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[19812] ダブルプレイ Double Play(高校野球・女子ソフト・学園・スポコン・恋愛)
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/09/29 01:27
●読者への注意点。

一、感想・批評は厳しめで構いません。描写不足と風景描写不足が主に挙がると思います。痛感しています。批評を受け取って、この辺は特に日々見直していきます。(具体的には8回表ぐらいから)

一、この作品は1回裏(4話)まで一人称視点です。ですが、2回表からほぼ三人称一元視点となります。これは仕様です。作品の都合上、世界観を広げるためにそういう形を取っています。

一、スポーツ小説のサガですが、(野球)用語わからん人は厳しくなりますが、当然解説のようなものを最初は1回表の話に挟んでいます。
 解説はその後にも随時邪魔にならない程度に入れていきたいです。
 ただし野球の遊び自体は0回裏の話にもあって、この時はストーリーの展開上、仕方なく一見さんを無視する形で進行していきます。わからんって人もこの話は打った、駄目だのノリで楽しんでくれるだけでいいです。

一、現実のソフトボールのルールは細かい点が毎年よく改定されています。この作品は今より少し未来の日本が舞台なのですが、ひとまず2010年度版のルールで書いていきます。(および最新年度版に合わせて更新されるかもしれません)

一、スポーツ物、学園物という都合からかなり登場人物が多いです。ですから一つキャラクターまとめ記事を置かせてもらいます。

一、野球や東京が舞台の都合上、実在の名称が多々登場しますが、この作品はフィクションですので実在の人物・団体・学校・事件などには、いっさい関係ありません(ということで)。
 大手人名辞典数冊からの引用と、作者の過去作品、ときどき野球選手の名前等からもじっています。

 



[19812] 0回表: 白崎藍璃 エル・ドラコ-悪魔の権化-
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/12/11 23:38
 
「そこを何とか~。白崎くんなら、美咲さんを説得できない?」

 高校に入学して三日目の放課後、クラスの女子の一人から、隣のクラスの白沢美咲を説得するように頼まれた。説得というより部活の勧誘だった。

 手を合わしているショートヘアの彼女の名前は確か滝川さん。曰く、うちの学校にない女子ソフトボール部を作りたいそうだ。それで人数集めの一環として白沢さんが欲しいのだと……。
 滝川さんもソフトの経験者らしいけど投手ではない。ソフトボールや野球は投手が試合を占めるウエイトが大きい。白沢美咲は中学の時、二度全国大会に、しかもそのうち、一回は投手としてベスト4になっている。
 白沢美咲がチームに入ってくれれば戦力アップは間違いなし……というよりは彼女を入部させることを前提として、部を発足させたいってことなんだろうな。

 自席から立ち上がるつもりだったのに、滝川さんの急な往訪、空いていた前の席を取って相対されたことによって無下にもできず、その場から離れることができなくなってしまった。

「でも彼女言っていたよ。高校ではソフトはやらないって」

 受験をする段階で、翔桜高校に女子ソフトボール部がないのは知れている。ソフト部に入らない前提でこの学校に入学したんだ。すると間髪入れずに滝川さんが口を開いた。

「でも白崎くんは野球部に入るっしょ」
「うん。そりゃあ、ずっとやって来たから」

 嫌いじゃない。しかも子供の頃は誰だって、勝てればその物事を好きになれる。僕も美咲さんのように結構勝って来た。三年生の時は主将も任された。

「私たち女子もやりたいんだ。野球。じゃなかった、ソフト」
「スポーツ、ソフトやりたいなら別の高校行けば良かったのに」
「白崎くんって結構キツイこと言うねー」

 怒られた。おかしいかな。翔桜は第一に名門校として、名門大学に行く学校だよ。男子野球部はあるけど、当然、強くない。いや、弱くはないけど甲子園に行けるレベルじゃない。
 僕がこの高校を選んだ時、中学の教師にも忠告された。成学院にしないかって。成学院は都内有数の進学校でありながら部活も盛んで、野球部もかなり強い。確かに条件としてこれ以上の高校はない。というよりも野球部の関係で推薦・誘い諸々はあった。
 でも僕は却下して翔桜を受けた。成学院だけでなく、都内の進学校の多くがその類にあるけど男女別学だった。

「翔桜にも行きたい。ソフトも続けたい。分かる?」
「分かる、僕もそうだった」
「だーかーらーね。女子にはないの」

 実際その通りだったので相槌を打ったけど、机を一度バシンと叩かれて、また怒られた。
 携帯電話を開く。待ち受け画面には絵本をうつ伏せで並んで読んでいる犬のマルチーズ(♂)と四男の恵陸。マルチーズは純白の毛並みがトレードマークの賢い小型犬だ。恵陸は最近、犬に絵本を読み聞かせるようになった。サマーカットのマルチーズ──名前はウィルというのだけれど勝手に本をめくる。もしかして犬って文字が読めるのかな? だとしたら面白いな。犬って凄いなあ。

「やめやめ。白崎くん、引いてるじゃん」

 その時、女子が一人、隣から会話に混ざって来た。滝川さんと比べると小柄でセミロングの子だった。流れから察するとこの人も部員候補で経験者……?

「ま、駄目元で白崎くんからも白沢さんに頼んでみてよー。こっちは他所で部員探すから」
「だね。美咲さんを入れても五人。あと最低四人も必要だ」

 前の席を陣取っていた滝川さんが立ち上がった。彼女と今会話に入って来た子を交互に見遣る。

「二人以外の部員は?」
「入学早々風邪引いた、三組の速水が掛け持ちだけど入ってくれる。彼女、足が速いから一番センターだ。あとは赤羽根さん」滝川さんが言った。
「あれ、あの子」

 セミロングさんが一番前の席を指した。ソフトボール向きには思えない長髪ストレートの子が座っている。背も普通だった。僕の席は一番後ろの角なので、ここからでは顔が見えないけど、まあどういう子だかは分かっている。クラス一、可愛い子。

「予想。キミがセカンドで、赤羽根さんがライト」

 滝川さんはキャッチャーやるって言っていた。それでかなり穴が埋まる。
 僕がそう言うと、驚いたように二人は顔を見合わせた。

「私、中学の時はセカンドだった。でもたぶん今度はショートやると思う」
「いやいや、ショートやりたいんでしょ、泉ちゃん」
「外れか」
「ってかなんで、泉はキミで、赤羽根は名前?」滝川さんが突っ込む。もう一人の女子は泉さんって言うそうだ。

「珍しいじゃん。赤羽根って」

 半分の意見はそうだけど、残り半分は可愛いからすぐ名前を覚えただけだった。
 というより同じクラスの格好良い(可愛い)異性の名前覚えない人間なんて存在するのだろうか。

「赤羽根さんは……まあライトかな」
「あの子、素人だもん。人数合わせだし」

 泉さんたちはちょっと意地悪く笑った。無理やり入れられたのかな? それなら入って貰った癖に、人数合わせって言い方は楽しくない。でも人数合わせの子が三人の中では一番ぶっちぎりで可愛いんだけど(二人が可愛くないとは言うわけではないが)……あ、だから人数合わせってこと。
 赤羽根、瑛梨花か。ソフト初心者。俄然、応援したくなって来た。
 その時、左側の席から視線を感じた。僕と同じ野球部志望の男子、藤原鷹也《フジワラタカナリ》が急かすようにこちらを見ていた。放課後に野球部の見学に行かないかって約束をしている。席を立った。

「あ、美咲さんにお願いねー」
「期待しないでね」

 滝川さんたちと別れると藤原が近付いてきたので、

「あ、ちょっと待って」

 左手で制する。席を立つ時、予め鞄から一冊の本を取り出していた。
 改めて見るとなんかタイミングが良過ぎる気もする。これは元々、彼女のために持ってきたわけでもないんだよな……。だってソフトボールの本だよ。僕には関係があるし、ないとも言える。

「赤羽根さん」

 最前列までやって来て回り込む。彼女は机の上の教科書や筆記道具を左手で黒い鞄に閉まっている最中だった。
 鞄の中に、青い文庫本らしきものも見えた。僕はあんまり小説は読まない。空穂も大好きなマルチーズの本か、野球やソフトの本か、野球ゲームの攻略本か、参考書か、犬の本か、マルチーズの本か、絵本か、そんなのばっかだ。
 そこで僕は僕がよく読んできたソフトボールの指南書を取り出した。

「はい」

 赤羽根さんが反応して顔を上げた。凄い、遠くから眺めるよりずっと綺麗だ。少し伏せ目がちだけど、目鼻形が人形のように整っている。化粧してないのだから、そこら辺のテレビの芸能人より倍は可愛い。
 いや…この感覚は僕が化粧とか好きじゃないせいも多分にあるだろう。人間だけじゃなく、ドーピングや改造や、体を弄ってる者はあまり好かなかった。

「この本貸してあげる」
「え」
「滝川さんたちとソフトボール始めるんでしょ? ルール把握してるのと、そうでないのは大違いだから」
「わ、私は初心者、なんです」
「? 知ってる」

 ……どんなチーム競技でも、初心者を抱えてどう勝つものか。やれる時間は限られてる。
 守備を鍛える。それ以外にない。本にはソフトの守備、攻撃時の定石が載っている。最悪、攻撃(打撃)は捨てていい。アウトカウント三つやる代わりに自分の守備ポジションでは一点も落とさない。
 欲を言えばライトは……現代野球なら、左打者が多いプロの世界なら守備も重要になってくるし、三塁への送球機会が多いから肩が欲しいポジションだが、草野球等アマチュアレベルだと真っ先に下手糞を置かれる。

「バントと守備練習しないとね。守備が良くないと負けるよ」

 打線が良ければ勝てるけど、守備が悪いと負ける。僕は野球をそういうものだと思っている。チームに一に求めるのは守備力。一安打もなくても点を取る方法はあるのだから、裏返せば守備がなってないと、相手にそれをやられるってわけで。

「あの、いつ返せば」

 踵を返して廊下に出ようとすると一旦呼び止められたので、

「いつでもいいよ。ルール覚えたら、試合に勝ったら、本に書かれているように動けるようになったら……」

 そう返事した。家に帰ってからこの本の話をしたら家族に指摘されたんだが、僕は結構卑怯なことを言っていた。
 途中でソフトボールを諦めた。飽きたから止める。辛いから止めて返すという選択肢がない。
 
 
 廊下に出ると藤原が待っていた。片手をポケットに入れ、右手でこちらに向かってボールを下手で放った。僕はそれを左手でキャッチした。

「白崎」
「うん」
「お前って結構やり手?」
「え?」
「だって、入学早々……」

 クラスの、学年のマドンナ(予定)に声掛けた男第一号だって。
 うちの高校は少なくとも入学段階では女子は女子で教室左側、男子は男子で教室右側に席が固まってるんだよね。つまり一般的に男子の隣は男子だし、女子の隣は女子ってことになる。
 こうなると知人でもない異性に自分から話しかける人は今は殆ど居ない。そのうち打ち解けていくんだろうけど……。

「ああいう可愛い子が彼女だったら、高校生活楽しいだろうなあ」
 僕は呟いた。可愛い犬が家に居たら、毎日が楽しいだろうと思った。それでマルチーズだ。

「……うちの部って交際ありかな?」
 ふと疑問になって訊ねる。正面を向いた者同士のやり取りだった。

「いや、野球部がじゃなくて、校則で禁止みたいな、そういう風潮」

 強制力は完全じゃない、黙認されるってことかな。僕はボールを宙に軽く放りながら、今日の夕飯の事を考えていた。僕は、というより野球やスポーツを本格的にこなす人って大抵そうだけど結構、かなり沢山食べる。運動して、また食べる。

「って、これから野球やろうって人間がそんな話しててどうすんだよ」

 藤原が口を尖らせる。本気で怒ってるのか冗談交じりなのか、分かり辛い真面目な声だ。そこで僕もこの話を切り上げた。

「そうだね。それより来週からだろ。仮入部期間って。今日行く必要あるの」

 僕たちは同一階の職員室に向かっていた。鞄は教室に置いて来た。今日は姉さんの帰りが遅いはず。家事の支度もあるから、そんなに遅くまで残れない。
 藤原は入学前に散発したと思われる坊主頭を摩っていた。僕は短髪だけど、もうちょっと長い。

「どうせ入るんだから今から顔出してやる気見せた方がポイント高くなるかもよ。先輩とか顧問の」

 藤原はやる気満々だなあ……そういうのは嫌いじゃない。聞くところによると彼は中学三年間・ショートで、最終学年には主将も務めたらしい。バッティングと走塁にも結構自信があるようで、たぶん現時点で結構上手いんだろう。

 ……去年の夏の高校野球大会、翔桜高校硬式野球部は三回戦で負けてる。組み合わせ的にもそう悪くないから、今の強さに限界がある。大半のチームがそうだけど、改革を成し遂げるなら、チームが生まれ替わるのが一番だ。
 高校球児になったからには誰もが一度は想像、もとい妄想するだろうね。

「俺は俺の代で、甲子園に行きたい」
「白崎」

 隣を歩く藤原が一瞬止まってこちらを見遣った。声を潜めて冗談風味に、

「だったら翔桜に来るなよ」
「え、そこまで言わなくても……」
「まあ、いいや。何とかなるかもしれない……って期待できるレベルだもんね。白崎様は」

 藤原は僕をおだてたけど、僕の方こそ彼に期待してた。ショートの、チーム内野の守備力がどんなものか。それで配球を組み立てる楽しみが捕手にはある。
 強豪校じゃないんだから多くは望まない。内野安打を防げる肩の強いショートと、盗塁させないキャッチャー。……最後のワンピースは勿論ピッチャーだ。
 これは侮っているわけでも、馬鹿にしてる発言でもない。『ストライクが投げられるピッチャーが一番偉い』。三振を取れれば尚良い。

 藤原は真顔に戻って思い出したように、口に出した。幸か不幸か、最後のワンピースの存在を。

「それに瀬谷がお前に会いたがってた。知ってる?」
「いや、知らない、誰」
「中学の時やったんだって」

 記憶の隅々を追ったけど、情報が名前だけだと思い浮かばなかった。

「勝ったか、負けたかは言ってなかったけどさ」
「投手じゃないかな、その人」
「そうそう。なんだ、知ってるじゃん」
「予想だよ」

 例えば過去に特定の打者に打ち込まれて、劇的な戦いがあって、以来ライバル視しているとかね。投手が一番簡単に想像付く。
 僕には……そういう特定の人は誰も居なかった。十三年間野球をやって来て、物心付いた時からキャッチャーだ。僕も、白崎藍璃|(しろさきあいり)も投手をやっていたら、そういうライバルが見つかっていたかもしれない。


                      2


 放課後になると、瀬谷真一朗は一組を覗きにやって来た。
 廊下をすれ違う生徒たちは決まって瀬谷に視線を向けた。女子に混じって、男も。やはり女子に見られるのは気持ち良い。だが野郎はいらん。たまに上級生と思わしき生徒の物もあった。
 瀬谷は高校一年生にして身長が186cmあった。染めてはいないが、巷の男性アイドルのような髪型をしている。美容院で、して貰っている。

「白崎」

 教室の中を二秒で見渡す。白崎、藍璃はいない。あいつも自分ほどではないが、高一にしては大きい。自分ほどではないが目立つ野郎だ。

「藤原も……いねーな。白崎はもう行ったかね」

 じゃあ別用だ、と瀬谷はもう一度教室を見渡した。今度は十秒ほど。
 丸襟の白ブラウスに紺のブレザー、という良く見る組み合わせが翔桜の女子の制服。野郎もブレザーだがそれはどうでもいい。
 入学から恒例、学年の可愛い子の物色。自分ほどの強者になると、上学年にも臆せず乗り込んでいく。上級生に紛れても違和感がないから大丈夫と思っている。
 しかし既に帰ってしまった生徒も少なくないためか、目ぼしい獲物が見つからなかった。

(獲物と書くと不気味だな)

 勘違いされる。なりがなりだから、難破な奴だと思われがちだが、瀬谷は個人的に自分ほど義理堅い男はそういないと思っていた。その昔、死にそうな野良猫や溺れている犬を助けたこともある。

 話を戻すと、自分を唸らせる程の可愛い子は居なかった。三年の朝倉や二年の藤川の方が断然イケる。藤川はスカウトされる程だから当然だが。同じ一年なら他組の白沢と桑嶋が良い。上から、巨乳、貧乳、バランス、ロリと揃っている。この四人を翔桜四天王と呼ぼう。

「エリちゃんだ」
「え」

 知っていたが、一組にも新四天王に相応しい逸材が一人居た。いや実力だけなら四天王の中でも最強クラスだ。ポジションで言えば、三年朝倉の後釜になるだろう。彼女が抱えた鞄越しに見える胸を見ながら瀬谷はそう思った。

「ちょっと聞くけど、白崎って奴、もう教室出て行った?」

 瀬谷に近付かれ、彼女は一瞬戸惑っていた。身長180を優に超える大男がいきなり近付いて来たら怖いだろう。だがショックだ。

「は、はい……。丁度、今出て行きました」
「ふーん」

 この場に居ない藤原の席に鞄が置きっぱなしなのが物語っている。仮に職員室に行ったとするなら好都合。自分も野球部の件で寄る予定だった。

 瀬谷は昔から特定の部、その類の組織に長居したことが無い。素行や髪のことでとやかく言われる理由もある。
 昔はサッカーもやっていたし、バスケ部に居た期間が長い。これだけの長身を見たらバレーボールで活かさない手はないと内外ともに考えたりもするが、生憎興味を惹かれたことはない。瀬谷はどんなスポーツでもナンバーワンだったから、バスケやサッカー部の方が単純にモテる。
 だが結局は野球に落ち着いた。なんたってエースで4番だ。高校以降なら野球はモテる。

「君可愛いね。名前なんて言うの?」
「……赤羽根」

 咄嗟に聞かれると、彼女は苗字しか言わなかった。知ってる。下の名はエリカ。加虐心をくすぐる訝しげな視線を送ってきやがる、と思った。
 でも天才・白沢には勝てるかな? 女は全てにおいてバランスの良い女を好むからな。

「オレは瀬谷真一朗。でかいけど同じ一年。これからちょくちょく一組に遊びに来るから覚えといてね」

 廊下に出た後、こっそり携帯で撮っておけば用足しになるかなと後悔した。


                      3


「翔桜に来てくれるなんてなあ」

 職員室。現国の教師である、小川先生の席の元へ行くと握手を求めてきた。少し髪の毛の生え際が後退した、三十代後半、四十代前半の中年だった。椅子に座っているので身長は計りかねるが、肉付きと骨格は標準的で大柄ではない。
人当たりは良さそうだった。前もって知っていたんだけど、この学校は私立だけど野球強豪校でもないので部に職業監督はいない。となると顧問の小川先生が監督を兼任しているのかな。

「ちょっと、そこどいて」

 通路を塞いでいた僕と藤原をセミロングの女性教師が掻き分けて、小走りに職員室を出て行った。
 ……若い先生だなあ。僕たちと……は言い過ぎでもあんまり歳が離れてなさそう。と思っていると藤原が小声で、

「美羅先生だよ、二組の担任の」

 教えてくれた。美咲さんところね。やっぱり……男の視点だと若い女性教師の方が華があるなー。うちの担任も若いけど男だから。
 ゴホン。小川先生が咳き込んだ。振り返る。

「中学全国一捕手が、ここで良かったのか? 白崎」
「ベスト4です」

 僕は訂正した。いや全日本少年の方の三位か。優勝した経験はない。僕より優勝、準優勝したチームの捕手の方が優れていた可能性はある。範囲をシニアに広げればもっとだし、さらに言うなら、僕は中3の時に全国大会に初出場した。総合的には美咲さんには敵わない。

 あの3年の夏は……いや結果的にチームが大成したんだから正直、入った学校にも恵まれていた。
 言葉に出来ないほどが野球が上手くて当たり前のように勝てた。スタメン・レギュラー陣の中には推薦を得て高校に進学した者もいる。チーム一番の出世頭はエースの大澄で、家の都合もあって愛知の野球名門校に進んだ。守備の要、二番ショートの中尾は東京の私立強豪校、西学院に。それから……。
 考えていると、今度は小川先生が訂正した。

「いやいや、チームはそうだが、周りの評価はそうなんだろう? 同世代の軟式で白崎藍璃が全国で『一番打つ捕手』、一番肩が良いって聞いてるぞ」

「いえ、打率はずっと一番です」

 その他の成績は詳しく調べられないけど、出塁率(四死球)、そして少なくともチームでの盗塁数ははっきり結果に出ている。だから逆算すると、打点と本塁打王は僕じゃない。でも気にしていなかった。勝負して貰えない比率が高いんだから物理的に取れない。
 一瞬何故か沈黙していたが、はは、と小川先生は軽く笑った。(笑うような話じゃなくて事実なんだが)

「まあ、頼りにしてるぞ。白崎」
「監督」

 その時、美羅先生が閉じた職員室の扉がガラガラと勢い良く開いた。男子生徒が一人入ってきた。僕たちが廊下でしていたように、硬式球を軽く宙に放りながら。

「そんなに甘やかす必要ないですよ。一人ゴールデンルーキーが入ったくらいで、どうにかなる程、野球は甘くありません」

 誰だか知らないけど同意見だった。この場に現れたことと、口調や姿、仕草から察するに野球部部員だということは分かる。

「ただし、投手が逸材なら話は別ですけどね。投手と捕手が揃えば尚良い」

 それもまあ同意見だった。でも何処かで守備や打撃、チーム全体に綻びが生じるはずだから、優勝は出来ないね。

「瀬谷、ボールをしまえ」
「はい」

 瀬谷って言うらしい。ボールを制服ポケットに突っ込むと、ポケットに手を入れたままにやりと笑って何故かこちらを見た。
 小川先生が瀬谷を手招きする。横に並ぶと彼は藤原と僕よりも大きかった。

「こいつは瀬谷真一朗。翔桜中から上がってきた。お前ら二人が揃ったんだからな。本気で勝てそうだ」
「東東京じゃないってのが、また付いてる」

 瀬谷に比べると、藤原は職員室なので声を低くしていた。
 そこで気が付いたが、瀬谷ってさっき藤原が言っていた人だよね? と半分訊ねるように見遣る。

「東……?」

 直接聞き返したわけじゃないけど、僕の疑問に藤原は返事してくれた。

「帝迅が居る。今のあそこに勝てる高校は東京にはたぶんない」
「新・KKコンビのことだな」小川先生が付け足した。

 ああ……倉内、桑嶋さんのことか。シニア出身の二人。確かに後者は掛け値なしで凄い。僕とは異なるタイプの野球選手だ。反面、前者は僕と同タイプなので後者ほどは脅威には思わないな。中学時代の打撃成績を比較するなら、僕の方が打点ホームラン以外の全部の数字がやや上だった。

「騒ぐほどじゃないでしょ。桑嶋は所詮中継ぎだから」

 冗談かは分からないけど瀬谷はそう何気なく呟いた。ここで初めて意見が割れた。
 いや、誰でも騒ぐよ。去年、夏の甲子園で高一で146km/h出してたんだから。今年はエースだし世代最強右腕筆頭だろ。

「なんだよ?」
「いや」

 訝しげに見ていると瀬谷が見返してきたので、顔を背けた。すると藤原が事情の知らない僕に補足するように言ってくれた。

「瀬谷は実際、マジで凄い。140キロ出せるんだよ」
「今は142な」

 へえ……。へえ~。いや、それはなんか、かなり凄いぞ。それまで瀬谷のことを馬鹿にした目で見ていたけど謝ろうかな。
 ついちょっと前まで中学生で、現・高校入学仕立ての一年生でそれか。いや、表現が軽いかな。凄いだろ、凄過ぎる。何故そんな投手が強豪でもない、この進学校に……あ、下から上がってきたんだっけ。

「おっと……そうだ」

 後半から瀬谷の声色が変わった。さっきまでの冗談染みた高い声じゃなくて、低くなった。そして右手を出した。

「よう、白崎……お前が来るのを『待っていた』」

 ……彼が僕に会いたがっていたと藤原が言っていた。瀬谷は僕を知っている。
 でも僕は覚えてない。これってなんか奇妙というか、ムズムズするというか、気持ち悪いなあ。すっきりしない。たぶん、どこかで試合したんだろう。でも翔桜中なら記憶に残ってそうなんだけど。まあ、とりあえず握手だ。

「よろしく」
「おう、よろしく」

 瀬谷はそこでいきなり僕の肩に手を回して来た。

「お前さ」
「うん」

 大事な話でもあるのかと構えていると、一瞬、沈黙して瀬谷が顔を上げた。

「あ、白崎ちょっと借りますね。失礼しましたー」

 先生が返事する前に瀬谷にぐいぐい背中を押された。仕方なく僕も、失礼しましたと言葉を掛けておいた。瀬谷って結構力あるな。まあ僕が力入れてないのもあるが。
 職員室の外。この時間帯になると人通りも滅多にない。わざわざ連れ出して、なんか込み入った話でもあるのかなと予想していると、

「お前、女、好きか」
「は?」

 なんだそれ。思わず素頓狂な声を出してしまった。驚いたというより呆れていた。

「男よりは」

 一応返答はする。女の子の方がいい。でも姉弟やウィル、美咲さん、家族よりは好きじゃない。

「よし。百合咲と合コンセッティングしようと思うんだが、一人足りないんだ。協力しろ」

 ああ……百合咲は都内でも有名なお嬢様女子校。男子校と女子校が合コンって話なら分かる。だから一つ疑問がある。

「うち共学なのにどうして」
「は、お前馬鹿か。男子校が企画するのは普通だろ。共学だから、やるんだろうが。捕手が馬鹿でどうする、しっかりしろ」

 ごもっともで。頷いた。つまり単調なリードは駄目で、裏をかけって言いたいんだろうね。

「でも入学時期に遊ぶ部員って駄目だろう。顧問にも先輩にも何て言われるか」
「いーんだよ」

 瀬谷は歩き出しながら言った。あれ、職員室からどんどん離れていくぞ。

「オレは天才だから。この高校、オレより速い球投げられる奴一人もいねーじゃん」

 瀬谷は頭の後ろに手を組んで、自信満々に言葉を紡いだ。
 天才か……。天才だろうね。全体から見たら間違いなく。でも僕は知ってるけど『天才って世の中に沢山居るもんだよ』。

「じゃあ全国に行った僕も天才だね」
「だろうな。白崎もまた天才だ」

 あれ、あっさり肯定された。反応が僕の予想と違う。これが裏をかけってことなのか?

「天才は天才を呼ぶ。クク。天才同士仲良く遊ぼうぜ」

 すっかり職員室を後にしてしまった。藤原たち待ってたりするのかな? 教室に戻っている。

「あのさ、瀬谷」
「ああ、馬鹿にしてるわけじゃねーよ。監督は良い顔してるが、オレたちをスタメンで使う気はないらしいんだ。今の上級生エースとキャッチャーを使うってよ。オレらの方がどう考えても実力は上なのにな」

 え、そうなのか。今、話そうと思ってたこととは別だけど。最初から見ると、瀬谷の態度が一気に冷めたものへと豹変しているのが分かる。
 でもそうだとしても、僕より先輩達の実力が劣るのかどうかはこの目で見るまではっきりとは分からない。確実に数字に出ているのは僕が中学時代、全国で一番打てて走れる打者だっただけ。
 時間が経てば、練習し続ければ、人は誰でも、この時期はどんどん上達する……僕は僕がもっと上手く成れると信じている。

「三年で130キロも出せないんだぜ。一年で140のオレを干して、二年、三年の125を使う。ありえるか? そんな馬鹿な話があっていいか?」

 ……キャッチャーはともかく、ピッチャーなら先発させて貰えるだろう。必ずしも一人が連投しなくてもいいんだから。瀬谷が言ってるのはきっと一番手に使って貰えないってことだ。
 僕はここまでではっきり感じたことを言った。

「瀬谷は……態度が悪いんだよ」
「頭は悪くないけどな。この学校に来てるやつは皆小賢しくてイライラするぜ」
「じゃあさ。僕と一打席勝負してみない?」
「なにそれ」

 提案があった。140キロって聞いた時は打ってみたい気持ちも湧いていた。マシンの150を打つよりずっと面白そうだ。お互いのレベルから考えたら、悪い話じゃないんじゃないかな?

「一ヶ月前まで中学生だった僕に打たれるなら、瀬谷はまだ中学生レベルだってことだよ」
「お前馬鹿だろ」

 瀬谷の奴、振り返りも止まりもせず、平然と馬鹿って言い切った……。ちょっとショックだ。

「屁理屈言ったってお前は全国レベルの捕手、選手だろ。で、オレもそのレベルの投手なの。オレとお前が勝負して勝ち負け競っても意味ねー。先輩よりオレらの方が凄い。それを監督に分からせてやらないとな」

 理屈は分かる。……じゃあやっぱり瀬谷の言い方が悪いんだ。僕はそこで今日既に言ったような、さらには言われてしまった、一番僕が言われたくなかった言葉をうっかりもう一度吐いてしまった。

「翔桜に来なければ良かったのに」
「アホ。強豪校なら尚更一年から出番ねーだろうが」

 ……そうかなあ。甲子園常連の名門校とかでも聞くじゃないか。一年生の夏からスタメンとか、一年からエースとか四番とか……本当に天才ならなれると思うけど。だからね。真の意味で天才だと言えるのは、そういうレベルの人間を指してのことだと思う。
 天才・瀬谷は立ち止まっていた。急に振り返ってまた肩を組まれた。なんかこの人、馴れ馴れしいな。

「オレはこの一年の間に150までスピード上げとくから、今は合コンしようぜ」
「……僕と勝負をして」

 あくまで合コンに拘る瀬谷だ。僕も拘らないと最初に飲まれてしまう……。口は瀬谷の方が上手いけど野球はどうかな……。今回はこちらもきっぱりと言ってやった。

「僕が万が一、負けたら付き合ってあげるよ。合コン。その代わり瀬谷が負けたら、ちゃんと部に出ろよ」
「は~、言い方が気にくいませんよー。絶対勝てますって言い方じゃねえか。どんな打者でも一打席勝負なら投手が有利なんだよ」
「じゃあ何打席でもいいよ、気が済むまで」
「四打席やりゃ結果はともかく力は大体分かるね」

 四打席か。言いだしっぺが二打席だったらどうしようと考えていた。三打席以上なら何でもいい。

「それなら僕が勝つ」
「いや、精々一安打だな。それで一三振、一ゴロ、あと良くて一四球」
「いや今回もどうせ勝つよ。負けたことないから」
「は?」

 いつの間にか、教室の、しかも僕の一組の前まで戻って来てしまっていた。瀬谷の組を通り過ぎてしまった。見ると、もう残っている生徒が殆んど居ない。支度があるので僕も早く帰りたかった。

「嘘付け。全国で負けてるだろ、お前のチーム」
 瀬谷はまた声が高い調子に戻っていたけれど。

「負けてない」
 ……僕も美咲さんも全国でぶっちぎりに一番打った。けれど、運悪くどちらのチームも先に進めなかった。

「俺たちを抑えた奴は一人もいない」
 



[19812] 0回裏: 瀬谷という男
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/12/11 23:54
 
「ただいま~」

 夕方六時頃、僕は帰宅した。スーパーに寄って家庭に不足している食材を買い足してきた。
 それからたい焼き屋で、たい焼きを八つ、ペットショップ・神月で犬用の小さいたい焼きも買って来た。
「帰ってきたよー」ともう一度言うが家はしんと静まり返っていた。電気は付いていて家族の気配も感じるので、特に気にせずに靴を脱いで上がっていく。
 それにしても……改めて考えるとうちって一軒家だ。父さん達に感謝しなきゃ。おかげでウィルも居られるし時間はまだある。

「野菜とハム買って来たよ」
 部屋の角から三女の英恵が一瞬顔を覗かせた。すぐ居間に戻った。

「英恵さん。貰ってきてください」
 かと思えばお姉さんに言われて、戻ってきた。僕はそのまま台所に行って美咲さんにスーパーの袋を手渡ししようと思っていると、

「藍璃さんは休んでてください」
「はあ」

 結局英恵に持たせて行ってしまった。僕は一旦部屋から廊下に出ると、洗面台で手洗いうがいを済ませてすぐに戻ってきた。するといつものように、トントンとまな板と包丁が合わさる音が響いていた。
 静かだ。空穂はソファーですやすや眠っていた。乱れた布団をかけ直す。恵陸の姿が見えないから部屋で昼寝してるだろう。文虹(ふみこ)姉さんもまだ帰ってきてない。
 次女で一つ下の日和が、東京に居た頃は結構騒がしかった。あいつは良くも悪くもうちで一番明るくてムードメーカーだったから。……あ、少し物騒な言い方に見えるけど今も普通に生活してます。

「何か手伝うことある?」
「テレビでも付けてください」

 英恵がリモコンでテレビを付けた。丁度六時か。お気に入りらしい少女漫画アニメが始まった。テーブルには英恵が、戻る時に持ってきた白熊のマグカップが二つ置かれている。

「藍璃さん」不意に台所から声が掛かる。
「はい」
「腰を落ち着けてください」

 ソファーを見ると、毛を短くカットしたマルチーズのウィルがじろりと見上げて居た。うわあ、こいつ起きてるよ。空穂と一緒に寝た振りをしていた。なんかニコニコ笑っていて楽しいなあ。でも僕に気が付かれると、すぐにそっぽを向いてしまった。
 ウィルを持ち上げて眠っている空穂の隣に座った。ウィルは膝元に乗せる。

 「たい焼きだよー、ウィル」

 と言うが、これからご飯なので今は食べさせることは出来ない。犬用のたい焼きが入っているビニール袋も一緒に渡してしまったし、それを知っているのかウィルはまた瞼を閉じて丸くなってしまった。
 さて……今日の夕食にはポテトサラダがあるけど、うちのサラダは玉ねぎ入れない……。もしもの用心を重ねるのは悪くない。人間は大丈夫だけど犬は一般的にネギは駄目だ。

「わたし、将来……」
 アニメの歌が終わると、もう一つ横手のソファーに座っていた英恵が急に立ち上がってすぐ座った。

「音響監督さんになる!」

 ミルクティを飲んでいた僕は一瞬、蒸せそうになった。てっきり歌の人になる、とか声を当てる人になるとか言うと思ってたのに。

「英恵なら成れるよ」
「うん。わたし、音楽の成績ずっと5だもん」

 それじゃあ将来は音大行けばいいのかな? あんまりその辺詳しくないや……。
 ぼーっとしていると、アニメはすぐに終わってしまった。

「今週は面白かった、それに巧くなってる」
「……音響さんが?」

 巧かったって素直な発想や言葉は面白いな。でもこういうもんだよね。子供って。僕も子供の頃、相手チームにバント決められた時、三塁線に巧く転がされた! とか思ってたもん。日和も「間合いを巧く取った。出小手決めてやった」とか小学生低学年で普通に言ってたからな……。
 日和は……いつも言う側だった。ずっと一番だったから自然と言ってばっかりだったんだろう。瀬谷に言ってやりたいけど、こういう日本一が本当の天才って言うんだよ。

「美咲さん」
「はい」
「ちょっと外で素振りの練習してくる」
「夕飯は一時間後に」
「いや、藤川じゃない。すぐそこだから三十分で終える」
「では七時で」

 バッティングセンターまでは行かない。本当に素振りをするだけ。日和のことを考えたら無性に体を動かしたくなって来た。あいつは才能の塊だけど、今もなお最高の環境で進化し続けている。
 ウィルを弟の隣、ソファーに置いて僕は居間を出た。二階の自室からバットを取ってこようとすると、英恵が先ほどの言葉の続きを言った。

「主役の人が段々巧くなってる。イントネーションとか」

 英恵、良いことを言った。そう、時が経てば、練習し続ければ、最初が下手でも人はどんどん上達する。僕はそう信じている。



                      2


「ここでやるんか」
「うん」

 日曜日の早朝、僕と瀬谷は隣町のスポーツ広場にやって来た。内野は土、外野は芝の専用の硬式野球場(両翼約90M、中堅110M)も設置されている多目的広場だ。学生だから使用料金も安く、野球場は二時間1800円。

「軽いお遊びだぜ。学校で良かったんじゃねーの。日曜の朝からやってるか」
「やってるよ。あんまり先輩を侮るもんじゃない」
「馬鹿。朝からやるなら、オレたちも何れ付き合わされるってことだぞ。愁いてるのさ」

 やれよ、やればいいだろ……と思ったけど言わなかった、一応。今日は美咲さんに任せてあるからいいけど、僕も家庭のこととかで忙しいし、人のことあんまり言ってる余裕はない。

「球持ってきたか」
「……一ダースは。投げ返すよ」

 一瞬、現状を忘れていたけど瀬谷の声で我に返る。
 僕はジャージよりサイズが合う、中学の学校名が刻まれている白いユニフォームを着てきた。瀬谷は赤いジャケットを向こうベンチ席に脱ぎ置いて、黒シャツ姿でやって来た。
 彼は結局グラブ以外何も持参してきてないな。横長の収納バッグに詰めて他の道具、費用も全部僕が出しているし、(この場所を提供したのは自分だが)当日利用もできる広場の受付手続きも一人で行っている。実は利用料金を分担して貰えるかと甘い期待をしていた。

「四打席だからなー。普通の奴が相手なら一ダースで良いんだが、今回はその倍は欲しいな」
「カットってあり?」一応、最低限のルールは訊ねる。
「当然、出来るならありだろ」
「バントは?」
「ねえだろ、ってかこの状況でバントやる馬鹿かよ、お前」

 僕はためしに五十球ぐらい投げさせるのもありだと思った。でも、まあ公式戦じゃないからもっと早くケリを付けよう。

 その後、準備は大体完了した。マウンド付近に置かれた硬式ボール。収納バッグから組み立て式のピッチング捕球ネットを取り出し、打席の後ろにキャッチャー代わりに据える。ヘルメットも持って来た。
 準備運動も終えて、軽く素振りを数回、僕は右投げの左打ちなので左打席に付いた(瀬谷から見て左側、つまり一塁側だ)。
 マウンドの瀬谷はグラブを左手にはめている。右投げか。

「おい、プレイボールって言え」
「ぷれいぼーる」
「やる気ねーな。だがこの言葉は好きだぜ。これから闘いが始まるって思うとビンビンになるよな」

 全く同意見だ。背筋を伸ばしバットを構える。
 瀬谷が振りかぶって、左足を上げ、左足を踏み出し、

「っりゃ」

 一球目は……インローのストレートだった。スクエアスタンス、オーソドックスな打撃フォーム。
 普通に打ち返した。「あ」と瀬谷が右に振り返る。鋭い打球が伸びてレフト前に落ち、ファウルライン外にバウンドしていった。フェアだ。

「芸術的レフト前ヒット」
「……」

 しかもレフト前でもアマチュアなら、タイミングと守備と打者の足によっては二塁打になる。僕ならいける。だからライトやレフトの守備も大事なんだよ、赤羽根さん。彼女には是非守備を頑張って欲しいとふと思った。

「あー、待った、待った」
 突然、瀬谷は右手を前に出して声高らかに言った。

「え」
「よく考えたらいきなりじゃん。オレ投げ込んでも、肩温まってもいねえよ」

 ……そうだね。実際、今のストレートは言うほど速くなかった。周りが言うような140km/hに全く届いてない、拍子抜けだな。

「それじゃ、今のはなしでいいよ。今のを打っても面白くない」
「お、言うねー」

 瀬谷はストレッチから始めて、さらに投球練習も始めた。二時間なんてとても使いきれないだろうと考えてたけど、試合以外の部分でかなり消費していた。

「ロージン持ってる?」
 三球目ぐらいに彼が口を開いた。

「持って来たよ」
 そう言うと思って。ロジンバッグね。

「くれよ。不公平だろ。オレの……芸術的、バッターキリキリ舞い変化球見せられないだろ」
「自分で持ってこいよ」
「お前、タダの馬鹿なら許せるが野球人が野球無知は救えないぞ。ピッチャーは不正の監視上、ロージン持参しちゃいけないんだよ。そんなの知らないのか? 捕手だからか」

 知ってるよ、馬鹿。でもそれ公式戦の話だろ。別に疑いやしないよ、そんな神経質に。
 僕はバッグからロジンを出して、彼に投げ渡した。

「おっ、サンキュー。可愛いロージンちゃん」

 ちゃんと礼を言うのは好感が持てるけど、言い方がなんか、うっとおしい。

 ストレートばっかり練習している。変化球投げないじゃないか。芸術的変化球……。まあ、確かにさっきよりも球が速くなってるよ。それより本当に速い球投げられたんだな、藤原や先生が言うんだから疑ってたわけじゃないけどね。
 先ほど外野へ飛ばしたボールを拾った後は、暇だから僕もストレッチを再度行ったり、素振りをしている。

「変化球は?」
「なに期待してんだよ、今見せたらお前が得するだけだろうが」
「ぶっつけ本番で巧く変化しなくても知らないからな。それで打たれれば世話ない」

 言いだしっぺがこんなこと言いたくないけど、相手の球種が分からないと不利だな、この勝負。正直、一打席勝負じゃなくて今はホッとしている。

 それと……この勝負で使用する硬球というのも関係あるかもしれない(瀬谷のご要望に応えたんだが)。高校では硬式なんだから硬式ボールでやるのが当然だろって言った。それはそうだ。
 僕は中学では主に軟式野球をやって来た。瀬谷が僕と試合をしたことがあるって言うなら、彼もまた軟式経験者のはずだ。そうすると軟球と硬球のズレで、今度は逆に投手の瀬谷に不利な勝負になる。
 でも140って数字はどう見ても硬球を指しているよな(一般的に硬球で投げると軟球時より10km/h速いスピードを出すという)。そこら辺の関係がよく分からない。彼は何も教えてくれなかった。

 ……とりあえず相手の力は直球の数字以外、未知数なんだから最初は、カットしながらストレート狙うのが無難かな。

「さ、もういいや。それじゃ見せてやっかね」

 マウンドを靴でならしながら瀬谷が不意に呟く。その間に僕はネット放りこまれたボールを投げ返して居た。

「なにを」
「オレの本当の実力をな」
「全力を出せばいい。そうすればもう言い訳できなくなる」
「生意気なヤローだ。思い知らせてやる」

 字面にするとちょっぴり真面目なやり取りに見えるけど、全然そんなことはなかった。どちらもふざけて言ってるだけだ。だから締まらない。
 しかしいざ投球に入ると、瀬谷は真面目だった。一球目、高めに外れたけど明らかに先ほどより伸びてる。軸足からの体重移動、踏み込みも明らかに力強いものへと変わった。

(これが140か)

 実物を見ると、滅茶苦茶速いな。あと杞憂だったようでその点は安心した。
 彼も僕も中学では軟式経験者だった。でも少なからず、その少なからずに差はあるだろうが、ここまでの段階で硬式ボールも見て、触っている。そう判断することに決めた。

「おいおいおい~」

 瀬谷が不満そうに言う。二球目もストライクゾーンから外れ、三球目はコースに入っている。しかし次はまた高めに外れた(この勝負では一律、打者の僕と投手の瀬谷から見て、捕球ネットのストライクゾーンに入った球はストライク判定をして、明らかにゾーンから外れた球だけボール判定している)。
 カウントはワンスリーだ。高めの速球を振らせて空振り、アウト取りたいのか。

 ここまで……大澄と比べたらどうだろう? 体感度的にも彼より速い。でも大澄の場合はストレート以上にカーブが切れまくっていた。名門校から誘いが掛かる投手ってのは何かしら武器があるものだ。瀬谷の球は……。

「もっと振ってこいよ。男ならもっとぶつかって来いよ!」
「瀬谷がストライク投げろよ」

 逆の意味だけど、だからストライク入らない投手はイライラするんだよ……。
 練習の時は、コントロール良さそうに見えたんだけどな。だってほとんどの球がゾーンに入っていたし、捕球ネットから逸らしたボール自体は一球もなかった。バックネットに刺さらなかったんだから。でも今はそうじゃない。ブルペンではエース級だけど、本番は崩れるピッチャーって大変なんだよ。

 最後の球もアウトハイに外れた。最初の勝負はこんなものか。明らかに逃げてる投球だな。瀬谷はふざけた声音で、

「芸術的フォアボール」と言った。
「茶化すなよ」

 最初何気なく芸術的ヒットとか言っただけなのに、それが受けたのかすっかり向こうに冗談みたいに使われてる。
 二打席目になった。初球は様子を見たけど、今度はいきなりアウトロー一杯に決まった。

(……ストレートばっかだな)

 まさか実はストレートしかないとか言わないよな。自分は天才だから速球だけで抑えられるとか言い出さないよな。こんなに速くても、それじゃあ美咲さんの方が遥かにレベルが高い。

 カウントワンツーから高めの真っ直ぐを打ってやった。

「あぶね」

 打球はセンター方向に弧を描いて高く伸びていったが、最後少し詰まっていた。フェンスぎりぎり、最後尾の100メートル超の所で落ちた。

「入ってないか」
「全然入ってねー。芸術的センターフライだ」

 まあ甲子園ならとても入らないだろう、仕方ない。センターの頭上を越えてたらスリーベースだが、今のは捕れたってことでいい。

「あの球は瀬谷が拾ってこいよ」
「嫌だよ。他の11球で済ませりゃいい」

 それなら残りの球を全部ファウルしてやったらどうなるんだろ。でもそしたらこいつ逃げる、止めだしそうな気がするな。やっぱりクリーンヒット打ってやったほうが後腐れない。

 三打席目だ。今度はボールのやや下を叩くことを意識して、初球から成功、巧く打ってやった。
 今のは低めにストライク入ってる、悪くない。というか打ったのはスライダー、今のが初変化球だったぞ。

「芸術的センター返し」
「ちっ、うっぜえな……」

 芸術的言い返してやった。ほら、瀬谷イライラしてる。ロジンの触り方、マウンドを蹴るのに力が入ってる。
 
 
「こっから本気だ」
「後一打席じゃん」
「お前馬鹿だな。オレの予言通りだろ?」

 ……勝負の予言? 四打席勝負したら結果は一安打、一三振、ゴロ、四球……。
 先日、確か瀬谷はそう口にしていた。

「ゴロじゃないだろ」
「いくぜ」
 あっ。言ってるうちに、いきなり速球を決められてしまった。

「オッケーオッケー」
「せこ、というかボーク」
 打撃姿勢入ってなかったんだから。

「いや15秒ルールでオッケー」
 経ってない。打席に入ってるし、絶対、経ってない。
 しかし面倒だからストライクでカウントされることになった。でも本当の試合……公式戦、いや練習試合でも練習でも瀬谷のこの馬鹿癖は直したほうがいいな。絶対それがいい。
 二球目はアウトコースの低め。瀬谷は高めが好きに見えるが、結構コーナーも狙ってくるな。

「あっ」
 振り掛けてバットが止まる。遅いと思ったが、やっぱり落ちた。チェンジアップか。

「やるねー」
 何故か瀬谷が口笛を吹いた。余裕でボールなのに。

「変化球は見逃せる」
「は、どーいう意味だよ?」

 三球目、内に食い込むスライダーだった。変化球は見逃せるってのはそのまんまの意味だよ。こいつは、大澄のカーブや美咲さんのスライダーには遠く及ばない。
 今度は先ほどと同じ轍は踏まない。引っ張ってやった。当たった瞬間にそれと分かる、

「芸術的ライトホームラン」

 自分で言っておいてなんだが芸術的には程遠いな、力付くだから。
 ボールはライト方向、フェンスを高々と越え、遥か彼方まですっ飛んでいった。折角、赤羽根さんのポジションなのにこれは守備も関係ない……。

「切れてる。惜しい」
 瀬谷は間髪居れずに呟いた。言うかもしれないと思ったけど、速攻言ったよ。

「は、いやいやいや。全然切れてない。というかポール際ですらない」
「お前の目は節穴か。冷静かつ客観的に見ろよ」

 そんなの投手より打者の目線からの方が分かる。そしてあの球は多分、見つからない。(というよりも硬球なんだから怖いな、フェンス越えのホームランボール。確か僕たちが来た時は隣の面に人居なかったけど)
 しかし二十秒のやり取りの後、ホームランは無効になった。それだけだとあんまりなので、こちらの言い分としてファウルカウントも無効にして貰った。だからカウントはワンストライクワンボールのままだ。
 だが、これでボールは9球になってしまったし、書いてないけど一々僕が投げ返している。

「もう一球な」
「いいよ」
 僕は打席に立ち直した。今度はインハイにストレートを投げて来た。入ってない。

「あぶない」
「『今のは』見逃せたか?」
「ボールでしょ」

 カウントワンツー。アウトローに真っ直ぐが来た。

「おっけ」
 打球は切れて、あれば三塁側スタンドに飛び込むファウルになった。

「オッケーじゃない」
 僕自身に投げ掛けた言葉だった。

「は、追い込んだろ」

 瀬谷はにやりと笑った。そうか。こいつ僕から三振を取りたいんだ。
 でも僕もこの頃になると瀬谷との勝負を楽しんでいた。
 ここまで……取り消しになった幻の初打席のインロー。一打席目がアウトハイで四球。二打席目が高めでフライ、三打席目が低めでヒットと来ている。そして最終打席ではインハイとアウトローを見せた。こいつ……凄いよ。

「後、ど真ん中だけ来てないね」
「そこは投げねー」
「いいの、そんなこと言って」
「見てな」

 放たれた瀬谷のボールは……ストライクゾーン、明らかに速球が中央に来ていた。
 僕はそれをすり足気味に軽く振りぬいた。バットとボールが擦れる音が鳴った。ボールは二遊間深くに転がっていった。

 ストンと落ちた。最後のはフォークか。速かった。高速フォークだ。それに今の打席ではチェンジアップも投げて来た。

「芸術的内野安打」
 僕は言った。最後のはそういう判定だ。

「は、普通にゴロだろ?」
「僕の足なら普通に内野安打になってるよ」
「左打者だからそう過信してるんだろうな。じゃあ判定はギリギリアウトだよ」
「余裕でなるって。僕じゃなくても足速い左打者なら余裕で」
「まあまあ、一安打一四球二凡だろ。ほれみろ、オレが『言った通り』の結果じゃないか。クク。オレの勝ちかね」

 三振は何処行ったと内心つっこむ。

「ホームラン忘れるなよ」
「あれは、なしだろうが」
「内野安打忘れるなよ」
「それもねえよ」

 なんて締まらない結果だろう。色々あったけど、表向きには瀬谷の言う通り、三打数一安打一四球が最終成績だ。打率だと.333、出塁率だと.500になる。

「まあ、何でもいいよ。瀬谷が勝ちだと思ってるならそう思えばいい」

 僕は、僕の勝利を疑わない。こんなこと言っても仕方ないが、実戦なら出塁した時点で僕の勝ちだしな。

「100パーオレの勝ちだわ。それでいいんだよな。じゃあ周りにも言い触らすからな。白崎はオレに負けたって浸透させるわ。ナンバーワンはオレだな」

「ちょっ、とっ待ってよ」

 慌ててマウンドまで言い寄る。何か嫌な予感がする。

「なんだよ」
「なんだじゃない。やっぱり僕の勝ちだった」
「もういい……男なら負け惜しみ言うな。自分の引き際を知れ」

 勝負中は良かったのに勝負後は途端、ムカついてきた。本当に僕は以前こいつと勝負したことあるのか? こんなにムカつくやつなら中々忘れそうにないのに。

「瀬谷の中ではなかったことになってるかもしれないけど、僕はホームランの可能性を見せた。でも瀬谷は僕から全く三振を取れなかった。だから僕の判定勝ちだね」

 咄嗟に言っただけだけど、三振が印象あったから言えたんだけど、我ながら筋の通った物言いだった。だから何時もなら直ぐに言い返してくる瀬谷が「仕方ねえ」唸っていた。

「判定にしておいてやるよ。引き分けか」
「え?」

 ……引き分けに持ち込まれた。優勢に立ったつもりが判定は引き分けか。瀬谷はまたがっしり僕の肩を付かんで、

「まあお前が凄い打者だってのは分かったよ。調子の上がり切ってないオレじゃあ互角。下手をすれば負けの可能性もあった。分かるな?」
「僕も本調子じゃないから、そういうことでいいや」

 両者とも本調子なら勝ってるって言い分で。僕はさっさと外野に転がっていたボールを拾ってくることにした。

 余談だけど、紛失したと思われるホームランボールも、隣の球場で練習していた坊主の男の人に拾って貰った。ほら、やっぱり入ってただろ。



                     3


「んじゃ白崎、付き合えよ」
「は?」

 帰り支度を済ませた。結局二時間近く経っていた。勝負自体では全然時間使ってないが。
 瀬谷は唯一持参のグラブをはめたまま、未だに手元でボール遊びしている。そのボールは僕のものなんだが何だかんだで持っていかれそうな予感がする。

「合コンなら駄目だよ。引き分けなんだから無効だ」
「じゃあオレも真面目に部活動しねえ。引き分けだからな」

 あっそ、しなければいいじゃん。……と思ったけど言わなかった、一応。話がさらに拗れるような気がしたから。

「そうじゃねえ。単にこの後、遊びに付き合えってだけだ」
「……ゲームセンターとかなら行かないよ」

 お金が掛かる遊びはあんまりしたくなかった。それにゲームセンターは暗くて目に悪い。

「ゲーセンなんて女と以外いかねーよ」

 僕はボール返してと手を出す。瀬谷は「悪い」と手を振る。悪いじゃないだろ、馬鹿。

「何だかんだでオレはスポーツマンだからな」
「へえ」

 その前の発言が無ければ、多少なりとも説得力が増したかもしれないのにね。
 瀬谷はどっしりベンチに座る。もう帰りたいけど、結局返さないつもりか。

「クレゲ除いたら脱衣麻雀くらいだよ。ゲーセンでオレがやるのは。スポーツだからな、麻雀は。だからオッケーなんだが、最近置いてねーだろ? だからゲーセンにはいかねえ。絶対に、絶対にいかねー」

 目にいいことじゃん。それに野球のゲームもあるらしいじゃん。……でもそれを言うとあれは野球の「ゲーム」であって、「スポーツ」麻雀ではないって言われるんだろうな。だから言わない。

「オレはあれで麻雀覚えたんだ。脱衣麻雀でルールを覚えたって人間、どう思う?」

 最低だな……と思ったけど言わなかった、一応。僕も、周りには美咲さんには言わないけど、温泉施設とかで見たあれ、あの麻雀ゲーム、やってみたいと思ったことあるから……。

「そんな怪しい目で見るなよ。オレは。そんなオレでも今じゃネット麻雀で六段だぜ。お前、六段の人間がどれくらい強いか想像できるか? 気分的には……そうだな。ペーペーの中継ぎが同点裏の守備で巨人打線中軸を迎えた時みたいなもんだ。点取られる。点取られるって誰もが怖がるだろ?
 まー、打線は水物だから、相手が巨人だろうと普通に無失点の時もあるんだよ。麻雀もそうだ。運が良ければ流れるし、逃げ切れる。でもツイてなかったら。何度もやったら……? 分かりやすいだろ?
 麻雀やチェスは頭のスポーツだからな。馬鹿には一生掛かってもできやしねえ。その点では野球と共通点を感じないか。どっちもプレイヤーのレベルが上がればチョンボがなくて自然といい勝負になる。でも麻雀で四人の中に一人でも馬鹿がいたら。野球だって投手と捕手が馬鹿だと、馬鹿試合になるんだよ」

 帰ろ。踵を返すと、またぐわっと絡まれた。傍から見ると仲の良い友達に見えるかもしれないが、実際こいつかなり大きいわけで、結構圧力がある。僕じゃなかったら悲鳴出るぞ、これ。

「本屋に行こうぜ」
「本屋?」

 一気に話が健全的な方向に向かって僕は思わず反応した。
 瀬谷の口から本なんて利発そうな単語が出るなんて……僕も偉そうに言うほど縁がないけど。でもプロ野球雑誌なら買いたいね。

「エロ本でも買うから」

 お前はそういう奴だよ。まともに話して二日目なのに、悪い意味で瀬谷のキャラは把握していた。良い意味ではピッチング(配球)はまだだった。コントロール良さそうだが。

「コンビニで雑誌でも読んでろよ」
「コンビニのは好かねー、燃えないっつうか」

 拘るなあ。三振取るなら、インハイで起こしてからアウトローに落として空振りより、真っ直ぐの方がいいとかそんな感じかな? キャッチャー的にはアウトカウントはアウトカウント、三振は三振だけど。ああ、でも走者が居る場合は速球なら刺せるね。

「同じ本でもな。コンビニの立ち読み……ネットの画像ってのも駄目だ。オレは。分かるか? タダで簡単に手に入る物には情熱を感じない。いや、感じるけど、至高には感じない。これは女とか、別に何にでも言えるけどな。オレの心の渇きを癒せはしない」

 瀬谷にも心の渇きなんてあったんだ。僕はほんの少し同情し共感した。
 でも話は断った。あと、ただで簡単に手に入らないエースの座、高校野球の厳しさに満足してるって理屈になるから、めでたしめでたしだろう。
 



[19812] 1回表: 紅白決戦 美咲投げる!
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/12/08 01:24
 
「バッティングセンターで勝負すればいいんだよ!」

 これは瀬谷と闘った翌日、4月11日、月曜の話。

 二限後の休み時間中、マルチーズの育て方等が書かれた単行本を読んでいると、滝川さんが僕の前の席までつかつかやって来て、不意に僕の机をどんどん叩いた。びっくりして顔を上げる。

「止めろよ。机が壊れる」
「わざわざ野球場まで行くか? そんな面倒なことをするのか。ボールを拾うのか。ありえない。ぜーんぜんっ、あり得ない」

 そうだね……。納得出来る。話を聞くに、やっぱり昨日の勝負の件を指していた。瀬谷の奴、いきなり言い触らし始めてるな。変なこと言い触らしてたら締め上げてやる。

 別にバッティングセンターでなくても、学校の施設を使わせて貰えばいい。僕と瀬谷は結構本格的な面倒な方法を取った。あんなのは好きじゃなければ中々出来ない行動だ。だから実は瀬谷も野球好きなのかもしれない。
 バッティングセンターで、マシンの代わりに人間がボールを投げる。それを人間が打ち返す。それで勝負した方がずっと早いと滝川さんは言っているんだ。

「でも美咲さんが怪我したら、どうするんだよ」

 滝川さん率いる翔桜女子ソフトボール部(予定の)五人が、ピッチャー美咲さんと勝負し、彼女から打てれば勝ち。彼女にチームに入ってもらう……みたいな流れらしい。内容もルールも把握出来た。

「怪我するって」

 その五人全員の打球を一球も前に飛ばさないとしてもね。ピッチャーなら、他に練習してる奴の球が飛んでくる可能性高いだろ。だからね、この発想はあり得ない。万が一、そんな無茶が許されたとしても。

「そこは安心して」彼女は言うが、

 この計画は安心出来ない。僕が握り潰す。

「なんと貸切! 藤川バッティングセンター貸切。この時間帯は美咲さんしか投げない。うちらしか打たない。他の奴らいない。だから大丈夫!」

 ……それは……うん、大丈夫なんじゃないかな。二度頷いた。
 バッティングセンターの設備は確かに良いよ。僕らみたいな手間隙掛けなくていい。

 それに美咲さんが本気なら、前に飛ばすどころか、まずバットにかすらない。たぶん三振に終わる子の方が多い。例え前に飛んだとしても硬球じゃない。いやはや全く問題ない。

「でもなんで貸切取れるの? 藤川は僕も知ってるけど」
「あそこ、親同士が知り合いだから融通利くんだよねー。タッキーの頼みなら仕方ないなって。私自体もゆめのんと親交あるし」
(夢乃さんの知り合いかあ)

 その藤川バッティングセンターの長女、藤川夢乃さん。うちの学校の二年生。まさか学校の先輩になるとは思わなかったけど、店には子供のから通っているので知り合いだ。僕とも美咲さんとも幼馴染だ。

 ふと教室の入り口を見ると、トイレに席を外していた斎賀がうろうろとしていた。一限後にちょっと話しただけなんだけど、硬式野球部に入部するらしい、僕の一つ前の席の男子だ。中学時代のポジションはセカンドと言っていた。

「どきなよ、滝川さん」
「今日いきなり対決よ。白崎くんは放課後付き合いなさいよー」
「放課後って、無理だよ。今日から部活始まるんだよ。仮入部だけど」
「大丈夫! 借りれるの八時からだから。八時に藤川に集合。オッケー?」
「オッケーじゃないよ」

 しかし彼女は言うが早いか、休み時間がもう三分も残ってないのに、勢い良く廊下へ駆けて行った。凄い行動力、じゃなかった。暴力的な走塁だ。
 あっ……今、教師に怒鳴られた。滝川さんも高校から入って来た外部進学生らしいけど、よく翔桜に受かったな、彼女……。


                      2


 そして時間通り、午後八時には藤川バッティングセンターに、美咲さんを除く八人の男女が集まった。

 女子が滝川さん、泉さん、赤羽根さん、あとの二人は……新入部員か。どちらかが話しに聞いた俊足の速水さん。そして男子は僕と藤原とおまけに瀬谷。八人、全員一年生のようだ。
 藤原は球審して貰うために帰りに誘った。話は前後するけど時間にして、これは部活初参加(仮入部)の直後の話だ。

「オッケー、入り口に看板出てたね。十時閉店まで貸切ー」

 このバッティングセンターは完全屋内型だ。

 滝川さんが最初に店に入り、泉さんたちが後に続く。僕は列の真ん中ら辺で、藤原らと部活の話をしていたけど、不意に『あぶれていた』彼女が気に掛かって、歩調を緩めて近付いた。

「赤羽根さん」
「あ、はい」
「今日遅くなるけど時間大丈夫? お母さんに確認取ってる?」
「そうそう、大丈夫かよ。何なら、オレが送って行ってあげようか」
「瀬谷はすっこんでろ」

 思わず突っ込む。こいつはどうせ下心しかない。後、瀬谷は手ぶらだから良いけど、僕は左肩に鞄かけてるんだから肩に腕乗せて寄り掛からないで欲しい。重い。

「んだよ、どっちかってとお前が割り込んできてんだよ。お前は藤原と仲良くしてろ」
「タクシーとか呼べば」

 心優しい藤原もやって来て、現実的かつ妥当な手段を提示してくれた。それがいい。そう思っていると、赤羽根さんがゆっくり言った。

「あ、家の、車が迎えに来てくれることになっているので……」

 みんなの視線が、前を歩いていた滝川さんたちも振り向いて、赤羽根さんに集まる。
 セレブだ。まごうことなきセレブだ。まさにそんな目で見ている。まあ元々、翔桜に来る人は小さい頃から家庭教師とか塾通いは当然の、裕福層の人が多いから、あまりおかしくないけれど……。

「私もだし、車」

 沈黙を破ったのは泉さんだった。声が俄然、大きくなった。

「私もだよっ!」
「おーい、対抗すんな。いずみん」

 滝川さんが泉さんの肩を掴む。泉さん、そのままだとこっちに突進してきそうな迫力があったのに、あっさり捕まれてしまった。滝川さんはキャッチャーだけあって腕力があるな。

「いずみんちはガチ金持ちだからねー。んで速水と桑嶋の家はー?」

 ついでだからと、滝川さんが周りにも再確認を取り始めた。……ここらで彼女たちの紹介をしておこう。一組でも二組の人間でもなく、今日初めて出会った、速水さんと桑嶋さんも居る。




白崎藍璃(僕)。一年一組。身長は約180cm。右投左打でポジションは捕手。
髪型は短髪。よく食べ、よく寝て、よく野球をする少年だったので中学生時代から大きくなった。
声変わりして小さくなった方だけどまだ声が少し大きいのが気になる。以下、全員が翔桜高校の新一年生。

瀬谷真一朗。一年二組。身長は約185cm。ポジションは投手(右投げ)。
前髪が長め。背は僕より高いけど、スマートで体格負けはしていない。ちゃんと体を鍛えて筋肉を付ければ
もっと大きく見えるだろう。馬鹿っぽいが、迫力はある。

藤原鷹也。一年一組。身長約175cm。ポジションは内野手(中学時代は遊撃手)。
坊主だが似合っている。野球歴は長いようで、他の一年部員に比べるとがっしりしている。同クラスで、入学してすぐに野球部関連の話で意気投合し仲良くなった。
瀬谷とは打って変わって真面目で野球に真摯。

滝川さん。一年一組。身長は約160cm。ポジションは僕と同じく捕手のようだ。
ショートヘア。身長は標準やや上だがソフトボール経験者だけあって体格は普通の子より良さそう。
目が結構大きい。足の速さは普通。机を叩かれた時の衝撃から推察するに力は中々ある。

白沢美咲。一年二組。身長は162cm。右投げの投手(エース)だけど他のポジションも守れる(主に守備の要の遊撃手や二塁手)。
黒のセミロング。昔はボブカットだった。手先が器用で、ソフトボールの投手以外のことでも何でもこなしてしまう。
微笑むのが上手い。個人的には、赤羽根さんに勝るとも劣らないほど美人。

泉さん。一年一組。身長はこの中では一番小柄な約150cm。内野手でかつては二塁手だったが、高校では遊撃手をやりたいらしい。
セミロング。小柄で可愛いが、たまに目付きが鋭くなる。声も普段は抑えているのかがらりと大きくなる。眉毛が薄く、書いてる。

赤羽根瑛梨花。一年二組。身長はソフトボール部一員としては小柄な約155cm。ポジションは外野手で右翼手の予定。
黒のロングヘア。凄く可愛くて驚いた。恐らくこの中で唯一の素人で、人数合わせで入部させられた。
美人だけど、陰のある目が寂しそうな子(前傾気味の姿勢、俯いてる仕草がそう錯覚させるのだろう)。

速水さん。身長は六人の女子の中では最も大きい約165cm。滝川さんが言うにポジションは外野手(中堅手)。
髪は滝川さんより少し長く、セミショート。元運動部員のようでこの中では美咲さんと一ニを争い、
肉付き・体格が良い。(いや、いいことだよ)足も太く、名前の通り速そうだ。

桑嶋さん。赤羽根さんと背がほぼ同じだから約155cm。ただし真っ直ぐ立っている分彼女の方が大きく見える。ポジションは不明。
速水さんより少しだけ長いセミショートで、この子だけがやや茶系統(地毛?)。今の所無口なため人柄が掴めない。
こちらは眉毛が綺麗(書いてなさそう)。顔が幼げで、中学生っぽく見えた。




「あー、ボク近いから歩いて帰るって言ってる」
 速水さんが左手を上げて答えた。すると間髪入れずに、

「速水ちゃんはボクっ娘な」瀬谷はつまらないことに反応する。
「あたしは走って帰ります」

 桑嶋さんの言葉にまたまた全員の視線が集まる。彼女は最初平然としていたが、皆に見られると少し罰が悪そうだった。

「普通、走るか、歩くかじゃないですか?」

 うん、普通そうだ。僕も歩いて帰るし。飛んで帰れたりしたら楽しいだろうな。これは嫌味じゃなくて、時々本気で思うんだけど人間はなんで飛べないんだろうね……。

「しずくちゃんはやっぱり走る?」
 速水さんが訊ねる。しずくは桑嶋さんの下の名前だ。どうやら二人は友人らしい。

「走った方が普通早いでしょ」
「付き合った方がいい?」
「家の方向が一緒ならね」

 二人のやり取りの間に、残りの男子の予定も聞いて回る。まず藤原は、電車に乗って帰るとのこと。

「オレは何時でもオッケーなタイプ」
 瀬谷は、既にボックス向かいの椅子に深々と腰掛けて足組みしていた。

「ちゃんと帰れよ。親御さん、心配するだろ」
「放任主義なんだよ」

 それでいて暇なんだろう。だったら部活にもちゃんと出ればいいのにと溜息が出る。
 そもそも今回の企画、勝負は話の流れでいくと投手は美咲さん。捕る人は僕、後は女性陣が打って、藤原に審判をして貰えばいい。つまり八人居れば問題ないんだ。

「なのに、なんで瀬谷まで付いて来てんだか」
「アホ、オレがいなきゃ始まらないだろーが」

 何もしない癖に。いや何もしなくていいんだけど、ただ居るだけで今回は何か嫌な予感がする。すると瀬谷が不意にこちらを見遣った。

「おい、白崎。藤原。さっきから女子の前だからって猫被るなよ。今日部活であった『あのこと』をばらすぞ?」
「な、なに?」「なにを」

 僕と藤原の二人の声が綺麗に重なった。しかもその後、一瞬沈黙して全員の視線が今度は僕ら二人に集まった。

「さあ、な」
 不敵に笑う瀬谷。

「皆、瀬谷のことは無視していいから」
「ないものとして扱っていいよ」

 藤原と僕で共同戦線を張って、瀬谷は放置することに決めた。「あんだよ」と瀬谷が反論しかけたところで、タイミング良く彼女、白沢美咲さんが奥のストラックアウトの部屋から現れた。

「お待たせしました。ウォーミングアップは済ませました」

 美咲さんも僕も一度自宅に帰っている。その後、彼女は一足先に、投手だから準備を整えておく必要があると言って、バッティングセンターに行った。僕は姉さんに、弟たちのことを任して家を出た。

「その格好は? み、白沢さん」
「この格好の方が投げやすいので」

 帽子を押さえながら登場した彼女は、上下、百合咲女子中の時の白いユニフォームを着ていた。背番号は百合咲のエースナンバーの1だ。左手にグローブ。美咲さんも右投げだ。
 ソフトをやっていた時は短くしていたけど、今の彼女は髪を伸ばしている。だから今回は後ろに束ねていた。

(やっぱり美咲さんは、ユニフォーム姿似合うな。格好良い)

 別に普段着が似合わないって言ってないけどね。スポーツ人には誰だってユニフォーム姿が一番似合うんだよ。それに彼女は風格も凄い。なんたって全国区だったんだから。

「んじゃ白崎くん、捕手よろしくー」
「それじゃあ頑張ります」

 一番手は速水さんのようだ。滝川さんが持参して来た青いバットとヘルメットを渡され、左右両打席が付いているバッターボックスに入っていく。女子ソフトボール用のバット持参は賢明だ。というよりも男子用のじゃ重くて話にならない。勝負にもならない。

「ちょっと待って、マスクとプロテクター付ける」

 あとレガースも。うちは強豪校でもないし部員数もそんなに多くないから、一年生でも部室に道具を置いて帰っていいらしい。でも今日の件があるから、僕は用心してわざわざ持って来た。

「え、全部いるの?」と滝川さん。
「白崎くん意外に怖がり」泉さんがそう茶化すと、
「白崎くん、硬球じゃないのに怖がり」とベンチの瀬谷が真似した。本当にこいつは煩い。

「あ、あれがキャッチャーの正装だと本で読みました」

 赤羽根さんは僕が貸した本を読んでくれたらしい。嬉しいな。

「正装」
「赤羽根ちゃん、正装って」

 早速、泉さんたちに突っ込まれていた……。いや、ニュアンスは分かるんだけど言い方というか使い方が独特で変なんだ。さっきの桑嶋さんにも言えるけど。
 彼女の言い分は半分合っている。これがキャッチャーである僕の正装だ。はっきり言って防具付けないと危ないし、付けるのが常識。

 残り半分は装備をしないで真正面から、美人の女性の投球を見るとやっぱり男としてムラムラする可能性があるからね……。実際は美咲さんのピッチャー姿は慣れたものだけど、念のため顔を半分隠しておこう。そして片膝を地面に突ける。ファールカップを装着しているため、勃起しててもばれない。

「一番、速水。いきます!」

 速水さんは壁の僕から見て右側(一塁側)、左打席に立つと(投手側から見て右左というので一見逆に見える)右手のバットを下から回して垂直に立てた。へえ、左打者か。

「イチロー?」僕はつい訊ねた。
「はい、イチローです。イチローを降臨させます!」

 凄いノリノリだな、速水さん……。なんだか、こういうのっていいな。やっぱり翔桜に女子ソフトボール部は必要なのかもしれない。

 しかし……目の前の勝負、美咲さんが勝ったら果たして部は誕生するのだろうか。僕はただの壁に徹するけど、美咲さんが手加減するなんてことはない。

 彼女はマシンからホームベースまでの18.44mからさらに数歩、この時の予め置かれたピッチャーズプレートまで進んだ。ソフトボールだから投球距離間が野球より短くなる。
 その長さは13.11m。2011年に、12.19mから改正された。

「では……(藍璃さん)行きます」
「よし……来い(美咲さん)」

 持参してきたソフトボール用のミットを構える。いよいよ闘いの始まりだ。

「ぷれいぼーる」
 瀬谷がやる気ない声を上げた。でもいい仕事した、瀬谷。あ、本来は藤原が言っていいんだぞ。

 サインもリードもなし。彼女が自由に投げた球を僕が捕る。公平を喫するため単なる壁役だ。

 グラブを体正面に構え、投球の意思表示をした美咲さんが次いで前傾姿勢を取った。ソフトボールの投手はこの『タメ』の瞬間が一番格好良い。
 そこから勢いよく上半身を起こして自由足(左足)を踏み出しながら、大きく腕を回転させるウインドミル投法、綺麗に美咲さんの右手から放られたファストボールがアウトコース低めに決まった。遅れて速水さんがバットを振った。

「ストラ──イク!」
「藤原ノリノリじゃん」
「いや、なんとなく」

 球審もやる気まんまんだな。というよりも藤原は野球に関係があることにはテンションが上がるタイプなんだろう、きっと。僕もそうなので、よく分かる。

 僕は一瞬振り向きかけたが留まった。下手すると、藤原たちに弱点を晒す恐れがある。でも今の所全く大丈夫。正装したおかげだ。キャッチャーになった僕は一人の男である以上に野球人になれる。
 あと残念ながら、たぶん女子は全員スカートの下にスパッツを穿いてます。

「速水、頑張れー」
「イチロー降臨してない」

 後ろ扉の向こう、外野では泉さんと、桑嶋さんが応援していた。

「いいんだよ」
 滝川さんは予定通りとばかりに余裕そうに言う。

「速水が打てるとは思っちゃいない。彼女は私たち四人の打者の中で一番の小物。まず美咲さんの球筋を見れれば」
「じゃあバット振らせない方がいいんじゃない?」
「…………あれ?」

 泉さんに指摘されて、まともに言葉を返せない滝川さんだった。一人無駄死にだ。

 さて──速球でなんなく空振り取ったけど。ストライクも入っていたけど。ソフトボールを美咲さんに投げ返す。

(速い。美咲さんの球はやっぱり速いよ。とても素人に打てやしない。でも、ブランクがある。中学時代より衰えているよ)

 時間は無常だな……。若くても、上手くなるのは練習し続けた時だけだ。環境さえ良ければ……美咲さんは神月さんに肩を並べる投手に成長していた。僕はそう信じている。

(でも美咲さんはその分、料理も胸も成長した。僕は今の彼女も嫌いじゃない)

 二球目も速球で低め。これも空振りになった。
 速水さんのバットの振り方が怖い。叩き付けるダウンスイング、つまり大根切りなんだけど、バットが手から離れそうな危なっかしさがあるんだよ。

「はやー。ありゃ打てないよー」
「当てさえすればね。あの打法でいいんだけど。もう全部内野安打だよ」

 藤原のジャッジの声と泉さんたちの雑談だけが聞こえる。瀬谷はどうした。どうせ美咲さんをガン見してるに違いない。

「ナイスボール」と彼女にボールを返した。お世辞じゃあない。今のは初球よりは明らかに伸びていた。だから速水さんはさらに振り遅れて、全然見当違いの場所でバットを振っていた。

 三球目もアウトコース。当然三球勝負だった。あんなフォームでは掠りもしない場所だ。それがぐんと伸びて、速水さんはバットを振ることすら出来なかった。判定はストライク、入っている。

「うわっ、見逃し」
「速水、振れよー、振らなきゃ速水の特色が出ないよ!」
「すみません」

 速水さん、三振でうな垂れて、バッターボックスを後にする。
 扉の外側では滝川さんたちに愚痴られてるけど、当の速水さんも含めて和やかで、全然深刻そうなやり取りじゃないです。知っていたけど偽イチローだった。

 しかし、今のは……。
 美咲さんは、僕たちが来る前にここに来て既に投げ込んでいるって話だ。肩が温まった、慣れたから、どんどん球が速くなったというわけじゃない。

(なら意図的だな)

 或いは最初は(ストライクゾーンに)ボールを置きにいって、最後だけ本気で投げたか。一球目、二球目とどんどん打者のバットが振り遅れて、最後は振ることすら出来ない。仮に試合なら精神的ダメージ、後続へのプレッシャーがありそうだ。……あれ、これって勝負なんだっけ?

