メリュジーヌねた
- 「魔物之章 メリュジーヌ」
次元の狭間に封じられし魔物の一つ、メリュジーヌ。この世全ての毒蛇を従えると言われる魔物である。
この魔物は、光を恐れる筈の魔族の身でありながら、聖なる力を操る、特異な存在だ。
聖なる属性を持つこの魔物を、聖術を持って滅することは不可能である。
絵画、戯曲の中に、魔女・メリュジーヌはたびたび登場する。
竜頭の大蛇と、血の様に赤い毒蛇を従えた、美しき裸婦。多くの文献は、メリュジーヌの姿をこのような姿で捉えている。
メリュジーヌの姿を語る上で大切なのは、竜の頭部を持つ蛇と、赤い蛇である。
メリュジーヌを扱う文献、芸術作品は数あれど、彼女が従えるという二匹の蛇のイメージは、どの作品にも共通しているイメージである。
ここでいくつか例を挙げよう。
恋に落ちる人間の男、アーデルと、魔族の女性、ネルファ※1の恋を描いた戯曲「ルーンスタッフ」では、人間との禁断の愛によって魔族の心を失いつつあるネルファに、魔族としての自覚を説く魔女が現れる。
この魔女がメリュジーヌである。この物語では、竜頭の蛇と赤い蛇を従える、妖艶な女性として描かれている。
一方、架空の世界を舞台にした戦記物小説「テルメス戦記」においても、二匹の蛇のイメージは前述のものと合致している。
ただし、こちらの女性像は、可憐な少女であり、「ルーンスタッフ」とは大きく違っている。
魔族学の権威、ベルグルストスは、「幻想典第三十四巻」において、「女が従える魔蛇こそが、メリュジーヌの本体である」と言及している。
この二匹の毒蛇こそがメリュジーヌの本体であり、女性は触媒に過ぎないというのである。
ベルグルストスは本書の中で、「魔蛇は、自らの主人としてふさわしい人間を選ぶ。
彼らに選ばれる人間は、美しい肉体を持ち、また、強い魔力を体内に持つ女性である。
取り憑かれた女性は、強い破壊衝動と肉欲に駆られ、欲望のままに力を行使する」と、この魔物について述べている。
女性の姿は文献ごとに違えど、蛇の姿は完全に合致している。この不思議が生じた理由の一つを、ベルグルストスは見事に言い当てているのかもしれない。
※1……一説には、ネルファはゼファーゾーン(本書p123参照)という魔物であると言われている。
出典「世界大全 魔物之章第22巻」 古代図書館蔵
- 白い台座の上に、桃色の髪が麗しい、一人の少女が横たわっていた。
年の頃は十六、七、辺りだろうか。柔和な顔立ち、控えめな胸のふくらみは、発展途上の幼さを感じさせる。
彼女は、何も身につけていない状態で、軽くまぶたを閉じていた。
台座の周囲には、彼女を覆うように、無数の蝋燭が並んでいた。
煌々と、燭台に灯る輝きは、彼女の白い肌を暖かく照らし続けている。
少女の手足には、黒く、冷たい枷が取り付けられていた。
大の字を描く形で、彼女の体は台座に張り付けられていた。
枷から伸びる鎖は長く、身をよじるぐらいの遊びはあった。
数え切れぬほどの火が照らすというのに、部屋の全貌はまるで掴めない。
ここはそもそも部屋なのだろうか。
部屋ならば当然ある筈の壁は、暗闇の幕に隠れて全く姿を見せない。
暗闇の中にあるのは、眠り続ける少女と、彼女を縛る台座、そして蝋燭だけだ。
シュー……
何かが息を吐いた。空気の漏れるような吐息が二つ。
それは台座の下から発せられたものだ。
吐息が少女に近づく。だが、少女の目は開かない。未だ、昏々とした眠りに沈んでいる。
息を吐く者の正体が、明かりの中へと姿を現した。
それは、細長い二匹の蛇だった。
毒々しい、血の様に赤い蛇だ。
一体は少女の右側から、もう一体は少女の左側から、細い口から長い舌をちろちろと出し入れしながら、ゆっくりと台座を動きまわる。
