特殊映像ラボラトリー 第23回 「七瀬ふたたび」のための、小中和哉監督の戦い
■ 初代七瀬=多岐川裕美を想起させる、
芦名星の“ハードボイルド七瀬”
−原作の七瀬の年齢を尊重するのなら、もっと若い女優さんを選びますよね?
小中 正直、芦名星という女優は、僕にとっても未知数でした。これまで七瀬タイプの芝居をして来なかったし。でも僕と小椋さんとで迷った結果、芦名さんに決めました。タイプとして見ると、芦名さんで良かったと思います。確かに原作の七瀬の設定は20歳なんですが、周囲からは異様に色っぽい女だと見られていて、放っておけないタイプ。七瀬はもっといい女で良いのではないのか。そういう意味では、今までの七瀬像って、少女のイメージが強すぎました。多岐川裕美さんは色っぽかったけど。それ以降は少女のイメージなんですね。「家族八景」だったらそれで良かったと思いますが、「七瀬ふたたび」の場合は、もうちょっと色っぽい女の人が良いんじゃないかな?と。
−芦名星の七瀬は、最初に映像化された、多岐川裕美の七瀬と似た雰囲気を感じますね。原作を読んで思ったのですが、七瀬はテレパスであり、人の気持ちが分かってしまう。そういう人って、精神的には老けていくと思うんですよ。
小中 そうなんです。要は人の裏側を見てしまうので、人に過度な期待をしなくなる。「七瀬ふたたび」って、そういう人が色んな仲間に出会って、そのリーダーとして家長というか、母親ではなくて父親の役。責任感をもって、背負い込んでいくキャラなので、精神年齢も高くないといけない。けっこう凛として敵と対峙する姿勢を、どう見せられるかと思っていたので。ある意味ハードボイルドなキャラ。自分の弱さを人に悟られない。あまり心の内を見せない。でも、どこか揺れている芝居をしなくちゃいけない。基本的なスタンスは、ハードボイルドなんです。芦名さんなら、それが出来ると思いました。
−芦名さんの過去の作品を見て、彼女の七瀬だったらこういうことが出来る、と判断したのは、どんなこと?
小中 「仮面ライダー響鬼」の、変な女の役(笑)。妖怪みたいな。あとフジテレビで深夜にやっていた「コールガール」(「ジュテーム わたしはけもの」として、後に劇場公開)で、ちょっとハードボイルドな役をやっていた。本人の顔がけっこうクールなので、硬質な役がそれなりにハマっていました。タイプとしては、そういう使い方をするのは分かります。ただ七瀬みたいに、そこから揺れる芝居をどう引き出すかというのは未知数でした。
−物語的にもみんなを引っ張っていかなければ行かない。主役の芝居をさせるに当たって、不安はなかったんでしょうか?
小中 逆に言うと、周りから固めようと。芦名さんはハードボイルド・カラーだから、そこにいるだけで良い。芸達者な人たちを周囲において、彼女のキャラとコントラストをつける。だからサトエリしかり、子役の今井君しかり、平泉成さんみたいな重石が来て、周りにちゃんとした人がいれば、七瀬のハードボイルドぶりが引き立つと。
−「スーパーマン」のクリストファー・リーヴみたいな(笑)?
