おにごっこ
- 796 名前:178 おにごっこ:2010/09/16(木) 22:38:20 ID:qLu0mV6+
- ○おにごっこ
朝8時。
一番登校する人間が多い時間帯だ。
大きな木が二本、まるでゲートのように校門の両脇にそびえる下を続々と冬服に衣替えしたばかりの学生が通り抜けていく。
今年の春に完成したばかりの新校舎は眩しいくらいに白く、初秋を迎えた朝日をいっぱいに浴びている。
「おっはよー美樹!!2日ぶりだねー」
そんな中を元気いっぱいな声を上げて、先月14歳の誕生日を迎えたばかりの近江晶(おうみあきら)はクラスの友人の河内美樹(かわちみき)の肩を叩いて挨拶をした。
同じ陸上部に所属する晶と美樹は、お互い活発な性格と相まって親友といっていい間柄だった。
今日も大体同じ時間に美樹が前を歩いていたので、晶としてはいつものように挨拶を交わしたつもりだった。
ところが、
「………」
いつもはすぐに振り返って『おはよー』と返してくるはずなのだが、美樹はジッと前を向いたまま晶のほうを振り返ろうともしない。
「どーしたー、美樹。元気ないぞー!」
ちょっと様子の変な美樹に、晶は景気づけるかのようにぱんぱんと肩に置いた手を叩いて美樹の前に進み出た。
「……うぅん。なんでも、ないのよ。なんでも…」
そんな晶に、美樹は多少青ざめた顔をクスリと微笑ませ大丈夫だよと言いたげに手を振った。
「……もしかして、風邪ひいたの?クラスで流行っているじゃない」
青い顔をした美樹に、晶はちょっと心配そうに眉を顰めた。
そう、晶や美樹のいる2−A組は最近風邪が流行っているみたいで、青ざめた顔をして元気のない学生がそこかしこに顔を出していた。
別に熱はないみたいだし本人達が登校してくるのでそんなに酷いものでもないようだが、以前は暑苦しいほど活発だったクラスが最近は火が消えたように静かになっているのが晶としてはなんとなく物足りない。
「……ちょっとね、昨日から私も…」
「もう、先生も言っていたじゃない。無理しないで、体調の悪い生徒は家で休んでいなさいって」
親友が無茶して登校してきたことに、晶は頬を膨らませて注意した。
「大丈夫。体の調子が悪いわけじゃないから。むしろ…ううん、なんでもないわ」
「そう…、でも無理しないでね。じゃあ、お先!!」
美樹のことは心配だったが、あまりジッとしていられない性分の晶はそのまま美樹に手を振ると下駄箱のほうへと突っ走っていってしまった。
そんな晶を、美樹はくすくすと笑いながら見送っていた。
ほんの少し、口元を吊り上げながら。
- 797 名前::2010/09/16(木) 22:39:21 ID:qLu0mV6+
- 「うわっ…」
ガラガラッと扉を開けて勢いよく教室に飛び込んできた晶は目を見張った。
なんと、今登校している生徒の殆どが青い顔をしてじっと机に座り臥しているのだ。
いくら風邪が流行っているといっても、一昨日まではクラスの3分の1くらいの数だったはずだ。
たった2日でここまで広がるとは、今回の風邪はよっぽどたちが悪いのだろうか。
「もし昨日学校にきていたら、私も風邪ひいていたのかも…」
昨日、たまたま晶は親戚の法事にどうしても出なければならず学校を休んでしまった晶はあまりの教室の雰囲気の変わりように息を呑んだ。
始業前の喧騒など全くなく、全員無言のままジッとしている姿はある種異様だ。
「な、なに、これぇ…」
何か自分が異世界に飛び込んだような怖気と違和感を感じ、晶は無意識に教室から半歩脚を踏み出していた。
その時
「おはようございます、近江さん」
後ろから晶を呼び止める声がした。
気持ちが気持ちだけにビクッと肩を震わせた晶が振り返ると、そこには他のクラスメートと違った『普通の顔色』の学生が通学カバンを丁寧に両手持ちながら佇んでいた。
「あ、安達さん…」
安達原乃(あだちはらの)は今年の夏休み前に転校してきたばかりの女子生徒で、純和風の雰囲気を纏った今時の中学生としては大変珍しい女の子だった。
腰まで伸びた黒髪はいつも濡れたように光り輝き、キリリとした一重の目は一見冷たそうなイメージを持たせるがその中の瞳はいつも柔和な輝きを放って周りに和やかな雰囲気を放っている。
物腰はあくまで控えめだが決して周りの雰囲気に流される軽薄さは無く、後二日で夏休みに入るという短い期間で原乃はあっという間に2年生のアイドルになってしまった。
晶も最初は原乃のまるで彫刻のような美しさに近寄り難い空気を持ってしまったが、話してみるとこれが意外とフランクで付き合いやすく、2学期が始まった後はごくごく普通の友人として付き合う仲になっていた。
その原乃がいつもと変わらない笑顔…
例えて言うなら晶が日向のヒマワリのような眩しい笑顔なら、原乃は真夜中の月下美人のような儚く幻想的な笑顔で佇んでおり、晶はようやっと元気な友人に会えたホッと胸を撫で下ろした。
「よかったぁ〜〜。教室にきたらみんなガクーッと元気ない姿しているからどうしちゃったのか心配していたんだ。
ねえ安達さん、昨日なにかあったの?美樹もそうだったんだけれど、みんな凄い顔しているじゃない」
さっき美樹に出会ったときは美樹のことだけを心配していたが、美樹だけでなくクラスの殆どがこんな状態ではさすがに晶としても昨日何かがあったと判断せざるを得なかった。
だが原乃は軽く顔を捻り、何かを思い出すかのようにしていたが、結局なにも思い出せなかったのか軽く首を横に振った。
「ごめんなさい近江さん。私には何も起こっていないようにしか思えなくて…」
「あ、別に安達さんが謝ることじゃないよ。じゃあやっぱよっぽど感染力の高い風邪なのかな…」
申し訳なさそうに頭を下げる原乃に晶はとんでもないと手を振り、カバンから使い捨ての1枚パックのマスクを取り出した。
「これをつけていれば移るリスクも少なくなるからね。ねえ、安達さんにもあげようか。マスク、つけていないみたいだし」
マスクを身につけた晶はカバンからもう一枚マスクを取り出して原乃に差し出したが、原乃はいらないと断った。
「申し訳ありませんが私は大丈夫です。今朝方も薬を飲んできましたし…」
「そう…。本当にいいの?」
断られても原乃を心配するあまりなおも晶はマスクを渡そうとするが、そこに遅れてきた美樹が現れた。
「あら晶、教室の前で何をしているの…」
「あっ、美樹……
じゃあ安達さん、欲しくなったらいつでも言ってね。マスクはたっぷりあるからさ」
そう言って晶は原乃に手を振ると、美樹のほうへと走っていった。
「本当に申し訳ありません、晶さん……」
原乃はすまなさそうに頭を下げると、晶たちの後に続いて教室へと入っていった。
「何しろマスクなんてしていても、何の意味もないんですから…」
ボソッと言った独り言は、晶の耳には入っていなかった。
- 798 名前:おにごっこ:2010/09/16(木) 22:40:21 ID:qLu0mV6+
