■1991年03月11日 予算委員会第二分科会
○串原主査代理 これにて衛藤晟一君の質疑は終了いたしました。
次に、仙谷由人君。
○仙谷分科員 仙谷でございます。
私は主として、今サハリンに、既に戦後四十五年あるいは四十六年目に差しかかっておるわけですが、残留をせざるを得ないという韓国人の問題、それから時間がありますれば、最近また香港の軍票の問題というのがあるようでございますので、これについて外務省、外務大臣にお尋ねをいたしたいと考えております。
まず一番に、昨年のこの予算委員会の分科会におきましても、外務大臣に日本の朝鮮半島に対する軍国主義的な侵略について質問をさせていただきまして、外務大臣の方から真摯な御答弁をちょうだいしたわけでございます。その後に盧泰愚大統領も日本に来られたわけでございますが、湾岸危機、湾岸戦争ということもあって、日本の置かれた国際的な位置というものが変わってきたといいますよりも、我々が気づかずにいたものがはっきり見えてきた部分が相当あるのではないか、こんなふうに私も考えております。
昨年の七月二十八日に中山外務大臣がASEANの拡大外相会議に出られて、そこで日本の軍事的役割の拡大を懸念するというふうな発言がマレーシアのアブハッサン外務大臣からなされて、ある種びっくりしたというふうな報道がなされております。私も昨年八月十五日に、このサハリン残留韓国人の問題で韓国の大邱というところへ訪問しまして、ちょうど八月十五日というのは中蘇離散家族会という、つまりサハリンに強制連行された人々の御遺族であったり御家族であったりする人が大会を開く日であるわけでございますが、そこにお伺いをして会を見てまいったわけでございます。その後、プライベートでシンガポールへ十一月に旅行をしましたら、偶然でございましたのですが、そこに六十七メートルの尖塔といいますか塔が建っておりまして、日本軍によって一九四二年から四五年までの間に三万人殺されたという表示がある、そういう塔が建っておることに、それまで気がつかなかったのですが、気がついたわけです。
私は、アジアの中の日本ということを考えるときに、どうしても第二次世界大戦といいますか太平洋戦争というのですか、日本の引き起こしたアジア地域における軍事的な行動というものがアジアの諸国民の間で、あるいは諸国の間で決してまだ忘れ去られていないと思いますし、まだ日本の戦後責任のとり方といいますか、それが不十分であったのではないか、あるいは全くできていない部分もあるのではないか、そういう感を強くしておるわけでございます。
そういうことから、昨年のASEANの会議あるいはアジア諸国の日本の軍事的プレゼンスに対する感覚といいますか、この点についてまず中山外務大臣に御意見を伺いたいと思います。
○中山国務大臣 昨年のASEAN拡大外相会議におけるアブハッサン・マレーシア外相の発言、これは大変意味のあるものだと私は認識をいたしました。そのために、私はその会議において、日本の平和憲法また日本国民の戦争を求めることのないコンセンサス、そのようなことを説明しながら、我々の国は軍事大国化にはならない、そして日米安全保障条約を維持しながら安全を確保して、我々はアジアの国の一国としてアジアの国々と協力をしていくということを、それに対する日本側の意思として申し上げたことは御理解いただいていると思います。
今委員から御指摘のようにシンガポールの、何かシンガポールには占領中に虐殺された華僑の慰霊碑が建っております。私が拡大外相会議からAPECの会合へ出るためにシンガポールへ着きましたら、日本のシンガポール大使がそのことをまず申しまして、いいタイミングに日本政府の意思
を明確に説明していただいた、よかったと申しておりましたが、私もまた、本年は太平洋戦争の五十周年、この機会に日本政府としては、毎年八月十五日の終戦記念日に国家も国民も反省をしておりますけれども、改めて我々はこの記念すべき年に当たってその反省を深めることがさらに近隣諸国に対して信頼を強めていくという一つの有意義な方法ではないか、このように考えております。
○仙谷分科員 そこで、日本が二十一世紀に向かってどうしてもアジアを中心に考え、アジアの中でリーダーシップをとっていかざるを得ない立場に、客観的にはあると思うのですね。ところが、余りにも経済力が他の諸国と比べてスーパー過ぎるといいますか、大き過ぎるというところへ余り自覚をしないままにきてしまったということもあるわけでございますが、私はどうしても戦後責任の問題をもう一遍考え直して、決着をつけるといいますか、清算をしない以上、やはり幾らお金をODA等々でつぎ込んでも、いつも警戒の目あるいは不信の目で見られていくのではないか。やはり足元の戦後責任といいますか、戦争でしでかした事柄でまだ未解決で残っておる問題については、誠意を持ってこれを解決しなければならないのではないか、そうしないと、アジアの中である種の尊敬といいますか、ある種の友好的な、本当に友好関係を築けないのではないか、そんな感じがするわけでございます。その戦後責任をもう一度問い直して決着をつけていく、この点については外務大臣いかがですか。
