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最近の趣味である雑誌の収集の成果です。 ものすごくコストパフォーマンスの悪いことに金を使っている気もしますが、 気にしません。 このリストに誤りが有る場合、その文責はこのサイトの作成者にあります。 ある程度落ち着いたら、出版社と出版年月あたりを随時追加していきたいと 思っています。 便宜上【】の分類で分けていますが、実際この辺は容易に移行するモノで、 個人的見解に過ぎません。 それに、気が変わったら分類し直しますし。それでもそろそろ、だいぶ落ち 着いてきました。 しかし、そもそも古本屋で見つけたモノだけで針の穴から覗いたような情報 で、独断と偏見と邪推を根拠にいろいろと書いているモノですから、もちろん リアルタイムで見ていた人や関係者からは異論や反論がおありでしょう。 そもそも、本当に世の中がこんなに面白い筈がありません。現実はきっとも っとつまらないモノだったに違い有りません。邪推の方が面白いんですよ、た ぶん。 明らかな間違いなど、お気づきの点などあれば、ご連絡ください。 |
分類> 【SF雑誌】 【SF雑誌周辺】 【SFマンガ雑誌】 【アニパロ】 【合作誌・アンソロジー・美少女漫画誌】 前書き(雑誌を集めはじめた理由とか) 雑誌といっても何でもかんでも集めているわけではなく、1970年〜1985年の SFマンガ雑誌を中心として集めています。この時期いわゆるSF冬の時代の 到来の前であり、一時期はSFにあらざればマンガにあらずとまで言われる事 もあったほどだそうです。 当時、「SFアニメディア」「コミックNORA」「アニパロ コミックス」 「マンガ・ファンロード」なんかは、私もリアルタイムで買っていたのですが、 まったく買っていなかった雑誌も多いのです。 それなのに、なんでそんなモノを今更のように買い集めているかというと、 ぶっちゃけていえば買い損ねていた「SFアニメディア」の最初の2冊を探し て古本屋巡りを続けているうちに、SF関連の雑誌をついでに買ってしまって、 いつのまにか集め始めてしまっただけなのです。 とはいえ、この18年間に古書店で買ったマンガ単行本のうち、特に気に入 ったモノはこの時期これらの雑誌に掲載されたモノが非常に多い事に改めて気 づかされます。ある意味間接的に私の趣味的生活はこれらの雑誌に支えられて いたのだとも言えるわけで、雑誌の収集自体が運命であったとも言えるのかな、 と漠然と考えたりはしますけれど。 さて、ここ以降は勝手な分類による勝手なコメントになります。それにふさ わしく、「です・ます調」から「だ・である調」に文体をかえますが、あまり 気になさいませんように。 いつまでたっても未完成なので、未完成なまま暫定版で公表することにしま した。ああ、情けない。 【SF雑誌】 (参考:石原藤夫博士によるSF雑誌データベース)
休刊年の古いモノから順に並べた。近年の「SF JAPAN」の創刊は有 るものの、当時のSF雑誌としては、いまや「SFマガジン」1誌だけがまだ 生き残っている状態である。 旧奇想天外は「SF夏の時代」の到来前だし、1981年の奇想天外の休刊や、 「SF宝石」の休刊は、SFブームの終わりを意味するモノでは無いだろう。 むしろ1986年でSFマガジンとSFアドベンチャーだけになったときこそが、 「SF冬の時代」の到来を意味するのではないかと思う。 それでもしばらくはSFアドベンチャーが生き残っていたのは、平井和正の 集客力が大きかったんではないかと思う。小説奇想天外はホラーハウスの増刊 だし、SFが商売にならない時代になっていたように思う。 よくまあSFマガジンが生き残れたモノだと感心するばかりである。これを グインサーガとペリーローダンシリーズのおかげと言ってしまうのは簡単だが、 編集部の徹底的な経費節減と、原稿料が安くても喜んで書くライター陣がいる ほどの伝統に支えられたモノだといえるのかもしれない。 