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2010-10-29
更新希望
2010/11/04 09:34
MCやハーレムの保管庫の更新は、もうされないのでしょうか?
FXMC
2010/11/04 14:32
サイトの更新?まあ気が向いたら。この2年くらい、ここはそんな感じでやってます。本スレ掲載時に読んでるスレ住人にとっては急ぐほどのものではないはずですので。
2010-10-27
竹内けん『ハーレムジェネラル』
二次元ドリーム文庫のハーレム路線を形作った竹内けんのハーレムシリーズは、同文庫の看板シリーズで、売上累計95万部だそうです。シリーズは20冊くらい(ノベルスの陵辱系を入れるかで数が変わる)出てますから、割り算すると約5万部。一般ラノベなら、アニメ化が見えてもおかしくない数字ですな。
富士見(超解○○)か電撃(○○ノ全テ)のラノベのごとく、公式ガイドブックなんてものまで出ました。
10月発売のシリーズ最新刊『ハーレムジェネラル』は、砂漠の国、フレイア王国が舞台。
ほぼ全編が、西方半島を統一したフルセン王国と、フレイア王国の間で戦われる“ターラキア戦役”を取り扱っています。
陣
待っていました!
はっきりいって『レジスタンス』から入った自分から見ても「シリーズ最高傑作」と思う作品ですね。
まさに「このシリーズならでは」という意味においても過去最高というか。
ただし結局この国にはいられなくなったわけで、最終的にはヒルクルスこそが最高の「漁夫の利」を得たことになるのか。
もちろんこの「五年後」が舞台の『ジェネシス』に姿が見えなかったことからしても、彼がそのままドモスに留まったのかはまだ不明ですが、出来るなら続編としての『ジェネラル2』は見たいというか。
同じ「亡命王子」でも、タイプ的に全く逆のヒルクルスとの掛け合いはまさに最高なだけに。
FXMC
ヒルクルス君はフレイア王国を手に入れましたが――
前に私が言った「フレイア王国の化石をどう金に替えるのか」という問題が今回の『ジェネラル』作中で描かれてました。隣の国から借りた港を経由して西海経由で売りに出す。
ドモスが港を借りようっていっても絶対に二重王国の邪魔が入るし、仮に港を借りるか力づくで占領しても、その先の海にはフルセンの海軍(レジスタンスエピローグより)がいる。
たとえば、リュシアン君がドモスに行ったら、たぶん接待役は宰相候補のオルフィオで場所は妓楼っすよね。
そしたら、こんなことを訊くと思うんですよ。
妓楼には軍人以外のお客さんがくるのか(≒ドモスの民間経済に余裕ないでしょ)
ドモスの隊商に現地のおねーさんはサービスしてくれる?(通商先の対ドモス感情悪いでしょ)
ドモスには女魔法使いがいっぱいいるのか(魔法触媒加工したり使ったりするアテないでしょ)
戦略眼に優れ、夜の事情に詳しい彼ならば、おそらくカーリングの歓楽街を見ただけでドモスの経済的疲弊を感じ取れることでしょう。
陣
うおおおお! それは考えてませんでしたが、良さそうですね! オルフィオの接待!
シルヴィアとリュシアンの掛け合いなんて想像しただけでも……
まあ。そういう席が好きでも得意でもなさそうな、ヒルクルスはあくまで持ち場の泥水でしょうが。
あとはこの世界における「魔法触媒」の経済ウェイトについての解釈ですが、食糧すら対外依存していたはずの、フレイアの富裕ぶりから見るに、自分的には相当な「売り手市場」と解釈。
(だからこそ『ジェネシス』でも触れていたように、二重王国と対峙中においても敢えてヒルクルスに貴重な戦力を割いて、状況が不利になる前に現地を押さえさせたというか。)
また『ロイヤルガード』の内容から見ても、今まで相当「吹っ掛けられ」ていたかもしれない、シェルファニールあたりがフルセンの後ろにいても決しておかしくないという感じ。
(取り敢えずかき集めた「食えない触媒」をそちらに流して、食糧その他の緊急物資の調達を行うとか。)
そうなればドモスの最終侵攻前に採掘場込みの橋頭堡(エバーグリーン?)確保をなんとか成功させていたかも知れず、リュシアンやマージョリーがいなくなった後なら決して不可能ではないと。
(そしてその結果、彼らを手放す事態を招いたマドアスの権威はますます下がるわけで。)
とにかく、自分も応募しました、夏の大感謝フェアの特典である、ドリマガ特別版で『レジスタンス』の外伝が載る模様。
タイミング的に、おそらくはフルセン側から見ての『ジェネラル』期ということになるかもですが、願わくばその辺りの裏事情も期待というかで。
ご神体
というか、キャラバンなど戦とは関係ない作品まであることから軍事的思考だけでは展開は予想出来ませんよね〜
歴史とか世の動きは人の営みを元に動いているわけですから〜
とシャクティ的に言ってみる(笑)
ピュロスの勝利ですか
正に戦術的才能には恵まれたエルフィンへの上手い例えですね
ピュロスは如何動けば成功したかも興味深いですが、如何せん忍耐力に掛けるような気がします
まあ負けたり情勢的に不利になってもタレイランのような手腕を発揮出来れば現状維持も可能なんでしょうけど…
攻略して属国にする、ドモスの方針では優秀な外交手腕を持つ臣下は生まれないのではないかと
二重王国は勝って譲る、を知っているようですが
いつぞやの民主主義ですが、ドイツや合衆国での国政選挙の時にそこにいて、我が国とは違う政治風土だなぁ、と感じた感想からなんですけどね
二世議員というのも、日本的、若しくは東洋的な民主主義野ような気がします
FXMC
>フルセン事情
ターラキア戦役後、再征を行えばリュシアン抜きのフレイアから国境地域を掠め取るくらいはを倒すのは難しくないでしょうが、二度目の侵攻に西方半島の諸勢力を動員するのは政治的に厳しいでしょう。
仮に国境地帯を掠め取ったとして、(労働者がいなくなったり、下手すれば爆破されてたりする)鉱山を再稼働させ、さらに採算に乗せるのにどんだけかかるかわかりませんし。
>ピュロス
ピュロスは結局、策源地から離れて補充のない状態で長期戦ってのが無理あったんですよ。
今回のエルフィン君と同じように。
>二世は東洋的‥・・
前合衆国大統領には、二世である以外の取り柄がなにかあったでしょうか。
いや、アメリカ南部は「欧米」のうちに含まれるかについて、私は真剣に疑念を抱いていますが。
>ドモス
リュシアン君一行は案外、本国派、ロシェ王子のところにいるのかもしれません。
武人肌だというロシェ及び本国派とは合わないように思えますが、人質で二重王国に行ったロシェが軍師の重要性を感じたとか理由はつかないでも。
ご神体
>フルセン
最初のコメントで、ドモスにはフルセンの資源を利用する社会資本に乏しい、と言ってますからね
同感です
交易に生きる、ちょっと意味が違いますが、軍事や戦争に費用を掛けないという意味での小さな政府指向のパウロくんもわざわざフレイア迄進軍させ鉱山を占領するなんていう長い目で見てランニングコストの増大するような政策は取らないと思うんですが
「侵略・占領が最上なわけじゃないですから〜」
>ピュロス
せっかくの名将を持って来ながら、後は任せた、的なターラントもどうかと
シラクサ行ってもギリシャ人の性行から内輪揉めに巻き込まれちゃって…政治には興味ないピュロス王
やっぱりお付きのキュアネスくんとの会話、「今ここで(エピロス王宮、イタリア出発前)痛飲するのではいけないのでしょうか 今だって(酒の肴にする)勝戦の思い出はありますし、何より他人を傷つければ自分を傷つけられるもさけられませんから」というエピソードが印象的です
>二世
う〜ん、でも地方でも国政でも日本の二世率は異様かと
イギリスなんか国政では同選挙区はないわけですし
>ドモス
クラナリア派にしろ、ロシェ派にしろそちら側にいればリュシアンくんも手柄を立てる機会は多そうですね
彼だとドモス領域の反乱討伐も、凄惨にはならないキャライメージです(笑)
フィリックス殿下が拡大するには両大国に疲弊してもらわないとあきませんが、プリズナーで見えてきたラルフィント統一が怖いですね
バージゼルが統一したらラルフィントには8万くらいの軍勢が…
FXMC
>パウロ君
経済力と、経済力をバックボーンにした外交を対外政策の中心に据えてるパウロ君は、自軍をフレイアまで侵攻させるなんてありえないけど、誰ぞに札束くれてやって代わりにフレイアを攻めてもらうような政策は大好きだと思います。
軍隊動かすのに較べればずっと安上がりですから
>ドモスのリュシアン
リュシアン君の能力は、手柄を立てるとかより、そういう事態を未然に回避するのが本命かと。
「二重王国の侵攻目標? いまヴィーヴル以外のどこで戦争できるの、消去法で考えて」とか、
「占領地民が生意気だ? メンツくらい立ててあげなよ。自治政府でも貴族会議でも好きにやらせてやればいいでしょう。軍隊さえ押さえとけば問題ないって」とか。
陣
その意味からすれば、シェルファニールにとっては、武力的には強大なフルセンを「活かさず殺さず」の走狗状態に置くのが最もベストかもですね。
クラナリアと違い、海を挟んでいる以上、ドモスのような大規模侵攻を受ける可能性も低いだけに、「遠隔操作」も容易と見られるだけに。
あとシェルファニールについては、オルシーニからの魔法鉱石も重要ですね。
ぺルセポネを巡って、イシュタールと二重王国が揉めているだけに、「西国同盟」の旗振役としてはどう出るか。
もっともたとえリュミネーを封鎖されても、エトルリアと翡翠海を経由すれば遠回りでも問題は無いわけで、あとはそれを他国が黙認するかどうかとなるのか。
その意味ではフルセンは内陸側のイシュタールを牽制するためのカードにも使える可能性があるだけに、もしもイシュタールが「基盤強化」のために他国の主権制限などに出た場合、それを行使するのか。
とにかく「百日戦争」時には明らかに局外だった、西方半島が重要な戦略的ファクターとして新たに浮上してきただけに、その全体的なパワーバランスの再編は必至。
その辺りの説明についても『レジスタンス』外伝には大いに期待しているところで。
ご神体
陣さん、貴方と会話したいわけじゃないんで。
コメント読めばレスがどう向かっているか分かるのでは?