- キンコーンと六時限目のチャイムが教室中に鳴り響いた。
これにて今日の勉学の時間はおしまいである。
「あー、終わった終わった!」
チャイムがまだなり終わっていない中で、晶は神速の速さで机の中の教科書をカバンに放り込むと我慢できないとばかりにガタリと席を立ち上がった。
目的は勿論部活に出るためだ。
特に今日は教室全体が美樹を含めて押し黙っていたために、活発的な晶にはストレスが溜まりまくりだったのだ。
早く部活に出て体を思い切り動かして発散させたい。
もちろんこの間に立ち上がった生徒は晶一人で、他の生徒は下を向いたままじっと椅子に座り込んで立ち上がる気配すらない。
「じゃあ美樹、私は部室に行くけれど、今日くらいは部活休んで、真っ直ぐ家に帰って休むんだよ」
晶は隣の美樹に一声かけたが、美樹も俯いたまま晶に顔をあわせようともしない。
「…?美樹?」
そこまで体の調子が悪いのかと晶は少し気の毒になったが、部活の誘惑には勝てずにそのまま教室を出ようとした。
ところが
「…あれ?」
一歩進もうとした体が、まるで何かに引っ張られるかのようにガクンとつんのめった。
何事かと自分の体を見渡すと…、カバンを持っていない左手を美樹が俯いたままがっちりと右手で掴んでいた。
「え…?美樹?」
いつの間に掴まれたのか、いつ掴んだのか晶には全然分からなかった。
ただ、理由はわからないが美樹が晶に何かを言おうとしているのは間違いない。
「どうしたの美樹。調子悪いの?一緒に保健室行く?」
晶は美樹を心配していろいろと声をかけるが、なぜか美樹は全く反応せずにただ晶の手をガッチリと握り締めているだけだ。
「もう美樹!何が言いたのよ。何か言ってくれないとわからないじゃない!」
さすがにイラッときたのか、晶は多少声を荒げて美樹に怒鳴りつけた。が、やはり美樹は顔を上げないまま握った手を離そうとしない。
「もう、美樹……」
「河内さんは、近江さんにここから出て行っては困ると言っているのですよ」
その時、美樹に代わって後ろから原乃の声が聞こえてきた。
「…なんで安達さんがそんなことわかるの?」
苛立っているからか、晶の声には多少の刺がある。が、そんなことは気にせずに原乃は晶に語りかけてきた。
「なぜって…、わかるからですわ。
少なくとも、いま近江さんに教室を出られては私も困るのです」
「え……?」
美樹はともかく、何故原乃が困るのだろう。
「本当は昨日で終わるはずでしたのに、近江さんが急に休むことになるなんて計算外でしたわ。
おかげで、余計な1日を送ることになってしまいました…」
「ち、ちょっと…、私、安達さんが何を言っているのかさっぱり…」
「一応、念のために暗示は今日までにしておいてよかったですわ。
もう少ししたら学校の人間は全員下校することになりますからもう少しお待ち下さいね」
さっきから原乃の言っていることはちっとも要領を得ない。
計算外だの、暗示だの、訳のわからない言葉を並べ立て意味不明なことをつらつらと語っている。
- 799 名前:おにごっこ:2010/09/16(木) 22:41:20 ID:qLu0mV6+
- そのあまりの薄気味悪さに背筋が寒くなった晶は、一刻も早くこの教室を出なければと思った。
「あ…、わ、私早く部活に出なければならないから!
ねえ、美樹、美樹。早くこの手を離してよ…」
不安を覆い隠すかのように作り笑いを浮かべた晶は、左手に持ったカバンを離して美樹の右手にかけ、強引に振りほどこうとした。
「ねえ、美樹!美樹ったらぁ!!」
「あらあら…、無駄なことを。
それに、生徒も教師も学校から出て行くのですから今日部活はありませんよ。部室に行っても『人間は一匹も』おりませんわ」
泣きそうな笑顔でぶんぶんと腕を振るう晶を、原乃は手で口を抑えながらクスクスと微笑んでいた。
「離して!離してよぉ!!」
全く反応しない美樹に晶はムキになって暴れたが、美樹の手は万力で締め付けられたみたいに決して離れようとしなかった。
その間に両隣の教室の人の気配が次第に消え失せ、窓の外から聞こえる雑踏の音もしなくなっていった。
「ふう……
さて、もういいですわ。河内さん、近江さんの手を離してあげなさい」
原乃のその声が聞き届いたのか、それまで全くびくともしなかった美樹の手が突然パッと開かれ、勢い余った晶はその場にガターンと音を立てて倒れこんでしまった。
「っ!いったぁ〜〜!と、突然離さない、で…よ……」
強かに額を打った晶は激高して起き上がり…
自分のおかれた状況に改めて気がついた。
いつの間にか晶は教室に残っていた生徒全員によって取り囲まれていた。
周りにいる生徒は全員血の気のない青ざめた顔をしており、無表情の中で目だけが異様にギラギラと輝いている。
それまで座っていた美樹もゆっくりと立ち上がって、周りの生徒と同じ目を晶に向けていた。
親友には決して向けることのない、道端の石ころでも見るような冷たい目に異様な光を湛えながら。
「ひっ…み、美樹…」
そんな異様な生徒の中、原乃だけがいつもと変わらない神秘的な笑顔を浮かべていた。
「あ、安達さん!これってどういう……」
みんながおかしくなった原因は原乃しか考えられない。そう直感した晶は敵意を湛えた目で原乃を睨みつけた。
だがそんな晶の敵意を原乃は涼しく受け流し、椅子に腰掛けてクスッと笑った。
「ねえ、近江さん……。退屈って、いやですよね……」
「たい、くつ…?」
それは確かに嫌だ。
何もせずにボーッとしていることは晶にとってもっとも嫌いなことの一つだった。
体を動かすことが何よりも好きな晶にとって、退屈とは最も忌避すべきことの一つである。
でも、それが今のこの状況と何の関係があるのだろうか。
「毎日毎日、同じ時を繰り返すこと…。こんな苦痛なことってありません。
いつまでも変わることのない日常、こんな日々が何百年も続いては何もかもメチャクチャにしてしまいたいと思うのも無理ありませんこと?」
「…えっ?」
今、何百年とか言う言葉を聞いた様な気がする。
それは、単なる比喩表現なのだろうか。というかそうしか考えられない。
何百年も生きる人間なんているはずがないのだから。
「長かったですわ…。
あの忌々しい坊主に封印されて何百年もの間、地下深く埋められた壷の中に封じ込められ続けた鬱屈な日々。
それが、この建物を作るときに偶然壷が壊され、ようやっと外の世界に出られた喜び…。
近江さん、今の私の開放感が、少しでも理解できます?」
「あ、安達、さん……」
原乃を見る晶の脚がカクカクと細かく震えてきている。
- 800 名前:おにごっこ:2010/09/16(木) 22:42:21 ID:qLu0mV6+
- いつの間にか原乃の額には、見るも立派な大きな一本の角が高々と伸びていた。
「なに、それ……」
「それって…、見ていて分かりません?
