2010年12月18日

戦うことが美徳である証明

戦慄! 通勤・通学時のバス車内を襲った惨劇…

JR取手駅前 刃物男取り押さえに見る民意のチカラ!

clip_image002

 凄惨な無差別襲撃事件の発生だ。

 12月17日早朝、JR取手駅西口のロータリーに停車中のバスは通勤・通学途中の乗客でごった返す中、無職・住所不定の斎藤勇太容疑者(27歳)が突如として刃物を取り出して次々と乗客らを切りつけて襲いかかった。

 東京・秋葉原における無差別殺傷事件もそうだが、つくづくこの手の事件はいつどこで発生するやも分からず、時と場所を選ばない。
 取手駅と言えばかなり以前に拉致問題解決への署名活動のため私も赴いたことがある。

 乗客の悲鳴と怒号、異変を知らせようと運転手が鳴らし続けたクラクションが駅周辺に響き渡る中、車内に乗り合わせた乗客やバス運転手らが斎藤容疑者を取り押さえ、駆けつけた警察官に引き渡したという。

 負傷者は女子高生や中学生ら、大人まで含めて計14名。

 バス車内での惨劇と言えば平成12年(00年)に佐賀で西鉄バスジャック事件を引き起こした当時17歳の谷口誠一(インターネット掲示板『2ちゃんねる』でのハンドルネームは「ネオ麦茶」を思い出す。

 あの時、車内から逃げ出した乗客がいたり、男性の乗客らが少年を取り押さえようともしなかったことに批判的な意見があがったが、常日ごろの社会から暴力の一切を排除し、喧騒を非日常的なものにしてしまったことの代償と言えるのではないか。

 昔、日本社会のそこら中で毎日のように喧嘩沙汰が起きていたという。
 まだ戦争帰りの日本人が社会の中枢を担っていた頃、街中には荒々しい男達がむさ苦しくひしめいていたが、ゆえに三国人(朝鮮人ら)の乱暴狼藉が発生した際には即座に対応し、か弱い女子供を守るチカラを日本社会は持っていた。

 それが今では表層的には安全になったように見えて、その実、日本人が覇気と活力を失って危機への対処能力を失った。
 加えて高齢化社会なのだから世代間の共生意識が希薄になるとますます社会のチカラは低下する一方だ。 

 西鉄バスジャック事件から1年後の平成13年(01年)、大阪で池田小学校が精神異常者・宅間守(故人 =後に死刑執行=)によって襲撃されて多くの児童が犠牲になり、この時も咄嗟の出来事に教室から逃げ出した教師がいたことに批判的な意見があがったが、これも教育現場から「体罰」という暴力を排した結果、危機への対処能力が備わっていなかったという社会全体の責任である。

 今回の事件で特筆すべきは周囲に居合わせた乗客らが臆することなく、凶器を手にした犯人を取り押さえたという点だろう。
 凶器こそ手にはしていなかったが、私も以前に街中で窃盗犯が逃走中の現場に遭遇し、それを追っていた若者らと協力して取り押さえたものだ(下記エントリー参照)。

[治安]生きている日本の情緒見た!(※画像が表示されなくなっています)
http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51026988.html
703064607_241
写真:筆者が偶然にも出くわした窃盗犯逮捕の瞬間(東京・御徒町)

 現代日本人の知的レベル(特に都心部で)は凄まじい勢いで低下・退化・劣化が進行している。
 数年前、東京都内で今回の取手駅と同じような通り魔的な無差別刺傷事件が発生した際、周囲の誰もが犯人を取り押さえようともせず、偶然にも都内に出張で上京していた地方在住の会社員らが犯人を取り押さえたのだが、それを見ていた通りがかりの中には果敢にも凶悪犯を取り押さえた会社員らに対し「暴力はやめなさいよ」という旨の注意をしたというのだから驚きだ。

 今回の取手駅バス・ロータリーでの事件への対処は、日本社会でかすかに生きていた活力と良識が有用に働いたものとして一定の評価をしたい。  

 結局のところ、大事なのは眼前で何らの非もない少年少女ら乗客が無差別に襲撃されるという不条理な出来事を見過ごさないとする「社会の良識」「民意」なのである。

 これは刃物や銃器を使った凶悪犯罪に限らず、日本という国に対して支那(中国)や朝鮮など周辺国が不当な要求を突き付けてくる、支那人(中国人)や朝鮮人など在日外国人が不当な権利を横暴にも要求して日本人を侮るといった不条理にどう対処すべきかという問題にも通ずるだろう。