とくめーさん、お手数ですが名前を書いてコメントいたただけないでしょうか
私としては不愉快なので
>パウロ
そうですよね! 交易を主体に置いた国家で、“戦争するのは馬鹿らしい”と言っていましたしね。
フルセンが海賊行為を行うのは確定で、数年も続けば国内に産業となってしまうと思うんですよ
たとえば、略奪品を買う商人や、身代金交渉のスタッフ、それらが滞在する宿etc
そうなったらなかなか止められない、と思うのですが、どうでしょうか?
関係ないけど、タコの“パウルくん”は死んじゃいましたね…
>リュシアン
その口調は確かにキャラを掴んでますが、そんな話し方したらドモスの宿将たちは怒りそうで(笑)
ジェネシスのアンサンドラのクラナリア、を見ていると、ロレントは本当に内政には興味なさそうです
よってそういう助言者を求める将が居るのか?と言うことがまずキーになっちゃいそうですね
FXMC
基本的にヒトに興味がない私は、相手よりもテーマを見てレスをつけてるんすよね。
他人宛のレスに横入りしちゃいけないってすると、ドモスの案件は陣さん宛のレスだったわけで。
ケンカなら他所でやって。
>陣さん
過程に過程を積み上げるのは二段重ねくらいまでにしときましょう。予測の精度が8割あっても3つ重ねると51.2%、7割の三乗なんて計算したくもありません。
シェルファニールにとって、同盟諸国に求めるものが少ないイシュタールは組みやすい相手です。盟主イシュタールに対してパウロ君がどう振舞うかよりも、通商国家らしい腹黒宰相を青二才の盟主が制御できるか、という観点で見たほうがいいと思います。
>ご神体さん
リュシアン君はあんな感じでしょう。自国の将軍相手にも、ああだったじゃないですか。
大丈夫ですよ、ドモスの将軍たちも「性格と能力は別物だ」と分かってくれるはずです。彼らの主君たるロレントだって若い頃から傍若無人だったし、生意気な外様言うたらヒルクルスもそうだった。
ドモスで、リュシアンの助言を求めそうな人材というと、二重王国で人質やってたロシェ王子が思い浮かびます。
リュシアンは、名誉欲や好戦性の乏しさ、それゆえの冷めた戦略眼、好色な性格、冷遇のち抜擢大活躍と、セリューンに似た能力と経歴を持っています。
小ロレントの王子様 (ロシェ)と、小セリューンの軍師(リュシアン)のコンビってのは、ハーレムシリーズの次世代キャラにふさわしいかと。
ご神体
お手数&面倒掛けてすみません
まあ、気分の問題なんで。
自国の将軍の場合は、一応王族だからってのもあると思うのですが、亡命元王子の例を出されると、そうかもって気になりますね
とはいえドモスが大きくなって10年とか経つと、よそ者意識も大きくなっているのか、とジェネシスを読むと思ってしまいます
私はイシュタールに期待しているので、できればドモスも分裂か権力争いをしないかなぁ、と
案外アッサリ決まってしまって、セリューンとかガッカリしてしまうかも(笑)
陣
確認が遅れましたが、流石のご賢察感謝させていただきます。
それでは最後に、話を『レジスタンス』のラストの解釈にまで戻しますが、現状と比較して考えるならば、(1)ドモスとフルセンの直接激突(2)フルセンは一定の地歩を旧フレイア領内に得るが、ドモスも西海に進出する(おそらくはバロムリストの征服ないし臣従同盟化)(3)それに対抗してのフルセンの海上戦略の発動というところでしょうか。
まあ。早くても来年も後半くらいになってからのことでしょうが、とにかくまずは来月の新作と。
ご神体
お久しぶりです、とくめーさん
貴方は個別の人との関係を煩わしいと感じる傾向にあるようですので、私からは記事に対するコメは一つか二つくらいにして貰うかすれば、変な雰囲気にならずに済むと思うのですが、どうでしょうか?
ハーレム関係の掲示板を見て老婆心ながら書かずにはおれないもので
私からはこれくらいで
興味無いかもですが HOLY EMPIRE BBSとか良い参考になるやも知れません
FXMC
>陣さん
北西部はまあそんなとこですかね。バロムリストはどうみてもドモスの攻勢限界の向こうなので、外交とか上手い手がいりそうです
>ご神体さん
ずいぶん身も蓋も無い表現を、まあそのとーりなわけですが
現在のグダグダモードに個人的には問題を感じてないんでこのままでいいかなあと
ご神体
あまりにストレート過ぎましたか(苦笑)
でも、ご自分でおっしゃっていたことなんで大丈夫かなぁ、と
まあ、自分で自覚していても他人に指摘されると腹が立つ、というのはある事なんで、申し訳ない
個人的に問題人物と思っているので顔を出させてくださいm(_ _)m
しかし、二重王国はともかく(とはいえ将来的に継承やオルシーニとサブリナをどうまとめるかとか問題山積みですが)、経済的に厳しいドモスはどうなのか
どう考えても農業が基盤の社会の大陸で商売を経済基盤にしても…
交易には相手が要ることなんで、征服主義とは路線が違いますよね
世界恐慌後のブロック経済のようなモノも、反乱が続く国内情勢から成果は挙げ難いのでは?
