頬、つるりとした唇に彩られた小さな口。それが目の前に迫ってきて、思わず身を引いてしまう。

 この辺の人、と言うのはバストゥークのってことだろうか。どう答えたものか。

「まあ冒険者……かな。って俺はまだ登録済んでないけど、少なくともこっちは」

「ありゃ、駆け出しさん? んんーそっかー、じゃあ知らないかなー」

 今度は1人で唸り出す狩人ミスラ。なんつーか、あんまし人の話聞かない気配がするな、こいつは。

「で、まず君は誰だい?」

 こっちの冒険者、もといメルが尋ねると、ミスラはそうだったとばかりに顔を上げた。

「あたしダナ、ダナ・ヅェミーてゆーの。お兄さんたちは?」

「俺は……あー、リックだ。で、こっちが」

「メルだよ。さっきから何か探していたみたいだけど、用件はそのことかい?」

「リックにメル、と。ふんふん。あのねあのね、2人ともグスタベルグのどこかに石碑があるって、知らない?」

 鼻をひくひくとさせながら聞いてくるダナは、どうやらその石碑とやらを探していたらしい。
 石碑、石碑ねえ……。

「南のほうにあったのはもう見つけたんだ。でも北にももうひとつあるって聞いたから探してるんだけど、さっぱり見つからなくって」

「それってもしかして、グィンハム・アイアンハートの石碑か?」

「そうそれそれ……って知ってるの!」

 知ってるも何も。

 アイアンハート親娘といえば設定好きの冒険者なら誰でも一度は耳にしたことがあるはずだ。
 元船乗りであり、あるとき冒険家に転身して以来大陸中をめぐりほぼ独力でこのクォン大陸の地図を書き上げたヴァナの伊能忠敬と名高い。彼自身は志半ばで倒れるも、その娘のエニッドが後を継いでお隣ミンダルシア大陸の地図を完成させている。ちなみにエニッドは公式に確認されている2人のハーフエルヴァーンの1人だ。
 その足跡は世界中に石碑として残されており、かくいう俺も一時夢中になって石碑めぐりをしたことがある。

 彼ら親娘の作った地図は、今現在大陸で使われているほとんどの地図の原型になっているほどの出来栄えだ。

「ねえ、ねえねえ、どこにあるの? 教えて、お願いッ!」

「ああそりゃ教えるけど近い近い近いってば」

 なにが彼女を駆り立てるのか、勢いよく擦り寄ってきて襟首つかんでがっくんがっくん。なにがじゃねえ、コイツ根っから猪突猛進女だ!

「おおおお落ち着けってか放せ! 首絞め落とされたら教えられるものも教えられん!」

「あ、ごめん」

 ぱっと放されて尻餅をつく。ええい、踏んだり蹴ったりだ。
 大丈夫? と差し出すダナの手を取って立ち上がるが、まったく誰のせいだというのか。なんか昨日といい今日といい女の子に手を貸されてばかりだ。

「で、で、どこにあるの?」

「教えるって、ったく……」

 立ち上がってみると、ダナは俺より頭1つ分は低い小柄な少女だった。
 らんらんと輝く瞳で俺を見上げている。

「滝壺だよ。臥竜の滝の滝壺まで降りると滝の裏手に洞窟があるんだ。そこにある……はず」

 ゲームの知識が正しければ、だが。
 しかしあの滝壺に下りるのは実に面倒なのだ。

「滝……ってあー、あのでっかい滝! こっち来るときに見た見た……って、あそこ降りられるの?」

「いや、普通に行くのは無理……だよな、メル?」

 実は間違ってたりすると恥ずかしいので一応確認を取る。

「え、ああ、うん。臥竜の滝の滝壺に行くには、確かダングルフの涸れ谷を通る必要があるんだったかな……ボクはまだ行ったことないんだけど」

 うむ、間違っていなかったようだ。
 この辺りには普通にゲーム知識が役に立つと見てよさそうだな。まあ、なんであんなところに石碑があるのか甚だ疑問なのだが。

「ダングルフの涸れ谷……ってどこ?」

「グスタベルグの北西にダングルフ火山があるんだ、その麓の渓谷だよ。すごく入り組んでて、地図がないとまず迷う場所だけど」

「にゃぅー、地図なんて持ってないよう」

 ダナの視線が俺に向く。

「俺も持ってないなあ。メルは?」

 ダナと俺の視線がメルに向く。

「一応持ってるけど……」

「ホントに!?」

 おぉう、クールなメルが飛び上がる勢いで食いついた。
 今迄で一番きらきらしている目で見つめられてたじたじになっている。なるほど、こういう勢いで押すタイプは苦手なのだろうか。

「え、と、どうする、リック?」

 そこで俺に振るのかい。

「あー、そうだなあ……俺も興味あるし、一緒に行ってみよう、か?」

「いいの!? やったぁー!!」

 ぴょんっと跳ねて全身で喜ぶ姿は、見た目以上にダナを幼く見せる。
 全く、なにがいいの、だ。

 呆れて苦笑しながら、俺の心は既に敬愛する冒険家の足跡に囚われていたのだから、まあ人のことは言えないのだろう。

 こうして俺のはじめての冒険の行き先が決まったわけであった。





==

ヴァナ・ディール編02を改訂しました。
「冒険者になれば」と言い出したのがリックではなくメルになっています。


作中にて年度を明言しており、これから時間の経過もあるかと思いますが混乱を避けるため大戦期のことを引き合いに出す場合は『20年前』で統一しようと思います。


>ゼロ魔クロスの利点が見えない。

私も見えなくなってきた。ヴァナ・ディール編書くのが楽しすぎる。
ゼロ魔クロスなくてもいいような……と、とりあえずハルケギニア編とヴァナ・ディール編は独立した話と捉えていただけるとストレスないと思います、はい。




[24697] 05-グスタベルグ観光案内
Name: 為◆3d94af8c ID:b82d47da
Date: 2010/12/16 23:59



 ダングルフの涸れ谷。
 グスタベルグの荒野の北西、ダングルフ火山の麓の渓谷であることはメルの言ったとおりであるが、地域柄そこは大陸でも有数の温泉地帯であり、アリの巣のように入り組んだ迷路のような谷間には所々で温泉や間欠泉が湧いている。
 荒野に比べ水場は多いもののどれも硫黄を多く含んでおり、生態系はまさに涸れている。この辺で暮らしていると言えばトカゲか、巨大なヒル、そしてワーム。ウサギの巣もたまに。陸ガニも見かけるがこの辺は外から迷い込んできたのではないだろうか。
 年中通して硫黄の匂いと蒸気が満たしている渓谷はお世辞にも見通しがいいとは言えず、いや、そんなことより重要なのは……。

「クソあちぃ……」

「うぁー、むしむしするぅ~」

「ボクは匂いのほうが気になるよ、服がくさくなりそうだ」

 こんな湿度の高いところに厚手の服で来たら死ねる、ってことだ。
 臭いはひどいわ服は湿気と汗でえらいこっちゃになるわで早くも俺たちのモチベーションはだだ下がりである。これがもう少し涼しい土地ならともかくグスタベルグ地方は割と南方だ。陽射しもあいまって、メルなんか蒸し団子になってしまわないか心配だ。
 っていうか南方の出のミスラが暑がるのはいかがなものか。

「こーいうじめじめした暑さは違うの! それに、南方の出っていってもあたしはサンドリア出身だもん。むしろ北国の女だよ」

「北国の女」かっこ笑い。

「あ、今鼻で笑ったでしょ!?」

 きーっと噛み付いてくるダナはやっぱり南方系だ。いや、勝手なイメージなのだが。
 じゃれあう俺たちを横目にメルは「2人とも元気だねえ」と呆れていた。言っとくけど元気なのは主にダナのほうだぜ。


 グスタベルグでダナと出会った俺たちは、一度バストゥークに引き返してそれから改めてダングルフの涸れ谷に出発した。涸れ谷自体はそう離れているわけではないが、中を抜けて臥竜の滝の滝壺に向かおうとすればそれなりに時間がかかる。野営をする準備くらいは必要というわけだ。
 俺自身もいろいろそろえてもらった。肩紐タイプのかばんは見た目より多くのものが入るが、さすがにベッドは入らない冒険者御用達の品で、中にはたたんだ毛布や火打石、食料に水袋などが入っている。

 そして武器と防具なのだが……これはトカゲ狩りをしていたときの格好のままだ。
 自分で言い出したことだ。メルはバスに戻った時点で装備を整えようとしてくれたのだが、出来ればもう少し体の調子を確認したいからといって断ったのだ。嘘ではない。まだ俺の体がどれほどのポテンシャルを持っているのか、俺自身がいまひとつ把握し切れていない。ただもうひとつの理由は、いい加減メルに世話になりっぱなしなのも気が咎めるからだ。
 なんて正直に言うとメルには逆効果な気がするので黙っている。そのうちトカゲやミミズでこっそり稼いで自分で買おうと密かに決めていた。


 さて涸れ谷に入ってどれほど時間がたったか、今のところはモンスターに遭遇することもなく順調に奥に進んでいる。
 それもダナが狩人だったおかげだ。メルをナビゲーターに先頭を進むダナは、持ち前の鋭敏な感覚を活かしてレーダー役を担っている。ポイントポイントでダナの警告があるものだから曲がり角でモンスターと運命的な出会いを果たすこともない。
 最もこの辺にはそれほど危険な生き物は潜んでいないはずだが。厄介なのはトカゲくらいだが、あれもこちらから手を出さない限りは大人しいものだ。優秀なレンジャーのおかげでうっかり進路を遮ったりと妙な刺激を与えてしまうようなこともなく済んでいる。

 けどこれはエリアを問わずどこもそうだったのだが、ゲームじゃ忙しなくうろついていたゴブリンの姿が見られない。というより獣人自体を最初に襲われたクゥダフ以来見かけていない。
 気になってメルに聞いてみたのだが、どうも街道付近やらで獣人を見かけることはそんなにそんなにないらしい。水晶大戦からこちら、向こうもアルタナの民を警戒しているし、こちらから獣人拠点に近寄らない限り人の目に付くところに出没するのはごく稀だ。ただ最近はまた獣人たちが勢力を盛り返してきていて、狙って旅人や商隊を襲うことがあるとも言うが。

 だが面倒なのはゴブリンだ。

 ゴブリンもやはり獣人なのだが、他の獣人たちと違い固有の勢力を持たず、人間獣人を問わず広く商いをする商魂たくましい一族だ。
 だがそれがゆえに『街道でゴブリンと出会ってしまい剣でもって撃退したら実はそいつは商人で、あとでゴブリン自身と取引先の人間にまで文句を言われた』なんてトラブルも時たま起こるらしい。
 逆にそうやって言葉巧みに冒険者をだまし、罠にかけて身包みをはいでいく盗賊ゴブリンもいるものだから性質が悪い。遭遇即敵対がほとんどのパターンのほかの獣人ではありえない話だ。
 獣人たちの中では、荒野で出会ったら最も気をつけない相手なのである。いろんな意味で。


「待って」

 と、先頭を歩いていたダナが手で俺たちを制する。何か見つけたらしい。
 ダナは荷物をその場に下ろすと、弓を片手に腰を下ろして這うように地面の様子を観察しはじめた。目を凝らし、指で触れ、鼻を利かせる様はまさしくレンジャーのそれだ。けどぴくぴく動いてる尻尾が超気になる。つかんだら張り倒されるだろうなあ。

「戦いの跡がある」

 姿勢を低くしたまま、呟くようにダナが言った。
 言われて地面を見てみると確かに血のようなしみが見える。

「いつごろの?」

「そんなに古いものじゃないよ。多分……半日も経ってない」

 邪魔をしないように静かに問いかけるメルに、ダナはいっそう地面に顔を近づけて足跡を"読む"。

「足跡がいくつも……1つは人間だ、ヒューム。あたしたちと同じほうから来て……突然立ち止まった。相手は何だろう、足跡は3つ、ううん4つかな。待ち伏せされたんだ」

「それから?」

「戦った……でも引き返した跡も進んだ跡もない。倒れてもいないから、きっと手傷を負わされて魔法で逃げたんだと思う」

 つぶさに語られる不穏な出来事に、思わず手が剣の柄に伸びる。鞘がないのでむき出しでベルトに括り付けてあるが、今はかえって取り外しやすいのがありがたく感じる。
 いつなにがきてもいいように絶えず前後に気を配る。心の中では出来れば来るなと思いながら。

 ん?

 今何か、朽木に刺さっていたような。

「2人とも」

 そっと声をかけてそちらを指差す。岩壁から突き出すようにして生えた朽木に刺さっていたのは、一本の矢だった。ダナがそれを引き抜いて検分する。
 矢羽は縮れいかにも粗末に見えるが、鏃は意外にもきれいなものだ。ただシャフトの部分が極端に短い。おそらく弓ではなくクロスボウで使うボルトではないだろうか。

 矢をためつすがめつ見ていたダナの言葉がその考えを裏付ける。

「アルタナの民のじゃないね……やっぱりゴブリンだ」

 ついさっき連中について考えていた矢先にこれだ。それもダナの読みを信じる限り一番たちの悪いゴブリンの盗賊団の線が濃厚な始末。
 出会ってしまえば戦闘は避けられないだろう。少なくともこの辺りにはもう気配がしないそうなのが幸いだが……。

「撃退は考えないほうがよさそうだね。向こうの方が多いし、戦士が1人じゃ支えきれないだろう」

 メルの言葉に同意する。
 遭遇してもどうにかやり過ごすなり逃げるなりを模索するべきだろう。今の構成じゃ危険が目に見えているというか、俺もゴブリン相手にどこまでやれるかまだなんともいえない。

 関係ないが、個人的にフィックとかリーダヴォクスとか、あの辺の話を知ってるとどうもゴブリンって相手にしにくいんだよなあ。あと別の意味でプロフブリクス。あいつは無意味に哀れすぎる。
 まあ背景を知ってしまうと戦いにくい相手というのは何もゴブリンに限った話ではないのだが。サハギンとか特にそうだ。
 『修道士ジョゼの巡歴』は冒険者なら一読の価値アリ……なのだが、こっちのトリビューンでは連載していなかった。まあ、水晶大戦のことを考えると仕方がないのかもしれない。ヴァナ・ディールに暮らす人々があれを忌憚なく読めるようになるにはもう少し時間が必要だろう。


 なんにしろこのまま立ち止まっているわけにも行かず、俺たちは警戒を強めながら歩を進めていく。
 ゴブリンとの遭遇の可能性に緊張しながら歩いているうち、いつの間にか暑さを忘れていることに気づいた。いや、そうじゃない。徐々に日が翳り始めているのだ。不快指数こそ下がらないまでも、照りつける日光の分だけ真昼間よりもいくらか涼しくなってきていた。

 ゆっくりと日が傾き始めた頃、俺たちはこの日の目的地に到着した。
 それはまるで岩壁の中をそのままくりぬき、削りだしていったかのような明らかに人の手で創られた古い建物だ。もともと1日で涸れ谷を抜けるのは難しいと踏んでいたため、地図を頼りにここを目指していたというわけである。
 建物とはいっても実際はただ反対側に通じているトンネルなのだが、比較的高所に作られたそこは涸れ谷の蒸気も届かず、岩の中なので気温は低い。水気を気にすることもなく、前も後ろも見通しがいいので警戒もしやすいなどなど、一泊の宿には丁度いい塩梅である。
 早速俺たちは、日が落ちきる前にと野営の準備を始める。

 まるでキャンプに来たみたいだ。
 薪を集めながら、俺は年甲斐もなく出会ったばかりの2人と過ごす夜に胸を高鳴らせていた。





 ぱちぱちと焚き火のはぜる音を聞きながら、揺れる炎に体を温める。
 昼間はあんなに蒸し暑いと思っていても夜になるとだいぶ気温が落ちてくるものだ。俺はほう、と息を吐いてカップに温まったお茶を啜った。

「んー、ここのソーセージ本当においしーっ」

 焚き火の反対側で黒パンとソーセージを片手にしたダナが感極まった声を上げる。もちろんその手にあるのは蒸気の羊亭ご自慢の一品だ。日数をかけるわけじゃないのでまずそうな保存食は避けたわけだ。
 もぐもぐと口いっぱいにほお張った能天気な姿は猫というよりリスか何かに見えて。

