朴正煕元大統領の警護室長の息子に実刑判決
インタビューでおじを中傷する発言
ソウル東部地裁刑事2部(朴光雨〈パク・クァンウ〉裁判官)は16日、週刊誌とのインタビューで「おじが大学の経営権を奪うために陰謀を仕掛けた」と発言し、慶南大のパク・チェギュ総長の名誉を傷つけたとして起訴されたP被告(53)に対し、懲役10月の判決を言い渡し、法廷内で身柄を拘束した。P被告は、故・朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の警護室長を務めた故・朴鍾圭(パク・チョンギュ)氏の息子だ。
地裁は判決理由について、「インタビューの内容は事実ではなく、P被告がパク総長を誹謗(ひぼう)・中傷する目的で行ったもので、結果としてパク総長の名誉を傷つけた」と述べた。地裁によると、P被告は2008年8月、週刊誌とのインタビューで、「おじから、父親が設立した大学の経営権を譲渡するよう迫られた。おじが大学を買収した証拠として領収書を見せたが、これは大学の経営権を奪うための陰謀だった。約1カ月後、西氷庫(ソウル市竜山区西氷庫洞にある保安隊分室)へ呼ばれ、二日間にわたって取り調べを受けた後、『慶南大の問題には当分関与しない』という覚書を書き、米国へ渡った」と主張した。
P被告はまた、「おじが(大学内で)父親の痕跡をすべて消し去った。今では大学関連の資料から、『朴鍾圭元理事長』という名前を探すことも難しい。さらに、祖父母の墓にある碑文からも、父親が大学の理事長を務めたという経歴を消した」と語った。こうした内容は、当時の週刊誌に「おじのパク・チェギュ慶南大総長、父親を2回殺した」というタイトルで掲載された。こうしたP被告の主張に対し、地裁は「パク総長が保安隊を動員し、P被告に対する取り調べを行うよう指示したことはなく、問題の碑文もP被告が自らつくったもので、改ざんは行われていない」と述べた。
P被告の父親の朴鍾圭氏は、朴正煕政権下で警護室長を務めた。ガンマニアで、銃の使い方も上手だったことから、「ピストル・パク」というニックネームを付けられた。1970年代、慶南大を経営する慶南学園の前身・シムヤン学園の理事長に就任し、翌年に慶南大を設立した。パク・チェギュ氏は80年、鍾圭氏の後を継ぎ、慶南学園の理事長に就任した。
ヤン・スンシク記者