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☆★☆★2010年12月18日付 |
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「水戸黄門」の後番組で「大岡越前」が何度目かの再登場をしたが、越前役の加藤剛さんと、榊原伊織役の竹脇無我さんのような俳優は段々いなくなっていくのだろうなと考えると残念だ。加藤さんは私生活でも越前の役柄そのままの実直さで周囲から尊敬されているよし▼もう1人。この人もみかけそのままではないかと思うのが児玉清さんだ。すでに77歳というから後期高齢者≠セが、とてもそんなお歳には見えない。この人が日経のフォーラムで話したことが日経に掲載されていて、それを読むとまさに思った通りの人物。世の中を真剣に歩いていることがうかがわれる▼50歳ぐらいの時、役者としての壁にぶち当たり、この先どうやっていくべきかと悩んだその回答が、本を原書で読むことだったという(このあたり、すでにただの役者ではない)。そんな本の中の1冊にあった主人公の言葉「ウイン・ナウ・ペイン・レイター(今勝て、痛みは後だ)」に時々勇気づけられると話している▼つまり結果を考えすぎてくよくよするより、まずは行動しろということだろう。これは菅政権にそのまま贈呈したいような言葉で、「ノーペイン・ノーゲイン(虎穴に入らずんば虎児を得ず)」という格言も別にあるように、いずれ正しいと思ったら迷わずに実行することだろう▼児玉さんは老後をハッピーに暮らすためのキーワードを挙げている。「許す」「笑う」「手放す」「決めつけない」「急がない」の五つだという。体験がもたらした生き方だろうが、なるほど示唆に富んでいる。 |
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☆★☆★2010年12月17日付 |
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生まれは戦前でも「戦前派」の仲間に入れられないのは、墨塗りの伏せ字教科書を使った世代ではないからである。しかし「墨塗り」の伝統は生きている。なんと新聞紙上で!▼昨日の読売新聞を見て思わずニヤリとした。週刊新潮の発売広告の中に伏せ字があるのを認めてのことだ。墨ベタで消されたその下にどういう文字が隠されているかは一目瞭然。〈「○○」が持ち歩く小沢抜き「大連立」〉とある見出し語の中の伏せ字部分は、同紙の殿上人のあだ名であることが▼偉大なる新聞人にして大球団の会長。同時に政界の指南役としてまぎれもなき影響力を持ち、一時は自民と民主の大連立を画策したこともあるこの人物に、カタカナの略称が奉られているのは強面に似ず愛敬があるからだろう。それはさておき、同紙が広告とはいえ〈検閲〉のやむなきにいたる心情は理解できる▼しかしこれはかえってご本人の名誉を傷つける結果になるのではないか。なぜなれば、こうして隠せばかえって興味をそそられるのが人間の常。他紙をめくれば〈答え〉は明白であり、いや想像をたくましくせずとも、合点がいくからである▼広告局が〈主〉の立場をおもんぱかって墨塗りしたのだろうが、ご本人が「そんなみっともないマネはやめろ」と宮沢賢治よろしく一喝、担当者をたしなめて莞爾と笑うぐらいの度量は持ち合わせていよう。しかし同様の前例が何度かあったことを考えれば、この方は案外広告欄など見ない主義なのかもしれない。 |
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☆★☆★2010年12月16日付 |
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昨日付の本紙に載ったJR大船渡駅の新築計画について、勝手な希望を許していただけるなら、駅舎のデザインは近代的なものより、クラシカルなものにしてほしいと思う▼現在の駅舎は築後76年という歴史を刻んだ建物でも、何度か改築され風雪を感じさせるのはホームの屋根や柱などの一部に限られる。しかしその屋根や柱にこそ〈年輪〉を刻んだ美しさがとどめられており、思わず郷愁を呼び起こされるから、小さな駅ながら「東北の駅百選」に選ばれたのだと思う。新駅舎はその伝統を継ぐものであってほしい▼日本でいまも近世における歴史的建造物として保存されている建物は、明治・大正期の洋風建築が多い。