というのも、SFマガジン編集部の電話は東京都内にしかかからないとか、 つい最近まで原稿料がかなりの大物でも1枚1500円までだったとか、SF マガジン自体は赤字でも単行本の収入とそのための宣伝媒体としての価値が大 きいのだ、などとちらちらと聞こえてくるのだ。いや、ただの噂だが。SFマ ガジン赤字説については大森望氏により否定されているので、おそらくはデマ であろう。 私自身はこれらのSF雑誌はほとんど集めていない。ここでこれらをとりあ げたのは、SF夏の時代のSFマンガ雑誌の背景として、である。 要点は、1976年〜1986年が雑誌のSF夏の時代であった、ということだ。 かつて栗本薫作品に出てきた「カサブランカダンディ編集者」のモデルにな った人物であり、世間ではSF作家として知られている筒井康隆氏にその作品 「朝のガスパール」において実名で罵倒された人物でもあるH社の/H/氏の 説によると、 『小説「日本沈没」の出版(1973年)から映画「さよならジュピター」(1984年)までの間』 がSF夏の時代であったそうだ。うーむ、私は 『テレビドラマ「日本沈没」(1974年)から映画「さよならジュピター」(1984年)までの間』 だと思ってたんで、ものすごく説得力のある説だと思ってたんだが、小説の方 ですか。つまり、SFが夏の時代に入る『前』にSFをそんなに読まない人が そんなにたくさん小説「日本沈没」を買うような下地が出来ていたって事? あるいは小説「日本沈没」が大ヒットしたからテレビドラマ化されたって事? その辺、リアルタイムの状況を知らないので何とも言えないけれど、個人的 には小説「日本沈没」が大ヒットしたとしても数百万部がいい所だろうし、 当時テレビドラマ「日本沈没」を一度でも見た人は、それと比べても桁違いに 多かったはずである。「SF」と銘打たれただけで売り上げがぐんと上がるよ うな状況を産み出したのはやっぱりテレビドラマの方だと思う。 まあ、「夏のはじまりは夏でしょ?」とテレビCMでも言っていることだし、 きっかけはやはり小説「日本沈没」の方かもしれません。やはり個人的には、 「嘘つきは泥棒のはじまり」だから「嘘つきも泥棒である」と定義するような ものに思えますが。 ということで、私は、「映像メディアによってSF夏の時代が始まり、そし て終わった」説を採用。それに追従する形で雑誌というメディアでのSF夏の 時代もあったのだろうと思っています。 【SF雑誌周辺】
SFファンタジアは雑誌ではなくて大判のムックのようなものであり、特に 6のマンガ編は1980年くらいまでのSFマンガシーンのクロニクル的性格のも のとしてまた入門書として個人的に評価が高い。しかし、初版第1刷以外の場 合には、初版第1刷の発行日が印刷されて無いというのはなんとかならんか? SFアニメディアもそうだが、谷山浩子さんが絡むとモノが古本市場に出て こない傾向があるような気がする。なんとかならんか? 【SFマンガ雑誌】 『月刊PEKE』→『月刊COMIC AGAIN』→『月刊コミック アゲイン』→『季刊コミック アゲイン』
みのり書房から月刊アウトの別冊として1978年までに、「ランデブー」が6 冊と「ランデブーコミック」が3冊出ているが、それとは別に「月刊アウトの 兄弟誌」として1978年に「月刊PeKe」が創刊されている。この雑誌は「夢 とロマンのSFコミックス」と表紙に書かれていたようにSFマンガ誌として 創刊されたのだ。しかし、月刊PeKeはたったの半年、6号まで出たところ で休刊。そもそもみのり書房自体が印刷会社の余った紙利用のための出版社で、 さらにそれでも余った紙の利用のために月刊OUTが創刊されたなんて話も聞 くし、売れなきゃ終わっちゃうのも早いって事なのかねぇ。 そもそもの発想が、読者を育てて部数を増やしていくというモノではなく、 ニーズがあるところに雑誌を作る=数回出してダメならダメ、というモノだっ たのだろう。 たったの3ヶ月後に同じ雑誌コードを使って「COMIC AGAIN」が創刊されたこ ともそれを暗示している。