角ですわ。だって私、鬼ですもの」
「お、に……」
確かによく見たら角だけではない。
艶のある髪からは先端の尖った耳がにょっきりと伸び、深い深遠を覗かせていた漆黒の瞳は黄泉を表す金色に染まって、黒い瞳孔がキュゥッと猫のように縦に細く切れている。
真っ白で染み一つない指先の爪は鋭く伸び、互いにぶつかってカチャカチャと乾いた音を立てていた。
「ひっ…」
目の前に突然現れた人外に、晶は原乃を指差しながらぱくぱくと魚のように口を開け閉めしていた。
「ごめんなさいね近江さん。
私の本当の名前は安達悲女(あだちひめ)。歴史でいれば平安時代と呼ばれていたころ、この辺り一帯を支配していた鬼ですわ。
まあ、あのころは私も多少羽目を外したとは思っていますけれど…、それでも何百年もずっと封印されるほど悪事を働いていたとも思っていませんわ」
「へいあん、じだい…?」
正直おつむのほうはあまりよろしくない晶は、平安時代と呼ばれてもそれがどれほど古い時代なのかピンとこない。
ただ、『とっても古い昔』ということだけは理解は出来る。
「で、物の弾みとはいえようやっと開封されて退屈から解放されたと思いきや…
なんですのこの世界の騒々しさは。虫の声も獣の声も、川のせせらぎ、鳥の歌も聞こえない。
あれほど世界を満たしていた精霊もすっかり消え失せ、代わりに空を飛ぶのは不快な電磁波…
人間は、すっかり自然に対する誠意や慎みを失ってしまったようですわね。開封されてからの2月ほど、そのことが身にしみてよく分かりました」
ぶつぶつという原乃…安達悲女の声には不快感が満ち満ちている。
鬼とはいえ自然の一部であった原乃にとって、自然というものが全く感じられない今の世の中は耐えがたいものなのだろう。
「ですから私、人間達にもう一度私たち自然の偉大さ、怖さを思い知らせてあげようと考えましたの。
この、かつて私が支配していた地域を人間から鬼の手に取り戻し、人間の痕跡を残らず消し去ることで、ね…」
「そ、そんな、こと……」
できるわけない、と言おうとして晶は口ごもった。
目の前の原乃から漂ってくる雰囲気はただごとではない。
本当に原乃が憤っていることが手にとるように分かる。
本気で原乃は、その手でこの周辺一帯を支配する気でいるのだ。
「で、でも…安達さん一人で、そんなことができるなんてとても思えない……」
震えそうな声を精一杯落ち着け、晶は原乃を睨みつけた。
思ったより肝が据わっている晶に、原乃はいつも浮かべているような儚げな微笑みを向けた。
「あら、私の正体を知ってもまだ安達さんって言ってくれるの?やっぱり近江さんは優しいのね。少し嬉しいわ。
でも大丈夫。よく見なさい。私は一人じゃないわ…」
「えっ…?」
原乃がつぃっと指差した先を晶の視線が追う。
その先には美樹の顔があり、美樹の額には
原乃と同じ鬼の角が伸びていた。
「ひぃっ!み、美樹!!」
親友の変わり果てた姿に晶は息を呑み、美樹はそんな晶をニタニタと眺めていた。
「ふふふ…。そこにいるのはもう河内美樹さんではないわ。
彼女は私の眷属『美鬼』。そうよね、美鬼」
「はい、悲女様。私は偉大な鬼族、美鬼…。この地を鬼の住まうに相応しい世界に作り変えるのが使命…」
美樹は原乃に恭しく頭を下げながら、自分が何者であるかを吐露した。
- 801 名前:おにごっこ:2010/09/16(木) 22:43:20 ID:qLu0mV6+
- 「な、なんで……なんで、美樹ちゃ……ハッ!」
見ると、美樹だけでなくここに集まっているクラスメート全員が、美樹と同じく角を生やし、原乃と同じような身体的特徴を有している。
つまり、朝顔色の悪かったと思っていた生徒たちは、全員既に鬼となっていたのだ。
「私の角に刺された人間はね、人間から鬼の眷属に転生することが出来るの。もちろん、眷属の角も同じ効果を持つわ。
学校っていう閉じられた空間だと簡単に鬼を増やすことが出来たわ。もっとも、あまり急にみんなを鬼にすると怪しまれるからおかしく見えない程度に増やす必要はあったけど…」
そのため、晶たちには増えていく鬼が風邪を引いたみたいに見えていたのだ。
「本当は昨日、全員鬼にするつもりだったんだけれど…
近江さん、あなたが学校に来なかったおかげで目的が達成できなかったわ。不可抗力とはいえ、私を焦らすなんて人間のくせにやるじゃない」
「そ、そんな勝手なこと…」
本当に勝手な理屈だ。晶が休んだのは別に原乃を焦らすためではない。それを自分の愉しみに変えてしまうというのは自分勝手にも程がある。
そんな性格だから、原乃は封印されたのだろう。
「で、最後に残ったのあなたを鬼にすれば、とりあえず第1段階は終了。
次はここから学校全体に鬼を増やすわ。そして、全校生徒が鬼になったらいよいよ本番」
そこまで言って、原乃はそれまで見せたこともない残酷な笑みを浮かべた。
「鬼になったあなたたちを町中に放ち、人間どもを殺し、忌々しい人工物を破壊し尽くすの。
あなたたちが最初に手を掛けるのは一番近しい人間。つまり、あなた達の親ね。
少し可哀相かもしれないけれど、鬼になったあなた達はもう人間の親なんて関係ない。
むしろ、この私が親なのよ。親の命令は絶対よねぇ」
「そ、そんなこと!!」
晶は自分が嬉々として父母を殺す光景を想像してゾッとした。
そんな恐ろしいことをあの大人しい原乃がさせようとするなんて想像もつかない。
「さあ、じっとしていなさい。この角で一突きすれば、あなたもあっという間に私の眷属…」
原乃が立ち上がり、真っ赤な角を晶へと向ける。つるんとして光沢のある角が不気味に光り、晶へと突き立てられようとしている。
「や、やだ…」
まだ知り合って2ヶ月ほどしか経っていないが、原乃は晶にとってかけがえのない友人の一人になっていた。
人付きあいは悪くはないが、あまり深く関係を持つことを避けていたように見える原乃も、晶に対しては心を開いているように見えていた。
その原乃が実は、そんな恐ろしいことをしようとしていたなんて。しかも、晶のことすらただの駒としてしか見ていないようだ。
晶は原乃に裏切られたような気になり酷く絶望した。
だが、それでも原乃を信じたかった。
晶が原乃と一緒にいた時の原乃の優しく、儚げな微笑み。
それすら自分を欺くための嘘だとは思いたくはなかった。
「やめて…。安達さん、やめてぇぇ!!そんなひどいことしないでよぉ!!」
無駄とは思いつつ、晶は原乃に止めてくれと懇願した。
「っ!」
ところが、晶の泣き声を聞いた瞬間原乃の顔に明らかな戸惑いの色が浮かび、今にも刺さりそうだった角がぴたりと止めた。
「…え?」
目の前に突き立てられた角がゆっくりと上へと上がり、恐怖に震える晶の目には原乃のにこやかな微笑みが飛び込んできた。
それは嘲りや侮蔑ではなく、近しいものにしか向けない心の底からの微笑みだ。
- 802 名前:おにごっこ:2010/09/16(木) 22:44:16 ID:qLu0mV6+
- 「…本当に優しいのね、近江さん。
他のみんなはこんな状況になった時私に罵詈雑言を浴びせてきたわ。
『鬼』『化け物』
さっきまで私にちやほやしてきた男子が、私を恐怖に脅えた目で見ながら罵るの。
まあそんな状況には慣れているし、今さらどうとも思わないけど…」
原乃の微笑みの中に少し暗いものが混じって見える。
もしかしたら原乃は昔はこんなに歪んでいなかったのかもしれない。
鬼ということで人間に受けた仕打ちや長年にわたる封印が、彼女の心をどす黒く変えてしまったのかもしれなかった。
「そこの美鬼ですら、刺す瞬間は私のことを化け物と言ったわ。
でも近江さん、あなただけは私のことを変わらずに『安達さん』と言ってくれた。本当に嬉しかったわ」
「安達さん…」
寂しそうに心の内を話す原乃に、晶は少しだけ警戒心を緩ませた。
もしかしたら、よく話せば分かってくれるかもしれない。そう思ったからだ。
が、原乃はフッと一息つくと、さっきの酷薄な鬼の顔に戻っていた。
そのかわりように晶は一瞬ビクッとしたが、原乃は晶に対し意外なことを話してきた。
「ですから近江さん、あなたにチャンスをあげますわ。
近江さん、鬼ごっこって知ってますわよね」
鬼ごっこを知らない中学生はいないだろう。勿論晶もこくこくと頷いた。
「これから近江さんには鬼ごっこをして貰いますわ。
鬼は私と私の眷属。つまり近江さん以外のクラスメート27人。
近江さんが校舎を出て、校門を抜ければ近江さんの勝ち。そのときは私も人間への復讐をあきらめ、鬼にしたみんなも人間に戻してあげます。
つまり、またいつもの日常が戻ってくるということ」
「ほ、本当!」
晶の目がパッと輝く。
原乃が翻意してまたいつものみんなが戻ってくる。こんなに嬉しいことはない。
「ただし…捕まったらその時点でお終い。鬼に捕まった者は鬼になるというルールどおり、近江さんも鬼になって貰いますわ。
そして、私はこの辺り一帯の人間を駆逐し、鬼と自然が生きる世界を作り出す。
どう?鬼ごっこと言った意味がわかったかしら?」
つまりこれは全員が鬼になったらおしまいのルールの、一番最後の局面ということだ。
普通と違うのは、鬼になっているのが本物の鬼で、捕まったら本当の鬼になってしまうということ。
「ああ、あと私の眷属たちは校舎の中だけを範囲にさせていただきますわ。範囲を決めておくのは鬼ごっこの基本ですわよね」
「…そうだね」
神妙に頷いたが晶は心持ちホッとした。
つまり、校舎を出てしまえば実質的に校門を出たも同然だからだ。
それだったら、少しは可能性が見えてくる。
自慢じゃないが、小さい時鬼ごっこは誰にも負けたことはなかった。
運動神経『だけ』は抜群の晶にとって、本物の鬼が相手とはいえ決して負け確定の条件ではない。
「で、始まりはいつから」
「これから私が20秒間読み上げますわ。その間に晶さんは教室をお出になってくださいな。
あ、校舎が範囲とはいっても校舎の壁際は範囲に含まさせていただきますわ。窓から壁伝いに降りるなんて卑怯な真似を防ぐためにね」
「あ、そんな手もっあったっけ…」
しまったといった調子で晶はぽんと手を叩いた。そんな晶の様子に原乃は少し拍子抜けしたようにボーッとし、思い出したかのようにクスッと微笑んだ。
- 803 名前:おにごっこ:2010/09/16(木) 22:47:15 ID:qLu0mV6+
- 「…面白いですわね、近江さんは。
では、用意はいいですこと。始めますわよ!
