「正恩氏、幼いころから核に関心」 藤本氏が証言(下)
金総書記は正恩氏が15歳の時に「男は酒をたくさん飲めなくては駄目だ」とし、飲酒を認めたが、たばこは吸うなと指示したという。正恩氏は幼いころからウイスキー「ジョニー・ウォーカー」の最高級品をたしなみ、たばこは藤本氏と「イヴ・サンローラン」を隠れて吸った。愛車はベンツ600だった。正恩氏は韓国歌謡を好んでいたといい、「スーパーマリオブラザーズ」や「テトリス」などのコンピューターゲームも楽しんでいたという。正恩氏は藤本氏に「僕は毎日ローラーブレードに乗ってバスケをし、夏にはジェットスキーもするが、外の人民はどんな暮らしをしているのか」と話したこともあるという。正恩氏は生母の高英姫(コ・ヨンヒ)氏ととともに東京ディズニーランドにも行ったことがあるという。
正恩氏は青少年期には正哲氏よりも女性に対する関心がなかったが、「喜び組」のダンサーには目を皿のようにして関心を示していたという。藤本氏は「正恩氏はもう結婚しているかもしれない。結婚相手は金総書記がそうであったように、父の指示ではなく、自分の好みで選んだはずだ」と話した。正恩氏が太っていることについて、藤本氏は「金総書記が指導者らしさを出すため、正恩氏にわざと食べさせ、太らせたようだ」と指摘した。
藤本氏は金総書記の「喜び組」が身長ごとに155センチ、160センチ、165センチ、170センチの4段階に分かれており、各段階にAチームとBチームを設け、競争させていたと証言した。金総書記はある日、喜び組のダンサーが踊っていた際、「下着まで全部脱げ」と命令し、幹部に「お前も一緒に踊れ」と指示したこともあったという。藤本氏は「西洋社会のストリップショーを再現しようとしたものだ」と話した。
藤本氏は、1980年代後半に金総書記を警護していた副官がけん銃で金総書記の頭部を狙う事件があったと証言した。金総書記が咸興にある招待所で夜に散歩をしていたところ、副官が酒に寄った状態で金総書記の頭にけん銃を突きつけたため、周辺がそれを制圧し、金総書記は命拾いしたとされる。副官はその場で銃殺されたという。
鄭佑相(チョン・ウサン)記者