本質を見ずに文句を言うのはただの差別である。

2010年12月16日 00時54分03秒
テーマ:庶民のつぶやき

本質を見ずに文句を言うのはただの差別である。


 今日はちょっと怒りのブログを書いてみます。。。


先ほど、ヤフーニュースを携帯で見ていたら、神奈川県の朝鮮学校への補助金継続のニュースが掲載されていた。


携帯のヤフーニュースを通勤中などに見ていろんな人のコメントを読むのが好きなのだが、今日のこのニュースのコメントを読んでイライラした。


「在日に脅されたのか?」


「松沢知事の顔つきは在日にしか見えない」


「朝鮮総連の圧力があったんだな」


「朝鮮学校では反日しか教えてない。反日算数、反日理科、反日体操、反日国語(朝鮮語)」


「こいつは馬鹿だ。神奈川県民として恥ずかしい。税金を払いたくない」


などなどのもう、コメントというよりは誹謗中傷の中身のない差別的な文章がつらつらと並んでいた。


一体ああいう人たちの中にどれだけ中身を知って書いている人がいるのだろうか。


売国だ云々と言っているが、あんなのは日本人としての誇りではなくただの都合のよい差別だと私は思います。


私は横浜市で育ったのですが、家の近くに北朝鮮系の朝鮮学校がありました。


横浜駅の近くには立派な建物の朝鮮銀行もあるし、生活圏内でチマチョゴリの制服を着た北朝鮮系の在日朝鮮人は幼いころから身近にいました。


小学校では学区内に朝鮮学校があるということもあり、朝鮮学校の子供たちとの交流が盛んにおこなわれていた。私たちがあちらの文化に触れるのはアリランを歌う程度だったが、朝鮮学校の子たちは書道をしたり、様々な日本の文化を吸収して生まれながらの差別を憎みながらも日本を好きになろうとしてくれていた。


彼ら、彼女らは生まれる前にこの環境を選んで生まれてきたわけではない。


日本の在日朝鮮人の何世かとして生まれ、北朝鮮の土地を踏んだこともなければ北朝鮮について好感を持っていない人でも「在日」という一つの区切りをされて幼い時から様々な差別を受けて悩みを抱えながら生きる生活を自ら選んで生まれてきたわけでもないし、簡単に抜け出せるそれではない。


確かに北朝鮮国家のやっていることやその教育は日本にとって都合の良いものではないし、世界的に見ても危険で他国とのバランスが取れていない。


しかし、北朝鮮の歴史から見たらそういう風に歪んだ思想に行ってしまうこともまた仕方のないことなのである。


北朝鮮に対しても日本における在日朝鮮人の人たちに対する考え方にしても、大切なのは、批判や差別をすることではなく中身を見て本質を見て問題を解決することだと思う。


韓国や中国、北朝鮮などが反日教育をしているという批判をする前に、過去の都合の悪い部分を削り取った日本の教育を改めるべきだし、北朝鮮系だけでない、在日外国人の日本で生活する上での苦労など日本社会で見て見ぬふりをされている日本の都合の悪い部分をきちんと見つめなおして国民がきちんと理解していくことが大切なのではないかと思う。


朝鮮学校の近くに住んでいた私からすると、明らかに老朽化して今にも崩れそうな耐震もきちんとされていないあの丘の上の建物が崩れたら、その坂下の住宅に住む日本人は皆とんでもない被害をこうむるであろうと思う。


また、補助金等の全てから日本政府ならびに地方自治体が手を引いてしまったら、それこそ朝鮮学校とのつながりを欠き、朝鮮学校内部や教育内容に口をはさめなくなるのである。つまり、そこで反日教育をされようと学校を装った北朝鮮の軍事基地になろうと把握できなくなってしまう。。。


朝鮮学校でなく日本の学校に通わせたらどうかと思う人もいるかもしれないが、今でさえこんなに差別意識や誹謗中傷があふれているのに、日本の学校に通ったらどうなってしまうのだろうか。