い〜ち、に〜ぃ」
普通の秒数を数えるより少し短めに原乃はカウントを開始し、それを聞いた晶は脱兎の如く教室を駆け出した。
晶がいる2年生の教室は東校舎の四階。Aクラスは階段から最も遠い位置にあるのだ。
しかも、三階の下が体育館になっているという特殊な構造の結果三階から長い渡り廊下を使って隣の西校舎に移らなければ一階に降りられず、外に出ることも出来ない。
(急いで階段を下りないと!!)
鬼の身体能力がどれほどのもかはわからないが、少なくとも人間よりははるかに上だろう。
悠長にしている暇は晶にはないのだ。
「じゅうきゅ〜う、にじゅう!」
原乃のカウントが終わると同時に、教室の鬼たちは蜘蛛の子を散らすようにバッと教室を飛び出していった。
あるものは晶を直接捕まえに。あるものは晶の先回りをするために。
「ふふふ…近江さん。頑張ってくださいね……。本当に」
原乃の顔には何故か、晶が鬼の包囲網を突破するのを期待するかのような微笑みが浮かんでいた。
「じゃあ私も、行くとしますか」
次の瞬間、原乃の姿は忽然と教室から消え失せていた。
続
- 833 名前:178 おにごっこ:2010/09/17(金) 22:15:07 ID:f6PxUfMg
- こんばんわ。予告どおりおにごっこの後半です
普段は何気ない、しかし今は限りなく長く感じられる廊下を晶は懸命に駆けていた。
激しく呼吸をするのに邪魔なマスクはとうに投げ捨て、過去にこれほど必死になったことはないというくらいの悲壮な覚悟だ。
「早く、早く外に!」
なにしろ、自分が捕まってしまったら鬼にされ、やがてはこの街全ての人間が殺されてしまうかもしれないのだ。
まだ14歳になったばかりの晶は、自分だけでなく街全体の運命すら左右する大事に巻き込まれてしまっていた。
今、晶は外に出る最短距離を走っている。
それは四階から階段を下りて、三階から西校舎へ続く長い渡り廊下を駆け抜けて西校舎に入り、三階から一階まで一気に階段を駆け下りて三つ教室先の昇降口へ出るというものだ。
直線距離だとかなりの長さになるが、陸上部に所属している晶は持久力には自信がある。追いつかれさえしなければそれほど外に出るのは難しくはないはずだ。
「鬼ごっこなら、誰にも負けたことはない……!」
まだまだ心に余裕を持っていた晶だったが、後ろから聞こえるドカドカと階段を駆け下りてくる音を聞いてザッと血の気が引いた。
もう20秒経ったのか、ということではない。1クラス(2−Aの人数は晶を除けば27人)分の足音の数に圧倒された、ということでもない。
足音が速すぎるのだ。やはりクラスの仲間は鬼になって身体能力が高まっているらしく、人間とは思えない速さで晶を追ってきている。
「や、やばい!」
このまま最短距離を突っ走っていったとしたら、絶対に途中で追いつかれて捕まり鬼にされてしまう。
向こうも晶が最短距離を移動しているということは読んでいるだろうから、このままでは捕まるために逃げているようなものだ。
一刻も早く外に出たいのは当然なのだが、このまま逃げても外に出られる可能性は全くのゼロだ。
「…しかたない!」
晶は手近でうまい具合に扉が軽く開いていた理科準備室にサッと侵入すると、ジッと蹲ってやり過ごすことにした。
晶がしゃがみこんで幾らもしないうちに、理科準備室の前をドカドカとけたたましい足音を上げて鬼たちが通り過ぎていく。
「近江を追いかけろーっ!!」
「捕まえた奴が近江を鬼にしていいって悲女様は仰られていたぞー!」
「あいつに角をブッ刺すのはオレだー!」
まさか手前の教室に隠れているとも知らない鬼たちは、口々に欲望の滾りを吐きながら晶が目指している『はず』の昇降口目掛けて駆け抜けていく。
(…おねがい。見つけないで!)
晶は天に祈りながら、怒涛の足音が過ぎるのを息を潜めてじっとしていた。
その祈りが通じたのか、理科準備室の廊下に鬼の気配はしなくなり、かわりに外から
「どこにもいねーぞー!」
「あいつ、どこに消えやがったー」
「晶さーん、どこー!」
などと鬼たちの騒ぐ声が聞こえてきた。
「……よし、これでみんな離れ離れになるはず…」
これを晶は狙っていた。
あのまま最短距離ルートを馬鹿正直に通っていたら、27人の鬼に一斉に集られてあっという間に捕まってしまうが、こうして晶を見失った鬼たちは晶を探してこの広い東校舎、西校舎にバラバラに分散していくはずだ。
確かにその分鬼に出会う確率は高くなってしまうが、1〜2人の鬼だったら何とかやり過ごせる可能性はある。
- 834 名前:おにごっこ:2010/09/17(金) 22:16:07 ID:f6PxUfMg
- 晶は理科準備室にある窓のカーテンをそっとめくり、外の様子を見てみた。
ここからは東校舎と中庭が見え、思ったとおり誰もいない東校舎に10人前後の鬼が走っていくのが見える。
中庭に鬼の姿が見えるところを見ると、原乃の言った鬼の移動範囲は東校舎と西校舎の外周をぐるりと囲んだ範囲のようだ。
いくら鬼の数が多いといっても、校舎全体をカバーするにはさすがに少なすぎる。
「よし、これなら…」
いい具合に鬼の数がばらけたところを確認した晶はそっと理科準備室の扉に近づこうとした。
その時、突然理科準備室の扉がガラガラッと開かれた。
「!!」
「あ〜、いたぁ〜〜〜」
扉を開けた鬼は、中に晶がいるのを確認するとニッと笑い、扉をガラガラと閉めてしまった。
「ガ、ガリ夫!」
晶がガリ夫と言った痩せぎすで度の強い眼鏡をかけた、昔の漫画の秀才君のような風貌をした鬼は嬉しそうに舌なめずりをした。
「嬉しいなぁ…。足が遅いから皆から置いてけぼりを食らったのに、それが幸いしてあの近江さんを刺すことが出来るなんてぇ…」
ガリ夫の額から伸びている赤い角は、まるで晶を刺すのを待ちわびているかのようにビクビクと戦慄いている。どうやら鬼にとって人を刺すというのはよっぽどの興奮をもたらす行為のようだ。
「くっ…」
結構思い通りに事が進み、多少気が緩んでしまったことを晶は心底後悔した。
この狭く閉じられた部屋でガリ夫に皆を呼ばれたら、もう晶になす術はない。
ところが、ガリ夫は仲間を呼ぶ気配など全く無く、そのまま両手を広げて晶へとじりじりと迫ってきた。
「…なんで、皆を呼ばないの?」
晶の質問に、ガリ夫は何を言っているんだと首を傾げた。
「はぁ?なんで皆を呼ぶんだよ。
そんなことしたら、誰かに近江さんを刺すのを抜け駆けされるかもしれないじゃないか。