これらが保存の対象とされるのはただ歴史を刻んだだけではなく、そのデザインが愛されてきたからである。その代表格である東京駅が新築ではなく改修されるのはなぜか▼岩手県でいえば、レンガ造りの岩手銀行中の橋支店を解体するという声は絶対出ない。駅舎というのはその地域の顔であり、鉄道というものが存在し続ける限り付随して存在し続けるが、それは長寿を定められているのと同然で、だからこそ100年後にも存在感を示すような造りであってほしい▼利用者のみならず広く地域に親しまれ、集えるような場所としての駅舎の姿は、無機質で冷たい現代的建築ではなく、シックで温かみのある洋館風のそれであるべきだ―とは小欄の一方的な期待だが、ランドマークとしても周囲に溶け込み、なにかほっとするようなデザインにと老爺は考えるのだ。 |
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☆★☆★2010年12月15日付 |
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世の中はこれからどのような発展をとげるのだろうかと思ったのは、パソコンのプリンターを替えての実感。外国の機種にはさわったことがないが、おそらく性能において日本製は金メダルものだろう▼前の機種が紙を何枚も吸い込んですさまじい音を立てながらダウン。紙送り機構がおかしくなり、やむなく〈都市鉱山〉へ。リサイクルされて迷わず成仏しろよと手を合わせた。代わってやってきたのが、当然ながら最新版。値段的には前機種とそう変わらないが、その能力たるや…▼印刷方式はむろんインクジェットで、カラー写真印刷の仕上がり自体は大差がないが、機能や操作性は驚くべき進歩。あえてメーカー名は伏せるが、国内2大メーカーの製品はいずれアヤメかカキツバタ。優劣をつけがたいらしい。おそるべし日本の技術力である▼パソコンが普及しだした頃のプリンターといえば、熱転写、感熱、ドットインパクトなどが主流だった。ギーギー言いながら紙を歯車で送って印字するドットインパクトプリンターはとりわけ懐かしいが、文字のみで写真は無理。これに対し昇華型のように写真はきれいだが高価で一般には手が出ない方式もあった▼写真も文字もきれいでしかも安いという究極のプリンターとなったインクジェット方式も、最初は劣悪な品質だったが、以後急速にこれほど大化けした方式はない。おかげで誰もが印刷業者(プリンター)になったから業界は仕事を奪われている。 |
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☆★☆★2010年12月14日付 |
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同じ家の中に仏壇があり神棚がある。クリスチャンでもないのにキリスト教の行事を祝い、信者でもないのに教会やチャペルで結婚式―などなど日本人の宗教観ほど不思議なものはない▼多くが別段それを嘆かわしいと思っているわけではない。いずれ神仏習合、神仏混淆の過程と歴史が日本人の意識の中に宗教に対するあいまいさをもたらしたことはまちがいあるまい。むろん廃仏毀釈や切支丹迫害の歴史があり一概に論じることはできないが、異教に排他的でないのは確か▼道ばたの石ころにも神がやどっているとみなす「八百万の神々」信仰が日本人の間にこのような価値観を生んだとしても、一神教の国々にはとても理解しがたいものがあるだろう。神社仏閣に詣でる一方で、クリスマスを祝い、バレンタインデーを祝い、これも異教的行事のハロウィーンまで楽しみだしたこの国の実体は?▼もっともクリスマスケーキとバレンタインチョコの案出はそんな宗教観に基づくものではなく、元は菓子業界の商魂にたどりつくだろう。そのクリスマスケーキなるものを初めて目にしたのは小欄が小学低学年の時だったが、その普及スピードたるやすさまじかった▼やがてクリスマスイブともなると巷間にトンガリ帽子をかぶった〈キリスト狂徒=rが繰り出すようになったのも、飲食業界の仕掛けだったろう。しかし長くは続かなかった。ケーキよりは高くつくからだ。さて、次はどんな〈あやかり〉商法が飛び出すか。「神のみぞ知る」それとも「お釈迦様でもご存じあるめぇ」か。 |