(一瞬でも衰えたなんて思って悪かった。速球は特に衰えてない。ピッチャーの美咲さんはやっぱり強気だな)

 いつもの優しい彼女もいいが……試合で攻める彼女も嫌いじゃない。

「次は、私だ」

 二番手、速水さんからバットとヘルメットを借りた泉さんが登場。右打席(三塁側)に入る。速水さんに比べると、一回り以上小さいな……。

「泉ちゃん、作戦分かってるなー」
「あいよ。任せなさいよ」

 作戦か。そんなに大声で言うくらいなんだから、聞こえたって構わない作戦なんだろう。
 バットを短く握り構えると泉さんは小声で、僕にしか聞こえないように言った。

「白崎くん、あれってなに?」

 ええ? あれって、こっちこそ何だよ?
 あ……あれか。瀬谷がさっき言っていた……別にやましい事なんかなにもないはずなのに。意識してしまった。
 しかし僕はただの壁役なんで、こんな囁き攻撃は全く意味を持たない。仮に僕が捕球できなくても壁だからストライク判定になる。既にゲームは開始されていて──よし、捕ったけどストライク一つ目だ。

「ってかなんで白崎くんが捕手やってんの? たっきーがやればいいだけじゃん」
(そうだよな。でも僕を招聘したのがまず滝川さんだし)

 全く動じない。ほら、あっという間にツーストライク。泉さんが打つ気がないのはバレバレだから、構えているだけだから、美咲さんも際どいコースなんか狙ってない。まあこの速球には当たらないだろうが。

「白崎くんってさー、赤羽根ちゃんのこと好きなの?」
「は……?」

 あ──インハイだ。来てる。泉さんが立つ右打席(三塁側)、彼女の脇の高さの所にボールが来ている!

 僕は捕った。それでも普通に捕った。僕は根っからのキャッチャーだからな。動揺とか関係なく、体が反応するんだよ。
 泉さんも大げさに体を退ける。ここで初めてボールになった。三振ならずか。ということは……。

(くっそ、美咲さん、早く、この小悪魔を退治してくれ)
「だってこの前、なんか本貸してたじゃん。……仲良さそうだったんだよ!」

 泉さんの言葉はひそひそ話レベルの小声だった。ところが、いきなり最後だけ強調して来た。むしろ半ば怒鳴っていた。

「なにが」「え、なにが」「なにが?」

 ほーら、一斉に外の奴らが注目しちゃってる。僕はもう面倒だから、とことん無視を決めた。
 今度もボールがインハイに、ミットに収まる。微妙だ。際どい。ちょっと高いか? 危惧した通り、判定はボールだった。背が高い方の速水さんから一転して、小柄な泉さんになったからストライクが入りにくいのだろうか。

「あれ、白沢さん、ストライク入らない!」
「いずみんは、ちっちゃいからだ。それが有利に働いてる! いける! いけるぞ!」

 やけに盛り上がる速水さん滝川さん。まだこの囁き攻撃が続くのか……いや、

(でもカウントはツーツーだ)

 どんな投手でも最悪、フォアや押し出しを避けようと心理が働くカウントだ。だから、ここでストライクを狙いたい。でも甘く入ると打たれるからな、一般的には。

(またですか──)

 三球続けてインハイ。泉さんはやっぱり振らない。いや、振ったとしても当たらないスピードだと思うが、藤原はここストライク取らないんだよ……。かなり際どいコースなのに泉さんは余裕を持って見送っていた。案の定、

「ボ──」
「ストライクです」

 藤原がコールしようとすると、それを十数メートル向こうの美咲さんが不意に遮った。ビックリした。

「藤原さん、そこはストライクです。ソフトは野球よりストライクゾーンが高めなんです。厳密に言えば、その前の球もぎりぎりストライク入ってます」

「う、すみません……」

 きっぱりとした口調に、球審の藤原もしどろもどろな応えになっている。情けないけど、謝りたい気持ちは分かる。大声じゃないのに透っていて、それが重圧を感じさせる。

(やっぱり、美咲さんを怒らせちゃ駄目だ。絶対駄目だ)

「おいおい、何年球審やってんだよ、藤原ー」
「やってないだろ」

 存在を忘れかけていた瀬谷が久々に茶々を入れ、藤原が反応する。
 確かに藤原が言い返したように彼は本職、球審ではない。コールはしてくれてもどうもジェスチャーは取ってくれないし……。
 とにかく、二人は結構いいコンビだな。僕は瀬谷は御免だ。

「まーまー、美咲さん」
 いいコンビその2。滝川さんが口火を切り、

「そういう際どい球、判定させるのがおかしいんだよ。続行しようよ」泉さんが言葉を紡ぐ。

「確かに……そうですね。白崎さん、気にせずに」

 ここで彼女が言った気にせずにとは……何をだろう。実際、僕は特に何も心配してない。

 一、カウントツースリーだけど気にするな。
 ニ、泉さんの囁き攻撃に気にするな。
 三、ソフトボールと野球ではストライクゾーンが少し違うけど気にするな(意識するな)。

(たぶん三だな)

 いや、美咲さんは普通に三の意味でしか言わない人だ。僕は壁だからただ受ければいい。
 彼女は首を横に振った。確認か。僕からサインは出さ(せ)ない。彼女から分かりやすいサインを出した。変化球が来る。

 ウイニングショットのスライダーだ。今度は分かりやすくインコース、ストライクゾーンに入れてきている。四球もインコースに投げられちゃ手が出るだろう。
 そして泉さんのバットは空を切った。僕(壁方向)や後ろの観客から見ると、右側(一塁方向)に曲がっていく球に、三塁側の泉さんが釣られてバットを振った形になる。

「あれ……」
「文句なしですね」

 速球で続けられてきたのに、バットを振るタイミングは悪くなかったな。あの首振りで変化球だと読んでいたのか。

 でも、このスライダーは、彼女らじゃ絶対打てない。スライダーは野球では近年よく見る主流の変化球だけど、ソフトボールの普通の学生レベルでは容易に見れない変化球だ。浮き上がる変化球(ライズボール)や落ちる変化球(チェンジアップやドロップ)とファストボールを組み合わせるのが主体で、彼女らはスライダーを投げてくる同世代の投手を初めて見たかもしれないな。
 そして昨日やった瀬谷の馬鹿スライダーとは比べ物にならない。横に曲がる。そう表現していいタイプのスライダーだ。

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 ……ここら辺で打席と、ストライクゾーン、変化球を凄く簡単に少し解説しようと思う(昨日、瀬谷と対決した時は打者として勝負に専念してたから忘れていたけど、今回は壁だから余裕がある)。
 凄く常識的なルールなので、そんな話は当然知ってるよって人は問題なく読み飛ばしてくれて構わない。


 まず打席の話。一打席の勝負はストライク3つで三振、ボール4つで四球に大別できる。この猶予間にバットを振ったり、打ったボールがフィールドに飛んでいったりゲームが動いていく。

 四球は打者を出塁させてしまう行為(ヒットを打たれるのと一緒)なので、とにかく悪い。投手はボールカウントを溜めたくない。
 反対にストライクカウントを溜めることは打者を追い詰める行為なので投手から見たら、とにかくストライクは良い、ボールは駄目って覚えておこう。打者なら投手のこの逆視点になる。

 次に前述のストライク、ボール判定を分ける、ストライクゾーンの話。
 投手が投げた球が後述するストライクゾーンを通過すると『ストライク』としてカウントされ、通過しないと『ボール』になる。
 打者がバットを振った時は、ストライクゾーンを通過してなくても『ストライク』になる。
 ストライクゾーンとは簡単に言えば「打者のバットが安全に届き、上手く当たればヒットにつながり、ゲームが進行する範囲」のことだ。

 このゾーン外の球が『ボール=駄目』になってしまうことは前述したけど、要するに打ってもほとんどヒットにつながらない安全コースだからだ。
 そのストライクゾーンの定義とは公認野球規則では『打者の肩の上部とユニフォームのズボンの上部との中間点に引いた水平のラインを上限とし、ひざ頭の下部のラインを下限とする本塁上の空間』とされている。
 これが分かりにくいという人は、「ホームベース上で、(打者の)膝から胸の四角空間」程度に捉えて問題ない。この範囲になら安全にバットが届くというわけだ。

 僕たちはよく「(ボールが)外れている」「入っていない」と表現するけど、それは全部ストライクゾーンを通過してない球のことを指している。
 アウトコースは文字通りストライクゾーンの外側、インコースが内側という意味だから、これは右と左打席、打者によって逆転する。これらをハイ(高さ)とロー(低さ)と組み合わせてるね。


 最後に変化球の話に移ろう。これが一見さんには一番紛らわしい話だと思う。
 美咲さんが一番得意で上手い変化球が『スライダー』なのは既に既に申し上げたけど、『スライダー』とは投手の利き腕の反対方向に曲がる(滑る、落ちるとも表現)変化球だ(ここでは縦に落ちるスライダーや、握り方といった話は無視して単純に横に曲がる意味でのスライダーとして捉えて欲しい)。

 ここで投手の視点に切り替える。美咲さんは右投手。これは彼女だけの話ではなく、右投手なら全員(瀬谷もそうだ)、右手の逆方向、つまり左側に曲がる。

 投手から見て右打者は右側(三塁側)に立っているのだから、左側(一塁側)に曲がるということは『ストライクゾーン』の外側に行くということ。
 だから「(外側に)逃げていく球(スライダー)」なんて表現されることがある。

 じゃあ相手が左打者だったら? と疑問に思った人は野球に興味がある人というか、話が振りやすくて助かる。
 その場合は単純に打者の立ち位置が三塁側から一塁側に逆転するのだから、「(ストライクゾーンの)内側に食い込む」球になるだけだ。

 最後に投手の利き腕が逆の場合の話をする。先に右投手の例を挙げてるから左投手(神月さんたち)のことね。
 ここまで来たら予想が付くとおり、左投手のスライダーは反対側の右側に曲がる。左に曲がるからスライダーなのではなく、投手の利き腕の反対に曲がるからスライダーなんだ。
 勿論、変化球はスライダーだけでなく、シュート、チェンジアップ、フォーク、カーブ、シンカー……などなど数多く存在する。
 ただ今言った『投手の利き腕』が多くの変化球、要件に関わってくると思って欲しい。
 例えばスライダーの逆で、『利き腕側に曲がる』変化球をシュートというし、これは右投手なら右側、左投手なら左に曲がる変化球だ。


 今回話したことは本当に野球の基礎中の基礎の話だけど、今回のイベントや、野球というゲームの根底を占める投手打者の勝負でよく使われるルール・用語だから覚えて損はないというか、
これさえ知っておけば本当に最低限の話には付いていける(逆にこのルールを理解していないと勝負の意味が分からない)。
 野球のルールはもっと深いし、追々必要なときが来たら、さり気なく邪魔にならない程度に話していくけど興味があったらルール本でも目にしてくれたら幸いだ。

 



[19812] 1回裏: 紅白決戦 瑛梨花、打つ?
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/12/08 01:50
 
「あーあ。駄目だった」
「仕方ない。秘密兵器投入だ。端からここが勝負なんだ」

 ベンチに戻る泉さんと入れ替わりに桑嶋さんがバッターボックスに入る。滝川さん、ここが勝負って……まだあなたの打席残してるのに。だったら先に打って球筋見極めさせてあげればいいのに。

「いけ、桑嶋。打ってやれ!」
「……無茶言わないでください。スライダーなんてたぶん、一打席じゃ無理です」

 言いながら桑嶋さんは左打席に入った。彼女を見遣る。バットの色が違うな。紅白の模様のバット。さらにヘルメットをしていない。泉さんは滝川さんから道具を借りていたが、彼女は違う。

「なんですか」じろじろ見ているのが気付かれた。

「可愛いと思って……」一応、本音です。
「それはどうも」

 この子もあまり背は大きくないが……何か今までにない風格を感じる。経験者の滝川さんが秘密兵器と言うぐらいだし、左打席についた時の落ち着き具合も他の人とは違う。

「白沢さん」
「はい」

 バットをさり気なく一回転させて桑嶋さんは言った。

「内野、いえショートに転がしたら、あたしの勝ちでいいですか」
「はあ」
「ショートを狙って、内野安打にします」

 ……すると、この子も足速いんだな。先ほど走って帰るとか言っていたのを思い出した。

「では、打ち上げてしまったらわたしの勝ちでいいですね」
「はい」

 何気ないやり取りだった。僕は壁だから手出しは出来ないけど、美咲さんは間接的にフライ、或いは三振を取る配球にすると言ってるのかもしれない。それとも裏をかくのか。何れにせよ二人とも自信がある。

(桑嶋……?)

 その時、帝迅高校の二年生に同じ苗字の野球人が居ることに気が付いた。勿論、あちらは男子だが。偶々苗字が被ったか……?

(この子はなんかヤバイ。舐めて掛かると打たれる……!)

 僕の捕手的第六感が告げていた。少なくともファストボールでは甘く入ったら打たれる。初球は変化球で入りたい。
 以心伝達した。左打者の桑嶋さんには食い込む、インコースのスライダーだった。見逃していたらボールだったかもしれない。しかしバットは空を切らなかった。

「一打席じゃ無理だと……」

 打球は一塁線側に転がっていった。今日、初めて美咲さんの球がバットに当てられた。それもスライダーが。

「一球目で当たるものですね」

 桑嶋さんはバットを背中に担ぐように、涼しげに言った。今日見た子の中じゃ、スイングスピードが桁違いに速い。

「ファーストゴロですが」
「……え」
「普通の一塁手なら」

 確かに……際どい。バッティングセンターだと、飛んで行った打球の位置が分かりにくい。今回はファーストゴロで通じる。僕と瀬谷はより本格的にやってやっぱり良かったんだよ。

「まずファーストが、うちにはいないんだよ!」
「そうそう、美咲さん。これぐらい続行だよ、続行。これで終わっちゃつまらないでしょ」

 泉さん滝川さんのとアシストで判定は大きく揺れた。結局ファウルになった。球審藤原がボール入れからソフトボールを取り出し、美咲さんに投げ渡す。今日ここで初めてボールの交換が行われた。
 それにしても一塁手がいないのは問題だろ……アウト取れないじゃないか。美咲さんも分かりにくいけど怪訝な顔してるし、このチーム先行き不安だな……。


                    2


「おっ、なんか……楽しそうなことやってるよ」
「あれはうちの制服よ」

 白沢対桑嶋の勝負が白熱する頃、二階の階段から、長身三人組の女子が二階の住居区から、一階のバッティングセンターに降りて来た。
 黒いジャケットを羽織ったナチュラルショートの茶髪の女性が中央先頭を歩く。両ポケットに手を突っ込み、ガム風船をぷくーと膨らませていた。170cmを超える長身であった。

「面白そうなことやってるなー」
 勢いよく膨らんだ風船が割れると、左ポケットから包み紙を取り出して吐き出した。

「あれ」
 その右隣、これまた背が170近い金縁メガネの黒髪のポニーの少女がおどけた口調で言う。

「夢乃さんは、いつも家がバッセンだなんて恥ずかしいって言っていたのに」
「ガキの頃の話だろ。もう許してくれ」
「白沢美咲だわ」

 眼下のバッティングルームで行われているゲームをじっと見詰めていた、左隣の少女が口を開く。この三人の中では一番背が低い。それでも160cmを優に超えている。三人を後ろから見ると、表彰台のような高さに見えるかもしれない。

「あら、ホントだ。声掛けてあげたら。朝倉さん」とメガネの少女が口を開く。

「気まずい」
「相変わらずシャイなお人で」

 夢乃と呼ばれた表彰台一位の少女が、包み紙を左下手で放った。階段下から、さらに十数メートル向こうの壁際のゴミ箱にすっぽり入った。

「月曜は暇でね」
 夢乃は右ポケットから携帯電話を取り出して開いた。金縁メガネが、

「野球ないから?」言うと夢乃は直ぐに携帯電話を折り畳んでポケットに閉まった。

「それもある。最悪なことにバイトもない」
「今、何してるの?」
「ドームでビール売り子」
「なるほど」
「バイト禁止」

 朝倉に冷たい口調で突っ込まれると、「固いこと言うなよ、会長」と夢乃が笑いながら言い返した。
「美咲ってことはあの連中一年だろ。今年の一年は入学早々夜遊びしてるぜ」


                      3


 カウントワンストライクでゲーム続行。

 不意に、桑嶋さんが右手を出して「タイム」と打席を外した。彼女は右手で勢い良く紺のブレザーを投げ捨てた。脱ぐというより、バサっと本当投げるように。あまり見る機会がないけれど、ドラマや舞台劇にありそうな仕草で格好良い。

「おお」

 しかし僕を含めた男性陣は大いに喜んだ。大っぴらにじゃないけど。いきなり目の前で学年の可愛い子が上着を脱げばやっぱり喜ぶ。

「しずくちゃん、なに──?」
「桑嶋、なんだそれー」

 女子陣からも当然、驚きの声が上がる。

「投手が正装なのに、挑戦者が制服と言うのも舐めた話です」

 店に来るまでどんな性格か読めなかったけど、無口そうな子と思ってたけど、今の桑嶋さんの目には闘志が宿っていた。きっと僕や藤原と一緒でこと野球や真剣勝負になると、熱くなるタイプなんだ。

「なるほどね」
 外では相変わらず滝川さんが、こちらにも聞こえるように大げさに騒ぎ立てている。

「あの重たい制服を脱ぐことで、桑嶋は本来の力を出してくる」
「そうなの?」
「一球目でバットに当てるくらいだ。次からアジャストしてくるよ!」

 まんざら冗談でもない。今、白ブラウス姿で何度か素振りをしていたけど、本当スイングスピード速いよ。そんなに背も大きくないのに。速水さんとは対照的だ。

 球審、藤原のプレイのコールでゲームが再開する。ボールを初めてバットに当てられた後の気になる初投球はまたもインコースへのスライダーだった。

「ボールになる変化球は」

 しかし今度は低めにボール球だな。桑嶋さん体を引く。手を出してくれたら儲けものだがそうはいかなかった。

「見送れる」彼女は平然と言う。

 そう言う人間が速球に弱いかと言うと決してそんなことはない。むしろ大抵速球に強い。狙い絞り、打つ力があるんだから。

 三球目もスライダー。三球連続。今度は高めにストライク決まった。藤原に高めを意識させたことで、ストライク狙いやすくなったか。美咲さんは返球を受け取ると、

「ボールにならない変化球も見送りますか」と微笑んだ。
「……」
(やっぱり美咲さんに舌戦で勝つのは無理だな)

 舌戦も、に訂正。もう追い込まれた。いや追い込んだか。
 カウントツーワン。こうなると相手が相手だけに桑嶋さん、かなり厳しくなったはずだ。

「ストラック、アウ!」

 最後はあっさり、いや想像通り空振り三振だった。スライダーの逆方向、三塁側に曲がる変化球。左打者には外に逃げるシュート。初打席であのスライダーを連発された後、逆を付かれたらまず打てない。
 さらに前述したように、普通の学生レベルで横の変化球を使うソフト投手は早々いない。スライダーは勿論、シュートを投げるのは特に難しいが、美咲さんはそれを左右両方備えている。

(彼女打つ時、右足を上げていたな)

「わ……」

 流石に盛り上がっていた女子陣たちも一瞬で沈黙してしまった。……これは実力の差を見せ付けられたな。
 相手は元全国ベスト4だぞ。経験者と言ったって同年代が一打席そこらで太刀打ちできるわけない。美咲さんが、もしファストボール一本で勝負してくれたら可能性あったかもしれないが……。

(まあ、美咲さんはガチだから、もしはないけどね)
「桑嶋ああぁぁ。制服パワーはどうした。意味なかったじゃん!」

 滝川さんが地団太を踏んでいた。先の二人の凡退への反応と違って、今回は本当に悔しがっている。紅白バットに脇に抱え、バッターボックスを去ろうとする桑嶋さんは飄々と言った。

「本来の力でも及ばなかっただけでしょ」
「しずくちゃん、制服。制服」
「そ、だった」

 僕から見て右側地面に落ちているブレザー。彼女は忘れている物だと、既に拾って置いた。埃を叩く。あの脱ぎ捨ては格好良かったけど、やっぱり地面に投げるものじゃない。

「はい」
「どうも」

 本人が近付いたので渡して上げる。すると、

「おい、白崎なに勝手に変な手で触ってんだよ!」
「そーだそーだ。白崎くんやらしー」

 久々に瀬谷の声を聞いた気がしたので、通路、ウェイティングルーム側を振り向く。アシストしたのは例の如く泉さんだった。この人の挑発には乗らないようにしよう。

「変な手って何だよ」
「ミット臭がする手だよ」

 よく考えると待合室に男は瀬谷しかいないな。席には女子で固まって、瀬谷だけ……全然離れてなかった。凄い、ちゃっかりと、平然と紛れ込んでいる。いや大きいから目立つが。

「(速水さんとかに話しかけたら?)」
「(赤羽根に話しても手ごたえがねえな)」

 目線で促したけど、僕はエスパーではないので返事は分からなかった。何れにしろ、僕は捕手の仕事があるので退屈にはならない。

「暇じゃなくて良かった」
「だな」

 球審藤原も同意見みたいだ。あ……今回のゲームでは球審球審言ってるけど彼の本職はショートです。

「仕方ない。真打登場だ」

 桑嶋さんと入れ替わりに滝川さんがバッターボックスに意気揚々と入ってきた。

 ついに彼女か。今回のゲームの首謀者でもあり、翔桜に女子ソフト部を作ろうとしている張本人……ポジションは僕と同じ捕手。経験者。先ほどの桑嶋さんとまではいかなくても彼女もある程度の実力は持っている……と思いたい。

「何故この順番で勝負したか、知りたいかい。白崎くん」
「うん」

 滝川さんも既に上着を脱いでいる。待合室に置いて来たみたいだ。ヘルメットと青いバットを持ち二度素振りをして、右打席に立つ。

 ……打撃の巧さで言えば恐らく、秘密兵器と謳った桑嶋さんが断然一番だと思う。さらに言うなら赤羽根さんは初心者だから問題外。となると、赤羽根or速水、泉、滝川、桑嶋の順でぶつければまだ良かった。
 桑嶋さんは前の泉さんの打席でスライダーを見ていたから反応できたけど、シュートの存在は知らなかったから掠りもしなかった。

(とはいえ、他の四人にはスライダー以外使ってなかったろうな)

 滝川さんの力が桑嶋さん以上と言うなら、何の問題もない。見せて欲しいものだ。

「一番速水、二番泉、三番桑嶋、そして四番が私、滝川! これはチームが出来た時の構想の打順なのさ」

 なるほど……じゃあ赤羽根さんは? 五番は……ないか。五番は美咲さんか? その打順なら美咲さんを四番にした方が絶対いいが。

「掛かってきなよ、美咲さん」
 ホームベース寄りに左足を踏み出して構え、意気込む滝川さん。

「はあ」
「さあ! 四天王リーダーの力を見せてやるぞ」
 
 
 滝川さんはアウトハイ、インロー、スライダーの三球三振に終わった。時間的に速水さんより早く終わった気がする。

(眼が良くない)

 初球は明らかにボール球だけど手を出している。しかも豪快な空振り。仕方ないとはいえスライダーも見れてない。アウトコースが苦手か。しかし背筋も伸びてて打撃フォームは綺麗だった。フォームだけならトップクラスだ。

(僕なら一番白沢、二番泉、三番桑嶋だな。泉さんは滝川さんよりボールを見れていた)
「えっと……」

 これで翔桜女子ソフトボール部(予定)部員は四人倒れた。最後は赤羽根さんだ。
 彼女を見ると、どうにもそわそわしていた。最初はまさか自分がトリだなんて思ってなかっただろう。でもトップバッターだろうとラストバッターだろうと結果は変わらない。思いっきりバットを振って三振すれば良い。
 彼女もブレザーを脱ぐのかと期待していると、泉さんが余計なことを言いやがった。

「正直、赤羽根さんはやらなくてもよくない? 無理でしょ」

 よくないだろ! 例えチームの負けが必至だろうと、凡退率十割の打者だとしても、チーム競技として最後までやり抜く姿に学生の教育的意義があるのだと思う。

「速いよ、当たったら泣くよ」
「当たらない、当たらない」

 このゲームだと速球と変化球に目がいきがちだけど、全国区の美咲さんが一番ハイレベルなのは何よりもコントロールの精度だった。だから僕は即座に反論したんだが、ほぼ同じタイミングで待合室で声を上げた瀬谷のものに掻き消されてしまった。

「よくねええー! 赤羽根さんがバット振るの見たくて付いて来たようなもんだぜ、このオレは。オレを退屈させる気か? さっさと始めろ!」

「な、なんだととと……この糞男子がーっ」
「キレたって怖くねー。泉ちゃん、ちっこいからこわくねー」

 ……流石に瀬谷(約)185センチだな。ちゃんと立つと大きい。女子と並ぶとこれでもかと分かる。当然、腕だって長くなる。反論しようと椅子から立ち上がろうとしたけど、瀬谷に押さえ付けられて立ち上がれない泉さん。

「はい」
「あ」

 そんなじゃれ合いをよそに、桑嶋さんが紅白バットを赤羽根さんに差し出した。

「バット。あたしの軽め」
「あ、ありがとうございます」

 一礼すると彼女はバッターボックスに入っていった。瀬谷は泉さんを押さえていた手を退けると、「オッケー」と椅子に胡坐で座り直した。その姿勢なんなんだよ……。

「赤羽根なんかじゃ打てないよ」
「泉ちゃんも打てなかったじゃん」
「だから打てっこねーんだよ」
「まあまあいずみん、抑えて抑えて。赤羽根さんの死に様を皆で見届けてあげよう」

 滝川さんが泉さんを羽交い絞めになだめる。放っておいたら今にも瀬谷にケンカキックしそうだ。してもいい。

「霊界から」
 泉さんが取り押さえられた後、桑嶋さんが何気なく呟いていた。

「よろしく、お願いします」
「よろしく」

 赤羽根さんが打席にやって来てお辞儀をしたので返事をする。僕は壁だけど喋れるという設定。

「あ」
「赤羽根さん、逆だよ逆の方」
「そっちじゃないって」

 衝撃? の場面に皆が一斉に口を開いた。彼女は左打席に入っていた。
 一般的に右利きが多いから右打者となる。それが左打者転向の少ないアマチュアの世界なら尚更のこと。でもそれだけだ。僕は疑問に思わなかった。間近の僕からは彼女が右手を下、左手を上にしてバットを握っているのが見えたからだ。つまり左利きってことだ。

「ルール知ってます。それに私、左利きです」
「マジ?」

 外野は結構どうでもいい話題でざわついていた。なんとなく気付いていた。彼女は左手で教科書や本を掴んでいたから。

「うちのチーム、左打者多いな」
「ボクとしずくちゃんと赤羽根さんで、三人。五人中三人!」
「ジグザグに組めるね」滝川さんが嬉しそうに言う。
「いや上位じゃないでしょ。赤羽根」泉さんに直ぐに指摘されてたけど。

 実は滝川さんは左右病とか。肝心の中身はなっていなかったけど、打撃フォームは綺麗だったし、滝川さんは結構型から入るタイプなのかもしれない(付け足すとソフトボールはルール上、左打者の割合が多くチームの半数が左打者という現状は彼女の考えに合っている)。
 僕個人の意見だけど、大いに結構です。むしろどんな世界でも定石を知らないプレイヤーなんてのはどうせ大したことない。例え潜在能力を秘めて攻撃に優れていても、いざという時崩れる、崩せるからな。

(赤羽根さんも定石をマスターして欲しいね)

 見上げると……ヘルメットをしていなかった。ヘルメットか。まあ今回はちゃんとした試合じゃないから仕方ない。そもそも、あの髪の量だと大変そうだなと思った。男には想像できない。
 ブレザーは着ていた。結果は三振に終わったけど、桑嶋さんがブレザーを脱いで動きやすくなったのは本当だと思う、物理的にそうだ。ただでさえ打てる見込みがないのに、上着着用じゃボールにバットが当たる気もしないね。

 ……手加減して欲しいなあ。
 たぶん彼女はバット持つの生まれて初めてだろう。一応きちんと構えていた。

 速水さんも打撃は駄目駄目だったけど、打撃ポーズだけはスラッとしていた。あの場面だけイチローが降臨してたからな。降臨じゃなく再現か。

「それじゃあ行きます」
「はい」

 そうこう考えるうちに美咲さんが投球姿勢に入った。

「ストライーク」

 球審藤原、淡々とジャッジする。アウトコースに速球か。
 彼女が全くの初心者ということもあって、打席から出来るだけ遠い位置に投げている。この打席は泉、桑嶋さんに対した時のようにインコースには投げないはず。

 でも、今まで通りだな。今まで通り速い。手を抜いてない。たぶん赤羽根さんのスイングスピードじゃ当たりそうもない。

「赤羽根、一応振っとけ」
「振らなきゃ当たらないよー」

 速水さんは身を持って学習したことを教えていた。そうだ。バットを振らなきゃ何も始まらない。

 美咲さんが二球目、投球モーションに入る。腕を回し、ボールが手から放られる、その刹那だった。
 赤羽根さんが身を屈めバットに左手を添えていた。バントの構えだった。これには流石に驚いた。

 ボールはコロコロと三塁方向に転がっていった。バットの先端に触れた……。

 厳密に言えば当てにいったバントじゃない。バットを動かしてない。今度もアウトコースで三塁線に巧く転がされた、理想的なバントだった。

「振らなくても当たる方法だ」
「バントやる、ば、天才が居た」
 桑嶋さん、そして瀬谷が続けて言った。

「赤羽根さん、今それはないでしょー」
「意味ない、意味ない」

 滝川さんと泉さんが遅れて声を上げた。たぶん反応の遅れからして面食らっていたんだろう。確かにバントは今回のゲームでは、昨日もそうだったけど暗黙の了解でなしだ。それがありなら勝負する意味がない。

「でも今のってタイミング的には……」
「あたしならセーフ」

 速水、桑嶋さんが口々に言う。実際、意表をつかれたとはいえ上手いバントだった。左バッターの俊足選手ならセーフティーになる。

「俊足選手ならそうかもしれませんが、どうでしょうか」
 美咲さんが僕たちの眼前までやって来て言った。

 サードもいなければ、あまり勢いのないバントなのでキャッチャーの僕が処理に行っていた。しかしバントの構えと見るや、美咲さんも自然と飛び出していた。彼女もまた根っからの野球人、投手なのだ。

「白崎さんの肩ならアウトかもしれません」
「白崎くんを持ち出すのは卑怯です」

 赤羽根さんが思わぬ反論をしたので、周囲が驚いていた。「壁だからね」逸早く彼女の言葉を理解したと思われる僕が補足説明する。

「僕は壁だから、捕手の肩の力は今関係ない」
「なるほど」

 周囲も納得していた。いや、問題はそういう方向ではないのだが。しかし当人たちは拘っている。赤羽根さんは美咲さんを前にして堂々と言ってのけた。

「それに私、そこまで足遅くありません。普通です」

 別に遅いだなんて決め付けてないが。僕は拾ったソフトボールを軽く放り上げていた。美咲さんが「ボールを貸してください」と手を出したので、投げ渡す。

「わたしのバント処理より早く、一塁に到達する」
「そうです」

 二人は見詰め合っていた。お互い意地を張るように。目を逸らした、引いた方が負けだと言わんばかりに。
 美咲さんは踵を返し、投球場所方向へ戻っていった。
 今のを除くとボールがバットに当てられたのは桑嶋さんのファウル一つだけ。そのボールを取りに行ったのか。

 一塁方向に落ちているボールの前で一度しゃがみ、美咲さんは直ぐに立ち上がった。
「いいでしょう」

 こちらを見遣ると「白崎さん」先に予め手元にあったボールを下手で僕に投げ返して来た。ウインドミルじゃないので力が入ってないけど結構速い。

 ビックリした。隣に赤羽根さんが居たから。彼女も驚いたのか無言だった。

「赤羽根さんの勝ちです」
  



[19812] 2回表: 高校野球人生、開幕(前編)
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/12/10 17:13
 
「結構集まってるね」

 月曜の放課後。今日から新入部員の仮入部期間が始まる。白崎藍璃と同クラスの斎賀、藤原は校舎外の第二グラウンドにやって来た。硬式野球部は主にこちらで活動を行う。

 入り口の正面先は、丁度三塁ベースが見える形となっており、三塁側ファウルグラウンドの奥の方に更衣室が存在する。区画線やマウンドを整備するに当たって、ここは硬式野球部専用のグラウンドになっているが外野、特にライトがやや狭く出来ている。
 まず最初にグラウンドに礼をして──既に奥の方ではキャッチボールや、素振りの練習、ランニングをしている部員の姿もあった。一年生に比べると平均的に背が高い。こちらは先輩たちだろうが、新入部員に比べると少ない、全体で九名ほどしかいなかった。

「合わせて十五人か」

 グラウンドの隅に並んでいる十二人と今、入ってきた三人を合わせて十五人。全員中学時代も物であろうが、ユニフォーム、或いは練習着を着用している。

「おせーよ、白崎、藤原」

 その十二人の中には瀬谷の姿もあった。彼だけ入部早々しゃがみ込んで態度が悪い。しかし同学年、或いは上級生をも圧倒する身長を持っていた。見たところ新一年生の中で明らかに瀬谷が一番大きい。
 瀬谷は手招きして藍璃を呼んだ。

「どうよ、お前から見て」
「どうって?」
「上手いとか下手とか」

 瀬谷の声は小さくない。下手をするとそのまま先輩達に聞かれてしまうだろうが、全く気にする様子もない。藍璃は苦笑いしながら、

「瀬谷より上手いんじゃない?」と答えた。
「言ってろよ。すぐに分かるぜ」

 瀬谷は悪びれた様子もなく言い返した。
 やがて、やや額が禿げ掛かっているジャージ姿の中年の男性が入ってきた。
 身長は自分より少し低いから175cm程だろう、グラウンドにやって来た先生は職員室で見た時より逞しく見える。正面から全身を見て、足が太さや胸板の厚さがより定かになったからだろう。

「これで新入部員は全部か。顧問の小川だ。今から名前やクラス、経験、ポジションの確認を取る」

 新入部員の簡単な自己紹介が始まった。先輩数名も練習を一旦切り上げて集まった。
 新入部員十五人を要約すると、投手希望が三人、捕手が二人、内野手が五人、外野手が五人と分かれた。

「おい止めとけ。白崎居るのに捕手で試合に出れるわけねー」

 捕手希望の新入生が紹介から下がると、隣に居る、一つ前に紹介の終わった瀬谷が忠告した(突っ掛かった)。

「白崎?」

 その坊主の男子が聞き返す。藍璃も男子の隣に居るのだが、紹介が飛ばされてしまった。どうにも藍璃は最後に紹介するつもりらしい。

「『軟式のあの』白崎か」

 わざとらしく語調を強めた。当の藍璃は彼を見ていなかった。投手は多少欠点が多くても見所を探すが、味方のキャッチャーには文字通り全く興味がない。

「俺は来栖《クルス》。一応シニアで捕手やってた」
「よろしく」
「ああ」

 とんとん拍子に新入部員の紹介が続く。藤原はショートで斎賀はセカンド。さらに残念ながら左腕投手は一人も居なかった。瀬谷を含めて三人とも右腕。「当確だな」と瀬谷は呟いていた。

「おい」
 来栖が藍璃を小突いた。

「なに」
「お前のことは流石に聞いてるよ。凄いんだってな」
「うん」
 上の空で返す。そして不意に瀬谷に近付くと左肩を突いた。

「あの子は?」
「あれか」

 瀬谷は今にも再び座りかけていたが、藍璃に問われた拍子にグッと背筋を伸ばした。
 藍璃はたった今、グラウンドに入ってきた紫ジャージのショートヘアの女子を指差していた。手元にスコアブックとストップウォッチを持っている。

「あれは二年生の雪村姉。マネージャーが女なのがこの学校の良いところだよな」
「姉?」
「姉さ。中等部に妹も居る。ビッグ雪村だ。妹なのに姉より遥かにでかい」

 流石瀬谷だな、と藍璃は一瞬感心した。野球でもデータを集めるのは至極当然。

「でかいってどのくらい?」

 興味を惹かれたのはその妹の方だった。姉は遠目に見ても背丈は普通、160cm前後だろう。
 瀬谷は右掌を出して親指、人差し指と次々と折っていった。そして小声になった。

「なんと大きさだけならあの赤羽根より……って違った、身長のことなら、お前と同じかやや下くらいだな。信じられるか? 中三でだぜ」
「へえ」
「安心しろよ。でかいが、幸い可愛い。正直、顔だけなら新四天王になれる逸材だ」
「ふうん」

 藍璃は顔には出さなかったが、内心は未知の人の情報にワクワクしていた。
 あの夢乃さんより大きいのか。彼女より身長が高く、かつ綺麗な一年生は学年に一人も居ないはずだ。ましてや自分ほど身長が高い女子など想像も付かない、型破りで面白そうだなと。

「白崎、話を聞けよ」
「何だよ」

 白崎は夢の世界から現実に引き戻された。またしても来栖の声だった。続いて藤原も「白崎」と注意した。

 小川の咳き込みがあった。いつの間にかラストの自分の番まで回って来て居た。
 ようし。藍璃は無性にワクワクしてきて意気込んだ。
 今、ここから自分の高校野球人生がスタートするのだ。

「一年一組の白崎藍璃です。仲真一中から来ました。ポジションはキャッチャー、キャプテンもやってました」


                      2


 まずは今現在の実力を大まかに計る、それが新一年生に下された初日の内容だった。
 翔桜の方針として、過度な体力作り(筋トレ)や無理なランニング等はやらせない。ましてやボール拾い強制などもない。キャッチボールやノック・守備練習などの道具を用いた練習をしていく。

 部員は一年生が15人(現在当初)。二年生が8人。三年生になると3人しかいない。二年はともかく三年が異常に少ない。
 理由は簡単だった。翔桜は高校二年生まで運動系・文科系、何らかの部活に入部しなければならない規則がある。
 高校三年生は必修ではない。生徒は大体が国立大学や上位の私立大学に進学する。つまり三年生で野球部は続け(られ)ないのだ。だから三年になると半減する。必修だから一年生(二年)の入部者数は割合多い。
 学校、部活側からすれば一年生には伸び伸び野球を楽しんでもらいたいという願いがあった。強豪校の如く、鬼のように練習しなければ(瀬谷がふざけ様と)あまり体育会系の色が強くなかったのも学校の特徴に他ならない。

「今年の一年は結構やるなあ」

 ノック担当(右ノッカー)の小川は思わず唸り声を上げた。
 小川がゴロを打ち、ショート位置の部員がボールを捕球して、一塁に送球するという基本的な練習。一応ポジション関係なく全員に測定して貰う。
 ここまで約半数の部員がノックを受けたが、全員何とか後逸せずに硬球に触れ、捕球することが出来ている。

 なにせ硬式上がりは来栖、一人しかいない。シニアリーグに入っていなかった残りの人間は全員、軟式野球経験者で、今までは軟式ボールを使って練習や試合を行っていた。ゴム等を素材にし中は空洞となっている軟式ボールは、コルク等で作られている硬式ボールより柔らかい。
 言い換えれば硬式ボールは硬く重いから、物理法則上、ピッチャーが投げる球速も打球も速くなる。加えて低くバウンドする特徴を持つ(軟式とは軌道が違う)。プロ野球で扱っているボールはこちらだから、将来プロを意識する野球人は少なからず、硬式ボールを扱うシニアリーグに入り、早いうちから体を慣らそうとする……。

 何れにせよ、軟式組は初めて飛んでくる硬球に対する恐れがあっておかしくない。それを考慮するとここまで順調な滑り出しといえる。

「まあ正直上手くねーよな」

 ノック待ちをしている中、藍璃の横の瀬谷が茶々を入れた。小川はお世辞を言っていると。

「でも藤原は上手い」と藍璃が補足した。

 まずボールがグラブの真ん中に収まっていて、捕球する時、投げる時の動き出しが速い。
 藤原に関しては硬球に対する恐れが完璧になかった。肩も良く、送球の精度も今までではトップクラスだ。真っ直ぐに一塁手に行く。

「あの硬式ちゃんもまあまあ上手いね」
「いや、上手い」

 瀬谷の言葉を訂正する。藍璃はここで初めて来栖を認識した。
 数回のノック程度であるが、藤原と来栖は他者より確実に一歩抜きん出ている。やや深い位置からでも、速いモーションで投げても一塁までノーバウンド。流石両者とも坊主頭にして気合入れているだけある。
 他には同クラスの斎賀も捕球の正確さは中々だった。ただし前者ほど動きは速くない。肩も強くなく、ワンバウンドの送球速度は並だった。

「後は投手陣」

 投手希望の二人は比較的上手かった。投手をやって来た人間は、子供の頃ならチームの主役や、一番上手いとか言う人間が少なくないから自然と素質がある者が集まる。

「いや」
 藍璃は再び訂正した。
「かなり上手いな」

 投手には当然、査定が若干変化し内野手らとは同列に見ない。彼は高橋と言ったか。
 瀬谷のように馬鹿大きくはないが、一塁への送球コントロール、捕球の安定感、そして動きの速さで、無理な体勢を取らずにボールを取って素早く投げる。上手くまとまっている。フィールディングが良さそうだ。

「つってもどうせオレより速い球投げられねーだろ」

 目の前で本人に聞こえてるだろうに、瀬谷の文句は止まらなかった。
 実際、瀬谷ほど速い球を投げられる部員は居ないだろう。上級生にも居ないそうだ。
 しかし藍璃には確固たる信念があった。別に自分たちより下手でも一所懸命ならとやかく言わない。それが普通の、或いは弱小野球部の宿命。だが、個人的な信条を持つのは自由なはずである。

「僕は守備が出来ない奴は評価しない」

 平然と言い切った。もっとも瀬谷に釘を刺したようなものだから、本人の感覚だともっと基準が緩い。
 例えばやはり投手なら球速やコントロール、変化球が優れているのが何よりだし、プロでDHや、打線の中軸が打ちまくっているのに評価しないなんてことはない。だがそれは先があるプロの世界の話だ。『負けたら後がない』世界では守備が一番大事だと思っている。

「オレができねーとでも」

 案の定、瀬谷は釣られた。しかし彼を見遣ると自信ありげに不敵に笑っていた。釣られてやったという感じだ。

「次が瀬谷の番だろ」
「見てな」

 14番目・瀬谷真一朗の番がやって来た。早速彼は守備位置に付いた。

(駄目だな)

 やる前から一目で気付く。自分でなくても経験者なら誰でも見当が付く。
 瀬谷の守備は話にならない。とはいえ140キロ投げたのは事実だ。大したレベルじゃなかったが変化球を投げたのも事実。それは凄い。

(経験が浅い。投手しかやっていない)

 大方、この二点だろう。簡単に言えばほとんど腰を落として守備をしてない。ぼうっと突っ立ってて集中力もあまり見えない。それだけだった。
 そしてそれだけで後逸した。二球目はグラブに触れたものの捕球にもたついた。実戦なら内野安打をされるし、エラーが記録される(エラー出塁)。

「おい、瀬谷」
 藤原がたまらず叫んだ。

 ここに来て初エラーだ。身長があって一見運動が出来そうだし、何より先ほどは新入部員ながら偉そうに座っていたのにその実、一番の下手糞。「あいつだせーな」とグラウンド内にも失笑が洩れていた。

(……違う。それもあるが、小川先生が瀬谷にだけ際どい球を打ってる)

 藍璃は他のことを考えていた。瀬谷は確かにださい。下手に変わりはない。その上で先生がさらに難しい球を打っているのだ。
 速い球、変にスピンが掛かってて捕り辛い球、守備範囲ギリギリの球……。

 実は大なり小なり最初からそういう傾向はあった。硬式上がりの来栖や熟練者の藤原には、比較的難しい球を打っている。一方で他の部員には真正面の簡単なゴロを打つ。だからここまで誰も失敗してない。

(この先生、結構曲者だな)

 ただの禿げじゃない。俄然興味が湧いて来た。しかし何故、瀬谷にだけここまで厳しく当たる?

「バスケの時みたいに真面目に守備やれよ」

 一方で藤原が瀬谷を叱り付けたので、藍璃は少し思うところがあって二人を見比べた。
 また、瀬谷の過去なんて知ったことじゃないが今の発言に強く頷いた。バスケットボールの守備でもやはりドリブルで抜かれないように腰を落とすものだ。

「あいよ」
 面倒くさそうに返事すると、漸く瀬谷は腰を落としてバシバシグラブを叩いた。

 すると今度は瀬谷の真正面にボールが来た。ゴロを処理すると、瀬谷は一塁に向かって力強く投げた。一塁手は交代交代で新入部員がやっている。一塁手は瀬谷の球に驚いて身を引いて逸らしてしまった。全力じゃないがかなり速い。
 今ので事情を知らない周囲は震え上がった。「はえぇ」「まじかよ」「学校違うだろ」先輩らしき小声もあった(瀬谷は内部生なので、先ほどのミスに対する失笑といい発言者の多くは外部生だろう)。

「よし、ラスト! 白崎」

 小川の声がざわめきを掻き消した。藍璃と瀬谷が入れ替わりになり、すれ違いざまに瀬谷が喋った。

「今日は調子わりーわ」
「ちゃんと練習しろよ」
「あ?」

 藍璃は口調を強めて言った。いつもの冗談のやり取りではなく、少し怒っている声音。

「わざとに決まってるだろ。最後見たか?」
「わざとミスする奴とは甲子園は目指せないな」
「お前、甲子園行く気かよ」

 瀬谷の声音は思ったよりもずっと真面目なものだった。冗談めいても、呆れているのとも違う。達観に近い。

 藍璃は少し驚いた。瀬谷ならもっと面白いリアクションくれると思ったのに。
 瀬谷程の奴でも現実的にそう捉えるのか? この戦力では無理だと思うか。それなら、

「ああ。僕が甲子園に連れて行ってやるよ」

 はっきりと真顔で言い切った。瀬谷が真剣なら、尚更自分もと言わんばかりに。藍璃はこういう時、全く恥ずかしがらない男であった。
 しかし瀬谷は眉を潜めて、心底怪訝そうな顔を見せた。

「お前それ、野郎に言う台詞じゃねーよ。気持ちわる」
「……」

 ……じゃあ誰に言えばいいんだよ、と藍璃は思った。
 既に全国優勝とベスト4の経験を持っている美咲さん? 赤羽根さんたちは自前のソフトボール部を作った暁に、自分たちで上を目指せる。
 誰に言えばいい? 日和だけはない。何しろあいつは世界は違えど日本一の存在だ。全国大会出場程度じゃ……。
 やはり英恵たちに他ならなかった。そしてマルチーズのウィルだ。

「あのマネージャーにしとけ」と瀬谷は漸く冗談を言った。

「いや、どうせだから雪村妹の方にする」
「マジ? いやあいつは運動出来るから、オレらより先に自力で全国いくかもな」

 ……やっぱりウィルだな、と思う。

「硬式の人」

 突然、藍璃は振り返り来栖を手招きした。まだ野球部員の名前は満足に覚えてない。
 来栖は一回自分を指差して、直後に藍璃に駆け寄った。身長は平均的だが、今の駆け足は速かった。先ほどの守備でも瞬発力が光っていた。

「来栖だ」

 瀬谷については失敗したと思っていた。瀬谷の守備の時に自分がファーストを直訴すれば良かったと。

「来栖、ファーストやってくれ。僕も本気で投げるから、たぶん君じゃないと捕れない」
「だろうよ」

 来栖は悠々と一塁に向かった。その後姿を見遣りながら、

「……扱いやすそうな奴だな」瀬谷が意地悪げに言った。

 準備は整った。小川が一声掛ける。

「いよいよ白崎君か」
「全国だろ」
「彼は凄そうだな」

 周りの部員がややざわついている。当人にも聞こえるし、視線が一身に注がれていた。
 藍璃本人はそれはプレイに何の影響もないが、先ほどの自己紹介の時もそうだったが、毎回、会話のたびに全国の冠を付けなくていいと思っていた。全国君があだ名見たいでうっとおしい。

(たぶん僕にも厳しい球が来る)

 話を戻すと、藍璃は最初の待ち時間にストレッチを丹念に行っておいた。仰向けになって腰関節の柔軟体操も行った。
 右腕を軽く回して、いざ腰を落とす。股割りの姿勢になった。そして膝を曲げなおした。
 小川は三遊間にゴロを放った。
 藍璃はそれを回り込んで正面から前進、捕球しグラブを右肩の位置に持っていき、右手に移行してあるボールを放った。来栖が難なくキャッチする。

「ナイスキャッチ」
「別にもっと速くしてもいいっての」

 お言葉に甘えて、次から送球速度を上げる。ここからは先ほどの瀬谷に勝るとも劣らない、来栖だから捕れるという速さになっていた。
 二球目は二遊間への速いゴロ、三球目には強くバウンドする球を打って来た。軽くジャンプしてキャッチする。

(なるほど、誰でも捕れる高さだな)

 少し感心していた。各人によってレベルは高くしているが、そのどれもが上限には至らない。例えばバックハンドのタイミングになるゴロはない。余裕を持って正面からキャッチ出来る。

「よし、もういい。流石だな、白崎」
「いえ」

 あっさり三球で終わってしまった。平均して他の部員より球数が少ない。まあ次の練習に早く移るなら何の問題もなく、かえって好都合なので特に何も言わなかった。
 小川はパンパンと手を叩いて一年生を集めた。

「皆の力は大体分かった。今のは全員合格点だな。次は……」

 言うとグラウンドを見渡す。誰かを探していた。先輩たちは元の練習に戻っていた。キャッチボールや素振り、或いはマネージャーに50メートル走のタイムを計測して貰っている。

「おーい、久永! 投げてくれー」

 小川が声を掛けたのはグラウンドで黙々と走り続ける一人の部員だった。
 思い返すと藍璃が最初に来た時から、今までずっと一人走り続けている。投手か。

 久永と呼ばれた男は、ランニングでこちら三塁側に差し掛かるとペースを落としながらゆっくり近付いて来た。アンダーシャツがびしょ濡れである。

「あー、おれっすか……」
「今、青木が居ないんだからお前しかまともに投げられんだろ」

 中腰になったがそれを差し引いても身長は藍璃より少し低い。スポーツ刈りの好青年だった。
 直接間近で会うのは初めてだが、藍璃は記録的にこの人間を前から知っていた。
 久永透。翔桜高校硬式野球部の昨年のエースだ。そして夏の予選の三回戦で敗れた投手。

「そっすね。分かりました。んじゃ、ちょっと汗流してからで」

 踵を返した久永は手洗い場に向かう途中で、「どうぞ」「あ、サンキュー」マネージャーの雪村から汗拭きタオルを貰っていった。
 この時、マネージャーの雪村を間近で見たが、ショートヘアで薄い眼鏡が似合う目が涼しげな美人だった。恐らくマネージャー補正で通常より1.3倍綺麗に見えているのかもしれない。

「彼女よりレベル高いの?」
 藍璃は瀬谷に小声で訊ねた。

「高いよ、ただし来年はもっとでかくなるだろうが」
 瀬谷は普段通りの音程だった。
 二人が雑談していると見て、小川はゴホンと咳き込んだ。

「三年の久永。うちの左のエースさ。正直三年が残ってくれるのは嬉しいよな」

 前述した通り部には三年生が三人在籍しているらしい。これから一年生が体験するのはフリーバッティングだから、三年生の久永がその投手を務めることになる。貴重な三年生が一年のためにバッティングピッチャーするなんて何と贅沢なことか。

「感謝してくださいよ、先生」

 しばらくすると、久永よりも先にプロテクター、レガースを付けた部員が現れた。

「分かってる、分かってる」

 その先輩捕手は中々の長身で大柄な男だった。瀬谷の次の二番手集団、藍璃と同じほどの体格の持ち主である。
 温厚そうな顔付きで笑っている。彼もスポーツ刈り、というより野球部は瀬谷のような例外を除けば全員短髪でまとまっている。彼が久永の球を受けてくれるのだろう。

「私は三年の大須。野球部主将だ。よろしくな」
 彼の眼光が急に鋭く細くなった。

「あ、よろしくお願いします!」

 一年生が一斉に頭を下げる。藍璃も下げたが、主将と聞いて若干不安を覚えていた。
 どこかに正捕手が居て当然なのだが、三年生で主将なら彼が間違いなくそうだ。一瞬やり辛いなと感じた。

(それなら瀬谷の話も読めるな)

 話を統合すると学校の規則と本人の進路事情で、殆んどの高校三年生が部を止める。野球部に残った三年生の中にエースと正捕手が居る。学校代々の事情があるから、三年生が残るのは顧問にすれば恩のあることなのだろう。

 藍璃は瀬谷に視線をやった。大須が一年生たちよりも先に打席側に駆けて行った。時を同じくしてグラウンド端の手洗い場から久永が戻って来た。
 瀬谷の瞳には暗い光が宿っていた。

「どうせオレより速くは投げられねーだろーよ」
「瀬谷、そればっかだな」

 藍璃は藍璃で手加減するつもりはなかった。





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 ここから三人称視点で描いてます。藍璃以外の話、東京の外の話にもスポットを当てるためです。

 



[19812] 2回裏: 高校野球人生、開幕(後編)
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/12/11 23:53
 
「それじゃあ最初は白崎」

 仮入部初日の第二イベント、フリーバッティングで小川が最初に指名したのは白崎藍璃だった。
 グラウンドに少しざわめきが起こる。
 トップバッターが鳴物入りの一年生。いや、それは強豪校だから表現できる言葉で、この平凡な野球部なら事実別格だ。

「打撃はそんなに得意じゃない、とか?」
「お前、数字知らないのか? あいつは打撃も凄いんだ」
「むしろ打撃が凄いんだろ」

 最後のは来栖の台詞だった。一年生たちは単純に、同級生で最強の藍璃の打撃に期待した。
 一方で上級生の顔付きと、彼らに流れる空気は一年生のものとは違った。決して悲観的とは言わないが、やや重苦しい。

(今度は僕が最初か)

 自己紹介や守備練習では最後だったが、今度は一番に指名され藍璃も喜んだ。
 臆することはなかった。中学での打順は四番だったがその昔は一番も打ったし、最高出塁率で不動の一番を任されていた美咲を尊敬している。

 なんだって一番というものは気持ちいいものだ。先人が切り開いてない道を行くものがある。
 新作の映画やゲームが発表されたら、他人のネタばらしを食らう前に、見る前に一番に経験したい。藍璃は目が悪くなるという理由でどちらとも縁がないので、例が適切ではないかもしれない。
 初めてみる相手チームの投手。チームの誰も、知らない球筋と変化球。それを真っ先に打つからこそ達成感がある。

(僕が打てない投手なら、誰も打てっこない。でも僕は打つ。だから野球は楽しいんだ)

 とは言っても肩を作るウォームアップ、練習投球で大体のレベルは分かってしまうが。
 久永が五球でアップを終わらせると、藍璃は自前の赤褐色の金属バット持って左打席に立った。
 新入部員への、初日の体験入学的なフリーバッティングである。投手を務める三年生の久永の長時間のランニング直後ということも考えて、新一年生十五人、全員に本格的に投げている時間はない。
 従ってカウントは、全員一律でワンストライクワンボールからになった。二つストライクを取れば終わり。ボールを三つだしてしまったら四球。ただフリーバッティングなので小川は久永に、出来れば四球は出さないようにと告げた。

 そして外野と一塁に二年生が付いてくれた。勿論、捕球するためだし、打者は内野安打になりそうなら走っても良い。半分(より本格的な)シートバッティングに近いが、小川は内野手を揃えなかった。

「白崎舐め過ぎだろ。いきなり打たれたら格好つかねーのに」

 球審を務める小川顧問の後方では瀬谷が、例の如くうんこ座りで呟いていた。小川に聞かれているかもしれないが、彼は気にする様子もなかった。

「どうかな」

 瀬谷の隣でバットを構えていた藤原が口を開く。彼もバットを持参して来ている。仮入部期間もあって全員がそうではなく、部のバットを借りる生徒も多い。

「あえて白崎を一番に持って来たんじゃないか? 彼に球筋、変化球を知られてからだと打たれるリスクが高くなる」
「お前、四番目だろ? で、オレが十三番目。あの硬式だって八番目だ。上手さで並べてると思うか?」
「……白崎だけかも」

 そう言われると藤原は口ごもった。前もって順番は言い渡されている。

「プレイ!」
 そうこうする間に、小川が叫ぶ。

「プレイボールにして貰えますか」

 すると間髪居れず藍璃が口を挟んだ。まだ打撃姿勢に入っていない。

「僕がトップバッター。その方が気合が入る」
「試合じゃないぞ」
「まあ、そうです」

 藍璃はヘルメットのつばから手を離すと、背筋を伸ばしてバットを構えた。

「でかいな」
「うん」

 一年生たちは藍璃が打席について初めて気が付いた。クラスで藍璃を見ている藤原ですら頷いた。瀬谷と並ぶから錯覚するだけで、身長が180cmもある。上級生より大きいし肩幅も広い。

 マウンドには三年のエースの久永、左投げ。ユニフォームに着替えなおしていた。精悍な顔付きをしている。キャッチャーは三年主将の大須。
 迷いは全くなかった。手加減という念頭もなければ、相手が三年生だという気後れもない。

「よく考えたら左対左だな」

 順番がまだ先の来栖は、バットを脇に抱えてこの打席を活目していた。しかも周りとバッターに聞こえようとさせているのか比較的、声が大きい。
 一般論なら左投手は左打者に有利だが。

(僕は左投手を苦にしてない)

 藍璃は得意とも表現しない。右も左も不得意でないだけだ。
 その明確な理由は存在するが、それとは別に元々、藍璃は当初は右打席で打っていた。投手は一般的に打席に入る時、デッドボールのリスクを考えて、利き腕側の打席に立つ。利き腕(肩)を庇うため、相手投手と自分の肩を相対させないのだ。
 この考えは捕手にも流用できる。捕手は普通、右投げなんだから右肩を庇うため右打席で打つと。
 捕手の打撃力が、チームの戦力に入ってない場合は特にそう言える。捕手の仕事は何よりも投手の球を受けて、スローイングすることだ。
 9人、或いは投手を除いた8人の中で一番打撃力が必須ではないポジション。そして単純に左打者の割合(少なさ)から、捕手の左打ちは多くない──が、白崎藍璃はそうではなかった。

 右投げ左打ちには、利き手を引き手にすることでバットコントロールを上げることや、一塁ベースに近くなることで必然的に内野安打が増える利点がある。藍璃は元々のバッティングセンスとその類稀なる俊足を活かす為、小学生時代に左打ちに矯正させられた。事実、内野安打は増えたし打率ではずっと一番なんだから文句はないが……。

「それじゃいくぞ」

 久永は右足、ヒザをやや高く上げ、スリークォーター気味のオーバースローで、ボールを放った。
 緩やかな軌道の初球は真ん中、高めにカーブボールだった。完全なボール球なので迷わず見送る。二球目もストライクゾーン外、アウトコース高めのカーブで手を出さない。すると判定はストライク。

(入ってないだろ)

 藍璃の背が高いので、ストライクゾーンも若干高く意識しているのかもしれないが、球の位置は明らかに胸より高い。
 今回のルールだとこれで、カウントツーツーになってしまう。もう追い込まれた。
 三球目に速球が来た。インコース低めの際どいボールだが、今は見送れないのでバットを振る。
 ガシャンと音が鳴る。弾丸ライナーが右中間方向に伸びていき奥のフェンス中段にぶつかって落ちた。