「ぶふっ」

「にっ?! 今なんであたしの顔見て笑った?」

「うーんパンが変なところに入った。ごほごほ」

「わざとらしく咳き込まないの!」

 さて、口を挟まないメルはというと。

「んむっ、あむっ……んぐんぐ……ん? なぁに、リック?」

 こちらも頑張ってパンをほお張っていらっしゃった。

「…………その、なんだ、すまないダナ」

「な、なに、いきなり」

「お前はリスじゃなかった。ただの食いしん坊だ」

「意味は全く分からないけどバカにされたことはわかったよ!」

「リスってそれボクのこと……?」

 まあしかし何だ。
 ヴァナ・ディールに迷い込んでしまったその日の夜も、俺はやはり荒野で石を枕に夜を過ごした。乾いた風に肩を震わせながら、底知れぬ孤独感に身を浸して。あの時は光のない夜が酷く恐ろしかった。
 今は、少なくとも寂しさを感じることはない。暖を取れて、食事があって……そして仲間がいる。
 ダナとは知り合ってまだ1日、実際顔を合わせている時間なんてもっと少ないし、実のところメルとの付き合いだってそれほど変わらない。けれどこうして焚き火を囲んでいる今、俺たちは仲間だなと言葉に表せない実感があった。

 3人とも種族も違うし所属する国も違う。それでもたった一本、冒険という名の糸が俺たちを結び、こうして共にほお張る飯の味がその糸を硬く縒り合せる。

 なんて口に出して言うには、まだちょっと俺は駆け出しすぎるかな。
 とりあえずじとーっと俺をねめつける2人をどうにかごまかすとしよう。

「いやあ、にしてもさっきのダナはすごかったな」

「今度はなにさ。お世辞言っても何も出ないんだから」

「お世辞じゃないって。あんなほんのちょっとの痕跡からいろんなことを読み取れるんだ、尊敬するって」

 これは本当に素直な感想だ。あの場に残っていた争いの跡、とダナは言うけれど、俺なんて言われてみてもどれが何の跡だかさっぱり分からなかった。
 それをああもすらすらと当時の状況を推測してみせたのには全く舌を巻いた。
 だがそのおかげで俺たちは危険を知ることが出来るし、警戒できる。彼女ら狩人や、あるいはシーフのような存在は危険な地での冒険には欠かせないだろう。

 手放しにほめると、ダナは急にもじもじとし始めた。顔が赤いし、思ったより純な奴だ。

「あ、あれくらい狩人なら誰だって出来るよ……」

 そんなことはないと思うのだが……アレが初歩レベルなら狩人の道というのはなかなかに厳しそうだ。そういえば俺のキャラは狩人の習得はしていたはずなのだが、弓の記憶はあってもダナのようにトレーサーの真似事が出来るような知識や記憶はない。これも謎だ。
 ウィンダスに行けば習得できるだろうか。覚えていて損はなさそうだが。

「ってかそういえばダナはサンドリア出身だっけ。サンドリア出身のミスラって珍しいんじゃないか?」

「ああ、それはちょっと思ったね。ボクも前にサンドリアにいたことがあるけど、やっぱりあそこはエルヴァーンの国だから」

「よく言われるよぉー。子供の頃はやっぱり友達もいなくてさ、ずっとマ……てお母さんと一緒にロンフォールの森を駆け回ってたなあ」

「狩りはお袋さんに習ったのか?」

「そう、お母さんはすごいんだよ! さっきの足跡だったらきっとヒュームが男か女かも分かるし、矢を見なくたってゴブリンだって分かったと思うな」

 なるほど、確かにあの森なら狩りの練習にはもってこいか。
 胸を張って話す姿は本当に誇らしげで、ダナがいかに母親を尊敬しているのかがありありとうかがい知れた。

 なんでもダナの母親はクリスタル戦争当時、王蛇アナコンダ傭兵団の部隊長として幾つもの戦線を潜り抜けたバリバリの元軍人だったとか。

「って王蛇傭兵団っつったらペリィ・ヴァシャイ族長の元部下ってことじゃねえか!」

「うん、あたしはよく知らないけど、すごい人なんでしょ? ママニャ、いつもその人の部下で誇らしかったって言ってたもん」

「そりゃそうだろうな」

 王蛇傭兵団といえばクリスタル戦争の折、闇の王の宣戦布告に対して対応の遅れていたウィンダスの窮状を憂いて義憤から立ち上がったミスラたちの傭兵部隊のひとつだ……というよりも元来の臆病な性格が災いして手をこまねいていたタルタルたちに痺れを切らしたといったほうが正しいか。もともとウィンダスはタルタルの国であったが、当時既に多くのミスラが入植しており、既に他人事ではなくなっていたのだろう。まあこの入植に関しても色々面白い逸話があるのだがそれは置いておくとして。
 参戦していた数ある傭兵団が統廃合され4つの軍団からなるミスラ傭兵団(傭兵と言っても実質的にはウィンダスの主戦力に近い常備軍だ)として再編された今現在においても、王蛇傭兵団はその軍団の1つとして名を残している。方や団長を務めていたペリィ・ヴァシャイは、大戦の最中さる事情によって視力を失い一線こそ退いたものの、大戦を経て名実共にウィンダスの一員として認められたミスラたちの族長として彼女らの指導者の座を務めているとなればその勇名は推して知るべしである。
 そんなペリィ団長の下で部隊をまかされていたとなれば、さぞ腕の立つ勇士だったことだろう。

 ところが大戦終結後、なにを思ったかダナの母親は、ウィンダスの支援に派遣されていたサンドリアの王国騎士団が帰国する際それにくっついて大陸を渡ってきてしまったのだという。
 どんな動機があったかは知らないが、なんともバイタリティに溢れている御仁だ。

 でも納得はできるなあ。

 初対面から妙になれなれしいというか無警戒というか、やたらと人懐っこいダナだが、その猪突猛進さとでも言うべきものは母親譲りだったわけか。
 とりあえずうっかりママニャって言ってるのには突っ込まないでおいてやろう。

 と、俺たちが微笑ましい顔で話を聞いているのに気づいたか、ダナは被っていたベレー帽を脱いでもじもじと手でいじりながら「にゃひひ」と照れくさそうに笑った。

「じゃあやっぱり冒険者になったのもお母さんの影響なのかい?」

「うーん、やっぱりそうなのかなあ……あたしさ、これからウィンダスにいこうと思ってるんだ」

 メルの問いに首をひねりながら答えるダナには、どうやら冒険者としての明確なビジョンがあるようだ。

「そんでママニャ……じゃない、お母さんの話してたペリィ族長に挨拶するの。そしたらまたお金をためて、今度はカザムに行きたいんだ」

 確かペリィ族長はカザムの出だったか。ならダナの母親も元々はカザムに住んでいたのかもしれない。
 しかしダナの見据える先はもっともっと南だった。

「で、もーっとお金を溜めて、いつかオルジリア大陸に渡るんだ!」

「なるほどなぁ、ガ・ナボ大王国か……」

 オルジリア大陸は、ついぞ実装されなかった南方の大陸で、そこにはミスラの本国があるとかなんとか。正式名称が発表される前はミスラン大国とか適当な呼ばれ方をされていたガ・ナボ大王国である。
 つまり彼女の冒険は、自分の……いや、

「ミスラのルーツを巡る旅か……なかなかカッコいいじゃねえか」

「にひ、そうかな? でもさ、2人には感謝してるんだよ」

 なんだ、帽子で顔半分隠しながら妙に殊勝なことを言ってきたぞこの猫さんは。

「実はサンドリアを出てきたのはいいんだけど、セルビナまで来たところで路銀が尽きちゃって」

「おいおい……」

「そしたらセルビナの町長さんが、なんとかかんとかハートさんの碑文をこれに写し取ってきたら報酬をくれるって言ってくれたんだ」

 言いながらポーチから取り出したのは乾かないように油紙に包まれた粘土だ。
 なるほど、まあ明らかにアイアンハート翁に興味なさそうな冒険者が石碑を巡るとなればやはりセルビナのクエスト『ある冒険者の足跡』か。
 ゲームでもやはりセルビナの町長が依頼するこのクエストは、コンプリートすれば割といい金額のギルに加えてあるダンジョンの地図がもらえるのだが、1回写してはセルビナに戻らなければならないことや今回の北グスタベルグのように一部到達が難しいポイントがあること、それに2つの大陸全土にわたり全17箇所に及ぶ石碑を巡る煩わしさが加わり低レベルでのクリアはなかなか面倒なつくりになっている。
 ただアイアンハート親娘のエピソードを知った上で挑戦するとまた違った趣があり、俺自身もそうだったが高レベルになってからコンプリートしにいった冒険者も少なくないのではないだろうか。

「本当は町長さんはコンシュタット高地のだけでいいって言ってくれたんだけど、お世話になったお礼もしたかったのと、ついでにバストゥークの見物でもしていこうかなってグスタベルグまで足を伸ばしたのはよかったんだけど……」

 なかなか北グスタベルグの石碑を発見することが出来ず、なんと俺たちとであったときは既に3日以上荒野をさ迷った後だったらしい。

「誰かに聞かなかったのかよ」

「あるのは知ってるけどどこにあるか知らないって人ばっかりだったんだ。だから2人に会わなかったらずっとバストゥークから動けなかったよ」

 依頼を投げ出すような冒険者にはなりたくないしね、とちょっとばかり俺には耳の痛いことを言ってダナは笑う。
 しかしなるほど、と言っていいのだろうか?
 俺と彼女では事情が違うとはいえ、へとへとになるまで荒野をさ迷ったあとで手を差し伸べられればほいほいとついていってしまう気持ちは非常によくわかる。

「だからさ、ありがとね。メルちゃんもリックも」

「また大げさな……」

「あれー、リックってば照れてる?」

「おいィ? どうやって俺が照れてるって証拠だよ。お前のほうが照れてるのは確定的に明らか」

「照れてないよーだ!」

 なんて、そんな風にダナとじゃれていたのだが。
 ぽつりとメルが呟いた。

「それにしてもさ」

「ん? なあに、メルちゃん」

 しかしメルちゃんときた。

「メルちゃん……いや、あのさ、ダナの着てるダブレットって結構いい服だったようなって思ってさ。確かサンドリアの特務機関の夜戦装備が流出したってやつだよね?」

 言われてみると、ダナの着てるのはノクトダブレットだ。お手ごろな装備の割にステータスブーストが優秀で、またファッション性も高いためにそこそこ人気のある品だった。
 素材や合成に必要なスキルがそれほど要求されないため高額装備というほどでもなかったと思うが、確かにセルビナまでで旅費が尽きてしまうような貧乏冒険者には若干荷が重い品物な気がする。
 なんとなくメルの言葉には言外に「よく買えたよね?」というような響きがある。なんかちょっと声が硬いというか。

「もしかしてアレか? それ買っちゃって資金が尽きたとか」

「ああこれ? これはお母さんの……」

 ……まさか形見、とかか?
 サンドリアを出たのも母親を亡くしたからじゃ、

「クローゼットからちょ……ちょっと借りてきたんだよっ」

「OK、大体分かった。お前それちょろまかしてきやがったな!」

「ボクもわかった。家出同然で飛び出してきたんだろう?」

「ち、ちち違うよ! 借りてきただけだってば、ちゃんと手紙も書き残してきたもん!」

「それを家出といわずになんと言うか!」

 バイタリティに溢れてるとかもうそういう問題じゃねえ、コイツほとんどただの家出娘だ!
 母親に反対されたのか思い立ったら即行動だったのかその辺は知らんが、猪突猛進にもほどがある。しかし家を出たそのままの勢いだけでバストゥークまで来てしまうんだから、その行動力ばかりは見上げたものと言っていいのかどうか……。

「だ、だって、ママニャ、あたしが冒険者になるなら一緒についてくるなんて言い出すんだもん! そんなんじゃ冒険じゃないよっ」

「それはまた……すごいお母さんだね」

 メルが呆れ半分に感心しているが全くだ。この娘にしてこの親あり……いや、逆か。つかそれはダナが心配だからなのか自分も冒険に出たかったからなのか、話を聞いてるとどっちだか分からなくなるな。

「まーまー、あんまりママニャを心配させてやりなさんなよ? 今度手紙の一通でもだしたらどうだ」

「手紙、うー……でも……ってママニャって! あぅあ、ママニャじゃなくて、うあぅ……」

 やべ、コイツおもしれえ。

「いいじゃないかママニャで。いつもそう呼んでたんだろ?」

「違うもん、お母さんだもん! っていうかさっきからあたしの話ばっかりじゃないか、そういうリックは何で冒険者になったのさ!」

 っと矛先がこっち来た。
 しかし何でっていわれてもなあ、ダナを信用しないわけじゃないがそんなぺらぺら話せるような内容でもなければ、聞いて面白い話でもない。

「いやー、成り行きかなあ」

「あ、ずるい! 誤魔化すなっ」

「俺よりメルはどうして冒険者になったんだ? 教えてくれよ」

 ここでキラーパス!
 突然話を振られたからか、メルはちょっとひるんだように口をもごもごさせた。

「ボクは、まあ……家族みんな魔道士だったから、さ。あとはボクも成り行き」

「成り行きじゃしょうがないなあ。さあほら、ママニャの話を聞かせておくれ」

「うぅぅぅぅぅぅ……リックのバカーッ!!」

「うははははははははは」

 騒がしく、賑やかに、最初の冒険の夜はゆっくりと暮れていった。






 涸れ谷の夜は暗い。
 人が住まわず、文明の灯火のない街の外はどこもそうだが、ここは特にほとんど人も通らない局地だ。トンネルの入り口に立って外を眺めても、月明かりにぼんやりと渓谷の影が浮かぶばかり。
 夜の暗さを知ったのは、始めてこの世界に来たその晩だ。真っ暗で、目がなれてやっと手元が見えるほどの闇の中に一人投げ出されたその孤独を、まだ覚えている。俺の知っている夜とは何もかも違った。眠らない街の明かりがたとえ部屋の中にいても感じられた夜とは何もかも。ただ星と月だけが照らす闇の中で、俺はまるで世界が死んでしまったような錯覚を抱いた。

 けど、気づいた。

 荒野の夜は暗く静かで。しかし決して死んでなどいない。
 吹きぬける風の音、遠くで水の動く音、寝静まった動物たちの吐息、夜を舞うものたちの羽ばたき……そして自分の鼓動。
 たとえそこに文明の灯りがなかろうと世界は生きている。決して沈黙はしない。

 気づいたら、少し孤独感が薄れた。
 んにゃ、これは逆だな。孤独を感じていないから、それに気づく余裕が出来ただけだ。俺は俺が思っていたよりさびしがりのようだから。
 俺に見張りを任せてトンネルの中で寝ている2人の仲間の存在が、酷く暖かい。世界だどうのとか言ってみても結局誰かと一緒にいないと寂しいのは事実だったり。

 まあ仲間なんていっても出会って一週間と経っていないはずなのだが……何故だろうか、2人とももう俺にとって気のおけない存在になっている。
 お互い冒険者だから、というのはきっとある。
 所属も、種族も、そして本来なら生きる世界さえ違った俺たちを、冒険という名のたった一本の細い糸が繋ぎ、ともに焚き火を囲んでほおばった食事がそれをより強く縒り合せる。
 だから冒険者は一期一会、時々で出会った同志たちの中から心で仲間を探すんだ……ってのたまうにはちと駆け出しすぎでかっこつけすぎだなこりゃ。封印しておこう。

「低レベルで一緒にクエストこなしてフレ登録……なんか懐かしいな、こういうの」

「ふれとうろく、ってなんだい?」

 ぬお!?

