特殊映像ラボラトリー 第26回 「ヤマトは日本映画の、何を変えたのか?」
■ 「科学忍者隊ガッチャマン」の興行的失敗
面白いのは、「ヤマト」を予想以上のヒットに導いた4つの方法論を踏襲した「科学忍者隊ガッチャマン」が、1978年7月に公開され、「ヤマト」とは対照的に興行的には惨敗を喫したことである。
「ガッチャマン」は、2年に渡るTVシリーズのオンエアで、初放映時の視聴率も良好。熱心なファンも多数存在し、なによりも従来の「まんが映画」とは一線を画すクォリティの高さが評価されていた。劇場版の製作に当たり、オリジナル・クリエイターである吉田健二、久里一平、鳥海永行監督らが再結集したのも、前年9月に亡くなった原作者・吉田竜夫の思いを成就するため、という背景があったのかもしれない。
さらに劇場版には、すぎやまこういち作曲による音楽を、当時としては珍しかった4チャンネル・ステレオ(「フェニックス・サウンド」と呼称)で新規録音する他、総指揮に「独立愚連隊」などアクション映画の快作で知られる(SFファンにとっては、あの「ブルークリスマス」の監督である)岡本喜八を迎えるという、万全の体制を確立した。常識的に考えても「ヤマト」以上のポテンシャルを感じさせる展開であり、また1本の映画としても存在感を感じさせたにもかかわらず、興行的には失敗し、3週間で市場から撤退してしまう(奇しくも後番組は、かの「さらば宇宙戦艦ヤマト」であった)。今回、本稿を執筆するために、興収、配収などのデータを探したのだが、何分にも配給実務を行った富士映画(後の松竹富士)が、解散してしまったこともあり、データは得られなかった。つまり後の資料にデータが掲載されないほど、配収額は低かったのである。
作品のバックグラウンドだけで判断すれば、誰もが「ガッチャマン」が有利であることを認めるだろう。だがしかし、「ガッチャマン」は興行的に成功を収めることは出来なかった。では「ヤマト」にあって「ガッチャマン」になかったものとは何だろうか?
当時「ガッチャマン」を「ピンチクリフ・グランプリ」と2本立てで、ガラガラの映画館で見た経験を持つ筆者としては、「ガッチャマン」の興行的失敗は、TV放映時の盛り上がりゆえの結果ではないかと考える。低視聴率で打ち切りになった「ヤマト」には、その不遇さゆえに熱狂的なファンが誕生し、増殖する余地があったのだ。無論「ガッチャマン」にも熱狂的ファンは多数存在したが、彼らによる盛り上がりは、どちらかといえばTV放映時であり、再放送を重ねてファン層が拡大し、ある種のサクセス・ストーリーを見せた「ヤマト」と比べて、「ガッチャマン」の場合はTV放映の終了と同時に、ファンの数が減少していったのではないかと思うのだ。
こうした微妙なタイミングや、戦略の違いがチケットの売り上げに反映されることが、映画興行というビジネスの面白いところであり、またリスキーなところでもある。
■ 「あしたのジョー」は、戦略過剰?