「うわ」
「すげえ」

 部員、主に一年生たちが驚愕の声を上げる。久永も振り返って呆然としていた。「ライト!」打った時、大須は叫んだが、やがて「西田」と言い直した。その西田がボールを取りに行った。

(ルールが悪い)

 カウントがワンストライクワンボールで始まる。打者は追い込まれまいと打ち気になるし、投手は迂闊にボールに出来ない、見せ玉も投げられない。両者にとって損なことしかない。カーブしか変化球を見れなかった。

 やる前はワクワクしたものだが、いざ打ってしまうと……藍璃は一瞬、死んだ魚のような虚ろな目になって打席を後にした。
 しかし打席を離れると、直ぐに元の目付きに戻った。僕がリードするからにはそう簡単に点はやらないぞと心に誓った。

「ホームラン」
「うちのグラウンド、ライトが狭いけど、こういう時って……」
「エンタイトルスリーベースかもな」

 来栖がバットを構え素振りする。今の藍璃の一振りが、打ち気を煽ったらしい。

 もしかして打てるかも?
 彼だけでなく、一年生たちはそう感じたのかもしれない。藤田と呼ばれた次の打者も、小川への返事の声音が心なしか大きい。打席に入って「よろしくお願いします」の礼も忘れない。
 同じ一年生の視点で見れば、白崎は自分達より桁違いに実績のあるプレイヤーだ。
 だから白崎が凄過ぎても自信をなくしたりはしない。それこそ想像の範囲内。
 名門、強豪校ではないのだから、自分はあいつに比べて駄目だとショックを受けたりしない。むしろ、あいつが味方に居ればなんとかなるとやる気を鼓舞させる側になる。

「どうだった?」

 藍璃は一塁側、ネクストバッターズサークルのずっと先、壁により掛かって座っている瀬谷を見つけて近付いた。すると向こうがニヤニヤしながら感想を求めて来た。

「打ったのはストレート」
「んなこと聞いてねーよ。そのストレートがどうなんだよ」
「瀬谷より速くはなかった、が」
「が?」
「先輩疲れてるだろ。走った後で。アップも短かった。だからあんなものさ」

 本心を言うなら瀬谷より2ランクは低い。左でなければ普通の野球部の高校生が投げる、それだ。
 球速で言うなら今は120km/hも出ていない。たぶん万全なら瀬谷が言っていた125km/h前後がしっくり来るのではないか。

 カーブ(変化球)のキレも普通。充分見送れる。瀬谷よりは良さそうだが大差を付けるほどではない。
 ただしサウスポーということを忘れてはならない。普通の高校生なら、それだけで珍しく感じる。

「大澄はやっぱり凄かった」
「誰よ、それ」

 今のは無意識に出た独り言だったが、当然直ぐ近くにいた瀬谷に聞こえていた。
 こんなことを思い出しても仕方ないが、中学時代のチームのエースでバッテリーを組んでいた相手だと説明した。
 彼もサウスポーで、カーブを投げられる。投げれるというよりカーブで推薦を取れる投手だった。
 藍璃が左投手を全く苦にしてない理由を突き詰めると、大澄の存在が全てといっていい。彼の投球を受けてきてこと、打撃練習をしてきたから左の球筋に戸惑わない。

「凄いの、そいつ?」
「凄いよ」
「お前より?」
「うん」

 藍璃は迷った挙句に素直に頷いた。来栖の時と違ってはっきり返事した。

「お前のが打てるんだろ」
「打てるよ」

 ついでに言うならその大澄の打順は一番だった。投手で一番打者だ。

「打てるし走れる」

 それは誇張でも自慢でもない。数字が示しているだけの事実だ。

「じゃあお前のがすげーだろ」
「僕はあんなカーブは投げられない」
「ストレートはどうなんだよ。同学年ならどうせオレのが速いだろ」
「軟式が愛知の名門校から推薦貰ってて、凄くないわけないだろ」

 藍璃は個人的な感情は抜きにして、投手としての美咲をかなり買っている。
 捕手なんだから受けて来た投手の球がどれくらい凄いかはよく分かっている。意識はしたくないが、その美咲のスライダー(変化球)より、大澄のカーブは凄いと評価していた。

 中学時代の野球の実績を一例にすると、美咲も藍璃も全国ベスト4だ。すると大澄もベスト4になる。
 しかし美咲が全国レベルの投手と言うなら、大澄は軟式では世代ナンバーワンの全国一のサウスポーだと思っていた。結果はベスト4だが、つまらないエラーで負けただけだ。

「愛知なんか東京に比べれば凄くねーよ」

 自分より速い(ストレートを投げられる)と解釈したんだろう、瀬谷の口調が露骨に不機嫌になった。

「野球は愛知の方が強い」

 藍璃は事実だけ言った。春夏の甲子園の優勝回数が多い。すると瀬谷がまた元通りのふざけた態度に戻って、

「愛知は人口の多さを差し引いてもブスが多いんだよ」
「本当?」

 声を高くして、思わず瀬谷に近付いた。

「マジだよ。オレの妄想じゃなくてネットで見たから。有名だよ、検索してみ」
「そうなんだ」

 心に強い楔を打ち込まれた気分になる。そう言われてもインターネット(パソコン)はやらないし、携帯も電話かメールぐらいしか使わない。
 それに、自分は東京住まいなので何の問題ない。さらに言うなら赤羽根や桑嶋など翔桜はレベルが高い。もっと言えば愛知や東京云々抜きにして、家族である美咲や文虹や英恵、空穂と恵陸は当然、ウィルも可愛いから別にどうでも良かった。

「その大澄さんも可哀想に」

 得意げになる瀬谷だった。しかし当の藍璃は上の空で、

(言い忘れたけど、日和も……)

 あいつは凄い、あいつは凄い、といつも思っている。

 藍璃の携帯メールにはわたしは凄い、わたしは凄いという題名本文のメールが、毎日平均一通ぐらい来ていたが、面倒だし例の『画面が小さくて目が悪くなるから避ける』慣習から毎回は見ない。

 藍璃は瀬谷の横に座りかけて、座らずに立った。

 二番目の打者の藤田も、三番目も、そして四番目の藤原も全員凡退に倒れた。藤原の打席しかはっきり見てなかったが、それぞれセカンドゴロ、三振、惜しくもフェンスに届かずレフトフライだった。藤原は流石にツースリーまで粘った。

「藤原だせーな」

 ノックの時のお返しと言わんばかりに、瀬谷が大声を上げる。(藤原は叱咤しただけだが)

「ちょっと小川先生に用事があるから行く」

 立ち上がったのはそのためであった。言うが早いか藍璃は駆け足になっていた。

「なんだ」
「外野やらせて貰えないかって直訴する」
「おいおい」
「球拾い」

 頼み込むと、それは願ってもないことだと次の五番目の斎賀から外野をやらせて貰えることになった。
 二年生の先輩の一人が、裏方に回り藍璃はセンター位置に付いた。
 この練習では滅多にボールが外野に飛ばないだろう……という目算で、グラウンド端の方で防球フェンスや、バッティングネットを置いての上級生たちの個人練習が認められている。

(外野に、出来ればセンターに飛ばしてくれないかな)

 藍璃は期待したが、斎賀はカウントツーワンからの平凡なショートゴロに終わった。
 六番は三振で、七番も見逃し三振で凡退。七番は投手の一人だったはず。
 八番、硬式上がりの来栖で右打席に入る。ノック時の身のこなしといいボールさばきといい、藤原の番が過ぎている以上、残りの一年生では一番期待して良いバッターだろう。
 カウントツーツーから、一塁側ファウルでカット。外に一球外れてボールスリー。次も変化球が捕手の前でワンバウンドしてフォアボールになった。

「今のが初四球?」
「粘ったなー」
「流石硬式」

 周囲の反応も、一年生二年生問わず上々だった。遠目だが、本人は最後まで打てなくて不服そうに見えるが、大人しく引き下がって行った。藍璃も粘って、出塁してくれるバッターは好きだ。

(でも今はセンターに打ち上げて欲しい)

 願いは届かず、九番は空振り三振に倒れる。

「速いよ」
「だから言っただろ。ってか左だぜ」
「やっぱり高校って凄いな」

 九人終わる頃、試合なら7アウト取った頃には、久永は良い投手だと誰もが気付いていた。
 最初に打たれはしたが、別格の白崎を例外とするなら、ここまでほぼ問題なく抑えている。そして藍璃たちも小川の狙いが読めていた。
 最初に打たれた印象が落ちてきている。例えば他の部員は抑えたものの、ラストバッターの藍璃にホームラン性の長打を食らうよりずっと後味が残らない。
 何より久永は満足にアップしていないのだから、面子が立つ。
 実際、三年の投手と捕手は巧くやっている。三年生のエースが、いきなり新一年生に痛打を浴びたのに、それを引きずらずにその後は打ち取っている。
 十番目の打者は追い込まれてから、落ちる変化球を引っ掛けてしまったようでショートゴロ。
 今回はランナーを設けてないが、前の流れで一塁に来栖が居るとするなら、実戦なら併殺打になる可能性が高い。つまりこれで9アウト。

(……待てよ。僕が三塁にまで行ってたと仮定するなら、二番打者はセカンドゴロだったから僕の足なら1点入ってたかもしれないな)

 そう考えながら、今凡退した打者を見遣っていた。彼が投手の一人の高橋だ。

 十一番目の打者がついにボールを打ち上げた。しかし明らかにライト側に飛んだので、藍璃が出しゃばって捕球することはできない。

 久々に外野にボールが飛んだのでライトは(西田といったか)気が緩んでいたのか。そもそも実戦でもなければ、本格的なシートバッティングではない(外野の一番の目的は球拾い)ので仕方ないのだが、飛び出しが遅れた。
 ライトとファーストがお見合いになる、ライト前ポテンヒットとなった。落球したボールはバウンドしながらファウルライン側に転がっていく。

(ツーベースだ……)

 最悪、左打ちの俊足打者ならスリーベースになる。

「ドンマイドンマイ、西田」

 久永や上級生たちが声を掛けた。西田は首を振りながら、

「いや、その……試合じゃないし。試合じゃないから」

 そして贅沢を言わせて貰えば、今のような浅い位置に打ち上げてもあまり意味がないと藍璃は思っていた。また、折角センターに付いたものの中々外野に球が飛んでこない。

(藤原の時に入れば良かった。レフトだけど)
 後悔先に立たずとは良く言う。

 十二番目の打者は初球ファーストゴロだった。一塁手は居るので、一塁手が捕球しベースカバーに入る久永に送球する。

(きちんと守備している)

 直前に西田の件があったからか、上級生、特に野手はどうも引き締まっていた。球拾いのはずなのに試合の守備のように構えて、一塁手なんかゴロ捕球姿勢のために腰を落としていた。

(あ、そういえば。次が)

 十三番、瀬谷のバッティングの番だ。瀬谷は案の定、バットを持って来てない(持ってるか不明)ので部から借りていた。バットを背中に担ぎながら左打席に入った。

「あいつ左か」

 部員たちは部で一番大きい瀬谷がどんなバッティングをするのか興味津々の目を向けていた。藍璃としても瀬谷が左打者だなんて聞いていなかったので少し驚いた。
 打席と利き腕の理論は前述したが、その理由で右投手の瀬谷は右で打つのかと藍璃は考えていたが、そうではなかった。或いは自分と同じように俊足なのかもしれない。それ以前に硬式球のリスクなんて考えていないのかもしれない。

「おらよ……っと」

 瀬谷は一球目から振って来た。高めのストレートか? バットに当たった。
 少し芯を外した低い音がしたが、グラウンドも広くない、打球はセンター方向にぐんぐん伸びていった。

「センター!」
(瀬谷、よくやった)

 オーライと言いながら藍璃がバックする。自分と違ってライナー性ではない平凡なフライなので余裕を持って捕球から投球姿勢に移れる……と思っているとまだ打球が伸びていく、中々落ちない。

(早く落ちろよ)

 ……落ちない。落ちなかった。
 落ちないと、踏んでいた。

 外野フェンスにギリギリぶつかって跳ね返った球を、藍璃はダイレクトでキャッチすると振り向き様──大丈夫、投手の久永はこちらを見ている(当然、打球が気になる)──ホーム目掛けて送球した。

「え」

 捕手の大須のミットにボールが収まっている。それもいかにもな山なりではないノーバウンドの返球。
 皆、目を丸くしていた。驚きのあまりに声も出せない。

「白崎お前馬鹿だろ!」

 数秒後、第一声が瀬谷のそれだった。外野の藍璃に届くように大声だ。
 声が届くように藍璃も外野からセカンドベース付近まで歩いていく。

「なんでだよ」
「フェンス直撃でスリーベースだっての。意味ねー、意味ねー」

 言い返せない。その通りである。中々ボールが落ちて来ない時は一瞬だけ、投げるかどうか迷った。何しろ外野が投げると踏んでないだろうから、投手も捕手も球審も危ない。一応、藍璃からは直線上ではない。

 ポジショニングした時点でいけると踏んで投げた。グラウンドが広くないからいける。

 理想はもう少し手前のセンターフライをキャッチして、その前に三塁まで進んでいるはずの『仮想三塁ランナー』を返さない、或いは刺すことだったが、犠牲フライではなく普通に三塁ランナーを返されてしまった。

(今のは……)

 藍璃はそこでふと気が付いた。瀬谷のやつめ、と。

 昨日の対決で、二打席目に自分もセンターフライを打ち上げている。グラウンドの広さの都合で自分のはアウトにされ、瀬谷は逆にスリーベースになった(本人は今、勘違いしていたがセンター方向なら普通にホームランでいい。そもそも先ほどの来栖たちのスリーベース論にしても狭いグラウンドのローカルルール、小話の一つに過ぎない)。藍璃の目が笑っているものに変わった。

「甲子園なら全然入ってない」
「甲子園じゃねーからいいんだよ、お前馬鹿だろ、馬鹿」

 この日、良くも悪くも目立ったのは二人の馬鹿だった。

 その後、久永は一つ三振、一つサード(はいないが)ライナーに打ち取って新入部員十五人全員のフリーバッティングが終了した。安打が3つ(一つ不運なポテン)、三振が5つ、四球が1つ。白崎を除くと外野まで運ばれたのが3つ(一つが不運なポテン)に収まった。


                      2


 部活後。野球部が解散する頃には生徒は恐らく既に皆、校舎を後にしてすっかり人気がなくなっていた。その中で職員室に明かりが点いている。
 想像以上に凄い一年生が来たもんだな、と一人、小川はコーヒーを啜っていた。硬式野球部、新入部員名簿と既存部員の名簿表を見比べている。

 瀬谷真一朗。ポジションは投手。投手の力、練習は明日から正確に見始めるので何とも言えないが額面通りの力なら彼は三番手に決定だ。一番手が右の青木、二番手に左の久永、そして三番手、中継ぎで投げてもらう。

 藤原鷹也。瀬谷と同じく翔桜中学校からの内部進学生。ポジションは内野手。一歩目の踏み切りと足が速く守備範囲も広ければ、肩が強くコントロールも良い。投手の球を良く見て打つ。攻守共に丁寧な野球をする。
 今日のフリーバッティングだとレフトフライだが、仮に俊足が三塁に行ってるとするなら犠牲フライになる(今回のケースだと残念ながら二死)。
 公式戦でいきなりスタメン出場は恐らく無理だが、何れは野球部の中心選手の一人になって欲しい。

 そして白崎藍璃……と来栖智仁。
 彼が少し厄介であった。打力は申し分ない。いや、言い方が悪い。うちでぶっちぎりに良い。四番確約だ。
 いやいや、代わりに守備が悪いという話ではない。あのノック守備を三球見ただけで、守備も足も本当に良い、別格の選手だと分かる。公式戦では一年生唯一のスタメンとして起用しよう。しかしポジションは……。

「白崎はショートだな。或いは他との兼ね合いでセンターか……」

 そしてこれは今は本人には言えないが、一年の夏だけでなく、基本的に二(三)年間ずっとだ。
 すまないな、白崎、と小川は思った。
 



[19812] 3回表: 白崎と家族の話
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/12/10 17:09
 
「白崎は無茶しすぎなんだよ、あんな外野からさ」

 四時限目の授業が三分早く終わって、昼休み、昼食の支度に入る。
 教室で一番後ろの席の藍璃は、前の斎賀と席をくっ付け合う。そして藤原が弁当を持って来て、藍璃の隣の空いている椅子を借りて野球部の三人が揃った。

「投げそうな気はしてたけどな」

 藤原たちが言っているのは昨日のフリーバッティングでの、藍璃のバックホームについてのことらしい。あれには部の大半の人間が驚かされた。肩力も然ることながら、外野の最深部から注文してないのに投げてくるのに驚かされた。

「いや、あれくらいならまず逸らさないで投げられる」
「あれくらいって、下手したら大暴投……」

 ……から危険じゃないので投げたのだが、あと20メートル深くても場合によっては投げたかもしれない。10なら間違いなく投げたなと藍璃は思ったが、目の前に出した風呂敷包みに意識が切り替わる。

 風呂敷を広げる目は輝いていた。別にこのために学校に来ているなんてことはないが、昔からこの時間が楽しみで仕方ない。

「わ」

 と斎賀が声を上げた。何より風呂敷包みの外装を見た時点で目を丸くしていた。

「五段弁当!」

 藍璃は言った。中からでんと姿を現したのは、旅行や花見の席で登場しそうな白竹で作られた五段弁当であった。

「これ、なんだよ」
「なんだって僕の昼食に決まってる」
「全部食うの?」
「一段目と二段目がおかず系なんだ」

 一段目には主に肉類から揚げや、魚等も入ってる。二段目には豆やポテトサラダや、白菜や真っ赤なトマトといった野菜の類も欠かさない。

「三、四が真っ白なご飯」
「五は?」
「五は日替わり」
「え? 毎日これなの?」

 藍璃は斎賀の質問には答えず五段目の棚を引っ張った。五段目は自分の担当ではないから直前まで分からない。デザート中心の日もある。

 見ると、外側輪郭が桜でんぶ、中央にしらすが振り掛けられ、目鼻が海苔で犬の顔が描かれたご飯になっていた。

「マルチーズだあ」

 マルチーズ弁当は初めてだ。藍璃の大好きなマルチーズとは粋なご飯で、笑顔になった。

 今日の五段目担当は美咲だった。でも提案者は姉かもしれない。昔から何の分野でも姉の創造、独創力は凄まじく藍璃たちの知らない、新レパートリー等を創造するのは決まって姉の仕事だった。そして美咲が言われたそのメニューを完璧に再現してみせて、自分と日和がそれを綺麗に平らげる宿命にあった。

「ご飯3、おかず2。それじゃあ今日はご飯中心で」

 ご飯を中心にもりもり食べる。昼休みは五十分あるが全部、昼食の時間に使ったりしない。藍璃は恐らく三杯(三段)までなら他の人の一杯と同じ速度で食べる。
 さて、三人がいただきますと言った矢先に、藍璃が不意に席を立ち上がった。

「なに」
「赤羽根さん、一人で食べてるから呼ぼうと」
「ええ?」

 一番前の席、女子の赤羽根瑛梨花が持参した弁当を鞄から出して、これから一人で昼食を取るところだった。彼女の気持ちが分からない以上、一人寂しくと表現するのは実に勝手だが、その小さく無言の後ろ姿が妙に儚げに見えた。

 しかも瑛梨花の場合、後ろの席がソフトボール部(発足するのか?)仲間の泉なのに、その泉は瑛梨花を呼ばずに、滝川と二人で授業終わり早々に教室を出て行ってしまった。

 昼休み最初の数分は気にならなかったが、一旦気になりだすと藍璃はにこにこ笑っていながらその実、心の奥で酷く憤慨しかけていた。今度会ったら、問い質して絞ってやろうかなどと過激なことを一瞬脳裏に過ぎるほどに。

 何れにしろ、食べる仲間が居ないなら自分たちの所に彼女を呼ぼうと藍璃は考えた。

「でも女子だぜ」

 と斎賀は躊躇した。

「そういうのは関係ない」

 藍璃の家は大家族で男子も女子も多いため、細かい分類も住み分けも何もないし、そうやって育った。男も女も平等で役割の違いはあれど、家族が仲良く暮らせれば基本的に何でもいい。それは自分の代だけの話ではなく、白崎という家はずっと昔からそういう宿命にあった。

「でも赤羽根さん以外にもいるだろ、一人で食べてる人なんて」

 藤原は小声で周りの人たちを指した。入学して数日、男女問わずにまだ昼食を共にするような友達が一人も居ない人は教室にちらほら見かけた。

 藍璃たちのように部活動のメンバーや、中高一貫で他クラスに友達が居る子は教室から出て行って独自に固まれる。でも他所から中学の友達も無く一人で高校に上がってきて、何のツテも無い人が居るのも確かなことで、取り分けその中で積極性が無い子は未だ休み時間は一人だった。

「お前『それ』はいいのか」
「いや彼女は可愛いし」

 藤原の問いに、斎賀は当たり前のツッコミを入れた。瑛梨花は美人なんだから、他の一人ぼっちとは一緒のようで最終的に違う宿命にあった。

 斎賀は至極常識的な感覚の持ち主で、すると藤原はその一歩先を進んだ質問を投げかけていたのかもしれない。そして藍璃はこの二人とも全く違った感性の持ち主だった。

「全員呼んでみよっか」

 藍璃は周りを見渡して呟いた。

「は」
「男も女も、僕は関係ない」

 瑛梨花を含めて、教室には一人で食事をしている男女が九人居る。
 迷惑で嫌なら、余計なお世話なら断ればいいだけだが、中にはまだキッカケが掴めなくて友達を作れない人もいるに違いないのだから、この集いがそのキッカケになるかもしれない、と考えて。

「よし」

 思い立つと藍璃の行動は早かった。まず瑛梨花を連れて来て、次に近くの男子の工藤と、瑛梨花の二つ後ろの女子の伊藤を呼んだ。最後の方は藤原たちも協力して、数分も経つと男女九人、野球部三人を足してなんと十二人全員が集まってしまった。

「白崎ー、メシ貰いに来たぞー」

 そして何故か、隣の組の瀬谷真一朗が来襲し、十三人になった。


                      2


 十三人も教室に密集すると、それは結構な大所帯になった。

 藤原は藍璃から向かって左側から右側に椅子を移動し、十三人分、周りから今いない生徒の空いている机や椅子を多く借りて合体させた。ここら辺は瀬谷と藍璃と藤原の身長180前後の野球部三人集が頼むと、教室の誰も反対しなかった。

 時計の方角で見て、角の席の藍璃を六時と見立てて中心にし、右側五時から反対の十一時ぐらいまでが男子九名、女子四人が七時から十時方向に円形に座る。

「えーっと、僕は見ての通り、この弁当平らげなきゃいけないから、あんまり喋れないので各自自由にというか……」
「おいおい、お前言いだしっぺだろ。主催の捕手が馬鹿でどうすんだ」

 全員揃ったのはいいが、肝心のこれからに付いて藍璃は決めかねていた。
 まず全員揃ったのがやや予想外で、藍璃としては普通にご飯を食べれればそれでいい。集まった後は、各自で勝手に話し合って構わない。何より藍璃は五段弁当を完食する使命にあるから、食べながら喋るのは行儀が悪い。

 が、弁当を持ち合わせていない瀬谷は喋るのが本分だった。瀬谷は強引だが、今回ばかりは非常に役に立った。皆が不意に押し黙った時、こいつなら引っ張ってくれる。そういう運命にあった。

「まずは自己紹介とかしねーか。中学の時はちゃんとやらなかったか?」
「部活の話とか、趣味の話とか……」

 藤原は他人と比べると一回り大きい黒い弁当箱を開けながら呟いた。大きな海老フライが二つ入っていて、真っ先にマヨネーズの袋を開ける。

「美味そう」瀬谷が覗き込んだので、藤原が弁当箱を引いた。二つあるから瀬谷のような飢えた野獣に一つ狙われる。

「やらん」
「分かってねーな。自己紹介は全員に回るよな。全員に回る。それが重要なんだよ。一人一人で話出すと必ず喋り続ける奴と、喋れない奴に分かれるよな。そうすると孤立するだろ?」

 全く同意見で何も言い返すことがないので藍璃は、箸を止めなかった。
 強いて言えば、十三人も居るのにここまで七割方、瀬谷一人が喋り続けている。お前少し黙れと睨んだが、彼はすかした態度で効果はなさそうだった。藍璃は白米を飲み込んでから、

「最初は自己紹介……にしよう。僕から、時計回り」
「お」

 最初に自分の紹介を済ませてから、余裕を持って食事に有り付くのが算段だった。

「僕は白崎藍璃。仲真中出身で硬式野球部に入った。天秤座で、十二人家族の長男」
「十二人」
「そんなに?」
「うん」

 藍璃は頷いた。美咲とマルチーズのウィルを入れて十二人。勿論入れない理由はないが、親戚を含めるともっと複雑になるので十二人にしておいた。さらに後が支えないために紹介は短めで切り上げる。

「次、時計周りだから伊藤さん」
「あ、はい」

 藍璃は隣の席の女子に順番を回して、また箸を取った。食事再開の前にお茶を一杯頂く。

「えっと、伊藤藍です。音和中から来ました。あ、名前のあいは、藍色のあいです。私も天秤座で、えーっと趣味は……本を書く方というか……」
「読む方じゃなくて?」
「あ、読む方じゃなくて書く方です」

 自分と名前が似ているので藍璃は箸の手を休めて、一度視線を送った。

 黒のショートヘアで少し小柄な女子だ。瑛梨花のように目は大きくないし、眉毛も薄く地味な感じの女子だが、自己紹介時の笑った顔といい、愛嬌のある子だと思った。しかし教室であぶれているからこの集いに居るわけで、愛嬌があるのと積極性があるのはまた別の話なのだろうか。

 関係ないが、緑色の弁当包みに描かれたデフォルメのカエルが可愛い。藍璃は蛙を見ると決まって、鳥獣人物戯画のスマートなカエルを連想するのだった。ところで彼女の弁当はまだ開封されていないが、藍璃の弁当は総合的に一段消化する所だった。

「赤羽根瑛梨花です」

 次は男子諸君お目当てのクラスのマドンナの瑛梨花の番が来た。伊藤の左で、藍璃からは二つ左隣の席に当たる。瑛梨花が喋る時は、一瞬右側の男子が一段としんと静まり返った、ように感じた。

(藤原も、斎賀も)

 箸を持つ手が止まって一直線に彼女を見ている。その様子を見遣っていたため、藍璃は自分の弁当箱内で空を切る箸の存在に気づくのに遅れた。三段目の白米を全て食べ終えていた。

 箱を棚に閉まい、四段目の新たな白米箱を取る。一段目のおかず箱が見当たらない。
 振り返ると後方、何処からか椅子を頂戴した瀬谷が椅子の上に胡坐を書いていた。

 左手に藍璃の一段目おかず弁当箱が握られて、骨付きのから揚げが摘まれて丁度全滅するところだった。左手には箱と一緒に割り箸が挟んであった。こいつは弁当を持参して来なかった癖に箸は持参して来たらしい。

「瀬谷やめろ」
「やめね」
「ホントに止めろ」

 強引に箱を取り返したいが瀬谷は身を引いて返そうとしない。中身が飛び散るかもしれないので手が出せない。すると躊躇している間に一段箱は綺麗さっぱり空箱になって机に戻された。殉職なされた。

「ああ……」
「今回もオレの勝ちだな」
「いつ前回負けたんだよ。僕が勝ってる」
「あれは引き分けだろ」

 藍璃は弁当箱本体を眼前に引き寄せた。瀬谷は箸を左手でカチカチ鳴らしてニヤニヤしている。ふと、その彼の手元を訝しげに見つめた。

「あかはね?」

 一方で藍璃と瀬谷を除く十一人は、瑛梨花との談話でそこそこ盛り上がっていた。藍璃も瀬谷など放っておいて彼女たちの会話に耳を傾けることにした。

「はい。あかばねと濁らなくて、あかはねって読みます。この漢字だと珍しくて、いつも間違われるのですが……」
「栃木、長野県に多くなかったっけ? あかばね姓って」
「あ、聞いたことあります」

 瑛梨花に最後聞いたのは彼女の左隣の永島で、次は彼女の番だった。一人三十秒もしないので自己紹介は順調に進行した。藍璃たちは携帯電話を取り出し、メールアドレスの交換を始めた。

 野球部の瀬谷、藤原、斎賀。女子が赤羽根、伊藤、永島、松田。男子が工藤、新銀、田中、古谷、増井の計十二人。うち半分は初めて相対した人なので、とても一瞬で全員の顔と名前を把握一致出来ないが覚えやすい苗字もあるので、藍璃は早く名前を覚えられるよう努めることに決めた。

 数分足らずで全員の自己紹介が終わると、漸く皆が本格的に昼食を取り始めた。最初、会話は減ったが瀬谷や永島が口を開いて、部活に入るのか、とか趣味はどうとかの話題が展開された。

 十三人も居ると、その全員が一つの話題に集中、参加することは土台無理である。さらに会話のグループが三つ、四つぐらいに分かれて各々発展していった。

 部活動の話。野球部以外の男子五人はまだ何処にも所属してないらしいが、校則で必ず部活一つは入部する決まりがある。新聞部か映画同好会で悩んでいるとか、軽音楽部がいいとか、女子は吹奏楽部がお勧めらしいとか、伊藤は最初から文学部を見てみるつもりだと言っていた。

 そこから派生して、文学部つながりで今時の好きな本やベストセラーの話に移った。一方では映画同好会から感動する必見の映画話が展開していた。

 数学や化学、英語関連の部活の流れから少しお堅そうな勉強の話にもなったが、そこは天下の翔桜生と言うこともあって、基本全員が高校では何処そこの予備校がいいだの、この参考書がお勧めだの大いに盛り上がってしまった。

 藍璃だけ付いていけないので、弁当をもりもり食べた。四段消化して五段目のマルチーズ弁当に突入している。というより飯の時間帯まで、勉強の話で盛り上がれる空間にやや驚きもしていた。
 昨日、月曜日に入学時学力診断テストが返却されたが、それによると藍璃の成績は一年生、男女総合で240人中200番台突入とよろしくなかった。高校入試と合格発表後に、勉強の手を休めたのも関係ありそうだ。勉強は嫌いではないが、勉強の話が面白いとも言えないので黙っていた。

 その後、服の話で女子だけが固まり、男子は映画話が発展して映像的なゲームの話題になった。

「あー、オレもゲームやるぜ。ってか最近の機種は全部、お前らの想像以上に全部持ってるぜ」
「瀬谷君もゲームとかやるの?」
「ああ、もっともオレはレゲー派だがな。PC-●X、とか」

 レゲエとテレビゲームが関係あるのだろうかと藍璃は考えたが、失言しそうなので口には出さない。

「まあ、もちっと有名なのだと野球つながりってことで最近はプロファイ派なんだが、ストプロとか昔からやってるぜ。サクセスで、三年ピッチャー瀬谷は球速155でスタコンがACでスライダー2フォーク4チェンジアップ3だわ」
「野球ゲームで自分を作るのか」
「AAとか変化7じゃないんだ」
「プロ基準でこうするからこれでいーんだ」

 小さい頃から野球に携わってきた藍璃も、必然的に仲間内からその名を耳にしている、有名な野球ゲームの話だ。藤原たちも食い付いた。

 もっとも肝心の細部に付いては未プレイなので口出し出来ないのだが、瀬谷の現時点の球速が140であるのだけは頭に浮かんだ。どうやらこの後、高校三年間で15キロ速くなるらしい。それは夢のある妄想(といっても入学時に140km/h投げられる化け物の瀬谷なら不可能じゃない)で、甲子園も夢じゃないなと嬉しく思った。

 藍璃はベストセラー小説や映画だけでなく、テレビゲームの話にも付いていけない。

 相手が相手なら、プロ野球の話を振る。贔屓球団は何処とか、好きな選手とか、野球全体の好きなプレイについても話が広がる。6-4-3と4-6-3のダブルプレーでどっちが格好良いかでも盛り上がれる。藍璃は4-6-3の方がショートの強肩が注目される感じで好きだ。自身が実際にお世話になる回数が多いのは5-4-3かもしれない。

 後は基本だが、名試合についての感想。高校野球、甲子園でもいい。どの試合が好きだったか。小学校中学年の頃、そんなことを家のリビングで美咲と三時間語り合った。


                      3


 その日、妹の日和が風呂上がりに牛乳を飲みながらこちらを見遣った。

「お兄ちゃん」
「なに?」
「今、思ったんだけどさ」
「なんだよ」
「野球の試合三時間噛り付いてさ、三時間レビューするのって、その瞬間、六時間無駄してない?」
「え……」

 言われると、藍璃は頭がこんがらがりそうになった。自分はゲームも本も映画もテレビ番組も見ないのだから、練習帰りと疲れに、夕飯を食べながらたまに地上波放送されるプロ野球を見てもバチは当たらないんじゃないか。何か悪いことをしているのか。

「テレビは三時間、試合流さない」
「それじゃ五時間」

 藍璃は口喧嘩は強いと思っていたが、妹には腕っ節で敵わないためか奇妙な引け目を感じていた。

 力で敵わない相手には、強くも言い返せない。おろおろして、隣のソファーに座っている美咲に助け舟の視線を出した。美咲は頷いて日和を見上げた。

「日和さん」
「なに」
「行儀が悪い。座って飲みなさい」
「はい」

 藍璃と話していた時と何ら声のトーンも、顔の表情も変わってないのに何故か迫力ある。
 日和はコップをテーブルに置いて、藍璃たちの向かいのソファーに腰掛けて、両手は両膝に置いた。

 日和は美咲には弱かった。美咲は家族の女子の中で、歳が上から二番目だから長女の文虹以外は頭が上がらないらしい。

「日和さん」
「はい」
「人の趣味にケチ付けないでください」
「はい……」
「日和さんも剣道貶されたら嫌でしょう、自分が」

 美咲が言い終わらないうちに日和はソファーから不意に立ち上がって、

「だって、剣道は短いし、野球のようにはテレビ放送しない」

 と少し声高く物言いした。突然起立したので藍璃は少し驚いたが美咲は動じず、

「自分がされて嫌なことは人にしちゃいけないと習いませんでしたか。それも家族に」

 最後の言葉だけ一瞬、声色が高く早口になった。藍璃が先ほど感じていた迫力──恐らくは日和も──美咲に感じる内に秘める迫力だった。

 日和はすぐ着席して、「習いました」と叱られた子供のように縮こまった。すると美咲が態度が和らぐように微笑んだ。

「インターハイの試合なら放送します。その話をしましょう、去年は」
「あっと、去年は、そうそう。熊本の天神学院がね」

 一転、日和たちは意気揚々と剣道のテレビの話に移ってしまった。

 ──なんだ。日和は自分にいちゃもんを付けたようで単に剣道の話がしたかった、話相手が欲しかっただけなのだ。

 そこで美咲は日和に取られてしまったけど、藍璃は事情が分かったので嬉しくなって「先に寝るね」と二人に告げて自室がある二階に上がっていった。


                      4


 ……話は現在に戻る。映画やゲーム、本や服、周りの今時の会話にさっぱり付いていけない藍璃には集会の発案者ながら話し相手が一人も居なかった。しかし全く気にすることもなければ、孤独感も残念感も覚えない。話相手は取られたけど、これでいいのだ。

 ふと携帯電話が振動したので開いてみる。
 題名『わたしは凄い、わたしは凄い、わたしは凄い……』と言う何時もながらのメールが今日も送られて来た。何時もはスルーするが今日は時間があるのでチェックする。

 携帯メールに添付された画像、剣道場にて背後には紅白の垂れ幕が掛かり、面以外の防具を着想し、竹刀を床に突き立てて両手を重ねた二人の女子が映っていた。双方とも黒髪を後ろに束ねているが、やや背が高い左側が妹の白崎日和だった。

「誰、この子、可愛い」

 携帯電話のディスプレイをぼーっと見ていると、女子への嗅覚が鋭い瀬谷が逸早く覗き込んで来た。

「妹、白崎日和、左側」
「いや右の子」

 言われた女子が妹の一学年上で前部長の川島紫だと知っているが、藍璃は話すのも面倒なので答えなかった。中高一貫なので道場で一緒に写真を撮ったのだろう。

「え、白崎君の妹さん?」
「どれどれ」

 瀬谷に釣られて男女数名が近付いて来た。藍璃は後方の瀬谷を肘で押しのけて「今、熊本の天神学院中に居るんだ」と説明した。

「あ、可愛い」
「その学校知ってる」
「高校の男子剣道部強いんだよね」
「中学も強いよ。中総体二連覇してる」

 そう藍璃が言った。一昨年一年生の白崎が、団体戦大将と個人戦で二冠を達成してから隙がない。他校の大将クラスが五人揃っているような感覚になった。

「二人とも結構可愛いな」

 藤原が呟いた。「うん」とか「ああ」とか男子も同意した。そしてすぐさま瀬谷が、「藤原の可愛いはやたら説得力あるよな」と意地悪そうに茶化した。

 すると女子一同も苦笑いし、「瀬谷黙ってろ」と藤原もバツ悪そうに小声で反抗した。藍璃は藤原に助け船を出した。

「この写真に誤魔化されちゃいけない。写真のトリック。実物は背が175はある。隣の子も170以上」
「え」
「中学三年まで僕の方が身長負けてたんだ」
「へえー」
「おれよりおっきいわ」

 半分予想通りだが、男子たちが残念そうに驚いたので藍璃は笑いながら、

「これが昔の、五年くらい前の僕」携帯電話を操作し、別の保存画像を引っ張ってきて画面が見やすいよう五段弁当の頂上に携帯電話を置いた。

 家のリビングで撮った(撮らされた)少年少女時代の藍璃と美咲と日和三人が横に並んで立つ記念写真だった。

「妹が一番大きくて」
「え!」

 一同、仰天したらしい。先ほどの画像より反応が大きい。

「ちっちゃー」
「小さい」
「可愛い」
「これ白崎君?」

 部屋の壁に身長測定の紙が張ってあって、それを背に真ん中を陣取る藍璃が一番背が低い。
 携帯電話の画質では身長メモリの文字が小さくて読めないが当時は140cm程度だ。今は180あっても少し昔は140しかない。

 藍璃の右隣、写真だと左側に立つ美咲はもう5cm以上大きい。そして右側の日和は既に150cm以上ある。まるで逆表彰台のような高さである。当時は全員、ショートヘアで藍璃に限っては今より前髪が長かった。

 当時の気持ちは確かではないが、今見直すとこの藍璃少年は両眉が垂れ下がって、写真と目のピントもあっておらず、口も半開きだし模型のように直立不動して硬く、酷く緊張した子供に見える。

 横の日和は両腕を頭の後ろで組んだりして当然、緊張の色など見られないし、真っ直ぐ立っていないのに誰よりも大きかった。一方の美咲は何だかこの日は不機嫌なのか下半月目で、見方によっては睨んでいるようにも見える。

 美咲の怒っている姿は珍しく、写真など他に覚えがない。藍璃が今もって画像を保持している理由だった。

 藍璃は今更ながらこの当時を思い出した。祝150センチ突破という名目で妹が姉にデジカメで記念撮影を頼んだのだ。自分が一番だぞと比較対象が欲しかったらしく、藍璃と美咲まで駆り出された。

「昔は可愛いなー」
「うん、可愛い」

 斎賀、連続して藤原が感想を漏らした。すると自然に男子一同、それだけなら良いのだが、女子も何故か一瞬、藤原に視線を集中させた。

「いや、なに?」
「いや」
「いや……」

 会話のやり取りを見ていると、藤原は弄られキャラとして定着しそうな先行きに思えた。彼は一般的に背が高い方でハンサムなので決して苛められるポジションにはいないのだが、野球関連以外ではやや受身なので、周りにいい様に言われても言い返さない。

「これが、なんでこれになるんだろ」

 瀬谷が初めて写真を見た誰もが抱く疑問を投げかけた。

「中学で伸びたんだよ」としか藍璃も答えようがない。自宅にあるアルバムを見ると、中学で藍璃がいかに急成長していったかの過程が辿れるが、その進化を見せたかった肝心の日和が同時期に東京を発ってしまったので、藍璃としてはしこりが残っていた。

「そのままの方がガチで良かったのにな」

 頭を抑えられて、ぽんぽん叩かれた。今の藍璃にこんな真似を出来るのはより大きい瀬谷ぐらいしか居ない。嫌ではないが奇妙な気分になる。

「瀬谷は黙ってろ」と振り払った。その時突然、

『一年一組の白崎藍璃君』

 教室の教卓後ろのスピーカーから白崎の名前が発せられた。お昼の放送は当に始まって垂れ流しになっていたが、放送部女性の声が別の高い人に切り替わって突然、藍璃を呼んだので一同スピーカーを見上げた。

「藍原さんだ」
「藍原さん」

 男女問わず人気がある、二年生の女子放送部員だ。まだ入学して日が浅いので藍璃はよく知らないが、周りが言うには藍原担当の日は基本神回と呼ばれているそうだ。基本なら神と言われる出来前じゃないと思うのだが、彼女の基本が神らしい。藍原は他の翔桜生特有のお堅い気配が全く無くノリが良い。

 人気のCDを流す時やランキングを、誰もが知る有名司会芸能人の物真似で発表してくれる。ラジオ小説では登場人物の切り替わりで、逐一声音を変えて読み上げてくれる。たまに時間が余るとアドリブで喋りだす。後で教師に怒られる。だからすぐ有名になるし人気も高い。

『時間があったら職員室の小川先生の元に来るように。繰り返します。一年一組の白崎藍璃君。職員室の小川先生の……』

 藍原あやめは、藤川夢乃の親友でバッティングセンターで見かけた三人娘のメガネの少女であった。その件とは別に、三人ともソフトボール経験者だから藍璃は知っている。
 中学時代の藍原は三人の中で一番バッティングの才能があった所謂スラッガーで、関東大会に出場した経験まで持つ。あの三人は皆野球(ソフト)をやっていたけど洩れなく全員止めてしまった。ソフトボール部のなかった翔桜生なんだから当然と言えば当然だが。

(全国にまで行った美咲さんだって、滝川さんがソフト部作ろうとしなければ止めてる)

 藍璃はそれを残念に思っていた。だから滝川の試みは興味があるし面白い。
 しかし今、自分に振りかかりそうな問題とは全く関係がない。

「白崎なにかやったの?」と藤原たちから当然の如く質問される。
「やってないよ」
「至急じゃないのな」瀬谷の着眼点はそこだった。
「あれは藍原流かも」

 伊藤の言い分に納得した。本当は至急なのかもしれないが、藍原なら時間があったら~、暇だったら~とお茶を濁した言い方をする。今の放送の声音も少し笑いが混じっていたから本当に深刻な問題ではあるまい。だが、どうせ後で教師たちに叱られるだろう。

「じゃあもう少し、落ち着いてからでいいや」

 藍璃はそう結論付けて、皆に元の話に戻るように言った。小川に詰問されたら「放送で至急と言われなかったので」と言い訳することにした。しかし……。

(なんか嫌な予感がするんだよなあ)

 勿論、入学早々、学業のことで呼び出しを食らうような真似は何もしていない。

 何より野球部顧問の小川の名前が出ている。なら野球部所属の藍璃への話は部関係のことに決まっている。何れにしろ職員室に呼ばれると言うのは悪いことをしてなくても悪いことをしてるような気分になって気が進まない。

「行かない、とかは?」

 自分で話を終わらせておいて、また口に出してしまった。

「行っとけ、白崎」
「行った方が、いいですよ」
「はい」

 瀬谷は何故か声高く言い聞かせるような口調なのでどうでもいいが、瑛梨花も薦めるので素直に頷いた。美咲でも行くように言うだろう。
 



[19812] 3回裏: 赤羽根と野球の話
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/12/15 12:25
  
 4月12日、仮入部二日目の練習を午後五時に切り上げた藍璃は、帰りに藤川バッティングセンターに寄り道した。

 もちろんバッセンで打撃練習して一汗かくためである。昼はいつものように五段弁当を食べた(一段、瀬谷に奪われたが)。午後の運動で腹の中の米を消化するのが恒例だが、今日はいつもより一時間以上動いていない。まだ腹にたっぷり溜まっていると見える。だから自主的に運動せねば……。

 藍璃は部活後に替えのアンダーシャツに着替えているので、バッティングセンターに着いたら直ぐに練習するつもりだった。

「あれ」

 バッティングセンターに到着すると、店の横の小さな駐車場に、大きく縦長い赤い車が停まっていた。

(たぶんリムジンだ)

 世間の物事に疎く、情報ごとの感心と知識に波がある藍璃でも目の前の高級乗用車の判別くらいはできる。
 逆に言えばリムジン以外の車種はほぼ分からない。スポーツ車は多少分かる。

「あ」

 十数メートル先に、見知った女子が眼前を歩いていた。
 瑛梨花が丁度、店内に入っていくところだった。

「赤羽根さん」
 呼び掛けて駆け寄る。

「白崎くん」
 声に反応して振り返った瑛梨花が思わず一歩引いて下がる。

 白崎藍璃。瞬発力に優れ、二秒で玄関横扉に到達する男だった。瑛梨花の背中が玄関に触れた。
 藍璃はそんな彼女を不思議そうに見つめていたが、

「あ、扉いい?」
「え、ええ」

 彼女を扉から離れるように促した。そして戸をガラッと横に引いて「さあ入って」とまるで自分の家のように瑛梨花を先に中に迎い入れた。

 ……藤川バッティングセンターの玄関は今時、自動扉ではない。白い外装も、開店から長年の佇まいで汚れ壁の塗料も薄まり小汚いというまでではないが、都会の店《ショップ》としては今ではすっかり古臭くなってしまった。
 
 
 
 
「父さんはさ、んなもんに金掛けるくらいなら中の設備をよくした方がいいって輩なんだ」

 いつだったか、小学生の頃……つまりもう数年前になる、この店の娘の藤川夢乃は内部事情を聞かされた。
 藍璃が外装の話を振ったわけではなく、綺麗じゃないバッティングセンターに友達の女子を呼びづらいと言う夢乃の愚痴であった。

「いいことだと思う」

 自動ドアを設置したり外装を綺麗にできる資金を工面して、代わりに新しいマシンに購入に当ててくれる藤川父の考えは、この店の常連利用者の藍璃にとってはとかく有りがたかった。

 150km/hの直球を投げるピッチングマシーンは、普通のバッティングセンターには置いてないのではなかろうか。
 スライダー、カーブ等の変化球を投げるマシンも置いてある。フォークボールも近日追加されるらしい。
 充実した設備と空間。藍璃だけでなく野球、バッティング好きの人間にはたまらない店だ。むしろバッティングセンターに来る人間なら大抵中身を把握してるはずだ。外面は関係ない。
 だから多少、外見が汚くても店はそれなりに繁盛してるし潰れない。

「わたしも嫌いじゃないよ、父さんの考え」

 夢乃も実は同意見のようで相槌を打ったが、すぐに左手を顎に乗せて、

「でもバランスが悪いんだよ、きっと。そりゃあ見栄えだけ良くてもしょうがないけど、見栄えも良くなきゃ外から崩れたりするんだよ。美味いんだけど、店が汚いラーメン屋が没落したりさ。これからの時代、バランスは高くないといけないんだ」

 高いバランス。
 ラーメンなどの例え話はどうでもいいが、夢乃の一言は藍璃の心を捉えていた。

 何でもできる野球選手。ファイブツールが揃っている打者。
 バッティングが巧く、パワーがあり、足が速い、肩も強く、守備も上手……。
 巧打、長打、走力、肩力、守備、全てが高水準でどれ一つも欠けてはならない。万能選手。藍璃はそういうプレイヤーになりたいと常々思っていた。

 夢乃に言い返す言葉など見つからない。黙っていると夢乃が藍璃の脇を小突いて、

「おい、藍璃。わたしを信用するなよ」
「え?」
「友達、呼び辛いから言ってるだけだって」

 おちゃらけて言った。
 なんだ、と藍璃が狐につままれたように訝しげに見てると彼女は、

「ま、でも女客って重要だと思うけどね……うち、デートスポットにはとてもならんでしょ。でも野球場はなる。女なんか普通、野球に興味ない。でも行くんだよな。じゃあ今の時代、女の客がちっとも入らないチームって悲惨じゃないか? 野球に女なんかいらねーって意見もあるし、一方で今時、野球なんかダサいって意見もある。難しいよなあ」

 夢乃は昔から野球(ソフト)の選手としても有能だったが、同時に経営者の娘らしい着眼点も持っていた。

 藍璃と一つしか歳が変わらないのに大人である。とても真似出来ない。
 小学生の藍璃は一介の野球人以上の何者でもなく、野球さえ上手くなれればそれで良い。
 感心すると同時に、客の話なんて分からない。でもバランスは重要だと、心の中で反芻していた。

 しかも単にバランスが良いだけでは駄目だ。それは器用貧乏という。いずれ代わりは出てくる。それならある分野では誰にも負けない、一点特化した選手の方がマシだ。

 全ての分野において高レベルの力を備える。それは日本時代に好成績を残し、大リーグで活躍する野手のようなものかもしれない。
 一番有名な野手ならイチローが思い浮かぶ。藍璃は捕手一筋なので外野手《ライト》のイチローは参考になりにくいようでお手本だった。

 藍璃も左打ちに矯正した。俊足を活かし内野安打を増やすために。だがまだパワーが足りない。

(身長欲しいよ)

 小学生の藍璃は野球人として身長が高くなかった。線が細く非力だった。高い声と幼い顔立ちから女みたいとからかわれたこともある。
 しかし左打ちに矯正するほどなので当時から足は速い。女はこんなに速く走れないだろと言い返すと、「白沢のとこの女の方が、足はえーだろ」とまた詰られた。
 当時は白沢美咲の方が藍璃より体が大きく、力も強かった。

 実際には50メートル走のタイムは負けていなかった気がするが、打率も走塁の上手さも美咲が圧倒的に上だ(フィールドの狭いソフトで野球より数が少ない、ツーベースヒットを打てるから目立つ)。女子ソフトボール部だが、同じ一番打者として藍璃よりも優れた野球人で誰の目にも上手く映るから、速くも見える。

 自分の方が先に野球を始めて、今も多く練習しているのに美咲の方が上手い。
 本当のことなので周りに比較されると堪えた。家に帰ると、偶然居合わせた美咲に久しぶりに泣きついた。

 今では信じられないが、この頃、時として美咲との付き合いを煩わしく感じることがあった。
 女子と付き合っていると周りに馬鹿にされるからだ。だから一方的に無視して疎遠にもなったり。
 でも本心ではないので長続きはしない。

「いずれ藍璃さんの方が、わたしより大きく速く強くなります」

 膝元から彼女を見上げると、何時ものように両眉毛を少し垂らして、優しく穏やかに微笑んだ。藍璃も笑うと眉毛が下がるタイプだったからか、凄く安心する。

「それじゃあ駄目ですか」
「頑張るよ」

 頑張った結果、中学生になった藍璃はかつて自分が欲しかった身長とパワーを手に入れた。

 身長170。四番打者。全国大会出場……連なる肩書き。こうなると同世代の誰も藍璃を弄らない。

 軟式球界では全国の誰よりも打率が高く盗塁数が多い。
 かといって本当に捕手に重要なキャッチングとリードの力も備えているし、肩に至っては一流と大人たちから代わりに弄られるようになった。同世代のシニア捕手と比べても勝っているのではないか、と。

 しかし、最終的には藍璃の知った話ではなく深い興味も湧かない。

 野球でのライバルは居なかった。何より考えたことがない。
 同世代で、より凄い選手はシニアの世界にはいるかもしれないし、全国大会の成績で負けただけで軟式にも埋もれているかもしれない。でも結局それだけである。

 藍璃は、妹の日和に認められ、文虹はいつも褒めてくれたから──美咲に喜んで笑ってもらえればそれで良かった。
 それだけだった。


                2


「どうしてここに?」
「時間があったから、バントの練習しようかなと」

 藍璃と瑛梨花は二人並んで、入り口右手の受付に向かっていく。
 先日訪れたときは貸切、公には閉店で既に受付カウンターはもぬけの殻だった。なので一同も素通りした。

 今日はまず受付に寄って、マシンを使うためのコインを購入する。隣の自販機でも購入できるが、恐らく受付には知り合いがいる。挨拶をしようと思った。

 身長の低い瑛梨花の方が歩幅が低いので藍璃の方から合わせる形を取った。

「それは殊勝な考えだね。赤羽根さんは初心者だから、練習するだけすぐ上手くなれるよ」

「はい。早く、皆さんの足を引っ張らないように……出来れば白沢さんぐらい上手くなりたいです」

 瑛梨花が微笑んであんまり素直に言うので、藍璃もつい「そうだね」と笑い返してしまった。そして目線が下がって床を見つめる。
 たぶん瑛梨花は冗談を言っていない。分からないのだろう。

 どんな世界でも相手とあまりにも実力差が離れてしまうと、判断できないと言う……。
 或いは、全く関係ない人間は気軽に見て批評するが、ある程度その物事に携わっている人間になら、自分の知る相手がどれ程の実力者か把握できる、それだ。

 白沢美咲──彼女は本格的に換算しても小学生のときから七、八年は軟式野球とソフトボールを続けている。
 その上、底知れぬ才能を持っている。

「赤羽根さんは、赤羽根さんのペースでやればいいよ」
「え……」

 一瞬、愛想笑いを浮かべた藍璃だが彼女を騙すようで悪い気がして、本心の言葉を口にした。

「美咲さん、彼女は無理でも他の子になら追いつけるかもしれない。僕も応援するし、必要なら手伝うよ」

 と今度は正真正銘、心から笑って瑛梨花をまっすぐ見つめることが出来た。
 すると彼女は俯いてまた黙り込んでしまった。

 なんでだろうと藍璃は不思議がる。不意に前方から視線を感じ取った。
 というより、既に二人は受付カウンターの目の前までやって来ていて、受付の女性──いや、明らかに二人よりも年下に見えるので少女と表現し直すべきが──が見上げていた。

「コイン幾つ?」
 少女の方から用件を訊ねてきた。

「あ、一つで。一枚あればまず大丈夫」
「えっと、じゃあ私も一つ」

 その後、瑛梨花は鞄を置いて運動着に着替えするということで、女子更衣室に行った。
 藍璃は前述通り、アンダーシャツに着替えて店に来ている。この場で瑛梨花を待つことにした。

 しかもこの店の貴重品コインロッカーはお金を取る。100円だ。だから男の藍璃はなるべく使いたくない。
 ただし、男女更衣室内の両方に設置されている、シャワー室は質素ながら無料である。
 こちらは評判が良い。

「なに、あの子」

 瑛梨花が視界から消えると、受付の少女が口を開いた。

「カノジョ?」
「そう」

 藍璃の返事と瞳は心ここにあらずと言わんばかりに、うわの空であった。

 ……本当に体に浴びるだけのシャワールームなのだ。長居するものでないし、断じて頭や体を洗ったりする場所には作られていない。あくまで練習後の汗を流せる、店のサービスの一環に過ぎない。
 そもそも瑛梨花の家にある風呂や、シャワー機具は自分たちの物とは比較にならない程、豪華な物であろう。藍璃には想像付かないほどの。
 なんだか無性に恥ずかしくなってきた。

「へー」
「いや、そうなるといいねって……」

 振り返って、顎の下で両手を組んでいる受付の少女を見遣る。
 藤川理乃という、夢乃の妹の中学生。今年二年生になり藍璃たちの二つ下。夢乃同様、藍璃や美咲の昔からの知り合いに当たる。

 ただし、年下ながら藍璃には割合、きつく当たってくる女性であった。理由は藍璃と理乃、双方のプロ野球の贔屓チームの趣向の問題らしい。
 彼女は部活がない日や時間が空いている時、稀に店の受付を任されていた。労働基準法でどうなっているかは藍璃は知らない。

「藍璃には釣り合わなさそうな子」
「そうかな」

「なんで、あんなむさ苦しい髪で、こんなむさ苦しいとこ来てんのって」
「そうかもね」

 瑛梨花のような女子がこの店に来たのが物珍しいのだろう。だが声色は全く普段と変わらず低く単調で、訝しさはさほど見せていなかった。
 夢乃も理乃も、この二人に限らず、ソフトボールや運動をしている女子は誰しもショートヘアだった。
 高校生になって最近始めたばかりなんだよ、とはあえて説明しない。
 それに瑛梨花はやる気を見せているし、練習に意欲的な、素直そうな良い子だ。藍璃は彼女を応援していた。
 だから今は、瑛梨花とは関係ない話を振った。

「最近どう?」
「うんにゃ。勝てない」
「そう」

「神月先輩も白沢先輩もいないもん。ピッチャーがいないとどうしようもないね、野球って。あんなに強かったのに、また元の弱い百合咲に逆戻り」

 近況は何も変わっていない。藍璃は無意識に溜息を付いた。負けるのが慣れっこなのか、理乃は平然と言いのけたものだ。
 実際問題、白沢美咲は中学三年生の頃、名門校受験と生活を理由にソフトボールを止めていた。三年生の左腕エースと二年生の右腕エースの引退後の一年、百合咲中学校ソフトボール部は弱体化の一途を辿った。

「勝てないと、つまんないね」

 声色は変わらなかったが、今日、理乃が発した台詞の中で限りなく本音を現しているもののように思えた。

「理乃ちゃんは理乃ちゃんのペースでやればいいよ」
「それ、さっきカノジョにも言ってた」

 ツッコまれると、そうだったかな、と藍璃は独りごちた。

「うん」
「そっか」

 頷くとそれ以降は二人とも黙って、他の客も訪れたので、藍璃は受付から退いて通路の隅で瑛梨花が帰ってくるのを待った。

 実に十分以上経って瑛梨花が戻って来た。中学時代の赤色のジャージに着替えただけでなく、ストレートの長髪を後ろで一つに束ねていたから遅くなったらしい。そう、弁明していた。
 自分ならもっと短時間でユニフォームに着替えられるし、一々この短髪を束ねたり、セットする必要もない。女子って大変なんだなと藍璃は思った。
 
 
 
 藍璃は瑛梨花に軟式球部屋を紹介した。
 大人、男子用の硬式球コースもあるが、ヘルメット着用義務が必須だったりと素人の瑛梨花には危なく、何よりソフトボールは硬球は使用しないので関係ない。

「そういえば、バット持ってきている?」
「いえ」

 ふと気付いたので訊ねたが、やはり彼女は首を横に振った。「だよね」と呟く。

「僕のを貸してやりたいけど……」

 当然、男子用の金属バットの方が女子の物より重たい。瑛梨花は同性のスポーツ少女と比較したら、圧倒的に線細く非力そうに見えるので、尚更そう感じるだろう。

(できれば、変なクセ付けたくないな)

 素人だからこそ最初の入りが肝心。分不相応なバットで過負荷を感じながら自分に合っていない打撃フォームを身に着けるリスクがある。
 加えて言うなら瑛梨花の舞台はソフトボールなのだから、投げられる球のスピードとその距離も、球筋も野球と同じようで全く違う。

「バント、だけですから」

 すると悩んで言葉が見つからない藍璃を察してか、瑛梨花の方から口火を切った。

 高校入学以来、瑛梨花の方からきちんと話しかけられたのは実は今のが初めてではなかろうか。嬉しくなって首を縦に振った。

「バントだけなら」

 彼女はバットのグリップを握りコントロールするだけなので、振らないのだからそれほど違和感は生じまい。
 藍璃は背に抱えていた黒いバットケースを降ろして中身を取り出そうとすると、

「おーい、藍璃ー」

 先ほどの受付の少女、藤川理乃が二人の部屋の扉前まで駆け足でやって来た。

「なに、理乃ちゃん」
「ちゃん言うな。これ」

 扉を開けて潜ってきた理乃から、銀色の金属バットを手渡された。

「お姉ちゃんが、藍璃の友達来たら使えって言ってた」
「なるほど」
「んじゃ」
「ありがとう」

 藍璃に一瞥することもなく、理乃は用事を済ますと、すぐに受付カウンターに駆け足で戻っていった。

 藍璃は手に取ったバットを垂直に立てて見つめた。
 自分の野球用のバットより細く軽くて、ソフト用の物はやはり彼女には使いやすいだろう。そうは言ってもこのバットの持ち主である藤川夢乃は約170cmの高身長なので、ソフトボールでは長く重い部類のバットを選んでいる。

「赤羽根さん、パネルの使い方教えるよ」
「はい」

 バットを瑛梨花に渡すと続いて、右打席の後方に設置されている操作パネルのいろはを教え込んだ。

 この場所でマシンから投げられる球のスピードや、高低や、変化球を設定できる。コインが一枚二百円で、購入したコインを投入すると一ゲーム、二十の球が前方のマシン投球口から発射される。

 次から店に通って練習する時も、初心者はこの設定方法がいい、おすすめだと言った。

「球種はまっすぐ。高さは変更なし。スピードは……そうだね。120キロが丁度いいかな」
「120ですか」

「ソフトボールと野球ではピッチャーとホームベースの投球距離間が異なるんだ。ソフトの方が野球より5メートルも短いから違和感を覚えるだろうね。だからこれぐらいの速球には慣れておくといい」

 ……120ぐらいで練習するのが普通なのか。
 野球上級者の藍璃が言うのだから間違いないと思ったらしく、瑛梨花は「分かりました」と素直に頷いた。顔色に恐れや戸惑い、動揺は全く見られない。

 しかし、この数字、普通なわけはない。
 120キロの直球は速い。
 それはもうバッティングセンターに挑戦した人間なら、誰にでも分かる。

 高校生男子、硬式野球部ピッチャーが投げるストレートの平均球速が120km/h。プロのスピードをよく知っていると120は普通遅いと感覚が麻痺するが、実際に全くの初心者が打てるだろうか。

(バントだからな)

 今はバントしかしない。バットを水平に構えて、まっすぐ、同じコースに投げられた球にバットを当てるだけだ。
 何回か空振りするだろうけど、そのうち当たるようになるだろう。
 これが普通にバットを振るならば、後述の条件と合わせてとても球に当たる速度じゃなくなってくるが……。

(速球に目を慣らせるんだ)

 彼女が初心者だからこそ、素人で野球無知だからこそ、この試みが可能なんじゃないかと藍璃は思っていた。今の彼女の反応も120キロのストレートは普通と思ってなければ出てこない。

 断じてイジワルではない。先日、あの美咲のストレートにバントを決めたときから彼女の中に可能性を感じ見出していた。

 恐らく美咲はアウトコースのストレートしか投げるつもりがなかった。瑛梨花はそれを知らずともバントを決めた。
 だから、同じ場所に同じ球しか投げないマシン相手ならばこの練習は成功すると。

 コンッ。
 思案しているうちにマシンからボールが放たれた。今の響音はバットにボールがぶつかった時の小さな反発音だ。

 瑛梨花が振り向いた。藍璃は操作方法を教えた後、廊下に出て椅子を置いてすぐ傍で彼女の様子を見守っている。

「あ、当たりました」
「次、くるよ」

 一定間隔でボールは投げられる。よそ見している暇はない。
 慌てたのか、瑛梨花はまごついて二球目、バットを水平に構える動作が間に合わなかった。空振りになった。
 三球目、また当てた。

(切れてる。失敗だ)

 本当にバットに当てるだけのバントだった。
 彼女は左打者だから右手をグリップに、片手をバットの太い部分に添える、所謂水平に置いただけのバント。
 もう少し腰を落とし、バットに角度を付けて開いた方がいい。先日のゲームではできていたが。
 そして瑛梨花は力を入れることを知らないのか、速球の力に押され流されてしまっている。インパクトの方法は全くなっていない。

 当たったボールは前には行かず、三塁線方向なのはいいが、キャッチャー付近に転がっていく。あれでは切れてファウルか捕ゴロだろう。

 ちなみに彼女の三球を実戦で照らし合わせるとファウル、空振り、ファウル、のスリーバント失敗でアウトになる。

「きゃあっ」

 四球目で瑛梨花の可愛い悲鳴が上がり、藍璃も思わず見上げた。

 バットにぶつかったボールが上空にほぼ垂直に飛び上がって、やがて後方のネットにぶつかって落ちた。
 バントにはこれがある。実際の試合ならば恐らくキャッチャーフライになるに違いない。
 ……が、しかし。

(正直、面白いなあ)

 初心者のプレーとは何とも新鮮じゃないか。それも見知らぬ野球と速球を前にして真剣に向き合う瑛梨花の姿勢に感動する。

 藍璃ならマシンの120キロ程度は、二十球全部ホームランにするのは訳ないが、そんなのは今までの野球人生・経験の賜物に過ぎない。何の新鮮味もない。
 むしろ自分が初めてバッティングセンターに、120km/hの速球に挑戦した時はどうだったろう? と振り返ってみる。

 瑛梨花はバントとはいえ、ここまで一部事例を除いて全球、バットに球を当てることに成功している。自分はこんなにぽんぽん成功しただろうか。一発目は掠りさえしなかったのではないか。

「全然いい。その調子で続けて」
「は、はい」

 今の衝撃で怯んで顔を背け上体を逸らした際に、尻餅を付いてしまった瑛梨花──見るや、藍璃は二秒の間に扉を潜り近付いて、瑛梨花の手をさり気なく取って立ち上がらせた。

 この間に五球目や六球目のボールが投げられたしまっているのだが、藍璃は気にしていなかった。内心笑みがこぼれていた。

 今のゲームが終わったら、自分のコインを投入すればいい。

(これは彼女、きっと伸びるぞ)

 あくまでバントだが、何もないよりはあった方が断然いい。彼女にはバントの才能がある。
 何故なら実際のソフトボールの試合で使われるボールは、今のゲームで使用している軟式球よりずっと大きいからだ。
 ……自分が巧いことを知って、真剣に練習すれば、彼女のような素直で真面目な子は必ず上達する。そう信じて。
 
 
 
 しばらくするとマシンが20球投げ終えて、瑛梨花の記念すべき初ゲームはあっさり幕を引いた。
 1ゲーム20球──マシンは本物の試合の人間のように投球間隔を開けないので、実にあっさりと終わってしまう。
 瑛梨花の場合は途中のハプニングで4、5球は無駄にしているので尚更だ。

 結局、彼女はこういったアクシデントを除くと空振りは一球ぐらいで、残りのすべてはバットに当てることに成功している。
 バントとはいえ瑛梨花がソフトボールのバットを使って、最初だけでなく、速球にいとも容易く当て続けたことは驚異的と云えた。藍璃が先ほど、彼女にバントの才能があると見出した点につながるが、より詳しく述べると、『野球のボールはソフトボールの物より小さく、ソフトボールのバットは野球の物より細い』。

 補足すると肝心のバントの内容としての成功率は高くない。ファウルにならなかったのは3、4球。うち一回は、一、二塁間の深く微妙な位置に転がっていき、ひょっとしたらセーフティーバントになっていたのではないかと思わせる当たりだった。

「私、もう一枚コイン買ってきます」
「僕の使えばいいよ」

 行く時に購入した藍璃のコインが一枚未使用である。それを彼女に渡そうとすると、「それは白崎くんのですから」と断られてしまった。

 瑛梨花が扉を開けて出て行き、一人残されると突然寂しさが押し寄せてきて藍璃は舌打ちした。

(たかが200円なのにな)

 遠慮や貸しではないのだから、人の好意は素直に受け取ればいいのに! とも思った。
 しかし手元には一枚しかコインがないので、瑛梨花が使ってしまっては藍璃はゲームができないとも捉えられる。彼女は藍璃も練習すると思って、気を利かせたのかもしれない。

 それならば、今の間に隣の部屋に移って150km/hのマシンと設定で練習してやろうか。

 でも瑛梨花はコイン購入するためだけに席を外したので、数分もせずここに戻ってくるだろう。ゲームをするほどの時間は取れない。

 仕方ないので藍璃は最初の着替えの待ち合いの時間に、広間に隅に置かれた箱から取り出し借りてきた握力計を右手で握り締めていた。筋トレである。

 グリップ式の物で最初から約60kgの力に合わせて作られている。これを完全に握り締められたら握力が60kgあると認定できる。もし余力を残して軽く行えるようなら、その上の重さに挑戦して良いということだ。

(75kgのにしておけば良かった)

 身動きがとれずバッティング練習できない藍璃は待ち時間にこういった練習を欠かさなかった。

 しかし瑛梨花は中々帰ってこない。遅い。ついでに手洗いにでも寄っているのだろうか。

(僕も用足してこようかな)

 ついに退屈になった藍璃は漸く腰を上げた。帰りに握力グリップを一ワンク上の物に取り替えようとも考えていた。

「ん……」

 藍璃たちが使っていた部屋はフロアの奥の方に位置する。

 広間は反対側の中央付近に。入り口と受付はその先の方面にあるが、トイレは男女とも真っ直ぐ通路の一番奥に設置されている。すぐ傍にあるので歩いて一分もしない。

 そのトイレ手前で瑛梨花を発見した。何故か一緒に三人の男たちまでついている。

(なんだろう、あれは……)

 藍璃の全く知らない男性たちだった。瑛梨花の友達のようにも見えない。
 大人には見えないけど、同年代か或いは年上の高校生、大学生に見える。しかし知り合いでもない男に、あまり、いや全く興味が湧かないので特徴を捉えられない。

 向こうもこちらに気が付いたようで目を合わせてきた。瑛梨花も。

「あ、白崎くん……」

 声も聞き取りづらく、なんだか困ったような、助けを求めるような弱弱しい眼差しを投げかけて来た。やはり知り合いには思えない。

(まさか、ナンパだったりするのかな?)