「メ、メルか。起こしちまったか?」

「ううん、そろそろ交代かなと思ったら君が外にいるのが見えたからね。どうしたんだい?」

 キャンプを張っているのはトンネルに入ってすぐのところで、俺はそこから一歩外に出て明かりのない夜景を眺めていた。
 というかまあ、やんごとなき事情で外に出て戻ってくるところだったというのが正しい。

「なんでもない。お月様に挨拶してただけだ」

「詩人だねえ。でも体を冷やさない程度にね」

 なんていいながらもメルは俺の隣に並んで同じように空を見上げている。

 何を言うでもなく。

 何をするでもなく。

 2人でぼうっと月を眺めた。紫の月を。
 やにわに吹いた風がメルの被っているフードを揺らし、それが契機だったように小さな彼はぽつりと口を開いた。

「リックはさ」

「ん?」

「何でも知ってるよね」

「いきなりなんだよ……別にちょっと勉強すれば分かることだろ?」

 まあその熱意を勉強に向けろとか仕事に向けろとかは散々言われてきたことだが。

「そうかな? そうかもしれないね……けど不思議だ、じゃあリックはどこでそれを勉強したの?」

「え……あ、そりゃあ……」

「君はどうしてグスタベルグにいたのかも、帰る道さえも分からない。なのにバストゥークのことも、ウィンダスのことにも詳しい。はじめて入ったはずのお店のお勧めメニューまで知ってるくらいに」

 しまった。

 それはあの蒸気の羊亭でメニューも見ずにソーセージを頼んだことではなく。
 自分のこの世界での立場も忘れて、何を得意げにぺらぺらと知識をひけらかしていたのか。行きも帰りも分からない男が身の丈に合わない知識を持っていたら、不審に思って当然だ。

 何を言えばいい、なんて答えればいい?
 メルの目を見ることが出来ない。疑惑を孕んだ視線で見られることが怖い。

「…………ぁ」

 口を開いても意味のない喘ぎがこぼれるばかり。
 腹の底に重いものがたまっていく。

 罪悪感か、あるいは。

「…………ふふ」

 だがメルはその沈黙をどう受け取ったのか、不意にくすくすと笑い出した。

「物知りなリック。けど君は嘘で誤魔化すってことを知らないらしい。これは1つ発見かな」

「あ、いや、その……」

「いいんだよ、今のはボクが悪かった。君から話してくれるまで聞かないって決めてたのにね」

「その……悪い。けどメルを騙したりするつもりはないんだ、本当に」

「分かってる。ボクはそんなこと疑ったりしてないよ。ただ君はひょっとして、」

 さぁっと涼やかな風が吹き抜けて。
 言葉尻は夜闇の中に紛れ込んでしまった。

 風でまくれそうになったフードをおさえるように顔を俯かせながら、メルは俺と夜空に背を向けた。

「さ、戻ろう。明日も歩くし、もう寝たほうがいい」

「ん、ああ……」

 彼が何を言おうとしていたのかを聞くでもなく、俺は小さな背中について焚き火の傍に戻った。能天気に寝息を立てているダナの姿に、少しだけ心が軽くなる。
 メルの顔は、終始見えずじまいだった。


 このとき彼が言いかけた言葉の続きを聞くのは、これからだいぶ経ってからのことだった。



==

ちとどうしようか悩んでます。ゼロ魔クロス要素を全部取っ払ってしまおうかどうしようか検討中。
ホントはここからちょっとずつルイズ達と仲間になったりそれぞれの冒険に赴いたり、とか考えていたのですが、ルイズ達の本筋になる予定だったハルケギニア編が面白くならないジレンマ。
っていうか私が書いてて面白くないのでどうしても満足いくものに仕上がらず。

ゼロ魔クロスに釣られてきた人には完璧に詐欺になっちゃうんですが、もしどうしても読みたいという方がいないのであれば次回更新時にでもゼロ魔分を消そうと思います。ご了承ください。





[24697] 06-ある冒険者の足跡
Name: 為◆3d94af8c ID:b82d47da
Date: 2010/12/18 01:21


 翌朝は陽が昇りきる前の涼しい時間にトンネルを抜けた。
 のだが、トンネルの掘られていた高台を降りるとまたすぐにむわっとした熱気が押し寄せてくる。朝もやに見えたものは昨日と変わらずに立ち込め続ける蒸気だった。
 これがまた昼に近づけばどんどん蒸し風呂状態になるかと思うとすでに憂鬱満載である。風が吹いてくれれば割と改善されそうなものなんだが、入り組んだ場所柄ゆえか緩々としたそよ風が吹くばかりでそれも熱されてしまうため余計に暑い。

「サウナだよサウナ、畜生、何が悲しくて綿の入った服着てサウナはいらにゃいかんのか」

「何ぶつぶつ言ってるの」

 なんて愚痴を零していたところで暑いものが暑くなくなるわけではない。
 結局、じとじとと肌に浮かぶ汗をなるたけ気にしないようにしながらさして代わり映えのない景色が続く涸れ谷を歩き続ける。

 やがて陽が天頂から照らしつけるころ、しかしうだるような蒸し暑さが徐々に引いてきていることに気づいた。
 もうすぐ涸れ谷を抜けるのだ、とすぐに思い至った。もうどれほども歩かないうちに川にぶつかり、あとはそれを逆流していけば目的地に到着だ。

 何事も起こらず。

 何のハプニングもなく。

 妙に静かだな、と思った。

 何かいやな予感がするとも。
 もう目的地までいくらもないというのに、神経質になっているのだろうか。

 ……神経質になる理由が分からない。ただ滝壺まで行って帰ってくるだけの、お使いみたいなものだ。なのに俺は何をぴりぴりしているのだろうか。

 いや、1つだけ理由はある。
 前日に見た戦闘の痕跡だ。あのあと結局ゴブリンには一度も遭遇しなかった。というか、まだ俺はゴブリンの実物を見たことがないのだが。
 ヴァナ・ディールのゴブリンは、その名前から想像するような小鬼の姿とはかけ離れている。端的に言い表せばずんぐりとした二足歩行の子犬だ。顔を覆う革や鉄のマスクをしていて、素顔は誰も知らない。
 前述の通り獣人たちの中でもアルタナの民に対して柔軟に接するほか、ともすれば人間に匹敵するほどの技術を有している。人間が彼らを雇うほどだ、手先の器用さでは群を抜いている。敵に回すとそれがまた厄介なのだが。

 とはいっても今のところは見えない敵どころかいるかも分からない相手だ。無意味におびえる必要はないだろう。
 さも今思いついたようにダナに声をかけたのは、気を紛らわせたかったからかもしれない。

「そういえば、ダナは石碑を写したらどうするんだ。すぐセルビナに引き返すのか?」

「え? うーん……どうしようかなあ」

 ううん、と腕を組んで分かりやすく首をひねる。なんというか、コイツはいちいちアクションが素直だ。
 にしてもそんなに悩むことがあるのだろうか。ダナはウィンダスに行きたいといっていたし、すぐに港町セルビナから船でミンダルシア大陸に渡ってしまうものだと思っていたが。

 考えているうちにダナはなんとなく表情を曇らせ始めた。なんだ?

「…………ねえ、あ、あのさ、リックたちはどうするの?」

 む、そう来たか。

「どうするも何もなあ。とりあえず装備を整えたい……というかその前に冒険者登録の受領がいつになるかだよな」

 考えてみれば俺は今正確には冒険者じゃないんだった。野良冒険者とでも言うべきか。

「ってそういえば街離れちゃって平気だったのか?」

「ああ、ボクのところに手形が届くはずだから、あとでそれをもって受付に行けば大丈夫だよ」

 1ヶ月や2ヵ月も帰らないわけじゃないからね、とのメルの返答に胸をなでおろす。
 いやぁ、アイアンハートの石碑に興奮してすっかり忘れていた。

「そっか、そういえばまだ登録終わってないって言ってたよね……なんだかリックって物知りで、てっきり先輩冒険者かと思っちゃってた」

「んー、まあ、頭でっかちなのさ。お前のほうがぜんぜん先輩だと思うぜ」

 野宿だってしたことがなかった俺なのだ。昔行ったキャンプは、あれは数えちゃダメだろう。
 ところがメルまでダナに同意する。

「ボクも、時々リックは熟練の冒険者なんじゃないかと思うときがあるよ。本当はバストゥークもサンドリアも、ウィンダスやジュノにも行ったことがあるんじゃないかい?」

 昨夜のこともあってか、いたずらっぽい目で問いかけてくるが……どう答えたもんだか。

 確かに見方を変えれば俺はダナより、メルよりもずっと先達の冒険者ということになるのかもしれない。サービス開始からはじめて、もうずっと冒険者を続けてきた。
 アルタナ四国に、辺境、かつて滅んだといわれている国、南方の大陸にだって足を伸ばし、やがては過去の大戦にさえ関ることになった。けどそれは全てゲームの中の話だ。俺自身の体験ではない。
 まあそれに俺以上の冒険者……というか一級廃人はごまんといるし。俺はまだまだクリアしていないミッションもクエストもたくさんあるのだ。例えばプロマシアの呪縛はついにエンディングを見ることはなかったし。

「そうだな、それなりにいろんなことに詳しいとは思う。好きで色々勉強したからな、どの国のことも、獣人たちのことも。でも全部知識だけなんだ、メルやダナに比べたらぜんぜん身が伴ってないんだよ」

 今までよりももう少し踏み込んで答えた。これくらいは、言ってもいいだろう。
 ダナはまだ納得いかないように首をひねっていたが、対照的にメルは興味深そうな顔をしていた。そういえば俺の持ってる知識のことを言及するのははじめてか。でもここら辺ではっきりさせておいたほうがいいだろう、俺の持ってる知識はこの世界で生きるのに多分それなりに役に立つ。
 けど、いつか全部話すときが来るとしても……どんな形で話すべきなんだかなあ。

「けどそっか、じゃあしばらくは2人ともバストゥークを離れないの?」

「ん、んん……どうなんだ、メル?」

「ボクはリックと一緒にいるよ?」

 いやそういうことでなく。

「これからどうするのかってことなら、リックに冒険者生活に慣れてもらうつもりでいたんだけど……でも思ったより余裕綽々って感じだね」

「でもないけどなあ、硬い地面で寝るのはなかなか」

「寝れるだけ上等だよ。まあでもそうだね、リックの装備さえ整っちゃえばボクとしてはあんまりバストゥークにこだわる理由はないよ」

 というのは、暗に俺にどこか行きたいところはある? と聞いているのだろうか。それならばまあ、一応考えはある。

「あー……そうだな、実を言うと俺もちょっとウィンダスにいきたいと思ってたんだ。行ってちょっと会いたい人がいてな」

 以前から考えていた通りだが、多分それが一番無難な道だろう。元の世界に帰るために。
 ところがそれにすごい勢いで食いついたのがダナだった。

「ホントに!? ねえね、それホント?」

 うぉぅ、なんだなんだ。
 勢いあまって飛び掛ってきそうな調子で、目をきらきらと輝かせているんだが。

「お、おお。あ、でも今日明日ってことはないと思うぞ、もうしばらくバストゥークで旅費とか稼がないとだろうし」

「そのくらいボクが出してもいいんだけどね」

 やかましい、少しは自分で稼がせろ。

 それにこういっちゃ何だがバストゥークは俺の心の祖国だ。もっと色々見て周りたいし、出来るなら街の人の依頼を引き受けてみたりしたい。
 だから多分すぐに出立する、ということはないだろう。と言っているのに。

「うんうん、いいよいいよ! あたしもバストゥーク観光したいし、それから一緒にウィンダスに行こうよ!」

「っておい、セルビナの町長さんの依頼はどうするんだよ」

「町長さんはゆっくりでいいよって言ってくれたもん! だから、さ……だめ?」

 うぬぐ……こいつはなんと言うか、甘え上手というか。
 ダメってことは別にないのだが、俺たちと一緒にいてどうしたいんだか。ダナは1人でサンドリアからバストゥークにまでこれるだけの地力はあるんだから、ここでバストゥークにとどまるのはロスでしかないだろうに。

「はぁ」

「? なんだよメル、そのため息」

「なんでもないよ。それにしても懐かれたもんだね、リック」

 懐かれた?
 誰が、誰に?

 ……ああ、いや待て、そういう意味か。

 ははぁん。俺はなんとなく納得してふんふんとダナを観察する。さぞかし悪い顔をしていることだろう。

「な、なぁによう」

「なんだお前、俺たちと離れるのが寂しいならそう言えばいいのに」

 得心得心、こいつは甘え上手っていうか思ったより甘えん坊なだけだ。

 言ってやったら、ダナは見る見るうちに顔を赤くした。尻尾がぴんとまっすぐに立っている。
 わなわなと震える唇からは言葉にならない声がこぼれていたが、やがてぼそぼそと呟くように言った。



「ぁ、ぅあ…………わ、悪い? だって、はじめて出来た仲間なんだもん」



 そのときは俺もメルも、さぞ間の抜けた顔をしていたことだろう。
 仲間。

 それは俺が昨日思い浮かべた言葉だったが、それを相手も同じように思っていたというのは……何故だろう、とてもとてもうれしかった。

 あっけに取られていたメルが、苦笑しながら言った。

「そうだね、ボクたちはもう仲間だものね」

 2人の視線が何かを期待するように俺のほうに向く。
 言えってのか。
 改めて口にするのは正直恥ずかしい。メルはよくもさらっと言えるもんだ。

 しかしまあ2人の視線に耐え切れるはずもなく、俺は大きく頷きながら言った。


 ────俺たちは、仲間だ。


 花開いたような2人の笑顔は、しばらく忘れられないだろう。
 俺たちの最初の冒険の目的地はもうすぐそこだった。








「ところでリック、誰に会いにウィンダスに行きたいんだい?」

「シャントット博士」

「シャ……ッ!?」

 やっぱりウィンダス民には有名らしかった。なんで? というメルの視線には内緒、と答えておいた。








 歩き続けるうち、両側に聳え立つ崖は徐々に高くなり、その幅を狭めていき、俺たちの先に続くのは3人並んで歩けるかどうかという程度の細い谷間の道になってしまう。もう涸れ谷も離れてきたので、立ち込める蒸気で蒸し暑いというようなこともない。
 そこまで来ると耳が変化を捉えた。
 吹きぬける風の音に混じってノイズのような絶え間ない音が耳に届いてくる。

「聞こえたか?」

「うん、水の音だね。もうすぐ川にぶつかるんだ。そうしたらそれにそって遡っていけばすぐのはずだよ」

 両手で広げた地図に顔を落としながらメルが答えた。

 荒野をさ迷っていたあのとき見たとおり、北グスタベルグをかち割ったように走る大地の裂け目の底に川が流れているのだが、その両端には細い足場がある。そこを通って滝壺までいくわけである。
 ただこの川、滝の圧倒的な美しさに忘れそうになるのだが実はあんまり綺麗じゃなかったりする。近くに鉱山があった影響か水に何らかの鉱物が溶け込んでるらしく、それがグスタベルグを荒野にしている一因でもあるのだ。魚も釣れないことはないのだが、あまりいいものが釣れるわけでもなく人気は低い。
 ヤバイ魚ならいる。プギルと呼ばれる陸の上を泳ぐ妙な魚が生息しており、コイツがアクティブ……つまりこちらを見かけると即襲ってくるのだ。涸れ谷を抜けても一本道に陣取るプギルが邪魔するせいで、滝壺に行くのを無意味に面倒にしているわけである。
 とはいえ俺たちのレベルなら問題ない、とは思うのだが。そもそもレベルって概念があるわけでもなければメニューでステータスを確認したりパーティメンバーのHPやMPが見れるわけでもないので、こういう場面でゲームの知識がどれほど意味があるのか分からないが。

 先頭のダナにもうすぐだぜ、と声をかけようとして。

 やめた。

 横からのぞいたダナの顔は心なしか強張り、せわしなく黒い鼻をひくひくと鳴らしている。尻尾がぱたぱたと左右に振れ、ダナの苛立ちを表している。

「おい、どうした」

「……いやな感じがする。なんか臭う、でも鼻がバカになっててよくわからないんだ。涸れ谷の臭いのせいだ、服に臭いがしみちゃってる」

 歯がゆそうにダナが吐いた言葉に、俺はハッとして来た道を振り返った。

 神経質になる理由。

 ここまで何事もなかった。
 なさすぎた。

 戦闘がなかったのはいいが、ここに来るまで"何もいなかった"のはどう考えてもおかしいに決まってるじゃないか……!

「メル、デオードを」

「え、なに?」

「いいから早く!」

 いきなりのことに面食らったメルだったがかける対象を間違ったりはしなかった、さすがだ。
 魔法の光がダナの体を包み込み、ダナ自身の発していた硫黄の不快なにおいを消し去っていく。俺にはどれほど変わったものかわからないが、ダナにはそれで十分だったようだ。

 ダナはすんすんと鼻を鳴らしながら何かを探すようにきょろきょろとあたりを見回している。
 その視線が谷間の道の両側にそり立つ崖の岩壁に向くと、警戒しながら近寄っていく。一応俺もその後ろについていく。

「ここだ、なんかきな臭い……岩の間に何かあるよ。これなに……?」

 一緒に覗き込んだ俺にも、最初それがなんだかよくわからなかった。

 黒い……一見して黒い球体だ。鉄か何かで出来ているらしいそれは、手に取ったダナの様子からしてかなりずっしりと重い。
 球体の一端からは麻縄のようなものが飛び出していて、その紐に火花が走って……。

 ああ、くそ、そういうことかよ……!