○中山国務大臣 先ほども申し上げましたように、前の大戦で迷惑をかけたアジアの方々、これに対する日本の考え方というものは、今申し上げたように、この反省の気持ちを忘れずにアジアの一国としてお互いに生きていくということが大事でございますけれども、まだあの時代の世代の方方が現在現存しておられる国がたくさんあるわけでありまして、そのような方々が、その当時の痛みを肉体的にも精神的にもまだ覚えているという状況がまだ存在していることは否めない事実であろうと思います。その方々に対して賠償といったようなことは一応けりがついておる。朝鮮半島の問題は、まだ北朝鮮に対しては、ただいまも日朝の第二回本格会談が開かれようとして、けさも私は北朝鮮の外務次官にお目にかかったところでございますが、誠意を持って問題を解決するように努力をするということをけさも申し上げたところでございまして、このような努力を続けながら、金銭的な面だけでなしに、精神的にも信頼されるアジアの一国という位置を築かなければならないと考えております。
○仙谷分科員 そこで、そういう観点からサハリンに残留を余儀なくされておる韓国人の方々の処遇といいますか、これから日本政府として、日本として行わなければならないことというそのことに関して、少々私の方からお尋ねをしたいというふうに考えるわけであります。
この問題につきましては、今ちょうど傍聴に、傍聴というよりも出席していただいておりますけれども、五十嵐広三議員が昨年の四月十八日の外務委員会で中山外務大臣に質問をさせていただいて、中山外務大臣の謝意の表明をいただいておるわけでございます。ことしの二月二十二日の予算委員会でも、同趣旨の御発言と岸本政府委員あるいは谷野局長の御答弁をいただいたようでございます。
そこで一点だけ確認をしたいわけでございますが、特に今現存されておる方は三万九千人ほどというふうに聞いておりますが、このサハリン残留韓国人の方々、この方々が日本あるいは日本を通過して韓国に帰れなかった原因というものについて、二月二十二日の岸本政府委員の御発言ですと、日本人俘虜と一般日本人の二者に限られた。要するに、引き揚げ作業がそういうふうに二者に限られた。それはソ連地区引揚に関する米ソ協定、一九四六年十二月十九日の米ソ協定によって二者に限られた。したがって朝鮮、韓国人の方々の引き揚げが行われなかったという御趣旨の発言が議事録に載っておるわけでございますが、そのような理解でよろしいのでございますか。
○谷野政府委員 何分古いお話でございますが、私どもの理解でも当時、もちろん当時は第二次大戦直後でございまして、我が国は連合国の占領下にございました。そういうことで、ただいまお話の南樺太からの引き揚げも含めまして、終戦後の引き揚げはすべてこの連合国の責任のもとにおいて遂行されたという状況でございます。そういうことで、ただいま委員がお話しになりましたような対応での引き揚げということになったのだというふうに私どもも理解いたしております。
○仙谷分科員 日本政府としていわば国家主権が大幅に制限されたといいますか、あるいはほとんどないというふうに言った方がいいのかもわかりませんが、当時の状況下では主権制限を受けておったという理解のもとでお伺いするのですが、その中でも、日本人の外地からの引き揚げについては随分連合国司令官あるいはソ連代表部といいますか、そういうところに日本政府は一生懸命働きかけたという事実がおありになるようです。その結果、三百万人と言われるような日本人が復員されてきたということを私もお伺いするわけです。今サハリンに残留しておる韓国人や朝鮮人の方々に対しては、この人たちが本国に帰れるようにあるいは日本に帰れるようにという要請なり作業を当時の日本政府として行ったという、何かそういう資料というか証拠というのはあるのでしょうか。
○谷野政府委員 先般の予算委員会におきましても、五十嵐先生より同様の御質問が具体的にございました。五十嵐先生の方から、当時のソ連の赤十字の総裁の書簡に言及されまして、その中において、日本政府が当時の引き揚げの対象から樺太の朝鮮人の方々を除外するように働きかけたという趣旨の記載があるけれどもどうだというお尋ねがございまして、私どももその後、同じような申し上げ方になりますけれども、何分古いときのことでございますので、大臣の御指示もありまして、現在、当時の状況を調査中でございます。いましばらくその時間をいただきたいと思います。