小中 そうですね。ああいう硬質なキャラを見せるのには、それが良いと思います。周りは人間的な芝居をして欲しかった。七瀬はブレなければ良いんです。
−芦名さんって普通に立っていると、クールな美人のイメージなんだけど、今までそうじゃない役が多かったですよね。
小中 そうなんですね。役にどう巡り会うかというのは、役者の運なんですが。彼女にとって七瀬という役は、そういう意味では凄く良かったと思います。彼女、けっこう苦労人で、売れない時代も長かった。
でもどん欲だし、ストイックに役をどう捕まえるかを考えている。たまに女優さんにいる「自分をどう見せたいか?」ということばかりに意識が行くタイプじゃないんです。「七瀬としては、どうなのだろうか?」ということを考えてくれるので、凄くやりやすかったですね。真面目なタイプで、「七瀬はこういう時、どう考えるんだろう?」ということを常に考えていて、そのあたりを現場で話しました。一応「家族八景」と「七瀬ふたたび」は原作も読んでもらって。「エディプスの恋人」は、まあ今回はいいかと。まず「七瀬」のシナリオを読んで、その上で「家族八景」を読んで、「ようやく分かってきました」と言われました。「七瀬」だけだと、なぜここまで敵に対して容赦がないかとか、今回は、ある種殺しをちゃんとやりますから、その時どう感情に決着をつけていいのか、分かりにくかったみたいで。
「家族八景」を読んで、「こういう経験をしてきたら、こうなるよな」と思ってくれたみたいです。でも「ヘンリー、殺して」というセリフをためらいなく言うのか、揺れ動きながら言うのか。そのさじ加減は僕も悩んだところ。それは彼女と一緒に「やるしかない」と腹をくくるんだけど、そこであまりにも冷酷すぎるとお客さんがひいてしまうので、どこかしら罪の意識とか、ためらい的なものがあるだろう。それをチラッと見せつつ、でも腹はくくると。そのさじ加減をどうするかは、芦名さんと話し合いながら撮っていきました。
−今回の映画では、七瀬はかなり殺人を犯しますよね。
小中 基本的に伊藤さんと最初に話したのは、原作に忠実な映画化であること。それが今回のスタンス。今までTVで何度かやっていますが、お茶の間で見られることを意識するあまり、筒井小説の持つ、ちょっと過激な部分が丸くなって映像化されることが多かった。七瀬が人を殺すってことを、死ななくて怪我をする程度とか、これまでの人は明確な殺意をためらって映像化してきた。それはちゃんとやろうと。
■ まさにカメレオン女優。
サトエリの、演技に対するどん欲な姿勢に感心。
−タイムトラベラーである、藤子役の佐藤江梨子については?
小中 藤子って、原作では七瀬より年下なんです。
−17歳でしたよね、確か。
小中 だけど時間旅行を繰り返したので老けて見える、と書いてある。実年齢は若い…とは言うものの、どこを実年齢と言って良いのかわかりませんけど、本当に生きている時間かな。芦名さんより年上に見えて良い。色んな名前が挙がった時、サトエリはアリだなあ、と。原田知世という案もありました(笑)。
−それ、ちょっと狙いすぎ(笑)。
小中 七瀬と藤子の友情は、きちんと描きたかったんです。唯一、能力者同士の深いつながりを得るキャラなので。ちょっと年上で芝居が出来て、キャラを明確にしてもらえる。現場に入ってから、そういう芝居をちゃんとやることに感心しました。
−サトエリって、芝居に対しては、どん欲な人ですよね。
小中 色々と話しましたけど、明確に自分をカメレオン役者的に考えている。色々な引き出しを作って、この役の中でこう作ろうと、明確に考えていますね。
−サトエリとしても、藤子のような役が来ることを喜んだのでは?
小中 うん。本当にどん欲で、どんどん仕事を受けるタイプのようです。かなりスケジュールもキツかったけど、やれるんだったらやろうと。
−他の役者さんも、個性がはっきりした人を選んでますよね。
小中 そうですね。
■ 「純粋に、自分が面白いと思ったものを、形にして見せられないのは納得できない」
−色んな人の意向や思いが入って、それをようやく映画化出来たわけですが、実際に完成してみて、10年間ずっとやりたかった「七瀬」を作った。果たしたという気持ちはありましたか?
小中 やっぱり、ずっと宿題として心の中に引っかかっていたもの。これを作らないと、次のステップに行けないぐらいに思っていたので、ようやくやれたという気持ちはあります。
−なぜここまで、「七瀬ふたたび」を映画化することにこだわったんですか?
小中 これだけ純粋に自分が面白いと思ったものが、やれないのはおかしいと思って。形にして見せないと、納得できないという思い。
−それを形にして見せて、世間も「面白い」と言ってくれなければ、先に進めない。そこまでの気持ちはありましたか?