「捨てろダナ!!」

「え、きゃぁ!?」

 強引にダナの手からそれを奪い取り、遠くに放り投げる。けどそれだけじゃだめだ、岩の陰にはまだいくつも同じものが挟まっていた!
 ダナを抱えて岩陰から思い切り飛びのく。近くにいたメルもまとめて押し倒すようにして、体でかばう。

 大地が揺れたのはその直後だった。

 思いのほか音はくぐもっており、どごん、と今まで感じたことのない衝撃が体を襲う。
 雷が落ちたときに似ているかもしれないが、それでもそれをこんなに近くで感じたことはなかった。

 俺の肩越しに背後を見たダナとメルが呆然とつぶやいた。

「今の何……?」

「爆弾……か……」

 起き上がって振り向くと、もうもうと土煙が立っている。
 徐々にそれが晴れてくると、そこに広がっていたはずの光景はずいぶんと様変わりしていた。爆弾によって吹き飛ばされた岩がもともと大して幅のなかった谷間の細い道をすっかり塞いでしまっていたのだ。

 よくもまあ石の欠片が振ってくる程度の被害で済んだものだ。いや、あるいはもともとその程度の威力しかなかったのだろうか。
 狙いが俺たちだったのか、道を塞ぐことだったのか分からないがともかく……。

「2人とも、何か来るよ……ッ!」

 !?

 ダナの張り詰めた声に振り向く。俺たちの来た道が涸れ谷に向かって伸びており、その道の先から。

 ────どす、どす、どす、どす。

 重い足音が近寄ってくる。
 いやな汗がにじむ手のひらをぐいっと拭って剣を構える。尻込みしてはいられない。たとえ何が出てきても、盾役は俺しかいないのだ。

 ぬっ、と。

 岩壁の向こうから姿を現したのは、3人ともよく見慣れたトカゲの褐色の鱗だった。
 だが。

 ────で、かい……ッ!?

 その体躯が今まで相手にしてきたトカゲとは比較にならない。
 これまでトカゲといえばどれだけ大きくても俺の腹まで届くかどうかの身の丈しかなかった。それが今乾いた地面を踏みしめながら迫ってくるのは、ゆうにその二回りは大きい!
 ぶっとい足は一歩踏み出すごとにだんっと鈍い音を響かせ、ごつごつとした硬い頭部はまるで大岩のようだ。トカゲはトカゲなので高原の雄羊族ほどのでかさがあるわけじゃないが、それでも普通の羊並みのトカゲが来たらびびるに決まってる。

(いや、普通の羊もそんなにでかくねえよ!)

 だいぶヴァナの常識に毒されたよくわからない悪態をつきながらぐっと腰を落として衝撃に備える。野郎、なんだか知らんがこちらに向かって全力で突撃してきやがるッ。

間欠泉トカゲガイザーリザードだ、気をつけて!!」

 メルの声とどちらが早かったのか、大トカゲの頭が盾に激突した。

 重……ッ!!

 腰を入れて受け止めたというのにまるで車に撥ね飛ばされたかのような衝撃が体を突き抜ける。どうにかこらえたものの、

 ぶおん。

「ぐぉっ……!?」

 不意を打たれた横殴りの衝撃に体がバランスを崩し、尻餅をついてしまう。
 尾で強かに打ちつけられた、とわかったのは後でのことだ。とんでもない強さにくらくらと頭が揺れていた。

 がら空きになった俺に再び突進しようとしたトカゲはしかし、その足元に打ち込まれた矢にたたらを踏んだ。

「リック、大丈夫!?」

 駆け寄ってきたメルが抱え起こしてくれる。バカ、狩人が前に出てくるなよ。

「《プロテアII》!!」

 メルの放った守護の光が俺たちの体を包み込む。いくらかはこれで衝撃をやわらげてくれるだろう。
 しかし、NM……悪名高い怪物ノートリアスモンスターかよ。辺りが静かだったのはそのせいか?

 NM。他のMMOじゃネームドモンスターとか言われるそいつらはいわゆるレアモンスターだ。大抵周囲のモンスターよりも強力な代わりに、ほかでは手に入らないアイテムをドロップしたりするほか、クエストの討伐対象になっていたりする。
 ガイザーリザードもその例に漏れず、このエリアじゃ最高レベルの強さを誇っている。涸れ谷内の間欠泉が噴出したときにランダムで出現するというやや特殊なポップ条件が名前の由来だろう。

 とここまでがゲーム知識だ。
 ゲーム的な言い方をすればメルやダナの装備から類推するレベルだと若干きついが、俺のレベルが考えている通りなら苦もなく倒せる相手のはずだ。
 だがそうは問屋がおろしてくれなさそうな気配である。正直今の一撃でさえ腕がじんじんとしびれてうまく力が入らなくなっている。下手な受け方をすれば骨を折られていたかもしれない。人間はHPが1になっても平気で動けるわけじゃないのだ。

「俺が引き付ける。ダナ、回り込んで仕留めろ。メルは援護を」

 それぞれの得物を考えれば改めて言うことでもないが、あえて口に出して確認する。俺とメルはともかく、ダナと組んで戦うのは初めてなのだ。

「了解」

「わかった!」

 背中で2人の返事を聞いて、振り返らずにうなずく。
 大トカゲは警戒しているのか踏み込んでこようとはしない。剣を握りなおし目に力をこめて睨みつける。気で負けたら持っていかれる。

 さて、仕切りなおしだトカゲ野郎。

 たたっ、と意識していなければ聞き逃しそうな軽い音を立てて、最初に動いたのはダナだった。
 それを視線で追おうとした大トカゲにわざと大上段で剣を振りかぶる。

「どこ見てやがる!!」

 がつんと振り下ろした剣はしかし、相手の硬い鱗に阻まれて決定打にはなりえない。
 けどそれでトカゲの目がこっちを睨んだ。そうだ、それでいい。

 殴りつけてくるような大トカゲの頭突きを盾で受け止めながらこちらも剣を振るうが、鱗はなかなか刃を通そうとしない。さすが鎧にも使われるだけのことはあるな……ッ。
 一方でダナの放つ矢が巧みに鱗の隙間をついてトカゲの体に突き刺さる。
 流れるような動作で矢を番え放つと即座にその場を離れ、俺と大トカゲを中心に円を描くように目まぐるしく立ち位置を変える。そのたびにトカゲは煩わしげにダナを探そうと視線をさまよわせるが、そこにすかさず剣を振るえばトカゲも俺に集中せざるを得ない。

「《パライズ》!」

 メルの呪文が完成し、大トカゲの体に纏わりついた痺れの光が繰り出そうとしていた突進を阻害する。
 だがトカゲの視線は俺から離れない、放しはしない。それにしても、

「いい加減、タフすぎるんだよ!」

 叫びながら斬りつけるがこの野郎、ふらつきもしやがらねえ。体に刺さる矢は5本6本とどんどん増えていくのに、まだまだ体力は有り余ってるといわんばかりだ。

 その大トカゲが一歩引いて体勢を低くしたのを見て、すわ突進かと俺は衝撃に備えた。
 だが。

 ────ゴオァッ!!

 んなぁ!?

 俺に迫ってきたのはトカゲの巨大な頭部ではなく、見るからに体に悪そうな色をしたトカゲの吐息だった。
 思わず盾で防ごうとするがそんなもので防げるわけもない。

「ぅぐえほっ!? ごほ、ごほ……ッ!!」

「リック!!」

 喉が焼ける……!!
 ブレイクブレスが、肺に入り込んだ毒の息が体を内側から焼き尽くそうとする。

(TP技、そういうのもあるのか……ッ!!)

 驚愕しながら内心でボケをかましてしまったのはそれほど混乱していたからかもしれない。とにかくちょっとヴァナの生き物を侮っていた、毒とか炎とかすっかり忘れていたのだ。なまじ前に邪視を食らわずに済んだことで油断していたのかもしれない。
 俺の育てていたキャラのレベルじゃあこのあたりの敵から食らうスリップダメージなんて痛くも痒くもないからと、ほとんど自然に治るまで放置していたのがちょっと申し訳ない気持ちになる。彼らは毒やら病気やら食らうたびにこんな気持ちの悪い思いをしていたのか。

 はじめて体験する毒の苦しみに浮かんだ涙で視界がにじむ。
 前後左右が分からない。体を内側から犯されるあまりの気色悪さに胃の中のものが逆流してくる。
 いたくて、きもちわりい。

 膝から力が抜ける、足がすべる。
 ぐるりと視界が反転しそうになり。

 その端っこに、小さな白い影が見えて、俺は血がにじむほど唇をかみ締めて踏みとどまった。

 痛みに体が崩れ落ちそうになるのをどうにかこらえる。倒れこみたいほどの苦痛を抑え込めたのは奇跡というべきか根性というべきか、これが元の世界にいたままの俺の体だったらとっくに撃沈していた。
 いや、たとえこの体だったとしても。
 俺の後ろにメルが、ダナがいなかったとしたら。

 毒に動きの鈍った俺を無視した大トカゲが、魔法を放ったメルに憎々しい視線を向けてそちらに足を踏み出した。

 行かせるかよ!!

 俺はそのどてっぱらに、半分つんのめるようにして剣を突き出した。体当たりするような攻撃は、避けられることも、後の防御も考えないむちゃくちゃなものだったが、それが功を奏した。
 完全に俺から意識を逸らしていた大トカゲはそれに対応できず、幅広の剣は深々とその体を突き破り、俺と大トカゲはもつれるようにして倒れこんだ。

 ────ギュァアァアアァ……!!

 こいつ、それでもまだ暴れてもがきやがる。

「ダナ!!」

 俺の声にすばやく駆け寄ったダナが、暴れる大トカゲの頭を踏みつけてぎりぎりと引き絞った弓の弦から手を離した。

 ドスン。

 重い音がして、トカゲは大きく痙攣してそのまま動かなくなった。
 まだ尻尾がびくびくと動いているものの、大トカゲ自身はもう息絶えていた。それを確認して恐る恐る顔を上げる。

 うわ、おっかねえ……。

 ダナの放った矢はトカゲの眼球を貫き、その頭部を大地に縫い付けていた。これではひとたまりもあるまい……。

「リック、大丈夫?」

「あ、ああ……ぇほ! げほ、ぐっ!」

 忘れてた、まだ毒は直ってないんだった。
 すぐにメルが駆け寄ってきてポイゾナとケアルを唱えてくれる。あぁ、ぜんぜん楽になった。

「助かった。はじめて食らったけど毒ってめちゃめちゃ怖ぇー」

「むしろはじめての毒であそこまで踏ん張れるんだからすごいよ。こっちこそ守ってくれてありがとうね、リック」

 にっこりとメルに微笑まれて俺は、ぶっきらぼうに「おう」とだけ返事をして立ち上がった。
 タルタルはほんとにずるい種族だ。なんで男に微笑みかけられて照れなきゃいかんのか。

「む、ねえねえリック、あたしは?」

「んあ? ああ、うん、ありがとな」

 何故かメルに向かってふふん、と胸を張るダナ。妙なところで子供っぽい奴だなあ。

 よっこいせ、と。
 立ち上がって見下ろすトカゲの体は、地に横たわっているというのに本当に巨大だ。そしてまだ尻尾が生きてやがる。トカゲの尻尾の生命力の高さが異常なのは地球でもヴァナでも同じか。

「にしてもガイザーリザードが何でこんなところに……もうすぐ北グスタに入るところだっていうのに」

「それは、多分だけど……」

 次の異変が起きたのはそのときだった。

 剣を引き抜きながらぼやいた俺の言葉に答えようとしたメルの体に、白い光が纏わりついてきたのだ。

 これは……魔法の光か!?

「メル、おいメル大丈夫か!?」

「……~~~~ッ!」

 メルは喉元を押さえて口をパクパクと動かしている。
 まさか息が出来ない? いや、喋れないのか!

(サイレス、呪文封じか!? けど……)

 誰に、なんて無意味な疑問だ。呪文をかけた奴なんてわかりきっている、そいつらは……。

「武器、捨テロ。荷物置く」

 俺たちの後ろから姿を現した。
 やっと本命のお出まし、というわけだ。

(ゴブリン……ッ)

 ダナが咄嗟に弓矢を構えようとするが、矢を番えたところで動きを止めざるを得なかった。
 ゴブリンのクロスボウが既に俺たちに狙いをつけていたからだ。

 全部で3匹いた。
 1匹は黒い鉄のマスクに鎧姿で手には斧を持っている。あとの2匹は革のマスクをかぶり、背中には大量に荷物を詰め込んだかばんを背負っていた。
 鉄マスクのゴブリンが先頭に立ち、革マスクの2匹はその後ろに。1匹はクロスボウを構え、魔法を唱えたと思しきもう1匹は切れ味の悪そうなナイフを握っている。

 全く、すっかり油断していたとしか言いようがない。
 敵の気配を読むことに長けた狩人がいるからと俺は安心しきっていた。だがそのご自慢の鼻が、利きすぎるが故にこの土地にしみこんだ独特のにおいで狂わされているとは。
 そうでなかったら、あるいは俺がもう少し警戒していれば話は違ったかもしれないのに。

 きゅっ、と服の裾を掴まれる。ダナが弱々しい顔で俺の後ろに隠れている。仕方がない、狩人の防御力は紙同然だ。むしろ果敢にも俺の隣に立ってゴブリンを睨みつけてるメルがちょっとおかしい。かくいう俺の装甲も今はダナ以下なのだが。
 逃げるにも後ろは岩で塞がれている。通れないことはないだろうが乗り越える隙に後ろから襲われるだろう。メルの静寂が解けない限り魔法も使えない……いやダメだ、魔法を使えるようになったとしてもメルは白魔道士、決定的に状況を覆すような魔法はないし、エスケプの魔法は使えない。

 どうする?

 考えろ、どうにか切り抜ける方法はないか。
 このまま戦闘を仕掛けるのはかなり分の悪い賭けだ。まずメルの呪文が封じられているのが痛手だし、俺もさっきの大トカゲとの戦闘の疲れがまだ抜けていない。多分ガイザーリザードを連れてきたのはこいつらだ。俺たちを消耗させて、あわよくば倒されてくれればいいという魂胆だったのだろう。
 ではいっそのこと大人しく従ったほうが、と囁く声がするがそれをかき消す。もし殺して荷物を奪うつもりならとっくにそうしているだろうから交渉の余地はあるかもしれないが、あいにくたいした手持ちはない。向こうが気に食わなければアウトだ。

「リック……」

 ダナのか細い声が聞こえる。ちらっと見るとどうするの? と目で問いかけられている。
 何だって俺に聞くんだ、メルのほうが先輩だろうに……いやまあ、今メルは口が聞けないから仕方ないのかもしれないけど。と思ったらメルもやっぱり俺を見ていた。
 おおい、俺に状況の判断を一任するってか、ちと荷が重いぞ。っていうかなんかこの間からこんなシチュエーションばっかりだな。

 ただ……。
 実は単に2人にのせられてるのかもしれないぞ、俺。毒だのなんだので疲れてるって言うのに。
 そんな目で見られるとムクムクと負けん気が沸いてくるのだ。こんなゴブリンどもに好きにさせるようで、俺は2人の仲間でいられるか? と。

 手は、ないではない。

 問題は今まで全く試していないからぶっつけで出来るのかどうかというのと、上手いことタイミングを合わせられるかということ……。

「捨テル、早く。捨てないの、撃つゾ!!」

 ゴブリンたちも段々業を煮やし始めている。

 仕方ない。物は試しだ。
 失敗したら……そのときはそのときだ。

「ダナ、弓は捨てるなよ」

「え…………うん」

 相手に悟られないようにそっと声をかけ、メルに俺の後ろに下がるように合図する。
 剣をゴブリンたちの前に投げ捨てる。下手な動きは出来ない、クロスボウを構えたゴブリンが常に狙いをつけている。だが逆に言えば、今俺たちを牽制しているのはそいつだけだ。斧もナイフも、すぐには届かない。
 それからゆっくりとかばんを下ろす……振りをして、何気ない仕草で口元を隠す。



 詠唱は、ほんの一瞬。その使い方は体が覚えていた。




 皮膚の下で、肉の中で、骨よりももっと深い部分にたゆたう魔力を意識的に動かしていく。氣のように溜め込むことはしない、体内を循環させ全身にいきわたらせるように流動させる。



 その流れに元素が、精霊が反応するのを今まで持っていなかったはずの感覚が捉える。

 忘れずに、心の中で付け加えた。


(女神アルタナよ、その恩寵に深く感謝いたします……俺はアンタの愛した人の欠片じゃあないかもしれないけれど)


 右手を、クロスボウを構えたゴブリンに向かって突き出した。

「《フラッシュ》!!」

「!?」

 突如として炸裂した目を焼きつぶすかのような光にゴブリンは泡を食ってクロスボウの引き金を引くも、ボルトは明後日の方向に飛んでいった。
 俺はそれを見届けることなく、甲冑のゴブリンに向かってかばんを投げつける。

 2匹の視界を塞いだその一瞬を見逃すわけにはいかない。フラッシュの魔法もかばんも、相手の目を奪えるのは一瞬だけだ。

 低い姿勢で駆け出し……取った!
 指先が投げた剣の柄に触れ、逃さずそれを握った。

「ギィッ!?」

 頭の上で風を切り裂く音がして、ナイフのゴブリンが悲鳴を上げた。動き出していた元素が霧散していく。

 それを意識の端で確認しながら俺は、剣を甲冑ゴブリンに向かって…………。





「形勢逆転だ! これ以上痛い目見たくなかったら大人しく消えろ!」




 その喉元に突きつけた。

「ぐ、グゥ……」

 悔しげな唸り声が聞こえる。
 後ろではダナが弓を構えているはずだ。下手な動きをすればすぐに射抜くぞ、と睨みを利かせながら。

「引き下がらないなら女神の威光がお前たちを焼き尽くすぞ!」

「………………ッ」

 それでもゴブリンはなかなか引き下がろうとしない。
 振り上げないまでもその斧を手放そうとはしないし、まだ隙をうかがっているような様子さえ見せる。

 こいつ……強情な奴……。

 ガイザーリザードまでけしかけた手前引き下がれないのも分かるが、出来ればさっさとお暇して欲しい。でないと……。

「……っくぁ!」

 後ろでメルの声が聞こえた。静寂が解けたのだろう。
 だが奇妙なことにそのまま間髪いれずにメルは呪文を唱え始めたのだ。

「《バニシュ》!」

 なんだ? と思っている間に、メルの放った光がゴブリンたちの後方の岩陰に走り、炸裂した。
 悲鳴が聞こえた。

 その向こうから姿を現したのは、クロスボウを持ったもう一匹のゴブリンだった。

 あー……。
 そういや昨日の話ではゴブリンは4匹いるって言ってたっけか……。いかん、完全に頭から抜け落ちていた。

 と、とにかく。

「これで伏兵も使い切っただろ。さあ、どうする」

 にらみ合いが続く。
 甲冑ゴブリンはまだ諦める気配を見せない。斧を握る手に力がこもるのが分かる。やるつもりか……?