クラナリアのバックを持ったアレックス、ドモス軍の支持のあるロシェ、ドモス重臣のステファンのバックのリンダの産んだ王子も可能性はあるんじゃないかと…
リュシアンくんも身の振り方は考えざるを得ないのですが、フレイア戦線だけで戦ってるとすれば人脈薄いですね…上司?のヒルクルスは友達居なさそうだし
2010-10-17
ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (6) 承前
このエントリは、
『ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (1)』
『ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (2)』
『ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (3)』
『ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (4)』
『ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (5)』の続きです。
まずはそちらからお読みください。
『サクラ大戦』の特長と限界
セガVSソニーのゲーム機戦争において、セガ陣営でゲーセン系ゲーマー以外の支持を集められる数少ないコンテンツ、それが『サクラ大戦』シリーズでした。そのことはセガの側でも強く意識していたようで、テレビCM(ああ懐かしのせがた三四郎)など、美少女ゲームではありえないほどの宣伝体制が組まれていました。そして、シリーズ1作目から4作目まで順に、35万、50万、30万、25万本(いずれも移植含まず)と、それに見合っただけの成果を挙げてきたのです(5はより有力機のPS2にハードを移したのに20万本でしたが、それですらほとんどのエロゲ及びエロゲ移植ゲーを越える数字です)。
エヴァ・ショック以降、作家と視聴者の自意識に溺れるアニメ界などをよそ目に、エヴァ以前のエンタメのルールに忠実に「愛と正義の物語」を貫いたこのシリーズは、子供向けアニメを好んで見るような比較的低年齢層のオタク(予備軍)から、エンタメノリにどっぷり浸ってきたやや高年齢のオタクまで、美少女ゲームとしては例外的な幅広い支持を得ることに成功しました。
もちろん、高画質のアニメーションや音楽、経験豊富な実力派ばかりを配した概ねハズレのない声優陣(黒歴史もいないことはないが)という、大人の鑑賞にたえるクオリティあっての話です。
従来の美少女作品より上の(つまり経済力に余裕のある)年齢層のファンを持っていることは、グッズや関連商品等の展開に大きくプラスに働きました。「舞台」なんていう客単価の高いメディア展開は、より若いオタクがブームを主導したLeafやKeyの原作では不可能だったでしょう。
とはいえ、そこには諸々の限界がありました。
なにより大きな問題は、これがセガのハードから出たセガのソフトだったということです。サターンやドリキャスは所詮は2番手ハード、しかもユーザーの多くはゲーセン系のゲーマー。シリーズ各作がPSやPCに移植され、一世代前の作品であるにも関わらず新たなファンを得ていることは、コンテンツとしての優秀さを証明するものですが、それゆえに、なおさら、最初からもっと有力なハードで出ていたらと惜しまれます。
また、広井王子という単一のゲームマスターに管理されたメディアミックスは、上手くいったものの方が多いのですが――、二次元文化・美少女文化でメディアミックスの中核となる肝心要の地上波アニメ版(2000年)。これが、その、暗い。原作関係者が強く噛んでて、制作もマッドハウス(『カードキャプターさくら』のアニメ(98)の会社)、作画水準が著しく低下していた00年頃にしては画は悪くないし、脚本も、川崎ヒロユキだし、出来が悪いわけじゃないんだが、とにかく、暗い。
ラブコメ分とギャグ分を大幅に減らして劇団の人間関係等をシリアスに――それってもう『サクラ大戦』じゃありませんよね。エンタメの設定を真面目に突き詰めるとブラックジョークにしかならないという、メディアミックスによく見られる落とし穴に嵌り込んでしまいました。これ以降、ゼロ年代を通じて、美少女系作品のアニメ化は、黒歴史続発の地雷原です。キャラ物って、キャラ理解さえ外さなければ、それほど悲惨なことにはならないはずなんですが……
それから、エヴァ・葉鍵以降の二次元作品において、売上とは別ベクトルで作品の人気を示す指標として、ファンの側での「二次創作」が重要ですが、あれだけ売れた美少女ゲームにしては、どこか物足りない。埋めるべき隙間が公式の外伝的エピソードで既に埋められてしまっていて、ユーザー側で付け足せるものといえば、もう、エロくらい。なので、サクラの二次創作というと、エロ同人ばかりな印象。同時期の美少女ゲーム――作品世界にユーザーの想像を許す空白が多かった葉鍵やシスプリほどには、主体的なファン活動は盛り上がりませんでした。
加えて、『サクラ大戦』が“語られない傑作”になってしまった大きな理由は、極めてウェルメイドなエンターテイメント作品であって、作家や読者の自意識をあらわにするような「ブンガク」が大好きな評論家から、きちんとした評価を受けなかったこと。
普通のファン・レビュアーからは十分高評価を受けてたけど。そういう思想性を持たない同時代人の評価って、10年もしたら歴史の表面から消えてしまいます。
結果として、先鋭的な“話題作”ばかり連ねたような“歴史”が残って、『天地無用』とか、あかほりさとるとか、ハーレム系作品の流れは“なかったこと”になってしまうんですよ。
語られぬ歴史をネットの片隅に残しておくこと、それが微力な私にできるせめてもの努力というわけです。
おつかれさまでした
今回は後半なんか失速気味になってしまって申し訳ありません。
次回は、98年の『ラブひな』を予定しています。
ほかに96〜97年のハーレム系作品ってーと『ナデシコ』とかあるんだけど、サブヒロイン要素をほとんど投げっぱなしにしてますし。
サブヒロインの扱いがアレなのは『ラブひな』もですけど。
ええ、GS美神の回に続く「少年漫画誌でハーレム系って難しいですね」話の第二弾になる模様です。
chekisora
お疲れ様です。
サクラ大戦はリアルタイム当時に興味あったのですがサターンやドリキャスを持ってなくて手に取れなかった過去が……。
ソニックなんかもそうですが、あの頃のセガは敷居が高い印象がありました。
今は移植版も出てるそうなんで生活に余裕が出たら触れてみたいと思います。
例の合体攻撃の動画は面白かったです。ああいうノリ好きですね。
エンタメの設定を真面目に突きつめてブラックジョークになったと言えば、たまにTwitterで仰られる「空鍋」を思い出したのはここだけの話。
アレが幼馴染や妹に与えた悪影響はいかなるもんでしょうかねぇ……。
FXMC
ええ。エンタメの設定を真面目に突き詰めたらブラックジョークに・・・というのでイメージしてるものの筆頭は空鍋で。
いま、手元に『カオスアニメ大全』というインフォレストのムックがあるんですよ。著者ははてな界隈では有名な有村悠。第二章「萌えアニメ」では、まぶらほ・まおちゃん等のカオスアニメが並んでいるのですが、なぜか空鍋はない。どこにあるかってーと、第四章「トラウマアニメ」の分類に……
一ヶ月遅れのクレクレ君
お疲れ様でした、趣旨とは違うのでしょうけど懐かしかったです
ただ……「これが、その、暗い」でどーしても引っ掛かっちゃったので
野暮と我侭を承知で一個だけ溢してもいいですか
サイト主の史観において第一作における"あの"終盤の展開はどういう扱いなんでしょう?
いや、その、巷でもアレコレ突っ込んだとは聞いてるんですがw
なんでいきなり○○○○○なんだよ、という理不尽はさておくと
「1」の時点では元々ストーリーとして色々暗ーい話だったのが
(○○○さん死んじゃうし)
むしろシリーズが進むに連れて、より明るい話に志向していった印象なので
「1」のアニメ版を指して「その、暗い」で切り捨ててしまうのもどうよ、と。
勿論ウリにするとこが間違ってただろという指摘は解るのですが
あの根底にあった暗さとその後の変化、シリーズとしてのサクラ大戦の変遷(に、伴う大神さんの成長と超人化)は
どっちも作家性や作品性のみで為せた業というより時代の影響下にあったと思うので
"90年代"を銘打ったからにはちょこっと触れて欲しかった気が。
FXMC
サクラ大戦自体が「アニメの手法」に乗った作品ですので、サクラ1の終盤は、アニメによくある「終盤の無理矢理なシリアス展開」がちょっと暴走した結果だと私は思っています。
ワタルやラムネのシリーズだって、だいたい終盤はシリアスしてましたよね。このハーレム系作品史の企画でいえば、天地のテレビ版とかも、最後2話くらいマトモにバトルやってたじゃないですか。アリバイ作り的に。
サクラ大戦TV版と時代性という点でいえば、エヴァに引きずられたような代物がオンパレードだった当時のアニメ界の影響は大きかったように思います。とはいえ、原案の広井王子がそれを認めてるように、あれはあれでサクラの企画が持ってた一面で、サクラって企画が陽性の恋愛・冒険譚一辺倒でなかったというのもまた確か。
でも、サクラ大戦という企画において、プレイヤーに受け入れられ、求めてたのは、むしろ(90年代前半的な)前向きな主人公が牽引する明るい物語だったわけで。
このあたりの、製作側とファン心理の乖離が、サクラの一部の派生展開の失敗に響いているかもしれません。
ファンの望まない物語を、ファンに押し付けようという姿勢は、失敗するのが常でして。そういう事例は、これから何度か書くことがありそうです。
2010-10-16
ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (5) 承前
このエントリは、
『ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (1)』
『ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (2)』
『ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (3)』
『ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (4)』
の続きです。
まずはそちらからお読みください。
あーあ、一ヶ月以上あいちゃいましたね。
書き足しするとか言ったけどほとんど書き足せてないの。ごめんね。
ハーレム系作品としての『サクラ大戦』
で。ここでようやく、いつものキャラクター紹介にいきましょうか。
大神さんについてはシステムと絡めて十分に語ったので、隊員として、場合によっては恋人として大神さんを慕うことになる、13人(!)のヒロインについて話をしましょう。なにぶん13人ですので流していきます。
『サクラ大戦』第1作(96)のヒロインは6名。
真宮寺さくらは作品の顔ともいえるメインヒロイン。黒髪にさくら色の着物が似合う素直で明るい大和撫子。メインヒロインとしての彼女と過ごすイベントは申し分ないんだが――他のヒロインが絡むと露骨に嫉妬癖を発揮してくる。ロリっ子にまで。こういう嫉妬描写はメインヒロインによく見られるものであるが、ただでさえ優遇されているメインヒロインが独占欲を露骨に発揮するのは他のヒロインとそのファンに取って不当な圧迫にみえる。さくらの場合、性格自体は悪くないのが救いだが――“いらないメインヒロイン”になってしまった事例については、今後語る場もあることだろう。
神崎すみれは、花組のトップスタアを自称するタカビーお嬢様、ありがち二番手ヒロインポジで、好感度低いうちはストレス溜まるタイプ、名前間違えられるし。でも実は、ただわがままなだけではなく、プライドが高いだけに舞台や戦いには常に全力を尽くす努力家だったり、ライバルの桐島カンナが絡むとギャグキャラ枠もこなしたりする器用な万能選手。
マリア・タチバナは真面目でクールなロシア系。大神さんの着任までは隊長で、その後も血気にはやる隊長を諌めたり、女の子に甘く歌劇に疎い大神に代わって隊員を指導する副隊長格。たとえメインヒロインとしてお付き合いするのでなくても、隊長として信頼を勝ち取るのが嬉しいお姉さんキャラだ。
イリス・シャトーブリアン(アイリス)は天真爛漫で泣き虫なロリっ娘。見た目も性格も幼いアイリスを、ちゃんと恋人として扱う大神さんは“紳士”だねっ。ジェントルマンか変態紳士かは悩むけど。
李紅蘭は関西弁メガネメカフェチ娘っつー属性三段重ね。ムードメーカーとして、技術者として、チームを支える謙虚な脇役。そういうキャラを“メインヒロイン”として扱えるのがAVGゲームの強み。
桐島カンナは2メートル近いマッチョな肉体を持つ格闘家な姉御。CV:田中真弓。一見、ヒロインに見えない彼女だが、仲間思いで怖がりで照れ屋な乙女だ。タカさんってゆーな!