近江さんは僕が刺すんだ。誰にも邪魔させはしないさ!」
「っ、なるほど……」
それを聞いて晶は一つのことを確信した。
まず、鬼たちは連係して晶を襲う気はなく一人一人が銘々晶を襲おうとしていること。
それはつまり、横の連係はほぼないと考えられること。
ならば、ここでガリ夫を黙らせればここでの危機は抜けられることが出来る。
「なるほどねぇ…。だったら!」
まるで観念したようにスッと体を傾けた晶は、なんとガリ夫に向けて突進していった。
「え」
「寝てろー!!」
そのまま晶の鉄拳がガリ夫の顔面にめり込み、ガリ夫は意外なほどあっさりと気絶してズルズルと倒れ込んだ。
「…あらら、なんて呆気ない」
もともと虚弱体質だったガリ夫だったとしても、まさか一撃で倒せるとは思っても見なかった。
これで分かったことはもう一つ。
鬼の身体能力は人間のころから大幅に高まってはいないということ。
確かに常人よりは優れてはいるのだろうが、全く手が出ないほどに強化されているということもなさそうだ。
「まあ、ガリ夫だったから。ということもあるんだろうけど…」
晶は下で完全に伸びているガリ夫に軽く手を合わせると、そっと扉を開けて誰もいないのを確認するとそそくさと理科準備室を後にしていった。
- 835 名前:おにごっこ:2010/09/17(金) 22:17:06 ID:f6PxUfMg
- 辺りに鬼の姿が見えないとはいえ、まともに廊下を歩いていたりしたらあっという間に見つかるのは目に見えている。
晶はあちこちにそっと体を隠しながらじりじりと先へと進んでいた。
「これじゃ、鬼ごっこというよりかくれんぼだね…」
二階へ続く階段を降り終わり、こそこそと歩く晶はそのまま一旦近くの一年生の教室へと逃げ込んだ。
わざと遠くの階段を使ったりなど大幅な時間を食いながら、晶はなんとかこれまで鬼に大きく発見されることなく進めていた。
「さて、これからどうするか…」
晶は化粧用の手鏡を使って、窓越しに外の様子を見てみた。
鬼は壁際までは出て行ってもいいというルールに則って、何人かの鬼が壁際に出張っている。
「…雨どいを使ってそのまま外に出る作戦はダメか…」
さっきから晶は、昇降口以外から外に出られる方法はないかと模索している。
考えてみれば、外に出てしまえば勝ちが確定する以上、わざわざ昇降口から外に出る必要はないということだ。
うまく一階まで降りてどこかの窓から外に出られれば一番だが、さすがに鬼もそれは警戒していてかなりの数の鬼の足音が下から響いてきている。
となると二階から雨どいや、最悪飛び降りて地上に下りることも考えたのだが、『壁際』の定義がいまいち曖昧である以上下手に飛び降りて脚を痛め、そのときに鬼に捕まってしまってはもう為すすべがない。
「どこか、うまく降りられるところは…
そうだ!」
その時晶は思い出した。
この西校舎のトイレの真下には古い体育倉庫がある。
そこなら飛び降りてもそれほど高くなく、万が一天井が抜けたとしても下は体育マットとか柔らかいものが閉まってあるはずだ。
「散々部活の後片付けに使っていたからね…。うん、大丈夫」
ただ問題は、この教室からそこのトイレまでちょうど廊下の反対側の端っこにあるということだ。
さすがに全く鬼に見つからないと言うことはないだろう。
(うまく隙を突くしか…)
「いたぞー!!」
「!!」
その時教室の外から鬼の声が響いてきた。
どうやら教室に隠れているのが見つかったらしい。
「ちっ!」
晶は素早く身を起こすと教室に入ってこようとして鬼を蹴り飛ばし、そのまま廊下へと飛び出した。
今の声を聞いたのか、階段の上から下からガンガンと階段を踏む音が聞こえてくる。
これではとても1階に降りることは出来ない。
「ええい!ままよ!!」
覚悟を決めた晶はトイレに向って駆け出した。もはや脱出する術はそこしかない。
「いたー!」
「いたぞー!!」
後ろから大勢の鬼の声が聞こえてくるが、晶はそんなもには目もくれずに一目散にトイレに向って走っていった。
- 836 名前:おにごっこ:2010/09/17(金) 22:18:06 ID:f6PxUfMg
- トイレに入っていった晶に、追ってきた4体の鬼はニヤッと顔を歪ませた。
「バカめ、そこは袋の鼠だ!」
「あははぁ!晶さんの額、ぷっすぅーとできるぅ〜〜!」
「忘れないでよ。最初に晶を捕まえた者に角を刺す権利があるんだからね!」
鬼たちは口々に勝手なことを言って、袋小路に入った晶を最初に捕らえようと躍起になっていた。
「おうみぃ〜〜つ〜かまえたぁ〜〜!」
一番最初にたどり着き女子トイレの入口で馬鹿な声を張り上げたのっぽの男鬼が、中にいる晶を捕まえようと手を伸ばしてきた。
ところが
「…あれ?近江がいないぞ?」
トイレの中を見た鬼は、晶の姿が見えないことにきょとんとしていた。
確かにさっき晶はトイレの中に入っていった。ならば、トイレのどこかにいるはずだ。
「……」
トイレの扉は鍵こそかかっていないがすべて閉まっている。つまり、どれかにいる可能性は高い。
「ふっふっふ…どこにかくれたの、かなぁ〜」
もう晶がどうやっても逃げられる術がない。そう確信した鬼はゆっくりと扉を開こうとした。
「「「「ちょっと待てぇ〜〜!」」」」
その時、後を追ってきた3体の鬼が追いつき我先にトイレの扉を開けようとしてきた。
「お、おい!ここに一番最初に入ったのは俺だぞ!俺が近江を鬼にする権利があるはずだ!」
「うるさいわね!こんなの早い者勝ちに決まっているでしょ!!」
権利を主張するのっぽ鬼に、女鬼が聞く耳を持たないとばかりに強引に扉を開けようとする。
「だから待てって言ってるだろうが!!」
そうはさせじとのっぽ鬼は女鬼の手を強引に叩いた。
「な、なにをするのよ!!」
「うるせー!近江は俺が…」
「はいはい、ちょっと御免なさいよ…」
二体の鬼の喧騒の中、チビの鬼が何気ない態度で横入りしてくる。
「「抜け駆けするなぁー!!」」
当然そんなことを許すはずがないのっぽ鬼と女鬼が同時にチビ鬼を蹴り飛ばした。
「なにしやがる、このぉー!!」
「お前ら喧嘩は止めろ!代表してこの俺が近江を鬼に…」
「特徴も書いてもらえないモブ鬼が調子に乗るな!」
もうここに入ってきた目的も忘れ、四体の鬼は女子トイレの中で取っ組み合いの大喧嘩を始めてしまった。
鬼たちは目の前の鬼を痛めつけることに気を集中させてしまい、他のことなど目に入っていない。