小中 まあ、そうですね。これまで色々と、ウルトラマンとかやりましたけど、純粋に何をやりたいかと言えば、僕はSFやファンタジーにこだわって、エモーションなドラマを作りたい。心揺さぶる話であり、究極の話として今回やったんです。一番やりたかったのは、七瀬のもとに藤子がやってきた時、藤子の記憶の中から、これから自分に起こることを走馬燈のように読み取って、自分の死まで見通してしまう。これは映画でしか表現出来ない。それをお客さんが体感するというのは、今までなかった。僕が考えるSF映画としてのエモーションの形。それが凄く、ストレートに出ているシーンなので、「これ面白いよね」とずっと言っていましたし、「この面白さが、なぜ分からない?」とさえ思っていました。
−じゃあ、ご自身の集大成のような感じ?
小中 ある意味、そうですね。だから意図して、色んなことをやっていますよ。自主映画的な、8ミリ映画の要素を入れたり。
−技術的な部分もさることながら、演出の仕方という面でもありましたか?
小中 これまでこだわってきたものを、ここで一気に凝縮しようというのはありました。例えば、モノクロとカラーという色分け。これは「星空のむこうの国」からやってきた。あれではパラレルワールドを色分けするということをやっていて、今回は現在と過去。そういう表向きの意味合いとは別に、エモーショナルな意味でのモノクロとカラーの差というのは、「星空…」は最後に有森也実と神田裕司が出会うところで、モノクロがカラーになる。そこで別に時空が飛んだわけではないんだけど、色が変わる意味は、リサと会えたことで世界が変わる。彼女と出会える世界こそ、カラー。希望のさすカラーの意味合いなんです。感情的な意味合いを図式的に分かりやすくするだけでなかったというのを、ラストでやる。色が付くことが、感情表現になることの意味合いを、やっているんだけど、今回はモノクロ=過去の世界に藤子が飛んで、七瀬と会うわけですが、全てを理解していた七瀬が、決意した表情でラストカットになって色がついていくというのは同じ意味合いで、七瀬の中で闘志が目覚めていくことが、カラーになっていく。そのオーバーラップの意味は、エモーショナルなオーバーラップで、「星空…」と同じ意味のラスト。そういう意味では、原点帰りですね。
−初期の小中監督の作品からずっと見て、その上で「七瀬」を見ると、色んな発見があるかもしれませんね。
小中 「四月怪談」の冒頭で、走馬燈のように自分の一生を思い出す時、コマ撮りの写真をばばばっとやっているんですが、その要素も今回はあるし、それは8ミリで実験映画的なものを作っていた時の手法なんです。
−ご自身の集大成を作り上げた後は、どこへ行かれますか?次回作は?というニュアンスも込みで答えていただきたいんですが。
小中 (笑)今ちょっと具体的な企画も動いていますが、まだ発表の段階ではありません。原点帰りして、先に行くというか、自分のやるべきことをちゃんと、ようやく「七瀬」という念願の企画を実現出来て、宿題をひとつ終えましたが、まだ宿題があって…。
−まだあるんですか、10年越しの宿題が(笑)?
小中 あるんですよ(笑)。20年以上の企画ってのがあって、早くやんなきゃという気持ちが強くなっています。その20年越しの企画というのが、今シナリオまで出来て、出資のツメの段階。行けるかなあとは思っていますが。いくつか、他にも宿題がありまして…。
今回の「七瀬ふたたび」は、いわばバトルムービーである。これまで映像化された「七瀬ふたたび」の中で、最も戦闘的で、最もアクティヴ。そして小中和哉監督にとっても「七瀬ふたたび」映画化に至る道は、戦いの連続であった。「自分が面白いと思うものを、形に出来ないのは納得できない」という、その思いは一般常識で考えれば、エゴイズムであり甘えである。だがしかし、クリエイターにとってこうした思いは、モチベーションの源泉であり、作品を作り、世に問う上では不可欠であることは言うまでもない。あらゆるコンテンツはこの思いから始まり、その思いを成就させるべく、あまたのクリエイターが、激しいバトルに身を投じるのである。
10年越しのバトルの結果、ようやく「七瀬ふたたび」を完成し、思いを遂げた小中監督だが、まだまだ“やり残した宿題”が、いくつかあるようだ。「七瀬ふたたび」の七瀬同様、その戦闘的でアクティヴな姿勢から生み出される、さらなる意欲作を期待したい。
「七瀬ふたたび」は、10月2日より、シネ・リーブル池袋、シアターN渋谷他にて公開される。
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