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特殊映像ラボラトリー 第14回 ゴジラVSシリーズの栄光(後編)

【破壊神降臨。】

 予定より遅れることが決定的になったハリウッド・ゴジラのため、東宝は「−VSメカゴジラ」以降もシリーズの続投を決定。しかしキングギドラ、モスラ、メカゴジラ、ラドンなどの人気怪獣たちはすべてこれまでのVSシリーズに登場させてしまったため、新たな対戦相手を設定する必要に迫られた。そこで生み出されたのが、スペースゴジラである。
 ゴジラVSシリーズの新作「ゴジラVSスペースゴジラ」は、例年よりやや遅めの6月27日に特撮班が、7月21日より本編班がクランクインした。当時の東宝はゴジラVSシリーズで蓄積した新たな特撮技術を用い、プロパー作品でのヒット・シリーズを開拓する道を模索していた。ところが1994年7月に公開された「ヤマトタケル」は、配収8億円と苦戦。公開時期にTVアニメやコミックなどと連動するメディアミックス展開も行われたが客足の伸びには繋がらず、当初の3部作構想も断念することとなってしまった。

 「ゴジラVSスペースゴジラ」の製作発表は1994年7月7日に東宝スタジオで開催されたが、なんとその翌日、8日午後6時半から東宝本社にてハリウッド・ゴジラの監督が、「−VSスペースゴジラ」と同時期に公開される「スピード」のヤン・デ・ボンに決定したとの記者会見が行われた。
ゴジラ関連の記者会見が2日続いたのは「−VSスペースゴジラ」の記者会見に記者たちを集めておいて、その隙にハリウッド・ゴジラの会見で配布するヤン・デ・ボン監督の写真を、「スピード」を配給するフォックス宣伝部まで取りに行ったそうだ。そこまで厳重に秘匿したヤン・デ・ボンのゴジラ監督就任も、ほどなくしてローランド・エメリッヒに変更されるのだが・・・。
 
【媒体価値50億余円の、大型タイアップ。】

 公開を前にした「ゴジラVSスペースゴジラ」の宣伝展開は、例年通りタイアップ、プロモーション、パブリシティの3本柱を中心に、大々的に展開された。
 まずタイアップは、JOMO、西友、コニカ、NEC、バンダイ、舞子後楽園スキー場(関東地区)、ミニミニ(中部地区)、ユーストア(中部地区)、東京ガス(神奈川県)、ベスト電器(九州地区)、メガネの愛眼(九州地区)、コープ九州(九州地区)、日本食品デリック(九州地区)、カメラのドイ(九州地区)、スペースワールド(九州地区)、そうご電器(北海道地区)と、支社扱いのローカル企業にまで、例年以上にきめ細やかなタイインを行っていることが分かる。これらのタイアップは、「−VSスペースゴジラ」やゴジラたちのキャラクターを企業の広告やスポットに使用する代償として、「−VSスペースゴジラ」の公開告知や前売り券扱いなどを行う手法だが、これらを有料広告として媒体価値を換算した場合、実に50億2600万円に相当する、との記述がある。現在のハリウッド映画の宣伝費(その大半は広告出稿やTVスポットに費やされる)が、大作クラスで10億円前後であることを考えると、15年前のこのタイアップがいかに大規模なものかが分かろうというものだ。

 パブリシティ展開では、前作に続いて小学館連合との連動企画で、全国1万人試写会を11都市11会場で一斉に開催。また主題歌「エコーズ・オブ・ラヴ」CDのPOPボードに割引券を入れ、全国200店舗のレコード店で5万枚配布するといった試みも実施された。
 さらに11月3日「ゴジラの日」では“怪獣文化勲章”を41回目の誕生日を迎えたゴジラに授与。スタッフ、キャストによる、これも恒例の地方キャンペーンは秋田、山形、名古屋、新潟、静岡、鹿児島、札幌、熊本、福岡、大分、大阪の11都市。

 例年と異なり、新怪獣スペースゴジラの認知度を上げる必要があったために、これほど大規模な宣伝展開が行われたのだろう。「ゴジラVSスペースゴジラ」には、スペースゴジラ以外にもモゲラ、リトルゴジラ、フェアリーモスラといった怪獣キャラクターが登場するが、正直リトルゴジラの外観には、当時戸惑いを覚えてしまった。ゴジラVSシリーズについて、東宝はファミリー番組と捉えており、その興行の成功には何よりもファミリー、特に子供たちの動員が必須だと考えていることは、これまでにも述べた。
しかし宣伝材料などでは、あからさまに子供向けな表現をせず、むしろ大作感を前面に出したとも書いた。ところがリトルゴジラときたら、あたかも子供たちの人気者になることを狙ったかのような、そのフォルム。大きな目玉にずんぐりむっくりの体型。その表情はいかにも漫画チックで、とうてい破壊神ゴジラの血を引いているようには見えない。違和感がある。聞けば川北特技監督が、ことの他お気に入りだという。「これって・・・いいんですかねえ?」。当時宣伝部に在籍していたベテラン社員に語りかけると「色んな議論があったんだよ。でも、オレはプッシュした。なんたってオレたちは、ミニラを成功させたじゃないか!!って言ったんだ」。
 ・・・耳を疑った。
 「ミニラを成功させた」って・・・あれは「成功」と捉えられているのだろうか?

 ファンとしては、ミニラこそ悪役のプライドを失い、ゴジラが教育パパ(ママ?)へと堕落した時代の、負の象徴。諸悪の根源(そこまで言うか)。ところが、ゴジラ映画を永年売り続けてきた立場になると、子供に向かってミニラのキャラクターをメディアに露出。「成功させた」とは雑誌などでミニラを取りあげた記事が多数掲載されたことを指すのだろう。このあたりは送り手と受け手、ファンと宣伝マンの認識の違いだろうとは思うが、そのあまりな認識の違いの激しさに、しばし呆然としたことを覚えている。

【「ゴジラを操ろうだなんて、人間の思い上がりです」】

 さて初日を迎えた「ゴジラVSスペースゴジラ」だが、これまた当時筆者の書いた記事を読むと、オープニング2日間の興行成績は、「全国主要26館で、前作『ゴジラVSメカゴジラ』対比(配収19億円)対比人員103%、興収106%」で、「観客層は小学生と父親というファミリー層を中心に、ゴジラ・ファンはもちろんのこと若いカップル、中高年(家族三代)も目立つ幅広いもの。男女比は8VS2」となっている。初日・2日目における興収上位3館は次の通り。さすがに映画の舞台となった“怪獣銀座”福岡が強い。

 1=梅田劇場(1万2672名、1788万7000円)
 2=福岡宝塚(9134名、1032万5000円)
 3=京都宝塚(8150名、990万8000円)

 例によってオープニング時の発表では「配収20億円を十二分に望める絶好調な興行」と、景気の良いフレーズがプレスリリースに踊るが、実際には配収16.5億円と、「−VSメカゴジラ」から2億円以上ダウンしたのは、シリーズとしての宿命なのかもしれない。
 その「−VSスペースゴジラ」の最後に、これまた恒例と化した次回作の後付け特報が上映された。「急告」の文字に続いて、これには昭和29年版「ゴジラ」の山根博士がカラーで(!)登場し、「あれが・・最後の一匹とは思えない・・」とつぶやく、かの名シーンが使われており、日劇東宝初日の観客は当然のごとく騒然。「ゴジラ、ついに死す?」とのコピー。「ゴジラ7」との仮タイトルは、やがて「ゴジラVSデストロイア」と正式に決定した。

3に続く

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