「漫画人のまんが人によるマンガ人のためのまんが 専門誌」と題して創刊されたのだが、これが通巻第7号〜11号までの5冊出て いる。しかし、どうやらこれも売れなかったらしくて、またもや(おそらくは) 編集長交代の上で「CATCH THE NEW WAVE」「今、コミックはパワー・ポップ時 代へ」と題して発行されたのが「コミックアゲイン」(通巻第12号と13号)であ る。どうやらこれは敗戦処理的なモノのように見える。さて、ここまででB5 版角綴じの雑誌としては終わりになったのだろう。で、1984年に出版社を日本 出版社にかえて「季刊コミックアゲイン」(A5版角綴じ)として復刊したよ うだ。ただしこちらもそれほど長続きしなかった模様である。こちらの売り文 句は「100万人のポータブルコミック」「PORTABLE COMIC MAGAZINE FOR A MILLION PEOPLE」 である。
当初は小説の雑誌である奇想天外本誌の増刊あるいは別冊として、過去他の 雑誌に掲載されたモノに書き下ろしを一部加えて発行されていた。SFマンガ のアンソロジーを「大全集」として発行し、それが商売になることを示したの は奇想天外社の功績といえるだろう。後発の東京三世社に「SFマンガ大全集」 を名乗られたのがよほど悔しかったのか、PART3の表紙には「元祖」と小さく 表記してあるのであった。マンガ奇想天外はNo.4まで季刊で発行されていたが、 No.5以降はその記述が無くなり、雑誌コードも変わっている。
奇想天外社の後発で同路線の競作大全集だが、シェアの食い合いよりも2誌 がそれぞれ読者の拡大に寄与していたように思う。最初の「少女SFマンガ競 作大全集」には奇想天外社がSFマンガの広告を出している点も興味深い。 しかしそれよりも最初の3冊が「漫画スーパーギャンブル」の増刊である事 の方が興味深いことかもしれない。そのため、「少年/少女SFマンガ競作大 全集PART3」が雑誌としての創刊号である。奇想天外社が「マンガ奇想天外」 創刊に踏み切ったのはこれに刺激されたせいかもしれない。その報復のためか PART6の表紙に「なんと!日本でただひとつのSFマンガ雑誌です。」と書い てしまったのは、少々やり過ぎの感もあるが。さらにPART7以降は「競作」と いう文字も小さめにしてしまい、大きな文字だけを読むと、マンガ奇想天外の サブタイトルといってもいい「SFマンガ大全集」と読めるようにしてしまう のである。この辺はマンガ奇想天外編集部の怒りを買う行為であったろうと思 う。さらにマンガ奇想天外がもう出なくなったのを見計らってか、PART17以降 は「少年/少女」という文字を取ってしまい、PART26以降は「競作」の文字も 取ってしまうのである。ちなみにPART17以降は季刊ペースから隔月刊ペースに なり、PART21以降は雑誌コードを04785から11965にかえている。 1985年4月から新雑誌「月刊WHAT」として生まれ変わったが、時はすで にSF夏の時代も終盤であり、あまり長続きしなかったように思う。
休刊した「マンガ少年」の後継雑誌と言っていいのかな。最初は「少年少女 のための」って言ってたのに、新装開店号以降は明らかに少女向けマンガ雑誌 になっている。いつ休刊したのかわからないが、少女がSFマンガを読む時代 というか、SFを描く少女マンガ家の全盛時代の終わりを看取った雑誌という 気がしなくもない。
初期は結構読んでたんだけど、割とすぐに読まなくなってしまった。まあ、 これだけはどうしても読んでおきたいという連載がほとんど無くて、面白くも 無い作品が結構載っていた上に、雑誌自体がSFと言うより幻想文学的になっ ていってさらに耽美の臭い放ちはじめたからのような気がする。ファンタジー ならついていけるけど、ちょっと耽美は(^^;) 貧乏学生には面白い作品の比率が低い雑誌を購読する余裕が無かったのだ。 2000年度発行の第214号くらいのをまんだらけで見かけました。小説 WINGSっていうのもあるようです。私とは趣味の違う人が大量にいて、そ ちら方面に行っちゃったからこそ、雑誌として存続し続けることが出来たので しょう。雑誌のあり方としては正解だと思います。