メインヒロインのさくら以外は典型的な「脇役タイプ」で、80年代の学園ラブコメのようなキャラ構成ですね。脚本もあかほりが「女学生のような雰囲気」(設定資料集)って言ってます。今となってはちょっと古くさく思えますが、97年の『ToHeart』も、サブヒロインは見るからに脇役っぽいほぼ80年代ラブコメそのままの構図。時代に遅れてるというほどではありません。
シナリオは、個別イベント以外でヒロインごとに分岐したりしないほぼ一本道。繰り返しプレイは正直たるいです。
とはいえ、悪い話ばかりではありません。個別シナリオ重視の作品のように、選ばれなかったヒロインが姿を消してしまうことなく、チームの仲間として大神さんを支え続けてくれるのは、ハーレム属性的には好印象です。
2作目(98年)では、追加ヒロインが2名。既に大神隊長を深く信頼している引継ぎの6人では、「仲良くなる過程」を書けないんで、追加の2人はその分「過程」と「変化」が強調されるようなキャラクターになっている。
片方が、イタリア貴族、ソレッタ織姫。ヘンな日本語、大神さんに敵意むき出し、えらそーな態度と、ぶっちゃけすみれの2Pカラー。イタリア出身のコテコテキャラなんで、フラグ立ててからのデレ分もそれはそれは情熱的。
もう片方が、ドイツから来た少年兵、レニ・ミルヒシュトラーセ。クールで無表情、言うまでもなく“実は女の子”。イベントを通じて大神さんに心を開き、次第に感情をあらわになっていくように――と、無口無表情キャラと中性的な女の子の合わせ技が効いてます。髪の毛も銀髪だし、ルリなんかと合わせて、綾波と長門の間を繋ぐリングの一人。
ここまで8人が帝都組。3(01年)では大神さんはフランスの巴里華撃団の隊長になって、5人の現地妻(笑)をこしらえます。
帝都花組が、メインヒロインを中心とした古典的なラブコメの構図を踏襲してるのに対して、パリのメンバーは、単独で“メインヒロイン”たりうるヒロインが複数並立するような構成(まあコクリコはロリ枠というべきだろうけど)。このあたり、美少女系作品が90年代に迎えた大きな変化――“マルチヒロイン”の流れをきちんと押さえてる点に注目です。
メインヒロイン、エリカ・フォンティーヌは天然さん。明るく元気でメゲないボケ娘に、大神さんも振り回されがち。どのくらいのボケキャラかというと、シリーズのファンディスク的な作品である『ドラマティックダンジョン』で、「時々コケてアイテムをぶち撒ける」という特性があるほどだ。
毎度おなじみタカビーわがままお嬢様は3作目でも健在。今回のツンデレお嬢、フランス貴族のグリシーヌ・ブルーメールは、戦斧を振り回す武闘派で、大神さんはいつにもまして体当たりが要求される。攻略後の一途さと色っぽさもいつもの通り。
対して、今までサクラシリーズにはいなかったような異色ヒロインが、ロベリア・カルリーニ。クールでダーティなパリの大悪党、懲役1000年、炎を操る女アルセーヌ・リュパン。“正義の味方”な大神さんや華撃団な面子とは対極的なキャラクターで、よくグリシーヌとぶつかるし、大神さんともガチンコ。……大変ですね、巴里の大神さん。
唯一手が掛からないのが同じ日本人の北大路花火。日舞に書道、弓道までをマスターし、控えめで従順、三歩下がって男を立てると、大和撫子たらんとする日本を知らない日本人。しかし日本からやってくるのは、パルパルさくらや高笑いすみれ、大和撫子ってなあに?
ロリっ子枠、ベトナム(仏領インドシナ)出身のコクリコは、陽気で奔放な分かりやすい年下キャラ。まあ、アイリスほど“レディ扱い”を要求しないので、アイリスの時ほど“変態紳士”に見えないのが救いかなあ。
そんなこんなで13人。
『シスター・プリンセス』の12人も多すぎだろといわれましたが、それ越えてます。
第4弾(02年)は、帝都組と巴里組が合わさる集大成。13人の個別ヒロインエンドに、事実上のハーレムエンドまである「シリーズ完結編」。いやあ、よくぞそこまで突き抜けたものです。
しかしながら、この頃、セガVSソニーの対決はソニーの勝利でもう決着が付いており、ドリームキャストというハードは生産中止が確定。“ドリキャス終了まであと1年”という制約の下で作られた4作目は、これまでのシリーズの半分ほどのボリュームに、倍のキャラクターを突っ込んでいっぱいいっぱいな感じ。キャラ同士のポジションもかぶってますし。
正直、ゲーム単体としての出来は「評価不能」レベル。
“本編を前提にした劇場版”的な意味での盛り上げは出来ているけれど。
これ以降のサクラ大戦シリーズは、なんというか悲しい迷走っぷりでして。
巴里華撃団を扱った外伝的作品『ミステリアス巴里』(04年)は、巴里華撃団シャノワールの新人明智ミキと、その兄明智小次郎を主人公とした「本格推理アドベンチャー」。うわあ。別主人公で大神さんの嫁たちの好感度稼ぐとか誰得だし。
第5弾(05年)は、メディアをPS2、舞台をニューヨークに移し、主人公を大神さんの甥の大河新次郎に換え――でも、それってもう『サクラ大戦』じゃありませんよね。パリを舞台にしたサクラ3が「パリシィの呪いってなに?」だったからって、ニューヨークなのに敵が信長はないと思うし。
飛び級設定に“男の娘”属性を組み合わせても、新次郎くんでは大神さんの後任は厳しい感じ…というか、大神さんの後任なんて、誰にやらせたって手に余るよっ!
広井王子は『サクラ大戦6』を作る意思があるそうですが、その、もう、いいんじゃないかな。
主役が大神さんでない『サクラ大戦』をこれ以上作ってもしょうがないと思います。
「大神さんとたくさんのヒロインたち」という構図あっての、サクラ大戦シリーズです。
匿名希望
最後のあたり、なんとなく『天地無用』シリーズに似てるかなあ、と。
ゲームではなく、GXP・聖機師はそれぞれに数多ヒロインが居るわけだが。
「シリーズ御馴染のサブキャラ」とかなら寡聞にしてMemoriesoff稲穂信D.C.杉並なんてのもいて、彼ないし彼女居てこそ、という作品もあるだろうけど、
「ヒロインあってのギャルゲー」というより「大神さんあってのサクラ大戦」なんてのは大神さんという卓絶した人材なくして成立しないかもで、前者にした所で前作ヒロインを時系列を異に別主人公で攻略する事例はあまり多くない……筈?
(同級生田中美沙/とらハ千堂瞳/D.C.アイシア等。あとは”サブキャラ成長ヒロイン型”だが直ぐに出てこない)
ななし
アリスのランスやTriangleの魔法戦士シリーズのメッツァーとかかな?
FXMC
『天地』も、別主人公や主人公不在の派生企画は、パッとしませんでしたねえ。
主人公変更で誰得といえば、筆頭はセングラ2でしょうか。続編というのはいろいろ難しいものです。近年もアイマスがニコニコ御三家陥落間近とか騒がれてますし。
主人公引継ぎヒロイン交代・・・エロゲなら確かにありますね。
挙げてもらったランス君や、シリーズ続くたびにヒロインに逃げられてるメッチー、悪霊となって復活した勝沼紳一様、ランスもドン引きするというたっちーの☆さま。・・・鬼畜ばっかりやないか!