中には日本名にして在日朝鮮人であることを隠しておびえながら日本の学校に通っている子もいる。


でも、そんなのはおかしいと皆、なんで思わないんだろう。


北朝鮮にいる一般市民は「暗愚な将軍様のおかげで貧困に耐える生活をして可哀想」と思うのに、日本にいる一般市民であるはずの在日朝鮮人たちは誹謗中傷の的になる。


アメリカやブラジルに居る移民何世かの日系人が同じように差別され、誹謗中傷の的になり、一般水準以下の扱いを受けていても「それは仕方がない」と思うのだろうか。


過日、アメリカの日系2世の物語をテレビドラマでやっていたが、日本政府がやったパールハーバー攻撃のせいで巻き込まれた人たちには同情して「そんな差別はおかしい」と言っていた人たちが、在日朝鮮人には同じことをしている。


中国の反日デモで標的にされた日系企業や日系人には同情をするのに、日本にいる在日朝鮮人には温かな目を向けられない…。


そんなの、ただの偏見であり、差別でしかない。


今日の日本を見ていてすごく思うのだが、日本は何より教育を改革すべきではないのだろうか。


考え方のバランスや人の気持ちにたって考え、人を思いやる気持ちを育てる教育が必要なのではないかと凄く思う。


また、様々な事に興味を持ち、本質を見ようとする目を育てることが大切なのではないかと。


義務教育、ならびに高校や大学まで通って長年勉強をしていても、日本の政治や経済の仕組みを知らない大人ばかりでは困るし、英語だって長いこと勉強しておきながら多くの人が話せないのでは、それこそ税金の無駄なのである。


私は日本の学校(公立、私学)での教育を受け、高校の途中でインターナショナルスクールへ転校した。今は働きながら大学に通っている。


様々な教育の体系を見たわけだが、学校にしても企業にしても教育の人間に与える影響は大きい。



無用な差別や偏見をなくして問題の本質を見極めて物事をクリアにシンプルに判断して進める日本をつくることは、日本が邁進し続けることにつながる。


こんな不況で不安定なアジア情勢だからこそ、今起きていることだけでなくその掘り下げた要因を見直して変えていくことが打破につながると強く感じた。


マスコミの報道内容だけに踊らされてあーでもないこうでもないと文句だけを言っている国民が減って、何か問題が起きたら市民レベルでも本気で議論をして答えを皆で出していける日本になることを強く願う。

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コメント

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1 ■■

確かに国籍によるいわれのない差別というのはおかしいと思います。

調べてもよくわからなかったのでお聞きします。
いわゆる在日と呼ばれる人たちの国籍は日本になるのでしょうか?
それとも、日本以外の国の国籍を持っているのでしょうか?

日本の法律では基本的には22歳までに重国籍の場合はどちらかを選択しなければならないはずです。
もし、日本国籍を持っていないとすると在留資格をもつ外国人が日本にずっといたい場合になるのかな。
もしくは、永住許可を取得するか帰化する方法もあるわけですが。

考えるに日本国に生涯留まりたい場合においても日本国籍を取得しない場合とかありそうですが
それはなぜなんでしょうか?
まぁ個人の意見まではわからないので理由はいろいろあるでしょうが個人的にはわかりません。

また通り名を持つというのもよくわかりません。
差別から逃れるため?ならば通り名を持つ限り将来的になくならないと思います。
それとも親からもらった名前の変更が出来ないからかもしれない。

だとしたら、個人の理由で日本国籍を取得せずに、でも名前は通り名として日本人風のものを持つ
日本人になりたくないのに日本人風の名前を持ち日本で日々過ごす。
この理由もよくわかりません。
それともそのような人はいないのかもしれない?

2 ■無題

>一言さん

コメント、ありがとうございます。

すみません、私のつたない読解力では何をお知りになりたいのかがあまり把握できないのですが、文面を読む限り、調べが浅すぎるかと思います。

今回挙げた問題は、「国籍で差別」なんていう簡単な話ではありません。

その制度や法令に関しては明文化されていていくらでも調べがききますから、ちゃんとお調べになれば答えが出ると思いますよ。在日とは何を指すのかは言葉の通り日本に在留する日本国籍を持たない人々なわけですが、「在日」と差別している人達は法令のようにそんな簡単な区切りはしていないし、個々の捉え方によっては日本に帰化していても学校だけでなく婚姻の際にあからさまな差別を受けたりしています。

