言葉の耐えられない軽さ
ITmedia エンタープライズ 12月6日(月)16時25分配信
柳田稔法務大臣が辞任した。地元での大臣就任祝賀パーティでの「軽口」がたたって、とうとう辞任に追い込まれた。補正予算案を「人質」に取られる時期だったというのが不運と言えば不運だが、それにしてもテレビカメラの前でしゃべるには内容がお粗末すぎる。いかに冗談とはいえ、国会での質問には2つの決まり文句があればいいと言ったのだから、野党が見逃すはずはない。【藤田正美,ITmedia】
●政治家にとって言葉は命
もっとも柳田氏だけを責めるわけにもいくまい。民主党政権は何せ「失言」の多い政権だという印象がある。鳩山首相は発言が迷走し、とうとう自分の言葉で自分の首を絞めてしまった。しかも総理大臣の地位を棒に振っただけではなく、国まで危うくしてしまった。普天間基地移設問題で日米関係はギクシャクし、中国とロシアから領土問題で攻勢をかけられるスキをつくった。
本来、政治家にとって言葉は命と言っても過言ではない。政治家の仕事は利害の調整であり、そのために必要なのは人々を説得するスキルである。しかも、あるべき社会に関する自分のビジョン(あるいは党や内閣のビジョン)に基づいていなければならない。ビジョンなしに調整すれば、無原則的な妥協になるか、あるいは無理矢理押し通すかしかない。
その意味で民主党で最も気になるのは、閣僚たちの失言よりも、マニフェストなどの「食言」である。「国の予算を精査すれば20兆円ぐらいは簡単に出てくる」と言っていたのはどうなったのか。鳴り物入りの事業仕分けもすっかり色あせて、最近では財源を期待しないで欲しいなどと予防線を張る始末。財源がないために子供手当は「現物支給で」などと強弁する。積み上がる赤字をどうするのか、財政再建の道筋はどうなっているのか、何ら明らかにできないままに2011年度予算を組まざるをえなくなっている。
さらに、政治の透明性を確保するという意気込みは今ではすっかり消えてしまったかのように見えるのもおかしな話だと思う。そういうと「事業仕分けは予算を国民の目にさらしているのであって、これ以上の透明性はない」と反論されるかもしれない。それならば、事業仕分けの議論の過程が文書として公表されない理由がわからない。
●透明化とは
それだけではない。毎日、内閣官房長官が記者会見をしているが、その内容は冒頭の官房長官談話を除いてまったく公表されない。しかしこの記者会見で最も重要なのは、記者との一問一答である。常に「発言の一部だけを切り取られても」という言い方で、新聞報道などを批判するのなら、一問一答まで書き起こしてサイトで公表すべきなのである。実際、アメリカのオバマ政権は「米政治史上最も透明な政権を目指す」として、報道官による記者会見の速記録を公表している。
もちろん報道官側の発表だけでなく、記者とのやりとりも公表しているのである(冗談まで入っている)。もちろん、こうした政府の活動をすべて文書化すると大変な労力が掛かるのは分かる。しかしそれだけのコストを掛けても、政治を透明化することによって、日本の政治は確実に変わるはずなのだ。
公表されないという「安心感」からか、仙石官房長官は相手の論理の隙間を突くことに熱心で、その分、自分の言葉にスキが多いように思う。那覇地検の「外交的判断」は「諒とする」と言って、首相官邸が関与していないことを強調したのに、ビデオをリークした海上保安官に関しては「逮捕されないことが理解できない」と検察批判を展開した。司法は政治から独立すべきというのが持論ならば、これはおかしな話だ。
また海上保安官を罰するべきではないという声が多いと記者が聞くと、「多いというのはどれぐらい多いのか。厳罰に処すべきという声が圧倒的多数であるとわたしは思う」と反論した。この言い方は論理的にまったくおかしいのである。記者には具体的な根拠がないだろうと責めておいて、自分は「と思う」と逃げて「圧倒的多数」という言葉を残した。
これらのやり取りは日常的で些細な話ではあるが、実はそこに表れているのは、言葉を重要視せず、その場限りの言い繕いに終始する民主党の病根でもある。揚げ足を取るのは好きではないが、そこから民主党の病根を退治しない限り、この政権は短命に終わり、国民は限りなく深い政治不信の中に取り残されてしまいかねないのである。