2010-09-07
ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (4) 承前
このエントリは、
『ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (1)』
『ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (2)』
『ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (3)』
の続きです。
まずはそちらからお読みください。
もう4回だよ、どうしよう。
ゲーム形式:AVG+SLG(SRPG)
ようやく、『サクラ大戦』本体の話に入りました。
公式には「ドラマティックアドベンチャー」などという恥ずかしいジャンル名が冠されていますが、ゲーム形式はよーするに、戦闘パート付のアドベンチャーゲームですな。
ま、一話の流れを追っていく形で説明していきましょう。
『サクラ大戦』というゲームを起動すると、ロゴのあとに出てくるのは美麗なOPムービー。田中公平渾身の『檄・帝国華撃団』、人呼んで「ゲキテイ」。
素直にゲームを始めれば、第一話開始後間もなくまたムービーが。帝都の街並み、そこに潜む魔物。ヒロイン真宮寺さくらの顔見せシーンでもあるのですが、それだけでなく「世界観の提示」にムービーを使っているのが広井王子のセンスの良さです。
で、その「世界観」というのが、「太正」という、蒸気技術が史実より発展したスチームパンクな大正時代。英米系のフィクション作品では、ホームズ・ドラキュラ・ウェルズ作品の舞台でもある“ヴィクトリア期ロンドン”がよく舞台として用いられるのですが、その日本版というわけです。実はたっぷりと用意された裏設定を、ひけらかさないのが後のゼロ年代的作品群にはない慎み。
主人公、大神一郎は、新任海軍少尉。海軍士官学校*1を主席で卒業後、秘密部隊「帝国華撃団」の隊長として銀座“大帝国劇場”に送り込まれる。
ところが、劇場の支配人、日露戦争の英雄米田中将は日の出てるうちから酔っ払う昼行灯、彼に与えられた仕事は、帝国“歌劇団”の雑用係。エリートの矜持を打ち砕かれた大神さんが、劇に情熱を燃やす少女たちと出会い、それでも今できることをするしかないと覚悟を決めたところで、実は歌劇団は歌と踊りで帝都を鎮護する仮の姿、本当は帝都を守護する秘密部隊だったのだ! 出撃! と。
これ以降、『サクラ大戦』という作品は、“帝国歌劇団”を舞台にして隊員と触れ合うADVパートと、“帝国華撃団”を舞台にして敵と戦うSLGパートの繰り返しで進行することになります。
日常パートとバトルパートの繰り返し。ヒロインたちとの日常が戦う力の源となり、主人公の奮闘がハーレムシチュに正当性を与えるという、元祖ハーレムアニメ『天地無用』から、『ゼロ魔』『禁書』といったラノベ発のヒット作まで、バトル要素を含むハーレム系作品に脈々と続いていく黄金律です。
しかも、1話ごとのエピソードが日常とバトルのセットになっているだけでなく、ソフト1本全体を通して見れば、序盤から中盤にかけてがヒロインと触れ合う「日常パート」、クライマックスがヒロインとともに戦う「バトルパート」の役割を果たしてます。日常とバトルの構図を二重に使っているわけです。
んで、『サクラ』の日常パートたるADV要素についていいますと――
後の(現在の)美少女ゲームと較べて、まず「選択」の多さが目立ちます。事あるごとに劇場を歩き回らされ、会話では選択肢を問われます。しかも時間制限付だったり、シナリオ途中ではセーブできないセーブポイント方式なので、エロゲのように適当に選んで選択肢に戻るとかいうのもできません。正直、ADVゲームとしては冗長かつ面倒です。
まあ、安心してください。『サクラ大戦』の選択肢は、ミスってもバッドエンドに突っ込んで補習授業を受けさせられるようなものではありませんので。
選択により変化するのは、主にヒロインの好感度(音がなるのですぐわかる)。最近の美少女ゲームではヒロインごとに個別のストーリーがあるのが普通ですが、『サクラ』の本筋は基本一本道でどのヒロインでも変わりません。
数多い選択の本当の意義は、テキストを見るだけで受身になりがちなプレイヤーと、大神一郎という主人公、ひいては『サクラ大戦』の作品世界を接続することでしょう。
この手の美少女ゲームの中でも、大神一郎という主人公の評価の高さは異例の域です。本編だけで13本旗を立ててもハーレム属性を持たない人たちから非難されず、外伝や続編を「主人公が大神さんでないからダメ/買わない」と言う人がいるほど。
基本は真面目で硬派な海軍軍人で誠実にヒロインたちと向き合うかっこいいヒーローなんだけど、(ロリコン)お兄さん役やいじられ役から、はては風呂場で「身体が勝手に…」なんてネタもプレイヤーの選択次第で自在にこなし、それでいて、キャラに分裂した印象を抱かせない。(インパクトのある髪型のおかげもあって)“顔のない主人公”にもなってませんし。
二の線でも三の線でも、きっちりプレイヤーの期待に応える主人公っぷりは大神さんの魅力です。ADVゲーム形式(主人公視点)の作品の主人公になにより重要なのがこの点でして、エロゲ媒体などでヘイトを稼ぐ主人公といえば、なにより「肝心な時にヘタレる」「プレイヤーの選択を無視する」など、プレイヤーの期待を裏切る奴。
先ほど、『サクラ大戦』のADVパートは、“ADVゲームとしては”冗長かつ面倒だといいました。
しかし、大神さんと共に(あるいは大神さんとなって)劇場を歩き回り、ヒロインたちと会話する、サクラ大戦のADVパートは、プレイヤーと作品世界を接続する“インターフェイスとしては”非常に良く出来ています。
戦闘シーンはSLG、最近はSRPGなんて言い方もしますな。
マス目を区切ったマップの上で、大神さんや指揮下の美少女たちの機体を動かし攻撃させ敵を倒す。ここでも、指揮官である大神さんの立場と、機体に指示を出すプレイヤーの操作が、きちんとシンクロしています。
SRPGというゲーム形式は、RPGよりもキャラ要素との適合性が高く、特定のキャラに愛を注いで贔屓しやすいシステムになってます。RPGではだいたい均等割の経験値もSRPGでは特定キャラでとどめを刺させて集中させられますし、装備がシナリオ進度に制約されがちなRPGより資金やアイテムの重点配分もしやすい。SRPGスタイルのシリーズには、『POWER DOLLS』『ファイアーエムブレム』『ラングリッサー』『スーパーロボット大戦』など、女性キャラが人気を博した例が多く見られます。アダルトゲームでも『うたわれるもの』という成功作があり、またエウシュリーが好んでこの形式を採用しています。
『サクラ大戦』の場合、これらのシリーズのような経験値や改造のシステムはありません。代わりにユニットの強さを決めるのが、ADVパートでの大神さんと各ヒロインの好感度。大神さんがきちんとヒロインみんなに目を配ることで部隊が全力を発揮でき、中でも好感度の高い一押し娘は攻防性能が上がって戦闘でも特に活躍できる。機体は霊力≒意志の力で動くという設定の反映であると同時に、また例のあれ、日常の中で培う想いが戦う力になるという構図の反映なわけです。
大神さんとヒロインの心が通じ合うと、合体技なんて真似までやってのけます。破壊力は抜群です。主にプレイヤーの腹筋への。さあ、見ろ、そして吹け。→サクラ大戦合体技集 in ニコニコ動画
ちなみに。『サクラ大戦』シリーズのSLGパートの難易度はかなり低いです。SLGになれない人でも、2〜3回でクリアできるでしょう。
さらに未熟なプレイヤーをサポートするのが大神さんの特殊コマンド「かばう」。敵の攻撃を大神さんが受け止めダメージを無効化し、さらにヒロインの好感度も稼げるというありがた救済措置。これのおかげでADV・SLGとも安心してぬるプレイができます。大神さん、ヒロインにとってだけでなく、プレイヤーにとってもマジヒーロー。
そういうわけで、SLGパートもまた、ただの詰め将棋のゲームではなく(むしろ「ゲーム」と解釈するには展開が平板で難易度が低すぎる)、ADVの選択肢同様、作品世界とプレイヤーを接続するインターフェイスの役割を果たしているわけです。
戦闘で勝利すると、「勝利のポーズ、決めっ!」という小っ恥ずかしい決め台詞があって、大神さんもプレイヤーも戸惑ったりするのですが、ゲーム1周プレイして、10回くらい繰り返すと、これも当たり前に思えてくるから不思議なものです。
前置きに比べて、本編(サクラ大戦論)が短かったので書き足し中。とはいえ、あと2回くらいで終わるはず。
*1:史実の日本海軍の士官学校は「海軍兵学校」で、おそらくは用語を使って史実との「ズレ」を示す技法のひとつ
匿名希望
こうして特徴を並べると、時系列あやふやだけど後発作品に通じる要素が幾つか覚えあるなと。何処が始点かという問題でもないけれど。
・期せずして始まる同居生活(「最初は」必ずしも良好でない)→ラブひな・とらハ2
・ADVとマップSRPGを兼ねる→StugeoEgo(IZUMOなど)
・選択肢時間制限→とらハ3・Schooldays
・ヒロインのテンション=戦闘力→ギャラクシーエンジェル(少なくとも漫画版)
合体攻撃か……。随分前、もしかして今もかもしれないが、週少ジャンプ・Vジャンプあたりで特集記事を見た気がする。推定「ラブラブ天驚拳」が先立って現在へ至り、「ロイヤルハートブレイカー」へと連なる……っ。さあ見に逝くか。
tdaidouji
時間制限付き選択肢については学園ソドムが確か先行してますので一応書いておきます
Yoneda
個人的には海軍士官学校については、単にわかりやすさを優先した改変で、世界観をあらわすための技法ではないと思っています。
「合体攻撃」については仮面ライダーのWライダーキックから綿々とつながっているわけですが、それを美少女ゲーに応用してして、しかもあんな演出を挟んで、美少女ゲームの演出として昇華してまったのが凄いといえるでしょうね。
yusuke22
ゲキテイ歌っている横山智佐さんとくれば、ジャンプ放送局に長い間登場していた人ですよね。横山さんを起用した理由がわからないんですが、よく訓練されたジャンプ読者層を取り込みたいという意図があるとしたら、主人公が女の子を守る!という少年向け熱血バトル漫画の構図になるのは、当然なのかもしれませんね。
aaz
サクラ大戦の声優は広井王子さんが舞台演劇を見に行って選んでるんですよね ジャンプ放送局は関係ないんじゃ 大神一郎役に関しては手違いで声優が居なかったから、他の用事で居た陶山章央さんを『君、声優でしょ、今から来て』って言ってオーディションを通したくらいですし
天外魔境の頃から広井作品と横山さんは付き合い長いからで
良いんじゃないの? 空想科学世界とかあの辺も出てたでしょ?