「デリクノクス、もう無理だ、やめヨウ。諦めヨウ」

 ところがその均衡を破ったのは、なんとも意外な相手だった。





 なんと甲冑ゴブリンを説得しようとしだしたのは、ナイフを持っていた革マスクのゴブリンだった。肩に刺さった矢はダナの射掛けたものだろう。
 まさかゴブリンがゴブリンを説得するとは……。
 それを聞いた甲冑ゴブリンはというと、今まで俺たちに対する敵意しか見せなかったのが今の革マスクの言葉に一瞬凍りつくと、ぷるぷると震えだした。

 あー……これ怒ってるな。かなりぷっつん来てるのがわかるわ。

「ウルサイ! 黙れ、弱虫ダーダニクス!」

 案の定甲冑ゴブリンは革マスクに向かって怒鳴り始めた。もう俺たちがいるのもお構いなしだ。
 そっからはもうゴブリン語らしき言葉でまくし立て始めたので何を言っているのか分からないが、まあなんか、馬鹿とか、臆病者とか、そんなことを言い募っているのだろう。

 クロスボウを持っていた2匹のゴブリンもあきれた様子でどこかに立ち去ってしまった。おおい、お前ら仲間じゃなかったのか。

「どうすんだこれ……」

「なんか妙なことになっちゃったね」

「あたしゴブリンが喧嘩してるのはじめてみた……」

 すっかり毒気を抜かれた俺たちも全く目に入っていない様子で、甲冑ゴブリンは革マスクのゴブリンの襟首を引っつかんで責め立てている。なんというか力関係が明白と言うか。

 しかしまー、なんつーか。
 ……まあ皆までは言わないでおこう。

 やがて言うだけ言って満足したのか、甲冑ゴブリンはようやく2匹の仲間がいなくなってることに気づいたらしい。そろそろ放してやれよ、なんかもう涙目になってるぞそいつ。

「~~~~~ッ!!」

「いってぇ!?」

「ギャンッ!?」

 で、あん畜生、八つ当たり気味に俺と革マスクに蹴りを入れて走って逃げ出していった。革マスクのほうも転がるようにそのあとを追っていく。
 しばらくしてその姿が見えなくなって、俺たち3人はふかーくため息をついた。

 なんか変なことになってはいたが、ともかくゴブリンたちを撃退できたことで一気に疲労が押し寄せてきた。いや、疲れたのは別の理由かもしれないけど。

 けど……。
 なんとなしに手のひらに目を落とす。

 やっぱり使えちまったな、魔法。
 本当は最初から、というよりモグハウスで剣を振ったときから気づいていた。強力な魔法の知識が、使い方の記憶が体に刻まれていることを。
 それでも使わなかったのは……怖かったからなのだろう。

 魔法を使えてしまうそのことが、まるで俺が根っからこの世界の人間になってしまうことのような気がして。
 今までの、現代日本で平穏に暮らしていた俺が壊れてしまいそうな気がして。

 情けないと言わば言え。こんな異常な事態になっても俺はまだ"普通の自分"にしがみついていたかったのだ。
 けど、3人揃って窮地に立ったとき、俺は自然とその選択肢を選んでいた。
 理由はひとつしかない。



 それは半分は言い訳なのかもしれないけれど。ただ、踏ん切りをつけるタイミングを待っていただけなのかもしれないけれど。



「すっごいすごーい! リックがナイトだったなんて!」

 ったく、人が感傷に浸っているというのに空気を読まない猫だ。
 ダナは子供っぽくぴょんぴょんと飛び跳ねながら俺の手を取った。そのまま興奮した様子でまくし立てる。

「あたし知ってるよ、さっきの魔法は修行を積んだナイトしか使えないでしょ? もう、何で言ってくれなかったの!」

「ボクも聞きたいね。どうして今まで黙ってたのさ。それにさっき女神の威光が、って言ってたけど、もしかしてホーリーの魔法まで使えるのかい?」

「悪ぃ。ちと色々あってさ、魔法が使えるかどうか不安だったんだ。あとホーリーはハッタリ」

 使える知識として刷り込まれていたのはもうちょい低いレベルの魔法までだ。
 それがこの世界でどれほどの実力に匹敵するかは分からないが……少なくともどんな雑魚が相手でも気を抜けば死ぬということだけは確かだ。ここはゲームの世界じゃないのだから。

「で、何で話してくれなかったんだい? 仲間の実力を正確に把握しておくのも大事なんだけれど?」

「そうだよもう、てっきりあたしリックは普通の戦士かと思ってたんだから」

「う、わ、悪かったって。歩きながら話すからさ、とにかく行こうぜ。もう目的地は目の前だろ」

 2人をなだめながら岩でふさがった道を乗り越える。


 俺の後ろには仲間がいる。
 メルたちを護るために、魔法を使わない理由はなかった。

 仲間を護りたくて護るんじゃない、護ってしまうものがナイト……だったっけか?

 笑い半分で聞いていた言葉が真実味を持って迫ってくる。いやあれは改変だったかもしれないけど。
 ともかく俺はナイトだからな。
 8割がた思考を投げ出したようなものだったが、今の俺にはそれで十分だった。魔法を使えるその意味を深く考えないでいいその言葉で。

 さーて、2人にどう説明したものだかなあ……。





 谷間を抜けて川をさかのぼり、臥竜の滝の滝つぼにたどり着くまでそう時間はかからなかった。
 この滝を訪れたのはこれで二度目になるわけだが、その威容は前回と変わることなく、むしろ間近で見るだけ圧倒されんばかりの迫力をそなえていた。
 水しぶきがひんやりと空気を冷やし、これほどまでに轟音を浴びているにもかかわらずいっそ静謐な雰囲気さえ帯びているように感じられる。切り立った崖の上から差し込む日光がきらきらと乱反射し、小さな虹が浮かんでいる。
 乾いて、枯れて、荒んだグスタベルグの大地にあって、ここだけはこんなにも色鮮やかだ。

 ダナもメルも、そして俺も、目の前にそびえる自然の持つ圧倒的なまでの力強さに、ただただ呆然と眺めることしか出来なかった。

 すごいね、と誰かが呟いた。

 すごいな、と俺は答えた。

 その滝の裏側にぽっかりと口をあけた小さな洞窟の奥に、俺たちの目指すグィンハム・アイアンハートの足跡はあった。
 古びた石碑は土ぼこりに汚れ、しかし不思議と文字がかすれるようなこともなく泰然とした姿でたたずんでいる。

 刻まれている言葉を挙げ連ねることはしない。もしも気になるというのなら、是非自分の足で確かめて欲しいと思う。
 ただそれはもう飽きるほど読み返した言葉であったというのに、何故か生まれてはじめてそれを目にしたかのような鮮烈な衝撃を俺の心に植えつけた。

 そっと指で石碑に触れたとき、俺は壮年の冒険者が高い丘の上に立って眼下に広がる世界を、いやそのもっと向こうに待ち受ける広い世界を挑むかのように見据える姿を幻視した。

「君は本当に不思議だね、リック。何もかもを知っているような口ぶりなのに、見るもの全てが目に新しいという。やっぱり君といると、今までにない冒険に出会えそうだ」

 メルの言葉がいやに印象に残っている。
 頬ひと筋の涙が伝っていた。



 後日バストゥークに帰った俺のもとに、冒険者登録が受理されたという知らせが届いた。
 さしずめ最初の称号は『物知りリッケルト』かな、と言ってメルとダナは笑っていた。















 後の世。

 クリスタル戦争終結後より始まったとされる新世紀を、冒険の時代と人々は呼んだ。
 この頃世界を動かしていたのは、あらゆる国家、種族、組織、思想に囚われることのない、時が時であれば無頼漢とすら呼ばれたであろう冒険者たちだったからだ。
 彼らが何を求めてその道を選んだのかを一概に語ることは出来ない。
 ただ1つ共通していたのは、みな一様にまだ見ぬ何かを求めていたということだ。そのために彼らは全ての垣根を越えて、世界を駆け回った。

 同時に、この時期は英雄の時代でもある。
 数知れぬ混乱が、災厄が、大いなる謎が世界に降りかかり、多くの冒険者たちがそれに挑んだ。あるものは多大な功績を残し、あるものは儚くも散っていった。

 冒険者リッケルトもまた、この時代を語る際に人々の口に上る数多の英雄の一人である。







==

クロスのことについて触れたとたん超反応が返ってきて噴いた。
予想以上に残して欲しい、という意見が多かったため一考。とりあえずの結論としまして、ヴァナ編を本編としハルケギニア編は番外編として残すことにします。
本編中でのクロス要素は感想の中で頂いた「キャラだけ登場する」を採用しようと思います。っていうかそれで逃がしてください。

さて、あとミッションについて。
触れないかなーと思っていたのですがかなりのネタばれ含みます、いまさらですが。
「ミッションなぞるのはやめて欲しい」とコメントを下さった方には申し訳ないのですが、多分大々的に絡むことになるかと。どれとは言いませんが。
ただそのままゲームのイベントをなぞるのはぶっちゃけ私も面倒なのでやらないと思いますが……。出来るだけオリジナルに話を進めたいと思います……ってかだいぶ先の話なのでそもそもそこまで連載続くかどうk(ry。


>ルビタグの使い方が間違ってる。

え、マジすか。私のほうだと普通に表示されてるんだけどな……。
今回指摘していただいたとおりのタグにしてみましたが、直ってます?


あと04を修正しました。
モグハウスの設定をFF11従来のものに近づけました。なんか他国から荷物引き出せないって設定特に意味ないよな、と気づいたので……。


明日ちょっとおまけを書く予定。ゴブリンって可愛いよね。







[24697] 06.5-Goblin Footprint 《NEW!!》
Name: 為◆3d94af8c ID:b82d47da
Date: 2010/12/18 01:22



 デリクノクスは憤慨していた。
 二度も立て続けに襲撃に失敗したこともそうだし、足を引っ張ったのが相棒のダーダニクスであったことが殊更に怒りを増長させた。

 もともとデリクノクスは傭兵になるつもりでいたのだが、子供のゴブリンが戦場に出たところで役に立たないのは分かりきっていたことであり、そこは我慢を重ねていた。
 しかしいざ戦えるようになった途端アルタナの民との戦争が終結してしまい、ゴブリン傭兵たちの働き口が一気に減ってしまったのだ。

 それもこれも臆病なダーダニクスを説得するのに無意味に時間を食ってしまったからだと今でも思っている。

 一緒に傭兵になろうなんて約束するんじゃなかった!

 ダーダニクスとは子供の頃からのなじみだったが、彼はことあるごとにデリクノクスの足を引っ張った。
 ようやくオークに雇い入れられて出た初めての戦場ではいきなり敵の矢を食らったダーダニクスの介抱をしているうちに戦線から取り残され、何とか雇い主を探そうと赴いた北の地ではドラゴンに追い回され、臍を噛む思いで盗賊に身をやつした矢先にこれである。
 自分たちに情けをかけたあのアルタナの民も憎々しいが、それ以上に腹が立つのがいつの間にかいなくなっていた狩人2人だ。
 なけなしの金で雇ったと言うのに、臆病風に吹かれてさっさと逃げ出しやがって。デリクノクスはそう思っているが、ともかくこれで晴れて文無しと言うわけである。

 グスタベルグの荒野をとぼとぼと歩きながら、デリクノクスはどうしたものかと途方にくれた。

 知り合いは皆何かで身を立てている。繕い物だったり、肉屋だったり、中には釣り師や賭博で生活しているものもいる。
 けどそういうのは向いていない、デリクノクスは不器用なのだ。商売も多分無理だろう。昔から喧嘩っ早かったデリクノクスにはやはり傭兵とか、用心棒とかそういうほうが向いているのだ。

 しかし今オークもクゥダフもなかなかゴブリンを雇ってはくれない。いや、雇ってはいるのだが傭兵家業は縄張りがきつく、数少ない需要はほとんど古参のゴブリンたちが独占している。

 最近はなんだかどこもこそこそとしていてあまりいい感じがしないし。
 本当に食い詰めたら、それこそアルタナの民とでも取引するべきなのだろうか。

 デリクノクスはあまり連中が好きではない。ダーダニクスはそうでもないようだが。

 そういえば涸れ谷で雇った狩人の1人は、どこだかの洞門でワイバーン狩りをするのだとか言っていた。いっそ自分たちもそれについて……。
 いやだめだ、アイツは腕は立ったがどうも気に食わない相手だったし、金を持ち逃げするような奴と一緒に働きたくはない。それにどうせダーダニクスがワイバーンに追い回されるのがオチだ……。


 ────ぐるるるぅ……。


 唸り声が聞こえて顔を上げると、行く手を一匹のトカゲが遮っていた。
 それを見てまたデリクノクスに怒りがこみ上げてくる。涸れ谷でけしかけたあのトカゲがもっと上手くやれば少しは金が手に入ったかもしれないのに!