もう1本、「ヤマト」の成功に影響されて製作されたであろう、TVアニメの劇場用再編集作品の1本として「あしたのジョー」をあげたい。こちらは1980年3月8日より、「ガッチャマン」「さらば宇宙戦艦ヤマト」と同じ丸の内東映パラス=渋谷東急系を中心に公開された。製作は、梶原一騎の三協映画と、日本ヘラルド映画、富士映画(後の松竹富士)と、実に3社が名を連ねるあたり、現在の製作委員会方式の初期実践例ととることも出来る。
「ヤマト」の舛田利雄、「ガッチャマン」の岡本喜八に対抗する狙いか、「あしたのジョー」では演劇界で注目を集めていた演出家・福田陽一郎が監督に当たるという、いわば変化球。原作・TVシリーズのファンだけでなく、広く一般観客を動員したいという、製作・配給サイドの野望を感じさせる。だがこの場合は、映画としての付加価値を高めるためか、白木葉子、力石徹、マンモス西の声優をアニメ・オンエア時とは異なる、壇ふみ、細川俊之、岸部シローに変更。また主題歌も、おぼたけしの「美しき狼たち」を新たに採用。これは公開に合わせて日本テレビで行われた再放送のエンディングにも使われたが、筆者としては、聞き慣れたオリジナル曲に比べて、大いに違和感を感じた覚えがある。
こうした「映画としての付加価値を高めるため」の改変が、正であるか否であるかは、ファンの判断で決まることとはいえ、「あしたのジョー」の場合は、いささか戦略過剰・偏重な感じがしないでもない。それでも配給収入5億円という結果は、当事者たちを満足させたのかもしれないが。
TVシリーズの再編集バージョンが、劇場用映画として公開されることが少なくなった現在だが、仮にこうした“改変”が行われた場合、オリジナルのファンたちは、否定的に受け止める可能性が高いだろう。
現在では作品の熱心なファンは、イコール映画興行においてもコア層として認識されていることから、彼らにネガティヴなイメージを持たれることは回避する傾向は強い。そう考えていくと、映画そのもののマーケットは70年代に比べて格段に拡大したが、アニメ映画、とりわけクールアニメ(この呼び方は「ヤマト」公開当時、なかったが)の興行は、マーケットを絞ることによって、イベント的盛り上がりを演出するハングリー・マーケティングが幅をきかせており、「ヤマト」のようなサプライズ・ヒットは、むしろ生まれにくい状況になっている。
こうしたアニメ映画興行のイベント化、オフ会化について、筆者は様々な取材を行い当事者の意見を聞き、事例を検証してきたが、さてこうしたタイプの興行が、今後も続き、成功を収めるかと言えば、大いに疑問が残る。興行を成立させているのが、コンテンツのコア層たるファンであることから、公開以前にその正否がある程度予測出来てしまうのだ(それは興行サイドから見て、ある種の安心感につながるのだが)。まず必要とされるのが、「ヤマト」公開の際、西崎Pが行ったようなコア層たるファンを増やす努力だろう。原作やシリーズのネームバリューに依存しすぎではないか?という疑問も、この際呈しておきたい。
■ すべての始まりは、低視聴率で打ち切られたTVアニメであった…
TVシリーズからスタートした「ヤマト」が、劇場版として公開されヒット。その続編「さらば宇宙戦艦ヤマト -愛の戦士たち-」は、スタジオジブリのアニメ映画たちが跋扈するまでは、我が国アニメ映画で最高の配給収入21.2億円(興収43億円)を上げる地位にあった。
以来アニメ映画は我が国の映画マーケットで一定のポジションを得、「銀河鉄道999」「さよなら銀河鉄道999」「1000年女王」「わが青春のアルカディア」、TVシリーズの総集編に新規カットを加えた「機動戦士ガンダム」3部作、角川春樹製作による「幻魔大戦」といった作品群が公開され、一方の「ヤマト」も「ヤマトよ永遠に」が1980年に公開され配収13.5億円を、83年には「宇宙戦艦ヤマト・完結編」が配収10.1億円をあげた。以後「ヤマト」のシリーズと関連作品は、現在に至るまで製作・公開されており、2009年12月には「宇宙戦艦ヤマト・復活編」が劇場公開された。
そして2010年12月1日からは、いよいよ山崎貴監督による実写版「SPACE BATTLESHIPヤマト」が、全国公開される。70年代という、アニメ映画にとっては未開拓の、それ故に様々な試みが許された幸福な時代に旅立ったヤマトが、2010年に実写映画として再び旅立つ。TVシリーズ「ヤマト」を応援し、1977年の「ヤマト」を地方の映画館でひとり見つめた身としては、ある種の感慨を覚えずにはいられない。
すべては、低視聴率で打ち切られた、TVアニメの総集編から始まったのである。
−本稿を、先頃死去された西崎義展氏に捧げます−
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