○仙谷分科員 その問題を今からお伺いしようと思ったのですが、先回りしてお答えをいただきましたので、それでは鋭意御調査を続けていただきたいと思うのです。
そこで、次の問題に入るわけです。
私も中蘇離散家族会というのにも昨年八月十五日出席をさせていただいた。去る二月十一日から十三日までの間に原団長、五十嵐事務局長というサハリン友好議員連盟の一員としましてサハリンにお伺いをして、やはりサハリン離散家族会というのがございますが、その会合にも出席をさせていただきましたし、御家庭を訪問してお話も伺ってきたわけでございます。その中で、やはり日本の強制連行あるいは半ば強制連行的にサハリンへ連れていって強制労働させたということについては、非常な怨念というか、怒りの気持ちが消えてないようでございまして、その上に今高齢化してどうも将来の生活に不安をお持ちだ、こういうこともあるようでございます。
そこで、中山外務大臣、私ひとつお願いもしたいのは、この際、北方領土の問題等々おありになるのでしょうが、サハリンに行かれて離散家族会の方々とお会いになる、あるいは韓国に行かれて中蘇離散家族会、つまり御遺族や強制連行を受けられた方々の御家族、この方々とお会いになって謝意を表しながらお話をしていただく、こういうことをお願いしたいわけでございますが、いかがでございましょうか。
○中山国務大臣 この御意見につきましては、一応私の方で検討させていただきたいと存じます。
○仙谷分科員 特に韓国の中蘇離散家族会の方々の御発言というか、お話を聞いておりますと、強制連行が本人の生活を奪い、親の生活を奪い、子供の生活を奪った、要するに三代の生活を奪った極めて、生の言葉で言えば悪逆非道ということになるのでしょうけれども、厳しい行為であったということを必ず言われるわけでございます。今韓国に残された家族の中では、年寄りのおばあちゃ
んが多いわけでございます。それから、サハリンへ行きましても、もう身寄りのない高齢者の方もいらっしゃるわけでございます。あるいはサハリンに行かれて韓国の方へ永住帰国をしたいという希望をお持ちの方も随分多くいらっしゃるようでございます。これは何人という数字を調べたわけじゃございませんけれども。この点について、今は日本政府が年間、今年度一億二千万という予算を確保して、ソ連赤十字と日本赤十字の共同事業という格好で、チャーター便で一時面会という事業をしていただいておるわけでございますけれども、この永住帰国の希望者あるいはサハリンで高齢化して身寄りのない人、あるいは韓国でも、夫を連れていかれて高齢化しながら一人で暮らしておるそういう方々、こういう方々に、法律上義務があるかないか、国際法上義務があるかないかはまた別途の問題といたしまして、私どもの戦後責任という観点から何らかのことをすべきではないのか、してはどうかということを私自身感じておるわけですが、その点について外務省の御意見はいかがでございますか。
○谷野政府委員 私の方からとりあえずお答えいたしますが、ただいま私どもが政府として支援のためにやらせていただいておりますのは、ただいまお話がございましたように、韓国へいわば里帰りされる方々の渡航費等の面での支援をさせていただいておるわけでございます。韓国政府とも話し合ってやっておるわけですが、当面そういう支援策を日本政府として続けてほしいという、韓国政府との間ではそういう話し合いになっております。
他方、これも五十嵐先生等から、いやもっと大きな基金をつくってみてはどうかというようなお話もございました。それから一部には、ただいまの、お年を召した方ですから老人ホームのようなものをつくってさしあげてはどうかというアイデアもございます。一つの御意見としていつも伺っているところでございますが、私どもも財政的に限りがございますものですから、とりあえずは韓国政府の意向を聞きまして、韓国政府がより当面の問題として考えております被爆者への支援策とか、そういったことをまずはやらせていただいておるわけでございます。そういうことで御理解いただければと思います。
○仙谷分科員 その点についても大臣からの御発言をできればいただきたいのですが、やはりこれらにかかる費用を予算化するといたしましても、まあ九十億ドルに比べれば全然問題にならない額で、つまり我々は、多分百億円程度の予算措置をすれば、あらゆる意味での、基金であったり老人ホームであったり、あるいは記念館というようなものとか、あるいはもう少し頻繁な家族面会ができるような措置とかができるのではないかというふうにも考えておるわけであります。このことは、一番最初に申し上げました、日本が戦後の責任をどういうふうにけじめをつけていくのか、特にアジアにおける責任をどうけじめをつけていくのかということと私は深く関係すると思いますので、その点、中山外務大臣からも一言御答弁をいただきたいと思います。