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☆★☆★2010年12月12日付 |
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これは本県だけの〈現象〉なのであろう。〈一兵卒〉になったはずの小沢さんが、〈大将〉をさておき今なお「国民の生活第一」と、にらみをきかせているのは▼むろんあちこちに貼られている民主党のポスターの図柄のことである。鳩山首相、小沢幹事長時代はポスターも2人の肖像だったが、菅政権となってからは鳩山さんのみが〈引退〉した。ところが小沢さんだけは〈留任〉して〈ロングラン〉を続けている。本来ならばトップである菅首相の顔が取って代わるはずが、少なくとも本県ではいまだ目にしたことがない▼まさか〈院政〉を敷いたわけではあるまいが、党内になお隠然たる影響力を残しリバイバル待望論も根強い小沢さんだけに、それでなくとも「民主王国」の本県が〈党の顔〉はこちらだとこだわるのは理解できるにしても、しかしこれは確信犯的ホームタウンデシジョン(地元びいき)といえようか▼それを局地的現象と片づけられないのは、同党内でにわかにわだかまってきた「親小沢」対「反小沢」の確執である。確かに代表選では菅さんが制したが、以後内憂外患続きで政権の支持率が危険水域に近づくに従いパワーバランスが微妙に変わりつつある▼気になる動きも出てきた。状況いかんによっては分裂も招きかねない今後をにらんでか、政界再編の影がちらつき、そうかあらぬかまた〈あの人〉たちがうごめきだしたようである。これからは水面下の動きにいよいよ目が離せなくなりそうだ。 |
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☆★☆★2010年12月11日付 |
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「農業は大寨に学べ」というのは毛沢東一流の宣伝だったが、「外交は中国に学べ」とだけはいえるかもしれない。そのふてぶてしさを日本も身につける必要があるという意味でだ▼地球温暖化対策の枠組みを探るCOP16で、京都議定書の延長を求める各国に対し、日本は延長を拒んでいるためEUや新興国が強く反発しているが、温室効果ガスを合わせて4割強も排出している米国と中国が加わらない議定書そのものの無効性は最初から問われるべきものだった。だから延長反対はきわめて至当だろう▼京都議定書は先進国のみに12年までの温室効果ガス排出の削減目標を義務づけた。そのしばりを受けたのは日本を含めて計27%を排出する国と地域だが、米国は産業への影響という理由を掲げて逃げ、中国は中国で「わが国は発展途上国だから」と言い訳して知らぬ顔の半兵衛▼お人好しの日本は、「地球温暖化防止のため」という錦の旗を掲げられると反対もできず、この仲良しクラブ≠ノ入ったが、日本よりはるかに削減義務を負う米国も、いまや先進国の仲間入りした中国も入らぬこの枠組みにとどまる必要はまったくないというのが国内世論と化している▼この国には勝手に削減目標を設定したオメデタイ方もおられたが、排出権取引という形などでむしり取られる議定書の延長は国益を損なうばかり。誰が反発しようと「いまは古興国≠ネもんで」とでも理由をつけて図太く構えよう。 |
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☆★☆★2010年12月10日付 |
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成田を訪れたついでに成田山新勝寺を参拝したところ、本殿に何か飾ってあるのでのぞいたら市川海老蔵、小林麻央とのサインが入った色紙だった。婚約発表に同寺を訪れた際に仲良くしたためたものだろうが、今頃は撤去されているにちがいない▼梨園の御曹司といえば、どことなく品があって、ゆったりとしてといったイメージがあるが、舞台だけでなく舞台裏でも強面を演じる力を備えた逸材もいることを知らされた。自らも負傷しながら相手にもかなりの深手を負わせたというその喧嘩沙汰を「役者やのう」とたたえるわけには参らぬが「色男金と力はなかりけり」という俚諺だけは訂正の必要がある▼その御曹司のもてることは市川という大名跡の威光だけでなく、芸もよし姿形もよしだからで「天は二物を与えず」という格言も訂正する必要がありそうだ。