そもそも何が縁なのってことならまた別の話だけど。
FXMC
お返事いろいろまとめて。
『サクラ』の諸要素自体は、先例もあればその後も各地で散見されてるので、特殊というほど特殊ではないようです。やってることは、自体ふつーのことばかりなんですよ。あの完成度と、あの規模の企画でやったってことが珍しいだけで。
横山智佐と広井王子の馴れ初めはよくわかりませんが、ジャンプ放送局絡みもあるかもしれません。というのは、ジャンプ放送局のさくまあきらと、広井王子は、ともにハドソン人脈の人だからです。
2010-09-05
ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (3) 承前
このエントリは、
『ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (1)』
『ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (2)』
の続きです。
まずはそちらからお読みください。
キャラクターデザイン:藤島康介 with 松原秀典
現役作家をこう評するのもどうかと思いますが、藤島康介は「'90年頃の代表的な美少女漫画家のひとり」です*1。
ササキバラゴウ『〈美少女〉の現代史』によると、80年頃に支持された美少女像は「かわいい」「まんがっぽい」「少女らしい」絵で描かれる傾向があったそうで、それが80年代を通じて、だんだんボディの質感が強調されるように。その背景には、大友タッチの普及、美少女フィギュアの流行といった「立体志向」があるんだそうな。ササキバラがそういう美少女漫画家の代表例として挙げているのが、士郎正宗、桂正和、遊人、八神ひろき。
藤島康介もこの系統に属する美少女漫画家で、少年漫画的な画風から、写実的な肉体表現やトーン・描線が丁寧で端正な画風へという変遷をたどっています。
また、士郎正宗(61年生まれ、85年デビュー)、桂正和(62年生まれ、81年デビュー)、藤島康介(64年生まれ、86年デビュー)、それに園田健一(62年生まれ、85年デビュー)といったこの世代の美少女漫画家の多くは、メカに対するマニアックな偏愛を共有しています。美女もメカもどっちも好き。岡田斗司夫ら古参オタクが嘆くオタクの細分化は、この頃まだ顕在化していませんでした。彼らは「モノ」を描かせても一流の絵描きで、その機械趣味もまた、「立体志向」「写実志向」のベースになっているように思います。
藤島康介はもともと江川達也のアシなのですが、作品を見るにその影響は希薄なようです。師匠と比較すると、その対照性から藤島のスタイルが見えてきます。
江川が『まじかるタルるーとくん』『東京大学物語』『日露戦争物語』と一貫して「人間の生々しさ」を描くことに熱心なのに対して、藤島はそういったものを徹底的に回避しています。違いがわかりやすいのは、性に対するスタンス。また、お約束を無批判に踏襲すること嫌う江川に対して、藤島は物語を落ち着くべきところに落ち着かせる予定調和の美学の人。作画も、江川が少年漫画的にガシガシと描き込むのに対して、藤島は製図のように写実的に描き込むタイプです。
事実上のデビュー作は『逮捕しちゃうぞ』(86-92)。婦警二人のバディもの。高千穂遙『ダーティペア』(80)など、女性2人のコンビ、あるいはそれ以上のチームというのは80年代の美少女モノの典型的なスタイルでした。
墨田区という実在の下町に根付いた「町のおまわりさん」像、バイクなどのメカと美人婦警というオタク趣味、良くも悪くも日常の継続が約束された物語……と、要素を抜き出してみると、どうしてもアレが思い浮かびます。そう、『こち亀』。もちろん、作画も脚本もリアルかつスタイリッシュに洗練されてはいますが、ベースの部分(土着性・日常性・オタク性・安定性)では共通しているように思うのです。
次の作品が『ああっ女神さまっ』(88-)。当時としては珍しかった北欧神話系ヒロインとの同居モノ。婦警二人が軸となる『逮捕』に対して、『女神さま』は森里蛍一という“主人公”を中心に据えることで、主人公との“関係性”によってヒロインの魅力をより引き出すことが可能となり、また読者が作品世界に入り込みやすくなっています。このあたりの変化は、『天地無用』のときに既に述べた話。
とはいえ、4年後の作品である『天地』や、その後の“同居モノ”と較べると、『女神さま』は過渡期的な性質が強く、ベルダンディーというメインヒロインが不動の存在として君臨し、後発の同居モノ作品のようなマルチヒロイン的傾向は、全く見られません。それどころか、明らかに「ヒロインのライバル」であるはずの三嶋沙夜子やペイオースが、かませ役にすらなってません!
性的要素に対して著しく自制的な藤島さんの作風と合わせて、『女神さま』の蛍一とベルダンディーは、まるで老夫婦のような枯れた関係で連載20年を迎えてしまいました! 神や悪魔がどうのという話も時々やるのですが、なにぶん、予定調和に支配された、悪役のいない世界なもんで、盛り上がらないことこの上なく……
このような(良くいえば)地に足の着いた世界設定とストーリーは、映像メディアと非常に相性がよかったようです。私はアニメの研究家でないから確かなことはいえないんですが、2作合わせて地上波計5期・12クール(36ヶ月・ワンダフル及び単発番組を除く)ってのは、青年誌の漫画家としては異例の記録じゃないかと思うのです。88年連載開始の『女神さま』が、05年・07年にアニメ化されて通用してしまうというあたり、設定とストーリーの「時代を問わない王道さ」の証明といえるでしょう。
アニメ業界には、まともな製作管理のできない会社や原作を独りよがりに改変して台無しにする関係者が珍しくありませんが、藤島作品のアニメ化はそういう酷い例に突き当たることもなく、概ね安定したクオリティを保っているようです(ドラマ? なにそれ? 私のログには何もないな)。
特にガイナックス出身の松原秀典は藤島康介から全幅の信頼を受けており、『サクラ大戦』シリーズでも二人三脚でキャラクターデザインを行っています。もっとも、『サクラ』シリーズでの彼の仕事が、常にファンから高評価だったとは言い切れないのですが。
音楽:田中公平
既にとんでもない長文になってしまった関係者紹介ですが、最後に音楽の田中公平についてだけは触れておきましょう。
田中公平は70年代以来、ジャリ番一筋30年というアニソン業界の古豪です。草創期のアニメ音楽を作った今となっては神話のような人たちと一緒に仕事をした最後の世代で、その知識と経験をNHKのアニメ・ゲームソング関連の特集などでも大いに語っています。
そんな業界の長老格でありながら、今でも『ハヤテのごとく!』のキャラクターソングとか作ってるあたり、アニソン業界の生きる伝説とでもいうべき人物です。
長い業界歴でも一番輝いていたのが、90年代前半の子供向けアニメ全盛期。関わった企画としては、勇者シリーズや『絶対無敵ライジンオー』『剣勇伝説YAIBA』など。子供向けの熱血モノの音楽でこの人にかなう人はいません。
『サクラ大戦』の頃には、あまりに熱血・冒険系のお仕事ばかりが依頼されて困っていたらしく、いろんなタイプの音楽を作れる『サクラ大戦』では張り切りすぎてたのか「ジャンルがちょっと多岐にわたりすぎた」(設定資料集インタビューより)そうで。
んで、この人に関わるエピソードとして一つ触れておきたいのが『高機動幻想ガンパレードマーチ』製作におけるこれ。
矢上:「先生、ぜひ熱い軍歌を一発。」
田中公平さん:「僕は若い奴を死にに行かせるような曲は作りたくない。」
「たとえ国から依頼されても、絶対に断る。」
と言われたので流れました。この時あまりにきっぱりした言い方に私は思わず…
矢上:「い、いやこれゲームですし。」
田中公平さん:「君はゲームだからという理由で作品を作るのかい。(冷笑)」
芝村:(実はその場にいた)「確かに、その通りですな。我々もまた、ゲームを
作るにあたってゲームだからという理由で妥協なんかしません。部下の
非礼をわびます。申し訳ありませんでした。」
田中公平さん:「わかってもらえればいい。」
『ガンパレ』というのは、「種族間戦争」「設定過剰」「メタテーマ」「英雄礼賛」など、ゼロ年代を彩る諸要素が未整理のままぶち込まれた「早すぎたゼロ年代作品」です。ぶっちゃけ、『マヴラブ』なんて“よく整理されたガンパレ”に過ぎない。