 このバッティングセンターでナンパなんて全く想像できない。過去数年そんな光景には遭遇した経験は一度もないし、バッセンはそんな場所ではあるまい。
 ナンパしたいなら、叱るべき空間ですればいいんだ。と思うが……。

 実際に、なんと言えばいいのか。こんな場面に出くわしたことがないので、判断できない。

 さらには、どうしようと内心不安になる。ケンカにでもなったりしたら。
 向こうは三人居る。自分よりは身長が低く図体も大きくないのでその点は安心するが、三人の男を相手にしたらとても自分でも敵わないだろう。

 せめて二人なら不意打ちで一人殴り飛ばして、タイマンに持ち込んだりできるが。
 素手で三人が相手なら、本気で殺す気で締めないと恐らく勝てない。

(でも、それやると彼女ヒくんだろうなあ……)

 そして嫌われるに決まっている。
 藍璃自身も暴力は嫌いだ。暴力は自分と関係ない場所でやってくれと願っている。こんな常連の店で暴力沙汰起こして、入店し辛くなったらどうしてくれる。

 しかし男の一人と目が合うと、藍璃の中に別の感情が湧き上がって来た。

 瞬間、三人の顔をインプットした。全員身長170cm台。一人は茶髪の男で、短髪の鼻の大きい男と、黒い練習着を着た目の細い男だ。
 こいつらが何故かトイレの前で女をナンパ? している。便所前でナンパする奴なんか100パーセント変態の不良に決まっている。

「おい!」

 藍璃はついに怒鳴った。通路にまで響き渡る、高校に入学して初めてここまでの感情の篭った大声を出した。

 右手の拳を握り締めたとき、偶然内にあった何かがバキバキ音を立てて砕けて、破片の一部が地面に落ちた。

「離れろ。俺の女に手を出すんじゃねえよ」

 紡いだ言葉は前の発言に比べると比較的、声を落とすことが出来た。

 藍璃はゆっくりと男たちに近付いていく。
 男の一人が後ろに下がったが、女子トイレの壁があって背中がぶつかった。男子は女子トイレには入れない。

「ああ」
「そうなの?」

 真ん中の瑛梨花に近い男が、恐らくは彼女に問いかけた。

 藍璃はこの瞬間には三人の射程圏内に入っている。揉め事になるようなら、まず左を蹴り飛ばす、同時に踏み込んで真ん中に渾身の右拳を浴びせる。最後に、少し後方に居る右を始末すればいい。
 いざ相対すると、三人なら全く問題にならないので藍璃は薄笑いを浮かべた。

「あ……はい……」

 一方、瑛梨花が小さく頷いた。男たちは平然と無感情な声音で、

「なんだよ」
「ちぇっ」
「いこうぜ」
「つまんね」

 藍璃の脇を通って、逃げるように去っていた。最後まで気が抜けないので三人から視線を逸らさなかったが、誰も目を合わせようとはしなかった。

(僕の方がつまんないよ……)

 断じてケンカできなかったから残念という意味ではない。綺麗ごとでも何でもなくそんなことは起きない方が良い。起きなくて良かった。

 今の男たちのせいで瑛梨花が部屋に戻ってくるのが遅れて、二人とも練習する時間が数分奪われてしまった。それがつまらないのだ。

 藍璃は携帯電話で時刻をチェックするので腕時計を持っていない。午後十八時数分過ぎだった。自分も、瑛梨花ももうお開きにする時間だろう……。

 それとは別に、携帯電話の待ち受け画面は愛犬マルチーズのウィルと、弟たちの並んでいる画なので凄く和む。藍璃の表情にようやく笑顔が戻った。

「クックック……」

 今のやり取り、大声を聞きつけたのか人がやって来た。受付の理乃ではない。
 わざとらしい、分かりやすい男の低い声音を漏らしながら。

 目線を手元の携帯電話に落としている藍璃には一瞬興味なかったが、聞きなれたその意地悪い声音に顔を上げた。

「瀬谷」
「瀬谷くん」

 間違いなく瀬谷真一朗がどういう訳か、この場にやって来たのだ。
 両手を制服のポケットに突っ込み、右肩に通学鞄をかけ、ゆっくり歩み寄ってくる。

 何故、瀬谷がここに居る?
 藍璃は部活を早く切り上げ店に寄っただけだ。瀬谷は自分が帰る頃にはまだ野球部グラウンドに居た。彼は投手だから、今日からの投手練習に忙しい身分だが……。

「瀬谷は右投げだろ。鞄は左肩に移せ」

 部活の事情など、どうでもいい。投手なら普通尚更、利き腕の逆の肩で荷物は持つ。藍璃が気に掛かり注意したいのはそちらの方であった。
 しかし瀬谷は藍璃の言葉に耳を貸さず、

「聞いたぜ。白崎。お前、今、赤羽根を自分の女って言ったな。そして赤羽根もそれを認めた。まさか入学数日で、お前らがそんな関係に発展してるとは……まあ、いいか。お前らならお似合いだろうよ」

 にやにや意地悪い笑みと口調で、とんでもない台詞をまくし立てた。

 瀬谷の思わぬ言葉に藍璃も、そして隣の瑛梨花も驚いた。一部始終を覗かれていたこともそうだが、それにしては解釈の仕方が飛躍している。

「違う」
「違います」

 二人はほぼ同時に反論した。藍璃は一瞬、瑛梨花を横目で見てまた正面を向きなおす。
 そう勢いよく否定されると少し残念だ。けれど、

「見てたなら分かるだろ。都合だよ。ああ言えば」

 嘘を言ったって何の意味もない。
 自分がああ言って瑛梨花が頷けば不良たちは退く。それが真実だ。不良から彼女を守るための言い訳だと説明しようとしたが、

「明日、学校で言い触らしてやる! あばよ!」

 瀬谷は勝手に解釈して、藍璃の発言を遮って、踵を返し一目散に入り口に向かって走っていった。
 野球の試合で見るような全力疾走だったので取り付く島もない。

 瀬谷は突然現れたかと思えば、勝手なことを言って一瞬で消えた。
 藍璃と瑛梨花は呆気に取られて顔を見合わせてしまった。

「ごめん」
「いえ……」

 何も悪いことをしたわけでもないのだが、とりあえず瑛梨花に謝った。彼女は首を振って、

「白崎くんが来てくれて助かりました」

 頭をちょこんと下げた。そう正面からクラスの美人にお礼を言われると藍璃も恥ずかしくなって目線を外して床を見つめた。その時……。

「あああ!」
「え」

 突然声を張り上げたので、瑛梨花もビクりと震えた。藍璃本人も試合でもないのに一日でこんなに大声を上げたり、驚いたりするのは久々だった。

「どうしよう、これ」

 指差すのは、地面に散乱した藍璃が破壊した握力グリップの残骸だった。見事に真ん中の金具から割れて真っ二つになっている。持ち手の部分もひび割れていた。
 このバッティングセンターの客が誰でも使っていい道具──当然、店の所有物。

「……弁償かな」

「たぶん……一応お店の人に事情を言ってみましょう。無理なら、私が」
「いや、いいよ。どうせ三、四千円ぐらいの出費だから」

 口では強がって見せるが、痛い出費に違いなく内心悲鳴が止まなかった。
 それだけあればここで二十回ゲームが出来る。新しい野球雑誌も買える。藍璃は肩を落とした。

 二人は受付の理乃の前に出頭した。瑛梨花と不良の件のいざこざを話し、その流れの中で壊れてしまっていたと。
 しかし理乃には、落としたり投げたりしてそんな壊れ方はしない、藍璃が壊したんだろ、と見抜かれた。

 藍璃は四千円弁償させられた。店を出るまでの道中、瑛梨花に慰められた。
 代わりに払うと言った。いや、いいと突っぱねた。そうこうして二人は帰宅し……。(色々あったので瑛梨花は例の如く車を呼んだ)



 翌日、藍璃が学校に行くと、やがてクラスや廊下での自分に向けられる眼差しが微妙に変化しているのに気が付いた。

 彼らは何の用事がなくても、藍璃に一瞬視線を向けてくる。
 何かあったのか? すれ違う一人を捕まえて訪ねると、

 白崎と赤羽根が付き合っているらしい。
 そう言われた。……情報源は瀬谷しか思い当たらない。

 あの馬鹿は本当に一日で、しかも二時間目の休み時間の時には、一年フロア間にデマ情報を流し終えていたのだ。

 こうして、藍璃と瑛梨花は高校入学一週間で交際していることになった。白崎編めでたし、おわり。
 



[19812] 4回表: あれも欲しい、これも欲しい、女子ソフトボール部
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/12/09 01:18
 
 とある平日の放課後、翔桜高校一年女子の滝川と泉は、学校の最寄の駅のすぐ付近にあるファーストフード店で駄弁っていた。

 滝川が企てた、女子ソフトボール部創設計画は、ここまで思った以上に順調に進行していた。
 白沢美咲を加えて既に七人の部員が揃っている。ソフトボールをするには最低でも残り二名の部員が必要だ。

「まだまだインパクト欲しい」
「えー」

 集まった部員は、ソフトの能力以上に一癖二癖ある人材ばかりだ。我が校の他の部活と比べても、遥かに有名人(候補)連中が揃った。
 だが滝川の野望と欲望は底がない。残り二名も普通より目立つ、何か特徴のある部員が欲しかった。
 まだ部活動として認められていない、新参の女子ソフトボール部だからこそ、他とは一味違うところを見せ付けて誕生したい。

 だが泉の反応は微妙だった。滝川はインパクトの強いソフトボール部を設立したいようだが、泉の考えは少し違う。もう充分だと考えていた。

「もうさ、美人はいいよ」
「へ?」

 滝川は目を丸くして、正面席でLサイズのフライドポテトをむしゃむしゃ頬張っている泉を見直した。
 泉はドリンクを一旦口元から離し、飲み込んでから口を開いた。

「へ、じゃないよ、たっきー。赤羽根を呼んだのはたっきーでしょ」
「うん。だってあいつ、美人じゃん。胸おっきいし、下手糞でもインパクトあるよ」
「それがいらないんだよ」

 泉はまた目の前のフライドポテトを一本手に取った。
 フライドポテトを余分に多く頼み、先ほどからずっと泉一人で食している。
 泉は滝川より一回り小柄だし、体重もないが、食べるときは食べる女であった。だが食事ペース自体は遅いので、話すことを優先すると手が止まってしまう。

「白沢さんはいいよ。彼女はさ、綺麗なだけじゃなくて実力あるもん」
「なんたって全国」

 仮に赤羽根を除くなら、部員で一番に可愛いのは白沢になる。だが滝川には泉が言わんとすることがまだ分からない。
 白沢は赤羽根と比べるレベルの選手ではない。白沢はソフトボールが一番上手くピッチャーをやれる、何が何でも部に絶対必要な人間だ。

 泉は一旦話を区切りポテトを食べた。そしてごっくん飲み込んで数秒経つとまた喋りだす。

「そう。しかもピッチャー。良いピッチャーいなきゃ勝てないもんね。だからあの人は例外なんだけど」
「他が駄目か?」
「まあ……桑嶋は……」

 一年三組の桑嶋しずく。翔桜中学校上がりの内部進学生。身長は約155cmで、泉より五センチほど高く、滝川よりは五センチほど低い。高校女子一年生としては普通だが、ソフトボール選手としては小柄だ。
 彼女の一年上の兄は野球名門校の帝迅においてエースピッチャーを務めているらしい。その血筋なのか妹もかなりのバッティングの才能を秘めている……。

 中学では陸上をやっていたので、とてつもなく足が速い。小さいのに速いという泉からすれば信じられないタイプの人間だ。
 最後に付け加えるなら、地毛なのかセミショートの茶髪気味。眉毛もきりりとしていて、ロリ顔で顔面偏差値は統計で64と出ている。中々侮れない人間だ。

「あいつは、確か……上手いよね」

 中学校が一緒なので桑嶋が打撃が上手く足も速いのは、泉も確認済みだ。彼女は可愛くてちやほやされているが、無口で反応が薄く人気にも興味なさそうだ。だから許してやる。

「うん。陸上やってたしな。私は速水の足を買ってたけど、それ以上に速いらしいんだ」
「まあ、ならいいや」
「速水」
「あいつも足速いでしょ」
「そう。中長距離走メイン」

 一年三組の速水光《はやみひかる》。泉、桑嶋と同じく内部生。こちらもセミショートで桑嶋よりは少し短かく、髪を分けていない。

 速水は初期からの部活メンバーだが、滝川や白崎たちと同じ一組の生徒ではない。三組の生徒だ。
 入学時に凄いスピードで走って校門に入ってくる彼女を、偶然目にした滝川が即効で女子ソフトボール部にスカウトした。
 幸い、速水は野球が好きだったので快く了承してくれた。ただし部活は陸上との掛け持ちになるかもしれないと言っていたが。

 ちなみに野球が好き、というより大リーグの某有名選手のファン、といった方が正しいようだ。
 速水は一年女子としては中々大きい方で身長165cmほどある。ずっと運動部に所属していたので体付きも良く、足も太い。ムチムチしている。足が速くて当然だと思っている。

 顔面偏差値はおよそ60。実は中々可愛い。この部だと強豪揃いで埋もれるが、他所の運動部ならエースになれる逸材だった。一人称がボクなのはどうかと思うが、まあ許してやるかと泉は考える。

「藍原さんには文句言えんでしょ。先輩よ」
「仕方ないね」

 そして二年生の藍原あやめ。本人曰く身長168cm。メガネ着用だが、ソフトコンタクトレンズも使うそうだ。彼女が七人目の部員として、ソフトボール部に入部を決めてくれた。

 あのバッティングセンターでの勝負の日を滝川たちは振り返る。


                2


「へー、あんたらソフトボール部作るの?」
「はい」

 赤羽根の打席が終わり、一通りの勝負が終わった後、部屋の前までやって来た彼女ら三人娘に声を掛けられたのだ。

 翔桜高校の上級生、女子三人組。うち二人は何と生徒会員。
 新三年生で元生徒会長の朝倉蘭歌と新二年生の藤川夢乃。後者はこの店の人間でもあるし、流石に元生徒会長を無下には出来ない。

「あれは……」
「翔桜女子四天王勢揃いかよ、豪華だな」

 椅子に持たれかかって足組みしている瀬谷真一朗を除いて、全員がきちんと挨拶をした。

 そして三人娘の最後の一人、藍原あやめ。ある種、藤川よりも元会長の朝倉よりも有名人なので滝川たちはよく知っていた。

 何せこれから毎週、特に昼休みには何回も彼女の声を耳にするのだ。放送部二年生、藍原あやめが担当する日は基本神回と呼ばれている。

「あっはっはっは、そりゃいいや」
「笑わないでくださいよー」

 自分たちのイベントへの質問や、ソフトボール部の話を引っ張り出したのは藍原だった。藤川も朝倉も、ここに居る全員が(ただし瀬谷だけは例外)そうでもないが、藍原だけはお喋りだ。
 藍原が笑うので滝川はムっとするのを抑えて、ふざけた口調で言い返した。

 お受験学校の翔桜において、女子ソフトボール部の創設。文句あるか。

 すると、次に藍原の口から飛び出した言葉はそれこそ予想外のものだった。

「違う違う、私らも一年前同じことやろうとしたんだよ」
「え」

 言うと藍原は隣の藤川の肩を掴んだ。

「なあ、夢乃さん」
「煩いなあ」

「女子ソフトボール部。ここにはなかったから入学時に、私らも作ろうとしたのさ。なんせ夢乃さんも私も経験者だぜ? 私は関東大会行ってるんだ」

 この告白には滝川たちも驚かされた。
 藤川夢乃が中学ソフトの経験者でピッチャーを務めていたこと、そして今はもうソフトボールを止めたことは家同士の関係上知っていたが。
 藍原に至ってはかつて関東大会に進出するほどの選手だったのだ。白沢美咲以外にもそんな野球人が翔桜にいただなんて。

 実績で言えば藍原は白沢美咲の次に凄い。いや、夢乃とて二人ほどの大きな実績はないが、剛速球を投げる投手であることは知れている。
 高校三年生は原則部活をしないという学校の規則的に朝倉は関係ないとしても、二年生の経験者二人をソフトボール部に引き入れられれば、それは戦力大アップにつながる。彼女らは白沢以外の一年女子より上手い。

 滝川は勿論二人を誘った。ソフトボールをまたやりませんかと。
 だが夢乃の返事は案の定、厳しいものであった。彼女はポケットに手を突っ込んだまま、顔をしかめた。

「あー、わたしはソフトはもういいよ」
「えー、ゆめのん先輩ならまたやれますよ」

 そうは言ってみるが、滝川も泉も、夢乃がソフトボールをやらないことを把握している。彼女がやるならば当に誘っている。高校入学前々からその気がないのを聞かされていた。

「もう卒業したんだよ」
「夢乃さんは、中学の時の試合がトラウマになってんのさ。神月さんにコテンパンにやられたもんな」

「言うなって」
「コテンパン?」

 女子の一人、恐らく速水が会話に割り込むように口を開いた。質問したつもりがあったのか知らないが、

「サイクルヒット食らった」

 夢乃本人が自白した。
 サイクルヒットとは一試合で一人の打者が、単打、二塁打、三塁打、ホームランの4つの安打を達成した時に記録されるものを言う。ホームランは当然だが、同時に三塁打達成が非常に難しくプロの世界では中々お目にかかれない。

 特に夢乃のような実力者として慣らしたピッチャーが、サイクルヒットを浴びたならそのショックは計り知れないだろう。トラウマになるのも無理はない……と思っていると、

「嘘言うなよ。夢乃さん」

 藍原が突っ込みを入れた。彼女の茶化していた口調が、少し低く冷静になっている。

「なんだよ」
「サイクルヒットで十点取られるか」

 一瞬、彼女らが何を口にしているのか滝川にも泉にも理解出来なかった。
 サイクルヒットで十(打)点上げられたら、それは凄く効率の良い打撃内容だ。だが塁上の走者数と打席数にもよるが計算は合うだろうか?

「サイクルホームランです」

 口火を切ったのは白沢美咲だった。凛然として、しかし静かな声音。

 サイクルホームラン……?
 またしても一瞬、思考停止する。そんなものはプロの試合で見たことがないが。

 言葉にするならこうだろう。一試合でソロホームラン、ツーランホームラン、スリーランホームラン、そして満塁ホームランの4本を打つ。1+2+3+4で合計丁度10点になる。

 ──ソフトボールで、そんなことが可能なのか?

 柄にもなく滝川と泉は真剣に考えてしまった。男子野球よりもずっとホームランが出にくいソフトボールで。中学生でそんな真似をやってのけたなら、そいつこそ神だ。

 名前は神月志乃《こうづきしの》。夢乃と同じく左投左打、チームの絶対的エースで4番。
 成海高校に進学した中学、高校全国大会優勝の投手。高校生にして、ソフトボール女子日本フル代表の投手に選出されたソフトボールの申し子。そして元は白沢美咲の、百合咲中学校時代のソフトボール部チームメイトで先輩に当たる……。

「ああ、それもナチュラル・サイクルな」

 夢乃は呟いた。藍原や白沢に痛い事実を付かれても表情を変えなかった。

「わたしらと同じ高校二年生、東京にあんな化け物がいるんだぜ。恐ろしくて、才能の差を感じて止めたよ」

 その試合は結局、6回0-11で百合咲にコールド負けしたと言う。4本のホームランを神月に浴びた。これで十失点。

「ってか美咲よ。直前にスクイズ決めたのお前だったよな。お前が6回コールドにしたんだよ。血も涙もないやつめ」

 夢乃は愚痴ったが、白沢は何の反論も言葉も返さなかった。藤川の口調はあくまで冗談交じりで本心には思えないが……。


 6回表、一死一、三塁で、一番打者の白沢のスクイズバントが決まった段階でコールドゲームの条件を満たす7点差が付いた。
 ただ、続く二番にもヒットを浴び、三番はフォアボールで歩かせてしまったらしい。
 塁が詰まって2アウトフルベースになった。迎えるは既に今日三本塁打を浴びてる四番の神月。
六回裏の攻撃が残っているが、神月の実力と出来を考えたら無得点に終わり、コールドになる可能性は高い。

 エースの夢乃は勝負した。自慢の左腕のMAX100km/h近い剛速球で。コントロールは定まらずとも、武器になる変化球はなくとも、このスピードだけで今まで闘った相手をねじ伏せてきた。

 そして満塁ホームランを食らった。

 夢乃はこの瞬間に、ソフトボールを卒業したのだ。

 
                3


 滝川は夢乃が試合でコールド惨敗したのを機に、ソフトボールを止めたのを知っていたが、サイクルホームランまで浴びていたのは初耳だった。

 藤川も、藍原も中学時代は立派なソフトボール経験者だ。入学時、藍原に誘われる形で翔桜にソフトボール部を作ろうとしたらしい。

 ただ今年のようには人は集まらなかった。元々翔桜の女子の気質を考えれば無理もないと言える。
 高校の部活は二年で終わるのだ。部員の勧誘から始まり、きちんと発足するかも現戦力も分からない新興の運動系部活より、余計な手続きのいらない、最初から用意されている他の運動部か、大人しく文科系部活に入ったほうが楽しい。

 藤川もあんな過去があって元々乗り気じゃない。人数が集まらないとなるとあっさり身を引いて生徒会に入った。
 その後、多芸な藍原は放送部に入り、今では看板部員、エースとして部を引っ張っている。

 その藍原だが、滝川たちが部活を本当に作るなら、入部してもいいと言ってきた。
 放送部との掛け持ちになる。校則では掛け持ちは好まれていない。藍原も放送部を優先すると言っているので、練習にはそう参加できない。
 ソフトボール部に名を連ねること。ポジションは主に三塁手。一塁や外野もやって出来ないことはない。そして試合に参加してくれると言うことだ。

「まさか藤川先輩まで入ったりするかね?」

 泉は念のために滝川に質問した。藤川は藍原と違って入部希望していない。
 何より彼女は生徒会員。藍原以上に掛け持ちできそうに思えない。

「いや、それは本人の意思によるけど、私は大歓迎だよ。あの人、投手なんだから」

 滝川は藤川と知り合いなので、当然彼女を贔屓する。中学時代はエースで4番打者だ。
 それにサウスポーである。うちには今のところ右腕、白沢美咲以外の投手がいない。
 エースは白沢だが、彼女が一人でずっと投げ続けるのかと言うと、ブランクがあるそうでどうにも怪しくなってくる。
 二番手や控えの投手は絶対に必要だ。原則、投手が何人居ても困ることはない。

「お、いずみん。もしかして嫌か?」
「だってさあ」

 藤川先輩は美人じゃん……と小さく愚痴る。身長が高く172cmだったか、芸能事務所にスカウトされたという噂まで持つ(ただし翔桜は在学中の芸能活動は禁止なので、噂が本当であれ断っていることになる)。

 髪型はナチュラルのショートヘアの茶髪で、足なんかはモデルのように長い。ファッションモデルにスカウトされたのではないか。
 あんなのが同じ部に居たら、普通の女子高生は引き立て役になるに決まってる。顔面偏差値は65だ。

 加えて言うなら赤羽根が70で白沢が67。やはりこの二人が二強だった。
 前述通り白沢はいい。だが最初は人数合わせで入れただけの赤羽根が、今ではうっとおしい存在だと泉は感じてきている。
 あの女は自分より少し身長が大きい。その癖、自分より圧倒的に胸が大きい。
 何故同じ高校一年生、同じぐらいの体格でここまで差が付く? 顔だって断然向こうの方が良い。

 悲しいが、滝川と泉の二人は偏差値50半ばに落ち着くだろう。別に悪いわけでもないが、この部活で見比べられたら下位に位置するのは間違いなく、次第に惨めな気分になってくる。神さまはいつだって残酷だ。

 だから泉はフライドポテトを食べ続けた。泉はよく食べるが、カロリーを沢山取っても太らないのはいいが、全く大きくもならない体質だった。神さまはいつだって残酷だった。

「いずみーん。さっきから食べ過ぎじゃない」
「私は吹き出物出ない体質なんだ」

 それは泉の自慢の種であった。脂っこいものを沢山食べようが綺麗な肌を維持していて、良く周りに褒められる。速水や藍原は若干残っていた。

 ちなみに藍原の顔面偏差値は57、8程であろうか。メガネを掛けているせいなのもあるが、少なくとも上《じょう》が付く美人のレベルではない。自分たちに近くこれは良い。
 スリーサイズは90・67・88とか何故か言っていたが(きっとその場に居た男子を挑発したのだ)やはり高身長もあって、その辺は目の上のたんこぶであった。

「横浜ファンらしいじゃないか」
 滝川がポテトを一つ奪った。

「横浜か」
 掴もうとしていた、ポテトを奪われた泉は不意に目を吊り上げた。

「ごめんごめん」と謝りつつ、滝川が口にポテトを運ぶ。
「許せる」

 弱い球団のファンは原則的に許せる。泉は藍原を歓迎する気持ちになった。
 実際、白沢の次に戦力になるのは彼女ではないか。ただしあんまり練習できないそうなので守備連携は劣化するだろうが。

 しかし……再三述べてきた言葉をまとめて、これ以上部に、チームに美人はいらないと泉は考えていた。
 なんだって今年の翔桜にはこんなに美人が多いのか。たまたま多く集まった年なのか。
 これじゃあ異常だ。ソフトボールやるくせにアイドル集団を作っていくような錯覚を感じる。

 顔面と容姿が普通で運動が出来る、ただ純粋にソフトボールが上手い奴を求む。
 
 
 
 一方、小難しいことを考えている泉と違って、滝川が求めるのは兎に角、インパクトを持つ人間だった。
 泉の言いたいことは流石にもう分かる。
 美人? それもいいじゃないか。人間いつかは年を取るんだし……。
 と深い訳もなく達観している。いや、自分が作る女子ソフトボール部が最強に近付くなら何でもいいのが本心だった。そして、

 かつて全国大会にも出場した美人の万能投手、白沢美咲。

 巷のグラビアアイドルを凌駕する美人で巨乳の、赤羽根瑛梨花。

 短距離走のエース、ロリ風味で可愛いが無口の、桑嶋しずく。

 中長距離走のホープ、足がムチムチで実はボクっ娘らしい、速水光。

 上級生で関東大会にも出場した実力者。ナイスバティの看板放送部員、藍原あやめ。

 自分と泉を足して七人まで集まった。残るは最低二人。
 ここに藤川夢乃も入って欲しい。その時のキャッチコピーは、

 ソフトボール部の救世主。豪腕サウスポーの無敵の美人生徒会役員、藤川夢乃。
 である。

 それでもまだ部員が足りないし、インパクトや特殊な肩書きがある人間なら幾らでももっともっと欲しい。

「美人で巨乳だけどさ。来年、雪村は入れたいね。これは絶対」
「雪村か……」

 入学時から滝川が目を付けているのは現在翔桜中等部に在校している、三年生の雪村綾依という少女だった。
 いや少女と呼べるか……。分類的には少女に違いないが。
 中学三年生にして身長が180cm近い大女だ。身近な例で言えば白崎藍璃に匹敵する、いや来年高校一年生になった時の彼女は180を突破しているだろう。

 先輩の泉が言うには、これがその身長に反して動きが中々素早く、ジャンプ力などは一流だそうだ。当然巨体から来る怪力を備える。
 とここまで見て、どうみてもバレーボールの人材ではないかと気付く。グズグズしていたら他所に持って行かれるのではないか。

 髪型はエアリーボブ気味で目鼻と輪郭が整っていて、顔面偏差値は脅威の69。
 だがでか過ぎる。180とは当然、素足で立って身長180cmという意味だ。
 女がそれだと、それだけで偏差値が10は下がりそうである。
 男子中等部のほぼ全員よりも大きい。駅内を歩いていてもぱっと見て一際目立つ、電車に乗っていても一人だけ浮いている女だ。
 
 
 
「別にいいよ、そいつは」

 前々から見知っていることも大きいが、泉は雪村には何のわだかまりも抱かなかった。泉が何よりも欲しい、上背もあれば胸も大きくさらには美人でも、全く嫉妬しない。
 それは最早自分たちとは違う、それで……同じ綺麗な人間なら赤羽根瑛梨花の方がやはり遥かに恨めしい存在なのだ。

「そりゃあ、可愛いけど、胸もあるけど、女で180まで行くとそれは最早奇形だよ」
「こら、いずみん。そういうこと言わないの」

 泉は滝川に叱られると──とは言っても軽い口調なので本当に怒っている声音ではないが──ぺろりとベロを出して意地悪くにやにや笑った。

「だって本当のことじゃん」
「そういうこと言わないの」
 
 
 
 二人が一時間以上、店で時間を潰していて、「さあポテトも空にしたし、そろそろ店を出るか」と席を立ったときだ。
 二人の体が金縛りのように止まった。いや二人だけでなく、その存在を察知した周りの大半の客が同じく手が止まって彼女に視線を奪われていた。

 日本人はどうにも外国人の登場に弱い。店の二階、同じ日本人しか居ない空間でくつろいでいる最中に、彼らが現れたら無意識に緊張が走る。
 それもブロンドの腰にまで届きそうな長髪の美少女だったらどうだろう? 
 金髪碧眼の少女を前にして例の如く、男性客の目は釘付けだ。映画かテレビか日本以外の世界でしか存在しない高校生に思えるが、今現実に目の前に居る。
 身長は滝川より大きく、速水と同程度か。
 だが外国人女性というのは(日本人ではないのだから当然かつ変な表現だが)日本人離れしていて、少し背が高くても許せるように錯覚するし、実際に手足も長くスタイルが良く見える。

(赤羽根には負けるよ)

 眼前の美少女を見て最初、泉はそう評価した。だが赤羽根は多くの日本人のごとくチビだ。
 胸のサイズは勝っていそうだが、手足の長さやくびれや総合的に劣るのではないかな。
 しかし同時に、泉はこの美少女には羨望や嫉妬を覚えなかった。何故だ?

「グロリアーナだ」
 金縛りから逸早く解けた滝川が座りなおして口を開いた。

「なにそれ」
「知らないのか、いずみん。うちの留学生だよ」
「へえ」

 留学生制度は知っているが、流石、天下の翔桜学園と再確認する。翔桜の名前と学力なら、あの白人留学生との交流も容易に納得できる。
 泉は頷いた。そのグロリアーナは肩に通学鞄をかけ、両手に食事トレーを持っているので、やや体付近が見えにくいが丸襟の白ブラウスに紺のブレザー、うちの高校の制服を着ているのには間違いない。彼女みたいな外国人は、確か校内に居ただろう。

 一方、滝川は早々にもう一度起立して、その右手を握り締めていた。
 彼女の瞳には、校内の有名人をスカウトする時のやる気全開の炎が宿っている。

「ようし、決めた。あいつ引っ張ってくるぞ」

 案の定、直ぐに決断したらしい。速水もそうだが、出会って一分以内にスカウトしている。白沢の存在を知ったときも赤羽根も見つけたときもそうだし、男子の白崎にだって臆せず頼みごとする。

 着席した泉は、袋の中からポテトを漁ろうとしたが、残念ながら袋に落ちたポテトの切れはしは一つもなかった。

「マジで?」
「マジよ」
「まーた美人じゃん」

「アメリカ人なら野球上手くて当然だろ?」
「男ならまだしもさー」

「『外国人』だよ? 野球、ソフトボールチーム作っててさ。チーム唯一の外国人強打者、惹かれない? 助っ人バッターが居ないプロチームなんてあるか。欲しいよな、外国人」

「も、いいよ。たっきーの好きにしなさい」
「まかせて」

 滝川は三つ向こう先のテーブルに着席した、グロリアーナに歩み寄っていった。
 歩き方がぎくしゃく、足が棒のように真っ直ぐで流石に滝川すらも緊張しているのではないかと泉に思わせた。
 同時にスカウトが成功しようと失敗しようと、この用件が済んだらポテトのMサイズでも追加注文してくるかと考えている。対談内容と結果にはあまり興味はない。

 滝川が目の前に立って、降り注いだ影に気がつくとグロリアーナも彼女を見上げた。
 留学生とはいえ、外国人に日本語が通用するだろうか? 滝川は恐らくそれで緊張している。現地の人間のようにペラペラなんて当然無理だが、英語が得意な泉なら英語で話せる。ハイと挨拶をして、

「服見れば分かるでしょうけど同じ学校の、翔桜高校の滝川です。一緒にソフトボールをやりませんか?」

「ソフトボールなんて、低俗な……」

 帰って来たのは普通の日本語だった。しかしグロリアーナの言葉ではない。
 グロリアーナの向かい席、彼女と一緒にやって来た、もう一人の翔桜女子高校生。彼女の友人か、時期的には日本と東京、学校紹介を兼ねた連れ添いか──黒髪ロングの日本人だ。

(ああ……こいつか)

 滝川は知らないだろうが、実家が裕福でお嬢様の扱いを受けている泉は、家のつながりもあって、この日本人を昔からよく見知っている。

 学校で、泉と対を成すほど金持ちの進藤いさなだ。いさなは勇魚と書くのだったか。
 今は座っているためよく見えないが、彼女もまた背が大きい。160後半から170cm近くある。

 同じ金持ちの娘でも泉とは性格が合わない。今発言した通り、この女はソフトボールを低俗だなんて言う類の人間だ。
 そう言うくせにファーストフード店なんかに行くのは許されるのか? それはあの外国人のお願いか?
 ともかくソフトボールじゃなくて野球でもサッカーでも他の職業何でも、そういった肉体労働全般を下々の人間がする仕事だと……今時、まるでステレオタイプの金持ちのような考え方をする。

 が、中学生時代に話した内容によると、どうにもラグビーは認めているらしい。ラグビーは西洋では中・上流階級が嗜んできたスポーツで、サッカーは労働者階級のスポーツだからじゃないか?
 泉はソフトボールの経験者だけあって、この手の輩とは違う。

(つまんねえ、女だよな。それじゃ、んな女に付き合ってる女もつまんねーんじゃないかな)

 泉は遠くから、三人の動向をじっと見遣っていた。泉とは目的が違うが、興味がてらに見守っている客なら他にも居る。その時、

「いいデスけど」

 金髪の外国人の方が、初めて口を開いた。
 聞いて泉は正直ビビった。外国人らしく訛っているが、普通に聞き取れる日本語に驚いたのではない。

 想像以上に高く可愛い声をしていた。声が可愛いとは。だが巷で可愛いと言われる女は、容姿だけでなく声も全般的に可愛くないだろうか? 恐らく、可愛い女は基本社交的になり、よく喋るから洗練されるのではないかと泉は思っている。

 グロリアーナは赤羽根に劣らぬほど美少女だが、目付きがやや鋭い。青い瞳は本当に氷のようである。
 他人を見下してはいる、とまでは言わないが時に威圧感を与えそうな眼光だった。赤羽根に偏差値が2ほど負けているのはこのためだ。そして、それだけにこの高い声はギャップを感じた。

「いいの?」

 滝川の声表情が素直に喜びの色に変わったので、泉は良しとした。当人同士で好きにやればいいんだ。席を立って、一階の受付に向かおうとすると、

「ヨロシイでしょうカ? ワタクシ、イングリッシュデス」
「は?」

「野球モソフトボールモ、イギリスノ力、一つノキッカケデ、オリンピックから除外されたト聞きマスが」

 何だか雲行きが怪しくなってきたなあと感じて踏み止まる。

 そうだよ。
 女子ソフトボールはオリンピック種目から除外された。

 最後には日本が金メダルを取ったので、それは嬉しく誇りあることだが、五輪の世界からは消えてしまったよな。
 一緒に男子の野球も消えた。残念だが、それは別に良いと泉は思っている。
 何故なら男子には高校や大学の先に商業プロ野球や、大手国際大会のWBCという舞台が用意されているからだ。

 今のご時勢、不景気と言っても男子プロ野球の世界だけは別問題だ。ドラフトでプロに行く選手は最初に何千万という契約金を貰えるし、トップ選手は何億と稼ぐ。

 だから男の子供たちは夢を抱く。金がなくても見れる夢もあるが、金があるからこそ万人が買える夢もある。

 色々言ったって他人の数倍、十倍の生涯賃金を稼ぐプロ野球選手──成れるなら成りたい、成っても良いだろう?

(しっかし、女子の世界はそうでもない)

 泉は幸い、金持ちの家に生まれた。だから貧乏人の考えは言葉以上に理解出来ないし、理解したくもない。真に理解するときはきっと自分がヤバイときだからだ。

 金は要らない。欲しいのは夢だ。
 オリンピック──女子スポーツ選手の夢はそこに集約されているのではないか? 大きな夢が一つ奪われてしまった。

 ──目の前のイギリス人のせいでか?

「それはオッケー。あなたとは何の関係もない」

 滝川は親指を突き立てて爽やかに笑った。
 元々今回の些細な件など論外だろうが、それのみならず、滝川は自分の目的のためなら、何処までも柔軟な考え方や態度が取れる奴だった。世渡りが上手い。

(だから、たっきーは好きさ。面白いし)

 泉は心底そう思う。もっとも今の自分に本当に必要なのは、寂しくなった右手と腹を埋めてくれるフライドポテトだった。早くこのやり取り終われよ、とイライラしている。

「そうデスか」
「一緒にソフトやりましょう!」

「ワカリマシタ。あ、グロリアーナ、デス」
「私は滝川。よろしく!」

 立っている滝川と着席しているグロリアーナは握手を交わした。
 自分の誤解だったのか、進藤があんな奴だからその知人の外国人もと決め付けていたが、ソフトボールに偏見のなさそうな素直な少女ではないか。

「あ、ワタクシ、アンスキルド……ヘタデスヨ」

 続いて、グロリアーナは言った。
 滝川はすぐに返事を出せず、一瞬、場が固まってしまった。

 それはそうだ。ベースボールとソフトボールの発祥の地、本場のアメリカ人と期待していたけど、確かに金髪だけど、グロリアーナはイギリス(イングランド)人だった。
 イギリスとアメリカは遠い親戚のようなものだが、英国人は野球なんてやらない。
 英国人が嗜むのはクリケットだったか。数字だけ見ると世界球技人口第二位。野球とルール・外見は似ているらしいが、日本人はやらない。逆もしかりだ。
 でも競技が似ているなら選手や国民たちに適正はありそうだ。大半のヨーロッパ人は野球をしないが、英国人になら理解できるのではないか。

 お前ら野球(クリケット)やれよ、楽しいから……とはならない。

 だってそうだろう。自分の国に、伝統かつ人気のある競技・球技があるのに、それを捨てて、なんで今からよそ様の似たようなスポーツやらなければならないんだ?

 ……話はやや脱線したがグロリアーナは英国人なので、野球、ソフトボールの経験はほぼなしの素人と見ていい。恐らくは赤羽根並みにヘタだ。

「ヘタでもオッケー!」

 滝川は一瞬の苦笑いを捨て去り、ビッビッ、と突き立てた親指を強調した。

 そう、彼女はインパクト重視だから、競技の上手さはさほど問題ない。
 外国人で、誰もが目を見張る金髪碧眼の美少女というだけで、もう何ものにも変えがたい力を持っている。

 この点は泉とは意見が異なるが、まあ仕方ない。いつかチームの人数が増えれば、同じポジションにありそうな赤羽根が繰り下がるのではないかとまで邪推する。

「これで八人。あと一人探さないと……」

 滝川は背筋をぴんと伸ばして、少し前に広げた両手の拳を握り、意気揚々としていた。
 藤川夢乃が入部すれば九人で、ソフトボール部創部だ。だが彼女まで入部してくれる可能性は低い。他を当たるのが無難か……想いは巡る。

「ちょっ、とっ。ここにも一人いるでしょ?」

 そう言ったのは、会話から取り残されていた向かい席の進藤いさなだった。

(へ、こいつ入れて欲しいの? 入るの?)

 泉は目を丸くしてまじまじと、今日一番の驚きで一同を見つめていた。
 だって、こいつつい数分前までソフトボールを馬鹿にしていたやつじゃないか。舌の根も乾かぬうちに、仲間に入れてくださいっていうのか。虫が良すぎる。

(ああ、でも、こいつ上手いぞ。少なくともあの外国人より……)

 昔から空手だか剣道だか何だかの習い事をしていたようで、運動神経は良い。
 ソフトボールという視点を取り除けば身体能力は、桑嶋か、或いは一年女子の中でトップクラスに踊り出るかもしれない。

(まあ、上手いほうがいいけどさ……)

 上手くても嫌いな奴は嫌いだ。

 外面よりも内面がきちんとしている人こそがチームに必要だという、自分の発言を捻じ曲げるわけではないが、泉はこうも思っている。
 



[19812] 4回裏: あれもやる、これもやる、女子ソフトボール部
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/12/04 23:05
 
「進藤を入れるなんてね」
「嫌か?」

 リムジンの後部座席で、泉と滝川の二人がいつもの高い声音で駄弁っていた。

 ファーストフード店を後にし、金髪外国人と世間知らずのお嬢様と別れた二人はその後、携帯電話で家のリムジンを呼び出し、本日も藤川バッティングセンターに向かった。

「いや、あいつソフト馬鹿にしたじゃん。たっきーはそういう奴は嫌いだと思ってた」

 滝川は結局グロリアーナだけでなく、進藤いさなもチームに引き入れた。
 別に予想に反した出来事ではないし滝川は頭の柔軟な人間だと知っているが、本気でソフトボール(と野球)が好きなのでそれをコケにするやつには容赦がない。進藤の入部を拒否しても何らおかしくなかった。

「甘いね。いずみん。確かにそうだけど、あいつはチームに入りたいと言った」
「別に言ってはいないけどね」

 泉のツッコミを気にする素振りもなく、滝川はチッチッチと人差し指を振ってみせる。

「でだ。だから許した。更生を期待する」
「ふうん」

 目線は動かさず、泉はルービックキューブで遊んでいた。別段得意ではない。むしろ不得意だ。だから今日こそ、移動中に攻略したい。
 滝川はゴホンとわざとらしく咳込みした。泉の注目を引きつけるように。

「実際はね。金づるだよ、いずみん。進藤はコネさ」
「えー」

 泉はキューブを後方に投げ捨てた。今日も諦めた。
 足組みを解いたと思うと、逆足に組みなおして両腕で抱え込んだ。

「金持ち、お嬢ポジは私がいるじゃん。私は信頼できるコネだ」
「そりゃそうだよ、いずみん。進藤は所詮保険ポジだから」

「ふむ」
「私だって馬鹿じゃないから色々調べる。そういや私たちは部活を作ろうとしてるけど、いきなりは難しい場合もあるんだってな、部活動」
「そ、だね。最初は同好会で実績作って昇格するとか、そういうの」

 滝川と泉は、入学初日からソフトボール『部』と言って回ったが、同好会・愛好会から始める場合が多々ある。また公には顧問や部室、練習グラウンドがなくては部活動としては成り立たないだろう。
 二人が力を尽くせば、これらはすぐに手に入る。だが在校生徒数と高校生活、日程時間には限りがある。滝川が急いでいることを泉は熟知していた。

「部員が一刻も早く必要なんだ。夏の予選に間に合うように。支部予選だ。いつか知ってるかい?」
「知ってるよ、確か5月初旬。都大会が6月」

「そう……私はね。いきなり出たいんだよ、大会に。そのためには連盟に早々に部活動として登録申請しなきゃならない。余計な時間はかけられないぞ」

 五月の支部予選(地区予選)で勝つことで、六月の都予選に進出でき、そこで勝ち抜けば都代表校──夏の全国大会に進出できる。これが一連の流れで、翔桜女子ソフトボール部の最大目標だ。

 しかし、滝川とて創部一年目、それも二ヶ月でインターハイに行けるほど甘い世界ではないと覚悟している。
 ましてや都予選で一勝でもできるのか……。
 予め支部大会を免除されて、都予選に参加する高校が多いのでここからは一気にレベルが上がる。
 せめて藤川夢乃が入れば可能性が見えてくるのだが……現状ではとても厳しい。美咲のパーフェクトピッチングに賭けるしかない。

 とにかく地区予選に出なければ参加資格すら手に入らない。地区予選に出るのが滝川の当初の目的だ。
 滝川は泉が飽きて投げ捨てたルービックキューブを取って、ガチャガチャと組み立て始めた。

「いずみんの力と、進藤家のコネで、物利かせるのさ。あの外国人、グロリアーナも居るしな。そして滝川の娘の行動力。赤羽根もまあまあ役に立つだろ」

「最後のはいらないよ。私、とあと進藤が本気出せばうちで一番だって」

「もう顧問は決めてるんだ。フリーの美羅先生だ。あの先生は引き受けを絶対断らない。あの先生自体が、女子ソフトに強力な実績を持つわけで、まあ一番の決定理由は資格を持ってるからなんだけど、これ以上うってつけの人はいないよ」

 一分もすると滝川は六面体キューブを完成し終えた。
 実際は泉が半分以上組んでいたのだが、泉が諦めたキューブを完成させたのも事実だった。

「たっきー完璧じゃん」

 泉は口笛を吹きたかったが、昔から練習しているのだがちっとも出来なかった。
 滝川はキューブを腰の横に置いて、口笛を軽快に鳴らした。

「でしょ? でしょでしょ。私、頭良くてよかったー」
「私たちの金があってこそだけどねー、たっきー」
「分かってるよ、いずみん。愛してるよ、いずみん」
「ふっふっふ……」

 さながら、強力なパトロンを付けることで才能ある芸術家が力を発揮するかの如く……。
 二人の声は中々煩く、怪しい笑い声が車内にこだまするのであった。
 
 
「これは半分ネタなんだけど」
 不意に、滝川は笑うのを止めて泉を一度見遣った。

「ん?」
 泉は通学鞄から例のファーストフード店の、紙袋を取り出した。しかしすぐに閉まった。

 リムジンが到着するまでの間、口にしていた持ち帰りのMサイズポテト。泉はリムジンの中ではポテトを口にしない。食べカスが飛ぶ恐れがあるからである。
 泉は、他人の家《みせ》を汚すのは一向に構わないが、自分の家《リムジン》は汚さないよう心がける女だった。

 滝川が泉の鞄からポテトを一本頂こうと手を伸ばしたが、泉はそれを跳ね除けた。滝川は席に深く腰を掛けなおして言葉を紡いだ。

「藍原先輩の話を聞いて思い付いたんだ。先輩たち一年前、部活作ろうとしたんでしょ?」
「うん。らしいね。ぽしゃったけど。ってか同好会」

「それだよ。実は、ソフトボール部同好会は既に『一年前から』形だけは存在していた! ゆめのん先輩家はバッセンだしな。既成事実だね」
「え、でも藍原さん放送部じゃね?」

 滝川は得意げにニヤリと微笑んだ。「こっちはネタ抜きに使える。藍原さん自身が言うかも」と前置きして、

「だから、それこそ、今後の藍原先輩の部活掛け持ちの伏線になると思わないかい? 他の部活なら問題だが、ソフトには因縁あるよな。それに生徒会の藤川さんとのつながりもある。前会長の朝倉さんも。生徒会とインターハイベスト4顧問のお墨付きか。生徒会に承認されたぞ。さあ、された!」

 一気にまくし立てたかと思うと、完成しているキューブをまた崩し始めた。

「たっきーって、マジ天才じゃね?」
 泉は満更冗談でもなく言った。感心したのは事実だし、滝川にはあまり嘘は付かない。

「はっはっは、私、入学時テスト学年20位だよ。240人中20位なら東大合格判定余裕のAクラスだ」
「うわ、こいつマジ、天才か……」

 泉は今度は小さく呟いた。
 崩したかと思えば、また立体型パズルの組み立てを再開する滝川から、不意にキューブをひったくる。泉は彼女のように煩く音は立てずに遊ぶ。

 手元が寂しくなった滝川はバシバシ自身の太ももを叩きながら、身を乗り出さんばかりに口を切った。

「さあさあ、後はどっか適当な高校と練習試合組むだけさ。翔桜の名前がここで役に立つかも。当てはあるよね?」
「あるね。たっきー、うちらの力舐めんな」

「今週末に早速試合する。これも既成事実だ。で、連盟登録だ」
「部員、顧問、部室予定地はオッケーだけど」
「グラウンド」

 二人は最後の問題にぶち当たる。第一グラウンドはサッカー部やテニス部のものだし、陸上部もいたか。第二グラウンドは硬式野球部も使用している。体育館はバレーボール部などのテリトリーだろう。
 でもソフトボールをやるなら普通は屋外の練習場に限る。屋外が良い。

「男子グラウンドもらおっか」

 十数秒後、滝川は平然と言いのけた。
 勿論、硬式野球部のことを指している。彼らが第二グラウンドを立ち退いてくれたら話はスムーズに動く。だが……。
 泉は再びキューブをそのまま後方に投げ捨てた。

「たっきーマジ? なんかそれって流石にやばくね?」

「だって、男子野球には狭いじゃん。あそこ。この前もホームラン出たらしいけど、狭いからホームランじゃないとか。
 白崎くんと瀬谷が入ってさ。マジ強くなるっぽいぞ、うちの野球部。でも選手は良いのに、肝心の設備が悪いってのはどうなんだろうね。宝の持ち腐れだよ。選手が最高なら設備もそれなりのものやらなきゃな。男子には別の野球広場使って貰った方がいいよ」

「あー」
 中途ああ、ああ、と相槌を打ち続ける泉。

 自分たちが第二グラウンドを使用するために、野球部には身を引いて貰う。
 代わりに野球部には豪勢な新球場を渡す。実際問題、今使用している第二グラウンドは硬式野球部にはやや狭い。
 だが、女子ソフトボールになら充分だ。交換成立すれば双方に得な話である。泉も話が読めた。

「それで、進藤か」
「そう! 進藤家なら上手く話つけてくれるでしょ」

「あーいいね。別にうちでも構わないんだけど、余計なお金は進藤持ちでいいわ」
「同好会と部活の最大の違いはそこだよ。予算がいかに分配されるか」
「そんなのは別にいいんだけどね」

 これで最後の問題も解決した。もし話が拗れたら拗れたで、女子ソフトボール部が学校外の新球場を借りて、男子野球部がこれからも狭いグラウンドを使えばいいだけだ。
 果たして物事はそう動くであろうか。つまり、可愛い女子生徒団体を遠出させてくれるかな。

「完璧だわ、たっきー」
「まあね。我ながら恐ろしいよ、この手腕が」

 だが、それとは別にまだ最大の問題が残っている。
 ここまでは、二人の創部の手際の良さと、金とコネで何もかもがまかり通って来たかもしれない。だが本当の闘いはここからだ。

 泉も、滝川も勿論覚悟しているし、自分たち以外だって当然気付いているだろう。

「問題はさあ、勝てんの? たった一ヶ月で」

 一歩グラウンドに足を運び入れてしまったら、後はもう白球とバットの真剣勝負。
 闘いに至るまでは金とコネで様々な準備やサポートを尽くせるが、真に強い者はそれを打ち返す。

 この場所では偏差値も容姿も関係ない。今の翔桜女子なら上記なら敵なしに思える。
 だが滝川たちが勝ちたいのはソフトボールというスポーツ、ルール、舞台上でだ。これ以外の勝利には何の意味もない。
 二人は傲慢だが、外道では、恐らく、たぶんない。

「勝てるよ、たぶん」
「そうかなあ。外野陣はマジ、カスっしょ」

 ……自分たちの実力を棚において、チームメイトをカス呼ばわりできる傲慢さは持っているが。
 二人が最終的に信頼しているのは白沢美咲に他ならない。あとは藍原ぐらいだ。

 創部数ヶ月の女子ソフトボール部に何ができるのか?
 だが滝川の瞳には自信がみなぎり、これから待ち受けるソフトボールの闘いへの期待感で胸を躍らせていた。

「ソフトボールは8、9割投手って言葉があるくらいだ」
「まあね」

「天才・白沢なら勝てる! 勝てるぞ!」

 拍子に滝川が思わず、立ち上がりそうになったので泉が慌てて押し留めた。

 そしてリムジンの天才運転手──余計な振動を作らず、かつ30分で目的地に行けと言われたら28分弱で到着させるよう努める28歳佐藤──も今まで仕事と、運転席と後部座席に仕切りを持つリムジンの性質上、堅く口を閉ざしていたが、影ながらお嬢様たちの健闘を祈っていた。


                2


「分かりました。女子ソフトボール部の活動を正式に認めます」

「顧問の話もまあ、引き受けます」
「ありがとうございます、教頭先生、美羅先生」

 翌日、水曜。
 滝川と泉の二人は昼休みになると、女子ソフトボール創部申請手続きに職員室に乗り込んだ。

 滝川たちの計画と手順は前述通り。そして、一年二組担任の中水流美羅《なかづるみら》に部の顧問を頼む。この女性教師は今年初めてクラスを任された就任二年目の新米で、まだ他の部活の顧問を務めていない。

「ただし、一つ条件があるわ」
「え、なんですか」

 予定も早々、申請を済ませて職員室を後にしようとした二人に美羅から声が掛かる。

「あと一人、部員を連れてきなさい」

 呼び止められた内容に二人の足が完全に止まって顔を見合わせた。
 二人はこの後、部活動スケジュール表の空欄を埋めるつもりだった。昨日、滝川がエクセルで作成しプリントしてきた。

(何言ってんだ)
 泉は振り返って、正面から今度はまじまじと美羅を見つめた。

 中水流美羅《なかづるみら》。担当は数学。23歳。身長は160cm以上、白沢美咲程度か。ウェーブ気味のワンカールに、ややダーク色の銅色《あかがね》の小さな眼鏡を掛けた小顔の女教師だ。二組だから白沢や瀬谷の担任に当たる。

 若い女性教師と来れば当然のように、学内で男子生徒を中心に人気がある。中水流《なかづる》という珍しい苗字が初見では読みにくく、皆にもミラ先生ミラ先生と呼ばれて親しまれているから、大半が彼女を下の名前で覚える。
 もっとも泉にとってはババアは眼中にないが。

 ……この女性教員が、高校時代にソフトボール部で、投手としてインターハイに出場、それもベスト4の経験があるらしい。
 よって滝川は凄く評価し信頼している。にしてはいざ相対して見ると、肩幅も広くないし、そこまで大きくもない。藍原や藤川の方が同性としては余程、強そうに見え迫力がある。もう数年前の思い出なので今は痩せてしまったのか。

「え? 九人……いるじゃないですか。紙、見ましたよね」

 滝川も同じく訳が分からないと首を傾げて、不思議そうに聞き返した。

「そうじゃないわ。この留学生」

 美羅は出口まで歩いてくると創部申請書を前に出して、部員欄の九行目に記述された金髪外国人の名を指差した。

「Gloriana(グロリアーナ)。二年進学留学生、彼女」
「あー、そいつもちゃんとやりますって。疑わないでください」

 滝川は半分予想通りとばかりに返答した。教頭の元を去り、職員室の入り口付近に来たためか、いつもの口調に戻りかけている。
 それはそうと、この申請書は前々から滝川が持ち歩いている。グロリアーナを含めて、疑われないようにサインは本人直筆。

 ──何も問題ない。二人はそう勘違いしていた。

「違います。大会の開催要項に記載されているわ。『転校後6ヶ月未満の者の参加は認めない……外国人留学生もこれに準ずる』。つまり、今年の春に留学して来た彼女は参加できません」

 美羅に指摘されて、二人は沈黙した。盲点だった。

 一からスタートした女子ソフトボール部。上級生もいるが、部員の大半のメンバーは一年生。今のところ二年生は藍原とグロリアーナだけだ。
 男子野球部、高野連の規則では転校後一年間公式戦出場禁止ではないか。それに比べたらまだ規則が緩いとも言えるが……転校生とは留学生も含む。

 転校生がチームに入るなら二人も注意したであろう。なまじ無縁と思えた外国人留学生が加入したからこそ、参加要項を見落とす形となった。

「で、でも部活には出れますよ」

 十数秒経って漸く滝川が反論した。泉も隣で頷いた。
 九人集まったのには違いないのだから、部活動としては成立する。

「でも公式戦には出られないのよ。だから、部としてはもう認めるけど、あと一人連れてきなさいってこと。早くしないと申し込み締め切り間に合わないわよ」

「……マジか」
「しくじったね」

 美羅の言い分はとかく滝川にはもっともであった。

 グロリアーナが半年間、公式戦に出場できないと言うのなら、逆に秋の新人大会には出られるという意味を持つ。
 泉としてはこの半年間はみっちり練習して、秋から部活本格始動でも良いと思っていた。その方が少しは見れる試合になって恥をかかないはずだ。
 だが滝川の考えが異なるのは前にも述べたとおり。

 ひょっとしたら普通の高校のように、三年間部活に取り組めるなら滝川はこんなに急がないのかもしれない。
 翔桜高校生には、恐らく二年間しか時間がない。三年生になっても各々が続ける選択自体は取れるが、学校の伝統と本人の進路問題で、大半の仲間が部活を止める。
 だから半年間、急がなければならない。夏の大会を捨てられないのだ。

「今日、明日には、あと一人見つけてきます」と滝川は言った。

「そう。もう一つ。大会には引率の職員、監督それぞれ一人必要。私が監督をやるとして、引率は一人当たっておきます」
「分かりました、お願いします」

 失礼しますと言い添えて、職員室の扉を閉める。

 いつも元気な滝川が珍しく溜息を付いた。これで部活創立だとぬか喜びしていたからそのショックが大きめなのだろう。半分折りにして右手に持った、部活スケジュール表がくしゃくしゃになっていた。またプリントしなければならない。

「ふ……お困りのようね」

 廊下に出ると数メートル先、滝川たちの進行方向を女子生徒が二人立ち塞いでいた。
 後方に控えている女子は知らない。前方、両手を腰に当ててやや足を広げ、どーんと自信ありげに立っている手編みの白いヘアバンドの女には昨日も遭遇している。進藤いさな、七人目の一年生部員だ。

「なんだ、進藤か」
「なんだとは何よ」

 泉は掠れるほどの小声で呟いたのつもりなのだが、進藤は地獄耳なのかしっかり聞き取られていた。

(そのポーズはどう見ても馬鹿だろ)

 やや横に焦点を向けて目線は合わさず、内心小馬鹿にする。
 前々から意識していたが、進藤いさなは二重だが目付きがやけに鋭い女だ。いや常時そうなので悪いレベルになっている。それが、女子にしては高い上背から見下ろしてくる。
 そして何よりも性格が悪い。だからそこそこスタイルが良い癖に、男の一人や二人出来ないのだ。

「今申請したけどさ。留学生の規定だかなんだかで、部員さらにもう一人いるんだって」

 滝川が進藤を真似るかのように、左手の甲を腰に当てて右手の平をひらひらとさせた。
 また進藤が鏡に映った自分を模写するかのごとく、同じ姿勢を取った。滝川には悪いが傍から見ると少し笑える光景だ。

「分かってます。グロリアーナさんが入部した時から、こうなることは部員人数と照らし合わせれば誰でも予想付きますものね」
「へえ」

「あなた方には付いていなかったんでしょうか」
「うっさい。そう言うなら、あんたも部員の勧誘手伝え」

 泉が突っかかる。進藤を真似して目を細めて見上げてやったが、これでは逆だと気が付いてすぐに止めた。進藤は見下ろす女だ。見上げても意味がない。

「部員? 彼女が目に入らないのかしら」

 進藤は半分振り向きつつ、バッと右手を後方に指し示した。
 もう一人の女子は進藤の左側に佇んでいる。二秒後、進藤が正面を向きなおし、後ろの女子が右手に移動した。

「誰?」と滝川が訊ねる。

「私と同じ、五組の鈴野美名子《すずのみなこ》さんよ。小中学時代は水泳で好成績を収めました。私には劣りますが、うちの一年生では五本指に入る運動神経をお持ちでしょう」

「鈴野?」

 言われて二人は廊下の左側から改めて、鈴野と呼ばれる女子を見遣った。
 猫背で進藤より背が低いためやや隠れていたが、真っ直ぐ立てば滝川より大きそうな女子だ。茶髪のストレートで毛が肩に掛からない程度に短い。
 進藤の後だと、目付きと物腰が柔らかそうに見えるが、鼻も高く整ってなければ唇も薄く異常美人空間に見慣れた泉たちとしては取り立てて──精々、左目の泣きボクロくらいか──他に変哲もない普通の女だった。

 いやいや、これが普通なのかもしれない。ソフトボール部のチームメイトとしては初めて普通の顔面に出会った気がする泉だった。だが……。

(こいつもデカイなあ)

 進藤より身長が低いはずなのに、体格そのものは大きく感じる。つまり自分たちより太いわけだ。
 肩幅やウエストや足が女性的にふっくらしている。女性の意見でデブとまでは言い難いが、部内で比較して率直に言うならデブだし、デブだから胸も大きいんだろう、合理的だ。

(認めてやる)

 赤羽根のような非合理的な体は許さないが、今回は腕組みしてうんうん頷く泉だった。

「私は」

 その時、普通の鈴野さんが一歩、二歩さらに下がった。
 なんだ? 入部希望かと思えば進藤に連れて来られただけで乗り気じゃないのか。
 二人のそんな思惑は一瞬で何処かにすっ飛んだ。

 鈴野は両手を握り軽く上げたかと思うと、その腕を振りながら幾度もステップし始めた。人は往来してないが、廊下のど真ん中で。
 左右二度ターンを混ぜ、同じ場所を位置取り、両腕を折り曲げ頭上後方に持っていたときなど、この女は頭どうなってんだと思った。

「ハア?」

 笑いより、呆れしか出てこない。するとターンを最後に鈴野が手足の動きを止めた。

「私はダンスしたいんです! ダンス部で全国に行きたいんですよ。バックでいいですから」
「はあ」

 鈴野の突然の行いをようやく理解出来た滝川たちだったが直後、

「お止めなさい、みなこさん。あなたは太っているから、ダンスには向いていない」
 進藤は強烈無慈悲な突っ込みを、きっぱり浴びせていた。

 鈴野の口が半開きになって目をぱちぱちさせる。滝川たちは何も声を掛けないし、鈴野はやや冷や汗を流しながら沈黙していたので、結果、誰も進藤に何の返答もしない。
 この間に四人ほど学生が四人の横を素通りして行った。一組はやけに体をくっ付けたカップルらしき上級生男女だった。(校則で校内の交際は禁止だ)

 話が進展しないので「あ」と進藤が呟き掛けたその時、鈴野が踵を返して口火を切った。

「い、いさなさんの頼みでもこれだけは聞けません!」
「こっちのがパワー的で、みなこさんに向いてるでしょう!」
「うわー」
「ちょっと! お待ちなさい!」

 二人は職員室前の廊下だということを忘れて全速力で向こうに駆けて行った。ついでに先ほどのカップルも忘れていたかもしれない。

 二人ともスポーツウーマンらしく普通の女子に比べたら走るのも速い。
 二人とも速いが、通路奥曲がり角の向こうに消える前に、後から追いかけた進藤が鈴野の肩を掴んで引き寄せ、羽交い絞めの姿勢に入ったのが視界に入る。

「あいつも入れんの?」

 聞くまでもない質問を投げかける泉。既に二人とも、進藤たちの下に歩き出している。

「勿論入れる。水泳、ダンス……五本指とか知らんけど、運動神経良さそうでしょ。十人目だ」

 あくまで今は部員集めが最優先。とりあえず女子ソフトボール部に籍を置いて貰う。
 人数から言えば、練習試合はグロリアーナに出場して貰えば事足りるし、本人の意思で行く行くは真っ先に補欠になり得る女だ。しかし、

 ──デブ系のスラッガーは好きだ。右打ちだったら尚更。五番打者は力持ちのデブの方が安心するし、ずっと続ける気があるなら五番か六番をやろう。

 スタイル良く美人の翔桜女子生徒を立て続けにスカウトし、目が肥えてしまった滝川には悲しいことに鈴野はデブだと認識されてしまった。半分は進藤の発言のせいだ。
 仮にもし最初の方で鈴野と出会っていたなら決してデブとまでは思わなかったろう。人よりちょっとふくよかなだけだ。

 皮肉な話だが、この話に限らずあらゆる物事、人間の出会いとは往々にしてそういうものではなかろうか。

「私は鈴野さん、結構好きかも。カワイイし」

 滝川だけでなく、ニヤリと笑いながら泉もまた認めていた。
 自分たちが作るのはお遊びじゃない女子ソフトボール部。運動に優れた、がたいのいい女は大歓迎だ。

 



[19812] 4回裏: 男子野球部の運命と、宿命の女子ソフトボール部
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/12/04 23:08
 
 水曜の放課後。午後四時、十分前になると、中水流美羅は部活のない生徒たちが下校し誰もいなくなった一年一組を訪れた。

 今日の昼休み、諸事情から一度は部員募集をし直させた女子ソフトボール部が、数時間経たずに一人新入部員の署名を取ったと五時限目の休み時間に申請に来た。
 女子ソフトボール部は正式に発足し、ソフトボール協会に登録されることになるだろう。
 入学から僅か一週間での創部。滝川は凄い行動力の持ち主だと美羅も感心した。ただ廊下を走り、教員に注意される癖さえなくせばもっと良い子なのだが……。

 とにかく、集まった部員十名が一組にて自分が来るのを待っている。部活発足祝勝会兼、今後の打ち合わせだ。
 本当なら自分が受け持ちの二組で行うのがより適切だと思われるが、二組のソフト部部員は白沢美咲一人。一組に部活設立の提案者でありリーダーの滝川と泉、そして赤羽根と最多の三人の生徒が在籍しているので、一組で会議を開きたいと話を持ちかけられた。総人数の都合で他の狭い空き部屋は厳しいと言っていたから教室になった。
 まあそれでも構わない。美羅は数十枚の書類を抱え、時間の五分前に教室に到着した。
 前扉に右手を掛けたが、どういうわけか開かない。

「その影は藍原さん?」

 扉の窓ガラスの向こう側に、一瞬ポニーテールの人影が見えた。つっかい棒か何かで扉を開けるのを邪魔しているのかもしれない。
 二年生の藍原や藤川は昨年、自分が翔桜高校に就任した時、ほぼ最初にゆっくり話した生徒たちだった。二人の自分への用事や質問は今年の一年生と一緒と見ていい。

「藍原さん。今なら許してあげるわ」

 美羅がゆっくり優しげな声音を出すと、何故か決まって女子生徒が言うことを聞く。
 それとは何ら関係ないが、女性教師N先生は教壇から一番後ろの席までチョークを三連続、それも額の中心に投げ飛ばしてくると言う噂が流れていた。これが美羅を指しているとするなら見当違いだ。
 自分は学生時代はソフトボールの投手だったので、そんな真似は絶対にしない。