そうなったら、それでなくても弱っている日本経済はますます泥沼から抜け出すことができなくなる。「政治主導」で日本が沈没することなど願い下げである。
(ITmedia エグゼクティブ)
●政治家にとって言葉は命
もっとも柳田氏だけを責めるわけにもいくまい。民主党政権は何せ「失言」の多い政権だという印象がある。鳩山首相は発言が迷走し、とうとう自分の言葉で自分の首を絞めてしまった。しかも総理大臣の地位を棒に振っただけではなく、国まで危うくしてしまった。普天間基地移設問題で日米関係はギクシャクし、中国とロシアから領土問題で攻勢をかけられるスキをつくった。
本来、政治家にとって言葉は命と言っても過言ではない。政治家の仕事は利害の調整であり、そのために必要なのは人々を説得するスキルである。しかも、あるべき社会に関する自分のビジョン(あるいは党や内閣のビジョン)に基づいていなければならない。ビジョンなしに調整すれば、無原則的な妥協になるか、あるいは無理矢理押し通すかしかない。
その意味で民主党で最も気になるのは、閣僚たちの失言よりも、マニフェストなどの「食言」である。「国の予算を精査すれば20兆円ぐらいは簡単に出てくる」と言っていたのはどうなったのか。鳴り物入りの事業仕分けもすっかり色あせて、最近では財源を期待しないで欲しいなどと予防線を張る始末。財源がないために子供手当は「現物支給で」などと強弁する。積み上がる赤字をどうするのか、財政再建の道筋はどうなっているのか、何ら明らかにできないままに2011年度予算を組まざるをえなくなっている。
さらに、政治の透明性を確保するという意気込みは今ではすっかり消えてしまったかのように見えるのもおかしな話だと思う。そういうと「事業仕分けは予算を国民の目にさらしているのであって、これ以上の透明性はない」と反論されるかもしれない。それならば、事業仕分けの議論の過程が文書として公表されない理由がわからない。
●透明化とは
それだけではない。毎日、内閣官房長官が記者会見をしているが、その内容は冒頭の官房長官談話を除いてまったく公表されない。しかしこの記者会見で最も重要なのは、記者との一問一答である。常に「発言の一部だけを切り取られても」という言い方で、新聞報道などを批判するのなら、一問一答まで書き起こしてサイトで公表すべきなのである。実際、アメリカのオバマ政権は「米政治史上最も透明な政権を目指す」として、報道官による記者会見の速記録を公表している。
もちろん報道官側の発表だけでなく、記者とのやりとりも公表しているのである(冗談まで入っている)。もちろん、こうした政府の活動をすべて文書化すると大変な労力が掛かるのは分かる。しかしそれだけのコストを掛けても、政治を透明化することによって、日本の政治は確実に変わるはずなのだ。
公表されないという「安心感」からか、仙石官房長官は相手の論理の隙間を突くことに熱心で、その分、自分の言葉にスキが多いように思う。那覇地検の「外交的判断」は「諒とする」と言って、首相官邸が関与していないことを強調したのに、ビデオをリークした海上保安官に関しては「逮捕されないことが理解できない」と検察批判を展開した。司法は政治から独立すべきというのが持論ならば、これはおかしな話だ。
また海上保安官を罰するべきではないという声が多いと記者が聞くと、「多いというのはどれぐらい多いのか。厳罰に処すべきという声が圧倒的多数であるとわたしは思う」と反論した。この言い方は論理的にまったくおかしいのである。記者には具体的な根拠がないだろうと責めておいて、自分は「と思う」と逃げて「圧倒的多数」という言葉を残した。
これらのやり取りは日常的で些細な話ではあるが、実はそこに表れているのは、言葉を重要視せず、その場限りの言い繕いに終始する民主党の病根でもある。揚げ足を取るのは好きではないが、そこから民主党の病根を退治しない限り、この政権は短命に終わり、国民は限りなく深い政治不信の中に取り残されてしまいかねないのである。
そうなったら、それでなくても弱っている日本経済はますます泥沼から抜け出すことができなくなる。「政治主導」で日本が沈没することなど願い下げである。
(ITmedia エグゼクティブ)
最終更新:12月6日(月)16時25分