 私たち「行動する勢力」即ち「排害運動」勢力が日頃、街頭でデモや抗議を繰り返すのにはそれで何がどうなるといったことよりも日本社会から失われた活力を取り戻せとする意義を持っている。

 一たび道理の通らぬ不条理なことが起きれば怒声を張り上げるし、喧騒を巻き起こすことさえも当然のことだと思っている。デモ・抗議行動の妨害者に対しては乱闘まがいに騒ぎ立てることもあるが、全ては「危機への対処」である。

 嬉しい時には飛び跳ねて笑い喜び泣いて喜ぶ、怒るべき時には怒る、これが人としても日本人としても当然の感情だ。

 国家の尊厳が虐げられ、日本人が侮りを受けた時、これに猛然と反撃する活力もない国・社会に眼前で起きた凶行に立ち向かう活力があるはずがない。

 今回の取手駅バス・ロータリーでの凶行は周囲の人々が「やめて下さい」「武器を捨てて」「話し合いましょう」などと説得して制止したわけではない。
 最終的には危機に対して「立ち向かう」「戦う」という姿勢に基づく行動が凶行を制止したものであり、戦うことこそ美徳であると証明された。

 これは国家・民族、政治の問題に置き換えてもまったく同じ。

 今、支那人・朝鮮人といった敵性民族は「友好」だの「共生」という武器を以ってして日本人の戦う美徳を封じ込めようと躍起になっている。
 それら、まやかしの言辞を拒絶して、日本人の側から戦う姿勢を示さない限り、友好・共生の名の下に日本は彼らに乗っ取られたままなのである。 

clip_image001 伝えられるところによると、殺人未遂容疑で逮捕された取手バス襲撃の斎藤勇太容疑者について古くを知る人々は「大人しかった」とその人柄を伝えているが、マスコミのこのような杓子定規な報道は何らの意味を成さない。

 今年の1月24日、東京・新宿で行なわれた在特会デモが支那残留孤児3世の少年によって催涙スプレーやスタンガンで襲撃された際、私どもも少年が当時通っていた神奈川県内の高等学校へ赴いた。
 担任教師も生活指導の体育教師も口を揃えて「大人しい生徒で、自分から何かを率先して行なおうとするタイプではないだけに驚いています」と述べたように、その凶暴性は何かをきっかけに暴発するものである。

 在日支那人・朝鮮人といった日本人にとっての敵性民族はそのようにナリを潜め、善良且つ優良に振る舞っては常に被害者を装っている。
 たとえ刑事事件の加害者であっても被害者・弱者を装う。

 日本社会が活力を取り戻さない限り、それら敵性民族による「やられた者勝ち」の被害者演出・弱者演出はますます増長する一方である。取手バス襲撃のような事件も。

 戦う、立ち向かう、日本人の覇気と活力はまだ死滅していないことを示す行動の継続あるのみだ!

★凶悪支那人遺族の被害者ヅラを許すな! 以下、裁判闘争のお知らせ

いよいよ結審!

治安の死守とは凶悪支那人から訴えられた警察官を守ることだ
正義の警察官を付審判(起訴)で裁くな!

日時:平成22年12月21日(火曜日) 公判開始13:30 街宣開始12:00
場所:宇都宮地方裁判所 ※傍聴券の抽選あり
主催:主権回復を目指す会 NPO外国人犯罪追放運動
連絡:有門大輔(090−4439−6570) 西村修平(090−2756−8794)

※今回の栃木行きでは私どもNPO外追は実際に発砲のあった真名子駐在所付近をルポする予定です。

no_2ch_0

極右の旗へ集え! 
応援クリック宜しくお願いします。



Posted by samuraiari at 02:22│Comments(2)TrackBack(0)この記事をクリップ!

この記事へのトラックバックURL

http://trackback.blogsys.jp/livedoor/samuraiari/51632871
この記事へのコメント
日本の「公」、秩序を守る為の「勇強」
Posted by 22 at 2010年12月18日 03:43
まったくおっしゃる通りと思います、
勇気を出して立ち向かおう
有門さんの記事を楽しみにしております。

後藤
Posted by 後藤 at 2010年12月18日 04:28

コメントする

名前
URL
 
  絵文字