「藍原」

 さん、と言い掛けて急に扉が横にスライドした。扉につっかい棒が掛けられていたとするなら、逆に自分がやって来て生徒がそれを退かしたのかもしれない。
 パンッ! パンッ! パンッ!
 しかし紙ふぶきとテープが自分に飛び掛って来て、眼下の障害物を探している暇は貰えなかった。

「ようこそ!」
「ようこそ、美羅先生!」

 さらにクラッカーが鳴り響く。その場で藍原と滝川の姿は認識できた。ドサクサに紛れて自分の顔面に二発浴びせてきたのは泉だ。
 正面見遣ると、教室中央で机を円く合体させて、時計の六時方角、白沢美咲たちが紙コップや茶菓子の袋を各席に置いて回っていた。

「今のは……何処で購入してきたの。用意していた?」

 美羅は頭頂部に掛かった紙テープを取り、よく丸めて教室端のゴミ箱に叩きつけるように投げ込んだ。

「いえ、足の速い桑嶋と速水に、一っ走りお使い頼んで」

 滝川が美羅の前を歩き、軽快な声で言いながら先導する。
 滝川は十二時の席に腰を下ろし、その隣十一時の椅子を引いて自分の着席を促した。

「どうぞ」
「そう」

 見渡すと確かに部員十人全員揃っていた。
 あの白沢美咲を筆頭に、外国人留学生のグロリアーナ・グレンヴィルやソフトボールには無縁と思われた進藤勇魚、鈴野美名子も着席している。さらに、陸上部には期待の新星の桑嶋しずくと速水光……速水に至っては今は十時方面の桑嶋の隣に戻って喋っているが、クラッカー組の一人だった。
 滝川たちは何とも有名人ばかり集めたものか。
 二年生の藍原あやめと外国人留学生のグロリアーナは当然としても、恐ろしいことに美羅はこの場に居るほぼ全員の一年生の顔と名前を入学一週間で把握している。

(あの子は……)

 白沢美咲の手伝いをしている、紙コップと菓子を配っている長髪ストレートの女子を除いて。
 部活申請書から消去法で名前を抜き出せば誰だか判明する。赤羽根瑛梨花という女子だ。
 自分がよく知らないからといって他の九人に比べて地味……とはいかない。
 あの滝川が引っ張って来るほどだから、なるほど、髪も黒くスカートも他者よりやや長めだが、他の翔桜生とは比較にならない程、ただ綺麗であった。そして制服越しでも確認できる、胸元の豊満な膨らみ……もとい、贅肉。
 一年の教員である以上、赤羽根という名前を見ればピンと来る。外部進学生で入学時学力診断テスト、優秀成績者の一人。
 女子の中では2位で、男女総合でも2位。1位はやや別格だから仕方ない。1位の女さえ居なければ、他所の高校でなら普通に一年生の中で一番になれたろうに、彼女が居る限り赤羽根は高校三年間ずっと一番に浮上できない、二番手ではないか。
 とはいえ教員の間でも優等生だと評判だし、学生の間でも有名人だろう。

 だが普段時ならいざ知らず、この空間においては美羅には興味がない。一年女子でテスト135人中130位の進藤勇魚と、135人中121位の桑嶋しずくの方が断然興味がある。
 この二人だけだと馬鹿を好みだと勘違いされるから速水光と鈴野美名子の名も挙げるが、どちらも取り立てて述べるほどよろしくない……文武両道は一年生では白沢美咲くらいか。
 美羅が監督を務めるということを考慮して、滝川は申請書と一緒に手書きで記された、打順・ポジション表を持って来た。それによると赤羽根の名はライトの八番、所謂ライパチ──かつてチームで一番下手糞と言われる選手がよくやらされるポジションにあった。
 今は部員がぎりぎりの数にあり、おおかた規定で留学生のグロリアーナが公式戦に出られない間、起用するつもりなのだ。
 ところで、この学校の教師の多くは似たような思考を持って、部活動に適用している。
 俗に言う年功序列方式だ。翔桜の高校生は二年間しか部活が出来ないのだから、余程の事情がない限り、上級生から優先的に公式戦に出場させるという合理的な考え方の一つ。

(きっと、赤羽根さんはおっぱい枠なのね)

 だが美羅は完全実力主義者なので、上級生であろうと下手糞な奴を優先的にチームから外す。一年生でも実力があるならどんどん起用する。
 そこには贔屓もコネも人気も年功も一切存在しない。
 生まれたばかりで十人しか居ないソフトボール部(滝川)は見落としているが、大抵のチームにはマネージャーが居て試合ではスコアブックを付けるが。

「じゃあ最初に自己紹介から始めてもらいましょうかね」

 円状に十一人全員着席して、飲み物と菓子の準備も終わった。美羅が机の上で書類をトントン揃えながら口火を切る。

「そりゃあ勿論、私からでしょ」
「よ、たっきー」

 右足を上に組んで踏ん反り返っていた滝川が手を上げながら立ち上がる。
 美羅の反対側、二、三時方面の藍原が椅子の上で胡坐をかきながら口に手を添える。
 滝川は腕組みしながら、

「私は一年一組の滝川。知っての通り、女子ソフトボール部を発足させたのは私。主将は私になるのかな。まあ偉ぶったりはしないから安心しなさい。中学ではソフトやってて、高校にはないと知ったから急いで作ったんだ」

 はっきり大きな声で、しかもゆっくりと喋った。話し方は文句ないが、提出された紙の一枚にも書かれた肝心の言葉を忘れている。
 美羅は向こう側のグロリアーナをちらりと見遣り、

「ポジションと投球、打席も」

 隣の滝川を見上げて一度口を挟んだ。

「ポジションはキャッチャー。右打ちだよ。私は引っ張り専門の強打者だから頼りにしなさいよー」
「野球以外の趣味とかは?」

 余計な口出しをするのは藍原しかいない。美羅は黒寄りグレーのスーツの内ポケットに手を入れる。
 滝川は組んでいた腕を解いて、腰に当てると質問に応答した。

「趣味かー。私は多芸だからね。まず翔桜生らしく本だって読むよ。学術参考書なら数学系で三角関数が得意だね。小説なら古典物。自己啓発書も愛読する。堅苦しいのだけじゃなくてネット小説だって読んじゃうよ。最近のに近付くにつれハッピーエンド物が好きかな。
 音楽はフォークソングとトランス系。大人の女性シンガーソングライターとかがマイブーム。ええと、あとゲーム? 携帯型のテレビゲームもたまにやるよ。シミュレーションゲームと落ち物パズルが得意で、大会とか行ったこともある。で、それ以外なら麻雀とチェスとオセロかな。今、某ネット麻雀は七段で巷じゃ最強扱いされてたんだ。
 まあ特に好きなのはやっぱり野球とソフトかね。好きなのは打率が.280くらいで強打鈍足右打ちのプルヒッター全般か。衛星放送は契約してるし、選手名鑑とか、あ、野球以外の話だっけ。
 そうだ。私だって女らしくファッション、雑誌、化粧にも興味あるけど、あれとか店って9号ばかりなのがちょっと難点だよ。いや私、9号なんだけどもっと色んなタイプあったっていいっしょ? 野球だって一番は俊足で二番は送って三番でつないで四、五番でホームランでしょ? まあだから化粧の話をすると、うちはあんまり派手なの駄目じゃん。濃くなきゃ染めても良いのにさ、ってか携帯だ。実は携帯普通に使ってたけど」

「滝川さん」

 時間が押しているので口を挟む。今後、自己紹介は一人持ち時間一分程度で良い。さらに先刻まで守られていた、はっきりとした口調が崩れて早口で全員が聞き取れなくなった。

「滝川さんはキャッチャーで多芸なのね。話はそこで完結しなさい。余分なことまで書いて題意把握ミスを起こしています」

 落ち込まないよう出来るだけきつくは言わないのに、美羅に叱られた生徒は何故かシュンと黙り込んでしまう。
 滝川も例外に洩れず「はい」と呟いて着席した。だが、また右足を組んで深く腰をかけている。

「次は……わたしは飛ばすとして、反時計回りに隣の桑嶋さん、お願い」

 右隣の桑嶋しずくを見遣る。十人の部員の中では小柄な方だ。

「反対から」

 桑嶋は目線は動かさずに、こちらを向いて話した。
 彼女の言いたいことは分かる。反時計回りに滝川の隣の美羅を飛ばすぐらいなら、同じくすぐ左隣、反対の泉に順番を回すのではないか。
 さらには時計回りに動くと考え、自分の番だと予想していなかったのだろう。野球やソフトにこういった予想外の事態は付き物だし、上記だけでなく陸上トラックも反時計回りなのだから、兼陸上部の彼女には警戒しておいて貰いたい。最後に美羅は、凡人の泉よりも天才の桑嶋の方が興味がある。
 二人とも小柄で、その体格から当然のように身体能力の高くない泉に対して、桑嶋は運動神経がある。足が速い。翔桜には他にこういう生徒は居ない。

 もっとも一番ではなく、うちには同等か或いはそれ以上の運動神経を持つ一年生女子が複数存在する。
 部内で名を挙げるなら進藤と白沢だ。だが彼女らは桑嶋より大きく、桑嶋より小さくて運動が出来る人間は存在しない。

「あたしは」
「立ち上がり会釈なさい」

 その場で自己紹介を始めようと口を切った桑嶋を注意した。
 彼女が立ち上がって頭を軽く下げた時、教室の後ろ扉が突然開いた。一同の視線が桑嶋からそちらに向けられる。

「締めてなかったっけ?」
「あれ、棒は」

 滝川と泉が呟く。美羅は心の中で藍原に謝った。

 後ろ扉から侵入して来たのは他でもない、一年生男子の白崎藍璃だった。
 入学時学力診断テストで男子94/105位の白崎が、部活の白いユニフォーム姿で現れた。
 彼の入室に合わせて女子の視線が集中しているし、一人立っているだけの桑嶋はバツが悪そうだった。

「あ……お邪魔しました」

 白崎は深々と会釈すると、愛想笑いを浮かべて扉を閉めた。


                2


 下校の時間を当に過ぎ、誰も居ないはずの教室に乗り込んできた男子の白崎藍璃。
 一旦は扉を閉めて外に出て行ったかと思えば、何故かノックをして再び侵入してきた。

「白崎くん、どしたの?」
「滝川さんに用があって、一旦、野球グラウンドから戻ってきた」

 泉に問われ、白崎は平然と即答した。速水や鈴野など女子の数人が少しざわついて、滝川の隣の泉が彼女を小突いた。

「えー、たっきー! まさかまさか」
「違うよ、いずみん。私たちはまだそんな関係じゃない」

 両目を瞑って口元を笑いの形に歪めて、チチチと指を振る滝川。満更悪い気分ではなさそうだ。

「グラウンド」

 白沢美咲は流石に目敏く一瞬で気が付いたらしい。美羅は書類を机の端に退かすと肘を付いて手を組んだ。

「なる程、グラウンドの問題で、一年のあなたが野球部から言伝を頼まれたのね」
「ええ。女子ソフトボール部を作った滝川さんたちも一年一組ってことで。ミラ先生が顧問ですよね? なら話が早い」

 白崎は既に教室中央、滝川たちの前にまで歩いて来ている。

「交渉成立で、第二グラウンドは女子ソフト部に引き渡す。ただしその話は、来週か四月の末まで待って欲しい……これが野球部の小川先生からの言伝です」

 ここまで言われれば、少なくても滝川たちは全貌を把握出来たろう。白崎が野球部のユニフォーム姿なのもまた分かりやすい。
 新設されるソフトボール部、その中核の滝川や泉たちがグラウンドの件で手回し、交渉しているのは知れている。彼女らは、男子野球部の第二グラウンドに目を付けた。
 野球部一年の白崎が、その件を伝えに参上した。滝川の行動力も迅速だが、応対する小川先生も早い。もっとも急ぐ理由はある。
 しかし男子野球部には白崎以外の一年一組の生徒もいるはずだし、他の練習の手は休めずあえて白崎を動かしたのが野球部顧問、小川の小川たる所以か。美羅なら違う選択肢を取る。

「なるほど。納得しましたか、滝川さん。第二グラウンドはもう少し待ちなさい」

「はい。やっぱ練習の都合とか色々立てこんでて、すぐには無理ですよね」
「そうね。今、野球部は春季大会中でしょ。週末には試合があるわ」

 美羅の発言で教室の空気が変わった。
 女子数名が小声で話していたがそれが止んだ。
 今の単語は滝川や泉、或いは運動系部活をしていた女子生徒なら思い当たるはずだ。

「え、うちまだ残ってるんですか?」
「もう結構大詰めでしょ。ってか本大会」

 案の定、真っ先に滝川と泉が食い付いた。白沢は知っていたのか無反応だ。
 二年生の藍原は当然、野球部の躍進を知っている。春季大会一次予選は三月から行われているのだから。
 今年の翔桜は一次予選を突破し本大会に駒を進めた。そして現在、

「今、翔桜高校はベスト8よ。数多く高校が存在する東京でベスト8」

 ええええ───────っと女子から大驚声が上がった。主に滝川の声だったので隣の美羅は一旦耳を塞いでしまった。
 凄い反応だな。だが無理はない。翔桜の野球部史上でここまで健闘している前例はないのではないか。
 といっても女子ソフト部の部員全員が高校野球に詳しいわけでもないので、何のベスト8か、春季大会がどんな位置付けにあるのか、その概要は知るまい。

 春季大会、東京のベスト8。
 夏の甲子園と言えば誰でも分かる、全国高校野球選手権の予選、西東京大会のベスト8になったわけではない。別物だ。
 春季大会(と一次予選)はその練習と前哨戦を兼ねた東京全校が参加する公式戦で例年、三月から四月の末まで行われる。
 ここでベスト8の好成績を収めたからと言って、夏の予選であっさり負けたら元も子もない(美羅は言わなかったが、春季大会は公式戦とはいえ上記の理由から新戦力を試したり、調整する場を兼ねているので、どのチームもフルメンバーとは限らない)。
 だが春季大会、上位チーム……ベスト16以上の学校は原則、夏の予選大会のシード校に選ばれる。つまり今年の翔桜はシード権を既に獲得しているのだ。

 ──と美羅が説明すると、大半の女子が理解してくれたらしい。外国人のグロリアーナだけは要領を得てないのかずっと表情を変えてないが、女子には関係ない話なのでどうでもよい。

「実はめちゃくちゃ強かったんですか、うちって」
「知らなかったな。白崎くんと瀬谷が入って夏から生まれ変わると思ったら、既に今年の春から変わってたのか」

 滝川は、今が女子ソフトボール部創部祝勝会ということをそっちのけで? 盛り上がり始めている。泉は頬杖を付きながら、ビスケットを食べていた。
 泉は内部生なのに我が校の事情に疎い。恐らく、滝川と同じく外のソフトボールクラブに付きっ切りになってきたこと。そして今回は、高校入学早々の部活設立に焦点を合わせて事前から行動していたので、連休中の出来事に目が行く暇がなかったと美羅は見ている。

「そうね。総合力的に東京の高校で八番以内に強いとはとても言えないけど、投手は言えるかもしれないわね」
「な、いずみん。ソフトと野球は投手さ」
「ふむ」

「新二年生に凄い投手が居るのよ。青木優《あおきすぐる》くんっていう。シニア出身でチームのエースだったらしいから入学した時から凄い子だったんだけど、一年の夏はあんまり試合に出して貰えなかったの。
 130キロ台後半のストレートで三振を取れる投手よ。必要に応じてシュートでゴロも量産できる」

「今週の土曜日に準々決勝があるんです。相手は私立成海高校」

 美羅が春季大会の概要を全て話すのでお株を奪われていたろう──座ればいいのに、暫く黙っていた白崎が口を開けた。

「流石にベスト8まで来ると相手は超強豪よ。例年、東東京なら4強に挙がるほど。でも今は違う」

 美羅はここから次の対戦校、成海の全貌について自分が喋ってしまおうとかと考えて、一旦白崎を見上げたが、

「上杉さんが居ます」

 とこれまた事情通らしい白沢美咲が横槍を入れた。
 頼もしい限りだ、白沢美咲。美羅は口元を歪めて続けて言い放った。

「新二年の上杉。打率7割」

 上杉の名など知る由もない女子部員に向けて、彼が一言でどれ程異常なのか伝えてみる。

「7割……って」と速水や鈴野たちが呆気に取られていた。
「7割って3の2でも駄目なんでしょ」

 桑嶋は中々当たり前のことを口にする。だがその通りだ。進藤を見るとやけに力強く頷いていた。
 断じて馬鹿にしているわけではないが、この二人は知能もそうだが思考も同レベルだ。

「7割は凄いよ。でも、美咲さんだって確か出塁率8割超えてたじゃない」
「それは一大会でだけです。全部がそこまではいきません」

 全国大会でそれだけやったなら充分だ。
 白沢と滝川のやり取りを冷めた瞳で見遣っていた美羅はそう思っていた。
 流石、中学一年のうちからスタメンレギュラーになり、全国大会優勝とベスト4(三位)の経験を持つ天才・白沢だけあると。
 だが上杉は……。

「7割。入学時からスタメンレギュラー、公式戦の通算でね」

「ありえね」

 一人だけ、未だに菓子を頬張っていた泉が分かりやすい反応をくれた。
 何人に話が通じるのか最早分からないが、美羅の口は止まらない。

「一番、遊撃手の上杉巡《うえすぎめぐる》は二年生では、帝迅の倉内律《くらうちりつ》と並んで東京のみならず世代最高の野手だと言われているわ。プロ並と評される守備と俊足に加え、超強肩、一年時より逞しくなり長打が増えた。上杉のスタイルは──」

 実際は女子部員を相手にしているつもりはない。途中から、美羅が見ていたのは白崎だった。話が長引いたから座ってもいいのに彼は立ちっぱなしだ。
 美羅は見上げる女で、白崎は見下ろす男だが、試しているのは自分の方になる。

「成海の先発は恐らく新二年の黒瀬竜司《くろせりゅうじ》。速球派左腕。次期エース候補の一角で、縦横二種類のスライダーを投げる。スタミナがあって層の厚い成海でも完投型よ。今のところ防御率が1点台と聞くけど」

「俺が打って2点台にしてやります」

 白崎は不意に低い声音でそう言ったかと思うと、ようやく女子から少し離れた後方の席を引いて着席した。
 女子たちも白崎が動いたので一瞬注目したが、また目線を机の上に戻した。
 美羅とて女子に関係ない長話で部員を拘束するつもりはなく、既に今後女子ソフトボール部に課せられた必要事項や、行事日程、行動指南書を配り終えている。
 この書類は一朝一夕どころか、当然、今日の数時間で作り上げたわけではない。多少訂正箇所を加えたが……前々からだ。
 一年前に藍原たちが自分の下に来た時から、インターハイ出場経験もある美羅は自分たち翔桜に女子ソフトボール部が欲しかった。今年も誰かが来るのを『待っていた』のだ。
 そして念願叶って、ついに女子ソフトボール部は始動する──。

 代わりに男子野球部が第二グラウンドから追い出されてしまうらしいが、それは可哀想だから手当てはあるんだろうな──美羅は今度は深い意味もなく白崎を見遣った。
 もうグラウンドの話は解決している。翔桜の躍進と打倒成海の話も終わった。白崎はもう部活に戻っていい。彼が帰ったら自己紹介を再開したいのだが、何故まだ居るんだ? はよ、帰れと。
 何てことはない。白崎も男子高校生なので、女子十一人(それも綺麗どころだ)も密集した空間が珍しく、それぞれ、特に赤羽根瑛梨花やグロリアーナ・グレンヴィルをまじまじ見つめているだけだった。
 女子は気付かないが、(気付いてるかもしれないが)可愛い顔をしてる癖にその実、中々いやらしい男だな。
 美羅がふっとわざとらしく声を漏らして笑うと、白崎と目が合って彼が椅子から立ち上がった。

「そう、僕が四番を任されたんです。次の成海戦スタメンで。チームの四番を任された以上、うちを勝たせますよ」

「うわ。いきなり公式戦で四番かよ」といつも騒がしい藍原が久々に口を開いた。彼女が一番書類を真剣に読んでいた。

「いや白崎くんだし、うちなら即四番じゃないかな」
「でもうちも今年は強いんだって」
「私は三番最強論者ですけどね。メジャーもそうでしょう」

 口調に、ゆったりとした独特のアクセントがあるので進藤の声はすぐに分かる。

「キャッチャーじゃないのが残念だけど」

 と白崎が少し残念そうに苦笑いしながら言い添えた。

「え、そうなの」
「本職キャッチャーだよね?」

 女子から多少反応の声は上がるが、驚きの色はほとんどない。
 一方で、やはりそう来たかと美羅は冷笑した。小川先生なら、必ず白崎をコンバートすると確信していた。
 昨日、白崎が昼休みに放送で呼ばれていたが、一つは週末の春季大会準々決勝でスタメン四番で起用という話だった。新一年生唯一のスタメンだ。当然、彼は大喜びした。
 その後、どのタイミングか知らないがコンバートの話を持ち出されたのか。

「白崎さんならできますよ」

 最後に声を掛けたのは白沢美咲だった。白崎藍璃は笑顔で頷くと、礼をして教室を後にしていく。部活の時間が結構削れてしまったな、と白崎の後姿を目に追っていた時だ。
 扉が開け閉めされた拍子にか、少し擦れたような音が響いて、先が割れた白いそれが床に転がっていくのを美羅は確認した。

 なんだ、やはりつっかい棒は存在したのか。
 白崎藍璃、頼もしい限りだ。
 
 
 
 美羅も、白崎ならうちが勝つにしろ負けるにしろ、何かしら大事をやってくれるのではないかと期待していた。

 いかに青木が優れた投手といえど野手陣が貧弱過ぎて、成海レベルの強豪校が相手では圧倒的に分が悪い。白崎が今年入部しなければ可能性は一もなかった。
 率直に言えば美羅は、一年白崎は、二年上杉にほぼ全ての能力が劣っていると見ている。
 巧打と走力と守備の三つは確実に、恐らくは肩の力すらも。唯一、白崎が勝っている点があるとするなら、それはパワーだけだ。白崎の方が身長が5cm程高く体格、長打力なら負けていない。
 上杉を擁する成海を無失点に抑えるのは無理だろう。青木でも数点は取られる。
 翔桜が勝つパターンがあるとするなら打ち勝つ方法だけだ。白崎が黒瀬から打つ、出来ればホームランで点を取るしかない。

 青木優vs上杉巡。
 白崎藍璃vs黒瀬竜司。

 今週土曜の春季大会準々決勝、楽しみじゃないか。美羅は女子ソフトボール部発足を誰よりも渇望していたが、男子高校野球の方が興味があった。
 あんまり楽しみで言葉数が激減してぼうっとしていると、滝川から顔前で手を振られ生きているのか心配がられた。
 



[19812] 5回表: 白沢と赤羽根の宿命
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/12/08 22:40
 
 これは女子ソフトボールが創部した水曜の前日の夜。バッティングセンターで瑛梨花の練習を見た後の話。

 午後九時を過ぎて幼い家族たちが寝静まると、藍璃は台所で皿洗いしている美咲を隣のリビングに呼んだ。
 彼女は今日も家に来てくれて夕食の準備、手伝いをしてくれた。一ヶ月で家に寄らない日は凡そ一週間前後だ。長い付き合いの弟妹は当然として、ウィルも美咲が家に上がると藍璃の元を離れ、尻尾を振りながら彼女に擦り寄る。人気者故に同じ家に居ても一緒の時間が短い。

「少し待ってください」

 台所の美咲の後姿を見遣ると腰に手を回してエプロンの紐を解くところだった。白色の紅茶ポットとティーカップを一客持って遣って来た。

「英恵さんは?」
「もう部屋に行ったけど、まだ寝てないかもね」
「最近落ち着いてきましたね。良かった」

 藍璃は夕刊の新聞を畳んで隣に置いた。読んでいたのは大リーグ選手の記事だった。

 カップには低温殺菌の牛乳が予め入れられてある。白崎家ではミルクティーを作るときはいつも先にミルクを入れるスタイルだ。
 向かい席の美咲が紅茶を注いだ後、藍璃はソーサーの上の角砂糖をカップに入れてスプーンでほんのりかき回して完成。

「空穂さんの授業参観はどうします?」
「……うん。僕も、美咲さんも二人とも厳しい」

 二人は一息入れた後、早速最初の問題に移った。

 三男、小学二年生の空穂の今度の授業参観は週末の土曜日に行われる。
 藍璃と美咲の通っている翔桜高校は午前中までだが土曜日も毎週授業がある。加えて今度の藍璃にはどうしてもキャンセル出来ない予定が入っている。都合を作れない。

「今度もわたしの方から叔母さんにお願いします」
「また? 悪いね」
「あの人は、それが生きがいですから、気にしないでください」

 悪いと思いつつも、藍璃は大変感謝していた。実のところ、そう言われるのを期待していた側面が大きい。この件は今の相談で解決し、いよいよ本題に入る。
 先週からどうにも美咲と面を向かい合い長く話す機会がなく──或いは藍璃自身が心の奥底で恐れていたのかもしれない、今の生活が変わってしまいそうで──後回しにして、切り出せない話だった。

「美咲さんは、ソフトボールやらないの?」

 ついに言った。思ったよりも平常心を保ったまま言えた。
 普段なら、すぐに返事をする美咲も今度ばかりは悩んでいるらしく、じっと人形のように無表情に黙っていた。いや、微笑んでいる。

 ……かなり昔のことでおぼろげだが、彼女は周りにお人形のようだと言われていた。人形のように愛らしいという意味もあるのだろうし、こう言われたら藍璃も最初は自分のことのように誇らしげだった。
 が、他人が真に指していたのは人形のように常に微笑んでいること……固定化された表情や口調を揶揄する表現だったのだ。

 そうと知った藍璃は自分が馬鹿にされた気になって、頭に血が上って、生まれて初めて他人に喧嘩を挑んでしまった。藍璃は逆にコテンパンに負けたが、今度は弟と妹が出てきて仇を取ってくれた。

 妹に至っては当時から男子より大きく剣道を習っていて、周辺では最強だったから得物まで持っている日には誰も歯向かえない。しかし弟たちに助けられるのは、長男としてはやはり歯痒い。藍璃は早く大きくなりたいと思ったものだ。

 それからも女ガキ大将の見てない場面で、度々その手の美咲を馬鹿にする発言があった。
 ある日、「くやしくないの?」と外傷消毒液を浸したコットンで顔を拭かれながら訊ねたら「なぜ」と返された。確かに負け続きの藍璃の方が悔しい。続いて、

「それが白沢の宿命だから」と今までよりも深く微笑んだ。

 他人には判断付かないのか、美咲は真に笑うと眉毛がほんの少し下がる。藍璃や家族たちは当然、誰でも知っているのだが、何故、他人はいつまで経っても気が付かないのだろうな? それはともかくとして、

 宿命!
 年端も行かぬ藍璃がそんな単語を知る訳ない。だが響きが良かった。

 ──カッコいいぞ、『しゅくめい』は。

 以後、藍璃は宿命とか運命とかいう単語を好んで、あらゆる場面で密かに使うようになった。小学生時代から中学生時代に遡る。最近は何故だか控えるようになって来た。

 ……昔話を連想してしまったが、丸っきり無関係ではない。

 中学生時代の白沢美咲は先輩の神月が抜けた後、チームのエースだったのに外部受験を理由にソフトボール部を止めた。もっともソフトボールをやっていようが美咲は秀才だった。元々通っている中学校が偏差値65はあるのだから、ある程度の高校を目指すなら部活と両立しても簡単に合格できる。

 しかし偏差値70を優に超す・難関の翔桜高校へ行くには後述の補足理由から勉強に専念しないとかなり厳しいだろう、と見られ……美咲はソフトボールを止め猛勉強の末に名門翔桜に合格した。ここまではいい。

 部活を終え、夏の終わりから本格的に受験勉強に入った藍璃も一緒に合格した。美咲と目標の翔桜高校の学生、夢乃に集中的に勉強を見て貰ったからだ。他に理由はない。
 それで受かってしまうのは藍璃の『運命』に他ならないのだろう。

 トップクラスの受験名門校に合格し学校では当然、ヒーロー扱いされた。同時に野球部のチームメイトからは裏切り者と茶化され続けた。彼らのほとんどが野球に縁のある高校に進学する。
 愛知の野球名門校に行くことになったチームのエース、大澄に至っては「白崎も一緒に獲って欲しい、必ず大成する奴だ」と監督に交渉まであったとかなかったとか。しかし全ておじゃんになってしまった。

  白崎は裏切り者だと囁かれた。ならばエースの身でありながらソフトボール部を止め、さらには百合咲をも捨てた白沢も裏切り者だ──美咲は学校で、より深刻に後ろ指を指されたのではないか。
  彼女は当時を特に語らない。以前聞いたときも被害や悪口は何もなかったと言うから、その言葉を信用してそれ以上は言及しないが、陰口が存在することは想像に難しくない。
 事実、藍璃と仲間は離れ離れになってしまったし、投手の美咲が居なくなって百合咲は一気に弱体化したのだ。去年一昨年と全国にまで登りつめたチームだったのに、その面影すら見られない。
 チームメイトの理由ある発言だけに、他人の揶揄とは全く違う。言い返さなかった。

 そして高校生活。美咲はソフトボール部がない翔桜高校で、また昔のように白崎家の手伝いをしてくれている。学校のレベルは普通とはいえ藍璃は高校でも野球が続けられる。二人とも野球の才能は誰よりも持っていた。

 高校生になって今はっきりと、こんなのが宿命ならば、この宿命はカッコよくないと藍璃は気が付いた。

「うちのことなら、あまり気にしないでいいよ……」
「わたしは自分のペースを心得ています。約束は守ります」

 そう言われると、嬉しくなって藍璃はティーカップに口を付けた。

 昨日の『約束』を守る。美咲は高校でまたソフトボールを始めるということだ。
 言葉通りの意味合いなので、ソフトボール復帰の立役者は滝川だが、最終的に美咲に決意させたのは瑛梨花に他ならないだろう。バントしか出来ない初心者の彼女が、エースピッチャーで全国大会経験者の美咲を動かしたのだ。

「赤羽根さんのことはどう思います?」
「え」

 心の中で話題になっているその瑛梨花の名前が、美咲の口から飛び出した。だが藍璃の連想通りなら、美咲の頭にこそ彼女の姿が浮かんでいてもおかしくはない。

 だが、どうと言われても……まだ何とも言えないのが本音。高校入学してたった一週間程度の付き合いで何が分かる。
 夕方、バッティングセンターで瀬谷に白崎と赤羽根が交際していると誤解されたが(茶化した?)、今日の昼間に形式上の自己紹介をし合っただけだ。藍璃はまだ鏡に映し出された彼女しか知らないので、率直に見たとおりの感想しか言えない。

「凄く可愛い……と思う。まるで『お人形さん』みたいだね」
「わたしもそう思いますよ。でも、今のはソフトボールの質問です。昨日……」

 中途、美咲から紅茶のお代わりを勧められたが、藍璃は首を振った。そしてつい昨日の出来事を思い出す。あの日は面白かった。

 藤川バッティングセンターにて行われた一人一打席五人挑戦のゲーム。美咲をソフトボール部に入れるための決起会。
 終始、元全国ベスト4の美咲が貫禄のピッチングで平凡な女子たちを圧倒したが、最後にはよりによって素人の瑛梨花がバントを決めた。美咲が負けただなんて未だに信じられない。

「ああ。まだよく分からない……。バントだけは上手いけど。美咲さんはアウトコースに速球を投げた」
「ええ」
「でもソフトはバントを決める競技じゃなくて、21個アウトを取るスポーツだから」

 ソフトボールは7イニング制。アウトを取らなければ(コールドゲームを除いて)永久に試合は終わらないだろう。そしてバントは原則的に相手にアウトを与える手段だ。
 最初に瑛梨花にバントを薦めたのは他ならない藍璃自身なのだが、このようにも考えていた。結局、本当に一番大事なのは捕球出来るかどうかだ。

 ──そうだ、キャッチボールをしよう。

 藍璃は今度時間が空いたら、瑛梨花をキャッチボールに誘おうと考えた。いつになるかは分からない。土曜は無理だから日曜日か。或いはその前か。
 物事が決まると頭がすっきりする。会話も一段落ついたのでそろそろ切り上げようとソファーを勢いよく立ち上がると同時に、美咲が口を開いた。

「わたしが彼女の守備指導に当たりましょうか」
「美咲さんが?」
「ソフト部の話。急速に進んでいて、どうも支部予選に出る気なんです」

 その告白内容は流石に予想外で、立ちすくむほど驚かされた。本当の初心者を抱えた時点で、ソフトボール部が本格始動するのは秋からと勘違いしていた。

 ……部活作って、たった一ヶ月で無謀にも公式戦に出るつもりなのか。

 いや、滝川たちは元々経験者だし桑嶋と速水は運動部系出身か、素の身体能力がありそうだ。そして投手が美咲なら、投手だけならそこらの高校に負けていない。勝つ見込みは充分にある。
 しかし勝つにしろ負けるにしろ、瑛梨花はどうなる。本当の本当にソフト経験一ヶ月だ。

「一ヶ月じゃ……滝川さんたちはともかく、赤羽根さんは無理だよ」
「でも試合を『成立』させなければなりません。何点取られるかは時の運。捕球だけ覚えて貰います」

 うん、と呟いてようやく気を取り戻して着席する。いや、もう話は終わったのだともう一度立ち上がった。ティーカップとソーサーを手に取り、台所の流しに向かう。

「藍璃さん、隠し事はよくありません」

 不意に美咲の声が掛かった。

 流し台にカップ一客を置いた時、子供たちの寝静まった二人しか居ない空間だからはっきりと聞こえた。美咲は人形のようとは言うけれど、やはり感情をあらわにするときも声が高く早口気味に変化するのだ。

(そら、来た……)

 帰宅から今まで話を振られないので安心して放っておいたけれど、しっかりと見抜かれている。

 気分が進まなかった。結果の悪いテスト答案、物事を中々親に見せられない、言い出せないときの心境と一緒だ。
 しかし呼び出しを無視は出来ない。台所とリビングは一方通行になっていて、引き返せばまた顔を合わす羽目になるのだから。

 さっと洗ったカップを洗い桶に置くと、藍璃は台所から雑巾を持って来てテーブルの上にそっと乗せた。美咲が一瞬その手を握って雑巾を引き取る。

「今日、小川先生に、何を言われたんです?」

 予想通りの質問だった。スピーカーから全校生徒に向けて、校内のどの階に居ても分かるよう職員室への呼び出しが発信されたのだから、美咲にだって知れ渡っている。
 小川たちはやはり大げさ過ぎたのだ。職員室へ来い、では周囲は白崎が何かやらかしたのか誤解するではないか。

 実際は嬉しい知らせと、悪い知らせの半々だった。藍璃が部活を早退したのは後者が理由で、情けないが端的に不貞腐れたからだ。

「週末の春季大会、白崎は捕手から外れてくれって言われた。四番をやるからショートか、センターで試合に出てくれって」

 今となってはもはや美咲に隠す理由はない。本心では家族の誰かにこの愚痴を零したかったのかもしれない。前はこういう話を聞いてくれるチームメイトが居たけれど高校では自分が一番キャリアがある、一人だ。

「え……何故?」

 テーブルを雑巾で拭く手が止まった。
 美咲が男子部員構成を熟知するはずもなく、無理もない。小川に理由を聞かされたけど藍璃は納得できなかった。あの時も、今も激昂した。

「三年主将を捕手として試合に出したいからだ! 先輩は、元々正捕手でクリーンナップを任されていた強打者だって。だから彼を外すより、僕を外野や、他のポジションで使った方が攻撃と守備力が増すんだって考えだよ」

 言葉にすると小川の説明、職員室の光景を思い出す。

 ──どうしても、絶対に三年主将の大須を外すわけにはいかないのだ。
 と頭が薄い癖に下げてくれた。職員室で堂々と生徒に向かって。ビックリした。

 ──やめてください。試合のオーダーは小川先生が決めることです。僕の知ったことじゃありません。
 藍璃はそう言って職員室を逃げるように立ち去った。実際逃げたのか。部活も半ば逃げた。

 こんなの初めてじゃないのか。練習が辛くて逃げ出したことなんて一度だってない。練習が嫌になって野球を止めようと思ったこともない。

 嫌だと思うこと。思えば今までが恵まれ過ぎていたのか? ずっと捕手で、捕手以外やってくれと言われて、それで嫌になったのだ。野球が嫌になるなんて想像も付かないが、今がまさにそのようだ。
 捕手以外で試合に出るくらいなら、いっそ出ない方がマシだ。一年生で四番を頼まれたって、本当に自分がやりたいのは捕手の方だ。捕手をやらせてくれるなら八番でも九番でも構わない。

「そうですか」
「そうなのかな……」

 口に出してしまうとある程度気持ちが削がれる。抱え込んでいた時よりもずっと楽になった。

 それに、高校で永久に捕手として使ってもらえないわけではないんだろう。今は下級生でもやがては藍璃の代になる。自分の番は回ってくる。
 翔桜高校の校則や伝統は理解しつつあった。三年生はたった三人しか居ない。
 勉強ではなく、野球とチームを選ぶ。それがどんなに凄いことかも藍璃だからこそ分かる。

 ……捕手以外でもいいのかな。いやどうなんだろう。
 未だに決心が付かない。けれど迷っている暇はなく、明日には付くはずだ。土曜の試合まで日がない。

 藍璃は安心の意味合いを込めて美咲を見遣った。彼女ならなんと言ってくれるだろうか。

「そうかもしれません。でも、最終的に大事なのは藍璃さんの気持ちです。十年以上捕手だけをしてきたのに……! わたしたちは翔桜の学生です。強豪校の人間でもプロでもない」

 美咲は明らかに怒り始めていた。雑巾を動かす手が速く、口調と声音が段々強くなっていくのがその証拠で、それを見るや、藍璃は慌てて両手を軽く前に振った。

「まあ、でも、小川先生はいい顧問だよ。技術もある。ノックとか巧いんだ。上級生に人望もあるみたいだし」
「所詮、藍璃さんをコンバートするような人です」

 顔を上げはしなかった。刹那、死んだ魚のような虚ろな目になって、

「いい人には思えませんよ」


                2


 水曜、朝のホームルームの前、女子トイレの入口扉が音を立てて勢いよく開かれた。
 足音が二つ、談笑と一緒に奥の方に近付いてくる。

「げ。入ってるよ」

 二人の女子は一番奥の個室に使用中の赤色マークが表示されているのを見て、引き返していく。

 一つ手前の個室も使用中だ。休み時間に時折、行列を成すように、女子トイレの稼働率は高く、一回当たりの使用時間は男子より長い。
 今回のように先に来た者が個室を詰めて使ってくれると、二人組等連れの女子が隣同士で個室に入れる利点がある。

 けれど人間の心理作用として、自分の直ぐ隣の空き部屋に他人が乗り込んできたら変な気分にならないだろうか。他にも個室が余っている場合は尚更、一つ開ければいいと思う。
 電車で席に座るとき、他人同士隣り合う場合はそんな暗黙の了解があるのではないか。

 ──つまり、使用中の個室、奥の二人は友人なんだろうな。
 誰でも一瞬、頭に過ぎる考えの一つ。

 後から入って来た女子二人は、結局奥から一つ開けて個室に入った。
 翔桜の女子は基本出来る人間なので、かなり時間に余裕を持って行動する。少し前までは盛況だったが、今トイレに居る女子は4人だけだ。

「で、なんだっけ」
「赤羽根だよ」
「ああ、そうそう。マジ驚いたよ。よりによって赤羽根と白崎くんが本当に付き合ってるなんて」
「男子の情報だから半信半疑だけどね」

「っていうか早すぎ。入学一週間でさ。流石にないわ。中学違うっしょ」
「はは。でもうちって、大抵、学校内でカレシ、カノジョ作るんだよ」
「え、なんで? 校則あんのに」

 そこで双方の部屋から同時に流水音が流れ始めた。排便、排尿をする時、それを隠すために水を流して音を立てる。だが、右側女子(Aと仮名する)が最初に吹き出した。

「ぷっ、バレてんだよ」
「あはは」

 女子トイレを使用する全ての女子から毎回音を消すためだけに水を流されたのでは金が掛かり過ぎると、二十世紀80年代末に流水音を発信してくれる機械が作られた。
 実際、この機械の設置で全国の施設で水道費が節約された。

 だがトイレ用擬音装置と、本物の音では違いが生じるので簡単に判別が可能だ。

 もっとも本題とは何ら関係ない話なのでAも左側女子(Bと仮名)も直ぐに、この遊びを切り上げた。

「いや、当然。うちの男子より頭いい奴なんて早々いねーよ。んで大半がいい大学行く。中には官僚になる奴もいるし」
「あー、なるほど。他所のカスなんか眼中にないってね」

「まあ、でも普通五月末から夏辺りだが。ちらほら一年が付き合いだすのって」
「なんかあったっけ?」
「プール開きさ。んで男共が発情するらしい」
「うわ、分かりやすいな……いや変じゃない? 男女別でしょ、体育」
「そうなんだよ、じゃあ何でなんだろうな。その頃には外進と打ち解けてるんじゃないの」
「ああ、市民プールとか行くのか」

 AとBの声音が段々と大きく、壁越しとはいえ奥の女子の耳にも入るぐらいの声量に変わり始めた。

「わーったよ。赤羽根はエロいから、プール開きになる前に白崎に予約されたんだろ」
「あのエロ羽根め」
「いやいや、エロイのは白崎もだろー。エロ崎が」
「しっ。声デカイよ」
「いいよ、誰もいないし」

 今の間、誰も女子トイレを訪れていない。だが先に個室に入った二人が出た様子もないので未だにトイレ内には4人の女子が存在する。
 Aは二人には気にせず喋り続けた。どうせ他人から聞いた話なので、他の女子に広めても面白いと考えたのだろう。

「しかし、なんで赤羽根はオーケーしたんだろうな? 白崎はそんな頭良くないらしいが。東大行けないよ、彼じゃ」
「プロになれるじゃん」

「は、プロ?」
「プロ野球選手」
「なれるかよ」
「いや、うちで成れるとしたら白崎くんぐらいだよ。或いは六大学の四番とかね。そんな人、うちからじゃ前代未聞でしょ」

「うん。超レアだ。東大より凄いかも」
「いや凄いよ。東大の合格者は毎年3000人いるし、うちからも60人以上出るけど、プロ野球選手に成れるのはドラフトでは全国72人しかいないもん。桁違う」
「当たれば億万長者で有名人だしな。ああ、赤羽根もそれ狙いか」

「金は違う。でもセコイのは変わらんね。翔桜にあんなイケメン体育会系が来るとは思わないもんな。有望そうだから狙ってるんだ。身長差有りすぎで全然似合ってねーのに」
「はは。あんたが言うな」
「うっせ」

 それまでずっと続いていた会話が途切れた。
 また二人ほど女子がやって来て、それぞれAとBの隣の個室に入った。

 AとBは携帯電話でメールのやり取りを始めた。二人ともかなりタイピングが速く会話のようにとは言わないが、不具合を感じるほどの合間がない。

〈他にプロ成れる男いないの〉
〈あんたもプロ狙いかよ〉
〈ちげーよ。聞いただけ〉

〈いるわけない。いた、せや。二組の瀬谷。すげー球投げるとか〉
〈あーあれかよ、あれはね〉
〈うん、あいつキライ〉
〈でもあいつ大学とつながりあるらしい。キャンパスで姿見たとか〉

〈マジ?どうでもいい。でも勉強デキるから東大慶応の野球部で投げる奴さ。白崎くんには劣る〉
〈いやいやそれ、滅茶苦茶凄いだろ。博打の白崎より凄い〉
〈そうかな?〉
〈そうだよ。赤羽根は博打狙いかよ〉

〈あいつ家裕福だから、堅実な男より博打魅力感じるんだろ。名声欲しいんだ〉
〈なーる〉

 その時、つい先ほど来た女子二人が用を終えて、ドアを開けほぼ同時に出て行った。
 彼女らはトイレ用擬音装置ではなく、本当に水を流しながら排尿していた。それも女子には分かっている。自分たちのような女も居れば、こういう女も居る。

「後何分?」
 再びAが口を開いた。

「六分ちょい」
「んじゃ、もう少し」
「おう」

「そうそう。その瀬谷で思い出した。聞いた話だとさ。瀬谷が例の話を一組で漏らしたとき」
「例の?」
「赤羽根の」
「ああ」

「で、話したときね。聞いていた松田が……」
「松田って、一組の? あの、結構、可愛い奴だろ」
「そう、ってか一組内だって」
「はいはい」

 そのとき突然、『メールが届きました♪』と女性の甘ったるい声が響いて、一旦場が沈黙した。
 Bの携帯電話の着信音だ。音量が大きく今のは完全に、トイレ内全体に聞こえている。

「メールが届きました♪」
「うっせ。真似すんな」

「切れよ。取り上げられる。授業中じゃなくて良かったな」
「私じゃねー。これやったの。まじ殺す。まじ殺す」
「ってかなんで鳴ってんだ?」
「予備だよ、今二つあんだ。取り上げられてもいいように」
「はは、じゃあ許してやれ」
「くっそが。あ、四組の長谷部だ。思い当たりある」
「んで松田がさ」

 Bがぶつぶつ呟いている間にも、Aは話を再開していた。

「動揺したのか、ジュース。紙コップのジュース零しちゃったんだとよ。で、当然皆から注目浴びてんの」
「なにそれ、ばれた?」

 話が急展開してBが食い付く。盛り上がり始めたのか、二人の声がまた高くなっていく。

「そう。松田はたぶん白崎狙ってたんだよ。それが、こんな形でバレちゃって。別に真相なんか知ったことじゃないけど、この件で一番恥かいたの、松田だろ。あー、おかし」
「うわ。被害者が一人」
「いや、おかしいのはこの後さ。聞いた話によるとね」
「また聞いた話か」
「仕方ないだろ。しかもこっちは、お漏らしした松田の直ぐ近くの女子しか見てないらしい」
「それで」

「ギンッと睨みつけて『赤羽根ぇ!』って呻いたとか、なんとか」
「え」

 Bの返事が裏返った。場がしんと静まる。ゴクリと生唾を飲み干す音。Aがおどろおどろしく、わざとらしく言った。

「まるで、今にも刺さんとするような目付きだった、らしい」
「こ、怖ええぇぇ────ってか、松田さん、マジ怖いよ。昼ドラかよ。それ、止めろ。うちで揉め事すんな。刺すなら他所のガッコいけ」

「はは、脚色入ってるかもしれないけどな」
「そうかい。でもさあ、実際その手の話、よく聞くよね」
「なに?」

「自分の男に、別の女が見つかったら、男じゃなくて女の方に当たるってやつ。どっちも悪いって」
「あー、あるある」
「なんでなんだろ? 逆パターンはどうなんだ。うっちゃん、分かる?」

 Aのあだ名はうっちゃんと言うらしい。うっちゃんことAは質問に対して、急に気だるそうに返事した。恐らくは自分とは関係ない、面白い世間話と噂話が終わったからだ。

「わかんねーし、わかりたくもねー。単にさ、女の方が弱そうだし、強く言えるから女に当たるだけなんじゃないかね?」
「ふむ」

「松田って、確か軽音部だよ。得物はギターじゃないの。刺すじゃなくて叩くだ」
「はは……ってかそろそろ時間ないっしょ。出るか」
「ホームルームなんかサボってもいいけどね。どうせ中水流だし。うざいんだよ、あいつ」
「うちの先生は厳しい男でさ。んじゃ私は出るよ。面白かったよ、メールの件以外な」

「メールが届きました♪」
「だから黙れよ」



 ……二人が漸くお手洗いを後にした。
 本当ならもっと早くに個室から出るはずだったのに。もうホームルームまでの時間は一分ちょっとしかない。

 だがそれ以上に気味悪く思っていただろう。二人の目的は半ばお喋りだったのだから、長々と時間を潰したのは分かる。奇妙なのは自分たちより前から居たはずの奥部屋の二人が音も声も立てず、一向に個室から出てこなかったことだ。
 二人と大差ないタイミングでお手洗いにやって来たと仮定しても、まるで身を潜めるようにじっとしていた。

 じっと隠れていたのだ、赤羽根瑛梨花は。

 確かに昨日あんなことはあったけれど、たった一日、それも一時間目前の段階で、信じられないほど噂が広まっている。それで登校時、教室での自分への視線が少し、いつもと違ったのか。

「もう時間がありません」

 二人の女子が立ち去ると続いて自分の隣部屋の扉も開いた。瑛梨花はそこからさらに十数秒以上、時間を開けてから個室から姿を現した。

 実は隣の女子と瑛梨花は全く面識がない。連れでもなんでもない。
 奇妙と前述したが、本当にそう感じていたのは、明確に身動き出来ない理由を持つ瑛梨花の方だった。

 ──どうして、自分の隣の女子は個室から出ないのだろう?

 洗面台で手を洗っている女性が、不意に顔を上げてこちらを向いて微笑んだ。先ほどの声音も自分への問いに他ならない。
 女子ソフトボール部のチームメイトの白沢美咲、その人だった。

「手を洗わないのですか。赤羽根さん」
 



[19812] 5回裏: 藍璃の運命と瀬谷の野望
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/12/10 17:31
 
 昨日に続いて一組では今日の昼休みに、十二人の白崎ファミリーが勢揃いした。

 こういうものは継続しなければ意味がない。最低一、ニ週間、或いはそれ以上、一ヶ月。
 それで十二人の中から仲の良いグループが形成、発掘されれば、やがて集会の人数が減っても良いし、仲良くなるならそれに越したことはないと藍璃は思っていた。

 ただし今日は瀬谷真一朗だけやって来ていない。元から二組の人間だし、瀬谷の性格を考えれば早々都合が作れそうにないのは明瞭だった。

「古谷は何か部活入った?」
「うん。陸上に決めた」

 そして最初は毎日、席順を移動して話し相手を変えてみる。今日の藍璃の左隣は女子の松田で、右隣が男子の古谷だ。
 藍璃は自分が、昨日皆が盛り上がったような、最近の話に疎いことを前置きした。それでも部活動の話なら恐らく付いていける。

 隣の古谷は野球部部員を除くと、男子の中では中々体格の良い男だった。身長は普通だが髪も短くさっぱりしている。足も太めで筋肉がついてそうだ。
 中学での部活は運動部系だったのかな? 高校もそうなのかな、と思っているとその通りだった。

「陸上」
「中学でもぼちぼち。昔から足だけは速かったし、走るの嫌いじゃない。でも長距離はあんまり得意じゃないから短距離な」

「陸上部ってさ……あの子たち来てない? 桑嶋とか、速水っていう……」

 陸上と聞くと、女子ソフトボール部に入ってくれるらしい二人の名前が思い浮かんだ。どちらも足が速く本来なら陸上部が欲する人材だ。それに二人とも走るのが好きなようなので陸上部も見て回ってそうである。
 古谷は一旦弁当の箸を置いた。彼の食べるペースと量から比べると弁当箱が小さいように思えた。

「ああ、いるよ、いる。桑嶋さん。二人とも」
「あ、いるんだ」
「前者は一年のスーパーエースだ。可愛いから」
「あはは。実力は?」

「まだ先輩のタイムは知らない。でも去年の成績的に余裕で上だろうな。あいつは翔桜中の星って言われてたんだ。去年100メートル12秒4で全中出てるんだぜ」
「へええ」

 速い速いとは聞いていたけれど、予想以上の内容に藍璃は本当に驚いた。内部進学生、道理で。
 思わず確認を取るように周囲を見渡した。目線が合った仲間たちが、食事を取りながらこくりと頷いていく。最初に田中が口火を切って、次々と周りに伝染した。

「うん」
「有名」
「超有名だよ」
「他、進藤さんぐらいじゃない?」
「可愛いしな」
「中学の時は毎週告白されてたって」
「それ嘘だろ」
「ごめんウソ。でも実際月1、2ぐらいとか聞いた」
「今、彼氏いるのかな」

 ──彼氏。
 最後に発言したのはだろう? 女子の永島の声のように藍璃には聞こえた。
 彼氏という単語が飛び出て一瞬、その場──だけでなく、教室全体まで沈黙した。

 今日、瑛梨花は藍璃の向かい側の席に座っていた。彼女の隣は藤原と斎賀だ。

「白崎はさ。100メートル走のタイム、どれくらいなんだ」

 空気の読める古谷が、逸早くその場の静寂を取り払った。
 藍璃は会話が途切れたのを見計らって、この間、五段弁当をもりもり食していた。昨日はあんまり運動出来なかったが、今日は自主朝錬で素振り等をしてきたので腹は空いている方だった。

「100? 体育の授業でしか……11秒4か5ぐらい、去年」
「ちょっ! おれより普通にはえーよ。いや並みの陸上部部員より……」
「藤原は?」

 速いに越したことはないが、直線の短距離走の好記録と、ベースランニングの上手さは必ずしも直結しない。一般的に野球のベース間の距離は約27.43メートルなので、野球部の人間が重視するのは50メートル走の記録や、もっと短い距離での加速力だろう。
 だから突然、100メートル走の話題が振られて藍璃は一瞬、戸惑った。そしてその戸惑いを同じ野球部部員で俊足らしい藤原にも共有させてみる。

「え……去年12秒3」
 藤原が言うと永島が、

「やっぱり白崎くんの勝ちかー」
 と水色の小さい弁当箱の蓋閉じて「ご馳走様でした」と手を合わせた。

「白崎くんはな」
「仕方ない、『大きくて強そう』だもん」

「野球だから100とかいいんだ。大事なのは一塁到達速度とベーランタイムだから」
「その両方とも白崎のが速いんだろうな。左打ちだし」

 藤原の弁明直後、最後に茶々を入れたのは同じ野球部の斎賀だった。
 斎賀の弁当はあまり大きくないけれど、まだまだご飯が残っている。自分の食事でもないのに、藍璃としては早く食べて欲しくてそわそわしていた。

「うるさいな、大事なのは走力そのものより走塁と盗塁の上手さだよ」
「白崎は中学では盗塁王なんだよ」
「うるさいな」

 藤原と斎賀の言い合いが続く。
 この二人は同じ野球部員だから真に喧嘩なんてしてないことを藍璃はしっかり分かっているが、一見さんにはどう目に映るのだろう。
 形だけとはいえ、あまり喧嘩みたいな真似はして欲しくないと、箸の手は全く緩めずに思っていた。

「松田さんは部活決めたの?」
 二人の会話を掻き消すように今度は左隣の松田を見遣ると、

「あ、軽音部です」と笑って答えた。

「楽器とか、担当は?」

 藍璃ではなく松田の左隣の増井が問いかける。

「ベースです。本当はギターやりたかったけど、立候補多くて取られちゃったんですよ。でベースを」
「へえ……」

 と相槌を打つが、ギターとベースの違いが藍璃には分からない。
 何となくベースの方が野球とつながりのある単語(ベース、ランニング等)に思えて親近感が湧いてきた。ベースの方が面白そうだ。

 それで俄然興味も湧いたので、松田の顔と瞳を今一度真剣に見つめた。髪型が黒髪のロングストレートなのはこの中では瑛梨花と似ているが、松田の場合は前髪中央部を分けている。中々落ち着いた話し方をするのだな、と感じた。

「コンタクトでしょ?」

 藍璃は弁当がまだ残っているので目線を机に戻した。最初に話しすぎて今日は食べる速度が遅くなってしまった。

「え……分かるんですか」
「うん。分かる」
「目、良いんですね」
「いいよ。両目とも4.0」
「え?」

 えー、へーと一同から声が上がる。藍璃は気にせずご飯を噛んでいたが、十数秒もして口の中が落ち着くと、

「冗談だよ。冗談。4.0はないよ。流石にね……」

 と訂正した。あのまま黙っていたら白崎の視力は4.0だ、でクラス中に認識されてしまうかもしれないからだ。自分の本当の視力など知らない。
 100メートル走のタイムは確か本当だが、冗談が浸透するのは良くない。今日の瑛梨花との件のように……昼までの休み時間、瑛梨花と二人、他クラスの誤解を解いて回るのは大変だった。

「白崎くんも冗談言うんだなー」
「だね」
「いや、そりゃ言うだろ」

 と斎賀。彼は本当に食べるのが遅く、まだ半分は残っている。他人事ながら心配になる藍璃だった。

「というより日本は普通2.0までしか計らない」
「そう」

 藤原のツッコミに藍璃は頷いた。五段弁当が空になって(五段目は果物だったからすぐに食べ終わった)箱を戻して、永島のようにちゃんと手を合わせて挨拶をする。これが良い。

「今日は瀬谷、来なかったな」

 と十二人中九番目に食事を終えた藍璃が、一服付きながら呟いた。瀬谷が来ないと静かだ。

「あいつ二組だし、二組にも友達いるだろ」

 これも斎賀の発言だ。翔桜の学生は基本、この団体が特にそうなのかもしれないが、お上品で本当に食事を口にしながらは喋らない。
 藍璃も周りを見習って、今ではなるべくそう努めるようになった。つまり会話が多くなると食事のペースがかなり遅くなる。元から遅い人間は尚更。

「斎賀早く食えよ」
「うるさいな、小食なんだよ」

 藤原にお返しとばかりに逆襲されていた。両方とも冗談気味の、軽い調子の口調だ。
 ほら、やっぱりこの二人は仲悪くないのだ。藍璃はその光景を微笑ましく眺めていた。

 そして二人を見ると当然真ん中の瑛梨花の姿も目に入るが、一方で彼女のように口数が少ない割りに、普通に食事ペースがゆっくりとした人間もいる。
 伊藤が十番目に完食して昼休みの最後まで、斎賀とブービーを競っていた。

 そういえば、今日は放送でも呼ばれなかったな……と藍璃はふと気が付いた。今日は藍原の神回ではないので放送は耳に入らなかったが。
 毎度毎度職員室に呼ばれる人間などいる筈がない。それは当然なのだが、藍璃はやけに安心するのだった。


                2


「瀬谷、なんであんなこと言うんだよ」
「何だよ、白崎。オレはお前のことを少し見直していたんだがな」

 6時間目の授業は終わり、放課後に突入した。部活、部室に行く生徒と帰宅する生徒で半々。廊下に人が溢れ、一瞬騒がしくなる。
 藍璃とその連れの藤原は、二組前で瀬谷が出てくるのを待ち構えていた。斎賀は先に野球部部室に向かった。

 瀬谷と直接話すのは今日初めてではないか。藍璃は例の件──赤羽根と交際しているというデマを漏らした瀬谷に積もる文句があった。誤解を解いて回ったことで二人とも大変疲れた。

 三人は教室から離れて、ゆっくりと廊下を歩く。瀬谷は藍璃の注意も利かず、また右肩に通学鞄を掛け始めていた。何度も注意されると、女子のように両手に持ち始めた。藍璃は突っ込まない。

「おい、止めろ」
 見かねた藤原が突っ込んだ。瀬谷は再び鞄を右肩に持ち上げた。

「捕手はやっぱり計算高くなきゃいけねえ。だから早めに赤羽根と交際に持って行ったお前を賢明だと思ってたんだが」
「どういうことさ」

「わからねーかな。赤羽根は凄く男子共に人気あるんだぜ。別に一年に限らずな。そりゃそうだ。可愛くておっぱいでかい女が、人気ねー世界なんて何処にあるんだ? 現実ありえねーだろ、なあ藤原さんよお。あいつは女子中から来たから今までフリーさ。
 でも高校じゃ放っておいたら、いずれ誰かと付き合うんだよ。だからそうなる前に、白崎がいくなら、それはそれで良いとお前の良き友であるオレは納得してやったんだがね」

「お……」

 未だ女子も通行している、廊下の人前で、おっぱいという単語を出されて恥ずかしがる男子は居る。藤原がそうらしく動揺した。
 藍璃もどちらかと言えばそうだ。仮に自分の頭の中にデータが入っていたら恥ずかしがったろう……。だが藍璃は素で、もう一週間近く瑛梨花を見てきたのに、気が付かなかった。

「赤羽根さんっておっぱい大きかったの?」
「え?」
「は?」

 二人から別の意味で驚きの、呆れた声音が上がる。
 藍璃は背が大きいから、比較的座っている場面の多い瑛梨花の胸に気付かなかった、としか理由にならない(しかしバッセンで二度も会ってる)。後は美しい顔ばかり見ていた。

「そりゃ……」

「けっ、天下の白崎くんは、おっぱいなんざ気にならんということか。赤羽根とすれ違えば100人中99人の若い男は胸見るが、お前が残り一人だな。
 いいぜ、教えてやるよ。一年のまともな女で一番胸がでかいのは赤羽根瑛梨花さんでEかFカップさ」

 瀬谷を叱咤していたつもりが、急に藤原が向こうに寝返ったのように、二人して冷たい視線を向けてきた。

 藍璃は違うんだよ、と心の中で訂正した。自分もまた胸は大きければ大きいほど好きな人種だった。母も姉も、皆大きかったから。美咲が大きくなると嬉しくなるのが藍璃と言う人間だ。でも一方で小さくても別に良いのではと思っている。妹たちは小さい。
 しかし恥ずかしいので口には出せない。気付かなかったが、気が付くと恥ずかしい辺り自分は藤原と同系統の人間だと見ているのだが、藤原の冷めた眼差しが痛かった。いや……藤原は瀬谷も睨みつけていた。瀬谷と自分は同類か、と藍璃は余計ショックを感じた。

「んじゃま、仕方ねえな。EかFカップの赤羽根さんには後で謝っておくぜ。お前らじゃ頼りねえから、オレがまた広めとくよ。白崎と赤羽根は本当は付き合ってなかったってな。
 男子どもは喜ぶだろうよ。オレにもまだ突き合うチャンスがあるかも……ってな。ククク。人間はな、嫌なことより嬉しい知らせの方を『信じたがる』動物なのさ」

「あのなあ、瀬谷」

 何故だか知らないが、瀬谷の方から誤解を訂正してくれるならそれは良いことのはずなのに、どうにも胸に引っかかる。

(瀬谷は態度が悪いんだ)

 この場合の態度とは言い方に当たる。今の言い方がなんだかいやらしい。
 藍璃は先頭を進む、瀬谷に食いかかろうとした。その藍璃の左肩を藤原が軽く掴んで、

「止めとけよ、白崎」
「藤原」
「瀬谷は、いつだってああいう奴さ」
「でも」
「それにお前たちが付き合ってないのは本当のことだろ」

 うん……そうだね、と呟く。正論を言われると言い返せない。

 それにしても藍璃の中に不思議な感情が湧きあがり始めていた。言葉には言い表せない、奇妙で漠然とした想いだ、自分にもこれが何なのか分からない。早く明日になって欲しいなという気持ち。

「瀬谷の考え、この後起こる展開、読めるか?」
 藤原の言葉で現実に舞い戻された。

「え……」
「後でよく考えてみろよ」

 藤原はそう言うが、野球でもない物事で、今必死に考えても分からない答えは家に帰って悩んだところで一日やそこらで分かる気がしない藍璃だった。
 そして困ったとき、藍璃には美咲が居る。
 分からないこと、知らないこと、何でも答えてくれるだろう。それが白沢美咲だ。
 
 
 
「待てよ、瀬谷」

 藍璃は一人前進む、瀬谷に追いついて呼び止める。既に昇降口までやって来た。運動場は校舎の裏手口にあり、第二グラウンドは入り口から広い階段を降りた向かい先にある。だから三人が進む方角としては間違っていない。
 だが、藍璃と藤原と無視するかのような瀬谷を見ていると、急に思い当たることがあった。

「なんだよ、まだ何かあるのか」

 振り返った瀬谷はもう右肩には鞄を掛けていなかった。だが右手には持っている。

「もうこっちが本題みたいなもんだ。瀬谷、今日、部活に出るよな?」
「ああ……出ねーよ、パス」

 やっぱりなと藍璃は瀬谷を睨み付けた。驚くこともない。出逢った時、日曜の最初の対決から瀬谷には部活サボリ癖なんてものは見えていた。

「出ろよ」
「寄るとこあんだよ」
「部活より重要とは思えないな」
「いいや、重要だぜ。っていうかよ、小川の奴に選ばれたらしいな、白崎」

 瀬谷は地面に鞄を落として、腰を掛けてうんこ座りになった。

「おい藤原さんよ、知ってるか。週末の試合、白崎くんが一年、唯一のスタメンだとよ」
「別におかしくないだろ。白崎なら」

「ふん。まあな。ここのカス部員の中ならお前がもう四番だよ。藤原だって七、八番には入って然るべきだろ。オレだって文句ねー」
「おい」

 藍璃は声を低めて、瀬谷の前に立ち塞がった。瀬谷は微動だにしない。見下ろされた藍璃の目と合わせようともしない。

「女以外はオレの前に立つんじゃねーよ……あ、逆か」
「瀬谷」
「聞けよ、白崎。オレはな。昨日、三番手って告げられてんだよ」

 口調が先ほどまでの、おっぱいだなんだ言っていたときのお茶らけたものから変わった。瀬谷は時折、こうやって真面目に語る。

 前日、藍璃は例のコンバートの話で、不貞腐れて部活を早退したが、仮入部の二日目に投手テストが行われた。瀬谷も昨日は部活に顔を出している。でもバッティングセンターで出会っているのだから、何処かで瀬谷もグラウンドから抜け出したのだ。
 自分の体験談があるからこそ藍璃にも瀬谷の言わんとする話が読めてきた。

「一番は二年の青木って奴だ。こいつは凄いらしい。見落としてたが130キロ投げられるんだとさ。でもオレより遅いわな」
「変化球とコントロールが良いんだろ。その青木先輩が居なければ、春季大会、ここまで勝ってこれなかった」

「ああ。そうだな。手柄ってもんがある。だから青木は認めてやるよ。だが久永だ。三年のサウスポー、久永。お前も余裕で打った、こいつは所詮120キロ程度だろ。去年の夏も糞結果だし、どう考えても140のオレのが凄いんだよ。なのに久永が二番手で、オレがその次だとよ。あり得るか? おい藤原さんよ、お前はどう思ってんだよ」

「その言い方止めろ」
「わーったよ」

 藤原も藍璃たちの長話に付き合ってくれるようだ。もう部活の時間が始まろうとしているのに。

「年功序列なんだろ。特に三年生は」
「はいはい。だから分かったんだって。オレここじゃ投げねーわ」
「は?」

 藍璃と藤原、共に素っ頓狂な声を出して「ククク」と瀬谷に笑われた。

「あー、少なくとも一年のうちはな。くだらねーな。年功序列に身を任せて負ければいいんだよ。オレはな、もうこんなカス野球部『助けてやらねー』」

「分かった。だからサボるんだな。何処か遊びにいくんだろ」
「遊ばねーよ」

 瀬谷が左手を軽く振ったので、藍璃が数歩後ろに下がる。瀬谷は立ち上がると鞄を開けて中から硬式ボールを一つ取り出した。

「白崎よ。お前、オレが140キロ投げるって聞いてビビらないか? オレは一筋じゃねーから野球歴は合間合間で計二年程度だよ。お前は十年以上だよな。でも、バスケ、サッカー、その他全部合わせたらたぶんお前と同じくらいになるぜ」

「それが何だよ」

 瀬谷はいつもの如く、手首をひねるように、硬式ボールを上に放っていた。

「馬鹿な捕手は困るなあ」

「あいにく捕手じゃないんだ。僕は」
「らしいな。小川が馬鹿だな。お前は捕手でいいんだよ」
(瀬谷もそう思うのか……)

 捕手がいいと認められて少し嬉しくなる藍璃だったが、今の問題とはやや関係ない。
 瀬谷に次の言葉を促した。そして、ここから切り出された瀬谷の発言は、藍璃からすると予想外のもので──最初に瀬谷に出逢った時から、ナメていたのかもしれない──謝りたい気持ちで一杯になった。

「そうそう、でだ。オレはな……オレは天才だが、だからって努力してないのに努力してるカスをボコれる、オレ様すげーって偉ぶるタイプの天才じゃないんだよ。
 オレのトレンドは、一流の天才が一流のトレーニングをする、よって超一流の天才が誕生、おかしくねーだろ? って合理的なスタイルだからな。白崎、お前の妹もそうだろ?」