このエピソードは、“アニメ音楽史の生き字引”である田中公平の掲げる“戦後アニメの理念”と、“ゼロ年代の先行者”である芝村裕吏の“ポスト・エヴァの世界設定”の、一瞬の交錯なのです。*2。
「保守」思想の持ち主で「自衛隊合憲論者」である広井王子が、近年九条の会などに関わっているのも、この文脈で理解できます。広井は戦後日本の伝統に則した「昭和の保守」であり、現在を(妄想の)戦前と直結させようというゴー宣以降の改憲派とは相容れない。
あかほり、藤島もまた昭和のエンタメ文化の流れを真っ正直に受け継いでる作家です。
『サクラ大戦』という作品は、設定は大正、技術は平成、そして理念は昭和の作品であるといえるでしょう。
ほか、サクラ大戦の関係者といえば、豪華声優陣についても触れたいところですが、紙幅も私の知識もいい加減足りないので声優についてはパスとさせていただきます。
広井、あかほり、藤島、田中と、サクラ大戦の企画の中核になる4人に共通しているのは、その専門領域で90年代前半の第一人者というべき人物であり、それも奇才や奇策によってではなく、エンタメの王道によって成功してきたということです。
そういう人たちが作る『サクラ大戦』ですから、もちろん、確かなクオリティをもった王道冒険/恋愛活劇となるわけです。
次からようやく、『サクラ大戦』という作品自体の解説に入れます。といっても――語れることはそれほど多くはないんですけど。とんがったとこや目立った欠陥なしに、全ての要素がハイレベルで綺麗にまとまった作品の凄さって、口で語っても伝わるものではありませんから。
ま、プレイするにあたって、注目するべき点はこのあたりです、というくらいの話になるでしょうか。
次は9/7くらいになるかなあ
KJIRO
「女神」は女性キャラがほとんどなのに徹底的に性的な描写は避けてますよね。
人間と女神という微妙な関係と、長期連載特有の関係性が深まるのに相まって、非常に珍しい老夫婦的ラブコメというか。
まあ、12巻でラブコメに一区切りはついてるので、それ以降は日常系の作品といったほうが正しいのかもしれませんが。
陣
藤島作品と言えば、『エクスドライバー』が結構好きですね。
普段は年上のヒロイン二人にへタレの走一が、いざ仕事になると一切の有無を言わさないところとかで、図式的にはどことなく山岡荘八の『徳川家康』を連想と。
匿名希望
藤島氏は逮捕の漫画からで、続いて女神(そしてテイルズP……)。あの人のメカ・バイク愛は相当なものだと常々。直接関係ないけど「並木通りアオバ」読んでたら思わず想起した。
「若い奴を死にに行かせるような曲」……? まんまガンパレ「突撃軍歌」、マヴラヴオルタ「未来への咆哮」。変形でマクロスF「アイモ」(眼鏡姉さん編曲Ver.)。逆さにすると「夜鷹の歌」(カバー曲ゾイドジェネシス)。直球なのはあんまり出てこない記憶不足。最近のガンダム曲に”厭戦”を見るのは勘違いかもだが。
「ゲキテイ」「御旗の下に」はどうかな……というかサクラ大戦自体が、米田爺ちゃんがほんのちょっと嘆き漏らすように(霊力の強い)若者・少女を最前線に置く話で、彼自身もかつてその類だった。若年者主軸の戦闘アニメでそれを言い出すとキリがないけれど。しかして「華撃団」=「歌劇団」であり音楽が四方八方伸び放題なのが本件の妙手だったのかも、と適当に。続きを楽しみにさせていただきます。
FXMC
>KJIROさん
性的な要素について触れられてないし、異類婚テーマも真面目に突っ込むのやめましたよね。『女神さま』の中・後期は、「日常系」を志向してるというより、いろんなものを引き算してったら日常しか残らなかったという意味で「日常系」っぽいです。
>陣さん
エクスドライバー、OVAっすか。見てないっすねー。情報を見ると、メカ志向とか、なんという90年代前半のOVAっぽさ! 2000年なのに! ストーリーテラーとしての藤島さんは正直『サクラ』の96年時点で既に時代遅れのような……
しかし、テイルズ・サクラ両シリーズなどを見ても、絵描き・デザイナーとしての藤島さんは2010年時点でも超一流で。
>匿名希望さん
若い奴を死にに行かせるような曲。とくめーが何を想起したかは秘密にしておきます。
当ブログやtwitterで何度も語っている、(戦後)民主主義と(新)自由主義、シチズンシップとヒロイズムの対比がよくあらわれてる対比としてエピソードで。
『サクラ大戦』もまた、女性・子供を戦場に立たせる話なわけですが。だからこそ、米田中将や大神隊長は「全員生還」を最優先としています。特攻とかしていいのは、米田中将だけ。もちろん総員退避ののち。死に場所を云々するのは、爺さんの専売特許でしょう。
名無しT72神信者
田中公平氏に触れるのなら、TVアニメ版「ハーメルンのバイオリン弾き」にも言及されるご予定はあるのでしょうか。
田中氏にとって、ハーメルンのバイオリン弾きのサントラの魔曲全集?に「ともあれ、曲はすべて完成し、試写で第1話と2話を見たとき、涙があふれて止まりませんでした。その時、私はハッキリ自覚したのです。この「ハーメルンのバイオリン弾き」こそ私の代表作になるだろうという事を……。」(原文ママ)
と書いており、けっこう重要な要素だと思うのですが…
原作と違ったエンドになる作品はそれなりにありますが、当人(主要キャラ)にとってはBADEND、世界にとってはHAPPYENDという作品構成
を分析し、まとめることはある意味、とくめー様の得意分野ではないでしょうか。
陣
アナクロなのは「車」だけで、後の設定は一種の近未来SFなんですよね。
「才能」のある奴はどんどん「スキップ」(飛び級)出来るところとか。
とにかく山岡版以来の「家康・築山」パターン好きなだけに、それを明らかに意識しているはずの『ハーレムレジスタンス』に入り込むことが出来たのも、あるいはそのためかもというかで。
ご神体
戦後民主主義・新自由主義、は日本に関しての言葉ですよね?
比較政治社会学、からするとそれぞれの国・文化から来る独自の民主主義・政治社会環境があって良いんじゃないか、と思いますし
マスコミでよく、自由と平等と民主主義の国のアメリカ(フランスもか、北アフリカのイスラム系移民との軋轢がありますし)、という言い方をされますが、私的には老荘の鼓腹撃壌の例からすると、その精神が実現されていれば声高にそれを叫ぶ必要はない、と皮肉な見方をしてしまいます(笑)
西欧から生まれた民主主義っていうのは突き詰めるとキリスト教がベースになっている気がするんですよね
イスラムは主権は神にある、ということらしいですし
何か記事に外れちゃいましたか…申し訳ないです
でも、違う方向に行きそうだったので、カキコミしてしまいました
FXMC
えー、続きの記事を書いたらレスをしよう…と思いつつ1ヶ月以上放置にしてしまいました。遅れに遅れましたがお返事です。
>>名無しT72神信者さん
アニメ版ハーメルンですか。あれも非常に“00年前後らしい”作品だと思います。過大な理想と、貧弱なリソースと。乏しい予算を音楽に割り振った結果が――動かない画。
あの頃はエヴァの後だったせいか、関係者が張り切っちゃって空回りって多かったですよね…それに付き合わされる原作ファンはたまったものでは…… というのはサクラのTV版と同じ構図ともいえます。
>>ご神体さん
ハーレムシリーズの公式ガイドとかもうでちゃいましたね。
“○○独自の民主主義”なんて、北朝鮮の人民民主主義を筆頭に、クソ国家の言い訳オンパレードじゃないですかとか。日本で、大衆文化と伝統文化以外の面で「日本独自の」とか言い出したら、それは「斜め上」の同義語です。日本独自の歩兵戦術! 日本独自のリサイクル制度! 日本独自の携帯電話技術!
2010-09-01 広井王子とあかほりさとる
ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (2) 承前
このエントリは、『ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (1)』の続きです。
まずはそちらからお読みください。
2010-08-31 90年代ゲーム機戦争
ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (1)
2010年です。ゼロ年代が終わりました。やったーっ!!
