「レイアウトを戻す」を押すとサイトのレイアウトが初期状態に戻ります。閉じたり、表示を伸ばしたりしていたカテゴリーやウェジェットが初期状態に戻ります。

レイアウトを戻す

特殊映像ラボラトリー 第13回 ゴジラVSシリーズの栄光(前編)

【「極彩色の大決戦!」】

 「日本沈没」、そして復活「ゴジラ」の配収こそ上回ることは出来なかったが、「ゴジラVSキングギドラ」のヒットは、大いに東宝社内を活気づかせ、早々と次回作「ゴジラVSモスラ」の製作が決定する。ご存じのようにこれは、製作の田中友幸が以前企画した「モスラVSバガン」をベースにしたものである。
 そのシナリオを前作同様大森一樹が手がけたものの、大森は東映の“ニュー・ヤクザ映画”「継承盃」にかかるため監督は不可能。代わりに「超少女REIKO」でデヴューした大河原孝夫が起用され、川北紘一特技監督とのコンビで、1992年5月20日に特撮班からクランクインした。

 5月から撮影を開始し、9月に完成。東京国際映画祭で大々的なお披露目を行うこと。そして従来午前中のみの登校であった公立学校が、1992年9月より毎月第2土曜日のみ完全休日になることを反映して、ゴジラ映画の新作初日は以後12月の第2土曜日と定められた。
 また復活「ゴジラ」及び「ゴジラVSビオランテ」は、一般映画として大人の観客をメイン・ターゲットとしたが、「−VSキングギドラ」のヒットによって、東宝はそのターゲットをファミリー層へと完全に転換した。これは同じ東宝が配給する「ドラえもん」等のファミリー番組との連動をも想定したことで、例年東宝では正月のゴジラ映画新作上映の際に、翌年春公開の「ドラえもん」などの新作特報を上映するだけでなく、劇場内にもそれらのチラシを置き、ゴジラ映画を見に来たファミリー観客にいち早くアピールすることを行っている。
 「−キングギドラ」公開の時点で、次回作「−VSモスラ」の製作・公開が決定しているということは、3月の「ドラえもん」上映の際に、その特報やティーザー・トレーラーを上映することが可能で、これは新作上映のたびに大ヒットを記録する「ドラえもん」シリーズの観客に向けて、大きなプロモーション効果が期待できる戦略であった。
 
【東宝正月映画史上最高、シリーズ最高、
  日本映画年間トップの配収記録樹立!!】

 「ゴジラ映画史上最大の宣伝展開を行い、配収目標である20億円を達成したい」という当時の宣伝部長の野望は、日々確信に変わっていった。公開を約4週間後に控えた「ゴジラVSモスラ」は、その話題性と女性にも人気のあるモスラの起用故か、前売り券の売れ行きが絶好調。
 当時筆者の書いた記事によると、11月15日現在の前売り券の販売枚数は、「−VSキングギドラ」の同時期対比158%という高率を達成。全国97館での販売枚数は3万9763枚となっており、また東京民音では前作対比208%、関西民音も134%、中部民音では128%を記録した。

 公開を前に行われた宣伝展開は、まずテレビ東京系にて、ミニ番組「冒険!ゴジランド」をオンエア。7月30日の「モスラの日」に続いて11月3日にはゴジラ38回目のバースデーを祝うイベントを渋谷にて実施。このイベントの目玉は、直径80センチメートルの巨大ケーキをゴジラがカットし、なおかつコスモス(今村恵子、大沢さやか)が「モスラの歌」を披露するというもの。さらに大河原監督や出演者らによる、全国14都市でのキャンペーン(コスモスは、全国50箇所以上を回ったという)、小学館と連動した11大都市14会場での、1万人を対象とした試写会などを、イベントとそれに連動したパブリシティを積極的に仕掛けていった。
 タイアップは、WOWOW、ナムコ、コニカ、西友、西武百貨店、ナイキ、日清製粉、東芝、京都銀行、講談社と、過去最大規模の展開。また関連商品や音楽展開などを明治製菓、森永製菓、東芝EMIなどと行った。
 こうした宣伝展開の末に迎えた12月12日の初日は、全国246館の上映館全館が満員札止めの大盛況になったようである。

