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旧駅ビルの開業から40余年。1日の利用客は7万人から35万人まで増加。滞留空間が少ない、博多口と筑紫口が分断され回遊性が乏しい、交通の要所でありながら接続がわかりにくい。時代が進む中で、数々の空間的な問題が生じてきたのもひとつの開発のきっかけになった。しかし、それ以上に今までの博多駅に足りなかったもの、それは「賑わい」であったと渡邊氏は語る。新幹線や地下鉄が直結し、福岡空港や博多港にも近い交通の要所でありながら、博多駅地区は単なる通過点になってしまっていたのだ。 平成16年3月、社内に開発担当部署が発足。共通して抱いていたのは「博多駅地区活性化の起爆剤となるような賑わいのある駅を開発したい」という想い。九州新幹線の全線開通、博多駅地区でのまちづくり機運の高まりなどを背景に、本格的な計画がスタートしたのだ。 |
| 九州新幹線の完成は、高速で大量の人の移動を可能にする。まさに、九州の新時代の幕開けになるはずであろう。要と捉えたのは、交流人口。「今のような人口減少の時代、交流人口というものが大きな意味をもってくる」。そんな想いのもと博多駅周辺だけでなく、九州全体を意識したプロジェクトとしての展開が図られた。もちろん、「開業したら終わりではない」という言葉通りに、いかに発展を継続していくかを見据えた計画が練っていかれた。「九州発展の運命を背負っている」という言葉に、プロジェクトに課せられた天命が隠れている。 |
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しかし、工事の進行は平坦な道のりではなかった。線路の上までを開発するゆえに、通常のビル工事とは比べものにならないほど長期の工程を選ばなくてはならなくなったのだ。JRの列車だけでも一日1,000本以上。それに、地下鉄なども含め、運行の遅れが出ないよう、現場では安全性が最優先とされる。毎日の通勤や通学だけでなく、観光や出張で訪れる方にも「ストレスなく利用いただきたい」と、細心の注意を払った工事が進められている。 長期間の工事は、時代の変化という難問も課してくる。「計画を発表した平成17年からは、世の中の状況は大きく変化してしまった」とつぶやく通り、時代の流れが早い中で、先を読んでプロジェクトを進めることは、かなりの感度と計画性が求められるのだ。 |
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“多くのメンバーをまとめていく秘訣は?”という問いには、「メンバーみんなでビジョンを共有すること。それに向かっていろいろなアイデアを出し、徹底的に議論する。異論反論があろうが最終的に1つにまとまっていける」と、答えてくれた。また、苦しいこともあるが、「夢のあるプロジェクトだけに、我々がまず夢と希望をもって楽しんでいかなければ」とも語る。 JR博多シティプロジェクトは、街の顔そして、街の発展をもつくっていく開発である。それは、失敗の許されないとても責任の重い仕事であると同時に、時代をつくりだす「達成感」という大きな喜びが得られる仕事でもあるのだ。 |