 そこで他ならぬ白崎日和の名が挙がった。

 学生剣道界で強豪の九州・熊本の天神学院に進学した日和は、小学生時代に剣道全国制覇を成し遂げている勢いそのままに中学一年、二年と二連覇を達成した。天神学院は元から強いが、日和が来てからは不動の地位を築いた。
 今年も優勝するだろうし、中高一貫で高等部に日和が進学する暁には、高校でも優勝するだろう。どうせ玉竜旗も高校総体も選抜も魁星旗も、それから国体も優勝するに決まっている。あいつは『強くて大きい』からな。

 白崎日和は熊本で、六年連続日本一になる宿命にあった。
 目の前に居る瀬谷真一朗も、自分がそんな人種だと語っている。そうだったのか?
 140km/hのストレートを投げたのは才能だが、それだけじゃなかったのか……。

「お前の妹は、まんま今オレが言ったタイプの超天才だな。認めるよ。無敵のひよりんには憧れちゃうぜ。それで白崎藍璃、『じゃあ』お前はどうなんだって話だよ」

 練習し続ければ、人は誰でもどんどん上達する。逆に練習しなければ若くても進化しない──とは藍璃の信じている概念だ。
 だがこの言葉、元々は日和の受け入りである。彼女が、中学は熊本の学校に進むのを藍璃たちに打ち明かした時にそう説明した。

「話読めてきたか? お前らにも大事なことだからちゃんと話しておくか。
 なあお前ら、こんな学校で練習して、上達できると思うか? できるわけねーだろ。できたら全国の野球小僧や、強豪校で汗水垂らしながらやってるエリートに失礼なんだよ!
 そう、オレはな……今、大学でやってんだよ。練習。大学の野球部の練習に混ぜて貰ってんの。自主錬だってずっと続けて来たんだぜ」

「大学?」

 大学……何処の大学だ? 藍璃には瀬谷の話が唐突過ぎて、訳が分からなくなっていた。
 冷静に言葉を並べていけばそのままではないか。でも高校入学したばかりの人間が、もう大学の野球部で練習に混ぜて貰っているのに驚いた。

「大学はいいぜ。当然、オレ並に速い球投げるやつや、力強いやつがいる。周りの高校のガキとは比較にならんほど、がっちりしててな。でもオレも周りに引けを取ってない。186cmで取るわけねーだろ。そういうエリートどもが一流の施設で一流のコーチから、一流のピッチング理論習ってトレーニングするんだぜ。
 オレの140キロはある日突然湧いて出たわけじゃねえ。今までの練習の賜物なんだよ。ま、努力しても駄目なやつは幾らでもいるから、やっぱりオレって天才なんだがな。
 ……で、つまり、だから高校で練習しなくていいだろ。使って貰えないのに、なんで低レベルな練習に合わせんだよ、馬鹿じゃねーか」

 ……瀬谷はその練習に付いていってるらしい。140キロのボールを投げたのも事実だ。
 それじゃあ藍璃たちが、している練習とはなんなんだ? 瀬谷の突然の激白に面食らった。

「青木先輩を知っているか、瀬谷」

 藤原が横槍を入れた。再び翔桜に関係がある話に戻りそうだ。

「あ?」
「去年、生徒会も務めた。二股だって……それで彼は一年の夏、野球部を干されてたんだ」

「あー、クク、なるほど。小川はオレのこと、青木二世だと思ってんのか」
(それで……最初から瀬谷に辛く当たるような光景が見られたのか? ノックも瀬谷にだけ厳しく……)

「別に、このまま高校三年間、公式戦出場経験ゼロでもいいわ。だってオレらは翔桜生で、そこら辺、野球で進学アピールしなきゃいけないやつらとは出来が違うもんな。普通にやれば東大や早慶行けるぜ。今、大学で鍛えて、大学デビューってのも悪くねえ。

 ……教えてやるよ、京都大学一年のピッチャー瀬谷は球速159のスタコンAB、スライダー3フォーク5チェンジアップ4だ」

 藍璃は不意に、正面から瀬谷の肩を掴んでいた。自分でもどうしてこう動いたかが理解出来ない。

「おい、止めろよ、白崎。オレが超天才だからって、オレの右肩壊すつもりじゃねーだろーな?」
「……!」
「おっと左肩だった、わりーわりー」

 瀬谷は右手でボールをキャッチすると、それを後方、鞄の中に放り投げた。
 ここで急に瀬谷の口調がいつものだらしない物へと、ガラリ様変わりした。

「白崎。それから藤原も。お前ら今は野球上手いぜ。同世代よりもな。でも高校で追いつかれる、または伸びないだろうな。翔桜じゃ限界があんだよ。
 今のまま行けば三年後は野球でも、白崎、お前よりオレの方が上になるぜ。だから気を利かせてやったんだ。勉強でも野球でもオレにかなわねーんだから、女、赤羽根ぐらいやろうと考えたんだよ」

 瀬谷の左肩から右手を離した。そして握り締めた左手で右頬を殴りに掛かる。
 唇は震えていて、不真面目な瀬谷なんかに本気で怒ってしまったらしい。情けないことだ。
 さらに情けないことに、殴りに掛かった藍璃の左腕が取られて、刹那、逆に地面に抑えつけられていた。

「だから止めろよ、白崎。さっき止めろよって言ったのはお前のためだぞ」

 背中から静かに倒された形で、ほとんど衝撃がなかった。瀬谷は直ぐに腕を解いて立ち上がり、一緒に通学鞄を手に取った。

「お前も喧嘩つえーがオレの方がちょっぴりつえーよ? お前は野球十年でオレは運動十年、ずっと空手、柔道とかやってきた。体格が五分ならキャリアの差が物言うよな、天才と超天才の」

 本当に瞬間的な出来事で頭がはっきりしない。瀬谷を殴ろうとしたのも一瞬であれば、倒されたのも一瞬だから、後々になって自分は怒りに任せて動いたのかと理解する。藤原が動く前に二人の行動は終わっていたのだ。

「やべ。話しすぎたな、時間押してるぜ……おい、白崎、藤原。勘違いするなよ。オレは別にお前らの悪口言ってたわけじゃないんだぜ。
 ここの野球部はカスだが、お前らの実力は本物だから、お前らも大学で一緒に高レベルな練習したいって言うなら、オレの方から頼んでやるってことさ。
 クク。ついでに大学の女もそれはそれで良いしな……クク……」

 じゃあな、と手を上げて瀬谷は校舎向こうに立ち去っていった。背が大きいため暫く階段を降りる姿が確認出来たが、恐らく彼は真っ直ぐ第二グラウンドには行かないだろう。

「あいつ……」

 制服の埃を払いながら藍璃は呟いた。
 つい先ほど、ねじ伏せられたのは悔しくない。他人はどう見るか知らないがこれは本心だ。

 だが瀬谷が大学の野球部で練習しているというなら、彼は今後、自分の想像も及ばないほどどんどん進化するだろう。それがワクワクすると同時に無性に悔しかった。

「俺も、大学の練習混ぜてくれるかな……」

 昇降口後方、廊下の影から、入り口に坊主頭を覗かせたのは一年三組野球部の男だった。
 まるで気配がなかったので藍璃も藤原も素でビックリして身を引きそうになった。

「来栖?」
「なんで、お前まだ校舎にいるんだよ。部活始まってるぞ」

「うっせーな、トイレ長引いたんだよ。それよりさ」

 来栖はすすすと小走りに、藍璃に近寄って腕を肩に絡ませ、今度は大またになって藤原から離れていく。それから小声で言った。

「お前、赤羽根と付き合ってないって本当?」
「え?」
「本当?」

「……付き合ってるよ」

 思わぬ質問に動揺した藍璃だが、すぐに真顔になって何度も頷いた。
 するとボディーブローを浴びて、肩を離された。倒れるほどの衝撃ではないが、不意打ちなので酷い。咳き込んだ。

「嘘だろ、嘘付けよ。他でもないお前本人から聞いてんだよ。バーカ。あー良かった、じゃあな」

 来栖は校舎から出て、階段方面に凄い勢いで駆けて行った。途中何かを思い出した来栖が方向転換、全速力で戻って来た。藍璃に絡んだ際に地面に落とした彼の鞄を掴むとまた「じゃあな」と言い、今度は先ほどよりもペースを落として走っていった。

「なんだ、今の?」

 取り付く島もなかった藤原は呆然としている。藍璃にも深い理由はない。

「え……ああ、彼。からかうと面白いじゃん」
「……分かる」

 納得して二人は第二グラウンドに向かった。最早結構、部活に遅刻しているし来栖も遅刻確定なのだが、どうせ目的地は一緒なのだから、早く来いよと言うのが正しいやり取りだよなあと思う藍璃であった。
 



[19812] 6回表: それじゃあ道具を買いましょう!(前編)
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/12/04 23:17
 
 女子ソフトボール部の創部記念会兼、第一回ミーティングは午後六時前に終了した。
 この時間、部長の滝川から重大発表がされたが、その詳細は翌日木曜に自然と記することになるだろう。

「この中でソフトの道具を持ってない人」

 部活が誕生したら、次にやるのは道具の確認と調達だ。校舎を出て敷地入り口の階段方面へ歩きながら滝川が質問した。本当は教室で切り出す話だったが時間が押して、ここまで持って来てしまった。

 キャッチャーの滝川とピッチャーの美咲は道具を完備しているので、主に必要なのはバットと野手用のグラブ。最低グラブは一人一つ必須だが、聞いたところ、どちらも所持していないのは瑛梨花とグロリアーナだけだった。

「進藤も持ってんの?」

 スポーツウーマンの美名子はともかく、いさなまでグラブはおろか、自前のバットを所持していたとは泉としては意外だった。

「持ってますけど。悪い?」
「別に」

 いさなの家は金持ちだから、ソフトボールに限らず、運動用品を一通り揃えていたとしても騒ぐほどではない。が、発言ごとに一々、自分を見下ろしてくる威圧的な眼光がうざったらしくて顔を逸らした。

(それに持ってるったって、普通の野手用グラブだろ)

 いさなは自分たちと比べたら断然、大きく足が速く、腕力もあるし肩だって強いのだろう。では速水の様に外野を任せるか? 違う、いさなはファーストだ。
 泉は、既にいさなの一塁手起用を想定していた。

「では進藤さんと鈴野さんは、ファースト、キャッチャー用のミットを持っていますか?」

 その時、美咲が会話に割って入った。意表を突かれた泉は何も言わなかったが、同時にこの発言こそが天才・白沢の証なんだろうと納得もしていた。まさに自分が考えていた通りの質問だ。

 二人は首を横に振った。流石に本職捕手か、一塁手でなければミットは持っていまい。
 そう、一塁手だけは試合で捕手と同じミットが使用できる。そして、金に糸目をつけない泉でも、どちらのポジションとも一生縁がないだろうという前提から予備を持っていない。

「私の予備のやつ貸すよ」

 ここは本職・捕手の滝川の出番だ、と思うが速いか滝川が笑顔で口を開いた。

 いさなは滝川には何も応えずに一瞥すると、ブレザーの内ポケットからペラペラの黒皮の財布を取り出しながらグロリアーナの前にやって来て、二枚カードを手渡した。

「滝川さんのではサイズが合わないかもしれません。グロリアーナさん」
「what is it?」
「あなたたちは、これから道具を買いに店に寄るんでしょう?」
「ハイ」

「ついでに、私のミットも探しておいてくれませんか。ああ、そちらの、みなこさんのもね。良さそうなのがあれば幾つでも好きに買ってください」
「ハイ」

 当然かもしれないがグロリアーナは英語で応える癖が抜けていないので、時折本場のイギリス英語で喋る。途中で気がついて日本語で返事した。短文なら問題ないが、やはり日本人の全般的にアメリカ英語の方が慣れているので、これが長くなると聞き取りにくそうだ。

(へえ……)

 泉としては少しの驚きもあって、それは表に出さないよう平然とした顔を務めながら二人を見比べた。

 最初にファーストフード店で会った時の印象で、留学に来た金髪外国人(お客様)に対し黒髪日本人が丁寧にもてなす関係──端的に云うなら、グロリアーナの面倒と世話を見る、進藤の方が格下だと勝手に思い込んでいた。が、今のやり取りでは、逆に進藤がこの外国人をあごで使っているみたいではないか。

 何てことはない。泉が知る、他者に接する進藤いさなは、昔からこういう女だった。

「シンドウ。ジブンモ用件、アリマス」

 グロリアーナは金銀のカードを受け取ると、それらを内ポケットに閉まった。まるで自分の所有物のように自然に取り扱っている。泉の視線はこの二人だけに注がれていたが、何だかもやもやした気分であった。

 この二人はなにやら変だ。いさなの目付きが悪いのは元からだし、恐らく外国人の方も氷の瞳を持っている──双方とも目も声も笑ってなく、高校生らしからぬ風格が備わっている。この二人が迫力ありすぎて、校内では明るく楽しい藍原あやめさんが空気になっているではないか。

 今、記念すべき高校での初・部活帰りなんだぞ。泉自身、自分以外の足《リムジン》を使うことが多いので説得力ない言い分だが、女子高生一同、十人談笑しながら帰宅するなんて雰囲気はこれっぽちも感じないな。

「何かしら。何でもどうぞ」
「リムジンヲオ呼ビナサイ。今スグニ」

 ……居心地悪いしつまらないから、自慢の足《リムジン》でも呼んで帰るか。
 そう感じていた泉は、先刻の白沢美咲の横槍とは別の意味で不意を突かれて息を呑んだ。

(やっぱり、外国人は何考えてるかわからねえな)

 いやいや、合理的ではないか。この後、徒歩や電車でスポーツ用品店に行くよりも、車を使った方が時間が掛からない。ただ見方によっては、進藤がグロリアーナに指図したと思ったら、即座に反撃されたようにも捉えられる。この二人は同格だ。

 いさなも話の意図は直ぐに読んだらしく、特に反論もせずに携帯を取り出して連絡した。

 間も無くして泉家と同じ、黒のリムジンがやって来た。恐らくこの時間帯を見計らって予め学校付近の駐車場にでも待機させていたに違いないから、すぐに駆けつけたのだろう。



「ナンデスカ? カレ」

 最後に耳にしたのは、向こう階段降りた先で、高く響くグロリアーナの問い掛けだった。忘れていたが、あの外国人は見かけ(風格)によらず可愛い声を出す。

 この問いは泉の知るところではない。予想は付くが、実際は今日これ以上、頭を使うのに疲れた。早く帰ってシャワー浴びて寝てーとしか考えられないが、確かに突然現れたものだからビックリしたよ、白崎藍璃。

 今からスポーツ店に寄るのは、グロリアーナと瑛梨花の全く道具を持っていない初心者組。この美人の相手を、美人の美咲がしてくれるならいっそそれで良かった。だが実際二人の案内係を任せれたのは部活を終えた白崎だった。美咲が携帯メールで彼を呼んだ。

 何故? 彼女らが向かう品揃えの良い店の店長と、白崎が知り合いだという。美咲もそうらしいが、彼女は彼女で別の用があるのでもう既に帰路に着いた。

 桑嶋しずくと速水光と藍原あやめは、リムジンが到着するよりもずっと先に学校を後にした。

 いさな、美名子、滝川、泉の四人だけがまだ校舎付近に残っている。顧問はまだ学校に残っているのか。

「どっちが早いか賭ける?」とやや重たい瞼を持ち上げながら泉が口を切った。
「ふん。何をおっしゃるの。そっちのフライングでしょう」

 ご存知の通り、進藤家のリムジンはグロリアーナたちの出迎えに使ってしまっている。 泉は駅まで歩くのも面倒なので、帰りの車を呼んだ。一緒に滝川も乗せて行く。

 ここで、いさなという女は家の二台目リムジンを至急呼び寄せたのだ。この場に美名子が残っているので予想できないことではなかったが、同時間帯にこの学校近辺で三台のリムジンが横行しているのか、中々迷惑そうだな。

 そして当然の如く、泉家のリムジンが先にやって来た。流石、28歳佐藤だ。同じ黒いリムジンでも中身《うんてんしゅ》の質は全然違うんだよ。
 泉はいさなを一瞥、軽く鼻で笑うと、真っ直ぐ階段を降りていった。いさなの奴は唇を一文字に結んで、今日初めて悔しそうな顔でこちらを一瞬睨み付けた。

(いや、なんで悔しいんだよ。私のフライングじゃん)

 だが、悪い気はしないのでわざとらしく笑い続ける。階段途中でもう一度振り向くと、後ろに続く滝川が美名子をじろじろ眺め、大きな彼女がばつ悪そうに両肩を寄せて身を縮こまらせていた。

(あんまり威嚇して、鈴野に抜けられると不味いんだよな)

 いさなの方は大丈夫だしどうでもいいが、美名子は貴重な部員なので心配だ。泉は滝川の肩を掴んで、さっさとその場を後にした。

 ──泉が後で聞いた話だと、美名子という女は、大きい体を出来るだけ小さく見せる練習で普段から試行錯誤していただけであった。顧問の女教師を始め、食えない人間ばかりだ、この女子ソフトボール部。


                2


 リムジンに乗せてくれるのはあり難いのだが、それが助手席だったので藍璃は徐々にがっかりし始めていた。後部座席には赤羽根と外国人の女子が居るが、仕切りの向こう側で(完全防音か分からない)二人の会話は聞こえない。

「小松さん」
「運転中なので、以後話しかけないでください」

 進藤家のお抱え女性運転手、小松27歳に訊ねようとしたが、即座に冷徹に却下されて藍璃は黙り込んだ。
 自分も客人のはず。空いている後部席、希望としては女の子二人の間に入れて欲しかったのだが、それをさせて貰えなかった。

「進藤家の風習で、このリムジンには原則、未成年の男性と女性を一緒の席に上げることはできません」

 最初、運転席から降りてきた小松27歳の謎の発言によって、藍璃と二人の女子は切り裂かれた。
 美咲がいさなに確認を取ったところ、まあ本当のことらしく、藍璃もしぶしぶ承諾せざるを得なくなった。男は一人だけなので、邪魔者の藍璃が前部座席に追い遣られる。

(つまんないなあ)

 当然、運転の妨げになるので運転手と話すことも認められず、乗車時間40分前後も黙っていなければならない。こういう日に限って愛用書(野球やマルチーズの本)を持って来てないので、仕方なしに鞄の中から英語の教科書を取り出した。英語は一番得意な科目だ。

 現在、学校から西に西に移動して東京八王子にある白土《しらと》スポーツ店に向かっていた。
 女子ソフトボール部が正式に発足し、続いて道具を要するようになった。後ろの二人だけが初心者で用具を何も持っていないようだが、白土に行けば一先ず大丈夫だろう。本店は東京のスポーツ用品店ではトップクラスの大型店で、野球が中心だが、他球技関連用品や剣道用具を始め何でも大量に揃っている。

 白土は両親に紹介された藍璃、日和が昔から世話になって来た店だ(ただし日和は後期は剣道用具専門店に通うようになった)。十年前から品揃えは一流だし、今見ると値段だって安い。
 ただ当時は今のように店の規模が大きくなかったからお得意様の藍璃たちは、白土店長(現オーナー)とすぐに顔見知りになった。

 白崎と白土で『白』同士一緒だね、なんてよくある話もした(読み方は『しろ』と『しら』で違うが)。

 店長夫婦には子どもが二人居るがどちらも女の子で、彼女らにもスポーツをさせているが、男の子を作って野球やサッカーを習わせて甲子園、国立に行かせるのが夢だったらしい──その夢を見出したのか、幼少期の藍璃を実の子どものように可愛がってくれた……という関係がある。

 何れにしろスポーツ用品を買うならこの店が良い。現実に少しの用事で八王子まで通うのは大変だと思うので、今後は近場の支店を訪ねれば良い。だが最初、一から道具を買い揃えるときは、品揃えが特に充実している本店でこそ自分好みの道具が見つけられるのではないか。

 という算段で美咲も大手、白土スポーツの名を挙げて、さらに白土と店内をよく知る藍璃を案内役として呼んだのだ。

 席に深く身を沈めた藍璃は、いつの間にか両目を伏せていた。暗い車内で本を読むなんて馬鹿げている。
 勉強も出来ない。元々、文虹や夢乃や美咲に優しく見て貰わないと、イマイチ勉強のやる気が起きなかった。しかし一度、親身に教えて貰えれば爆発的な集中力を生み出して、自分の学力より上のレベルの翔桜にも合格してしまう、そんな男でもある。

 恐らく藍璃は家庭教師(別に男性でも良い)が付くと上達するタイプだ。でもそんなお金と時間の余裕はないので提案しようとも思わない。

 ──それに、どうせ美咲さんには敵わないに決まっている。

 半分眠りながら、うとうと美咲のことを考えていた。次いで、その美咲に何か質問があったのではないかと思い出して、即座に両目と折りたたみ式の携帯電話を開いた。

 メールを打とうとしたが肝心の内容が出てこない。そもそも先ほど直接、美咲と顔を合わしている時も忘れていたのだから、すぐに思い出せるか甚だ怪しい。改めてじっくり考え直して、もう一度、家で美咲に質問しようと決めた。

「そうだ、お金だ」
「お金ですか」

 藍璃が独りごちると、寡黙の運転手27歳小松も、その問題を念頭に入れていたのか反応した。

 美咲への質問の件とは直接関係ないが、携帯メールを起動することで連想できた。
 ソフトボールの用具を買うといっても、瑛梨花やあの金髪の子はお金を持っているのだろうか。最低グラブは必須だし、3号ソフトボール用のバットも加えるなら数万円の出費になる。さらにシューズ等まで揃えるなら……。

 一先ず、藍璃は瑛梨花に買い物の件で質問メールを送った。昨日アドレス交換しておいたのが早速、役に立った。

 件名:赤羽根さんへ@白崎
 本文:今、道具買うためのお金持ってる? カードとかでもいいんだけど。

 すると彼女もお金の話で、メールの連絡を構えていたのかすぐに返信がきた。

 件名:Re:赤羽根さんへ@白崎
 本文:高校生なのでクレジットカードは持ってないのですが、デビットカードならあります。今から行く店は使えますか? 10万円ぐらいあれば足りるでしょうか?

(10万円か……)

 結構丁寧な文章だなと一瞬感心し、同時に前半部(クレジットカードの説明)は必要ない、添削するならここだなと一考した。

〈件名:足りる。本文:使えたはず。ちょっとメール送ってみるよ〉
〈分かりました。お願いします〉

 白土でカードが使えないなら、一体どの店で使えるんだという単純な思い込みがある。
 既に時刻は午後六時半を当に回り、部活終了時間を超えている。そう見込んで藍璃は白土の妹の方──横浜の私立中桐学園中等部に通う白土結衣《シラトユイ》に、店でデビットカードが使えるかというメールを送信した。

 件名:使える
 本文:

 すぐに返信が来た。本文が空白なのは彼女にはよく見られる光景だ(わざわざ件名を消してそこに書いてくる)。あくまで部活終了時間を過ぎただけで、本当に終わっているとも限らないのだから返答してくれただけでもありがたい。

 中桐は文武両道で知られる中高一貫校で、高等部の多数の運動系部活が全国大会出場や優勝経験など華々しい経歴を持つ。プロ野球選手も輩出している。

 その中で中学三年生の結衣は剣道部のエース。瀬谷真一朗が云う、才能ある人間がエリート校で励むことで誕生する『超天才』に分類できる女子だ。
 実際に昨年、二年生ながら全国中学校剣道大会個人戦に神奈川県代表で出場した程の腕前なのだから、自分を凌駕する才能の持ち主だと思っている。

 全国大会に出場するのは初めて、と彼女が嬉しそうに語っていたのを昨日のように思い出す。同じ八月中旬に、中三の藍璃も全日本少年軟式野球大会に出場するのだ。お互いに頑張ろうと激励し、特に目標は設定してないが、指きりげんまんをした(二人に特別な関係はなく、部活をする者だけが共有するような友情に結ばれている)。

 その誓いの通り結衣は奮闘して、大会一日目最後の4回戦まで駒を進めた。そしてそこで熊本代表の川島と戦って、一本も取れずに四十秒で負けた。その川島は決勝まで行き、同熊本代表の白崎に一本も取れずに一分弱、20秒程度で完敗した(とはいえ対白崎で川島が一番粘った)。奇しくも藍璃が大会準決勝で敗退した日と重なる。

 この敗戦以来、結衣は藍璃とは顔を会わせなくなった。今でも先刻のようにメールのやり取りだけはするが……。

(剣道、続けてればそれでいい)

 来年は三年生だから、一学年上の熊本・川島にリベンジする機会は当分ないが、同学年の白崎となら全国に行けばまた戦える可能性がある。いや、そうでなくても神奈川にもライバルは多いし、最近では東京に、浅川と云う新たな目標を見つけた。彼女は本当に自分より強い。

 あの後一度だけ、こんな悠々としたメールが返って来た。結衣は一言二言、本文空白なんてのはしょっちゅうなのに、自分の気分が乗っている時だけ一方的に長文を書き連ねてくる女である。ともあれ、あの惨敗にもめげず彼女が燃えているようなので、藍璃としてはもう何でも良かった。

 それとは別にここで名前が挙げられた、浅川という女子、思い当たりがあるし東京の中学生・強豪剣道部員に特定するならまず間違いなく本人だ。直接面識はないが小学生の頃から知っている。

(浅川……さん、か。みんな突然上手くなれるわけないんだ。昔から剣道やって来て有名人で、小学生の頃、何度も日和と戦って……)

 二年間ずっと、最後に小6で日和と試合した時には十秒程度で負けた女だ。彼女が東京では日和に次ぐ二番手集団の一人だと云われていたのに瞬殺された。そして全国で優勝した後、「熊本に行きます」なんて日和が突然言い出したのだ。

 人は練習し続ければ誰でも上手くなれると彼女は言ったが、裏返せば東京で練習してもこれ以上、上手くなれませんと言ってるように聞こえて、藍璃は愕然としていた。あの前後から、日和の活発な性格も鳴りを潜めて冷静になり始めていた。食事の時、死んだ魚のような目付きで、魚を突いていてそれはもう心配した。

 東京の女は全員倒したから先も見えてるからもういいや、と言わんばかりに。

 藍璃たちはその時は喜んで、日和を熊本に送り出した。これは過剰妄想だが、熊本に行かなければ日和はやがて剣道なんか飽きた、もう止めると言い出すんじゃないかと恐れを抱いていた。
 すると美咲からそれは違うと諭された。どんな理由を挟もうが、日和が剣道を止めることはありえない。

「日和さんは単に剣道が大好きで、一日中、剣のことしか考えてないんです」

 野球が好きで、一日中、野球のことだけ考えていて、より高いレベルの強豪校に進学する目標を持ちそこで野球に励む。プロ野球選手になれるのは多かれ少なかれそういう人種だろう。

 お受験学校に進学した藍璃と美咲。二人の元チームメイトで名門校に野球をしに行った大澄と神月。ここに『天才』と『超天才』の絶対的な壁が生まれる。
 一度も止めず、空白無く、ずっと上を歩み続けるからこそ、剣士の中の剣士で、野球人の中の野球人になれる。運命の輪から外れた選手は、その瞬間からどんなに上手く才能があろうと『超天才』ではない。

 美咲と藍璃は一緒だけれど、日和と大澄と神月とは最終的には違う。
 これは無自覚だが、時折、彼女らを意識して無性に悲しくなって薄っすら涙を流しながら眠りこけることがあった。



 藍璃は白土スポーツ店に到着するまで刹那、眠ってしまった。小松たちに起こされた時には、両頬に渇いた涙の筋が出来ていた。

 短時間の仮眠なのにすっかり頭が冴えている。起きて最初に気がついたのは、瑛梨花にカードは使えるという趣旨のメールを送り忘れていたことだ。謝った。
 一回眠ると何事もなかったかのように、すっかり元気になるのが藍璃という男である。


                3

 
「これは。藍璃坊ちゃん!」

 白土スポーツ店の一階中央入り口から中へ、最初の細長いカウンターを通り過ぎて野球用品コーナーにやって来た時、スーツ姿の男性が斜め前方から足早に寄って来た。

「おじさん」
「これはお久しぶりです」

 彫り深く鼻が高い、目の澄んだ四十代後半の長身の中年だ。この歳で白髪がほとんどなく染めてもかつらを被ってもいない、ふっさりとしていた。背丈は藍璃と同じ180cm程ある。また筋肉質で胸板が厚く、腕や足も太い。
 彼は従業員なので例の白土オーナーではない。十年前からこの店で働いている畠山という現場主任だ。畠山は前述のような図体の持ち主なので、小さい藍璃はかねがねこの男性を格好良いなーと尊敬していた。大きくて凄く強そうだ、と。

 いや、畠山は現実的に強いだろう。勿論この職業で腕試しする機会なんてないが、畠山と客が口論になっているところを十年間一度も見たことが無い。もう五十歳近いというのに、今でも見た目からして自分より強いんじゃないのかと思っている。

 小さい頃にそう褒めると「いえいえ、御父上様には敵いませぬ。坊ちゃんもいずれすぐに私を超すでしょう」と謙遜された。
 確かに父は畠山より一回り大きかった。背中も広く逞しく、一緒にお風呂に入れてもらって背もたれになって、例えるならドラゴンのように雄雄しいのだ。子どもの藍璃はマルチーズだ。目をキラキラ輝かせて、ドラゴンを見上げる。風呂場でウィル(残念ながらペットショップ等の言いつけもあって人と同じ湯船には入れてない、別々だ)が見上げてくれないのはきっと藍璃がまだドラゴンではないからだろう。
 とにかく竜の父親を誇りに思い、同時に長男の自分がこんなに小さくてどうするんだろう、弟、妹の方が自分より大きいではないか……と不安になったものだ。

 ……話は脱線したが、藍璃と畠山の付き合いは十年以上と長い。彼だけでなく、この十年で本店の従業員大半と顔見知りである。最近では、二ヶ月前の高校合格記念の際に報告がてらに顔を出しているし、一ヶ月程前には単純に店に寄っていた。

「やだな。一ヶ月前も、二ヶ月前も来てるのに」
「どちらも、わたくしめは居合わせなかったのですよ……」
「そっか。今日はね」
「今日は白沢お嬢さんが見えませんね」
「うん。今日は、彼女たちのソフトボールの道具を買いに来たんだ」
「ほう」

 藍璃たちは、続いて入店してきた二人の女子を見遣って左手で指し示した。
 三人の高校生は鞄を車の中に置いて来たので手ぶらで、最後尾の小柄な黒髪少女は両手を腹の前で組んで、店内を見渡している。比べると金髪の少女は、顔を上げてその切れ長の瞳を真っ直ぐに、腕を振るように足取り強く歩いてきた。

「あちらの、ホワイトの方は……」
「いや、あの子は、実は僕も今日初めて会ったから、ほとんど分からない」

 畠山に小声で訊ねられて首を振る。
 外国人=白人=ホワイトという発想なのだろうか。確かに改めて見直すと髪の毛も眉毛も金色で、目が青色で、肌も日本人と比べると少し白い。

 藍璃はなまじインターネットや漫画やゲーム、映画と縁がないから、現実の日本人の世界観に慣れすぎて日本人以外の人間を目にするのが珍しかった。大きな街や駅で遭遇したとしても、それは遠目で見るだけでこうしてきちんと相対した経験がない。

「ワタクシノ名ハ、グロリアーナ・アンジェリカ・メアリー……グレンヴィル……グレートブリテンから来マシタ」

 彼女を一点に見つめていると、長い前髪を左手で掻き分けその手で髪を掴みながら藍璃たちを抜き去り、三メートル向こうまで行って振り返った。彼女はどちらかと云えば笑っていたが、それは不敵と表現する類の笑みだった。

「母国デハ一般的ニ複数、ミドルネームヲツケマス。コチラデハ省略スルコトモアリマスケドネ」
「日本語上手なんだね。文法の使い方、特に助詞が巧い」
「当然デス。今回モ、日本ニ来ル、何ヶ月モ前カラ復習シテマシタカラネ」

 彼女の口から発せられた流暢な日本語を褒める。発言通り平然と言いのけるグロリアーナに対し、当の藍璃も驚く素振りの欠片も見せない。
 藍璃は自分が仮に海外旅行や留学をした暁には、日常から英語で話すことに決めていた。だから、外国人の彼女が日本語を話せてもおかしくないと思っている。逆に喋れないなら手取り足取り親身に教えるつもりだったが、流石に翔桜に来る人間なだけあって習得済みだった。心の何処かで、舌打ちした。

「僕は白崎、藍璃。よろしく」

 姓と名を区切り、それぞれ強調して言いながら右手を差し出した。グロリアーナはその右手を、目を細めて一瞥すると、

「ヨロシク。デハ早速、シロサキ。貴方ガ、今回ノガイド、アンド、アドバイザー、ナンデショウ。ドノ道具ガ、ワタクシニフィットカ、オシエナサイ」と触れようともせずに、軽く笑っているだけだった。

(なんか……この子、偉そうだなぁ)

 外国人である以上、日本語の喋り方や内容は何ら気にならない。スポーツマンなら誰でもある程度致し方ない汚れた、豆だらけの藍璃の右手を、顎を少し上げてまるで汚いものを見下ろすような態度そのものに刺々しさを感じるのだ。
 昔から多くの年上、年下の男女に囲まれて来た藍璃だが、こういう素気無い女性が自分の周りにいたかというと中々思い浮かばない。夢乃も理乃も口調はいまいち悪いが、その実親切だし、他は言うに及ばない。

(まあどうせ、日和には敵わないよ)

 一人だけ、過去に言葉でも力でも自分に全く遠慮のない最強の女がいた。
 藍璃は彼女を思い出して、次いでグロリアーナの瞳から目を逸らさずに、握手を求める右手も引かなかった──が、応対がなく手は宙ぶらりんなのも相変わらず。口では上手く言い表せないが、グロリアーナを見ているとなんだか面白くなってきた。

「赤羽根さん」

 しかし、今は何より大事な用事が迫っている。振り返って出遅れていた瑛梨花を手招きする。言われると彼女はすぐに左後方にやって来て──ここら辺があの外国人との違いだとうんうん満足げに頷き──再度、振り向くとグロリアーナを見下ろした。

「白崎くん、あの」
「え」

 珍しく、瑛梨花の方から声を掛けてきた。このために早足になっていたのかもしれない。

「男性から女性に握手求めるのはビジネス・マナー違反なんですよ、特にイギリスでは」
「へええ……」

 と納得したように頷く素振りを見せるが、藍璃は本心では理解していない。
 ここは日本で、高校生になったばかりの自分には無縁の世界の話だ。もちろん過去に注意された経験もない。赤羽根さんは物知りなんだね、と彼女を一瞥する程度にしか思わない。一応、白崎の家訓には『女性を優先し、いざとなれば守らなければならない』『男性を優先し、いざとなれば守らなければならない』という、主語を変えただけで同じ意味の、他人が見ると矛盾しないか? と突っ込まれそうな二文が存在する。が、全く矛盾しない。

「イングランドニ外カラ来タ人間。ロウアークラスハ知リマセンヨ」とグロリアーナがもう一度、髪をかきあげて不敵に笑った。長髪を強調されると、ソフトボールをやるにはやっぱりどうしても邪魔になりそうだと藍璃は不安になって、左目を下げて赤羽根の方を見据えた。

「それは、僕が悪かったよ。でも、ここイギリスじゃなくて日本だから、今の握手は仕方ないとしても、これから君も日本で暮らして、日本とイギリスの違いを一杯知るだろう。でもそれら、日本のルールや文化を受け入れてチームでは仲良く、して欲しいんだけどね」

「イエス。シロサキ。シロサキノ言葉トテモトテモ、フィフティ・パーセント、正シイ。バット、ルールハ限度アリマス。日本ノ貴族ハ、海外デソノ国ノ土ヲ飲ミマスカ?」

 藍璃は二重の意味で頭を振った。50パーセントしか正しくないなら「トテモ正しい」という日本語の表現は変である。しかし同時に、日本では明治時代、とてもという言葉は否定的な文章に付けるのが正しい、程度副詞であったのを思い出した。これが疑問に感じたことの一つ。

「いや、今の日本には貴族制度はないんだ」

「オー……ソウダッタデスカー。ワタクシ、マダマダ日本ノ勉強タリマセン」
「でも大丈夫。勉強不足は誰にでもあることだから。何なら日本の文化について、僕が教えてあげようか」

 そう言うとグロリアーナは顎に手を乗せて少し前屈みになって「フフフ」と笑った。不意な反応に驚いた藍璃は訊ねるかのように瑛梨花を見て、彼女も分からないと首を振るので結局何がおかしいのだろう、と呆気に取られていた。

 そして周囲を見渡して十数メートル向こうの他の客を一睨みする。店内に入ったほとんど最初から遠目にグロリアーナたちを視察する人間が居た。今の笑いはさらに注目を集める引き金になってしまったし、やはり金髪外国人の方が目立つのか、向けられている視線の大半が彼女へのもので好奇心が伺える。時折その中に混じって、瑛梨花(の胸)を見る男性視線もあった。何故か許せない。比率はおよそ男8か9で女が1か2だ。

 グロリアーナは左手を右肘に添えて右手を顎に当てて、これだけ視線を集めていても一行に気にする様子はなく威風堂々、微笑んでいた。そして、

「If you often work for me, I will give knight's title」
「え……(ウィル?)」

 突然、イギリス英語で話されたので戸惑って言葉を返せなかった。
 それが未来を表す助動詞だということは誰にでも分かる。また彼女の英語は速いので聞き取りにくく、発音もオフトゥン(often)と言うように特徴的だ。それらを踏まえた上で藍璃は我が家の愛犬マルチーズのウィルを連想した。その名は藍璃が得意な科目の英語と、未来に溢れるWillから来ている。

「オシャベリはココマデデス。時間ガアリマセン。ハヤク! サア、ハヤクオシエナサイ」

 グロリアーナは右手を顎から離して、スゥっと急激に目を細めた。感情の起伏が豊かのようで今度は怒り出したのだろうか、そう威迫されても、致命的な欠点として彼女は可愛くて声も高く可愛らしかった。だから、男の藍璃としてはとても怖くない。

「おじさん、メジャー取ってきてくれないかな」

 今までの会話の間にも、ゆっくりだが移動自体はしている。今回は用のない、野球用品コーナーを真っ直ぐ通り抜けて、ソフトボールコーナーに先導した。さらに今後の展開を予測して、畠山に測定器を持って来てくれるよう頼む。畠山は一礼して、

「は、分かりました。あと、豊里を呼んできましょう」

 流石に、スポーツ用品店のベテラン従業員だけあってこちらの考えを一瞬で読み取ってくれた。

「うん。何だか、それがいい。芽衣は?」
「まだ部活、学校から帰ってきてません」
「だろうね」
「メイ」

 畠山が店の奥の方に引っ込んでいくと、グロリアーナが一言呟いた。語尾にクエッションマークが付く疑問の発言ではないので、自分に質問しているか一見分からない。振り返ると視線が合ったのでそこで確信して、意気揚々と説明した。凄い知り合いを紹介する時、自分のことのように誇らしげに語りたくなるそれである。

「ソフトボール部に白沢美咲って子がいるでしょ」
「イエス」
「その子の次に凄かった、東京の一年生で二番目に巧い子だよ」

 決して美咲を過剰評価してこの様に言うわけではない。中学時代、東京から二回、ソフトボール全国大会に行き日本一と四番に輝いた実績と打撃、投手成績から判断している。たった今、口にした名前の女子は同世代で二番手集団として打撃成績が優れていた。

 公立の中学を経て今年から私立成海高校に通う──現在、全国で最強の女子ソフトボール部に在籍するホープ、投手兼中堅手の白土芽衣。あまり大柄ではないが、三振かホームランかという見ていて面白い華のあるバッターだと紹介した。
 折角、藍璃と知り合いなのだから、これからソフトボールを始める瑛梨花たちに何かアドバイスを貰えないかと期待していた。
 
 
 
 左手の棚に多彩な色の3号用グラブが何十(或いは百以上)と陳列し、右手の棚の下段に3号用バットが並んでいる。それぞれサイズと値段順に分類されていて、一万円を切るお手軽価格な用具から三万円を超えるバットが存在する。実際に手に入らずとも、こういう道具を見ているだけで藍理は楽しかった。その感情の本質は、女性のウィンドウショッピングと何ら変わらない。

 今回は瑛梨花たちに道具を紹介する目的があるので、逸る気持ちを抑えて、まず何よりも必要なグラブの棚を見て回った。バットもそうだが、グラブも直接手に取ってはめてみて自分にフィットする物を選ぶのが、自分に合っている用具を見つける方法として、何より手っ取り早い。

 注意点として、瑛梨花は左投げでほぼ外野手固定。グロリアーナは右投げで、本人曰くポジションはまだ決定してないということだった。彼女自身は投手もやってみたいと言っている。
 そこで藍璃は瑛梨花にはポケットの深い、フライを取りやすい外野手向けの縦長グラブ、グロリアーナには捕手以外のどのポジションにも適しているオールラウンド用のグラブを薦めた。

 これは野球とソフトボールにおける左利きの悲しい宿命だが、瑛梨花は左利きの時点で、ルール上、一塁手以外の内野手に不向きである(一塁に送球する時、反転して投げなければいけないのが大きな理由)。瑛梨花は初心者というだけで無条件でライトに選ばれていたが左利きが判明した時点で現実にキャッチャー、セカンド、サード、ショートを務めるのは難しかった(補足すると、左のキャッチャーミットは販売されている。またサウスポーキャッチャーはソフトボールのルール上、野球と違った利点がある)。

「どう?」
「あ……中は思ったより、いい感じです」
「それは良かった」

 外野手用のグラブは大きい方なので一見、小柄で手が小さい人間には不向きに見えるが、内側の大きさはさほど変わらず、ポジションごとの特性から外側のサイズが異なっている。つまりグラブはポジションで選ぶものだ。加えて、今回選んだレッドのグラブは外野手用の中では比較的小さい方で軽い。瑛梨花が右手にはめて動かしてみると実にフィットしていた。

 これだけの品数の中から「一発目に、お目当てのグラブを引き当ててしまうなんて幸先がいいね」と藍璃が笑って、瑛梨花が「そうですね」と微笑み返して、それでハッピーエンドだから、さあ次はバットを選ぼうかなと、二人を後方のバット・コーナーに連れて行くと、不意にグロリアーナから「シロサキ」と普段よりさらに高い声を掛けられた。振り返るとたった今、用が済んだグラブ・コーナーを指差している。

「なに? 君のグラブも選んだけど……」

 彼女にはオレンジ色で少し大きめの、一番高価なオールラウンド用グラブを選んだ。しかも瑛梨花だけでなく、彼女もまた最初に選んだ道具が、見事にフィットする結果になって万々歳だ。

 この二連勝に、藍璃はついに自分に道具選びの才が宿ったのではないかと気を良くし始めていた。ここ数年、肝心の自分の道具を選ぶ時は毎回、大苦戦しているのに……と感慨耽っている時、グロリアーナに呼び止められた。

「イエス。シンドウノ、グラブガマダデス」

 彼女の発言に「ああ、知っている」と藍璃は呟き目を一度逸らして、別にやましいことでもないと気付いて向き直した。

「進藤さんと、鈴野さんのミットは買わなくていいよ」
「What?」

 事前に美咲から頼まれた用事の中に、初心者の二人の道具以外に、進藤と鈴野の一塁手用ミットも「一応」探してきて欲しいと云う言葉が入っていた。ここで一応という単語を付けるのが美咲らしく、アドバイザーを任された藍璃の考えも一緒だ。端的に言うなら、進藤たちの道具は見て帰るだけで実際に今は購入しない。

「Why? What? Why?」
「うるさいな。そんなに言わなくても分かってる」
「ソウデスカ。ワタクシヲ納得サセテ欲シイデスネ」

 詰問するのだから藍璃に寄っているかというとそうではなく、反対に彼女は喋りながら後方に下がって陳列棚のグラブとこちらを交互に見比べていた。

「確か二人は体が大きかったはずだから、適当にLサイズを買っていけばいいかというと、そんなことはないよ。グラブの中の大きさは(ほとんど)同じだし、こればっかりは実物を自分の目で見て、手にはめてみないと、その道具が自分に合っているかなんて分からない。二人は他のグラブ持ってるんでしょ」

「オー……」

「文句が出たなら後で、僕に言えばいい。その時は進藤さんたちの買い物に付き合って、彼女たちに本当に合っている品を教えるから」

 そこまで言ってから藍璃は、自分が完全に普通の日本人と接するように長い会話をグロリアーナに投げかけているなと心配になって「ごめん、日本語速いけど、分かるかな?」と付け足した。彼女は「ツマラナイ心配ハ結構デスヨ」と薄っすら笑った。そこで藍璃は以降はもう加減しないことに決めた。
 再び背を向けると瑛梨花と目が合う。何か物言いたそうだった。

「なに」
「チームの、ファーストが決まってないんですよ。つまり、部にファーストのグラブがないんです」
「ファースト・ミット」

 藍璃が答える間もなく、グロリアーナがグラブではなくミットだと訂正した。自分だってつい先ほど「進藤のグラブ」と言っていたし、ここは専らグラブ・コーナーではないか、と薄っすら笑って彼女を見ると、その当人は「そうでしょう」と言わんばかりに得意げに目を輝かせて瑛梨花の方を見遣っていた。実に可愛い光景だったので藍璃は和んだ。

「なるほど。ソフト部用にミットを買っておくと」
「はい」
「じゃあ、後で僕が選んどく。右投げ用」

 しかし時間が押しているので今後は会話も手短に、つまらない心配事は一切切り捨てることに決めていた。ソフトボールといえばグラブ、バットということで、二人は次にバット・コーナーを見て回るのを予想しているようだし、事実寄るのだが、藍璃はバットよりもトレーニングシューズ(スパイク)の優先順位が高いと思っている。専用のバットがなくてもソフトボールの練習は出来るが、普通の運動靴ではグラウンドで滑りやすく危なっかしくて見てられない。選手には怪我なく、のびのびとプレイして貰わなければならない。
 
 



[19812] 6回裏: それじゃあ道具を買いましょう!(後編)
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/12/04 23:19
 
 ここで女性従業員の豊里が三人の下にやって来た。およそ三十歳、長身の彼女は学生の頃、有名なサッカー部員だったので野球やソフトボールについての専門知識はあまり望めない。単純に女性客を見るなら、女性店員の方が都合が良いから呼んだに過ぎない。カゴを持って来たので、購入予定のグラブを入れた。
 彼女の仕事は直ぐにやってくるが、基本、道具の良し悪しを説明するのは藍璃の担当で豊里はカゴを持ち後ろに控えていた。

「二人とも一から始める初心者だから、バットは軽量の物がいいかな。或いは……」
「シロサキ。ワタクシハコノ女性ヨリ、4(フォー)インチ大キイデショウ。ソレナラ、道具ノサイズモ大キクナルハズ」

「あかはね、です。グロリアーナさん」
「アカハネ。分カリマシタ。アカハネより大キイバットがベターデス」

 グロリアーナは、右隣の瑛梨花をあごでしゃくって示した。いつの間にか前方を歩いていた瑛梨花を抜き去り、より近くに立っている。右足を前に出し、偉そうに両腕を組んでいるが、腕に押し上げられる形になって胸が強調されている。

 藍璃はこの瞬間に初めて、女子を見る時は顔だけでなく、こっそりとおっぱいも見ておくと二倍楽しいという、今日の放課後に瀬谷真一朗から授かったアドバイスを思い出していた。
 身近な所で瑛梨花には負けるが、グロリアーナもまた平均サイズよりはずっと大きい(そう見える)。大変満足した。でも瀬谷が言うような気軽さはなく、真正面から女子の胸を見るのはやはり気恥ずかしかった。

 グロリアーナは女子にしては中々高身長に見えるが、それでも藍璃の方が格段に背が高い。どうしても一々見下ろさねばならないから、周りからは挙動不審に映るかもしれない。グロリアーナより10cm程身長が低い瑛梨花に至っては、至近距離では完全に隙がない。じっくり見遣っていたらただの不審者だ。

 数年前、藍璃が小さかった頃ならば、まだ女子の方が背が高いので、目線と女子の胸が丁度いい高さに位置していた。もう帰ってこないその頃の思い出を振り返ると、藍璃は悔しくなって魂は孤独の海辺に飛んでいき、そこで可愛いプードルの団体に引き取られてしまった。小さい藍璃はマルチーズだ。

「バットの選び方には、ちょっとした決まりがあるんだ。グロリアーナさんは分かる?」

 人の顔を見て言葉を交えて名前を呼んで、そちらに集中させながら、たまに視線を落とすならバレないのではないかな、と発想した。グロリアーナは右手人差し指を伸ばして、

「フッ、身長デ決メルノデスヨ。指先マデノ腕ノ長サ、カケル、1.3ガバットノ適正ナサイズデス」

 藍璃も納得するほどの回答を用意してくれた。自身の作戦も成功していたので二度納得した。

(いや、この回答は、調べないと出せないよ)

 インターネットか、指南書か、何処かしらで野球情報を探らないと分からない答えだ。予習さえすれば誰にでも簡単に拾える答え。逆に言えば彼女は予習していたことになる。

「ドウデスカ」
「それで、まあ合ってるけど」

 彼女はまたしても得意げに微笑んでいたが、今度ばかりはこちらも純粋に笑顔で返しそうになった。
 藍璃に先導され二人とお付きの豊里は、中学生以上対象の3号バット・コーナーにやって来た。見下ろす先には色とりどりの84cmのカーボン製や金属製のバットが並んでいた。藍璃は意識して、口調と声音を真面目で重たい物にした。

「少し補足がある。ソフトボールの3号バットのサイズは規定で86.36センチ以内なんだ」
「34インチ」

「君が言った腕の長さは付け根のことで、計算式に当てはめるとそれが目安になる。目安だから、他に身長別による計り方もある。付け加えるとソフト用に市販されているバットは84cm前後の物が多い。またプロで男の野球選手が使っているバットの長さが85cm前後。現行のルールではそれだけの長さがあれば事足りるということだね」

「フフ。シロサキノ解説、トテモトテモ、分カリヤスイ」
「え、そう?」

 逆に自分の説明は難し過ぎるのではないかな、と藍璃は懸念していた。反対の立場になって日本人が、イギリス人にイギリス英語で長々と説明されたら完全に理解できるだろうか。だから自分の日本語の表現が難しくならない様に、出来るだけ簡単に表現すべきだと言い切った後で気付いたばかりであった。

「読ム、書ク、聞ク、全部デキルノデスヨ。残ッタ日本語ハ話スコト。コレダケハ現地ノ日本人トシカデキマセン」

 グロリアーナは、はっきりと理解していた。真顔で平然と言って、日本語を話す時は手を軽く振って、抑揚を付けている。ふと目線が合い微笑み返された。先ほどからずっと感じていたが、この人間の話し慣れ方は同世代の学生とは異なる。外国人という人種が理由ではなく、人間的な風格が違うと言った方が分かりやすい。藍璃はこの類の同世代の人間は一人しか知らない。

「君、凄い子なんだね」
「イエス。a child prodigy。ワタクシはイングランドで神童ト呼バレテイタノデスヨ。イサナノコトデハアリマセン。バット、大人ニナッタラタダノ人ト言イマス」

「あはは……いや、君、本当に凄いと思う」

 言動は常に偉そうだが、冗談を入れる余裕を持ち合わせていたりと侮れない。今、素直に感心しているし俄然興味は湧いてきた。

 改めて全身を眺めて見るとグロリアーナは身長高く、手足や指も長く、初心者としてはソフトボール選手になるのに打ってつけの体格に見える。賢そうなのも良い。それはソフトボールをする上での頭の良さとは別物だが、情報収集する律儀さを備えている分、期待もできる。

(今からやっても、美咲さんにはどうせ敵うまい。でも、その美咲さんと僕の二人で指導すれば、彼女に肉薄するほどの名選手に育つ可能性はある)

 どんなスポーツにも言えるが、最終的には技術力が欠かさない。どれだけ力があってバットを速く振れても、練習では柵越え連発できても、試合でボールに当たらないようでは意味がない。

 しかし、力や身長や体格だけは生まれ持った物が大きいのも事実。日本人であるが故に、同世代の日本人トッププレイヤーの限界値を知ってしまっている。つまり外国人だから身体能力が優れているのではなく、外国人だから未知数という理論なのだが──今、藍璃の目の前にそういった宿命を突き破れる(かもしれない)少女が偶々居るではないか。

(……美咲さんが二人居れば、あの神月さんにも勝てる。俺はその先が見てみたい)

 女子ソフトボールのことなら、道具探しなら、男の自分よりも実際にプレイしている美咲に聞いた方が話が早い。家の支度でどちらか一人が帰宅する必要があるなら自分だろうと藍璃はずっと思っていたが、ここになって彼女の意図が読めてきた。

 美咲は女子ソフトボール部のもう一人の救世主となり得るグロリアーナを藍璃に見せたかったのだ。

 大役を任された以上は失敗はできない。幸いグラブも真剣に選んで成功しているが、ここからは更なる緊張が体を駆け巡った。
 藍璃はバット群の中から、定価は四万円を優に超すチタン補強された84cm、710gのトップバランスの黄色いバットを手に取った。気軽にソフトボールをする分には高級で中々手が出ない、ヘッドが太く飛距離を出したいバッターにお勧めの一品である。
 
 バットを受け取ったグロリアーナは、垂直に立てて十数秒もの間、その一点を見つめていた。重さの具合を訊ねようとしたが、軽々と高くバットを持っている時点でほぼ問題ないだろうと藍璃は思っている。
 続いて彼女は店内のこのスペースでバットを全力で振るわけにもいかないので、右手だけでグリップを握り、下から上に掬い上げるように軽く動かした。手ごたえを得たのかグロリアーナは首を縦に振り、それを見て藍璃も頷いた。

「どうかな?」
「悪クナイデスガ……質問アリマス。シロサキ、秘密ヨクアリマセン」
「え、どういうこと?」
「Custom-made」
(へえ……そうきたか)

 オーダーメイド品の存在。本当に自分に合った(好みの)グラブやバットを特注する方法があり、仮にバットなら一般向け用にも、長さやグリップの太さやバランスやグリップ、ヘッドの形状を指定できる。バットやグラブが商売道具になるプロ野球選手は当然だが、職人によって手がけられた自分専用の道具を揃えたりもする。
 何れにしろオーダーメイトの存在を口にするとは、グロリアーナはかなり本格志向の選手である。藍璃はこの考え方、姿勢は嫌いではない。むしろ好きだ。好きだが一つ注意点が浮かんだ。

「オーダーメイドは時間が掛かるよ。二週間、三週間。君たちは道具を一つも持っていない。道具を持っていない間、全く練習もできない、試合にも出れない。これから始める人間には勧めないな。安い道具を買っておいて、それで練習して、同時並行で特注品も頼んでおくって方法もあるけどね」

 女子ソフトボール部は一ヶ月もせずに夏の支部大会が始まるので、それに出るつもりなら、一日でも一時間でも早く練習するべきだ。練習試合だってするのではなかろうか。だから特注のグラブだ、どうこう言う前にボールを捕球できるようになるのが先決だ。

「イイデショウ。分カリマシタ。コレハ良イ」

 この説明にも納得いかず揉めたときはどう説得しようかと、喋りながら藍璃は考えを巡らしていたが、グロリアーナがあっさり理解してくれたので問題は起こらなかった。さて次は瑛梨花のバットを決める番だと彼女を見遣る。
 時同じくして、既に豊里がその場で彼女の腕の付け根から指先までの長さをメジャーで計測していた。判明したサイズに(グロリアーナが挙げた)適正バットサイズを求める計算式を当てはめれば自分に合っている大よそバットサイズが分かる。

「それで、赤羽根さんはバットのサイズ何cmくらいになった?」
「え」
「腕の長さから、計算できるでしょ」

 藍璃の発言に、左隣にいるグロリアーナも賛同した。自分のバットを初めて貰った子供の如く興味津々目を輝かせながら、もう一度バットを下からゆっくり振り上げていて、それは人や物に当たらない空間の行いなので注意しなかったが、「この子、もしかしたらアッパースイング(打法)になるんじゃないか」と藍璃をはらはらさせていた。

「身長的にも恐らく80cmから82cmが向いてるでしょう」

 瑛梨花がどもっていると、豊里が彼女から離れてこちらにやって来た。藍璃は頷き、82cmバット群の中からブラックのカウンターバランスの物を取り出した。

「……ヤッパリ、ワタクシノ方ガ大キインデスネ」

 腰を少し屈めて後ろから眺めていたグロリアーナが呟いた。

(そりゃあ、君の方が10cmは大きいからね)

 内心突っ込まずにはいられない藍璃だが、れっきとした考えもある。
 バットの種類は重心がヘッド寄りにあり、先端が太いトップバランス。反対にグリップ寄りがカウンターバランス。その中間に位置するミドルバランスの三種類に分かれ、あの美咲も使用するミドルのバットの数が最も多い。その次がグロリアーナに選んだ長距離打者向けのトップ。カウンターは短距離打者向けのバットで、非力な子供(小学生等)にも適しているとされているが、ミドルバランスでまかなえる部分が大きすぎるのかその数はかなり少ない。恐らくこの大型店でなければ取り扱っていなかったろうし、このサイズはこれ一本しかなかった。

 特徴としては重心が手元に来るため、バットコントロールがし易く振り抜きやすい。バットを振ったとき数字上の重さより軽く感じる。(遠心力が大きくかかるトップバランスはその反対)。小さい頃、藍璃が軟式野球で使っていたバットもカウンターバランスの物だ。中学での身長と体重の急上昇に合わせて長打をより意識しミドルに。四番打者を任され、当然の如くホームランを打つようになってトップへと変更してきた(補足するとトップバランスだから巧打者に向いてないかというと決してそんなことはない。例としてイチローのバットはトップである。結局バットは本人が使いやすい物が一番良い)。

 ミドルとカウンターで迷ったが、瑛梨花には後者を薦めることにした。あのバッティングセンターの勝負で、美咲のボールをバントしたときのバット(所有者は桑嶋だ)もカウンターだった。わざわざ、カウンターを選んでいる時点で左打者の桑嶋には狙いがあるに違いない。それがこの後、左打者の瑛梨花にも教えようと思っている、バント(セーフティー含む)や左打者特有のスラップ打法(走りうち)と睨んでいる。また潜在的に、先日、夢乃のミドルのバットを借りたときのバント失敗を意識していたのかもしれない。

「あの計算式が一つの目安。次にそこから導き出したバットのグリップエンドを胸の中心に置いて、腕をこう伸ばして、指先で先っぽを握れる物か試してみよう。できたら、それが自分の適正サイズのバットなんだ」

 実演してみると彼女たちは「ナルホド」と口を揃えて感心していた。元から瑛梨花用に選んだバットなので藍璃には少し短く、最初はヘッドと伸ばした指先の間に空白ができていた。左手でヘッドを包み込んで、グリップ側を瑛梨花に向ける。

「さ、赤羽根さんもやってごらん」

 相手の手元に道具を出すのだから、小さい相手なら尚更、顔と目線が下げて見なければならない。止むを得ずに瑛梨花の胸を見てしまうけど、止むを得ないので、不可抗力なので苦笑いしてしまった。バットを手渡し一歩後退する。その場で実践するのを待っていたのだが、数秒間の沈黙があって、彼女もまた苦笑いしていた。「プ」と滅多に笑わない豊里も吹き出した。

「シロサキ」

 グロリアーナが口を挟んだので目線を遣った。彼女のバットは既に決まっているが、今教えた測定法で確認して貰うと、より正しい結果を導き出せるのも事実。藍璃は促すように彼女を見つめたが、両目を伏せて瞬時に片目を開けて、ついには短い溜息を付いた。

「レディヘノ、マナーがナッテイマセン。方法、分カリマシタ。グッドデス。ナラバ貴方ハ外ニ行キナサイ」
(あれ……)

 返って来た言葉に嫌な予感がしていたが、豊里に左肩を掴まれてそれが現実のものとなった。

「そういうことですよ。残念ですが、一度あちらの席でお待ちください」

 野球・ソフトボール用品コーナーの正面向こうの休憩所に、一人だけ行かされる羽目になってしまった。グロリアーナに注意されただけなら、まだかわしようもあるが、豊里にまで言われてしまっては2対1の多数決でこの場を離れるしかない。

 肩を落とし、一人寂しくとぼとぼと立ち去っていく藍璃は、最後にもう一度振り返って、瑛梨花を見た。助け舟を求めたつもりだが、それ以前に左手のバットが胸に来ていないのでそれが応えなのだろう。
 何を隠そう──バット選びで一番合理的な測定方法を教えたのは間違いないのだが、最初から藍璃は胸にバットを押し当てるこの方法を、瑛梨花たちが実践するのを楽しみにガイドしていた一面もある。下心丸出しなのでほんの少しだけ反省した。


                4

 
(折角アドバイスしたのに……用が済んだら、さようならか。ひどいな。つまんないな……)

 休憩所前方の丸いベッドに仰向けで大の字に、藍璃は打ち捨てられてしまった。右手奥のソファー席に老人、老女と五歳前後の男の子が寄り掛かっている以外、他に客はいない。後から来た藍璃が気になったのか、その男の子が何度かこちらにやって来て二人は顔を合わせた。その度に「いっくん」と、あの二人は家族なのだろう──おじいちゃんたちに呼び戻された。

 以降は本当にすることもなく、天井をぼんやり眺めていたがすぐに両目を伏せた。

 それからどれ程の時間が経ったか。
 足音がする。近付いてくる。それでも無視していた。音が二重に聞こえるようになり、バットとボールがコンコンぶつかる音だと気付くと、目を開けた。人影が落ちている。短い髪を垂らし見下ろしているのは、垂れ目気味の少女だった。

「芽衣」
「よっ」
「ああ」

 この店のオーナーの娘、学校・部活帰りの高校一年生、白土芽衣が上から覗き込んでいた。成海高校の制服、赤と白のセーラー服姿だ。

 彼女は右手に持ったバット(芽衣は右投手だが左打者だ)を水平に、藍璃の顔の先で動かした。バットの上でバウンドさせていた白球が落ちる。顔にぶつかる前に藍璃はその球を掴んで、まじまじボールと彼女を見比べた。
 ほとんど汚れの見えない新品のソフトボール。その直径や円周サイズ、重さは野球の硬式ボールと比べると1.3倍ほど大きい。

(芽衣…………って、おっぱい……ぺったんこだな……)

 今までは気にしなかったが、先に瑛梨花とグロリアーナを見た後だと雲泥の差に感じる。当然、美咲よりも断然小さい。去年の印象ですら彼女の妹は大きいと言うのに、同じ家族で同じ食べ物を食べていたのに、どうして野球ボールとソフトボールのサイズ差が出るんだろうと不思議になる。
 けれど他ならぬ藍璃自身がそうであったではないか。長男の自分が妹たちよりもずっと身長が低くて、数年掛かってようやく追い付いた。だから芽衣も何れは結衣に追いつくはずだ。

 何よりもこれだけ胸がぺったんこだからこそ、彼女のバッティングフォーム、つまりソフトボール選手、白土芽衣が存在するんじゃないかと思っている。スラップ打法やセーフティーバントを多用するソフトボールで、昔から芽衣だけはプロ野球選手の小笠原並みの豪快なフルスイングを見せてくれる。彼女なら三振しても絵になるし、当たれば高確率で長打やホームランになるのでやはり絵になる。
 胸が成長して邪魔に感じるようになっていたら、何処かであの打撃フォームを捨てていたかもしれない。それだけは絶対的につまらない。
 思い返すと芽衣を始め、神月や藤川といった藍璃が知る大打者は、おっぱいは控え目の選手が多い。

(……藍原さんは凄い人だ。尊敬できる)

 そんなことを考えていると、芽衣は藍璃が独占しているベッドの周りをぐるぐる回り始めた。上半身を起こすと、彼女は立ち止まって着席し左肩に掛けていた鞄のチャックを開けて魔法瓶を取り出した。口が小さい芽衣はいつもストローを使っている。

「どうだ。高校の調子は?」

 芽衣が飲み終える前に藍璃はたずねた。彼女はストローから口を離して、

「疲れる。練習激しい」
「時間は」

「増える。休日とか」
「そう……まあ、当然だよ。ソフト強豪校なんだから。芽衣も練習好きだろ」
「そう」
「早くレギュラーになれるといいな」
「なった。わたしは、凄いから、もう六番だって」
「六番? あの成海で、入学していきなり六番?」
「そう」

 答えには驚きよりも、納得と満足の気持ちが大きかった。中学時代の芽衣の実績と実力からすれば、秋までにはスタメンに選ばれるだろうと予想していた。
 昨年入学した神月が入部当初から四番であったように、成海の監督は強豪校らしく実力を重視する。同時に実績や年功(学年)を軽視しないのでバランスの良いチームオーダーが組まれる。これは部員層が厚い成海だから出来ることでもある。

「七番かも」

 飲み終えた魔法瓶を鞄の中にしまう。その開いた口に藍璃が先ほど受け取ったソフトボールを下手で放り投げると、芽衣が中間で手で塞いでキャッチし隣に置いた。

「スタメンレギュラーなら何処でも立派だけどな。というか、芽衣が七番に居る打線とか怖いから」
「藍璃は何番?」
「俺? ……俺は四番だよ。そりゃあ、俺も凄いから」
「おー、凄い」

 と感情ない声音で呟きながら、芽衣は魔法瓶と入れ替わりで鞄から一冊のプロ野球雑誌を取り出して見せびらかすようにチラつかせた。
 彼女は投手でもあるので投手の特集や対談コーナーがお気に入りだ。藍璃も投手を尊敬しているので、二人が見たいページは食い違わない、身を乗り出した。二人はセパ両リーグの注目投手について、今年のペナントの動向をまじえて語り合った。
 
 
 
 あのピッチャーが凄い──速い球を投げられるから。全然打たれない投手だから。
 このバッターが凄い──毎試合ヒットを打つから。豪快なホームランを放つから。
 もっぱら雑誌の写真を見る時間が主で、二人は込み入った話をしなかった。野球熟練者の野球談義にしては実に単純な会話(批評ではなく普通の感想)を交わした。芽衣は昔から口を開く頻度も少なければ長い言葉も話さない女なので、好きな野球の話題でも簡潔に喋る。野球でなければもっと一文が短い。

「あ、変なのがいる」

 その芽衣が雑誌から顔を上げて、珍しく野球に関係ない意思表示をした。藍璃も釣られて見遣ると、グロリアーナがこちらにやって来るところだった。例の如く背筋を伸ばし胸を張って堂々と歩いている。斜め後ろに運転手の小松が付き添っているのが気に掛かった。

「変なのって……うちの生徒だけど」
「うん」

 言いながら携帯電話を開くと、時刻は午後八時半を迎えるところだった。駐車場に待たせていた小松が店内に入って来たのも無理ない。芽衣と会話していたのは二、三十分程度だから、瑛梨花たちを一時間は待たせていた計算になる。翔桜の高校生はもうお開きする時間だ。

「美咲さんからだ」

 携帯電話には新着メールが複数入っていた。うち三つが美咲からによるもので、件名でソフトボール関連の話が二つ、家庭の話が一つだと一目で分かる。今の時間帯から車で戻っても家に着くのは九時半前後になるので、弟たちは就寝しているに違いない。藍璃はそれを申し訳なく思った。その時、芽衣が腹を抑えながら、「お腹減った」と力なく呟き、立ち上がった。

「俺も」
「バイバイ」

 通学鞄を持ち上げ左肩に、バットの太い部分を右手に早々と背を向ける。藍璃が白いソフトボールを掴んだ時、呼びかける前にすぐに彼女の方から振り返った。忘れ物だ。

「芽衣」
「ん」

 彼女の鞄のチャックが開いたままなのを確認して、その中、目掛けて下手でボールを放った。芽衣は左足から半歩右斜め後ろに下がるとバットを出す。再びバットの上で弾み始めたボールは四度目には鞄の中に飛び込んだ。藍璃は心の中で口笛喝采した。

「レギュラーおめでとう」
「ありがとう」

 相変わらずの無表情、無感情の返事だが、不意に彼女の眉毛がピクピクと動いたのを察した。垂れ目気味の芽衣は眉も垂れているのだが、今のように水平に近く上がる時がある。しかし目の形自体は変わらない。これが驚いたり、怒ったり、哀しくなったり、何かしら「動」の感情を表すときの信号だった。
 ぎゅるる……。もう一つ分かりやすく、腹が深い呻き声を上げた。

「早く戻れ」

 言うが早いか、芽衣は踵を返し一目散に走り去っていく。女の子がお腹の音を出してしまったら最初に恥ずかしさがやって来そうなものだが、芽衣の場合は実際に空腹でピンチの状態がほとんどらしく、それどころではなさそうだ。鞄を持っているということを感じさせない、美咲にも匹敵する、陸上部でも通用する脚力を見せる。
 前から来たグロリアーナは突然、突進して来た腹ペコ女にさぞ驚いたことだろう。思わず怯んで後退した。同時に背後の運転手小松が、グロリアーナの左肩を掴んでもたれかかせるように引っ張った。

 藍璃の視点からは、芽衣とグロリアーナが接触する位置取りではないことが見えていたので特別に注意の声を上げなかった。ソフトボールプレイヤーのサガのごとく、一塁ダブルベースのオレンジ側を通過するように、グロリアーナたちの右側を上手く走り抜けていく走法が体に染み付いているのだ。
 この時、引っ張られた衝撃でグロリアーナの体が揺れて当然、彼女の豊かなおっぱいもライズボールのように浮き上がったが、残念ながら藍璃はこの絶景ポイントを見逃してしまった。

 丁度、芽衣と別れた直後から異様な背後に圧力を感じ始めていて、振り返ると同じ休憩室、先ほど老人たちがいたその場所に一人の女が直立していた。

 ──なんだ、こいつは?