○中山国務大臣 委員の御指摘の御意見、私どもも十分検討させていただきたいと思います。
○仙谷分科員 先ほど中山外務大臣も、お金だけではいけないんだという話をされました。私もそのとおりだと思います。お金だけではいけないわけですが、お金もなければ御納得いただけないというのもまた世の中の習いでございます。
次に、香港の軍票問題というのがあるようでございます。私も存じ上げなかったのでありますが、香港にまだ、これは見本のようですけれども、こういう軍票を持っていらっしゃるお年寄りの方が随分いらっしゃる。どういうことでこういう軍票があるのか、これについて、時間がございませんけれども、事実をまずお伺いしたいのですが、これは何か戦費調達のために香港の市民の財産をいただいて、そのかわりにこの軍票を渡したんだというようなこと、それから一九六八年ごろから、香港索償協会というのですか、私もよく知りませんが、この軍票を持っている方々が団体をつくられて日本の公使館の方に補償の要請をされてきたということがあるというふうにも伺っております。その辺の事実関係、何でこんなものが残っておるのかというようなこととか、あるいはその補償の要請が今まであったのかなかったのか、その点についてお伺いしたいのでございます。
○谷野政府委員 確かに御指摘のような背景があったのではないかと思っております。かつ、そのような背景を踏まえて私どもの領事館の方にも補償の要求が時々関係の団体の方々からなされてきております。
○仙谷分科員 そこで、大臣にもお伺いをいたしたいわけですが、その前に外務省の方にもお伺いしておきたいのですが、シンガポールにも軍票問題というのがあって、平和条約締結時にこの軍票問題を解決したというふうにも言われておるようですが、それは事実なんでしょうか。
○谷野政府委員 シンガポールとの間におきましても、この種の問題については決着済みというのが日本政府の立場でございます。
○仙谷分科員 香港の軍票問題については、そういう国際法的な観点からの検討といいますか、今のところ外務省のスタンスというのはどういうふうになっているのでしょう。
○谷野政府委員 香港の場合はイギリスを相手にするということ、イギリス、英国との関係になります。そこで、そういう補償の要求がなされておることは事実でございますし、最近もたしか新聞等で同様の報道を、私、見た記憶がございますが、いずれにいたしましても、これは国会でもたびたび政府の立場として御答弁申し上げておるところでございますけれども、この香港の軍票の問題につきましては、サンフランシスコ平和条約の規定によりまして、我が国政府、日本政府と英国との間において既に決着済みの話である、したがって日本政府といたしましたら、これを、日本政府としてこういった要求を一々お取り上げする立場にはないというふうに考えております。
○仙谷分科員 そうしますと、シンガポールとの関係も、イギリスとの関係で決着済みということならば、それで済んでおったんじゃないかと思いますが、シンガポールが独立をしたということで、改めてシンガポールと軍票問題も含んだ平和条約をお結びになったんじゃないか、そういうふうに私は思うのでございます。
それで、この軍票問題にしましても、国と国との平和条約あるいは賠償問題の決着ということが、果たして一人一人の国民、市民の受けられた被害、特にこういう、明らかにこれを抱き締めてまだ頑張っていらっしゃる人々がアジアにいるという事実は、今おっしゃられたような講和条約で全部切り捨ててしまっていいという問題ではないのではないか。この問題も、冒頭申し上げましたように、日本がアジアの中でこれからどう生きていくのかという観点からぜひ処理をしていかざるを得ない、していかなければならない問題ではないか、そういうふうに考えるわけであります。この点につきまして、今後また私の方でも調査を続けますけれども、中山外務大臣、インドネシアにもこの種の軍票問題というのが残っておるようでございます。この種の問題についての基本的なお考えをお聞かせいただければと思います。
○中山国務大臣 香港、シンガポール等の軍票問題につきまして、今まで政府間ではすべて決着済みということが相互で確認されておりまして、日英外相会談におきましても、このような事項について英国側からは一切話が出てまいりませんし、シンガポールからも私どもにはそういう話は出てきておりません。
○仙谷分科員 それでは、時間が参りましたので終わります。
○串原主査代理 これにて仙谷由人君の質疑は終了いたしました。