二匹の蛇が少女の脚に巻き付いた。右足と左足、それぞれに一体ずつが絡む。
そして、ニ匹螺旋を描くように、上へ、上へと昇っていった。
太ももを過ぎ、下腹部、腹部、胸へと、蛇はゆっくりと獲物を抱きしめていく。
蛇が全貌を現した。
二体と見えた蛇は、双頭の一体の蛇であった。頭と頭が、長い胴体で繋がった、尻尾の無い蛇だ。
二つの首の侵攻は、少女の胸を抱いたところで止まった。
蛇の頭は、彼女の首の側面にまわった。彼女を左右から挟み討ちにする形だ。
蛇が大きく口を開く。
鋭く、凶暴な牙が覗いた。
双頭の蛇は、その喉奥から、桃色の霧を吐き出し始めた。
霧は台座を囲い、少女を包み込んでいく。
ようやく、少女のまぶたが開いた。
二体の蛇は、彼女の覚醒に気を取られるでもなく、桃色の霧を吐き続ける。
目を開いても、少女は夢見心地でうつらうつらとしていたが、やがて自分を取り巻く、異様な状況に気がついたようだった。
台座と手枷の冷たい質感。体を舐めるように絡む、蛇の鱗の感触。霧の放つ、妖しい匂い。
その全てが、少女の心を恐怖に追い込んだ。
狂乱し、少女は暴れ出した。手足をじたばたとさせて、必死に蛇を振り払おうとする。
声が枯れる程に大きな悲鳴をあげ、涙をあふれさせる。身を拘束する鎖が、じゃらじゃらとやかましく鳴った。
- だが、少女はその霧の香りを深く吸い込んでしまった。
蛇の吐く霧は心を麻痺させる毒。
それは、甘くかぐわしい香りと、獲物の思考を霞ませ、体の自由を奪う、獰猛な性質を合わせ持つ。
程なくして、少女の抵抗が止んだ。
はっきりとした意思があった瞳から、だんだんと光を喪われる。表情も、ぼんやりと弛緩したものに変化した。
少女は、軽く開いた唇をわなわなと震わせていた。何か、言葉を発しようとしているのだろう。
だが、その努力は報われることなく、ただ口の端からだらしなく体液が垂らすだけだった。
霧は辺りを完全に支配した。暗黒を、桃色の幕が覆い隠す。
少女の胸がゆったりと上下する。その度に、蛇が撒いた毒霧が少女の体に侵入していく。
霧が体に巡ると、一層、思考が霞み、何も考えられなくなる。
だが、少女の神経は、弛緩した表情とは正反対に、この上なく冴えわたっていた。
空気が皮膚を撫でる感触を敏感に察知し、耳は蝋燭の火が放つ僅かな揺れ音を捉えていた。
だが、肝心の思考は、完全に麻痺して何も考えることが出来ない。
それでも、少女は何とか言葉を出そうと、必死に唇を動かそうとしている。
だが、その意思さえも、煙は覆い、溶かしてしまう。
喉からでるのは、意味を持たぬ、ただの喘ぎ声のみだった。
蛇は、獲物の動きを完全に封じてから肉を喰らう。
ようやく、赤蛇は獲物が完全に弱ったと判断した。
再び、蛇が大きく顎を開いた。
そして、少女の白く、細い首に噛みつく。
首に牙が、ずぶりとのめり込んだ。
鈍い痛覚。
少女の体が跳ねた。
口と目を見開き、少女は叫び声を上げる。
彼女は、痛みから逃れようと身をよじらせる。だが、先ほどの霧の効果が効いている為か、どこか弱々しい。
狂乱の呈を見せる身体とは対称的に、彼女の表情は虚ろだった。その瞳孔は、徐々に開いていく。
噛みつく二つの蛇頭は、彼女の体に毒を流し始めた。
どくどくと注がれる。
蛇の牙と、少女の首の接合面から、紫色の液体が垂れている。一度に入り切らなかった毒液が溢れ出しているのだ。
毒が少女の体を目まぐるしく駆け廻った。
いつの間にか、少女から痛みは消えていた。首に喰らいつく蛇の牙の感触こそあれど、そこにある筈の痛みは無い。
流し込まれる毒が、獲物が感じる必要の無い感覚を鈍らせているのだ。
赤蛇の毒は、痛みや恐怖を取り除く。代わりに植え付けるのは、
