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特殊映像ラボラトリー 第14回 ゴジラVSシリーズの栄光(後編)

【「ゴジラ死す?」】

 そういえばゴジラって、死んでなかったんだなあ・・・少なくとも、はっきりと死ぬ描写があったのは、昭和29年版の「ゴジラ」だけだ。当時の筆者は「ゴジラ死す?」とのコピーを目撃しても、さしたる感慨はなかった。どうやらハリウッド・ゴジラ公開(当初は1996年夏と予定されていた)に際して、東宝は一旦シリーズを終了させるらしい。
そのフィナーレたる「ゴジラVSデストロイア」の、一番の見どころはゴジラが死ぬプロセスを描くようだ。対戦怪獣であるデストロイアとは、あのオキシジェン・デストロイヤーから生まれた怪獣らしい。色んな情報が聞こえてきた。ゴジラVSシリーズの最終作「ゴジラVSデストロイア」は、3月11日の「ドラえもん」新作公開日より、特報上映をスタート。東宝としては宣伝部のある旧社屋のフロアに「ゴジラが死ぬまで、あと●日」との大型パネルを置いて、カウントダウンを開始。大いに期待感を煽るのだった。

 「ゴジラVSデストロイア」には、大河原孝夫監督、川北紘一特技監督、脚本に大森一樹と、シリーズ最高のヒットとなった「ゴジラVSモスラ」のメインスタッフが再度結集したが、宣伝面においても「−VSモスラ」のヒットに貢献した宣伝プロデューサーが手がけるという、まさにこの映画のヒットは、東宝グループをあげて挑む一大ミッションだ。当時を回想して思い出すのは、公開に向けてのカウントダウンで期待感を煽っておきながら、肝心の本編を見せないという宣伝戦略をとったことである。当時「−VSデストロイア」の宣伝プロデューサーは、「一度やってみたかったんですよ、見せない宣伝!!」と豪語。恒例であった東京国際映画祭でのお披露目もなし。通常のマスコミ試写も開催せず、公開前の試写会はタイアップ試写会1回のみという“隠して売る”方法が用いられた。
こうした手法は、どんな作品でも行えるものではない。実績と充分な知名度を持つシリーズ作品でなければ、いくら内容を隠しても「それが何か?」とのリアクションでは、メディアの興味を惹くことは出来ないからだ。その点「−VSデストロイア」は、内容的にも話題の面からも充分であった。また例年のゴジラ映画では、作品の内容と面白さを伝える試写戦略もさることながら、タイアップ、プロモーションの類も万全の成果を上げていることから、例え試写を行わず内容面でのパブリシティ露出が少なくなっても、それらをカバーする要素もまた盤石の構えであったのだ。

【「ゴジラVSデストロイア」の宣伝展開】

 作品内容ではなく話題性を売ることを中心に据えた「ゴジラVSデストロイア」の宣伝展開は、1995年11月1日に開通した東京臨海新交通臨海線「ゆりかもめ」とのタイアップからスタートした。この「ゆりかもめ」開通のテープカットをゴジラが行い、13のテレビ番組でこの様子が放映され、またこれ以降「−VSデストロイア」は東京都港湾局が推進する副都心活性化プロジェクトと連動。12月23日から「超ゴジラ伝説in有明スタジアム」を開催(主催東宝・TBS、共催東京都)。さらには11月3日の「ゴジラの日」には42回目の誕生日を祝い全国24箇所でイベントを開催、銀座ヤマハホールで昭和29年版「ゴジラ」を上映した。
また主軸である「カウントダウン作戦」は、劇場のスタンディで「ゴジラ最後の日」を告知すると共に、新聞広告、TVスポット、「笑っていいとも!」「ズームイン!朝」などのTV番組内でもカウントダウンを行うなど、広範囲な告知を行った。

 前述通り、試写会は12月3日の「『ゴジラVSデストロイア』ファイナル試写会」のみで、都内は日劇東宝、渋谷宝塚、上野東宝(小学館連合試写会)の3会場で開催。他の都市は各地区のTV局とのタイアップ試写会で、この日の試写だけで全国51会場1万名が鑑賞した。なおこの日は正午より、日比谷シャンテねむの広場に設置される「ゴジラの銅像」の除幕式が行われた(現在でもこの銅像は盗難に遭うこともなく健在)。
 タイアップはバンダイ、セガ、NEC、ウベハウス、コニカ、タビックスジャパン、森永製菓、舞子後楽園スキー場、ミニミニと、VSシリーズを支えてきた企業がズラリ並ぶ。
 こうした話題性優先の宣伝が功を奏し、「ゴジラVSデストロイア」の劇場前売りは、初日10日前の段階で、主要11館計2万3498枚を発売。これは「−VSスペースゴジラ」の同時期前売り対比112.3%、「−VSメカゴジラ」対比107.7%というもので、またプレイガイドでの前売りも「−VSスペースゴジラ」対比114.1%、チケットセゾンは同作品対比126.2%と好調な売れ行きを見せていた。

 
【さらば、ゴジラ・・・】

 1995年12月9日、いよいよ公開された「ゴジラVSデストロイア」は、期待通りのスタートを切った。オープニングの勢いは、当時筆者が書いた記事によると「配収22.2億円をあげた東宝正月映画の新記録『ゴジラVSモスラ』を上回り、復活ゴジラ・シリーズ最高、そして正月作品として公開された日本映画としては最高(従来は東映『里見八犬伝』の23.2億円)の記録を超える可能性が大きく、東宝では『30億円に迫る驚異的な勢い、堂々たるスタート』とのコメントを発表した」とある。確かにそう表現してもおかしくはない、圧倒的なスタートであった。初日、2日目の興収上位ベスト3劇場は次の通り。

 1=梅田劇場(1万5450名、2152万5400円)
 2=日劇東宝(8549名、1132万8000円)
 3=京都宝塚(8963名、1044万300円)

 また「ゴジラVSデストロイア」は、6都市8館において、元日から5日までの5日間で、計6万7519名、興収8782万2950円をあげ、前作「ゴジラVSスペースゴジラ」対比人員122.6%、興収125.2%と2割以上のアップを果たした。最終的には配給収入20億円と、「日本沈没」とイーヴン、残念ながら「ゴジラVSモスラ」の22.2億円を上回ることも「里見八犬伝」の23.2億円を超えて、日本映画正月作品トップとなることは出来なかった。
 だがしかし、その後ハリウッド製「ゴジラ」を経過して、所謂“ミレニアム・シリーズ”・・「ゴジラ2000〈ミレニアム〉」から「ゴジラ/ファイナル・ウォーズ」までの6作品の興行成績を見るや、国産の特撮映画,怪獣映画としては最高の成績であったことが、改めてうかがえるというものだ。
 ファンにとっても作り手たちにとっても、怪獣映画にとっても、良き時代であった。

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