「…よっと」
その隙を見て、女子トイレ入口にある掃除用具入れのロッカーからひょっこり出てきた晶はそのままそっと廊下に飛び出し、目的地である『もう一つ奥の女子トイレ』へ向けて足音をなるべく立てないように走り出した。
「あっぶなかったぁ〜」
鬼が自分の欲望を最優先して活動していることが晶に幸いした。
もし連携をとって鬼たちが晶を追ってきたら、間違いなく捕まっていただろう。
- 837 名前:おにごっこ:2010/09/17(金) 22:19:06 ID:f6PxUfMg
- ○
「ゴクリ…」
女子トイレの小窓から晶は下を見る。
壁際の辺りに鬼の気配はなく、このまま飛び降りても見つかる可能性は低い。
窓から体育倉庫の屋根は1メートルちょっとで、飛び降りるというよりまたぐに近い。
「これなら、大丈夫…!」
このまま屋根を伝って下に降り、後は校門まで駆けたらゴールだ。
「…やった!」
自分の勝ちを確信した晶はそのまま一気に小窓から身を乗り出してぴょんと飛び出して屋根の上に脚をつけ
「うわっ!!」
そのまま古くなっていた屋根を突き破って体育倉庫の中に落下してしまった。
「いたたたぁ……。でも」
強かに腰を打った晶だったが、読みどおり下には古い体育マットや保護ネットが山積みされどこかを痛めるということはなかった。
「全く計算どおり!これで後は…」
校門まで行くだけ、と言おうとした晶だったが
「後は、私に鬼にされるのを待つだけ」
自分の後ろから聞こえてきた冷たい、そして散々聞き覚えのある声に晶は一瞬心臓が止まってしまった。
「え…」
「うふふふ…」
恐る恐る振り向いた晶の目に入ってきたのは、薄暗い体育倉庫の中で真っ赤な目をギラギラと輝かせた美鬼の顔だった。
「み、美樹ちゃ…」
「晶が外に出るにはここを通るしかないと思って待ち伏せしていて大正解だったわ」
迂闊だった。
そう言えば美鬼も晶と同じ陸上部員だったのだ。ここの事は当然知っており散々気心の知れた晶がどういった行動をとるのかもある程度の予測はつくはずなのだ。
その瞳を、角を欲望に疼かせて美鬼はスッと立ち上がった。
「さあここなら誰も邪魔しないわ。ゆっくり、たっぷりと角を刺してあなたを鬼に変えてあげる…
晶、あなたも鬼になって、安達悲女様に御仕えする悦びを知るのよ…!」
「ひぃぃ…。美樹ちゃん……!」
美鬼の口から覗くぎざぎざの乱喰歯が涎に照り光っている。無二の親友を同族に変えることに、この上ない興奮を感じているのだろう。
「ほら、見て…」
美鬼は自らの真っ赤な角を指差す。
「この角がね、晶を刺したい、刺したいって疼くのよ。晶を刺して、鬼にしたくてたまらないのよ」
角はまるでそこだけ別の生き物みたいにてらてらと濡れ光り、先程よりも猛々しく伸びているように感じる。
「すぐに額を刺して鬼にはしないわ。最初にお腹。そしておっぱい、そしてお尻…
柔らかいところをざくざく刺して、晶のお肉をたっぷり味わうの。
大丈夫よ、痛くなんかないわ。鬼の角って刺すのも刺されるのもとっても気持ちいいのよ。晶もきっと病み付きになるわ。
晶が鬼になったら、お互いの角で体を刺しっこしましょうよ。うふふふ……」
晶を鬼にした時のことを妄想しているのか、美鬼は右手で角をいやらしく扱きながら晶を見つめている。明らかな欲情のこもった熱い目線は、今まで晶に見せたこともなかった、美鬼の隠れた本心を表していた。
(逃げなきゃ、にげなきゃ…)
- 838 名前:おにごっこ:2010/09/17(金) 22:20:07 ID:f6PxUfMg
- いろいろな意味で今の美鬼に恐怖を感じた晶は、どうにかしてこの場から逃げようとしたが、晶は尻餅をついた体勢からいまだ立ち直っておらずすぐさまに立ち上がることなどは出来ない。
いや、もしできたとしても体育倉庫は散乱したいろいろなもので酷く足場が不安定になっており、万が一万全の姿勢だったとしても美鬼から逃げられる保障は全くなかった。
(あと少し、あと少しだったのに…!)
よりにもよって親友の手で鬼にされてしまうのか。と晶は目の前が真っ暗になり、諦めたかのように天を仰いだ。
それを観念したと受け取った美鬼は口元を吊り上げて笑うと、晶をその手に捕らえるべく一歩足を踏み出した。
「あぁ…」
もうどうしようもない、そう思った晶が美鬼の足元に目を向けたとき、あることに気がついた。
美鬼は晶の足元から伸びる保護ネットに足をおいていた。それは少したわみながら美鬼の脚に絡み付いている。
「!!」
そのことに気がついた晶は、反射的に足元の保護ネットを掴むとグイッと手前に引っ張った。
「きゃあっ!!」
案の定、脚をとられた美鬼は大きくバランスを崩して後方にひっくり返り、どすーん!と派手な音と埃を巻き上げて倒れ込んでしまった。
「ごめん!美樹ちゃん!!」
晶は本心から美鬼に謝り、そのままガバッと立ち上がると体育倉庫の扉を開けてダダッと逃げ出した。
「ま、待ちなさい晶!」
後ろで美鬼の声が聞こえるが追いかけてくる気配はない。
校舎のあちこちからも鬼たちの声が聞こえてくるが、降りてきて晶を追ってくる鬼はいなかった。
どうやら晶は、『校舎の壁際』の外に出ることが出来たようだ。
「や、やったぁ!!」
これで原乃は復讐を諦め、鬼になった皆を人間に戻してくれる。
今までと変わらない日常が、またやってくるのだ。
晶は原乃との鬼ごっこに勝ったことに歓声を上げ、ゴールの校門へ向けて力一杯駆け出した。
そして、校門の下の大樹をくぐりぬけようとした
まさにその時
「捕まえましたわぁ!!」
「わぁっ!!」
突然晶の上から何かが落ちてきて晶の肩に乗りかかってきた。
晶から振り落とされまいと落ちて来た者の手が晶の頭を掴み、伸びた爪が額を軽く引っ掻いてくる。
「いたぁっ!」
上から落ちてきた『何か』を晶は無我夢中で振り落とそうと暴れ回り、それに耐え切れなくなった『何か』はさっと晶の上から飛び降りた。
そこにいたのは…
- 839 名前:おにごっこ:2010/09/17(金) 22:21:07 ID:f6PxUfMg
-
「あ、安達さん…!」
そこにいたのは、ニコニコと笑う安達原乃だった。
「うふふ〜、近江さん。あと少しだったのに惜しかったですわね」
原乃は晶を捕まえた証なのか、少し晶の血の付いた指をにぎにぎさせ美味しそうに血を舐め獲った。
でも晶には合点が行かなかった。
なんで原乃がここにいるのだろうか。
「えっ、なんで…?