SFアニメディアと同じ路線をSFアニメディアの6年も前にはじめた雑誌 なのだが、なぜかとても印象が薄い。少年キャプテンの前身という人もいるが それは多分間違いだと思う。少年キャプテンが創刊した1985年2月の時点では まだ刊行していたのだから。「母胎になった」なら間違いじゃないかも。少年 キャプテンとはかなり読者層が違うように思う。
アニメ世代の感覚にあう雑誌づくりをしたせいか、ほとんどメジャー誌とい っても良いくらいの雑誌になった。でも、徳間書店の撤退によって休刊。連載 は全部急に打ちきり。 これ以外にも、白泉社が当時のSFコミックシーンに与えた影響についても 語る必要があると思う。集英社のマーガレットコミックから花と夢コミックに 移行したSFのマンガは決して無視できないのだ。例を挙げるならば「紅い牙 」シリーズと「超少女明日香」シリーズだけでも十分だろう。明確にSFと銘 打って出した雑誌形式の本もある。季刊で上記のSFマンガ大全集と同じサイ ズだが、3倍くらいの厚さの本だ。しかしこれが古本屋だとそもそも扱われて いない場合が多い。これは雑誌としての形式が保存版では無いというのが最大 の理由だろう。分厚すぎるのだ。そして通巻表示が背表紙にも表紙1にもない。 さらに、年度と発行した季節が英語表記である。これだけで、古書店にとって のアイデンティファイの難易度がかなり上がっているだろうと思うのだ。
これについては、語るべき事が多すぎて逆に語れなくなってしまうほどだ。 SFブームの終盤にスタートしたが、アニメ情報誌の増刊からスタートした事 のメリットを活かしただけではなく、石ノ森章太郎・たがみよしひさ・安彦良 和というビッグネームによる連載や、マイナーではあったが実力のあるマンガ 家の連載も多く、新人賞からデビューする作家も登用していたにとどまらず、 SFブームの終焉を敏感に察知してファンタジー・オカルト・ホラー方面への 転身をはかって成功した雑誌といえる。12年も続けば立派なもんだ。 同時期の週刊サンデー増刊号(月刊)や、漫画ブリッコとならんでマイナー ジャンルの新人の登竜門として有効に働いていた雑誌であると個人的には思う。 (ジャンプ・マガジンはマンガ家を囲い込んでメジャーにするからなぁ(^^;)) 1997年2月号からB5版に版型をかえるが、そのわずか1年半後に学習研究 社のマンガからの撤退により休刊してしまう。連載マンガの単行本は全て出し てくれたそうでその点は評価できるが、学研には学習と科学とコースに連載の 全マンガを単行本化して欲しかったぞ。あと秘密シリーズの復刻とかも。まあ キャプテン打ちきり時の徳間書店よりはずっとマシとは言えるけれど。 しかし、今思えば売り出し方は徳間のリュウと少年キャプテンのまねだった のに、少年キャプテンほどメジャーになれなかった雑誌とも言える。でも個人 的にはこちらの方がずっと好きだったし、これと週刊サンデー増刊号と、アニ パロコミックを買っていれば、他に何にも買わなくてもいい気分になれたのだ。 【アニパロ】 『アニパロ』というのもまた、語るべき事の多い分野である。これを本格的 に始めたのはアニメ紙の「OUT」であるが、この分野の先駆的存在として、 テレビ情報誌に掲載されたテレビのマンガ・特撮のマンガ化作品があげられる だろう。 マンガが原作のテレビ作品でもなく、マンガ家原案でテレビと漫画誌の同時 異方向進行(デビルマンとか)でもなく、元の作者と異なるマンガ家によるマ ンガ化で、かつ本編を忠実になどらないマンガというのは、アニパロマンガの 元祖であると思うのだ。例を挙げれば、聖悠樹さんの(聖悠樹名義ではないも のを含む)作品群ですな。 しかし、こういった作品群はほんのわずかしかコミックス化されておらず、 今となっては入手はとても難しい。(入手できたのは聖悠樹さんの 『忍者キャプター』とその2巻の巻末の『怪傑ズバット』くらい)。 どこかで、そういった作品の一覧だけでも資料化して欲しいものだ。 それはさておき、以下では「OUT」のみのり書房と「アニメック」のラポ ートから出版されたものを中心にリストアップした。