「ナニ、見てル! あっち行ク、消エロ!」

 斧を振り上げて威嚇するが、あろうことかトカゲは逃げるどころかデリクノクスのほうに向かってきて……、

「ギャンッ」

 邪魔だとばかりにデリクノクスを突き飛ばしてそのまま歩み去っていく。デリクノクスはぺたんと尻餅をついて、呆然とその後姿を見送った。

 なぜだか。

 酷く惨めな気持ちになる。
 何で自分ばっかりこんなに上手くいかないのだろう。何をしてもどこにいっても失敗ばかり。何度も何度もぐずでのろまなダーダニクスに足を引っ張られてほとほといやになる。

 不貞腐れて、斧を投げ捨てようとして、

「デリクノクス」

 いつの間にかダーダニクスが追いついてきていたことにやっと気づいた。

「なんダ、のろま」

「デリクノクスがはやすぎる。ダーダはいつも置いていかれそうになる」

 そう言いながらダーダニクスはデリクノクスの隣に腰を下ろした。
 どれほど時間がたっていたのだろう、気がついたら陽が斜めに差していた。2人で並んで眺める先には、茜色の夕日が遠くグスタベルグの山脈の上で揺れている。

「またシッパイしたね」

「お前のせいダ」

「うん、ごめんねェ」

 これもいつものパターンだ。
 さすがにここまで来るとデリクノクスもいい加減気づく。ダーダニクスは戦いに向いてないのだ。
 いっつもデリクノクスが連れ出して、いっつもダーダニクスはそれについていけなくて、そして2人で失敗する。

 もう無理なのだろうか。

 限界なのかもしれない。

 これ以上2人で一緒にいても、2人で転んでおしまいになってしまうのではないだろうか。
 明確にそう思ったわけではないし、そこまで考えられるほどデリクノクスは賢くなかったけれど、なんとなくそんな気持ちを抱き始めていた。

「……ドウスル?」

 けどそれを口には出さなかった。
 デリクノクスは、ダーダニクスと別れて1人で活動している自分がどうしても想像できなかったのだ。

 ダーダニクスは器用で頭もいい。
 腕っ節はさっぱりだけれど、アルタナの民相手に商売でもすれば一財産築くことも出来るかもしれない。こうして2人しかいないのに共通語を話しているのもダーダニクスの発案だ。言葉は喋れば喋るほど上手くなると言っていた。いつまでたってもダーダニクスのほうが流暢で、デリクノクスが覚えたのは罵詈雑言ばかりだが。
 それに魔法だって、最近覚えたばかりなのにもう色々な呪文を覚えてしまった。

 魔法といえば。
 ふとダーダニクスを見ると、アルタナの民にやられた矢傷がまだ残っている。矢は抜いたようだが、傷口はまだ手当もしていないままだ。

「馬鹿、怪我、治ス。早くシロ」

「デリクノクスが先に行クからだよ」

 そう言いながらダーダニクスは呪文を唱え始めた。
 蒼い光がダーダニクスを包むと、傷はきれいさっぱり消えてしまう。ほら、魔法だってこんなに上手だ。

 また惨めな気持ちがぶり返してくる。
 今まで感じたことはなかった。斧を振り回すのは自分の生きがいみたいなもので、それしか出来ないことをこんなにもどかしいと思うなんて。

 なまじ高い柔軟性と多様性を持つゴブリンに生まれついたばかりにデリクノクスが理想と現実の差に心を砕いていると、ダーダニクスが突然妙なことを言い出した。

「でも、初めてダね」

「……?」

「デリクノクスがどうする、って聞くの」

 そう言われてみれば、そうかもしれない。
 いつも次の行動を決めるのはデリクノクスで、ダーダニクスはそれについてくるばかりだった。

 いや、怖かったのかもしれない。
 自分が聞いて、ダーダニクスが自分とは別の道を選ぶのではないかと思うと、怖くて聞けなかったのかもしれない。
 でもそれを無意識に口にしてしまったのは……もうこれ以上ダーダニクスと一緒にはいられないという思いの表れだったのだろうか……?

「ドウ、したい」

 恐る恐る聞いてみる。
 ダーダニクスの答えは、デリクノクスのまったく予想していないものだった。

「ダーダはねェ、冒険者になっテみタイ」

「ボーケェンシャイ?」

 それはなんだ、と聞くと。

 アルタナの民の間で流行っている職業だそうだ。
 何でもどんな相手からでも仕事を取り付けて、いろんな危険な場所に行ったり、危険な生き物と戦ったりするらしい。
 傭兵みたいなものかと思ったら、買い物をしてきたり珍しい草花や鉱石をとってきたりもするのだとか。

「分かラナイ。ボケンシャ、したい、何でだ」

「だって、面白そウ。遠くの国や、見たこトない場所にもいクンだって」

「のろまのダーダニクス、無理、決まッテル」

「そうかナァ」

 ダーダニクスは首を傾げて言った。

「ダーダは戦い、苦手。でもデリクノクスとなら、何だって出来る」



 それは。
 かつてデリクノクスがダーダニクスに言った言葉だった。

 だからずっと、どんなに足を引っ張られても、どんなに上手くいかないことがあっても。
 デリクノクスにはダーダニクスと別れるという選択肢がなかったのだ。

 2人でなら何だってできる、そういった自分を、そう言わせたダーダニクスを、ずっと信じていたから。



「仕方ナイ、のろまなダーダニクスだけジャ何も出来ナイ」

「そうだネェ」

 ぴょんと地面を蹴って立ち上がる。
 さっきまで重くてうるさくて煩わしいばかりだった斧と甲冑のがちゃがちゃなる音が、不思議と心地よかった。

 ダーダニクスも続いて立ち上がって、尋ねた。

「まずは、どこに行こうか?」

 答えは決まっている。

「ドコでもいい。デリクとダーダ、ドコでもなんでも出来る」

 そういって"彼女"はニッと笑った。
 ダーダニクスも、こっくりと頷く。





 当てもなく、けど確かな絆を胸に秘めたゴブリンの足跡が2つ、グスタベルグの荒野にどこまでも続いていった。






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ゴブリンの命名法則:末尾に法則があり、-ixは美男、-oxは美女を示すらしい。ただしゴブリン基準。

なんとなくあとで使えそうなキャラは無意味に掘り下げておくの図。

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◆ウソ楽屋ネタ




 Rick:さて、今日の収録はGeyser Lizardと戦ってゴブリンを撃退するところまでだが。

 Dana:リック~、ガイザー湧かないよ~。

 Mel:って言いながら既に夜中の2時なんだけど。

 Rick:予定を変更してゴブリンのシーンを先に撮ることにする! ダナ、【ゴブリン】【釣り】【はい。お願いします。】鉄マスク1匹と革マスク3匹な!

 Mel:あ、あのさ、

 Dana:あいあーい。

 Mel:行っちゃったよ……。


  ・・・


 Dana:リック! リック!

 Rick:なんじゃい。

 Dana:ダングルフの涸れ谷に甲冑ゴブリンいないよ!

 Rick:なん……だと……。

 Mel:ちゃんと下調べしてから企画しようね……。






[24697] 番外編-01
Name: 為◆3d94af8c ID:b82d47da
Date: 2010/12/17 00:00



 何度と無く失敗した。
 幾度と無く失敗を繰り返し、繰り返した果てについぞ今まで成功の二文字は彼女の前に現れはしなかった。
 そして今も。

 陣を敷いた草原に爆音と土煙が舞う。また失敗だ、ルイズの心は落胆できるほど上を向いてはいない。
 春の使い魔召喚試験においてかつてこれほどまでに失敗し続けた生徒はいないだろう。元より失敗するような魔法ではないのだ。

 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラ・ド・ラ・ヴァリエール。周囲の生徒から『ゼロのルイズ』と罵られる彼女は、その名の通り今まで魔法を成功させたことがない。
 故にゼロ、成功率ゼロのルイズ。
 貴族にとって、メイジにとってこの上ない侮辱であり、しかしルイズはプライドの高い少女であった。いずれ名高いメイジとなって彼らを見返してやると常日頃から心に決めていた。

 しかしその機会も、今失われようとしている。
 使い魔召喚はメイジにとって通過儀礼のひとつだ。魔法学院での進級をかけた試験であると同時に、呼び出された使い魔からメイジ自身の資質を測るバロメータでもある。
 だがそう、あくまで通過儀礼のはずだったのだ。ルイズはここであっと皆を驚かせるような使い魔を召喚してやろうと密かに思っていたし、今までいくつかの不測の事態を除いて──例えば緊張で当日になって体調を崩すだとか──召喚に失敗して落第するような生徒はいなかった。
 それだけに失敗を重ねるルイズの心中には絶望だけが広がり、そして監督官を努める教師のコルベールの胸中にもルイズを不憫に思う気持ちが重なっていった。

「ミス・ヴァリエール。今日はこのくらいにしておきましょう」

 ルイズ1人を落第させるのはあまりに哀れだし、こう言っては何だがここで落第生を出すのはコルベール自身の、ひいては学園の沽券にも関る。
 学院長に相談して後日彼女に再召喚の機会を与えようと思っての進言だった。この召喚場もまだ数日は使えるはずだ。

 しかし疲れと悔しさに打ちひしがれていたルイズにとって、それはまるで最後通牒のように聞こえた。

「待ってください! 私はまだ出来ます、お願いします……もう一度だけやらせてください!!」

「いい加減にしろよゼロのルイズ! そう言ってもう何度目だよ!!」

 待たされることに焦れてきたのだろう、先に召喚を終えた生徒が明らかな罵声をぶつけてくる。
 コルベールはそれをひと睨みで黙らせると、唇を強く噛んで耐えるルイズに努めて優しく声をかけた。

「ではもう一度だけです、それで本日はいったん終了しましょう。大丈夫です、私の生徒から落第生を出させたりはしませんよ」

「はい!!」

 いくらかは勇気付けられたか、あるいはまだチャンスを与えてもらえることに希望を抱いたのだろう。瞳に活力を取り戻したルイズは、今一度召喚のための魔法陣に向かってタクトのような杖を振りかざした。



 そんなルイズたちから10歩ほど離れたところに集まった生徒たちの中で、唯一他の生徒とは違う目でその様子を見守るものがいた。
 赤い髪の少女──キュルケは、杖を掲げるルイズの姿をじっと見つめながらため息をついた。

「全く、よくやるわよあの子も」

 キュルケの隣には、対照的に蒼い髪を持もち眼鏡をかけた小柄な少女がいたが、彼女の返答を期待していたわけではなかった。半分独り言だ。

 キュルケともう1人の少女……タバサは、今年の2年の中では"アタリ"とされる2人だった。その2人がともにトリステインの人間でないというのは、学院にとって憤懣やるかたないかもしれないが、それはともかく。
 共にこの歳でメイジの第3階位であるトライアングルの実力を持ち、片やキュルケは火竜山脈もサラマンダーを、片やタバサに至っては幼いとはいえ風竜を召喚したほどた。

 そんなキュルケであるが、実力において天と地ほども評価に差があるルイズとは浅からぬ縁があった。
 なにせ実家の領地が国境をはさんで隣接していることに加え、かねてより……まあともかく、主にルイズからしてみればとかく気に食わない女の筆頭がこのキュルケであった。
 逆にキュルケからしてみればルイズは良いおもちゃである。
 何かにつけてちょっかいをかけてみれば、他の生徒に対しては我慢を覚えることでもキュルケに関してはことのほかよく噛み付いてくる。そのこらえ性の無い猫のような挙動が嗜虐心をいたくそそるのだ、と本人は思っている。

「ここで落第なんてことになったら、ヴァリエールの家もそれまでね。まあ姉のほうは優秀って聞くけれど」

 そもそも魔法がまともに成功しないのに学院に入れたのも、相当に実家であるヴァリエール公爵家の横車があってのことだろう。しかしここで落第しようものならいい加減かばうことも難しいはず。ともすれば退学にもなりかねない。

 ヴァリエールがいなくなれば……それは少し、惜しい。彼女のいない学院は今よりいくらかつまらなくなってしまうだろう。
 そう思いながらもう一度ため息をつき、キュルケは僅かに驚いた。
 タバサと目が合った。ルイズにさしたる興味も無い彼女は、本に没頭していると思っていたのに。

 読書狂いで無口な親友がぼそっとつぶやいた。

「心配?」

 その意味を一瞬図りかね、理解してからぷっと思わず噴出してしまった。

「やぁね、そんなんじゃないわ。ただヴァリエールにここでいなくなられたら良いおもちゃがなくなるってだけよ」

 それだけなんだから。
 そう言ってルイズに視線を戻す……というよりもこちらを見つめる透き通った瞳から視線を逸らせたキュルケに、タバサは何も言わなかった。

 言ってもどうせ本人は認めないだろうし──ルイズを見つめる目が、出来が悪いけれど憎めない妹を見つめるようだったなんて。

 それでもしばらくキュルケを見つめていたタバサだが、やがて興味をなくしたように本に目を向け……ようと思ったところで、本日最大の爆音が響き渡った。
 煩わしげにそちらに目を向けたタバサは、かすかに目を細めた。



 爆風に煽られながら、ルイズは今度こそ地面に膝をついた。
 彼女の魔法は常に"爆発"する。結局、この日与えられた最後のチャンスさえ棒に振ってしまったのだろう、そう思うともう立っている気力すらわかなかった。

「ミス・ヴァリエール」

 コルベールが声をかけてくるが、それに応える言葉も考え付かず、ルイズはただうつむくばかりだった。
 その肩にコルベールの手がかかる。
 ようやくのろのろと顔を上げてみると、コルベールはこちらを見ていなかった。

「?」

 コルベールの顔に浮かぶのは驚愕の二文字だ。目を丸く見開いてルイズの起こした土煙の中を見つめている。
 何事かとそちらを見て、彼女もまた驚きに包まれた。

 土煙が徐々に晴れる。
 そこには、鏡のようなものが浮いていた。

 ルイズは一瞬まさかと肝を冷やした。まさかアレが自分の使い魔か、と。
 しかしその鏡は、どう見てもただの鏡ではない。
 鏡面は水面のように波打っているし、そも自分たちの姿が映っていない。かといってその向こうの草原が覗けるわけでもなく……鏡に映し出されているのは荒野であり、高原であり、砂漠であり、深い森であり……刻一刻とその姿を変えている。
 遠見の鏡というマジックアイテムに似ていなくも無いが、こんな奇妙なものは見たことがない。

「ミ、ミスタ・コルベール……あれは一体……?」

「おそらく、ですが……召喚のゲート、ではないかと……」

 召喚のゲート? ルイズは思わぬ答えに首をかしげた。
 確かに鏡がどこか遠くの土地と繋がっているような印象を受けるが、しかしゲートがこのような形で姿を現すことなどあるのだろうか?
 そもそもゲートが開いているのに使い魔が現れないのはどういうことなのか。
 次々と映し出すものを変える鏡は、まるで……。

「探してる、の……?」

 まるでルイズが呼び出すはずであった使い魔の姿を必死で探しているように見える。
 そう思った瞬間、ルイズは弾かれたように立ち上がり、鏡に駆け寄っていた。

「あ、待ちなさいミス・ヴァリエール!」

 コルベールの静止も聞かず鏡に取り付くと、映し出される光景に必死で目を凝らす。

 ────どこ、どこにいるの……? お願い、姿を見せて……ッ!

 もしかしたらこのどこかに自分の使い魔が見えるのかもしれない。そう思えばいても立ってもいられない。
 なおも鏡は次々と映し出すものを変える。砂浜、風車の回る丘、湖のほとり、暗い洞窟の中、奇妙な形の塔、雪と氷の大地、荘厳な城、巨大な樹、石造りの街……。
 それはルイズの知るどんな土地とも違う世界だった。
 ひとつひとつはさして違和感のある景色ではない、だが目まぐるしく変わる景色を見続けるうちに直感する。ここに映し出されているのは、酷く遠いどこかだと。

 しかし次の瞬間、まるで蝋燭の火を吹き消したように、すべての映像が途絶えた。

「そんな!」

 まさか、諦めてしまったのか?
 だが何も映っていないかと思われた鏡に、誰か……そう、誰か人の姿が映ったかと思った瞬間、ルイズの体に突風が襲い掛かった。

「え、きゃあ!?」

 あたかも鏡がその周りにあるものすべてを飲み込もうとするように、風を吸い込んでいく。
 思わず鏡面に手を突いたルイズはぎょっとした。右手が、鏡の向こうに消えている……!
 左手を鏡のふちにかけてどうにかこらえる。少しでも気を抜けば全身丸ごと飲み込まれてしまいそうだ。

「だ、誰か……ッ!」

 期せず呼んだ"誰か"が自分を羽交い絞めにするのを感じルイズは振り向いた。
 ルイズの体に抱きつくようにして支えているのは、寮の隣の部屋に暮らすいけ好かない同級生だった。

「何やってるのよ、ヴァリエール!!」

「な、あ、アンタの助けなんか要らないわよツェルプストー!!」

 反射的にキュルケの腕から逃れようともがいてしまうが、そんな場合じゃないでしょ! と叱責され暴れるのをやめる。
 確かに、今は差し伸べられた助けに文句を言っていられる場合じゃない。

「油断してるとこっちまで吸い込まれそうだわ……腕は抜けないの?」

「できればとっくにやってるわよ!」

 それどころか腕はじりじりと飲み込まれていき、先ほどはひじまでだったのが既に二の腕まで見えなくなっている。
 ぐっ、ともう1人誰かがルイズの体を抱きとめる。
 見れば蒼い髪の少女がいた。名前までは分からないが、キュルケとよく一緒にいたのを覚えている。

「タバサ!? あなたは危ないから、」

「手伝う」

 3人で思い切り力をこめて引くものの、それでも鏡はルイズの腕を解放しようとはしない。それどころか風はさらに強く吹き込み、いまや肩までが鏡の中に飲み込まれようとしていた。
 そして。

「あ」

「ちょっと、何、どうしたのよヴァリエール!?」

「何か掴んだ……」

「ちょ、何かって何よ!?」

 鏡の中で踏ん張りどころを探してもがいていた腕が、その向こうにある何かをつかんだ。
 と思ったその瞬間、ルイズの腕が今までになく強く引かれ、そして3人は悲鳴を上げるまもなく鏡の向こうへと姿を消した。