だが、天は三物も与えてしまった。腕力である。ないよりはあった方がいいが、酒乱には禁じ手である▼酒場でアルバイトをしていた時、常連客の1人がその酒乱で、店に来れば必ず暴れるのであった。さいわいにして非力だったから、周囲が取り鎮めることができたが、本人がそれを自覚していてもまた飲みに来るところが不思議だった。海老蔵もその気があったのか▼かくいう当方も酒に飲まれる方だから大口は叩けないが、せっかくの役者が酒であたら名声を台なしにするというのは、惜しんで余りある。役者には役者の苦労があるのだろう。しかしその苦労を酒でごまかしては酒にすまない。酒は楽しくのむべかりけり―なのである。 |
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☆★☆★2010年12月09日付 |
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まずはお詫びを。昨日の小欄で社民党が武器輸出3原則うんぬんと書いたが、社民党が葬り去りたいのは与党内にある3原則の「見直し」なのに、その「見直し」をうっかり抜かしてしまったから、立場が逆になった▼こういう常識的なことは「暗黙知」として、誰の頭にも入っているから校正者も気づかない。書いた本人が翌日朝「待てよ」と読み直してみると、ガーン。はたして間違いがそのまま通過していた。時折こうしたことがあるのは、否定の否定は肯定、否定の肯定は否定などなど、正逆をよくよく考えないと論理矛盾が起きることに似ている▼その典型的な例がマヒナスターズの歌った「お座敷小唄」だ。歌詞中に「雪に変わりがないじゃなし、溶けて流れりゃみな同じ」とあるのは、あきらかに誤用で、このままだと、赤い雪や青い雪があってなんら不思議ではない。まさにうっかりミスがそのまま通過してしまった。で、いまもそのまま歌われているのはご愛敬だろう▼弁解が長くなったが、こうしたミスが起きるのを何も加齢のせいだけにはできない。それは「思い込み」というものが人間にはあるからで、それがチェック機能をマヒさせる例を実際何度も体験し、また目にしてきた▼物書きが恐れるのはその思い込みで「後生畏るべし」を、「後世畏るべし」と1字違えただけで意味はまったく異なる。だから、週刊朝日の名編集長だった故扇谷正造さんが「校正畏るべし」と書いたのは言い得て妙で、その通り推敲を重ねる作業を厭うとこうなるという実例をお見せしてしまった。 |
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☆★☆★2010年12月08日付 |
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シーソーゲームなら誰を味方につけても構うまいが、こと政治において主義主張の異なる相手とタッグを組むというのは野合≠ニいうものではなかったのか。しかも1度は懲りて別れたはずの相手と復縁≠ニいうのだからこれは〈懲りない面々〉というほかはない▼民主党が政権担当にあたって社民、国民新両党と連立を組んだ動機は、むろん法案通過のために過半を制する必要があったからで、必ずしも政策が一致したわけではないから、いずれほころびが出ることは明白だったが、案の定、ほどなくして「性格の不一致」で社民党が三行半を突きつけた▼予算関連法案は、ねじれ状況下にある参院で否決されても衆院で再議決されれば通過するが、3分の2超の賛成が必要なその再議決のためにはあと6票が足りない。そのジャスト6票を持っているのが社民党というのは何たる偶然奇縁。そして事実同党はそのキャスティングボート(局面支配権)を握っているのである▼普天間基地の移転うんぬんというより基地そのものを認めない社民党が、辺野古移転に逆戻りした民主党と絶縁≠オながらなお未練タップリなのは与党の傘≠ゥらはみでた悲哀を味わったからだろう。しかしチャンス!元カレ≠ェおいでおいでをし出したのだ▼民主党が本心を隠してまで元カノ≠ノすり寄るのはむろん、ノドから手の出るほど欲しい6票のためだが、敵もさるもの。だまされたふりをして武器輸出3原則を葬り去るという魂胆がありあり。まさに虚々実々のだましあいだが、こんな田舎芝居を見せられるのはもうウンザリだ。 |
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