多幸感。
少女の四肢が痙攣し始めた。小刻みに体全体を震わせては、口から唾液を溢れさせる。
少女の、溶けいりそうな喘ぎ声は、先程までの、苦痛を訴えるものから、快感に悶えるものへと変貌していた。
- 突然、少女の体が変化が起こった。
幼い体が、みるみる内に、大人のそれへと変化していく。
胸がふくらみ、体の肉は美しく引き締まり始めた。
蛇は毒をさらに注ぎ込む。
少女は幸せに浸りきっている。快感に酔うようですらある。
未だ少女を包み込むあの霧の効果で、少女の神経は異常に冴え渡っていた。
自分の体に起こっている変化を、一つ一つ、幸せに浸りながら感じ取っていた。
少女のまぶたが大きく見開かれた。彼女の澄んだ青い瞳は、徐々にその色を変えていく。
生まれたのは、金色の虹彩、縦に割れた瞳孔。
口に覗く犬歯は、蛇の牙のように鋭くとがる。蝋燭の火を受けて、妖しく光るそれは、ひどく蠱惑的だった。
変化は身体だけにとどまらなかった。
破壊。
殺戮。
凌辱。
少女が持ち得なかった、ありとあらゆる邪念が、少女の精神に楔のように打ちこまれる。
虚ろの心は、邪念を全て、従順に受け入れていく。
蛹から蝶へと羽化するように、
少女は変わっていく。
- 蛇が口を少女から離した。
ずるりと首筋から牙が抜ける。
当然ある筈の、蛇の噛み跡は一切残されてはいなかった。
蛇の牙から解放された少女は、ただ虚空を見つめ、放心していた。
赤蛇は、彼女を捕える枷を、鋭い牙で食いちぎっていく。鋼鉄の枷は、いとも容易く破られ、その役目を解かれていった。
緩慢な動きで、少女が上体を起こした。
彼女は、荒く息を吐きながら、ぼおっとした視線を前方に向けた。
まだ、蛇の毒が効いているのだろう、目は夢見るように蕩け、唇はだらしなく緩んでいた。
少女は、自らの変化を確かめるように、手を体のあちこちに這わせる。
豊満な胸を優しく揉み、引き締まった腹をさすり、男の劣情をくすぶらせる下腹部をさする。
最後に、口に手を当てて、鋭い牙の存在を確認した。
どこからともなく、暗闇の中から巨大な蛇が現れた。竜のような頭部を持つ、黒い大蛇だ。
少女の瞳に、はっきりと意思の光が射した。暗い意思を秘めた、邪悪な微笑みが浮かぶ。
赤い蛇が、少女に甘えるように、腕に優しく絡みついた。少女はその口に接吻する。
彼女達を囲む蝋燭の火。
それが一斉に吹き消えた。
- ――メリジェーヌは、自らの支配者にふさわしい女性を見つけると、甘い毒霧を吐き、女性の思考を奪う。
毒の霧によって思考を溶かされると、いかなる者であろうと、体を動かすことさえ叶わなくなるという。
そして、動かなくなった女性へ、その鋭い毒牙を突き立てる。
毒は女性の体を、蛇達の主人になるにふさわしいものへと作り変えていく。
一説には、この流し込まれる毒こそが、メリュジーヌの正体であるとも言われている。
メリュジーヌとなっても、女性の自我は残されているという。
だが、その心は邪悪に染まった、かつての彼女のものとは大きくかけ離れたものだ。
であるから、彼女の正気を戻そうとして近づこうとするのは大変危険な行為である。
メリュジーヌと化した女性を救うには、女性とメリュジーヌの魂を切り離す必要があるという。
残念ながら、その方法の子細は現代に語り継がれてはいない。
女性を想う者の生命を犠牲にするのが条件であると、僅かに伝える地方があるだけである。
女性を強く想い、愛する心こそが、メリュジーヌの毒牙から女を解き放つ、究極の解毒剤なのであろう。
出典 ベルグルストス著「幻想典 第三十四巻」
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