30くらいから蛸壺化してきたように思えて、フォローするのを止めてしま ったのだった。個人的には、アニパロジャンルの隆盛が本格化したのは1984年 と思っているのだが、SFブームの終焉と時期を同じくしているように思えて 興味深い。また、個人的には、1986年を「アニメブームの終焉」と見なしてい るのだが、アニパロの蛸壺化もそれにともなって起こったのではないだろうか。 ちなみに「アニメブームの終焉」と時期を同じくして起こったのが「テレビ ゲームの隆盛」であると個人的には思っている。
4まで発行された「まんがアニメック」だが、季刊化に際して「ステイ」に 名称を変更。その翌年に「SFアニメディア」が「コミックNORA」になっ たのを連想させる。ただし、「表紙が派手になっただけで内容は少しも変わら ない」との編集の言にもあるように、実態はあまり変わらない。 例えば、季刊の筈なのにアニメック1月増刊号(1号)の次がアニメック5 月増刊号(2号)で、実態は季刊ではない(季刊の発行間隔は通常3ヶ月)。 しかも2号巻末の編集部マンガで「単行本を出したらステイ3号の予算が無く なりました」→「3号は秋以降になります」とある。冬号春号の次が「秋以降」 である。その上、そのマンガ内で読者に謝るだけではなくマンガ家の先生方に も謝っているのだ。 3号の掲載予定には、佐藤晴美さんの「ワーウルフVI」以外は、マンガ家 の名前(予定)が載っているだけで作品名は載っていない。ちなみに、「ワー ウルフ」は、I〜IVが「まんがアニメック1〜4」に掲載され、Vがステイ 1号に掲載されていて、なぜかステイ2号にだけ掲載されなかった作品である。 さらに書き添えると、ステイ2号の次号予告にカットが描かれたユニコーン 物の「ワーウルフVI」までが1988年1月にラポートコミックから「ワーウル フ」と題して単行本化されているが、単行本巻末には「ワーウルフVIは書き 下ろし」とある。つまり、結局、雑誌掲載されなかったのだ。1987年2月には アニメック自体が休刊している事でもあるし、以上を持って「ステイ3号は発 行されなかった」のだと、個人的には納得することにする。 まあ、母体のアニメック自体が1987年には休刊してることだし。 【合作誌・アンソロジー・美少女漫画誌】
・作画グループ 1〜92 以下続刊 ・アップルパイ(美少女マンガ大全集) ・プチアップルパイ(美少女漫画ベスト集成) 1〜18 ・ワープin 1〜7 ・ハイパーゾーン 1〜7 ・メディウム 1〜12 ・ペンギンカフェ 1〜3 ・ビッグバン 1〜20 ・ラビリンス 1〜9 ・NEXT ・漫画ブリッコ '82年 創刊号〜'86年 2月号 ・漫画ブリッコ別冊ペパーミントギャラリー ・漫画ブリッコDX ・漫金超 創刊号,第2,3,4,5号 ・月刊ベティ創廃刊号 ・ぐらこん 1〜8? ・ザ・モーションコミック 1〜11? ・グレープフルーツ 1〜39 ◎今後入手しようとしているモノ ・空想科学競作大全集 2,7,8,9 ・ホラー・オカルト競作大全集 2〜12 ・ザ・モーションコミック 11〜 ・グレープフルーツ 36〜39 ・月刊WHAT ・ビッグバン 9 ・ラビリンス 2 ・ぐらこん 1,7 ・漫画ブリッコ 〜'83年 6月号, '85年 6,9月号, '86年 1月号 ・リュウ Vol.36 ・Wings 通巻第11,12,13,15号〜20号 続巻はあきらめる(200号越えてるから……) ・SFマガジン '95年1, 3, 7, 12月号, '96年4月号, '99年2, 6, 7, 9, 11, 12月号, '00年2月号 ・別冊SFイズム[2] わくわく谷山浩子 潟Vャピオ 1983年12月 |