今回挙げた特別永住者やその家族について、特別永住者でも日本国籍を取得するのが容易ではないこと等は調べれば簡単に把握できます。

また、今朝鮮学校に通う子供達の親の世代の受けた差別やいじめの事実なども容易に知れますが、そういったのを知っていたら「通名を使う限り差別はなくならない」なんてことは簡単には言えないのではないでしょうか。

私の世代でも通学中に襲われて朝鮮学校の女の子が制服を切り刻まれる事件が頻発して、近所で起こる悪質な事件に同じ日本人として恥ずかしく、嫌気がさした記憶があります。(思考が全然ちがうので、同じ日本人ではなく違う日本人なわけですが、ひとくくり思想では同じ日本人になりますね。)


差別が存在するから通名を使う人、日本で生まれて日本人だと自分を思うから通名を使う人、生まれてから通名と日本語で育ち、学校に行く年齢になって親に説明されるまで自分が在日と知らなかった人をはじめ事情は様々ですが、日本国から与えられている権利(しかも特別永住者に限ったことではない)を差別の原因に仕立てるのはあまりに安易で薄識すぎると思います。

ブログ本文にも同旨を書きましたが、ちゃんと調べ、本質を理解した上で議論がなされることがベターだと思います。

3 ■■2/2

あなたが目指すところは「無用な差別や偏見をなくして・・・」だと思います。
書いてある通り、差別や偏見の前提があるから通り名を使用している事もある
と思います。
差別を避けるために使用するのならば本質から目をそむけた対処に見えます。
差別を避けるための通り名を使うことがなくなる。そのことが本筋なんですよね?

最後に
「無用な差別や偏見をなくして問題の本質を見極めて物事をクリアにシンプルに判断して進める日本をつくることは、日本が邁進し続けることにつながる。」
「マスコミの報道内容だけに踊らされてあーでもないこうでもないと文句だけを言っている国民が減って、何か問題が起きたら市民レベルでも本気で議論をして答えを皆で出していける日本になることを強く願う。」「様々な事に興味を持ち、本質を見ようとする目を育てることが大切なのではないかと。」
そうだと思います。
だからこそ知らないことを調べて更に教えていただきたいから書いたのです。
「調べが浅い」
「ちゃんとお調べになれば答えが出る」
「調べれば簡単に把握できます」
「ちゃんと調べ、本質を理解した上で議論がなされる」

どの程度の知識をつければこのような議論に参加できる事が出来るのですか?
この質問であなたが見抜いた「私が本質を理解していない」とはどのようなことを言っているのですか?
私の質問内容そのものがおかしなことなのでしょうかね。
これらは私にはわかりません。調べる方法もわかりません。
教えてもらえればと思います。

4 ■Re:■2/2

>一言さん

 再度のコメントを賜りまして、ありがとうございます。

逆に、どのくらいお調べになってコメントをされたのでしょうか。

今の時代は従来の文献による情報の把握の他にもネットでも容易に様々な事が検索できるかと存じますが。

また、各行政機関ではそういった場合の質問窓口も設けていますので、自身で本気で知ろうと思えばある程度の基礎的な知識は固められると思います。

というのも、私は大学で習う勉強を独学で把握し、理解しなくてはいけない慶應義塾の学部に在籍をしています。ちゃんと調べて自分の言葉で意見を述べられないようなレポートは認められず、それこそ本当の学びであり、大人としての常識だと思っています。

情報や議論というのは、人から与えられるのを待つのではなく、自身で出来る限り準備をして臨むものだと思っています。(それは会社でも一緒ですよね。ただの受け身や浅調べでは通用しないですよね)

通名についても、先にも書きましたが、様々な事情があってそうなっています。

それは、在日の方との交流会に出席をされたり、ブログなどでも個人レベルの意見を拝読することはできます。

この件に関しては文献だけでなくネットだけでも本当に様々な情報がありますので、その様々な情報の中から本質を見極め、その中で自身の見解を固めたうえで意見を言うというのが一番ベターなのではないでしょうか。

私は、上記理由から、簡単に調べがつくことを自分できちんと調べずに他人に聞くことは失礼な事だと思っています。

もし不快なようでしたら、無理にコメントをしてくださらなくても結構です。

こちらが不快な思いをおかけしたのであればお詫びいたします。

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