鬼の範囲は校舎だけじゃなかったの…?」
「私は『私の眷属の範囲は校舎の中』と仰ったのですのよ。私の行動範囲までは制限していません」
確かに原乃はスタート前にそう言っていた。晶もちゃんと聞いていた。
でも、あの言い方ではパッと聞いた限りでは鬼の行動範囲は校舎の中だと早合点してしまうのも無理はないとは言えまいか。
「ひ、卑怯だよ安達さん!!そんなのって…!」
原乃に引っかかれた傷がズキズキと疼く中、晶は原乃に非難の目を向けた。
「卑怯ではありません。私はちゃんと決まりごとをきちんと言っていたのですから。ですけれど…」
そこまで言って、改めて原乃は晶をまじまじと見つめてきた。
「正直、ここまで来るのは予想外でした。まさか、数々の眷族の手を潜り抜けてくるなんて…
近江さん、あなたは心だけでなく体のほうも素晴らしいのですね。感嘆しました」
パチパチと手を叩く原乃の顔には素直な賞賛の笑みが浮かんでいる。
人間を恨み復讐しようとしている原乃とは思えない行為だ。
そして、そのまま原乃は晶に予想外のことを話してきた。
「ですから近江さん、あなたの敢闘に敬意を賞し、私は人間への復讐を止めますわ」
「!!」
その言葉は、ますます痛みが酷くなる頭の痛みを一瞬忘れさせるほどのショックを晶に与えた。
「ほ、本当!安達さん!!」
「ええ、本当です。確かに私の言い方で近江さんが誤解を持ったのも事実ですし、ここまで辿り付いた行為を無下にするのもいただけません。
私がこれからどうするかを決めるのは『近江さん次第』にしましょう」
原乃の顔は憑き物が落ちたような晴れやかな顔になっている。どうやら人間への復讐を止めるというのは本心のようだ。
「あ、ありがとう安達さん!!」
頭の痛みを圧して晶は立ち上がり、原乃の手をぎゅっと握った。
「じゃあ、後はみんなを早く元に戻して…!」
そうすれば、また元の日常が帰ってくる。普通の日々が戻ってくるのだ。
ところが、そんな晶に原乃は申し訳なさそうに俯いた。
「…それは…、できません」
「えっ?」
「一度、眷属になった者を人間に戻す方法など…、ないのです」
原乃が何を言っているのか理解できない晶が混乱する中、原乃は再び深々と頭を下げた。
「申し訳ありません近江さん。私はまた、あなたに嘘をついてしまいました…」
- 840 名前:おにごっこ:2010/09/17(金) 22:22:07 ID:f6PxUfMg
- 「ち、ちょっと待ってよ!!それじゃあ約束が違う……!」
「約束……?」
突然の告白に泡を食う晶に、原乃は突然冷ややかな目を晶に向けた。
「約束なら…近江さんもまだ約束を果たしていませんよね…」
「え…っ?」
「言ってましたよね。『鬼に捕まったら鬼になる』って。鬼ごっこの基本ルールですわ」
そうだ。
多少変則的だったとはいえ晶は最終的に『鬼』の原乃に捕まったのだ。
鬼に捕まった人間は鬼になる。それこそが鬼ごっこの変えるべからざる基本なのだ。
「あ、あぁ…」
原乃の真っ赤な角が、急に恐ろしいものに見えてきた。あれに一突きされるだけで、自分は鬼にされてしまうのだ。
「確かに人間への復讐は止めましたが、それとこれとは話は別」
原乃がずい、と一歩前に進んで来て逆に晶は一歩引いてしまう。
晶の脳裏にさっきから自分に襲い掛かってきたクラスメートや美鬼の姿が思い起こされてくる。
自我を無くして目をぎらつかせながら欲望を剥き出しにし、自分に襲い掛かってくる光景は二度と目にしたくないものだ。
そして、このままでは自分もああなってしまう。
「こ、来ないで……。私、自分が自分でなくなるなんて、いや…」
「安心しなさって。
私、近江さんを眷族に加える気はございませんわ…」
原乃の目には晶に対する好意の光が宿っているのだが、恐怖に支配された晶の心にそれを察することはできない。
「や、やだ…。やめてよ、安達さ……っ!」
フラフラと後ずさる晶だったが、
その時、さっきからズキズキと疼いていた額の傷が突然『ズキン!!』と激しい痛みを伴ってきた。
「はうっ!!」
そのあまりの痛みに、晶は腰が抜けたようにガクンとその場に崩れ落ちた。
「あ、あ!ななにこれぇぇぇぇえ!!」
まるで額に心臓が出来たみたいにズキン、ズキンと激しく痛み、頭の中が全て激痛で占められてくる。
痛みから逃れようとし、消して痛みから逃れられずに地面をのたうつ晶を原乃は愛しそうに眺めていた。
「近江さん…、さっきあなたの額を引っ掻いたとき、あなたに『鬼の芽』を植え付けましたの」
「おにの、めぇ……?!」
「はい。鬼は人間のように単純な性交渉で繁殖することは出来ません。
約200年に一度、鬼の角から零れ落ちる芥子粒のような『鬼の芽』を人間に植え付けることで鬼を増やすしかないのです」
原乃の掌には本当に芥子粒のように小さい、原乃の角のような真っ赤な種のようなものが数粒ある。
平安時代からざっと1000年近く封印されてきた原乃は鬼の芽を数粒生成することができたのだろう。
「確かに角を用いれば眷属は幾らでも作り出すことは出来ます。
ですが、眷属は所詮眷属。気高い鬼に比べたら人間に比べて多少マシ、という程度の存在でしかありません。
そもそも眷属は鬼に使役される存在。純粋な鬼とは違うのです」
鬼と眷属は似て非なるもの。あくまでも眷属は鬼の使い走りにすぎないのだ。
「『鬼の芽』を使って鬼になった人間は、眷属と違ってそれまでの自我はそっくり残ります。
つまり、近江さんは近江さんの記憶と自我を残したまま、心だけは鬼のものへと変わるのです。
眷属のように使役されるだけのものではない。人間のような下等な生き物でもない。
私と同じ純粋な、完全な鬼族になるのですよ」
- 841 名前:おにごっこ:2010/09/17(金) 22:23:06 ID:f6PxUfMg
- 「お、おにぃぃ……!いやぁぁ……!!」
頭に激痛が一回走るごとに目の前に一瞬緋色の光が瞬き、光が瞬くたびに晶の心が鬼のものへと変わってくるのがわかる。
人として禁忌と思っていることへの嫌悪感が消え去り、人として当然と思っている行為のいくつかが酷くくだらないものだと思い始めている。
それが恐ろしいと思う心まで消え去り始めている。
それを素晴らしいと思う心がどんどん広がってきている。
「いあだぁぁ…!あらちふぁん、こわい。こはいぃ……!」
自分がまったく別の者になっていく恐怖に、晶は顔を真っ青にしておびえ切っていた。
そんな晶の顔を原乃は両手で優しく包み、ゆっくりと上半身を持ち上げた。
「ですが、誰にでも鬼の芽を植えていいというわけではありません。鬼にも相手を選ぶ権利はあります。
この者なら鬼となるに相応しいと思わない限り、鬼の芽を植えたりはしないのです」
「ふぇ……」
涙で霞む晶の目に、自分を見る原乃の顔が映りこんでくる。
その顔は鬼である安達悲女のものではなく、安達原乃として晶といた時のやさしい顔だ。
「これまで私が見てきた人間は、いずれも私が鬼の姿に戻ると恐怖に脅えて逃げていったり排除しようとしてきました。
ですが近江さん、あなたは鬼になった私を見ても、最後まで友人安達原乃として見ていてくれました。
近江さん、あなたは私の永い永い時の中で初めて出来た『友人』なのですよ」
「そ、それがぁ…これ…えああぁっ!!」
激痛で開ききった晶の瞳孔がゆっくりと縦に収縮し、原乃と同じ常世の存在を意味する金色の輝きを放ち始めている。
まともな声も出せずにがくがくと震える口は知らず知らずの内に喜色に染まり、全ての歯がぎしぎしと軋んだ音を立てながらおどろおどろしい乱喰歯へと変わっていく。
「ですから、近江さんには私と同じになってもらいたい。私の心を知ってもらいたい。私と同じ時を生きてもらいたい。
こんな気持ちになったのは初めてです。近江さんは私の鬼の芽を受け入れた、初めての人間なのです」
一体原乃がどれほどの時を生きてきたのかは分からない。封印されていた時間を差し引いたとしても相当の長さだということは分かる。
それほどの時をたった一人で生きてきた原乃にとって、自分に真っ直ぐ接してきた晶は手放し難い宝物になってしまっていた。
だからこそ鬼ごっこが始まった時、原乃は晶が眷族の手を掻い潜って校舎の外に出てくるのを期待していた。