 初対面の女子に向けられた、第一印象がそれだけだった。次いでデカい、デカすぎる……というただ圧倒的な驚愕がやって来る。思わず冷やりとしたところを見ると絶望感に似た気持ちかもしれない。

 藍璃の視界、十数メートル向こうに自分と同じ背丈の女が居た。しかも巨体で錯覚するが冷静に見れば顔は若くてあどけない。自分たちのように制服姿ではなく、長袖の黒ジャケットを着ていて、同じ高校生程度に見える。髪はパーマを当てたボブで、真っ黒ではなくほんのり薄茶色だった。
 バレーボール強豪高校に推薦される子や、春高バレーに出場する女子高校生はこんな体格をしているのだろうな、と思えばこの一見異様な少女の存在も容易に納得できた。
 それでも身長180cmの女子と遭遇すると、男子の180cmや185cmと相対するのでは比較にならない圧力を無条件で感じさせた。瀬谷が半径数メートル内に立っていても藍璃なら気にしないし、極端な話、ないものとして存在を無視できる。だがこの女子は、藍璃からしても無視できないレベルの存在だ。言い換えるなら傑出度が高い。

(こんなやつが、この辺に存在したなんて……この子はヤバイ。美咲さんでも……)

 あの美咲でも敵わないんじゃないか? と藍璃を絶望に至らしめた。そう、前述の「絶望」という(本人にとっては失礼な)フレーズは、この比較から発想されていた。もしソフトボールの実力で比べているなら、熟練者の美咲が負けるわけがないのだから見当違いも甚だしい。

 ──それでも日和なら勝ってくれる。あいつは『強くて大きい』からな。『大きくて強い』わけじゃない。

 最終的に感想はそこに帰結して心を落ち着かせた。これは藍璃が妹贔屓というよりも、眼前の大女が竹刀袋を担いでいたからだ。藍璃も美咲も、妹との付き合いで昔は剣道を少し習っていたので、今でも全くの素人に比べれば圧倒的に上手いだろう(といっても二人とも野球、ソフトを本筋に習って来たので同世代の本格的経験者には敵わない)。
 藍璃は今日、瀬谷に腕っ節で負けてそれが「自分は経験者でお前は初心者だからだ」と、超天才と天才理論を解説されたが、それなら剣道においては立場が逆転するのではないかな、と今企みを持った。体育の授業で剣道の時、二組と合同なら瀬谷に指導してやろう。

 それはともかくとして……この大女は剣道をやっているのか。
 つい少し前に「絶望」を感じておいて実に失礼な話だが、今では「希望」めいた感情を彼女に向けていた。端的に云うなら、剣道をしている女に俄然興味が湧いてきたという視点だ。

 何といっても藍璃は、この少女大女の情報を知らない。未知の存在に対する興味は誰にでもあるが、妹との関係上、東京・神奈川周辺で剣道が上手い小中学生をそれなりにインプットしている前提があるにも関わらずにだ。
 すると、彼女はがたいは大きいけれど……悪く言うと、でくのぼうという奴なのか──それとも自分のように最近身長を伸ばして頭角を現してきた新星なのか──幾分、日和が小学校を卒業して熊本に行った後は、剣道に対する興味が少し薄れているので、最新の情報には自信がない。中学以降は竹刀に触る回数もめっきり減った。

 と、ここまで藍璃が動揺して硬直し、考えを巡らしている内に、当然向こうの方には動きがある。

「黒瀬さん、行きますかー」
「はい、先輩」

 休憩室奥からこれまた竹刀袋を肩に掛け左手に袋を持った別の女子がやって来て、それを確認した大女が踵を返した。二人は学校の部活仲間で、ここの自販機で缶飲料でも買って休んでいたのだろう。
 用を終えた二人はすぐに休憩室から出て行ったが、この時、大女を凝視していた藍璃と彼女の目が一度だけ合ってしまった。気が付いた大女の方が先に目線を外して、後ろに続く後輩の女子と喋り始めた。あんまりじろじろ見ていたものだから、気を悪くしたかもしれない。

 竹刀袋を持って去っていく後姿は印象的であった。後からやって来た黒瀬という女子は瑛梨花とそう変わらない平均的な身長なのだが、隣の身長180cmの先輩のせいで大人と子供のようなアンバランスな光景をかもしだしていた。
 先輩女子は縦に大きいだけでなく、足や二の腕も身長相応に太く肩幅も立派で、藍原あやめや藤川夢乃を軽く凌駕する図体の持ち主だ。無論、最初からがっしりした巨体であるのは知れていたが、隣に比較対象の女子がやって来たことで一層明白になった。本当に大人の女子バレーボール選手が降臨して来たようだ。比べれば隣の黒瀬は細さは一般的な女子中学生の体格のそれだ。いや、無理もない。あの先輩が中学生らしいのだから。

「雪村」

 彼女が瀬谷真一朗が、野球部仮入部初日に言っていた翔桜中等部三年女子の雪村であることに藍璃は薄々気付いていた。美人だが身長が180cm手前という、瀬谷が挙げていた人物像に一致する。さらにあの太く逞しい腕。運動が出来ると言っていたがそれが剣道を指すなら、雪村と試合をして、彼女とぶつかったり竹刀で叩かれた女子中学生は一体どうなってしまうのか? 妄想は藍璃を震え上がらせて、しかし喜ばせもした。

 ただ、翔桜の女子中学生が出歩く時間帯にしては少し遅い気がするが……彼女らの地元が分からない以上、口出しもしない(それに雪村が同伴なら高校生以上に見られるだろう)。

「アレハ」

 その時、グロリアーナが後ろから藍璃を追い越して、遠のいていく雪村を鋭い眼光で睨みつけるように見つめていた。藍璃は別にグロリアーナの存在を忘れたわけでも無視していたわけでもなく、むしろ芽衣の存在について聞かれると思っていたが、グロリアーナの興味もあの巨人女に向けられたようだ。

「知リ合イ?」
「名前だけ」

 聞かれても自分では咄嗟に面白い答えが返せなかった。彼女が本当に翔桜の中等部に在籍している雪村本人であるなら、さぞや有名人であろう──内部進学生の瀬谷や桑嶋に聞けば、面白い話を引っ張ってこれそうである。

「信ジラレナイ。ジャーマニー、ネザーランドノ女ヨリ、ビッグデス。アレハ、実ハジャーマンナノデハ?」
「日本人だよ。雪村っていう、うちの学校の生徒さ」
「ユキムラ」

 瀬谷曰く、ビッグ雪村という。この瞬間、藍璃の脳裏に一度に様々な考えが浮かんで来た。中には重要な用件を思い出したものもある。まず最後の方で芽衣が言っていた「変なのが居る」とはグロリアーナではなく雪村を指していたのではないかという疑問。そして、

「フッ。体ガ大キケレバ良イワケアリマセン。大キイケド運動ヘタ、イッパイイル」
「まあね」

 グロリアーナに思案を遮られて、つい口裏を合わせた。一時間前にグラブやバット等のソフトボール道具を選んでいたときは、己より小柄の瑛梨花に対して体のサイズを誇っていたのに、なんて言い分だろうと苦笑する。しかしこれはダブル・スタンダートではなく、自分がその大きくて運動が上手い人間なんだという自信の表れであることを察知した。以上を考慮した上で藍璃はかぶりを振る。

「いや、でもあの子は天才なんだ」
「What?」
「瀬谷のように」

 グロリアーナはその天才・瀬谷の詳細を訊ねて来なかったので藍璃も何も言わなかった。不思議そうに目を丸くしているところを見ると、そもそも存在と名前すら知らない可能性も高く、巷の有名人の名でも挙げられたのかと勘違いしたかもしれない。

 一方の藍璃は、雪村は女版の瀬谷真一朗だ、という初対面の直感に襲われていた。
 高校入学時に140キロの直球を投げる身長185cmの男子と、運動神経に優れ剣道を習っている身長180cmの中学三年生の女子。身近にはあり得ない、けれど全国のスポーツ強豪校等、何処かにはいる学生。
 今はまだ存在を知られていないが、これから全国に名前を轟かすであろう二人が同じ時代、二年続けて進学校の翔桜学園に偶然揃って現れてしまった。間違いなく翔桜史上、最高の体格、運動の素質を持つ男女が藍璃のすぐ傍にいる。

 ──お前の妹は超天才だな。それで白崎藍璃、『じゃあ』お前はどうなんだよ。

 瀬谷の言葉が、心の中で反芻する。そして彼は、続けざまに三年後には野球の腕前でも藍璃を抜き去ると豪語した。

(僕はまだまだ、野球でお前に負けない。十年間以上ずっとやって来た僕が負けてたまるか)

 藍璃はプロ、アマ問わず投手をやれる人間、それが実力者なら尚更尊敬していた。同時に同世代の相手に、野球の実力で自分が負けるはずがないという絶対的な自負も抱いている。先刻、白土芽衣にソフトボールを投げ渡した右手を握り締めた。あれで連想して思い出した。
 瀬谷のやつめ、あの勝負の日に使った自分のボールを結局、持ち逃げしたじゃないか。
 



[19812] 6回裏: 第三の使者、グロリアーナの囁き
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/11/08 12:24
 
 小松と豊里を含めた五人は、携帯電話メールで現在居る場所を連絡しあって、二階の休憩所で落ち合った。集合時には時刻は午後九時を回っていた。

 こんなに遅くなると帰宅するのは十時近くになるだろう。藍璃はまだしも、女子の瑛梨花やグロリアーナはこんな時間まで外出して、家で何と言われるか……それもこれも途中、一時間も私用で休んでしまった藍璃が悪い。女子を代表して瑛梨花に謝ると、彼女は小さく首を振った。

「フフ。実ハシロサキ、眠ッテ、ラッキーデシタ」
「ええ、こちらも買いたいものがあって」
 先にグロリアーナが口を開き、瑛梨花が賛同した。

「ああ、そうなんだ」
 小さく呟くと、テーブルの缶飲料を握った。ひんやりとして気持ち良い。その場でくるくると回すが、口元には運ばなかった。
 ふと右隣の豊里と視線が合う。五人の席の並び方は藍璃の両隣に小松、豊里の大人二人、右斜め正面が瑛梨花、左にグロリアーナが座っている。瑛梨花たちと一度、別れる前には覚えのない、買い物袋が空いている椅子に複数置かれていた。

「女性の買い物です」と缶コーヒーを飲み終えた豊里が、周りには他に誰もいないことを承知で小さく言った。

「ああ、なるほどね」

 従業員の彼女がこの場に同席しているのは奇妙な光景だが、流れから察すると藍璃が離れている間、瑛梨花たちをガイドし続けてくれたのだ。
 元々、彼女の担当場所は2階のスポーツウェアコーナーだから、これから本格的にソフトボール・運動を始める二人に女性用のトレーニングウェアを紹介したのだろう。自分たちと比較的年も近く、運動部出身の豊里の意見ならば大変役に立つ。流石、女性従業員の豊里さんだなと藍璃は冷静に評価する。その買い物で男はお邪魔虫だったわけだ。

 藍璃には嫌な予感があって、冷静を装いながらも本心では「ちっくしょう!」と地団太を踏んでいた。きっと瑛梨花たちにスポーツブラも紹介して、一緒に購入させたに違いないのだ。

 スポーツブラはその名の如く運動をする女性にお勧めの、胸の揺れを抑える効果を持つハーフトップブラジャーだ。無論、運動をしなくても着用する人は多く、胸の大きい瑛梨花たちなら既に所持していておかしくない。それに抑える効果があるだけで、完全に揺れを止めることは出来ないから、普通のブラの上からさらにスポーツブラを着たり、サラシを巻いたり、他にもガムテープを使用したり、とにかく胸揺れを抑え、固定するための試行錯誤が行われている。
 実は豊里の言葉を聞く前に、あの大女──雪村が見た目も最強であることを知った時から本件を薄々連想しつつあった。当店で扱っているブラが普通用も運動用もかなり性能が良いことを思い出したのだ。かつて成長期にあった、美咲と結衣に余計な入れ知恵をしたのが他ならぬ豊里だったことも。

(どうして、僕は、この人を呼んでしまったんだ……)

 直接、呼んだのは畠山現場主任だが。豊里が有能で上司の信任も厚く、同性客の評判も良いからだ。あの従業員は物知りで対応も明るく親切だと言われている。
 雑多な感情を絡ませながら、横目で豊里を睨み付けた。すると藍璃の気持ちを読み取ったのか彼女は、その反応を待っていましたと言わんばかりに「プ」と口元に手を添え、目をだらしなく細める。藍璃はいつものように呆れて、そっぽを向いた。するとテーブル下、藍璃の太ももが指で突かれて、再度豊里の方を見る。

「先ほど芽衣お嬢さんと会いました」
「芽衣に?」

 瞬間的に、藍璃は横目で瑛梨花に確認の視線を送っていた。咄嗟の注文だが、現場の反応を察して目が合うとすぐに頷いてくれた。一呼吸置いて豊里は口を開く。

「彼女、白沢さんについて訊ねてきました。あの方は今日来てないんですよね?」
「うん。美咲さんなら先に帰ったよ。それで……そうだ、芽衣と会ったんだろ。それじゃあ妹の結衣はここには来なかったの?」
「いえ。結衣お嬢さんとは顔を会わせていません。真っ直ぐ家に帰られたんでしょう」

「そう……」
「分かりました。それでは、そろそろ閉店ですが、後は若い人たちでゆっくりなさってください」

 立ち上がって一礼すると豊里は足早に去って行った。空き缶をゴミ箱に入れるともう一度、振り返って深々とお辞儀をする。「お世話になりました」と行儀良い瑛梨花は挨拶を返す。
 それまで親しげに接して来た豊里が、最後の方は途端に声音も小さく口調も事務的になっていたのは気に掛かるところでもあった。

 いずれにせよ、これで四人になった。ふと今の席順も中々悪くないと意識し始める。最初は大人二人と瑛梨花たちの位置を反対にして両手に花が良かったが、その配置だと中央の藍璃で分断されて女子二人が直に話す機会はなくなってしまうに違いない。むしろ正面に置くことで、美少女二人の顔と談話をじっくり聞き眺めることが出来る。

「アナタ、飲マナインデスカ?」グロリアーナは自身のミルクティーの缶を指で突く。

「え、ああ、飲みます」と瑛梨花がストレートの紅茶缶を握り直す。そう言ったが、喉が渇いていないのか中々口にしない。高校生三人が全員お茶類であることに気が付いた。

「ワタクシハ、日本ニ滞在シテル間ニ、コンプリート、アノ、学校近クノ店ノ、ベンディングマシンノ、ドリンクヲ、コンプリートシタイデス」
「あ、それは急がなきゃ駄目ですよ。あの自動販売機の中身って、季節とかで、結構早く変わっちゃいますから」

「well……ザッツライト。バット、ジャパニーズベンディングマシン、トテモトテモ面白イ。ソウイウコトデス」
(どういうことなんだろう?)

 ……こればっかりは実際にイギリスに行って見ないと分からないのかな、と藍璃は思う。
 また美少女二人で絵になる並びではあるが、話があまり噛み合っていないように見えた。瑛梨花は笑っているが、頭の上にクエッションマークを付けるように一瞬小首を傾げて口ごもっている。一方のグロリアーナも休憩室に来た当初は機嫌良さそうに微笑んでいたのに、今では口元を結ばせて、時間が経つほど眼光を鋭くしていた。お世辞にも二人の関係が良好そうとはいえず、藍璃もこの変化にはらはらしていた。

(でも、改めて見ると、グロリアーナって綺麗だなあ)

 感嘆の息を小さく漏らす。気取られないように直ぐにお茶に口を付けた。缶で顔の下半分を隠した状態なら、女子二人をじろじろ見つめても目立たない。今の姿勢が楽なので藍璃はしばし、そのまま一行の様子を見遣っていた。

「シロサキ」
 沈黙を破ったのはグロリアーナだった。呼ばれて藍璃も缶を置いた。

「アー、会話ニナリマセン。ツマラナイ。アナタから話シテミナサイ」

 瑛梨花を一瞥。語気を強くして言い放つ。今の言い方は彼女とでは話にならないとも聞こえるし、その雰囲気を肌で感じた当の瑛梨花は縮こまってうつむいてしまった。藍璃はただ普通に、可愛い女の子のやり取りを見たかっただけなのだが……物事は上手くいかないものだ。

「こちらのことは気にせず、若者たちだけで、どうぞご自由に」

 小松の方をそろそろと見遣ると、即座に予防線を張られた。最初に栄養ドリンクの小瓶を一気飲みし終えた彼女は終始、持参してきた経済学のビジネス書と睨めっこしていた。
 彼女がこちらの話に関与しないと云うなら、それはそれで好都合だろう。藍璃は携帯電話を取り出して開いた。

「さっき白沢さんからメールがあってさ」
「あ、私にも来ました」

 瑛梨花も携帯電話を取り出した。彼女の物は赤色で、こちらは白色。「名前通りだ、携帯の色」と今更だが、持ち主の名前の頭文字と一緒なことを指摘した。

「そうですね。私は名前と合わせたわけじゃないんですけど」
「僕の方は合わせたかもしれない。全般的に白が好きだな」
「そうなんですか」
「そう……あ、話逸れたけど、メールの話ね。内容はたぶん同じだと思う。赤羽根さんはあの話……朝練、大丈夫なの?」
「はい、たぶん。突然の話というより、その、ここに来る前に学校で、白沢さんから色々指示されてたんですよ。今回の買い物も、半分、彼女の意見を手本に動いてるんです」

 瑛利花の目を見ながら一言一言に頷き返していた藍璃だったが、今の言葉を聞いて心の底から笑った。

「半分……ってもう半分は?」
「え、それは、豊里さんとか……あとは白崎くんのアドバイスも」
「そっか。僕の意見も役に立ったか」
「バットとグラブは白崎くんの紹介じゃないですか」

 そうだったと藍璃が和やかに言い返し、瑛梨花も口元をほころばせる。次に美咲から送られてきたメールの指示を元に、肝心の朝練の打ち合わせ(確認)に入ろう。

 グロリアーナは話にならないと評したが、全くそんなことなく、面白いように話が弾む。このまま一時間でもずっと話していられそうだ。だが逆にグロリアーナと一時間も話が続くかな、と藍璃は一瞬目を細めて彼女を見下ろした。
 会話から取り残されたグロリアーナは、左手で頬杖を付き人指し指でトントントンとテーブルを叩いていた。現在に限らず道具選び等で体を近づけた時に、藍璃は無意識のうちに女子二人の指をチェックしていたが、比較すると瑛梨花の指の方が綺麗であった。

(これから指の皮は剥けるよ、赤羽根さん)

 グロリアーナはテニスでも習っていたのだろうか。今度機会があればその話を振ってみるのも良いかもしれない。ただ軟式・硬式テニスのどちらもプレイしたことも専門的な知識もない。
 グロリアーナと目が合った。自分に注目させるための仕草が功をなしたからか、ニコリと微笑んでいた。

「なに?」
「well……話ワカリマセン。二人ハトテモ楽シイデスネ。バット、ワタクシハ退屈デス。オーケー?」
「いや、だから……朝練をどうするかって話をしてる」
「アサレン」

『セヤ』という単語を聞いたときと同じようにきょとんとした。藍璃が失敗したと思うや否や瑛梨花が、「朝の練習、を省略して、あされん。こちらの省略語ですよ」逸早く解説のフォローをしてくれた。

「知ッテイマス。本ニ書イテアッタ」とグロリアーナが呟いた。
「明日、学校に行く前の朝早くに、何処か公園や広場で運動するんだ。勿論ソフトボール関係の運動だからキャッチボールとかね」

「ハ。コノ女ト、シロサキノ二人デ運動スルノデスカ?」
「赤羽根です、グロリアーナさん」
「イエス。アカハネ。ソーリーデシタ」

 そう言いながら、隣の瑛梨花に半分背を向けているグロリアーナだ。悪いだなんて気持ちはこれっぽちも見えない。苛立ちを抑えるように下唇を噛んでいた。
 二人の相性は悪いかもしれない──と藍璃は感じるようになってきた。グロリアーナの態度は十中八九、瑛梨花を快く思っていない表れだろう。しかし瑛梨花からは断言できない。彼女を見ると苦笑していた。

 こういう場所に白沢美咲がいれば……と藍璃は思う。美咲はよく喋る性格でもなければ、率先して人前に立つタイプでもないが、はっきり物事を言うし芯がしっかりしているためか、女性陣をまとめ上げるのが上手い。リーダーの素質がある。
 ソフトのポジションは投手が中心ということもあって、彼女は過去キャプテンにはならなかったが(一般的に主将は投手には不向きな役割で、投手から近い、捕手か内野手向きとされている)人望、才能、実力の仁智勇を備えた、捕手というだけで主将に選ばれた自分よりも主将らしい野球人と認めていた。

 とにもかくにも……明日の朝練習からはその美咲が参加してくれるので、もう女子たちに困らされることはない。

「後、ソフト部の白沢さんも一緒」と返事した。

「シラサワ……アハ、女子ハ女子デ練習スレバ良イ。男性ノシロサキが仲間ニ入ラナクテ良イ。ソレハ怪シイコトデス」

「あのねえ。女子だけで行動するより男がついていた方が危険じゃないだろ。まあ僕も普通にトレーニングが必要なんだけど……保護者みたいなものだな。それを怪しいだなんて思うのはグロリアーナさんの方が……」

 バンッ!
 突然、テーブルが叩かれグロリアーナが勢い良く立ち上がった。衝撃で空の小瓶が揺れて倒れそうになったが、その前に小松が手で押さえた。見事な反射神経だが、藍璃にとってはどうでもいい。グロリアーナは右利きで、幸い今テーブルを強打したのは左手だった。安心した。

「利き手は大事にしろよ」
「シロサキ。ソレ以上、無礼ナ、言葉ハ許シマセンヨ。バット、一回ダケ許してアゲマス。賢明ナ人間ナラ次カラ気ヲ付ケラレルハズデス」

 見上げるとゆっくり声を震わして、前半箇所は本気で激怒していた。途中で着席した後は一転、奇妙に感じるほど甘ったるい、子どもに言い聞かせるような優しい囁きに変わった。

(どっちにしろ、可愛い声だから、幾ら怒っても怖くない)

 けれど女子に怒られた。男子とは同じ野球のチームで大なり小なり揉め事を経験してるが、女子と意見がぶつかったことは思い返すとほとんどない。女性に叱られるのは中々新鮮な体験だが、出来ることなら性別問わず、怒ったり怒られたりする生活とは無縁の場所に行きたいと願っている。
 拍子に瑛梨花と目が合ったが両眉をひそめていた。黙っているが今のは白崎の言い方が悪い、と言いたそうな顔だ。なんだ、赤羽根は女子の味方か。

「まあ……とにかく赤羽根さんはクラブ内でも一番の初心者だから。人一倍練習しないと到底上手くなれない。そうだ。グロリアーナさんも赤羽根さんと同じ初心者なんだろ」

「フフ。ソフトボール、ノ話デスネ。エクエストリアン、テニス、ハワタクシが一番上手デス。スポーツニハ自信ガアリマス。ワタクシの方ガ大キイカラ、負ケルハズナイ」

 グロリアーナの口調がまた元通りになる。ついでに姿勢を真っ直ぐに正して、瑛梨花に背を向ける形ではなくなった。実に良かった。

「たぶん現時点ではソフトでも君の方が上手いだろうね。でも赤羽根さんはこれから毎日練習するから、どんどん上手くなる。君の方が素質があったとしても、二人は同じ初心者、何もしなかったら、すぐに実力は追い越されちゃうだろうな」

 言い終えた後でなにやら挑発めいた口調だな、と反省する。今回は嫌味を含んだつもりは全くなく、本心からの気持ちを言葉にしただけだ。練習しなければ上手くならない──ただ、それこそが藍璃の最も信じている概念の一つだった。
 つまり最終的に「君も一緒に朝練する?」と上手いこと言葉をつなげたいだけなのだが……この気持ちを理解してくれたのか、グロリアーナは今の少し失礼な発言を挑発だと取らずに、こくこくと大仰に頷いた。

「ソノ心配ハ、ノープロブレムデス。シロサキ」
「え、どういうこと?」
「ワタクシも練習シマス。学校ノグラウンドデ『あされん』シマス」
「へえ……まあ、それはいいんじゃない?」

 グロリアーナもまごうことなきソフトボール初心者。経験者として自分の技術や理論を少しでも教えれるから、朝練をするなら、出来れば合同でした方が望ましい。もっともグロリアーナの才能が花開くところを間近で見たいのが半分の意見だった。
 それでも練習しないより、した方が絶対良いし、放課後に部活で美咲たちに教わればきっと上達するだろう──とにこにこしていると、前髪を掻き分けながら微笑み返された。何故だか嫌な予感がした。

「イエス。今日話シテマシタネ。近イ日ニ、女子ノグラウンドにナル。ソウスレバ、シラサワ、アカハネ。女子ダケデ『あされん』デキル」


 ──なんてことだ!

 それは藍璃を窮地に立たせる作戦だった。明日から瑛梨花と美咲の三人で仲良く朝練をする。これが自分たちの楽しい予定だが、承知の通り、野球部の第二グラウンドは近々女子ソフトボール部のものに移行する手筈となっている。

 藍璃たちの朝練の時間は午前六時から七時が目安だ。学校の開門時間はそれより後だから、この時間帯には通常学校では練習できない。けれど校門の外にある第二グラウンドなら、管理者が鍵を使えばいつでも出入りできる算段になる。管理者が誰になるのか知らないが、とにかく女子一同を集めて、当然瑛梨花と美咲も(無理やり)呼び寄せて女子だけで練習するのがグロリアーナの計画らしい。

「ティーチャートキャプテンヲ説得シテ規則ニ、スルノデス。シンドウモ味方デス」

 この朝練と新・第二グラウンドは男子禁制にするそうだ。男子野球部のグラウンドだったのに(今もまだそうだが)、なんて変わり様だろう。歴代の翔桜野球部員にはあまり話したくない内容だ。

 これが、白崎藍璃を一年間(以上?)に渡って困らせ続けるグロリアーナ・グレンヴィルとの出会いだった。

「いや、まあ、それでいいんじゃないですか」

 最後に──それまでだんまりだった小松が突然、半分笑いながら横槍を入れたのには藍璃たちは当然、グロリアーナもびっくりした。その瞬間には、速読の如く超スピードでビジネス書を読み終えていたことに藍璃は二度驚かされた。
 



[19812] 7回表: ダブルプレイ(1)
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/11/08 12:26
 
 木曜日の早朝。
 朝日がほんのり顔を出し、柔らかな光を射し始めていた。東の空にかかる雲は小さく薄く、眩しすぎず暑すぎず心地良く暖かかった。前日の天気予報通り、天候も初朝練の日を祝ってくれたようだ。

「晴れて良かったですね」
「うん」

 藍璃と美咲は自宅から徒歩二十分、最寄り駅を南下して午前六時頃に、桃崎公園に到着した。裏口方面は広い空き地になっていて、左方の丸太のベンチ奥に瑛梨花が座っていた。姿に気が付いた彼女が立ち上がり、美咲と同時に会釈する。

「おはようございます」
「おはよう」

 藍璃は一足先にベンチの真ん中に持ち物を下ろす。後から来る美咲の荷物も取ろうと手を差し出したが、いつものように彼女は首を振った。続いて眼前に立っている瑛梨花に話しかける。

「時間無かったけど寝れた?」
「はい……五時間くらいは寝れました」
「僕も帰ったらすぐ寝たよ。というか行き帰りの車の中でも仮眠してたから、あんまり眠気はないな」
「そうなんですか」

 見渡すとベンチの奥には通学鞄とは別の紺色の鞄と、その上に持参するように約束した赤いグラブが置いてあった。瑛梨花は学校指定の紺色のジャージやスニーカーではなく、赤いジャージジャケット・トレーニングパンツを着用し、白いスパイクを履いていた。バッティングセンターの時と同じく、後頭部の高い位置で長髪を一つに束ねていて、これが彼女の運動時のヘアスタイルのようだ。

「それ昨日、白土で買った服だよね。その髪型似合ってるよ」
「え、あ」
「でも靴はチームで同色でなければならない。まあ白なら大丈夫か」
「ああ、その辺りは……大丈夫です。白沢さんと滝川さんの指示通りに、グロリアーナさんのも……」

 二人が雑談している間に、美咲がグラブやタオル等、今日の朝練で使用する道具を鞄から取り出してベンチに並べていく。最後にクリアファイルから四枚のプリントを取って一度軽く目を通すと、そのうち二枚を残して「赤羽根さん」顔を上げた。その声音で女子二人が向き合った。

「突然になりましたが、今日はよく来てくれました」
「いえ」
「今日の練習が積み重ねとなって、必ず試合で活きるときが来ます」

 歩み寄ってプリント二枚を瑛梨花に手渡した。藍璃は急遽企画された今後の朝練スケジュールを美咲に一任しているが、恐らくプリントの一枚はその日程と時刻表をまとめた物に違いない。残りの一枚は予備プリントだ。

「一枚目にストレッチの順番と方法が描いてあります。今から最初に準備運動しますから、その絵の通りに行いましょう。二枚目は練習方法についての注意書きです。効果的な運動方法、食生活や今後の練習方針を書いておきました」

「あ、本当丁寧に、ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして。さて、それでは早速、ストレッチといきましょうか。ベンチの近くで構いません」

 先頭切って歩く美咲。歩き出すと、彼女の一つ結びの黒髪が小さく揺れた。背筋を真っすぐ伸ばし颯爽と前を進む、その後ろ姿は周りの身長160cmの平凡な女子よりもずっと高く見えた。ただでさえ小柄な上に、教室で椅子に座っているときも、立っているときも猫背気味の瑛梨花とは対照的に映る。

 朝練後、一度自宅に戻る瑛梨花と違って、学校に直行する美咲は紺色のジャージを着ている。背中に漢字で校名が記された指定のジャージ。翔桜に限らず学校ジャージは格好悪いだの、芋臭いだの悪口を言われることが多い──が、美咲に関してはそんな地味な服でも見事に着こなしていた。それは彼女が本質的にスポーツウーマンだからだろう。

「やっぱり白沢さんは、格好良いですよね」
「うん」

 ぼんやりとした瑛梨花の発言は単なる独り言だったのかもしれないが、藍璃は思わず頷いて真っ直ぐに美咲の背中を見つめた。
 中学生以降お互いに、今日のようにきちんと時間を取って一緒に練習することがめっきり減っていた。そしてずっと昔から追ってきた自分より大きいはずの彼女の背中が、今は恐ろしいほど小さくなっているのを再確認して、藍璃は寂しくなってきた。

 ソフトボール女子日本フル代表に神月志乃、U16日本代表に白土芽衣という高校生がいる。しかし藍璃の心の中では、昔からずっと美咲こそが日本代表の人間だった。
 
 
 
 初日の練習メニューは、ストレッチ、ランニング、キャッチボールの順番で最後に栄養補給の時間になっていた。最初にストレッチに当たり、三人仰向けになって目一杯腕を広げても接触しないくらいに距離を取る。美咲が中央になり、藍璃と瑛梨花が相対する位置関係になった。

 まずは腕を伸ばす系統のストレッチ。腕を前に伸ばし、手首を上や下方に曲げて自分の方向に軽く押していく。伸ばした片腕の肘を反対の手で持ち、胸の方に引いていく。両腕を上げて片腕の肘を掴み、下方に押していく上腕三頭筋を伸ばすお馴染みの運動。何れも二十秒間程制止させて、体周辺の筋肉を伸ばす。
 腰の後ろで手を組んで下方にうんと引っ張る胸筋のストレッチのときに瑛梨花が「あの」と口を開いた。隣の美咲が状況を察知して「藍璃さん」とこの場で唯一の男子に、微笑みながら近付いた。

「なに」

 藍璃も同様に丹念に腕のストレッチを行っていたが、突然話しかけられて返事が上擦っていた。体はいつも通りに準備運動をこなしているのに、心が浮ついている。女子二人に目線が釘付けになっていた。

「……多くは言いませんが、集中力が欠けています。その調子で練習して最悪、この後に怪我でもされたらたまりません」
「僕は怪我には縁のない人間なんだけどな」

 開き直って言い返した。事実、体が頑丈でスタミナもあり、過去を振り返れば体調管理だって上手な方だ。スポーツマンとして今後も怪我のない人生を送りたいと努力しているが、今回ばかりは少し悪びれながら呟いた。美咲が段々と真顔になっているではないか。

「縁があったら困ります。白崎さんが怪我や事故や病気にならないこと。そのために最善の選択を取ってくれることが、わたしの何よりの願いです、が」

 藍璃の中で、美咲の言葉の末尾が強調される。彼女と舌戦になって敵うわけがないので「分かったよ」とその『何か』を理解するよりも先に素直に従ってしまった。

 何が分かったのか。藍璃は一度考えた。美咲が注意したのは自分の散漫な気持ちだ。
 落ち着かない理由なんてのは男子の自分が、今、美人の女子二人と一緒に運動をしているからに決まっている。しかも一人は胸が大きく、制服やジャージの上からでも厚みが明らかで、歩くとブラの中で窮屈そうに自己主張して揺れてくれる。目のやり場に困る光景だが、じゃあ見ないかと問われたら藍璃は即座に拒否するだろう。凄く嬉しくて楽しいシチュエーションだ。

 だが同時に、不安や苛立ちが入り混じった申し訳無いような気持ちも芽生え始めていた。自分は真剣に野球を練習し続けてきたはずなのに、中学時代はそんなことはなかったのに、高校に入学してからというものの女の子やおっぱいのことを考える時間が日に日に増している。

 ──どうしてこうなってしまったのか?
 この気持ちを周りに言っても「年頃の男なんだからそんなの当たり前だ」と一笑に付されるに違いない。
 男子なんてみんなスケベだろ──と(男女問わず)誰かに言われたとき、いやそうじゃない、と言い返したくなるタイプの男子が、中学時代の藍璃とチームメイトの大澄だった。より正確には男は確かにエロいかもしれないけど、断じて『それだけじゃない』と藍璃たちは思っていたし、二人にとってそれを周りに証明する方法が、たまたま野球だったのではないか。

 野球部でバッテリーを組む捕手の藍璃と投手の大澄は雑念を忘れるかのように練習に励み上達し、三年生になる頃には常勝チームに成長し、最終的には全国大会の舞台にまで上り詰めた。その後、大澄は愛知の野球名門校に進学して、きっと今日も女子のことなど考えずに真剣に練習しているのだろう……。

「じゃあ、こうしよう」

 少し冷静さを取り戻した藍璃は不意に背を向けた。一瞬前まで、胸の高なりで熱くなっていた体も早朝の空気に合わせるかのように急激に冷めていった。女子二人と一緒といっても根本的には普段の練習と何も変わらないと心に言い聞かせる。そうすればきっと、自分はあの頃のように……。

「僕はあっちで出口側の方を向いて準備運動をする。二人は反対方向を見て、背を向け合わせるってので」
「なるほど。それでいきましょう」
「それから美咲さん。後で相談があるんだけど」
「分かりました。こちらにも心当たりがあります」

 最後、二人は口早に小声で確認しあった。瑛梨花とは何ら関係ない家族の話だ。朝練後、時間的にも藍璃と美咲は自宅には戻らず、学校に直行することになるので家庭内の事情が浮き彫りになってくる。
 瑛梨花の特訓は何より大事だから朝練は必要不可欠だ。それを抜きにしても一緒に練習できるのが非常に楽しいというのが藍璃の本音だが、家庭の問題が差し迫っては楽しい面ばかりを追っていられないのが現実だった。
 
 
 
 藍璃が元来た裏口方面に走っていき、美咲と瑛梨花の二人になった。
 早速、美咲はプリントの内容通り、次のストレッチを瑛梨花に指示し促していく。今度は主に足(腰と背中)の筋肉を伸ばす運動で、中には仰向けに寝ながらするストレッチもあった。地面に背中を付けたまま両膝を曲げて抱え込む動作や、両膝を片側に倒して顔は反対側に向けるものなど、確かに男子に混ざって行う運動としては抵抗がありそうなものも豊富だった。

 男子の藍璃はさて置き、ここは学校のグラウンドではなく、一般の公園……ということを考慮して、この時は美咲と瑛梨花で交代で前述のストレッチを行った。つまり瑛梨花が横になっている間、美咲は立ったまま行えるストレッチ──両足を前後に開いて、両手を膝の上に置く腓腹筋(ふくらはぎ)を伸ばす基本的な運動等をする。必ず一方が周りを監視できる姿勢を取った。

 瑛梨花も美咲も私語なく、黙々と真面目に準備運動をこなしていった。次の運動に移る時、一言二言口を開くが直接の会話はまったくない。藍璃が居たころはまだ活気があったが、今は早朝ということもあって二人以外には不気味なほど人気がない。
 それでも立ったり寝たりと、お互いが別々のストレッチをしているうちは気が紛れたが、いざ正面に向かい合って見ると意識せざるを得なかった。胡坐をかいて(ただし足の平をくっ付ける)前屈する、股関節ストレッチのときに二人は今日の運動で初めて向かい合った。

「えっと……」

 これだけ隣接する状況になっても美咲は何も喋らない。そもそも何故彼女は、隣に座るのではなく自分の目の前に腰を下ろしているのか。瑛梨花は混乱していて、消え入りそうな声音を上げた。すると、

「まあ、ああいうところ含めて白崎さんですから」

 美咲が初めて瑛梨花に声を掛けた。互いに全屈をし終えて顔を上げて目が合っている時に、タイミング良く彼女が口を開いた。

「あまり、嫌わないであげて欲しいのですが……」

 長らく沈黙していた空間に言葉がもたらされて、瑛梨花はほっと安堵する。美咲もこのために自分の正面を位置取りしたのか。

「それはいいんですよ」
「そうですか」

 言うと美咲は胡坐を崩して体育座りになった。瑛梨花も釣られて体育座りになる。ストレッチを一通り終えて「もう少し待ちましょうか。彼を」と美咲は呟いた。裏口方面を向いている美咲側からは、藍璃がまだ準備運動している姿が見えるのだろう。
 その藍璃のストレッチだってあと数分で終わるはずだし、本人と合流してしまったら、とても聞けない質問がある。訊ねるなら美咲と話す機会が出来た今が丁度良い。「あの、前から気になっていたんですけど」と勇気を出して言葉を振り絞った。

「……白沢さんは、白崎くんと、その、どういう関係なんですか?」
「え……どういうことです?」

 この状況なら予想外や無関係とも言えない質問なのだが、突然のことで美咲も面喰っているようだった。声が高くなり、目を丸くして聞き返してきた。
 今日の練習中だけでなく、あのバッティングセンターで勝負した日、部活のミーティング、お手洗いで二人だけで顔を会わせたとき、そして学校の廊下ですれ違った瞬間──瑛梨花が知る美咲は凛とした女性だった。彼女が表情を崩して、かえって瑛梨花の方が動揺して目線を逸らした。

「いえ、さっき名前で……」
 あまりにも自然に、互いに名前で呼び合っていたのに、瑛梨花は気が付いた。

「ええ」
「二人は何か、こう……雰囲気が他の人たちと違うような、接し方というか……落ち着いているというか……」

 美咲が受け身になっているので、自分から話すのが得意ではない瑛梨花の方から切り出さなければならない。普通の談話ならまだしも、上手く言い表せない言葉ということもあって途中で何度か言い淀んだ。

 美咲と藍璃の二人は恋人(カップル!)なのかな……?

 最初、瑛梨花は単純にそう思うことがあった。他人から見たらこの二人がどう映えるかは分からないが、少なくとも自分にはお似合いに見えた。女子中学校に通っていた瑛梨花にはカップルと云うのは少し新鮮で、周りの女子の話題から言葉としては認識していたけど、いざ実例らしい実例を見るのはこれが初めてだった。

 ──美咲と藍璃の関係が、普通のカップルの姿なのか。

 凄く仲が良さそうで、男子と女子だけれど普通に話し合っていて……でも高校生ぐらいになるとそれが普通なのかなと思う。けれど昨日、今日辺りからだろうか、僅かだが奇妙な違和感を覚え始めるようになった。それが言葉では上手く表現出来ないからどうにも話しにくいのだが……。
 落ち着いている。本人にも言ったように、それが瑛梨花の率直な感想だった。
 男子と女子。他人で異性なのに、二人はまるで家族のように自然と接している。しかしこれが一般的なカップルの姿というなら、まだ自分の知識が足りないだけなのだろうな。

 そう考えているうちに、美咲が口元をほころばせて、柔らかい笑みを浮かべた。眉毛を少し下げて瑛梨花を真っ直ぐに見つめてくる。

「わたしと白崎さんの関係を端的に言いましょう。わたしたちは幼馴染です」
「幼馴染」
「ええ。家が隣同士でしてね。生まれた年が同じ。そして誕生日も近かったから、ごく自然と、家族のように付き合ってきました」

 ……なんだ、そうだったのかと納得して頷く。家族のように、とはまさに自分の考えに一致する。家が隣同士の幼馴染なら交遊してきた年数を考慮すれば、数ヵ月間だけ交際している恋人よりも、よっぽど家族らしく分かり合えて当然ではないか。それにしても、

 幼馴染。
 家でも学校でもひとりっ子の瑛梨花には殊更独特の響きを持つ言葉だった。過去には弟や妹が欲しいと思ったこともあったが、それを両親に口にしたことは一度もない。年が近い従姉はいるがあまり話すことがなく仲が良くない(どことなく仲が悪いようにも感じている)。
 家族のように付き合える友達が近くに居たら生活も変わっていたろうか。自分たちは幼馴染です、と堂々と言ってしまう美咲が羨ましく思えた。そして本人曰く、藍璃は十二人家族の長男だという。

 その藍璃はまだ準備運動をしているようで気配も遠く、この場にやって来ないので美咲と瑛梨花の会話は続いた。

「簡単に言うなら、それだけです。例えば交際という意味で付き合ってはいません。彼は昔から野球一筋でしたから、今まで誰かと付き合うこともなくずっと一人でした」

「そうなんですか」
 その言葉を聞いたとき、瑛梨花は、自分でも理解できない、不気味なほど安心して微笑み返した。心にどこかしら余裕が出来て、以降の彼女の発言をしっかり聞いていると、

「わたしも彼も、別々の中学に通っていたし、彼は野球でわたしはソフト。この頃は忙しくてあまり時間が取れなくなっていましたから……。それは、赤羽根さんも知っているはずです」

 美咲のゆったりとした口調、最後の一文に「ああ」と返事が上擦り、思わず目頭が熱くなる。今の彼女は自分を真っ直ぐ見ているが、時に瑛梨花の方からも美咲に視線を投げかけることがあった。

「白沢さん。やっぱり……」
「まさかこうして翔桜で再会するとは思いませんでしたけどね。赤羽根さん。わたしたちは同じ──」

 美咲は不意に立ち上がると、右手を出して親指、人差し指、中指びの先を合わせ、残りの指を曲げた。そして顎から胸、次に左肩から右肩へと十字を描いた後、胸の前で手を組む。一瞬両目を瞑った彼女が、おどけるように片目を開けて笑った。
 すると瑛梨花の方も釣られて立って、十字を切らずにそのままお祈りの姿勢を取った。瑛梨花は目を瞑ったままで、胸の前で組んだ二人の両手が微かに触れ合った。

 白沢美咲と赤羽根瑛梨花という、百合咲の二人の天使が運命に導かれるかのように揃って翔桜にやって来た。
 
 
 
 ストレッチを終えていざ戻ろうとした藍璃は、遠目ながらこの様子を見てしまい、訳も分からず「なんで二人はあんなに密着してお祈りしてるんだろう?」と驚き、しかし美少女二人の絵になる光景にドキドキしていたという。
 



[19812] 7回裏: 女子ソフトボール部、誕生!
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/12/10 20:41
 
「面倒くさいことになってきたな」

 滝川は頭を抱えていた。木曜の休み時間は午前から午後までソフトボール部部員たちが一組、泉の席の周りに集まって(一つ前に赤羽根がいる)、部活の小会議を行った。滝川と泉が部員たちを呼んだ主な目的はユニフォームを配布するためである。

 白をベースに肩口に赤と藍色のラインが入っている、2008年北京五輪のときに金メダルを獲得したソフトボール日本代表のユニフォームをイメージした物だ。高校での部活設立を想定して金に糸目をつけない泉(と滝川)は既に大半の部活用品を取り寄せていた。
 まだナンバーを入れていない。ソフトボールでは監督が30番、コーチが31、32番、主将が10番を付ける決まりがあり、それ以外なら1から99番まで好きなナンバーを付けてよい。今日、部員たちに希望の数字を聞いて、明日の練習試合に合わせてまとめてプリントする算段になっていた。

 無論、部員各々の正確な体のサイズを測ってから発注した品物ではないので、実際に試着したときに誤差も生じるだろうが、大から小まで今教室に運んでいない物を含めて何十着もユニフォームがあるのでどれか一着は自分に合うものが見つかるはずだ。
 後は女子で問題に挙がる点といったら、身長からある程度、推測される服のサイズで胸のサイズとも一致するかどうか──藍原、鈴野は身長が高く、ユニフォームのサイズも比例して大きくなるのであまり問題がない。同じ巨乳組でも赤羽根だけが身長が低いので、本人に合うユニフォームがあるか怪しくなる。下手をしたらこいつだけ特注し直す必要が出てくるな、と泉は舌打ちした。赤羽根は厄介な女だ。

 だが滝川が云う、面倒くさい事態とはそんな些細なことではない。彼女らは金で解決できる問題を、本当の面倒ごととは言わない。世の中、お金で動かせないものは少ないようで、少なくとも高校生間の物事になら多々存在する。典型的な例は時間と選手の話だ。

 ──桑嶋しずくと速水光は我が翔桜中学校・高校が誇る運動部のホープである。

 体育系部活の盛んな学校なら人材も豊富だろうが、当校は都内有数のお受験校だから、そんな女子高校生はイズミのように湧いて出たりはしない。当然(スポーツ)推薦もない。
 今年度は偶々、外部の中学校から白沢美咲という奇跡の少女がやって来たし、一年上には青木優や藤川夢乃のような「埋もれてしまった」人材も確かにいるのだが、だからといって運動に長けた外部生の入学を毎年期待するのは間違っている。
 偏差値が高く、推薦もあって部活も強いという学校は都内にも存在するから、白崎や白沢のような外部生の天才は(一年遡れば青木も藤川も該当する)普通はそういった一流の高校に進学する。翔桜中学校・高校はその一ランク上、東大に行くための超天才の学校だから、昨年、陸上部の桑嶋が全国大会に出場した日には(外部で)お祭り騒ぎだった。

 つまり部活での活躍が計算できるのは高校から入ってくる見知らぬ頭の良い外部生よりも、既に三年間当校に通っている翔桜中学上がりの内部生──桑嶋しずくこそが、最も学校、生徒側から(部活動で)期待されている生徒であることを同じ内部生の泉は、嫌というほど肌で感じていた。彼女こそ正統派だ。それに次ぐ実績や力を持つ、内部生の速水光も学校内の人気も高い。二人とも顔が良くスター性があるという理由も含めてだが……。

(そりゃ数が多いもん。やっぱり内進が活躍したら生徒は倍喜ぶんだよ。学校も愛着あるしな。白沢さんは力はあるけど外進だから、本当のエースにはなれないだろうな)

 この理論を身近な男子に当てはめるなら、正統派の第一候補は内部生の瀬谷で、それに次ぐ人間が藤原といったところか。では外部生の白崎が彼らに劣るかというと、一組内の近況を見渡す限り、人望を集め着々と地盤を築き上げている……。
 泉も男子の縄張り争いにはさして興味はなかった。結局は翔桜が、女子生徒の多い女子主体の学校だからという目線なのかもしれない。
 
 
 
 さて話を戻すと、今、滝川と泉を苦しめているのはその人気者の内部生、桑嶋、速水の入部問題だった。率直に言えば、ソフトボール部と陸上部で彼女らを取り合う問題に発展しているそうなのだ。
 桑嶋たち本人が教師に「部活は一本に絞れ」と忠告されたことを滝川たちに明かし、昨日今日で問題が発覚した。近いうちに(早ければ今日中だ)、陸上部関係者の誰かが滝川(もしくは監督の中水流)の下に話を付けに来るだろう。

 新設されたソフトボール部と、昨年中等部は全国大会にも出場した陸上部での奪い合い(傍から見るとソフト部の強行なのだが)……幾ら泉の家が超金持ちで、その力を振りかざして周りを納得させて来たといっても、学校そのものや多数の生徒を敵に回しては少し分が悪い。

 中高一貫の学校の中には、部活の種類によっては中高生一緒に練習したりグラウンドを使ったりする場合があり、当校の陸上部はそのパターンに属する。当然、二人は高校でも陸上部に入ると周りに思われているし、まだ正式に入部したわけではないが、今でもグラウンドに顔を出している。このままでは近いうちに──恐らく、4月末の(陸上競技)総体支部予選会のときに陸上部部員として東京都高体連に登録されてしまうだろう。

「部活掛け持ちすればいいんじゃないの?」

 当初、桑嶋はあっさり言った。隣にいた速水も頷いた。一瞬それでいいんじゃないか、と滝川たちは納得させられそうになったが、すぐにそんなわけないと気が付く。

 目標は甲子園こと、男子野球部は高野連所属だが、インターハイが目標のソフトボールや他の運動部は高体連所属なのだ。二つの連盟を二重登録するのは問題ない。よって部員が足りない野球部に、他の部活の人間が助っ人に参加したりその逆を行うことはできる(ということはその気になれば、白崎や瀬谷は他の部に協力できる。瀬谷は元々バスケやサッカーをやって来た人間だ)。
 が、高体連所属同士の部活だとそうはいかない。何より各々の部活のインターハイ予選大会の日程が重複しているから物理的にも叶わない話だ。つまり桑嶋と速水は陸上部を本筋に活動して公式試合もそちらに出て、それでソフトボール部には予定が空いている日にちに顔を出したり、一緒に練習すれば大丈夫だろうと思っている。

 滝川は夏の大会に出たいのだ。二人が部活に参加しなければ、10引く2で部員は8名……いや留学生の規定が掛かるグロリアーナは、公式戦は半年間お休みだから実質的には7人か。
 今度はソフトボール部が物理的に行動不能になってしまう! 公式戦に出場できないのなら部が存在しないも同然だと滝川は考えていた。さらに下手をすれば、掛け持ちは正式な部員に含めない、部活動するには人数不足だなんて上が言い出すかもしれない……。

「たっきー、残念な知らせがある」

 目の前の滝川が机に肘をついて頭を抱えて思案している間、泉は滝川の後ろに立っている鈴野と話をしていた。しばらくして滝川の肩を突く。

「悪い話は聞きたくない」
「鈴野さんが入るダンス部も、高体連所属だって」
「それじゃあ鈴野は買収しよう」

 滝川は平然と呟いた。「え」と現場に居合わせている本人は当然、前の席の赤羽根も驚いた。彼女も一応ソフトボール部部員らしく、この会話に参加したいのか後ろを向いている。だが正直、彼女は部活内で重要な役職には付けていないし(ナンバー1が主将で組織の頭の滝川。2が参謀で組織の財布の泉、3が先輩を立てるということで二年生の藍原人事部長、4がエースの白沢前線隊長)はっきり言えば最下層の雑兵なので、今の会議に口出しするのもおこがましい。

 泉は睨み付けるように目を細めて無言で手を振った。「すみません」と赤羽根が小さく一言謝ってから前を向き直した。泉は一瞬満足したが、新たな苛立ちが湧いてきた。

(はっ、何がすみませんだよ。いい子ぶりやがって。……ようし、今なんとなく分かった。前々からこいつに感じていた嫌悪感の理由が掴めた。私はこいつが美人だからとか、男子にモテそうとかで嫌ってたんじゃねえ。だって、そんな女子なら他にも該当者はいるんだからな。
 私はこういう、嘘くせえ女が生理的に大嫌いなんだ。そういうカスは、いつかボロを出すだろうから、兵隊雇って見張って、正体を暴いて、白崎くんや白沢さんに教えてやる! あと藍原さんだ。そうしたら赤羽根ちゃんはどんな顔をするかな?)

 泉は今は元通り背中を向けている、赤羽根を見てほくそ笑んだ。その時、気のせいか普段と比べると自分の目線が高くなっているように感じた。自分の姿勢は変わってないのにこの感覚は何だ? と思うが前に体(頭)を起こした滝川と鈴野が前方の視界を塞ぐ。

「買収ってなに? 滝川さん」
「うん。鈴野が欲しいものってなに? それ一つあげるよ。な、いずみん」

 滝川に目配せされる。奇妙な感覚を覚えて、首をひねっていた泉だが再び笑った。

「あー。はいはい。あんまり高いモンじゃなきゃいいよ。20万ぐらいね」

 すると鈴野は、軽く口元を吊り上げながら首を振った。

「なんだ。もっと? まあ現金で今すぐじゃなければ……」

 ──流石にあいつの舎弟なだけあって、お金には見慣れているか。
 20万円は冗談さ。何せ半分、彼女の高校生活を貰うのだからな。20万程度じゃ、私が使っている上下左右の変化球を投げられるソフトボール用ピッチングマシン一台の4分の1の価値もないよ。

 泉はそう思いながら、三つ折の白色長財布を鞄から取り出した。財布本体の値段より中に入っている金額が少ないなんて笑えない冗談だ。補充しよう。財布に限った話じゃないが、外面と内面の価値は一致させてやらないと宝の持ち腐れだ。

「あの、泉さん。私が欲しいものはお金じゃ買えないんですよ」
 鈴野は机に身を乗り出しながら言った。その視線は財布の中に注がれていた。

「はあ」
「へえ」
「私はダンス部で全国大会に行きたいんです。全国。全国大会ですよ」
「全国ね」

 財布を折りたたむと鈴野が「あ……」と切なそうな悲鳴を漏らした。泉は全く気にしないで鞄に仕舞いなおす。それにしても、
 全国。インターハイか。そういえばこの鈴野美名子は初めて会ったときも「全国」という単語を口にしていた。全国大会にそれ程執着でもあるのか? かつてはそこそこ有望な水泳選手だったからか、大舞台に未練でもあるのだろうか……。

(まあ嫌いじゃない。最後は執念がある方が勝つ)

 これは単純に泉の願望だった。現実には埋めがたい才能の差(それは勉学や運動に限らない)が存在することを承知している。だが、同じぐらい素質がある人間同士が闘うなら、最後はより努力して勝利に執着した方が勝って欲しい。そういう者こそ勝つべきだからだ。
 そして今年の翔桜には自分のピッチングマシンにも劣らない投球ができる、機械のようなソフト天才少女がやって来た。

「んじゃソフト部で全国行こうよ」
 黙っていると滝川が言葉を切り出した。

「今なら格好良いユニフォームとバット、グラブ、スパイク、その他道具一式付けちゃうよ」
「そうそう、20万ありゃそんぐらいはできる」
「はあ……いえ、だからですねー。そうじゃなくて」

 小声で言うと鈴野は一瞬クラスを見渡して、それから滝川の耳に口を寄せた。時間にして二秒か三秒足らずの囁き。

「ああ、はいはい」
「ええ、そうです」

 滝川が手で小さくOKのサインを出すと、鈴野は無表情で頷きながら「それじゃ」と右手を挙げて教室を出て行った。

 なるほど、表向きにはお金の存在を否定するような言動を振舞ったが、その実、あっさり買収に応じたらしい。クラスの連中には本性(本音)を隠したかったからか、今みたいな態度を取ったのか。

(まあいいや。素直な女は長生きするよ。それにあいつには進藤が付いている)

 改めて鈴野を味方に付けたのは、友人の進藤という駒を離さないためでもある。彼女は嫌いだが、部員不足の死活問題を抱える今では一石二鳥の取引だ。これで公式戦に出場するための部員を最低7人確保していることになる(部員自体は8人)。

 またソフトボール部から桑嶋、速水の二人が抜けたときの対策としてシンプルに、新たな部員を二人入れようと手を打っていた。現在、部員勧誘の使者として高等部二年生の藍原あやめを派遣している。その人脈の広さと、上級生の利を活かしてもらう。彼女なら一年生の滝川たちでは隅々まで手を出せない、見落としがちな、二年階層に呼び掛けれる。
 滝川たちは忘れてはいない。昨年、藍原たちはソフトボール部を作ろうとして失敗していることを。ということは……。
 
 
 
「よう、たっきー」

 三時限目の休み時間に入るとその藍原あやめが、教室の入り口前に立っていた。廊下に来るよう指をクイクイ曲げた。一応、泉も席を立って滝川の後に続いた。

「せんぱーい。どうでした?」
「うん。成功だぜ。見ての通りな。なあ、夢乃さん。朝倉さん」
「おう」

 二人とも驚いた。あり得ない話ではないが、予想外の収穫には違いない。藍原に部員勧誘を依頼したのは早朝で、お昼時間や放課後になる前にもう報告に来たその俊敏さにも感服させられたが……やはり自信と当てがあったのだ。

 廊下に一緒に居合わせたのは、二年生の藤川夢乃と三年生の朝倉蘭歌だった。上級生三人が並び立つと、その高身長も相まって凄まじい風格をかもし出していた。
 やはり藤川は凄い。バッティングセンターで会ったときは自宅範囲だからか、覇気のないずぼらな態度を取っていたが、今のようにギラリと目を鋭く尖らせればすぐに無敵の生徒会役員に変身する。時たま翔桜を勉強しか出来ない、お坊ちゃんお嬢ちゃん学園と悪口を言う人間を見るが(逆に翔桜の人間なら全て神様扱いする人もいる)、この辺りで藤川と雪村妹にビビらない女子児童はいない(男子の該当者は断然瀬谷だ)。

 もう一人は高等部新三年生の朝倉。前の生徒会長。彼女もまた中学時代はソフトボール部だったという。
 以前、美人の部員はこれ以上増えなくていいと滝川に愚痴をこぼした泉だが、今となっては些細な問題だったと苦笑いし、内心舌打ちした。
 彼女が翔桜で一番モテる女だった。藤川は女にもウケる美人だが、朝倉は主に男子生徒に人気があるタイプの女。泉たちは二つも学年が違うからあまり周りの風評を知らないが、小顔で長髪美人で清楚なお嬢様っぽい外見が良いのだろう。

(同学年にいたら絶対イジメるタイプだわ)

 しかもスタイルが胡散臭いほど良い。藍原や雪村妹のごとく身長が高く体も太いなら許せるが、上背がまあまああって出る部分だけ出てる美人だ。身近な人間で例えると白沢のスタイルの良さと赤羽根の巨乳を持つ、二人の良いとこ取りをした超人。
 肝心のソフトボールの腕前も恐らくこの二人を足して2で割った程度だろう。ブランクが長いことも理由に含めて、天才の白沢には圧倒的に及ばないが、素人の赤羽根よりは圧倒的に上手い。当然、藤川と藍原には敵わない──自分に近い実力だと泉は勝手に計算している。……何れにしろ、翔桜高校前生徒会長の経歴も含めて、完璧人間というのはここまで行き着いたものなのかもしれない。次元は違う。

 だが泉は彼女を許した。仮にも前生徒会長様だ。同じソフトボールをやって来た人だし、素人すら入れる運動部なのだから、経験者の入部希望者は大歓迎だ。ついでに朝倉の容姿なら当たり前かもしれないが彼氏もいると聞く。

 部員二人が抜けかねない、部活存続の危機に瀕したソフトボール部に、なんと経験者の二人が参戦するという嬉しい誤算がやってきた。昨年立ち上げようとして叶わなかったソフトボール部、入部候補者の二人。うち一人は大学受験を控える高校三年生! その事情を訊ねたところ、6月の大会まで一ヶ月から二ヶ月間だけ参加してくれるそうだ。
 
 
                2
 
 
「その代わり、私に主将を務めさせて」
「ただし、幽霊部員で良ければな」

 前者が朝倉蘭歌。後者が藤川夢乃から提案されたソフトボール部入部の条件だった。

 上手い話だから裏が用意されているのではないかとは睨んでいた。したがって滝川、泉ともにさほどショックを受けたりしない。
 そればかりか入部さえしてくれるなら問題なしという点まで妥協している。全てはインターハイ支部大会に出場するために……つまり桑嶋と速水がソフトボール部を抜けたと換算して、大会出場選手9人の規定をクリアするためには、上級生二人の参加も必要不可欠。その事情を説明して、部活動や練習そのものは休んでもいいから、大会当日にだけは来てくださいと頼んだ。

「ああ……じゃあその日だけ出てやる。ファースト固定で、打順は最後な」
「えー。ゆめのん先輩なら上位で打てますよ。一番とか。あとできれば外野で……」

 先輩二人は共に、公式戦には出ることを承諾した。だが藤川の方は「幽霊部員」と条件を持ち出すだけに完全に乗り気ではない。彼女の元々の実力からすれば、本当に形式だけ試合に参加するというレベルの言い方だ。
 滝川の構想では、桑嶋と速水が抜けるなら一番打者に藤川を指名するつもりだった。さらにサウスポーの彼女の鉄砲肩を活かすためには、投手以外では外野手を任せるしかない。加えて一塁手には進藤を起用するというチーム方針もある。

 しかし藤川にグイと迫られて、手の甲を胸に、睨みつけられると流石に滝川も黙った。

「おい、滝川。あんまりワガママ云うんじゃないぜ。わたしは九番ファーストな。それ以外は受け付けない。投手はやらないから、白沢と朝倉さんで工面しろ」
「藤川さん」

 朝倉が二人の間に割った入るように近付く。最初に入部条件を提案したのは朝倉で、次に藤川が幽霊部員を発言したときに彼女は呆気にとられた顔で藤川を見ていた。恐らく朝倉は藤川が素直にソフトボール部に帰ってきたと勘違いしていたのではないか。

「この時期にキャプテン狙うとは。会長は、何でも一番にならないと気がすまないのかね」
「じゃあ、あなたがやる? あなたなら誰も文句言わないわよ」
「まさか。幽霊が主将やってどうする」

 ……傍から見ると中々に修羅場な光景に映る。目から火花がバチバチと飛び交う、美人生徒会役員の譲れない、負けられない言い争いのようだ。廊下を行き交う他の生徒たちは二人を一瞥するとすぐに「触らぬ神に」と言わんばかりに廊下の端に寄って行った。通り過ぎ去った後は物珍しさで、遠目でこっそり二人を眺めながらも。

「どうしよう。しずくちゃん」
「あたしに振らないでよ。知らないわ」

 不運なことに、現場に立ち寄ってしまった速水たちも動揺したようで、声が小さく弱弱しくなっていた。滝川と泉(と藍原)がすぐ傍にいて、ソフトボール関連の話であることは間違いなく、その上でバッティングセンターでも遭遇した上級生の二人が睨み合っている。

 ──自分たち二人が部活を辞めるかどうかで揉めているこの状況で、ソフトボール部に縁のある上級生二人が喧嘩している……?
 自分たちが辞めるので新たに部員が必要になった。(学校で有名な)上級生がやって来た。何か新しい問題が発生した。

 桑嶋たちは単純にこう連想したようで、これまた根が素直な速水は自分たちのせいでソフトボール部に火種が舞い込んできたのだと盛大に勘違いし始めていた。余計な揉め事には関わってられんとばかりに踵を返した桑嶋の腕を強引に引っ張り、

「いや、やっぱり元はと言えば、ボクたちが悪いんだよ。陸上とソフト。どっちも捨てたくないからはぐらかして……やっぱり二つは続けられないから、早くはっきりした態度取らなきゃ」

「ほう」

 片方の拳を握りしめて速水が力説すると桑嶋も頷いて、二人は改めて一組教室に向かった。藤川と朝倉はしばらく睨み続けた後、先に藤川が根負けして? 顔を逸らした。
「やれやれ」と片手をひらひら振って背を向ける。そのまま何も言わずに歩いて行った藤川だが、教室の後ろの出入り口の前で一瞬足を止めて、中を覗き挨拶のように軽く手を挙げた。が、直ぐに教室を離れて、また藍原あやめが彼女に声を掛けながら小走りに追って行く。

 この場に居る上級生が朝倉一人になると滝川たちとの会話が完全に途切れて、バツが悪くなったのか彼女は一旦教室内に視線を逸らした。はっとしたように一度目を見開き、次いで細める。

「……瑛梨花」

 一方、朝倉が引いたこの隙に速水が、泉たちの前に立つ。

「なんだよ、速水」

 速水に気がついた泉は目を細めて口を尖らせる。速水は一度深呼吸をして、はっきりとした声音で言った。

「うん。泉ちゃん。ボク決めたんだけどね。ちゃんとソフトボール部に入ることにしたよ」
「えええええ!」

 声を上げて驚いたのは滝川だ。対照的に泉は一瞬言葉を失っていて、しばらくしてようやく小声を絞りだした。

「お前……陸上部は?」
「陸上部はきっぱりやめる。先生に言ってくるよ。改めてソフトボール部に入部します」
 両手をスカートの脇に、背筋を伸ばすと速水は勢いよく礼をした。

「一年三組、速水光です、よろしくお願いしまっす!」
「おおおおおっしゃあああ! よく言った、速水! 流石、私が見込んだ女だ。お前にセンターをやって貰いたい」

「まじかよ。速水」

 滝川は大はしゃぎし、直ぐに速水の手を取って、顔を上げさせブンブンと振った。そんな二人をソフトボール部側中心の人間である泉が、腑に落ちなさそうに見つめている。泉だけでなく廊下を歩いていた、または一行の様子を見物していた野次馬たちも「本当?」「えー」「うっそ、光がー」とざわついていた。

「意外だよ、光」

 一般生徒は騒ぎ立て、当事者の一人は歓喜して舞い上がり、一人は驚き声を沈ませている中、ただ一人だけ全く声音が変わらない人間が居る。呼ばれて速水は振り返った。滝川や泉も当然、前から彼女の存在に気が付いている。
 桑嶋しずくと見つめ合うと、速水光は微かに涙ぐんで声を上擦らせた。

「しずくちゃん、ごめんね」
「なんで、謝らないでよ。あたしは意外ってだけ。だって光ちゃんの方があたしより陸上好きって感じだったから」

「違うよ。だってボクたちは最初から、そうだったじゃない。二人とも……中学に来たときに、ソフト部があるなら先にソフト部入ってたもん。こっちの部が大変だからとか同情とかで決めたんじゃないよ。ボク、本当にソフトボールがやりたかったんだ。だから、移るなら高校一年生の今じゃなきゃ駄目なんだよ」

「ふうん……」

 憮然とした表情を崩さないのが何時もの桑嶋なので、今何を思っているのか、どんな言葉を口にするのか予想に出来ないところがある。間髪入れず滝川が桑嶋に歩み寄って、彼女の肩に手を置いた。

「桑嶋、お前も入れ。お前たちならソフトでも翔桜の星になれるぞ。次はソフトボールで全国を目指せ」
「あー、たっきーさ、ちょっと待ってよ。こいつは」

 話が急展開して桑嶋にまで火が飛ぶと、今度は泉が滝川の左肩を掴んだ。三人整列して肩を掴んでいるという笑える状況だが、泉にとってはそれどころではない(ついでに笑ったやつは後でぶっ飛ばす)。

 滝川は現在既存の翔桜生徒で「出来る限り」最高のソフトボールチームを作りたいのだろう。最初、桑嶋と速水が部を抜けたときの代わりに、藤川と朝倉が加入して大いに喜んだ。これでなんとかソフトボール部が存続するなと。
 けれど喉元過ぎればなんとやらで、今度は元々の二人が惜しくなって、それで予想外にあっさり速水が入部を決めたから、人の欲望には底がなく、さらに天才の桑嶋まで欲しくなってきたのだ。この考えは理解できるし、最早美人がどうとか口を挟むつもりもない、なるべく協力したいが、滝川と泉には一つだけ決定的な違いがある。思えば部活掛け持ちと言っているうちはまだ平和だった。

(……こいつと、あとあいつ、雪村は特別なんだよ、翔桜の………だから)

 泉が滝川を制止した瞬間、休み時間終了の鐘が鳴った。実はこの一分以上前に朝倉が「それじゃあ時間だから」と三年生の教室に戻っていたのだが、速水との話に集中している滝川たちは無意識のうちに彼女を無視してしまったという。

「休み時間終わりだ。また後でいい?」

 折角、勢いに任せて抱き込むつもりだったのに邪魔が入ってしまった。しかし滝川は桑嶋の返事に特に動じず「うん」と言った。どの道、彼女と速水は同クラスなのだから、考える猶予にもなるだろうと泉は考える。

「休み時間っての、短くて嫌だね。もやもやしたまま、すぐ勉強してもさ」と桑嶋がいつものすました顔で呟いた。

「なに言ってるんだ、桑嶋。早く教室戻って、勉強に頭切り替えろ」
「いやいや泉ちゃん。しずくちゃんは定期テストは凄いよ」
「知ってるっての。こいつ、普段は頭悪い癖に、定期テストの時だけ本気出す詐欺人間だから。勉強してこなかったよーって言うくせに、実は良い点数取るやつみたい」
「いや、あたし、別に何も言わないから」

 泉たちはぎりぎりまで雑談していたが、廊下の向こう側に男子教師の姿を捉えて流石にそこでお開きになった。今回はたまたま長々会話をしたが、同じ内部生の泉と桑嶋が面と向かって話したことは過去にもそうない。
 中学生の頃、自分よりずっと成績が悪い桑嶋に、一度だけ定期テストで負けたのを泉は今でも覚えていて、それ以来、表情にも口にも出さないがずっと根に持っていた。だから自分から彼女に近づこうとしなかった。こうして機会が出来て改めて話してみてもソリが合わず、退屈で、やっぱり好きになれそうもない。

 けれど泉は彼女が翔桜の人間であることを誰よりも強く認識していた。
 
 
 
 そして同日の昼休み、結局、桑嶋しずくも泉と翔桜の期待を裏切って例の憮然とした態度で、一組の滝川の下にソフトボール部入部届けを持って来た。昨日の創部記念会の自己紹介でも言っていたが本人の希望ポジションはショートで、中学時代のセカンドから密かにショートに移ってみたかった泉からするとこれまた邪魔者であった。

 一年生でソフトボール部初期メンバーの桑嶋が、形だけ見ると12番目の正式部員なのだから意外な感覚であるが、とにもかくにもこれでソフトボール部部員は12人(うち一人留学生、一人幽霊部員)。主将は三年生の朝倉になってしまうのか? が、晴れて部活存続決定となって滝川はご満悦だったとさ。
 
 
                3
 
 
 その日の昼休み、改めて一組にソフトボールのメンバーが集合して、前列の赤羽根、泉を中心とした付近の空いている席や、教壇に腰を下ろした。放送部の都合がある藍原と、二年生の藤川、三年生の朝倉は出席しなかったので全体で9名になる。
 普段は白崎たちと一緒に昼食を取っている赤羽根だが、部活の大事なミーティングということで彼らに見送られて自分の席に戻って行った。

 まず、進藤と滝川が、赤羽根たちの隣の席を取り、前項の部活入部手続きを終えた桑嶋、速水が揃って教卓横の教壇に座る。鈴野は進藤に最前列の席を譲る形で、自分は速水の隣に座った。「よろしく、速水さん、桑嶋さん」と挨拶を交わして。
 この場で唯一、二年生のグロリア―ナがお弁当箱を抱えて最後に教室に入って来た。グループを目の前にして一度辺りを見渡し、最後に進藤と目線が合う。

「あら、グロリアーナさん。御機嫌よう」
「ハイ、シンドウ。……ワタクシも、椅子、と机ガ良イデス」
「そうね。あなたも……」

 進藤は周囲を見遣った。椅子だけなら、現在居ない生徒の席から引っ張ってくればいいが、机を持ちたいというと何処がいいだろうな、とでも考えているようだ。

「あ……それじゃあ、私の席でいいですか?」
 そこで赤羽根が口を開いた。彼女の立候補が予想外だったようで、鈴野と泉が「お?」と声を上げ、グロリアーナも不思議そうに赤羽根を見ていたが、

「グッド。良イ心ガケデス。アカハネ」

 前髪を掻き分けながら、直ぐに頬を緩ませた。赤羽根が起立して入れ替わり、両手でスカートがめくれ上がらないように押さえそっと着席する。そして机の片隅を指でトントンと叩き、

「シラサワミサキ。あなたはワタクシの前ニ座リナサイ」
「いいですよ」

 白沢の席を自分の眼前(教壇)に指定した。この移動の様子を見てか、赤羽根も彼女に付いていき、二人は右側の教壇に腰を下ろして、次いで弁当箱を膝元に置いた。

「まあ、色々話をするけど、とりあえず適当に食べ始めていいよ。それじゃ、いただきまーす」

 全員が着席すると元主将? の滝川が音頭を取ってようやく昼食の時間が始まった。実際には桑嶋と速水はフライングしていて既に駄弁っていたが。

「えっへへへ。美味しそうなミートボールだね、しずくちゃん」
「交換する? エビフライちょうだい」
「ええ? こっちの卵焼きなら……」
「じゃあ、それで手を打とう。はい」

 しかし卵焼きは桑嶋の弁当にも元々あったので、速水側からはミニハンバーグ二分の一が再トレードで放出された。不意に速水は進藤の弁当も覗いたが、相手のおかずのレベルが高いと見たのか直ぐに顔を引っ込めた。この様子を鈴野がまじまじと観察していた。

「あ、鈴野さん」速水が気が付いて顔を向ける。
「うん。あ、みんな、お弁当だねって。ひょっとしてパンって、私だけ?」

 ソフトボール部女子9名、うち8名が弁当を持参して来ている。鈴野一人だけがホットドックやチョココロネ、クリームパン他、飲み物は紙パックの牛乳と購買部の利用者だった。

「でも、別に自分で作ったわけじゃないよ」
「あたしも」

 フォローのつもりなのか早口で言う速水と、ボソっと一言だけ返す桑嶋。
 皆のお弁当は自作の物なのか? という話題に部員たちは顔と弁当を見渡した。赤羽根の赤く丸っこい弁当箱。四角く大きめの桑嶋、速水。対する滝川と泉が標準的な楕円形のスリムな二段弁当箱だが、泉の場合は小柄な体を考えれば充分な大きさだろうか。

「私たちもそうだな。いずみん」
「まあね」

 グロリアーナと進藤は返事をせず特に会話にも参加しないが、二人の弁当箱がお揃いの黒く大きな二段物で、中身(豪勢な魚の塩焼きや天ぷらが見えた)も同じところを見ると、言われなくても自作ではないと周りは察するだろう。裕福な進藤(とその家にステイしているグロリアーナ)ならば、身内やお抱えのシェフに作って貰うのが普通だと。

「どう? グロリアーナさん」
「グッド」
「フフッ。どのメニューがお気に召しました?」
「レモンスパイス、デス」
「流石にお目が高いわ。そう、この香りが私を奮い立たせる」
「ゴハンモ、デリシャスデスヨ」

 この二人は独特の雰囲気を醸し出していて、雑談そっちのけで最初からずっとこんなやり取りをしていた。おかげで周りから話す糸口が掴めない。
 二人はさて置き、なんといっても白沢の白く四角い二段弁当が一同の目を引いた。
 半分になったコロッケからとろりカニクリームが顔を出して、実に食欲を誘う出来栄えだ。弁当箱の大きさは桑嶋たちと同程度だが、白沢の弁当はブロッコリー、ミニトマト、アルミカップの中のポテトサラダと緑黄色野菜も充実していて栄養のバランスが程よく見える。さらに同じエビフライが入っているのに、お米もそうだが、こちらの弁当の方がふっくらと輝いているのは何故だろう?

