鑢七実。
天才であり天災である彼女が真の日本最強であることを、まだ七花しか知らない弥生の月。
その鑢七花が千刀鎩の収集のため敦賀迷彩と対峙していたころ、七実は一人、自身の住処である無人島――人が言う『不承島』の海岸に来ていた。
とはいえ、特に彼女も何か理由があってその場所を訪れた訳ではなく、言うなれば何となくなのだろう。白い砂と広がる青い海、そして清々し過ぎるほどの日光しかないそこに、七実が求める山菜は見当たらなかった。
「……」
だが、しかし、けれど、でも――
だからと言って何もないわけでもなかったようだ。
七実は無表情に海岸、そこに打ち放たれているモノを見る。そう、モノだ。たとえそれが人の形をしていて人が着るべき服を纏っていて剣士が指しているだろう刀を所有していようと――死体はモノである。
「……」
七実は無言のまま、死体に近づいた。しゃりしゃりと草履が砂を踏む音が響き、それが止まった頃、彼女は死体を真上から見下ろせる位置にいて――その目で、死体を見る。
見る。
観る。
診る。
視る。
看る。
見取り――看取る。
死体は、確実に死体だった。天才のその瞳が、それを確信させる。
数秒それを見てから「はぁ」と溜め息をつく七実。
「七花じゃないけど、面倒だわ……」
それはこれから行わなければいけない、この死体の処理に対するモノだろう。
身体の弱い彼女にとって、死体を運び、穴を掘り、それをさらに埋めるという行為は馬鹿に出来ないほど重労働だった。
「とはいえ、ここに放置するのも気分が悪いですし……いえ、善いのかしら? まぁ、詮無い考えですか」
一人、彼女は呟く。
「そもそも私はなぜ、こんないつもなら来ない場所に来ようと思って、その上足を向けてしまったんでしょうかね。散歩と言えばそれまででしょうが、しかしそんな日に限ってこんなモノを見つけてしまうというのは、少しばかり出来過ぎているように思えてならないのですが、仕方ないと諦めましょう」
そこまで言って、七実が死体に手を伸ばし――けれどその手が死体に触れることはなかった。
なぜか。それは――
「……んあ?」
「……」
ピクリと死体が動いて、その口からうめき声を出したからだ。
無表情に、しかしどこかその目を見開いた七実が見るのは、死体だったモノが、咳き込み、飲んでいたであろう海水を吐き出し、涙目になりながら徐々にその身に血を通わせていくという――俗に言う蘇りの光景。
(……見誤った?)
心中で言う七実だが、その意見に彼女は否を唱える。
(いいえ、これは確かに死んでいたはず。典型的な水没死。でも、これは――)
そこまで考えたとき、ようやく身体の調子が戻ってきたのか、死体だったモノが、ゆっくりと顔を上げた。
白髪の長髪。
どこかおっとりとした瞳。
年の項は七実より二つ下といったところか。
全体的に能天気そうな、常から微笑んでいそうなその青年は、七実を見て――微笑む。
「こんにちは」
「こんにちは」
「善い天気ですね」
「そうですね」
「ですが一般的に善い天気とは晴れを指しますが、しかし僕は、雨には雨で素晴らしい風情があると思うんですよ」
「そうですか。私はどちらかというと、晴れはあまり好きではありませんね。日の光は、私には強すぎます。曇りくらいが程度いいです……いえ、悪いのかしら?」
「つまり、人からすれば晴れは悪い天気とも言えて、雨や曇りも善い天気と言えるんですね」
「えぇ。善くも」
「悪くも。それはそうとお嬢さん。ここはどこでしょう?」
「ここですか? ここは無人島……いえ、私が住んでいますから、一応有人島ですね。人様からは不承島と呼ばれているそうです」
「なるほど」
「私からもお聞きします。あなたはなぜここへ?」
「さぁ?」
「はぁ」
「なんというか、僕自身もわからないのですよ。どうして自分がここにいるのか。確か、海で釣りをしていたはずなんですが、それ以降の記憶が全くなくて……あれ、もしかして僕は漂流していたのでしょうか?」
「漂流というより、水没ですね。さっきまで死んでいましたよ、あなた」
「なんと!? 衝撃の事実ですね。ということは、僕はまた生き返ってしまったということなんですか」
「何かよくあるみたいな言い方ですね」
「まぁ、程々に……と、そういえば、まだ名乗っていませんでしたね」
そう言って、青年は微笑みを深くして、自身の名を口にする。
「鉄善(クロガネ ゼン)と申します。旅の剣士です」
「鑢七実です。この島で、鑢家の家長と務めています」
「そうですか、善い名前ですね」
「ありがとうございます」
「……」
「……」
「……」
「……あの、いい加減立ち上がっては?」
それが、鑢七実と、鉄善の――
生きながら死に続ける女と――
死にながら生き続ける男の――
善くも悪い、出会いだった――