 一体何が起こったというのだ。
 頭髪の薄くなった教師コルベールは、今目の前で起こった事態に頭の回転が追いついていなかった。
 ルイズが召喚を行ったらゲートと思しき鏡が現れ、当の本人を含めて3人もの生徒がその中に飲み込まれてしまった。コルベール自身も吸い込まれないように必死だった、鏡から5歩は離れていたというのにだ。
 周囲では生徒や使い魔たちが落ち着きなく騒いでいる。無理もない、あまりにも事態が異常すぎる。
 彼女ら飲み込んだ鏡は既に消えてしまっている。あとに残されているのは3人が落として行った杖だけだ。
 もはや状況はコルベール1人でどうにかできる域を超えている。すぐにでも学院長なりに指示を仰ぐ必要があるだろう。

「皆さん落ち着いてください! とにかく冷静に、今は教室に戻り、」

 しかし、予想だにしない事態はさらに続けて起こった。

 魔法陣の上に魔力が集まり始めたのだ。
 それはすぐさま大きなうねりとなり、光を放ち始める。
 空間がゆがみ、景色が揺らぎ、いっそうまばゆく輝くとコルベールはもう目を開けていることも出来ない。

「な、何が……ッ!?」

 光が晴れたとき、そこにいたのは……。



「や……った……成功、した……やっと戻ってこれたのよ!」

「くぅぅう……長かったわ……よーやく帰ってこれたのね……!」

「…………」



 きゃっきゃと喜びをあらわにする、たった今消えたと思った3人の少女だった。

「な、ミ、ミス・ヴァリエール、ミス・ツェルプストー、ミス・タバサ……無事でしたか!?」

 ルイズたちは声をかけられると、それでようやくこちらに気づいたとばかりに振り返り、何故か僅かに戸惑ったような表情をしながら満面の笑みを向けた。


「あ、え、ええと……そう、コルベール先生! お騒がせしました、召喚と契約の儀はこの通り成功させましたわ」


 そういって笑うルイズの腕の中には、蒼く輝く見たこともない幻獣がおさまっていた。










 その夜。

 ルイズは寮の自室の窓から外を……漆黒の夜空に浮かぶ2つの月を眺めながら、ほうとため息をついた。
 ようやく、この部屋にも帰ってくることが出来た。自分たちの住むべきところに戻ってきたのだという実感が遅まきながらにやってきたのだ。

 あれからは慌しかった。
 しきりにこちらを心配するコルベールをどうにかなだめ、それから異常が無いか調べるためにと医務室に連れて行かれ、最後には学院長室に呼び出されることになった。

 ────自分の召喚魔法はまだ誰も見たことが無いほど遠くの土地と繋がった上、魔法が不具合を起こし飲み込まれてしまった。しかしそこでエメラルド色の幻獣と出会い、契約を交わしこの地に戻ってこれた。

 教師たちにはそう説明した。
 もちろん嘘ではない、だが話していないことも……いや、話していないことのほうが多い。
 学院長オールド・オスマンも、コルベールもしきりに首をひねっていたが、しかし自分たちの話以上に証拠が無いためそれ以上追究はしなかった。
 しかしコルベールの明らかにこちらを警戒した目には肝を冷やした。
 自分たちに何らかの違和感を感じたのだろうか、おそらく偽者や、あるいは操られていることを想定したらしく、念入りにディテクト・マジックをかけていた。
 けれど何も見つかるはずが無い。当然だ、自分は正真正銘本物のルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールなのだから。

「カーバンクルも、つき合わせてしまってごめんなさい。ここはあなたの見守る世界ではないのに」

 膝の上にちょこんと丸くなった幻獣を、ミトンをはめた手で優しくなでる。体長は小型の犬ほどで両腕で抱きかかえることができる。全体のシルエットはリスにも似ているが、ウサギのように長い耳と3つ股に分かれた尻尾が特徴的だ。足は短いが、太くしっかりとしている。
 そして極め付けに、額に輝くルビー。
 それが、ルイズが自分の使い魔ということにしてつれてきた幻獣……いや、神獣カーバンクルであった。
 気持ちよさげに目を細めていたカーバンクルは、ルイズの言葉を聞くと体を起こし気にするな、というように首を振った。

「うん、ありがとう」

 そして満足げな表情をすると、また丸くなる。

 ルイズの部屋の扉がノックされたのは丁度そんなときだった。
 返事をする間もなくノブをひねって入ってきたのは、キュルケとタバサの2人だ。

「はぁいルイズ。全くやっと終わったわ、あれこれ聞かれて大変だったんだから」

「ちょっと、誰も入っていいって言ってないわよ」

 ルイズの抗議もどこ吹く風でキュルケは勝手知ったる様子でベッドに勢いよく腰掛ける。その動作は優雅ながらどこか乱暴で、貴族のお嬢様としてはいかがなものかというところだ。
 タバサも同じようにベッドに腰掛けた。そこにはつい先ほどまでは無かったはずのルイズに対する気安さがうかがい知れる。

「いいじゃない、どうせいつもあなたの部屋が溜まり場だったんだし」

「今までと同じ」

 全く勝手なものだ、ルイズはカーバンクルと目を合わせて諦めたようにため息をついた。
 しかし、悪い気はしない。
 こうして3人で集まると、まだあの世界にいるような気がしてくるのだ。今にして思えば、まるでひと時の夢のように駆け抜けたあの冒険に満ち溢れた世界に。

「夢じゃないわよ」

 はっとして振り返ると、キュルケはどこから取り出したのか、親指の先ほどもある大ぶりな真珠を加工したピアスを手にしている。その隣でタバサも同じように。
 ルイズは慌てて自分のかばんを──鏡の向こうから密かに持ち込んだ背負いかばんをごそごそとまさぐり、自分も同じ物を取り出す。

 それは証。
 自分たちと、そして今ここにはいない仲間たちとの絆の形。

「そうね……夢じゃない、わよね」

 そうして3人は今一度思いを馳せる。
 危険と、スリルと、そして冒険の世界、ヴァナ・ディールへ。




 コルベールの懸念はある意味で当たっている。
 ルイズたちは昼間鏡に飲み込まれ姿を消したときのそのままでは決して無かった。なにせ彼女たちの体感時間にして実に8年以上の時を別の世界で過ごしていたのだから。






[24697] 番外編-02
Name: 為◆3d94af8c ID:b82d47da
Date: 2010/12/17 00:00

 むにゃむにゃと胡乱に目を覚ましたルイズが感じたのは、妙に暖かくてやわらかい圧迫感だった。
 なにか、と思って目を開けるとそこには丸くてやわらかいものが2つ。
 触ってみる。手のひらから多少こぼれるがむにゅむにゅと素敵なさわり心地。以前いたずらに捕まえたリーチ(丸くてぷにぷにした生き物。ヒルらしいがルイズには信じがたかった)をもうすこしやわらかくした感じだ。
 丸いものの頂には表面を包む布の下にちょこんと他とさわり心地の違うふくらみがある。そこを触ると、もぞもぞと丸いものが震えた。

「ぅん……あ、ん……」

 鼻にかかったような女の声がする。
 頂をつつくと聞こえてくる声は艶のある割に可愛らしく、もう少し聞いてみたいのと直接触ってみたいので手は布の切れ目を探し……。

「…………なにしてるの?」

「うひゃぃ!?」

 後ろからかけられた声に飛び起きる。
 何事かと首をめぐらすと、声をかけてきたのはタバサだった。ネグリジェ姿でベッドに身を起こしている。自分を挟んでタバサの反対側にいるのはキュルケだ、やはり寝巻き姿で幸せそうな寝顔を浮かべている。少し頬が赤いが。

 な、なんでこいつらと一緒に寝てるの?

 混乱気味の頭から記憶を呼び起こす。
 昨晩はやっとのことで魔法学院に帰還したあとルイズの部屋に集まって……それからそうだ、もういい時間だからと3人で湯浴みに行った。寝巻きに着替えてまた部屋で雑談に興じて……そのまま3人で寝てしまったのか。

 いやまてしかしそれより問題なのは私は寝起き何をもみしだいていたのか。
 いまだ夢の世界にいるキュルケを恐る恐る盗み見る。その体に実ったたわわにゆれる2つの……。

 考えるな考えるな思い出すな私!
 ぶんぶん頭と手を振ってけしからん感触を記憶から追い出す。

「目、覚めた?」

 ずっとその様子を見ていたタバサの表情には相変わらず何も浮かんでいないように見えるが、しかし間違いなく呆れられているなと確信できる程度には頭も冴えてきた。

「え、えぇ、大丈夫……今何時?」

「おそらく6時を回ったところ」

「う、またずいぶん早く目が覚めちゃったわね」

 ベッドから乗り出して窓の外を見れば、まだ太陽も昇りきっていない空は群青に染まっている。
 授業の時間までは……確かまだ1時間以上あったはずだ。ここにいた頃はもっと遅くまで寝ていたように記憶している。
 とはいえ"向こう"にいた頃は早寝早起きも習慣のようなものになっていたわけだから、今朝は相当に気が緩んでいたということなのだろう。キュルケに至ってはなおも爆睡中だ。

 憎たらしい顔で眠っているこの女を蹴りだすかどうするか悩んでいると、ベッドを抜け出したタバサがごそごそと着替えを始めていた。
 何故ここで着替えると思わなくもないが、装備一式はかばんに詰めてこの部屋に持ち込んでいるのでわざわざ自分の部屋に戻るのが面倒なのだろう。ここで洋服ではなく装備と考えてしまう辺り、ルイズの思考はすっかり貴族のそれではなくなっている。
 手早く身支度を整えたタバサの身を包むのは綿鎧だった。鎧というといかつい印象を与えるがこれは布製の生地に綿を詰め込んだものなので私服としても通用し、ことに前あわせを体の右側に寄せ金具で留める左右非対称のデザインや大きなカラーを持つガンビスンは洒落た一品としても知られている。
 何かと青を好むタバサは、蒼く染め上げられたアクトンと呼ばれるガンビスンをよく街着や運動着として着用していた。

「どうするの、タバサ?」

「体を動かす」

 そう言ったタバサの手に握られているのは二振りの曲刀。素振りでもしにいくのだろう。

「なら私も行くわ。ちょっと顔をゆすぎたいもの」

 タバサについていったのはまだ手に残る感触を洗い流したかったからではない、決して。






 2人で並んで外に出ると、まだ陽の差しきらない学院の庭は肌寒く、ルイズは思わず羽織ってきたマントの前をあわせた。
 清涼な空気が眠気を洗い流していく。人々が起き出すほんの一瞬前。夜と朝の狭間にある薄暗がりの澄んだ空気は、向こうの世界で覚えた素敵なものの1つだ。

 井戸のあるほうへ歩みを進めながら、ルイズは久しぶりに袖を通した制服に目をやった。
 ちょっと前まで着慣れていたはずのそれは、妙に落ち着かない気分にさせる。
 ブラウスとスカート、それにマントを羽織っただけの服装は妙にすーすーとして心もとない。それもこれも向こうでは厚手のダブレットやローブばかり着ていたからなのだろうが、当初は逆にそれが落ち着かないと思っていた気がする。人間の適応力と慣れというものは恐ろしい。

 益体も無いことを考えながら井戸の洗い場に先客がいた。
 黒のドレスに白いエプロンとヘッドドレスの出で立ちはこの学院に使えるメイドのものだ。大きな洗濯籠に山と詰まれた洗物をせっせと消化している。
 袖まくりをした腕が洗濯板の上を上下するたび、肩口で切りそろえた黒髪がさらさらとゆれる。
 その腕は色白でほっそりとしているが、その実しなやかな筋肉が育っているなとルイズは見て取った。よく似た筋肉のつき方をするものを見たことがある。あれは確か……。

 なんとなく熱心な仕事ぶりを見つめていたが、メイドのほうがそれに気づいて顔を上げた。ルイズ達の姿を認めるとはじかれたように立ち上がって深く腰を折った。

「お、おはようございます、申し訳ありません! 私、夢中になっていて気がつかなくて……」

「あ、う、うん、いいわよ別に。熱心にやってるわねと思ってみてただけだから」

「もったいないお言葉、ありがとうございます」

 いたく畏まられむしろルイズのほうがしどろもどろとしてしまう。
 そういえば貴族と平民の関係はこうだったと思い直す。ヴァリエール公爵家としての誇りを忘れたつもりはなかったが、貴族も平民も無い異世界の思考がすっかり染み付いていたようだ。メイドに傅かれるのも久しぶりだ。

「と、とりあえずお邪魔でなければ顔を洗ってもいいかしら」

「あ、はい、すぐに片付けますので!」

「そのままでいいから! あなたはあなたの仕事を続けてちょうだい」

「はぁ……」

 どこか納得のいかない表情で仕事に戻るメイドに見えないように、はぁとこっそりため息をついた。
 何だってこんな朝から押し問答しなければならないのか。やっと元の暮らしに戻れたはずなのに落ち着かないことばかりだ。

 うなだれるルイズを尻目に、タバサは「じゃあ」と一言だけ残してその場を離れる。鍛錬のためだろう。
 その背中に「後でね」と声をかけ、ルイズも井戸に向かった。
 水をくみ上げ(これもメイドがやろうとしたので必死に押しとどめた)手をつけるとひんやりと刺すように冷たい。それを我慢して顔をすすぎ、メイドが手渡してきたタオル(こちらは素直に受け取った)で拭うと、すうっと頭の芯が冴えたように感じる。

「ふぅ……さっぱりした」

 頬をなでる風もいっそう涼やかだ。
 いくらかその感触に身をゆだねていると、ふと下から見上げてくる視線に気づいた。

「どうかしたの?」

「あ、い、いえそのすみません……!」

「あのねえ……別に怒ってないわ。私の顔に何かついてた?」

「えっと、その……」

「ん?」

「ミス・ヴァリエール……ですよね?」

「え?」

 おずおずと切り出しにくそうに尋ねられ、思わずぽかんと口を開けてしまった。
 果たして自分はこのメイドと面識があっただろうか? いや、あったかもしれないが正直覚えていない。向こうだっていくら仕える相手とはいえ学院の生徒全員を覚えてるわけでもあるまいに、名指しされるような覚えは……。

 ────ああいや、1つあったわね……。

 ルイズは魔法学院の中でもひときわ悪目立ちしているのだった。本人もすっかり忘れていたが。
 自分たちにとって使い魔召喚の儀式から今日までは8年の時が経っているが、他の人々にしてみれば昨日の今日だ。メイドたちの間にも"ゼロ"の二つ名は浸透していたということだろう。
 手を止めたメイドは腰を下ろしたままながら顔色を伺うようにしている。

「そうだけど、なに?」

「ええと……お体はなんともありませんか? 昨日その、噂で聞いたんです、ミス・ヴァリエールやミス・ツェルプストーが使い魔召喚のゲートに飲み込まれたって」

「ああそのこと。この通りぴんぴんしてるけれど……それとも他に何かもっと噂になっていたかしら?」

「い、いえ、そんなことは!」

 簡単に引っかかってわたわたと手を振るメイドの姿に、思わず噴出さないようにこらえるのは一苦労だった。

「だから怒らないってば。ねえ、教えて? どんな噂になっているの?」

「それは……でも……」

 貴族に自分たちの悪口を言えと言われてはいと言える平民は少ないだろう。そういう意味でこの反応は至って普通、というよりもルイズのほうがやたらと鷹揚なのだ。
 「私もキュルケもタバサも怒らないし、誰が話してたかも追求しないわ。杖に誓って」という言葉に押されて出たメイドの答えに、ルイズは今度こそ耐え切れなかった。

「…………ミス・ヴァリエールたちはその、召喚のゲートの向こうで魔物に取って代わられたんじゃないか、って口さがない人たちは言ってます」

「ぷっ、やだなにそれ……くくっ……笑わせないでよもうっ」

 なるほど、得体の知れないゲートに消えたと思ったらけろっとして戻ってくれば、そんな風にも見えるかもしれない。
 しかし魔物に取り付かれたときたか。自分たちもそんなような依頼を請け負ったことがあったが、何せ長年異世界で暮らしていたのだ、発言には気をつけないと異端にたぶらかされたくらいには疑われるかもしれない。
 実のところルイズにこそ当てはまらないものの、魔に取り付かれているといって差し支えのない人物はいるのだ。それが妙におかしかった。