にも関わらず、とくめーはいまだ90年代に引っかかってます。90年代のオタク文化に関しては、「ちゃんと語られていないこと」「忘れられてしまっていること」があまりに多いんですよ。ハガレン以前の少年ガンガンについてもそうですし、そのガンガン作品やランスシリーズ、スレイヤーズなどのラノベといった“90年代RPGパロディブーム”などについても、ゼロ年代FTパロ(ゼロ魔・ネ実組)と合わせて、いつかちゃんと語りたいところです。
ゼロ年代の十年間で、80年代サブカル文化に関する記録や研究がいろいろ出てるんで、90年代については10年代の十年間で回顧されると思うのですが、「90年代はエヴァとセカイ系の時代だった」みたいな語られ方はいい加減勘弁してほしいものです。
近年のオタク文化をエヴァを起点に語るとき、エヴァ以前――90年代前半のことは視点から抜け落ちてしまいます。エヴァの影響を受けた自意識を持て余すオタクと製作者ばかりを追いかけると、そんな自意識にとらわれずフィクションを満喫していたオタクの姿は見えません。
当ブログの不定期連載企画、「ハーレム系作品史」は、そういう「語られなかった方のオタク史」を記す企画です(最近になってそう決めた)。青少年(含む大きなお友達)の悩める自意識ではなく、青少年(含む大きなお友達)の溢れる妄想を描いた作品群。
これからの示す記事のテーマが、90年代の語られざる大作『サクラ大戦』。
『サクラ大戦』自体と、それを構成する諸々の要素には、「評論家の語らない90年代」がたっぷり詰まっています。「ハーレム系作品史」と関係ない内容も含まれていますが、切るの、やめました。これがとくめーの全力全壊。「語られなかった方のオタク史」「エヴァの時代でない90年代」について、いやというほど語ってみせます。
では、まず、個別の作品論の前提となる、ハードウェアと関係者についてです。
匿名希望
SSは横田守氏が作画担当のエロゲとか野々宮病院とかあったはず。あとピアキャロ3だったかはDCはPSよりエロい仕様だと読んだ覚えも(ソニーもセガにも両方出てるゲームは寡聞にスパロボ(F)とか悠久幻想曲とか……両方とも最終的にPS重視)。
犬マユ(Vジャン)石塚にレンタヒーローで「価値あるムダをありがとう」とか言われたり、シーマンとか、間口はあれでもマニアックにウケ……それじゃ全体で勝てないって話でしたか。ガンパレが万人向けとは間違っても言えませんが、そういう傑作を容れる余裕を大作RPGが結果的に作ってくれてると。
嗚呼しかしそうか……当時はそんなものだと思っていたのだけれど、FF56聖剣23ロマサガ3クロノトリガーとか、発売時あんな値段だったのはおかしかったのか……。PSはサガフロから始めたけれど、大体半分くらいの値段……ハードはその三倍くらいしたけど。
FXMC
まず、スーファミ。SFC時代末期は、やっぱおかしかったんですよ。バブルのはじけて、景気の後退しつつあった時期だっていうのに、価格1万円とか冗談じゃ。スクウェアみたいな既に評価の出てるメーカーはいいけど、新ブランドの新作に1万円払う物好きがどんだけいると。
ADV形式でペイライン数千本でも成立しちゃうエロゲとは事情が違うわけで。
→んで、そういう状況下で腐ってた開発チームに片っ端から声をかけ支援したのがソニー、と。
次に、サターン。
スーファミ時代にPCエンジンが担ってたエロ担当枠は、セガハードが引き継ぐような形になってました。同級生なんて実際にPC→PCエンジン→サターンって移植してますし。ただ、セガハードに移植されたエロゲって、エルフとかF&Cとか御三家世代・プレ葉鍵世代で、この辺にもちょっと遅れてる感じが。
ソニーとセガと両方出たゲームっつーたら、多いのはやっぱ格ゲーじゃないでしょうか。アーケードメーカーとして、セガに義理もあれば応援したい心情もあるけど、やっぱりPSの大きな商圏は惜しいみたいな。
シーマン…ありましたね。セガもソニーもどっちも前衛的な意欲作は出してるし、コアゲーマー向けではむしろセガが勝ってたくらいなんだけど、結局、「エンタメの王道あってこその、コアや前衛」だという現実です。
これはゲームでもアニメでもラノベでも同じこと。みなさん、忘れがちですね。
今や古参
>エロが嫌いな任天堂がコケて、セガもソニーもソフトの好き嫌いを言っていられなかった
これはちょっと違和感がありますな。
任天堂=ファミリー狙いという発想から、こういうイメージで決めつけてしまいがちですが。
かつて同級生2は実はなんとスーファミにも移植されていたんですよ。それもPS版よりずっとオリジナル寄りの出来栄えで。
実際エロが嫌いなのはクール好きのSONYです。件の同級生2も全機種中最大の規制改変ぶりでした。
後SONYハードでは「To Heart」は別格にして、多くのエロゲ移植作は「エロゲ移植」と公言することはおろか、タイトルすら変更を強制されています。
そしてこの傾向は今も続いています。
ついにDSでは「魔女神判」など驚くような露骨なエロタイトルがでました。
一方SONYは「パンチラ」とか「同タイトル移植」程度は解禁になりましたが、箸の上げ下ろしにも厳しいソニーチェックの下では、こんなタイトル通りようもありません。
これに続き一時期コンシューマーではSONYハードには及びもつかないようなエロタイトルが企画され、実際続々発売されました(なんとwiiでさえ!)
この時再認識しました。案外任天堂はエロに寛容だと。そしてちょっと調べるとそれは結構昔からだったと。
単に任天堂にはサードが参入するハードル自体が高いので、ファミリーイメージと相まって「エロに最高に厳しい」との虚像が出来てしまったようで。
実際は出来さえ良ければ結構大らかだったと。むしろエロを過剰に嫌ったのはイメージ低下を気にするSONYの方だったと。
通りすがり
KanonはPSじゃなかったと思うけど…(ONEなら「輝く季節へ」として出てますが)出たのはDCとその後にPS2じゃなかったかな。
sf
はじめまして。記事に感銘を受けまして思わずコメントをさせていただきました。
記事の内容、これを体験してきている、または理解をしているかでレベルがわかるというか。私自身20代半ばな年齢ではありますが当時の父親の影響をモロに受け無知ながら考察していたものです。ここ最近は同年代の方とコミュで話すと体験や理解されていない人が多いよなぁと思います。にわかが多いよなぁとか思ってしまったり。
とても勉強させていただける記事だと勝手ではありますが思いました。
また読ませて頂きます。
陣
いよいよ待ってましたの『サクラ大戦』。
やはりこの作品となると主題歌「ゲキテイ!」の旋律が真っ先に出てきますね。
アレンジは数えきれないくらいにありますが、自分的にはTV版が一番好きです。
FXMC
任天堂に関しては、関係者が公式に美少女ゲーム的アプローチをdisってるのを何度も見たことがあります。DSとかも、かつてのような独占状況を失って「好き嫌い言っていられなくなった」という状況とも言えますし。
ただ、エロに厳しいのではなく、エロの有無に関わらず弱小メーカーに厳しいのだという解釈は、それはそれで納得いく話で。
で、ソニーは、うん、実にエロに厳しい会社ですね。
セガやXboxといったそっち方面に寛大なハードとの対抗がなければもっと厳しい規制が敷かれていたかと。
PSで出たのはONEでしたね。うっかりうっかりです。
ともあれ。消費者側にとっては散々に見える「ゲーム機戦争」環境ですが、任天堂にせよソニーにせよ、トップ企業の横暴を許さないという点では良く働き、美少女ゲームはその恩恵を受けている、という論の核心は間違ってないということで。
FXMC
いま20代後半、1981-85生まれってーと、今回取り上げた90年代ゲーム機戦争とかは、文字通りリアルタイムで、どっちのハードを買う/買ってもらうか悩んだ世代ですね。
格ゲー強いセガか、RPGの強いソニーか。そしてソニーを選んだ人が多かったから、現代がある、と。
そう、仰るとおり、「90年代」についてはこういう「当たり前の話」が、けっこー忘れられてしまってるんですよねえ。
ウナム日月
国内だけに目を向けていてはわかりませんが、SEGASATURNはセガハードの仲で最も販売台数が低いハードですよ。セガマークIIIのほうが売れていたくらいです。
北米でのソニック人気、アクションに強いハード設計などの要因で、GENESIS(海外版メガドライブ)がSNES(スーファミ)に互角以上の勝負(GENESISの北米での販売台数2000万台以上)を繰り広げていました。
SEGASATURNはその高コストな設計(原因は最強の2Dハードとして設計していたのに、PS1の3D性能の高さにびびって3D機能を後付けしたため)により赤字販売を余儀なくされ、セガのハード撤退の主要因となりました。売れば売るほど赤字。
しかも最大市場である北米市場でSEGASATURNがまったく売れなかったため(原因としてSEGA OF AMERICAが周辺機器『スーパー32X』で最も普及したハードであるGENESISを引っ張ろうとしたから、などとも、セガ本社の「ソニックは16bitまででSEGASATURNは新しいキャラを打ち立てる」という方針のせいとも思われますが……)
SEGASATURNは国内で550万台とセガとしては国内最高の販売台数で一見好調に見えますが、世界的に見るとDreamcastやマークIII以下の低調な販売台数なんですよね。
SEGASATURNを違った形で出せていれば(メガドラやDCのようなコストを考えた設計ならば。北米市場で売れていれば)セガがあそこまで追い詰められることは無かったと思われます。
事実、N64は北米でPS1と伍して売れており、任天堂はSFC時代よりもN64時代の方が会社の業績は良かったわけですから。
FXMC
「90年代オタク文化史」という文脈上の話なので取り上げてませんが、海外市場をみると、ああ、セガサターン駄目だったようですね。
日本のコンシューマ市場(RPG超重要!とか)だけでなく、北米のコンシューマ市場(自社のソニックがどんだけ北米で決定的なコンテンツだったか…というよりゲーム媒体における“キャラクター”の重要性)も理解できてなかったんでしょう。
サターンの高価格高コスト、ドリキャスの生産が追いつかないという、仕様設計の迷走というか過剰品質症候群は、ほかでもないソニーが後に繰り返すことになります。