 東宝邦画系での上映作品は、都内銀座地区においては、座席数約700席の日劇東宝(現・TOHOシネマズ日劇2)で公開されるのがルールだが、「ゴジラVSモスラ」の場合、事前の前売りの様子からも、初日は多数の観客が詰めかけることが予測され、同じ有楽町マリオンの日本劇場(座席数約1000席/現・TOHOシネマズ日劇1)が使用された。それでも場内の大変な混雑ぶりは、未だ筆者の脳裏に焼き付いているほどだ。
 オープニング2日間での興行成績は、この時期の東宝にしては珍しくリリースに詳細な数値が書かれている。全国主要25館の2日間合計成績は、14万9244名、興収1億8237万4000円。つまり1館あたり2日間で729万4960円をあげるという、当時の日本映画としてはトップクラスの成績を計上したのであった。

 ちょっと意地の悪いデータ比較をしてみよう。2004年12月4日から公開された、ゴジラ映画最終作「ゴジラ/ファイナル・ウォーズ」は、全国290スクリーンにおいて、オープニング2日間で15万8782名、1億9238万5960円をあげるスタートであった。
 この成績だけを見ると、オープニング時点での興収は「ゴジラVSモスラ」とほぼ同等だが、1スクリーンあたりの興収は、わずか66万3400円と、12年前の「ゴジラVSモスラ」のそれと比べて10%以下。いかに「ゴジラVSモスラ」が、シネコンなど存在していない1992年当時のマーケットで大きな成績をあげたかが、お分かりいただけるだろう。

 VSシリーズの初日は、日劇または日劇東宝での舞台挨拶取材(といっても、業界紙記者たちは、見ているだけだが)に続いて、日比谷の中華料理店・東天紅での打ち上げと決まっていた。我々取材者もその打ち上げに招待されるのだが、「ゴジラVSモスラ」のような大ヒット作の時には、全国から次々に入ってくる興行成績や景況が発表され、会場は拍手喝采、大いに沸いた。
 「ゴジラVSモスラ」の時は、当時の東宝映画社長が「これでようやく、赤字から脱却出来ます…」と、切実な面持ちで語ったことと、今回は脚本家であった大森一樹監督が、前作を大きく上回る初日の数字を聞いて「前作と比べられると、ちょっとつらいんですが…」とスピーチし、笑いを誘ったことが印象に残っている。
 オープニング2日間における、合計成績ベスト3は、次の3館。

  1=梅田劇場  (1万4837名、2140万4000円) 
  2=日本劇場 (9757名、1309万3000円)
  3=京都宝塚 (9456名、1132万3000円)

 こうして「ゴジラVSモスラ」は配給収入22.2億円を上げ、「日本沈没」が持っていた東宝の正月映画配収記録を破り、また歴代ゴジラ・シリーズ最高の配給収入をもあげることとなった。またこの配収は、1993年に公開された日本映画(92年12月に公開された作品は、興行終了時点である93年作品としてカウントされる)中、角川春樹監督の「REX恐竜物語」の22億円をわずかに上回りトップを記録した。
 ゴジラ映画が1年間に公開された日本映画のトップに立ったのは史上初めてのことであり、まさしく快挙と言える。あの復活「ゴジラ」でさえ、公開当時の年間日本映画ランキングでは、角川春樹事務所作品「メイン・テーマ」「愛情物語」の18.55億円に続く第2位であったのだ。
 古き革袋に新しい酒を。こうしてゴジラVSシリーズは、新しい戦略と方法論を得たことで、その地歩を着実に固めて行った。
(後編に続く!!)

関連する記事

ページ: 1 2 3

.