 ってここでこんなに笑ってたら余計怪しいわね。ほら、メイドが怪訝そうな顔をしてる。

「あの、ミス・ヴァリエール?」

「くすくす……ご、ごめんね、でも安心して。私たちは魔物に取って代わられてもいなければ悪魔にも取り付かれてないわ。でも……ねえ、あなた名前は?」

「え、あの、シエスタといいます」

「そう、教えてくれてありがとシエスタ。これ以上変な噂が立たないように気をつけるわ」

「は、はぁ……」

 気づけばそろそろ朝食の時間が近い。
 狐につままれたような顔をしているシエスタをおいて、ルイズは一度寮に引き返した。






「ああぁぁぁぁ……お腹が重たい、あとでもたれそう……」

「太った……絶対太ったわ……」

「…………」

 朝日も昇りきった頃、教室に向かうルイズ達は青い顔でお腹を抱えながら教室に向かっていた。

 というのもこれまた失念していたのだが、学院生徒たちが利用する食堂で出される食事は、揃いも揃って無意味に豪奢でとにかく量が多いのだ。ほとんどの生徒は自分の食べたい分だけ手をつけて大半を残していくところを、長年の冒険生活で食べれるときに食べるべしの精神が染み付いていたルイズらはうっかりそれをすべて平らげてしまった次第だ。
 朝から鳥のグリルが出てくるメニューもたまったものではないが、なんだかんだで食べきってしまう自分たちというのも大概ショックだった。
 そんなわけでルイズらは絶望的な面持ちで教室への道のりを歩んでいるわけである。唯一タバサだけが平然としていた。

「誰かハラヘニャーかけてくれないかしら……」

「やめなさいよ、アンタ一度はらピーゴロで酷い目にあったの忘れたの?」

 キュルケの言葉に思い出したくない記憶を掘り返されたルイズはさらに顔をゆがませる。
 あの時はつい食べ過ぎたパイを消化してもらおうとして……いや、ダメだ、これ以上はとてもではないが。

「それにしても……」

 つぶやきつつ、キュルケはしきりに制服の襟や裾を気にしている。

「久しぶりに着るとなんだか生地が薄くて落ち着かないわね、制服」

「考えることは同じねぇ……」

 上等な生地ながらひらひらと頼りないブラウスは、肉体を保護することに重きを置いた向こうの服とは比べ物にならないほど心もとない。
 向こうにもこの手の服が無かったわけではないが幾度となく死線を潜る生活の中ではそんなものに袖を通す余裕は無かった。

「まあ、お気に入りの装備は持ってこれたからいいわ。こんなときは自分が戦士やナイトでなくて良かったと思うわぁ」

「なによそれ、服のために魔道士になったわけ?」

「鎧だったらかばんにつめるのも一苦労って話よ」

 ゴブリンのかばんは見た目の大きさに比べて内容量は驚くほど多いが、それでも何でも入るというわけではない。
 当然のことながらかばんよりも大きなものは入れようがないし、無限の容量があるわけでもない。向こうにいる仲間にもよく状況に合わせたさまざまな装備を持ち歩くのに仕舞い方に四苦八苦しているものがいた。
 当のルイズたちもこちらに帰ってくる際に何を持っていくかでだいぶ悩んだものだ。結局消耗品の類はほとんど入れず、いくつかのローブや装束、装飾品を持ち込むにとどめた。

 ちなみにルイズは今もその中から数点の装備を身につけている。
 両手にはめたミトンに、その下にはリングを1つ。背には杖を一本。先端に拳ほどもある宝珠をあしらったデザインの杖はキュルケの背負うそれとおそろいだが、ルイズのものは宝珠が白に、キュルケのものは赤に輝いている。
 これらはすべてルイズの足元をちょこちょこと歩いている霊獣カーバンクルを喚び出しつづけるためのモノだ。
 その本体を異界に置く彼ら召喚獣は、分身を限界させておくだけでも使役者の魔力を消耗させていくのだ。強い魔法の力を持った装備でそれを抑えることによって、やっとカーバンクルは他の使い魔と同じように振舞うことが出来ていた。

「そういえばアンタたちの使い魔はどうだったの? ええと、サラマンダーに風竜だっけ?」

 カーバンクルを見て思い出したことだったが、自分たちが帰ってこれたのは2人の使い魔の存在あってのことなので気にはしていたのだ。
 こちらも主に付き従うように歩いていた尾に火をともす大柄なトカゲが、キュルケの使い魔のサラマンダーである。名はフレイムといったか。

「この子は平気よ、私のことを忘れている様子もないしちゃんとラインも繋がってる。今更だけど間違いなくもとの時間に戻ってこれているってことね」

「タバサのほうは?」

 綿鎧から制服に着替えた青い髪の少女の使い魔は幼くも竜だ。その巨体ゆえに屋内には入れられず、今は主の命を待ちながらどこか外で気ままに過ごしているだろう。

「問題ない。ただ……」

「ただ?」

「私は私でも、さっきまでの私ではない……そう言っていた」

「そう……」

 それは間違っていない。いくつかの意味で。
 タバサの使い魔シルフィードは風竜、いや人語や魔法を操る風韻竜だという話は聞いていたが、やはりそういった感覚には鋭いのだろうか。
 使い魔が主の不利益になるようなことを吹聴するとも考えられないが、既に妙な噂が立ち始めていることも事実だ。気をつけてしかるべきだろう。朝方シエスタに聞いた話は、伝えたほうがいいか。

「私たちが魔物と入れ替わったとか悪魔に取り付かれたとか、その手の噂が出回ってるみたいよ」

「まぁ早晩そうなるとは思っていたけれど……ね」

 がらり、と。

 教室にたどり着いたキュルケが戸を開けると、中にいた生徒たちの視線が一斉にこちらを向き、逸らされた。
 既に昨日あった出来事は学院中に広まっているのだ、食堂でもちらちらと盗み見るような視線やひそひそと囁きあう気配を感じていた。それを誤魔化すように食事に没頭していた部分は否定できない。
 教室に漂う空気もそれと同じものだった。

 探るような、異質なものを見るような視線は慣れがたいが、こちらと目が合えば慌ててそっぽを向くような連中の目など、獣人たちの憎悪に満ちた目に比べれば何のこともない。
 割り切ってしまえば態度はむしろ堂々としたもので、3人は颯爽と通路を抜けて最前列の席に並んで腰掛けた。後ろに座るのはなんだか逃げたようで癪だからだ。うっかり隣の席になってしまった少女がルイズが座ったとたんにびくりとすくみあがったもので、にっこり微笑みかけてやればぷるぷると震えだした。失敬な。

「全くもう、失礼しちゃうわ」

 ちょこんと机の上に乗っかったカーバンクルを撫でながら口を尖らせる。まるでデーモンに睨まれたかのような反応だ。

「大差ないんじゃないかしら。きっと彼女は子供にこう言い聞かせるわ、悪さをしたらルイズがやってきて失敗魔法で吹き飛ばすぞって」

「なーんですって……?」

「日ごろの行い」

「タバサまでっ」

 他愛も無い話をしているうちに教師が入ってきて教壇に立った。
 二つ名に"赤土"を冠するシュヴルーズという名の中年女性は土属性を専属にする教師であり、そのふくよかな体躯は確かに豊穣といった言葉を連想させる。最も本人に農耕の知識は無いだろうが。

「みなさん、春の使い魔召喚は大成功のようですね。このシュヴルーズ、こうして新学期に様々な使い魔たちを見るのがとても楽しみなのですよ」

 教壇に立つシュヴルーズはそう言うと一度言葉を切り、室内を一巡。その視線がすっとルイズの元で止まった。

「ミス・ヴァリエールも素敵な使い魔を召喚したようですね」

 探された。直感的にルイズはそう感じたが、おそらく間違いではない。
 つまり教員たちの間でも自分たちはある程度マークされているということなのだろう。考えていなかったわけではないが、こうまで露骨だと辟易せざるを得ない。
 というかそういうのはもう少し隠すべきじゃないかしら。シュヴルーズは声音こそ平静を保っているが今の一言が完全にぼろである。

 内心がっくりと項垂れながらも顔には笑みを貼り付けて答えた。

「はい、おかげさまで」

「その子が貴女の使い魔ね? なんだかとても不思議な……子犬、いえ、大きなリスかしら……?」

「カーバンクル、と申します。今年の使い魔ではタバサの風竜にも引けをとらないと自負しておりますわ」

 気取った口ぶりにキュルケが小さく噴出すが黙殺。カーバンクルはシュヴルーズに向かって首をかしげている。愛想のいいことだ。

「まぁ、可愛らしい」

「へ、どうせその辺から連れてきた子犬に仮装させてるんだろう。それとも盗んできたのか? "ゼロ"のルイズにそんなものが召喚できるはずが無い!」

 野次を飛ばしたのは少し後ろのほうに座る太った少年だった。
 この空気の中でそんな口をきけるというのは、彼も案外図太い大物なのか飛びぬけて空気が読めないのか……多分後者だ。常からルイズをゼロと嘲ってきた彼にはその成功や周囲の注目が気に食わないのだろう。
 シュヴルーズも少年をいさめようとしているが上っ面で聞き流しているのが丸分かりだ。

 野次を聞いて分かりやすく腹を立てていたのはカーバンクルだった。険しい表情でクルルルル、と唸っている。
 自分が……あるいは主が侮辱されたからか。
 霊獣は決して召喚士の従僕ではないが、互いに誠意を抱き強い信頼関係で結ばれている。少年の言葉はどちらにとっても気分のいいものではない。

 カーバンクル、と小さく声をかけると、エメラルド色の獣は心得たとばかりに少年のほうへ駆け寄っていく。人懐こい子犬のように。
 そしてぴょんとその太った体に痛くない程度に爪を立ててしがみついた。

「うわ、な、何だよこいつ……」

「ずいぶん懐かれたみたいね、ええと……マルリンコルリン……?」

「マリコルヌだ!!」

「そうそう、マリコルヌ。でも気をつけてね、カーバンクルの爪には毒があるから」

「んなっ!?」

 さらりと言った言葉にマリコルヌがさっと顔を青くし慌ててカーバンクルを振り払おうとするが、カーバンクルのほうも心得たものでちょこちょこと背中のほうに駆け上ってその腕をかわしている。

「は、離れろこいつ! ぁ痛! いま爪、爪立てたぞ!!」

「あははっ……もういいわよカーバンクル。安心してちょうだい、私が指示しなければ毒を出したりしないわ」

「何てことするんだ、全く!!」

 主の一声にさっと身を引いてまたルイズの机の上に戻るカーバンクル。
 シュヴルーズはそのまるで長年連れ添った相方同士のような以心伝心ぶりにしきりに感心している。

「とても賢い子ですね。でもダメですよ、お友達を驚かすようなことをしては」

「気をつけますわ」

 内心誰のせいだと思いながら腰を下ろすと、一連の様子を笑いながら見ていたキュルケがひじでつついてきた。

「自重するんじゃなかったかしら?」

「う……い、いいのよこのくらい。ああいう手合いは少しくらい怖い目見たほうが……」

「余計な噂が立つ」

「うぐっ……す、すみませんでした。っていうかそう思うなら止めなさいよ!」

「ミス・ヴァリエールも。もう授業を始めますよ」

 そんなこんなでようやく授業が始まった。
 この時間は教師がシュヴルーズであることからも分かるとおり土の系統、錬金の講義になる。

「まずはおさらいです。魔法とは4つの系統からなるものであり……」

 『火』『水』『風』『土』の四大属性がこれにあたる。また伝説に謡われる『虚無』を足して五系統とする場合もあるが、基本的には四系統魔法、あるいは単に系統魔法と言って間違いがない。
 これらは通常独立しており、下位の呪文と系統に依らないコモンスペルを除けばメイジ自身の系統に沿った呪文しか使うことが出来ない。ただし下からドット、ライン、トライアングル、スクウェアとメイジの階位をあげることによって複数の属性を足した呪文を唱えることも可能となる。
 属性自体の強弱関係は立証されておらず、系統の異なる同位の呪文の優劣は術者自身の力量によるというのが一般的な見解……ではあるが、メイジは皆自らの系統が最も優れてると信じて疑わない。

 シュヴルーズもまた土系統に対する賛美を交えながら講義を進めた。
 万物の組成を司る土系統は、農耕、製鉄、建築土木と様々な分野で広く活躍している。講義の主題となる錬金の呪文もまた然り、これは形状のみならず物質の組成そのものを変換して別の物質へと変換してしまうという反則的な呪文だ。合成職人が聞いたら卒倒すること請け合いである。

 久しぶりの授業を新鮮な思いで聞きながらつい、比べてしまう。

「四大系統、懐かしい言葉ね。私は火の系統に特化していたから"微熱"だったかしら」

「アンタのは色ボケからついた名前でしょうに。タバサは"雪風"だったっけ?」

「そう」

「そしてルイズは"ゼロ"よ」

「うるさい」

 向こうでは属性は8つあった。火、水、風、土、雷、氷、そして光と闇だ。
 属性に関しては4が5でも結局は分類の問題なのでたいした違いは無いだろうが、重要なのはハルケギニアのメイジは自らの属性の魔法しか操れないという点だ。これは向こうとの大きな違いだった。
 そもそも向こうにおいては八属性というのは魔法の分類ではなく世界を構築する最も根源的な要素とされていた。魔道士たちはそれぞれの属性を司る精霊から力を引き出すことによって魔法を行使する。天候や曜日に左右されるほど魔法は自然界と密接に関っていたのだ。
 変わってハルケギニアのメイジは自らの魔力のみで魔法を行使するゆえに、自身の系統に関しては応用が利く割に他の系統が不得手になり、総じて視野が狭くなってしまうのだろう。

 これは魔法のみならずメイジ全体の意識にも直結する。
 魔法とは始祖ブリミルから賜った恩寵。それが常識だ。
 だから今あるもの以上に開拓しようとはしないし、4つの系統から外れるものはすべて先住魔法として異端の烙印を押す。

 6千年、人々が停滞し続けるだけのことはあるというわけだ。

 つらつらとそんなことを考えているうちに、シュヴルーズは教壇に置いた石ころに錬金の呪文をかけて真鍮に作り変えていた。

「杖を落としてきちゃったばかりに系統魔法は使えなかったし……向こうで杖をもらってからは使ってる暇なんか無かったし、まだ系統魔法使えるかしら」

「私は別にどっちでもいいわ。使えなくても"ゼロ"のままなだけだもの」

「なに拗ねてるのよ。あなたも腕利きの白魔道士なんだから錬金くらい……あぁッ!」

「ちょ、な、なによキュルケ?」

「失敗したわ、オリハルコン……いえせめてアダマン鉱を持ち込んで複製すればぼろ儲けできたんじゃ……ッ」

「ばッ、アンタねえ。大体オリハルコンもアダマンチウムもこっちじゃ流通ルートないでしょうが」

「そんなのウチでいくらでも開拓できるわよ!」

 のたまうキュルケの実家はゲルマニアでも有数の豪商だ。確かにやってやれないことはないだろう。
 しかしそもそもハルケギニアでは価格や品質安定のためにもメイジが練成した金属類は大手の取引ルートにはほとんど乗らないのだ。ついでにルイズら3人には高位の土系統のメイジもおらず、実行しようとするとまずそこから探さなければならなくなる。
 そんな危ない橋を渡るのは真っ平ごめんだ。

 で、加えて言うならば今は授業の真っ最中なのである。

「こら2人とも! 今は授業中ですよ、私語は慎みなさい!」

「は、はい! すみません!」

「おしゃべりしている余裕があるなら……そうですね、ミス・ヴァリエール。こちらに来て錬金の実演をして御覧なさい」

 瞬間、教室中が凍りついた。
 恐る恐る手を挙げたのはモンモランシーとかいう縦にロールした髪型が特徴的な少女だ。

「あ、あの、やめておいたほうが……危険ですから」

「危険?」

 恐怖におののく生徒たちと、いまひとつ分かっていないシュヴルーズを尻目にルイズは「やります!」と意気込んで立ち上がった。

「ちょっとルイズ、アポロスタッフでやるつもり? そんな装備で大丈夫なの?」

「大丈夫よ、問題ない」

 キリッとした顔で力強く受け答えるが、これはどう考えても……。

「確信犯」

「分かっててやってるわね、全く……」

 そそくさと机の下に避難するキュルケとタバサ。ついでにカーバンクルも引っ張り込んでおいた。
 やめろ止めろと口々に騒ぐ生徒たちはしかし力ずくの手段に出る勇気もなく。



「錬金!!」



 例に漏れず石ころは教壇ごと盛大に吹き飛んだ。
 生徒たちは「やはりゼロのルイズはゼロのルイズだった」と結論付けた。







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習得ジョブ

○ルイズ:白魔道士、召喚士

○キュルケ:黒魔道士、学者

○タバサ:赤魔道士、青魔道士



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