そして、無事に外に出てきた晶を木の上から見たとき、原乃は晶の心と体の強さに心底心踊って晶をなんとしても鬼族に迎えようと決めたのだ。
(あだち…さん……)
壊れ物でも扱うように優しく自分を抱きしめる原乃の真剣さを、激痛に今にも飛びそうになる意識の中で晶はしっかりと感じていた。
「わ、わたしは、あ!あぁあああ〜〜っ!!」
そして遂に、原乃が傷つけた額から皮膚を突き破り、めきめきと鋭い角が伸びてきた。
その角は血を連想させる原乃の真っ赤な角とは違い、まるで闇夜の海のような濃紺色をしていた。
「あぁ……。なんて立派な角。近江さんに相応しい、素晴らしい鬼の角ですわ」
晶の生えたての角を、原乃は愛しそうにちろちろと舌で舐めしゃぶった。
「あっ!あひゃあぁぁ!!」
その舌が這いずる感触は、まるで剥き出しの神経を優しく撫でられたような凄まじい快感を晶に与えてきた。
気絶しそうな痛みに合わさって気絶しそうな快感も与えられ、晶の意識は半分消えかけている。
「ふふっ、これが鬼の快感。鬼の角は人間のどんな感覚器よりも優秀で、敏感なんですの。
これから近江さんも鬼の素晴らしさをたくさん感じることができますわ。だって近江さんは、もう鬼族の一員なんですもの」
薄れていく意識で自分の心の中が鬼に染まりきろうとしているのを感じる中、晶は原乃の声を聞いていた。
「近江さん、鬼を知ってください。鬼の目で世界を見て、鬼の心で世界を感じてください。
そして改めて問います。私が為そうとしていることが、本当に間違っているのか。
もしそれでも近江さんが私の為すことを拒むというなら、私は近江さんの言うことに従います…」
「ぁ………」
それを聞いたのを最後に、晶の意識は完全に落ちた。
- 842 名前:おにごっこ:2010/09/17(金) 22:24:06 ID:f6PxUfMg
- ○
翌日、放課後の陸上部の部室で…
「あぐっ!!」
額を濃紺の角でぐっさりと刺された三年生部員がビクビクと体を振るわせている。
どうみても角は部員の脳を貫いているはずなのだが、角が刺さったところからは血も脳漿も吹き出ることなく突き刺された部員の顔には壊れた歓喜の笑みが浮かんでいる。
その部員の額からズズッと角が引き出され、支えが失った部員はその場にどさりと崩れ落ちた。
「うふふ、この感覚、やめられないなぁ〜」
角の先端に血を滴らせながら、完全な鬼族となった晶は人を穿つ快感にゾクゾクと身を震わせていた。
「亜鬼羅(あきら)様、こっちは全て終わりました」
晶…いや鬼名『亜鬼羅』の横では美鬼が刺しおわった部員を抱えている。
鬼の眷属である美鬼にとって、純粋な鬼族である亜鬼羅は逆らうことの出来ない絶対の存在であり、二人が親友であったことから原乃が譲り渡す形で美鬼は亜鬼羅の下僕となっていた。
そして二人は授業が終わった後部活をしにきたと見せかけて部室にいる部員全員を襲い、その殆どを毒牙にかけたのだった。
「ありがと、美鬼。うふふっ先輩〜、あとは先輩一匹だけですよ」
部室に転がる十数人の部員をまるで絨毯のように踏みしめながら、亜鬼羅はただ一人残った三年生部員、彦根春奈にゆっくりと近づいていった。
その運動能力の高さから期待をしていた後輩。
それが自分の前で突然化け物に変わり仲間である部員をぐさぐさと角で突いて刺しまわっている光景を、春奈は抜けた腰から小便を漏らしながら、まるで他人事のように眺めていた。
「や、やだ…こないで、化け物……」
最早目の前のものを『近江晶』ではなく『化け物』としか見られない春奈は、壁に腰を預けながら力なく首を横に振ることぐらいしか出来なかった。
「化け物とは酷いですね先輩。人間以上の存在を化け物としか見られないんでしたら、この世界のものなんて化け物揃いじゃないですか。
まったく、安達悲女が嘆く気持ちも分かるわ。人間って、本当了見の狭い生き物だわ」
亜鬼羅は辟易したように角を掻くと、そのまま腰を下ろしてきた。
言うまでもなく春奈を突き刺すためだ。
「でも先輩、そんな気持ちもすぐに消えます。
先輩も皆とおんなじに鬼の眷属になれば、鬼の素晴らしさがす〜ぐにわかるようになりますからぁ」
「けん…ぞく?」
訝る春奈の視界に、一番最初に亜鬼羅に突かれた部員がゆっくりと起き上がってくるのが見える。
その額には、亜鬼羅と同じ濃紺の角がにょきりと生えていた。
「ひぃっ!」
「ほぉら、先輩ももうすぐああなるんです。怖がることなんてありません。
怖いのを感じる前に気持ちよくなって何も考えられなくなりますから!ケケケッ!!」
欲望に塗れた鬼の本能を剥き出しにした亜鬼羅が春奈に角を突き刺そうとした時、
背後の部室の扉がガラガラと開かれた。
「!!誰だ!!」
「!!助けてぇ!!」
- 843 名前:おにごっこ:2010/09/17(金) 22:27:31 ID:f6PxUfMg
- 亜鬼羅は邪魔をされた怒りを、春奈は救世主が現れた嬉しさを扉を開けた主に向け
次の瞬間亜鬼羅は喜びを、春奈は絶望を露わにした。
「うふふ、近江さ…いえ亜鬼羅さん。随分手が早いのですこと」
「安達悲女!」
彼女を鬼に変えた張本人、今では無二の親友の安達悲女の闖入に、亜鬼羅は目を輝かせた。
「こんなに短い時間でこれだけの人間を襲うなんて…、昨日までの亜鬼羅さんからは考えられませんわ」
少し呆れた口調の安達悲女に亜鬼羅は恥ずかしそうに、そして申し訳なさそうに顔を赤くした。
「だってぇ…鬼の体が、考えかたがこんなに凄いなんて、思ってもみなかったから…。それに…」
あの後鬼になった亜鬼羅は、家に帰った後我慢できずに両親と弟を襲い、眷属に変えてしまっていた。
まるで神経の集合体のような角を人間の温かい体の中に埋める快感は、それまで亜鬼羅が感じたことがないほど凄いものであり、眷属に変えた後も亜鬼羅は一晩中家族の体に角を抜き差しして愉しんでいたのだ。
だが、勢いと欲望にまかせて眷属にした家族を改めて見たとき、亜鬼羅は言いようのない虚しさを感じた。
昨日まで温かい家庭を築いていた家族。もちろん鬼族になった亜鬼羅に人間の両親や弟は昨日までと違いただの他人と等しい存在だ。
それでも家族との交流を忘れたわけではなく、楽しかった様々な事が思い出すことも出来る。
だが、今目の前にいる家族だったものは、鬼に盲目的に従う眷属へと変わっている。
そこには触れ合いや交流といったものはなく、一方通行な主従の関係しかない。
極端に繁殖力の低い鬼にとって、鬼同士で顔をあわせることも滅多になく、だからと言ってすぐに死ぬ人間や心を通わすことすら出来ない眷属と深い交流など望むべくもない。
自分と心を通わせられるものがない。
そんな時間を安達悲女は気の遠くなるほどすごしてきたのだ。
同じ鬼になって、亜鬼羅は安達悲女の孤独、憤りをやっと心の底から理解できた。
たった一晩だけでもこんなに虚しくなるというのに、それを1000年近く続けてきた安達悲女の虚しさはどれほどのものになろう。
亜鬼羅は安達悲女に心から同情し、彼女が望むことを何でも手伝いたい、と心に決めて登校してきたのだ。
「ごめん…安達悲女。私、あなたのことを全然わかっていなくて」
「いいえ、あの時の亜鬼羅さんは人間だったのですから分からなくて当然ですわ。そして…、理解してくれてとっても嬉しいのです」
亜鬼羅の心からの同情に安達悲女は優しく微笑みながら気にしていないと諭し、そのまま亜鬼羅の背中から前に両腕を回してもたれかかった。
「じゃあ、亜鬼羅さん。私のしたいことに…、協力してくれますよね」
言うまでもない。亜鬼羅はその覚悟を決めてここにきたのだ。
「もちろん…どんなことにも協力するよ、安達悲女」
亜鬼羅は安達悲女の頭を優しく撫でた後、自分の眼下で呆然としている春奈を見てニィッと笑った。
それは安達悲女に向けた笑みとは全然違う、獲物を狩る捕食者の笑みだ。
「そうだ先輩、おにごっこしませんか?私たちが鬼で先輩が逃げるの。
もちろん、捕まったら先輩は鬼になるんだよ。本当の鬼にね!ククク!」
「ひ、ひぃぃ…」
否応なしに、春奈は参加するしかなかった。
鬼につかまったら本当の鬼になる、悪夢のおにごっこに…
終
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