 意外かもしれないが、白沢がこの中で一番、美味しそうに朗らかな微笑みを浮かべながら食事を取っていた(しかし食べるペース自体は速い)。もっとも毎日の一環なのだから彼女の他は、そこまで味わって食べているわけではないという表現が適切かもしれない。が、やはり喜んで食べる姿勢に越したことはなく、白沢の幸せそうな顔を見てると、周りはただでさえ立派な弁当が二倍美味しそうに見えたりするのだろうか。滝川が、

「美咲さんは確か自作だよね?」
 と訊ねた。滝川と泉は前に、昼休みに二組に立ち寄って昼食を共にしたことがある。

「ええ……自分で作ります。でもわたしのは冷凍食品も多いですから」
「おお~」

 滝川を筆頭に一同が声を上げた。感心はしているが感嘆というには及ばない、心のない声音だった。第三者からは社交辞令のようなやり取りに見えるかもしれないが、その答えとして泉たちがすぐに否定した。

「いやいや、充分凄いって。だって見た目、美味しそうだもん」
「ね、ボクじゃ、こうは作れないよ」
「うん。美味しそうだ」
「お前らは速すぎなんだよ」

 泉は一番に弁当を完食した桑嶋に愚痴を叩いたが、彼女はすました顔で聞き流していた。
 最初に雑談が多かった速水が少し遅れて、同刻には鈴野も牛乳パックを空にしていたので、ちらほら食事を終えた者が出てきて会話が増え始める。

「赤羽根さんのお弁当。それは自分で?」
 白沢も既に弁当を綺麗に平らげて一服付いていた。双方が口に食事を含んでいないのを見計らって赤羽根に話しかける。

「え……ああ、私、料理はあんまり得意じゃないので……」

 続く言葉は「母に任せっきりです」だ。赤羽根はバツが悪そうに伏し目がちに呟いた。あれほど完璧な弁当を自作する白沢の話を聞いた後では、誰だってとてもじゃないが立つ瀬がないのだろう。すると白沢は声音を低くして、

「そうですか。よろしければ……暇なとき、わたしが簡単な料理や、コツを教えましょうか」
「え」
「もちろん無理にとは言いません。時間は掛けさせませんが、迷惑なら。……でも将来的には必ず役に立つと」
「白沢さん……」

 箸を持つ赤羽根の左手が止まっている。視線の先、白沢は正面を見ていて、昼食を終えた後の表情は先の頬笑みと打って変わって、目が鋭くなり真剣そのものだった。
 赤羽根は弁当に視線を戻しミニトマトを二度箸で突いて口に運んだ。赤羽根もまた瞳に戸惑いの色がなく、トマトを噛んで飲み込み落ち着いた後に改めて白沢の方に顔を向けた。口が動こうとした時、

「白沢さん。是非、私に伝授してください! 是非!」

 教壇を回りこんだ鈴野が、赤羽根の隣にドカっと座った。身を乗り出さんばかりの勢いに赤羽根はたじろぎ、弁当を持ち直すと体を引く。

「私、ほら、私だけパンでしたでしょ? 料理習いたいんですよ」
「鈴野さん」
「あ、私も私も」と既に食事を終えていた滝川も手を上げて会話に割って入る。

「私、基本的に多芸だけど、料理だけセンスないからねー。料理覚えれば無敵っしょ」

 二人揃ったのを言いことに「教えて、美咲先生~」とでも言いだしそうな大げさな猫なで声を出す。鈴野に至っては白沢の手を取って「お願いします」とかなり本気の様子だった。
 元は自分に向けての誘いだったろうに、すっかり蚊帳の外に追いやられた赤羽根が──言葉通り白沢に寄る鈴野に体を差し入れられ縮こまってしまった。横に退いて赤羽根は再び弁当を細々と食べ始めた。

「光も習ったら?」

 その頃、逸早く昼食を終えた桑嶋と速水の二人は一旦場を離れ、教室の窓辺に立って遠くを見ていた。
 クラスの女子(知り合いだ)と速水が挨拶を交わしている。その連れの男子に声を掛けられ桑嶋は「後で言うよ」と返事をした。彼らが教室を出ていくと、速水は一度うんと腕を伸ばして背伸びをしながら口を開いた。

「うん。一緒に習う? しずくちゃん」
「え、マジなの?」
「えへへ、冗談」

 桑嶋、驚いて速水の方を振り向くが当の彼女に笑い返され、軽く溜息を付いた。その時、

「おい、桑嶋。速水。集合だ。話し合いするぞ」

 泉から声が掛って、二人は前の席にゆっくり戻っていく。
 まだ赤羽根だけ昼食を取っていたが、副リーダー格の泉が食べ終わった時点で、行動に支障なしと見てミーティングが開始された。赤羽根は手を止め、顔を上げて心配そうに、白沢たちに目を向けていた。

「赤羽根さんは気にせず、ゆっくり食べてください。わたしがメモを取っておきます」

 白沢は顔は正面、滝川たちの方から目を逸らさず、手帳とペンシルを取りだした。
 赤羽根がお礼の言葉を聞いて、速水を始め一瞬、部員たちがそれぞれの手元を見遣る。席の持ち主である泉だけ筆記用具を用意していたが、基本的に皆手ぶらだ。「お前らはいいよ」と泉がそっけなく言った。その数秒後、思うところがあったのか、泉や鈴野や進藤が赤羽根の方を一瞥していた。

「たっきー、なんだかんだで、あっさりここまで来たな」
「ああ。だが、私たちの野望はこんなもんじゃない──」

 ──夢はインターハイ出場!

 滝川ははっきりと言って、部員だけでなくクラス中の人間を一瞬どよっとさせた。一同に視線が集まったが、教壇で腕組みしている桑嶋しずくを見てだろうか、彼らは何も言わずに、元通り雑談や昼食等、各々の用事に戻った。
 すると「どうせなら目指すは一番。全国制覇でしょう!」と進藤が指摘して、これには滝川たち全員も驚いて顔を見合わせた。その時はクラス内でも小さく笑い声が飛んでいたが、ソフトボール部を馬鹿にするものや、嫌味を含んだ声音ではなかった。

「白沢さん。優勝の味ってさ。どんな感じだった?」
「桑嶋さん」
 不意に桑嶋が、白沢を見遣った。

「あたしは全国では勝てなかった。決勝にも進めなかった」
「でもしずくちゃん、惜しかったよ。立派だよ! 9位だもん」
 速水が口を挟んだが、桑嶋を首を横に振った。

「陸上は自分との闘いって言うけど、負けるのは悔しいな」
「わたしも、わたしの力で優勝したわけじゃありませんよ。あの時のチームは、神月先輩が投げてくれたから優勝できただけです」

 手帳とペンシルを一度隣に置き、白沢は己の開いた右手を見つめる。
 既に翔桜ソフトボール部の全員が、白沢が中学一年生のときに、全国中学校ソフトボール大会で優勝したことを知っている。だが全ての部員が、当時の思い出を完全に把握しているわけではない。
 
 
 時の決勝戦、チームの一年先輩、神月志乃が決勝点となるソロホームランを打ち、投げては完全試合を達成したこと。ついには大会1失点もしなかったこと。一試合コールドゲームを含めて、7イニング制のソフトボールで試合平均、10個三振を奪ったこと──一年後、中学二年生、白沢美咲を擁する百合咲中学校は再び全国大会に出場したが、準決勝戦で3-2で敗れたこと。その時の負け投手は白沢だったこと。
 一足先に百合咲中学校を離れた神月は、後にソフトボール日本女子フル代表に選出された。左腕、神月は成海高校に、そして右腕、白沢は翔桜高校に。百合咲の二人のエースは袂を分かち、高校ソフトボール界にて相まみえる──かもしれない。
 
 
 白沢は右手を握りしめていた。
 神月とは同じ東京の高校生である以上、今後、試合で勝ち進めばいつかは戦うことになるだろう。彼女の経歴をいたずらに教えても、部員たちを圧倒、萎縮させるだけで逆効果と見たか、あくまで簡潔に「神月先輩のおかげで勝てた」「翌年、自分が投げたときは負けた」と説明した。
 遠くを見つめる白沢美咲の視線の先には、その日初めて白崎藍璃が映っていて、彼と長らく視線を合わせ、次いでその光景を眺める赤羽根に顔を向けて微笑んだ。

「今度はわたしの手で、翔桜旋風を巻き起こしてみせます」
「白沢さん……」

 彼女がこう言うと、「おおー」と一同も唸った。中学時代、あれだけの実績を持ちながら何故か翔桜高校に来て──今はあまり公言しない、表立って前に出てこない印象のあった白沢がはっきり言うから、ソフトボール部員は驚いて顔を見合わせた。また、少なからず天才・白沢の名を知るクラスメイトもこちらに目を注いでいる。

 白沢さんがいる限り、翔桜《うち》は戦える──という想いがあった。

「好き勝手言うよ」
 泉は誰にも聞こえないような微かな声を出した。
「私の夢は、ソフトボール部を作ることなのにな」
 
 
  
 インターハイに行くと豪語する滝川と進藤。全国の学生の憧れの舞台に上っておいて、準決勝止まりと呟く桑嶋と白沢。
 彼女らの発言を聞いても、クラスメイトが茶化したり呆れたりしないのは、有名人で人気者の速水の手前か。見ると、金髪外国人のグロリアーナは人知れず、いつの間にかメモ帳に何か記述をしているし、鈴野は相変わらず少しふっくらしている。これに上級生三人を加えたら、立派なソフトボール部が完成する。

 彼女がいなくては始まらない──ピッチャーは全中ベスト4の白沢。
 キャッチャーはソフトボール部創設者の滝川。ファーストは予定通り長身の進藤。セカンドに経験者の泉。サードは二年生の藍原が務めるが、一年生の中なら鈴野になる。本人の希望に応じてショートは翔桜の星、桑嶋。センターに俊足の速水。レフト、ライトに初心者のグロリアーナと赤羽根が入る。

 上級生で経験者の藤川と朝倉の動向が読めないため、センターラインの守備を確立できないのが惜しい。外野陣は三人とも初心者で見事にザルだ。

 だが仕方ない。今はまだ、これ以上は望めない。
 そう、ここに誕生した女子ソフトボール部は翔桜高校の『総戦力』。お受験学校と言われ、運動には無関係と思われて来た翔桜が手にした、内部生の桑嶋しずく、外部生の白沢美咲という二人の天才を擁する翔桜史上最強の運動部。

 リーダーの滝川が教壇に上がって手を掲げ、その様子を自分の席で頬杖を突く泉が見守り──新参ながら選りすぐりの生徒を集め、集まった女子ソフトボール部がついに始動した。

 その下で雑談に参加していないのにグループの中で未だに一人、弁当を食べ終えていない、頑張って箸を口に運ぶ赤羽根瑛梨花が、外国人留学生のグロリアーナ・グレンヴィル──あまりにも自然体に箸を使って、周りに溶け込んで食事を取っていたので誰にも指摘されなかった彼女に不思議そうに見つめられていた。
 
 
 
 
 
                      第一巻・ 男子野球部の運命と、宿命の女子ソフトボール部(完)



[19812] 登場人物紹介 (設定、能力、まとめ)
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/12/12 00:02
 
これからも増え続ける登場人物の詳細を随時まとめています。
能力は男子と女子で別物です。

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№01 白崎 藍璃(シロサキ アイリ)
一人称: 僕・ぼく
分類: 男子硬式野球
学校: 翔桜高等学校・1年
誕生日/血液型: 10/23 AB型
星座: 天秤座
年齢: 15(16)
身長: 179.5(約180)
体重: 72.5
ポジション: 捕手
バット: トップ
投球・打席: 右投左打
趣味: 家族と遊ぶこと・食べること・マルチーズの手入れ・剣道
好きな異性のタイプ: 家族的な人。(本人の感覚からすると家庭的な人ではない)
好きな野球のチーム: 埼玉>読売・東京 (東京に住んでいるので東京のチームも応援)

主人公。前世は名家の子だったかも?
声高く、雰囲気が良さ気なので人を惹きつける力を持つ。
この年頃の男子らしく(実際は昔からだが)女性好きだが、家族、
マルチーズを強く愛する。というかそれ以外はどうでもいいと思っている。
捕手一筋で強肩。右利きだが、その俊足を活かし打率を稼ぐため、
左打ちに矯正させられる。
身長は中学から伸び才能も真に開花。長打が激増したのは当然その頃。

10/23誕生花は瓔珞百合、花言葉は王の威厳
   誕生花はゼフィランサス、花言葉は純白の愛

巧打8.0 長打8.0 走力8.0 肩力9.0 守備7.5 体力10.0
ファイブツールが揃った捕手。特に捕手に重要な肩が強い。
野球歴13年の神童。軟式では世代最高打者の呼び声も高かったが、名門校を蹴った。


№02 瀬谷 真一朗(セヤ シンイチロウ)
一人称: オレ・おれ
分類: 男子硬式野球
学校: 翔桜高等学校・1年
誕生日/血液型: 8/5 O型
星座: 獅子座
年齢: 15(16)
身長: 186
体重: 76
ポジション: 投手
バット: ?
投球・打席: 右投左打
趣味: 体を動かすこと全般。脳を動かすこと全般。時々麻雀。
好きな異性のタイプ: 年上から年下まで何でもイケる。(ただし可愛い子に限る)
好きな野球のチーム: 福岡>阪神・広島 (東京・関東を応援するのは芸がないと思っている)

白崎の悪友かつ、ライバルかもしれない男。
昔からスポーツ万能でバスケ・サッカーとこなして来たが最近は野球に転向。
理由は将来モテそうだから。
140キロを出してからは益々増長。実際は中々練習してるが、
努力を苦にしないタイプ。(本人は努力だと思ってない。理由=とんとん拍子に上達するから)
野球部だが髪は切ってない。坊主はダサいと思っている。
基本的に女好きだが、天才なら男女問わず評価する傾向。
左打者のが天才っぽいじゃん、という理由で右腕投手なのに左で打つ。
球種はフォーク、チェンジアップ、スライダー。スライダーは糞。

8/5誕生花はエリカ、花言葉は裏切り

巧打4.0 長打6.0 走力7.0 肩力9.0 守備2.0 体力10.0
高校入学時にして140km/hの真っ直ぐを投げられる大型新人。
野球歴は浅いので守備連携は糞。裏返せば伸びしろがあり、才能の塊。肩の強さも桁違い。


№03 白沢 美咲(しらさわ みさき)
一人称: わたし
分類: 女子ソフトボール
学校: 翔桜高等学校・1年
誕生日/血液型: 10/24 B型
星座: さそり座
年齢: 15(16)
身長: 162cm
3サイズ: B83・W60・H86
ポジション: 投手(捕手以外可)
バット: ミドル
投球・打席: 右投右打
趣味: 白崎家の世話・料理をすること・マルチーズの手入れ・剣道
好きな異性のタイプ: 興味がない
好きな野球のチーム: 埼玉>読売・東京 (東京に住んでいるので東京のチームも応援)

ヒロイン。
中学時代はソフト部全国大会出場経験者。
器用で何でも直ぐにこなすことから、天才白沢と
呼ばれてきたが、鼻にかけることはない。
というよりどうでもいいと思っている。
藍璃とは最初から家族ぐるみの付き合いで互いに
誰よりも分かり合っている。
高校ではソフトを止めて髪を伸ばしていた。
投手の事情から右で打つ。俊足。

10/24誕生花はウメ、花言葉は高潔・忠義・澄んだ心

巧打9.0 長打6.0 走力7.5 肩力7.0 守備6.0 体力6.0
中学では全国大会にも出た投手。スライダーと精度が武器。
同チームに先輩のエース、神月が居たため一番評価されたのはバッティング。
一番打者として完璧な出塁率を誇った。少しだけブランクがある。


№04 赤羽根 瑛梨花(あかはね えりか)
一人称: 私・わたし
分類: 女子ソフトボール
学校: 翔桜高等学校・1年
誕生日/血液型: 9/17 A型
星座: おとめ座
年齢: 15(16)
身長: 155cm
3サイズ: B89・W60・H85
ポジション: 外野手(右翼手)
バット: カウンター
投球・打席: 左投左打
趣味: 読書・音楽・映画鑑賞の定番三種の神器。時間を費やすのは勉強。
好きな異性のタイプ:優しい人。(しかし漠然としている答え)
好きな野球のチーム:読売 (というより巨人ぐらいしか名前が出てこなかった)

もう一人のヒロイン。
苗字はあかはねと読むが、よくあかばねと間違われる。
現代編でも相変わらず美人で同性に苛められるオーラを持っていたが、
ソフトの件と白崎に助けられ、現代では一応平穏に暮らす。
胸が大きくてその辺は嫌だなあと思っている。
野球ソフトに対しては無知で作中唯一?の完全な素人。
バントだけ少し巧いが、人に自慢できるレベルではない。
打順はライトで八番になる予定。実は肩は普通より強め。

9/17誕生花はエリカ(白)、花言葉は孤独

巧打1(5) 長打1.0 走力4.0 肩力5.0 守備1.0 体力1.5
カッコ内はバント時の数字。バントは中々巧いが、基本的に本当の初心者。
故に体力もなければ守備も酷い。ただ飲み込みが早く素質はある。


№05 桑嶋 しずく(くわしま しずく)
一人称: あたし
分類: 女子ソフトボール
学校: 翔桜高等学校・1年
誕生日/血液型: 6/18 AB型
星座: ふたご座
年齢: 15(16)
身長: 155cm
3サイズ: B75・W56・H80
ポジション: 内野手(遊撃手)
バット: カウンター
投球・打席: 右投左打
趣味: スポーツ生観戦。ランニング。素振りの練習。何かの練習。イメージトレーニング。
好きな異性のタイプ: 特に思い浮かばないので、とりあえずスポーツが上手い人と答えておく。
好きな野球のチーム: 中日>東北 (親の影響で応援。二球団は選手のつながりも大きい)

野球型ヒロイン。セミショート。
童顔だが、美咲たちより先に生まれている。
翔桜には女子ソフトがなかったため、陸上を続けるつもり
だったが、滝川たちの熱い説得で入部する。
打って走って守れる、雑魚女子ソフト部のオアシス。
兄は野球名門校のエースで、本人も野球・及びスポーツ
全般が好き。学校まではよく走って登校、ストイックな性格。
部活の揉め事や、恋愛には一切興味がない。良い意味と
悪い意味で他人に興味がない。マイペース。

6/18誕生花はアリウム、花言葉は無限の悲しみ

巧打7.0 長打3.0 走力8.0 肩力4.0 守備5.0 体力7.0
陸上部に入る予定だったホープ。一塁への到達スピードは白沢・速水以上。巧打力も白沢に次ぐ。
 

№6 藤原 鷹也(フジワラ タカナリ)
一人称: おれ・自分(目上)
分類: 男子硬式野球
学校: 翔桜高等学校・1年
誕生日/血液型: 9/17 A型
星座: 乙女座
年齢: 15(16)
身長: 176
体重: 69
ポジション: 内野手(遊撃手)
バット: ミドル
投球・打席: 右投右打
趣味: 練習(主にバット、ボールを使った物)。野球観戦。
好きな異性のタイプ: 可愛い子(クラスから必然的に、赤羽根)。
好きな野球のチーム: 福岡>埼玉 (全体的にパを良くみて、セリーグはあまり見ない)

野球部寵臣。坊主頭だが目鼻、形の整った
坊主で格好良いのが真のハンサムの、典型。
軟式上がりだが経験は長いので、部内でも上手い方。
中学校では主将兼遊撃手を務めた。強肩。
好色の、白崎&瀬谷とよくつるんでいるため3馬鹿と
認識されているが、一番女の臭いがしないので
高校でも女子に人気が高い。が、本人は年頃の男らしく
女性が気になる。所謂ムッツリ型。
長打も打てるが、やや巧打寄り。俊足。

9/17誕生花はシュウカイドウ、花言葉は片思い

巧打5.0 長打4.0 走力6.0 肩力6.0 守備4.0 体力6.0
中学三年間ショートを務めた真っ直ぐな野球少年。
一般的な高校なら直ぐにレギュラーになれる力。


№07 藤川 夢乃(ふじかわ ゆめの)
一人称: わたし
分類: 女子ソフトボール
学校: 翔桜高等学校・2年
誕生日/血液型: 7/17 O型
星座: かに座
年齢: 16(17)
身長: 172cm
3サイズ: B79・W62・H85
ポジション: 投手、一塁手
バット: ミドル
投球・打席: 左投左打
趣味: 球場で野球観戦をして同時にバイトをこなす一石二鳥法。実は勉強も。
好きな異性のタイプ: 年上でも下でもいいが、やっぱり男は野球が出来る奴に限る。
好きな野球のチーム: 阪神>大阪 (父は西日本出身の阪神ファン。その影響)

秀才型ヒロイン。長身のショートヘア。
バッティングセンターの娘で、藍璃と美咲とは幼なじみ。
二年女子では学内で成績三番以内に入る秀才。芸能事務所に
スカウトされる程の美人で生徒会員。翔桜は在学中の
芸能活動禁止なので断った。その癖、校則禁止のバイトは
こなしたりと抜け目がない。
中学時代はソフトボール部でエースで四番を務めた。
サウスポーながらMAX100km/h近い数字が出るという奇跡的な
剛速球投手で注目されていたが、ノーコンで変化球は
チェンジアップだけ。中学時代に試合した、同じ左腕の神月に
サイクルヒットを浴びて上を断念する。

7/17誕生花はヒルガオ、花言葉は絆

巧打6.0 長打5.0 走力5.5 肩力9.0 守備4.0 体力5.0
家がバッセンで、中学時代はエースで4番だった。
サウスポーで剛速球を投げれるが……。こちらもブランクあり。


№08 来栖 智仁(クルス トモヒト)
一人称: 俺・おれ
分類: 男子硬式野球
学校: 翔桜高等学校・1年
誕生日/血液型: 4/27 B型
星座: 牡牛座
年齢: 15(16)
身長: 172
体重: 65
ポジション: 捕手
バット: ミドル
投球・打席: 右投右打
趣味: 野球の練習。捕手理論を参考にし野球本も良く読む。学業の方も少し。
好きな異性のタイプ: 女には興味なかったが、赤羽根には惚れた。夜な夜な彼女のことを想っている。
好きな野球のチーム: 北海道>読売 (小さい頃の面影。強いチームに憧れを抱く)

野球部寵臣その2。リトルシニア出身の坊主頭。
家は普通のサラリーマンの家系だが、息子をリトルや名門校
に入れる程度には上手く生活している。
シニア出身だけに、翔桜の野球部のレベルを考えれば
一年ながら身体能力が高く、技量のバランスも良い。
今までの野球人生、捕手一筋でやって来たが、野球無名の
高校でまさかの最強のライバル(白崎)に出会う。
白崎の方が高身長で、全ての能力に優れている点にやや
コンプレックスを抱いている。
白崎にレギュラー負けしたくないと必死で努力し……。
今までは野球一筋で女にも興味なかったが、高校で出会った
赤羽根には一目惚れした。

4/27誕生花はニセアカシア(白)、花言葉はプラトニックラブ

巧打5.0 長打5.0 走力5.0 肩力5.0 守備5.0 体力5.5
硬式上がりの捕手。同じ一年で捕手の白崎に対抗意識があるが……。
バランスの取れた能力で即戦力。


№09 速水 光(はやみ ひかる)
一人称: ボク・ぼく
分類: 女子ソフトボール
学校: 翔桜高等学校・1年
誕生日/血液型: 2/11 A型
星座: みずがめ座
年齢: 15(16)
身長: 164cn
3サイズ: B82・W62・H86
ポジション: 外野手
バット: ミドル
投球・打席: 右投左打
趣味: ランニング。バットの素振り。打席でイチローの真似をすること。スポーツ全般。
好きな異性のタイプ: 今はスポーツが恋人。イチローの大ファンだが、異性的に好きなのではない。
好きな野球のチーム: イチロー>中日 (イチローは愛知生まれの中日ファンである)
 
野球型ヒロインその2。セミショートで桑嶋より短め。
一人称はボクで、泉には注意され、滝川には問題ない言われる。
中学時代は陸上、主に中長距離走をメインにやってきた。
そのため足は速いし左打ちに(滝川に)矯正させられたが、
短距離中心のしずくには瞬発力では敵わない。
スポーツは見るのもやるのも好きで、休日は球場に行くか
ジムに行くか、ランニングしてる。高校生にしては少し変わり者。
身長はほど良く、チーム内でのスタミナは断トツ。無尽蔵。
肩も良いので控え投手をやれば、とも薦められる。野球は好き
だが、彼女は下手であった。ともあれ、素の身体能力の高さから
底知れぬ才能の片鱗を見せることも……。しずくとは親友。

2/11誕生花はフリージア、花言葉は親愛

巧打1.0 長打4.0 走力7.0 肩力6.0 守備2.0 体力9.0
元陸上部でスタミナと足が取り得。赤羽根ほどではないが野球は素人で
足が速いだけでセンターにされた。ちなみに左打ちも矯正。


№10 青木 優(アオキ スグル)
一人称: 俺・おれ
分類: 男子硬式野球
学校: 翔桜高等学校・2年
誕生日/血液型: 1/16 A型
星座: 山羊座
年齢: 16
身長: 177
体重: 72.5
ポジション: 投手
バット: トップ
投球・打席: 右投右打
趣味: 野球一筋で来たので他に趣味がない。一応釣りを嗜む。学業優秀。
好きな異性のタイプ: 生徒会に好きな女がいたらしい。
好きな野球のチーム: 阪神>埼玉 (ちなみに竜司は名前に反して読売、福岡ファンらしい、よく野球の話で揉めた)

黒瀬の好敵手1。黒瀬とは中学時代同じシニアチーム出身で左右のエースだった。
そのキャリアから野球部に在籍してすぐにエースに上り詰めるが、片や
学業もかなり優秀で生徒会に入ってしまう翔桜高校きっての天才かつ変態。
その又がけが反感を買って、一年時は小川に野球部で干され気味だった。

130km/h後半の速球とシュートで、三振とゴロを量産。
その他、緩急、投球術とマウンド度胸にも長けた翔桜のエース。
本来なら野球強豪校に進むべき人間だったが、推薦を蹴って受験名門校に進学。
その辺り白崎藍璃と似ているため、結構共感しているとか。短髪だが坊主ではないのも一緒。

1/16誕生花はラッパスイセン、花言葉は尊敬、あなたを待つ

巧打7.0 長打7.0 走力7.0 肩力8.0 守備6.0 体力6.5
野球普通校、私立翔桜の怪物新二年。
シュート、チェンジアップ、カーブを投げる。
制球力や切れなど高いレベルでバランスの取れた投手。二年世代の中でも
右腕・青木が最高レベルのコントロール、大阪の左腕、甲子園投手の
田邑が、最高レベルの変化球の切れを持つと評される。


№11 グロリアーナ・グレンヴィル
一人称: ワタクシ・わたくし
分類: 女子ソフトボール
学校: 翔桜高等学校(留学生)
誕生日/血液型: 10/10 O型
星座: てんびん座
年齢: 16(17)
身長: 165cm
3サイズ: B86・W59・H88
ポジション: 外野手の予定
バット: トップ
投球・打席: 右投両打
趣味: 乗馬。フットボール、ラグビー、テニスの観戦。紅茶を飲むこと。
好きな異性のタイプ: 優しい男(赤羽根と違って、漠然としていない)
好きな野球のチーム: なし
好きなフットボール、ラグビーのチーム: ロンドン

外国人型ヒロイン。イングランドからやって来た留学生。
金髪碧眼の絵に描いたような美少女。
語学が堪能で、既に割かしの日本語を覚えた。
名門翔桜においても、二年生では成績一位クラス。(よって夢乃は4番に降格)
ステイ先は進藤家で、いさなとは親交がある。
その成り立ちから、同じ美人でも朝倉たち高嶺の花とは
別次元の畏敬の念を抱かれていたが、外国人に全く物怖じしない
白崎に目を付けられ仲良くなる。

野球の経験は勿論ない。ないので両打席で打てて面白そうと
スイッチヒッターになる。さらに投手も面白そうと投手もやる。
同じ初心者でも非力な赤羽根と対照的にパワーに優れ、足も中々速い。
白崎と白沢の教えを素直に吸収して、真の才能を見せ付ける。

10/10誕生花は月桂樹、花言葉は栄光と勝利

巧打1.0 長打5.0 走力5.0 肩力6.0 守備1.0 体力4.5
イングランドから日本にやって来た留学生。ソフトは素人で下手だが、
速水と同じく身体能力がある素材型の選手なので、赤羽根より上達が速い。


№12 進藤 勇魚(しんどう いさな)
一人称: 私・わたし・わたくし
分類: 女子ソフトボール
学校: 翔桜高等学校・1年
誕生日/血液型: 3/9 B型
星座: うお座
年齢: 15
身長: 168cm
3サイズ: B85・W65・H90
ポジション: 外野手、一塁手
バット: トップ
投球・打席: 右投右打
趣味: 稽古事。意外? なことにピアノ。(勉強はつまらないからダメ)
好きな異性のタイプ: 強い男(ただし容姿が普通以上に限る)
好きな野球のチーム: ニューヨーク> 松井秀、他MLB日本人選手 (野球? メジャー以外見ません)

お嬢様型ヒロイン。白のヘアバンドと長い黒髪がトレードマーク。
眼光鋭いが、目付きの悪さを指摘されるとキレる。誰も口出しできない。

名家の進藤家は翔桜においても一、二を争う裏・有名人。
旧友で舎弟の鈴野たちを従え今日も先頭を切って歩く。
50メートル走、ハンドボール投げ、腕相撲……もとい握力と
総合的な運動能力は一年女子でも余裕のトップ。
二年でも一位らしい。三年含めても一位らしい。

グロリアーナ・鈴野を含め第一期女子ソフトボール部としては
後半に加入したメンバーだが、美咲としずくを除くと戦力的に重要なのは
この三人だったりする。

お嬢様らしく名誉を重んじる性格で、日本の野球よりはメジャーで
名門のニューヨークだろうと深く考えずそんな理由でしか応援していない。

3/9誕生花はカラ松、花言葉は豪放大胆。

巧打2.0 長打7.0 走力7.0 肩力7.5 守備3.0 体力5.0
翔桜高校一年女子の中で最高の身体能力を誇る。大きく速く力がある。
名家の娘だが学力は、下から数えた方が早いほど悪いらしい。


№13 鈴野 美名子(すずの みなこ)
一人称: 私・あたし
分類: 女子ソフトボール
学校: 翔桜高等学校・1年
誕生日/血液型: 11/17 A型
星座: さそり座
年齢: 15(16)
身長: 165cm
寸法: B91・W70・H93
ポジション: 外野手
バット: ミドル
投球・打席: 右投左打
趣味: 創作ダンスの振り付け。ショッピング。ファッション(誌を読むこと)。化粧の研究。
好きな異性のタイプ: 清潔な男(顔は普通なら良い)
好きな野球のチーム: 浦和>千葉(前者はサッカー。応援が好きなもので)

今時の普通の女の子ヒロイン。茶髪のストレートの短髪。
左目の泣きボクロ以外は、特徴のない顔面が美人ソフト部では特徴的な女子。
図体は縦と横に大きめで、(滝川たちに)デブと認識されている悲劇の少女(本人以外は悲劇と思っていない)。
だが幸い、胸も大きめである。それを武器に思ってる。心の中で彼氏募集中。

中学まで水泳を習っていた。そのため翔桜女子の中では運動神経はかなり良いが、
成績が伸びず水泳に限界を感じて止める。高校ではダンス部に入るつもりだったが
進藤に巻き込まれてソフト部にも入るはめに。
正直ソフトボールには興味がない。ソフト部はモテなさそうという思い込みがあった。
だがソフト部美少女軍団を見て考え直し、発狂しそうになる。ダンス部で青春を送りたい。

ポジションは外野手予定。ソフトは体育の授業等でやる程度だが、素人と比較するとかなり上手い。

11/17・誕生花はスターチス、花言葉はかわらぬ心

巧打3.5 長打4.0 走力5.5 肩力5.0 守備4.0 体力7.0
進藤の連れ(舎弟?)で、水泳には少し腕に自信のある女子。
高校ではダンス部に入りたいようだが……。がたいはいいがデブとは言い難い。


№14 藍原 あやめ(あいはら あやめ)
一人称: 私・わたし
分類: 女子ソフトボール
学校: 翔桜高等学校・2年
誕生日/血液型: 5/10 B型
星座: おうし座
年齢: 16(17)
身長: 168cm
寸法: B90・W68・H89
ポジション: 三塁手・一塁手
バット: トップ
投球・打席: 右投右打
趣味: インターネット・読書(漫画)・カラオケ。小中時代はよくソフトの練習をした。
好きな異性のタイプ: やるときゃやる人
好きな野球のチーム: 横浜(一筋)

頼れる姉御肌ヒロイン。金縁メガネの黒髪ポニーテール。
翔桜女子ソフトボール部の中では大柄で、進藤を太くした体格の持ち主。
明るく話上手で、有名人(看板放送部員)なので男女問わず誰からも親しまれている。
それ程美人ではないが性格とスタイルの良さが手伝って、二年生女子の中では裏で男子にかなり人気がある。

中学時代はソフトボールの関東大会出場経験者で右打ちのスラッガー。
外部生として翔桜高校に来た後は、小学校時代の親友の藤川夢乃と共に
学校にないソフト部を作ろうとするが失敗。
その夢は一年後にやって来た滝川・泉の手で叶えられ部員として合流する。

ただし現在は放送部のエースでもあるので、そちらを優先するつもりである。
余談だが朝倉、藍原、藤川の上級生三人娘は全員文武両道。

5/10・誕生花はアイリス、花言葉は愛

巧打4.5 長打7.5 走力5.0 肩力5.0 守備4.0 体力5.0
翔桜上級生三人娘の一人。強打の藍原。中学時代は関東大会に出場した経験を
持つが、ブランクもあって全体的に力が落ちている。


登場人物紹介 №15 久永 透(ヒサナガ トオル)
一人称: おれ
分類: 男子硬式野球
誕生日/血液型: 9/13 O型
星座: 乙女座
年齢: 17(18)
身長: 174
体重: 69
ポジション: 投手
バット: ミドル
投球・打席: 左投左打
趣味: 家族ボウリング。料理(弁当を作ること)。野球ゲームの対人戦。
好きな異性のタイプ: 年下 (だが年上の方が仲良くなりやすい)
好きな野球のチーム: 東京 (初めて球場で見た試合のホーム側チーム)

野球部の三年生エース。左利きということで珍しがられ、野球では投手を
任されてきた。翔桜高校でも二年時からはエースを務める。

120km/h台の直球と横に滑るスライダー、カーブを投げる。
長いイニングを投げられるスタミナと、すぐ肩を作れるのが取り柄だが、
コントロール、変化球の切れなど突出するほどの力はない。
良く言えばバランスが取れている。悪く言えば左で投げてるだけの投手。
試合とは関係ないが、よく練習し素直な生徒だったので顧問・上級生からは
可愛がられてきた。

三人姉弟の末っ子で上に兄、姉が居る。両方の弁当を作る。
現在は野球部、高校三年生ということで、あまり時間が取れないが、
かつては良く三人でボウリングに遊びに行っていた。

9/13・誕生花はクズ、花言葉は芯の強さ

巧打4.0 長打4.0 走力5.0 肩力5.0 守備4.0 体力5.5
翔桜高校硬式野球部三年、左のエース。球速は120キロ台。
実力は普通の野球部以上、強豪校の投手未満。


登場人物紹介 №16 朝倉 蘭歌(あさくら らんか)
一人称: 私・わたし
分類: 女子ソフトボール
学校: 翔桜高等学校・3年
誕生日/血液型:11/24 O型
星座: いて座
年齢: 17(18)
身長: 164cm
寸法: B88・W61・H88
ポジション: 投手以外予定
バット: トップ
投球・打席: 右投右打
趣味: 家庭教師(≠アルバイト)。カラオケ。生徒会の仕事。
好きな異性のタイプ: 自分だけを見てくれる人
好きな野球のチーム: 成績上位選手(を話題にした方が角が立たないから)

翔桜高校のヒロイン。薄い栗色の長髪ストレート(地毛らしい)。
外部生ながら(前)生徒会長を務めた秀才の中の秀才。容姿端麗で歴代で最も
男子生徒に人気のある会長だったが、実際に役員としての手腕もずば抜けていた。

趣味や得意項目は多彩だが、内心でその全てにおいて一番になりたいという願望を持っている。
勉強でも生徒会でも人気でも一番に登りつめた彼女が、どんなに努力しても叶わなかったのがソフトボール(運動)。
中学時代、チームでエースだった蘭歌をあっという間に追い抜かした一年後輩こそが、後の日本代表投手の神月だった。

これを機に長らくソフトボールを止めていたが、高校三年生にして復帰する。
しかしエースの美咲との実力差は歴然だから、今更ピッチャーをやらせて貰おうとは思わない。

11/24・誕生花はカトレヤ、花言葉は魅了、品格と美

巧打3.5 長打4.5 走力4.5 肩力4.5 守備3.0 体力4.5
翔桜上級生三人娘の一人。前生徒会長の朝倉。経験者といっても
ブランクの長い、弱小チームの元エースにしか過ぎない。
ほとんど投手経験しかないので守備も上手くない。
 

登場人物紹介 №17 大須 雷河(オオス ライガ)
一人称: 私・わたし(俺と使い分けることも)
分類: 男子硬式野球
誕生日/血液型: 8/7 A型
星座: 獅子座
年齢: 17(18)
身長: 180.5cm
体重: 75kg
ポジション: 捕手
バット: ミドル
投球・打席: 右投右打
趣味: キャッチボール。野球に関するデータ(数字)の収集、統計。
好きな異性のタイプ: 彼女有り (年上の彼女だが、小さいので周りからは年下に見られている)
好きな野球のチーム: 東京>埼玉・福岡 (名捕手を生んだチーム)

野球部の正捕手兼主将。練習や試合時は厳しい目付きをしているが、普段は温厚な眼差しを見せる。

翔桜中学上がりの内部進学性。幼少時は神童と呼ばれ、中学入学当初は成績も
トップクラスだったが、野球の魅力に取りつかれて以降五年間、勉強時間を棒に
振って練習してきた。
その甲斐あってか、翔桜の野球部員の中では段違いの実力を手に入れて、
青木の台頭までは四番打者を務める。
また体も大きく捕球も上手いので、捕手としての能力は高い。
それでも野球の申し子の青木や藍璃には実力は及ばないが、ただ一つ、勝利への執念だけは圧倒的に二人に勝っている。
『本来、翔桜は大須のチームだった』

上述の理由もあって、翔桜の中では落ちこぼれになってしまったが(数学は得意)、あまりくよくよせず悔いなく青春を過ごしている。
恐らく可愛い彼女が居るという理由が大きい。
同じ内部生の久永、仲井は最後まで残った野球部仲間という意味でも特別な親友。藤原たちは良き後輩。

8/7・誕生花はサルビア(赤)、花言葉は燃える心・家族愛

巧打6.5 長打6.5 走力5.0 肩力5.5 守備6.0 体力6.0
翔桜高校硬式野球部三年、正捕手。
青木や藍璃の入学、瀬谷の入部をイレギュラーとしたとき、
翔桜で唯一、他校の野球部員(中軸)に匹敵する人材。
 
 
登場人物紹介 №XX 白土 芽衣(しらと・めい)
一人称: わたし
分類: 女子ソフトボール
学校: 私立成海高校・1年
誕生日/血液型: 10/24
星座: さそり座
年齢: 15(16)
身長: 162cm
寸法: B78・W62・H82
ポジション: 投手・外野手
バット: トップ
投球・打席: 右投左打
趣味: 食べる。寝る。ソフトの練習。
好きな異性のタイプ: 白崎藍璃
好きな野球のチーム: 白崎藍璃(がいるチーム)

宿命のヒロイン1。垂れ目気味で口が小さい、ショートヘア。
無口で無表情で何を考えてるか分からないところがある。
高校女子ソフトボール界の王者、成海で新一年生ながらスタメンレギュラーに
抜擢された天才の中の天才。

ポジションはピッチャー兼センター。
投手としてのスタイルは剛速球と変化球を混ぜた本格派。
打者としてのスタイルは走力と長打力を併せ持つ、ホームランアーティスト。
U-16日本代表でもあり、神月ともども周りからは一目置かれている。

白土スポーツ店のオーナー娘(長女)で、藍璃や美咲とは顔なじみ。

10/24・誕生花はクリ。花言葉は真心。

巧打7.0 長打8.5 走力7.5 肩力8.5 守備7.5 体力8.0
投手と中堅手を務める。中学2年生の段階では白沢にやや劣っていたが、3年時には頭角を現す。
白沢が引退していた一年間で実力が逆転した。一年世代では東京ナンバーワンプレイヤー。
 
 
 
オマケ
 球団ファン一覧表

巨人: 黒瀬、赤羽根   > 藍璃、日和、白沢、来栖
阪神: 青木、夢乃    > 瀬谷
中日: 上杉、桑嶋    > 速水
広島:          > 瀬谷
横浜: 藍原
東京: 久永、大須    > 藍璃、日和、白沢
西武: 藍璃、白沢    > 藤原、青木、大須
福岡: 瀬谷、藤原、日和 > 黒瀬、大須
ハム: 来栖
楽天:          > 桑嶋
千葉: 鈴野
大阪:          > 夢乃
NY: 倉内、進藤
イチロー: 速水
松井:          > 進藤
 
 
・白崎家の十二人
 父
 母
 文虹(ふみこ)
 藍璃(あいり)
 美咲(みさき)
 一織(いおり)
 日和(ひより)
 英恵(はなえ)
 空穂(うつほ)
 恵陸(えりく)
 ????
 ウィル (マルチーズ)

 
剣道編
登場人物紹介 №01 白崎 日和(シロサキ・ヒヨリ)
一人称: わたし
分類: 女子剣道(中学)
学校: 私立天神学院中学校・3年(熊本)
誕生日/血液型: 10/20 B型
星座: てんびん座
年齢: 14(15)
身長: 174.5cm
寸法: B86・W70・H90
ポジション: 部長で大エース
得意技: 抜き面、抜き胴、抜き小手
趣味: 家族と剣道の練習。剣道の試合、剣道のテレビ放送視聴……と剣道尽くめ。
好きな異性のタイプ: 家族的な人。(本人の感覚からすると家庭的な人ではない)
好きな剣道のチーム: 天神女子>天神男子 (インターハイでの活躍を見て以来、昔から憧れだった)
好きな野球のチーム: 福岡>読売、東京 (九州に住んでいるので九州のチームを応援)

剣士の中の剣士。白崎藍璃の一つ下の妹。中学生ながら頭抜けた長身。
剣道とスポーツの名門、熊本の天神学院中に推薦された天才少女。
その才能は藍璃を遥かに凌駕し常に全国一番に輝く人間だった。
同世代で男子と渡り合える唯一の女子。分野は違えど作中では神月以外では誰も対抗できない。
かつては藍璃には厳しく、美咲には弱い一面を見せたが心の中では二人を尊敬している。
白崎の宿命なのか、やはり身内には甘い性格だが、同時に
身内の勝利を達成できる少女。昔はわんぱくだったが時を
経て落ち着いた。やや謎が漂う。それは……。

10/20・誕生花はアサ。花言葉は運命、宿命、結果
    誕生花はニシキギ。花言葉はあなたの定め

力11.0 速さ11.0 心10.0 技12.5 体10.0
東京から剣道の名門、熊本の天神学院中に進学した剣士の中の剣士。
中学剣道界の全国王者でもあり、女子選手の中では別次元の力を持つ。
 
 
登場人物紹介 №02 雪村 綾依(ユキムラ・アイリ)
一人称: あたし
分類: 女子剣道(中学)
学校: 私立翔桜中学校・3年(東京)
誕生日/血液型: 4/1 A型
星座: おひつじ座
年齢: 14
身長: 178.5cm
寸法: B98・W71・H93
ポジション: 最強の女
得意技: 正面打ち
趣味: ドラマ鑑賞。おしゃべり。スポーツで勝つこと。
好きな異性のタイプ: 背が高い人。(男の方が低いとギクシャクするに決まっている)
好きな野球のチーム: なし (スポーツは見るよりやる派)

巨人の中の巨人。白崎藍璃の一つ下の後輩。女子ながら頭抜け過ぎた長身。
全国でもお勉強の名門、翔桜校で普通に生きてきた怪物少女。スポーツ全般が大得意。
その才能は白沢美咲を遥かに凌駕し、周りからお前なんで翔桜にいるの?と冗談を言われる人間だった。
胸が大きいのはともかく、背が高くてその辺は嫌だなあと激しく思っている。

同世代で日和と渡り合えそうな唯一の女子。分野は違えど作中では誰も対抗したくない。
二つ上の高等部野球部に才色兼備の姉(マネージャー)が居て、基本的に仲は良好だが、時に疎ましく思っている。

自分を認めてくれる友達には甘く、認めてくれない人間には容赦のない性格。
だが味方に付けると心強い、身内の勝利を達成できる少女。
昔はもう少しわんぱくだったが、思春期の今は本人なりに自重している。

4/1・誕生花はサクラ。花言葉は精神の美しさ、神秘な心、純潔

力12.0 速さ6.5 心4.0 技6.5 体10.0
投球・打席: 左投左打
巧打5.0 長打10.0 走力5.5 肩力10.0 守備5.0 体力10.0(中学指標)
本作品のもう一人の彗星。進学校、翔桜学園において桁違いの体格を持つ女子中学生。
その巨体のコンプレックスの裏返しに、大きいものこそが絶対的に強いと言う信条を持つ。
 



[19812] 8回表: その名は青木優
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/12/04 23:27
 
 新一年生が初っ端の公式戦からレギュラー・スタメン四番打者ともなると、上級生、下級生、体育会系色の薄い翔桜高校硬式野球部といえども流石に波紋が広がる。
 ずっと練習してきたのに、自分たち上級生の中から一人がレギュラー落ちする。三年生は安泰だから標的は二年生に絞られた。

 部活中、どうもグラウンド内の雰囲気が暗く口数、声も一週間前より減ってきた。二年生全体がピリピリしている。
 三年主将で捕手の大須は不動だろうから、白崎に変わってスタメン落ちするのは内外野手の何れかと、共通の不安を抱えていた。いや、実際には中堅手の仲井がスタメン落ちすることはあり得ないので競争枠は五人だ。

 仲井は三年生で、実際に外野守備が一番上手い。苗字が『仲』井だからセンターを始めましたという男だ。野球部には他に、苗字に東と西が付く部員が居るから、その三人を方角順に、全員外野に当ててみないかなんて冗談が言われることもある。

「今週の、ジャ●プもう見た?」

 二年生の一塁手、東山が口を開いた。約30メートル向かいの宇尾とキャッチボールをしていた。

「おれは漫画読まねーって」
「あれ、そうだっけ。あ、西田か。ファンは」
「見出すと止まらなくなるよな」

 東山は一塁手で宇尾は遊撃手だから、試合中もボールのやり取りをよく行う。二人は高校入学、入部時からよくキャッチボールをする仲だった。
 が、野球以外の付き合いはそれ程ない。そういえば宇尾とは漫画の話などしたことなかったな、と東山は気がついて舌打ちした。野球ゲームの話もしたことがない。

「教科書にも試験にも載らないのがさ。おれはお前と違って馬鹿だから、野球と勉強以外に付き合う時間ねーわ」

 そう言う宇尾だが、前回の期末試験の成績が自分より良いのを東山は知っていた。

 肝心の野球の腕前にしろ、足が速く貴重な左打者でバッティングもそこそこと、二年生の中では野球センスが高い。彼は昔からずっと投手か遊撃手をやって来たそうだ。しかし、だからこそ不安を感じている。

 センターは埋まっている。上手いやつがショートを任されるなら、間違いなくそこに白崎が来る。宇尾はサードか、ライトかレフトに回り、ポジションは変動し、自分たちも追いやられかねない。

「それより次の成海の話しろって」
「ああ。成海ねえ……」

 二人とも投げる際に前に踏み出し、少しずつ互いの距離を近めていく。が、反対に投げるボールの速度自体は速くしていく。キャッチボールがスピーディになった。

 そして、今度は宇尾の方から話を振って来た。
 週末の春季大会準々決勝、対戦相手は強豪の私立成海高校。いよいよ桁違いのレベルに突入する。今までの相手も強かったが、くじ運にも恵まれた方で強い高校の範疇だった。ここから甲子園に行くレベルの高校だ。強いではなく、超強い。

「どうよ」
「つえーよ」

 宇尾はキャッチボールの手を緩めない。東山は二つの意味で言った。

「んなの知ってるって」
「はは、そろそろ潮時だな。よくここまで来たよ、翔桜は」
「でももう、どっちもシード入ってるんだぜ。相手フルメンバーとは限らないよな?」

 宇尾は右横の長岡に目配せした。次いで長岡が正面の内園に声を掛ける。
 キャッチボールを行いつつ、四人は内野のダイヤモンド中に入っていった。各々自分の持ち場に付いていく。一塁手の東山と二塁手の内園は配置を交換だ。この光景を見るや、次の練習方法を知った高木が仲間に加わって本塁ベースに走っていく。

「フルはねえかもなあ。特に成海は、この時期は、よく抜いてくるから、特にうちが相手なら……」

 三塁手の長岡が前の話を引き継いで、ショートの宇尾に送球したのがボール回しの始まりとなった。ここからは、試合時のように本気で投げてボール回ししていく。記述を省略しているが、ボールを回す時は必ず投げる相手の名前を呼んでいる。

「え、なんで?」と二塁手の内園が叫んだ。

 本職二塁手の内園は野球に関しては頭があまり回らないタイプの選手で、長岡や部員たちに「どうして?」「なんで?」と一々説明を求める。元からキャリアの浅い選手だった。

 だが根性があり、同じくキャリア短く練習に付いていけなくなった同級生が一年で野球部を止めた後も、内園だけは野球を止めなかった。むしろ二年生の中でも中堅レベルに成長してレギュラーに入り込んでいる。

「こっちがフルじゃないからだよ。翔桜は基本三年が居ないだろ」

 二番手グループに属する宇尾がぶっきら棒に返事する。やはり今日は宇尾の機嫌が一番悪い。

「そうだな」

 東山が相槌を打った。成長速度の遅い東山は今では内園に追い付かれてしまった。バッティング、長打力では勝り、守備で負けてトントンだろう。

「そんなの、いつも居ないんだが」

 本塁(キャッチャーボックス)の高木はモーション、ステップ、腕の振りが小さく淡々と投げ返す。
 現在はレフトを務めることが多い彼だが、投手以外の内外野何処でも守れるユーティリティープレイヤーだ。翔桜では貴重なタイプの野手で重宝されているが、専門の遊撃手にも三塁手にもなれない──万能ではない、あくまで便利屋と本人が自覚し語っていた。

「ああ、その戦力差で負けたら恥ずかしいのか」

 ボールが三塁手の長岡の手に渡った。長岡と宇尾が投げるボールが特に速い。長岡は元々は投手として入部してきたから無理もない。

 身長が178cmで90kg以上ある翔桜野球部では巨漢に属する男だ。俊足の宇尾から走力を引いて、長打力に振り分けたような選手で彼もまたセンスがある。
 現在の打順は五番。三番が大須、四番が青木だ。春季大会の前は大須が四番だった。これに白崎が加わることで恐らく、長岡の打順は六番に変動するだろう。

 白崎が居ない時は、この三人で少ない点をもぎ取って守り勝って来た。

「言い訳できないからな。知り合いに聞いたけど、どの学校も罰ゲームだと思ってうちとやってるんだとさ」
「分かるわ。自分で言うのも何だけど、うちと試合してもほとんど経験にならないし勝っても意味ないし、苦戦したり最悪負けたら馬鹿にされるって」

「でも記録が良くなるんじゃないかな」

 宇尾と東山、続いて内園が言うが、やはり最後の彼だけ少し発言がズレている。いつものことなので気にせずに一同は練習を続けた。

「あと、うちの人間に球当てたり、ケガさせるとヤバイ」
「ま、向こうさんは手加減しても勝つんだけどな」
「今まではそれで通用したけど」

 東山が合図をして、ボールが逆回しに変わる。また彼が全部言うまでもなく、全員がその言葉の続きを悟っていた。

 ……翔桜にはどういうわけか、化け物が入ってしまった。今年、入部した白崎を指してはいない。
 白崎が自分たちとは別次元の野球人なのはここに居る五人全員一致で認めるが、恐らく白崎一人いたところで翔桜をベスト8には導けない。白崎は投手じゃないからだ。

 同級生、二年二組の青木優《アオキスグル》。多くは語るまい。入部時点で、新一年生ながらエースの久永より速い球を投げて、四番の大須を超える打撃センスを持つ、典型的なエースで4番の野球人だった。

 元々シニア上がりで自分たちより野球キャリアの長い、そんな人間が翔桜に来るのもどうかと思うが──今年にもシニア出身の新入部員が一人居る──春季大会は彼の力投があってこそ勝ち上がれた。

 青木という野球人を象徴する一番良いエピソードは彼がソロホームランを打ち、相手チームを二安打に抑えて、強豪の西林に1-0で完封勝ちした試合だった。
 青木が投げて、青木が打って勝つ。各試合ごとに内容差はあれど翔桜の野球は、基本それだけだった。

「青木がいりゃ、もしかして勝てるんじゃない?」
「かもな」
「前の試合、十奪三振完封だよ」

「いや、その前も」
「あいつ、この大会で自責点0だからな。一回エラー絡みで失点しただけ」

 青木のストレートは高校生としては速い方だが、強豪校なら見慣れている速球に違いない。同程度の速球を投げる身内も居れば、最近はピッチングマシンの練習も盛んだ。
 なのに対戦した相手校の選手が揃って空振りするのだから、青木のストレートはマシンとは比較にならない、特殊な点があるのだろう。

 やっぱりコントロールと緩急だろうな、と全員は思っている。ストライクゾーンのコーナーを付く速球と内角に食い込むシュート。そしてチェンジアップとカーブでタイミングを外す。ストライク先行で、気持ち良いぐらいばしばし決まる。ここまで二試合連続で四球を一つも出していない。

「でも、青木でも上杉には敵うかな」
「同じ新二年だけど」
「知ってるだろ、上杉は」
「上杉にはどうやっても打たれるだろうな。七割だよ。出塁率は八割以上か? 敬遠した方が得する打者……でもチーム盗塁王なんだよな」

「基本内角攻めだな」

 話が途切れ、一緒にボールを回す手も止まった。一同はまだまだ疲れていないが、今日は練習が捗らない。

 顧問の小川は一年生部員を連れ、校舎外周ランニングを始めた。仮入部三日目となると、体力検査ということで野球部はこれぐらい疲れるんだぞ、という見本を見せていく。
 しかし全然、厳しくはない。体育の1500メートル走に毛の生えたようなランニングで、これに付いていけないようでは根本的に運動系部活に入る資質がない。翔桜の野球部はあくまで一年生のうちからボールを使った特訓がメインである。

 だが、今年と去年以前では状況がかなり異なる。もう四月なのに春季大会真っ只中に居るわけだ。

『例』の件でピリピリしている、試合直前の上級生の練習の邪魔にならないように、外に連れ出したのだろう。春季大会が終われば直ぐに一年とも合同で練習を始める。

「なんだって、こんなことになったんだか」

 五人はボール回しを再開し始めたが、先ほどまでとは打って変わってボールに勢いがない。やがて打撃練習か走塁練習に入るが、その前の一時、会話の時間であった。

 この慣れ親しんだ第二グラウンド──暫くすると使えなくなるらしい。放課後になる頃には野球部員にそんな情報が広まっていた。小川に訊ねると前々から前兆があったのか、真実ということが判明した。
 グラウンドは、一年生を中心に新たに発足した女子ソフトボール部が使用する。グラウンドの件を漏らしたのはその首謀者たちだろうか?

「しらねーの、一年の女子に凄い子が入ったんだとさ。いや本当凄いんだって」
「その子のためだな、きっと」

 二年・三年生の中にはグラウンド撤退から反対の声もあったみたいだが、宇尾と高木は最初から静観モードに入っていた。
 これでただ、グラウンドを奪われるだけなら暴動物だが、一応代わりの野球場を手配(賃借)してくれるそうだ。その球場の方が外野が広い。ならば、このグラウンドより練習になりそうではある。

「最近のうち凄いな」

 東山も納得していた。小川からそう説明され頼まれたら、これ以上強くも言えない。

「知ってる。白沢さんだろ」
「白沢美咲。全中に出た投手」
「青木タイプか?」
「そう。まんまそれ。文武両道」
「すげえなあ」

 その一年生の凄い子の名前が挙がった。白崎藍璃とどちらが野球人として凄いのかは詳しくは分からない。どちらも中学の時に全国大会で好成績を収めたらしい。だが上級生、仲間内で人気があるのは断然、白沢の方だ。

「白沢さんは可愛いから青やんとは全然違うよ。ガチ可愛いから。まじ天使」

 内園が力説したあたりから、練習の手が完全に止まった。

「あの子は性格良さそうだよな」
「今年の一年はレベル高い。オレも、一年遅く生まれれば良かった」

「お前ら、どっち派なの? 白沢さんと、あのボインの子」
「赤羽根さん(あかばね)」
「そうそう」
「白沢だよ。ってか二年は、2-1で大体そういう結論だったろ」

 不意に宇尾が手を上げて、マウンドに歩いていく。それを見て、高木がその場に座り込んで、横に置いてある自分のキャッチャーマスクを取った。一塁の東山はそのまま、二塁に付いていた内園が一塁に駆けて行く。

「付き合うなら赤羽根だけど、結婚するなら白沢」

 長岡が二塁に向かいながら口を開く。本当は遊撃手の宇尾ではなく、三塁手で元投手の長岡がマウンドに行けば全く支障をきたさないのを一同、気付いていた。だが宇尾が久しぶりに投げたいようなので、誰も止めはしない。

「オレも」
「うん」
「じゃあおれ、余ってるしずくちゃんでいいや」

 そしてキャッチャーに変身した高木が呟く。彼は中等部から上がって来たので、余所者の二人より後輩の桑嶋しずくに思い入れがあった。全員の感想を聞いて宇尾が吹き出した。

「お前ら一年相手に、何言ってんだよ。一年部員が聞いたら萎えるぞ」
「宇尾が最初に白沢って言ったんだろ」
「おれは藤川だよ。二年の。同級生がベストだ」

 口早に振りかぶると、宇尾は高木に向かって直球を投げた。


 走者(内園)を置いての一塁牽制(東山)の練習を兼ねている。内園にとっては盗塁の練習でもあり、長岡が二塁ベースカバーに入る。本来、遊撃手の宇尾の務めだ。
 初球は本人の意思でワインドアップ投法で投げたいように投げたが、ここから塁に走者を置いた時の基本通り、盗塁防止のためにセットポジションで投げる。左足をプレートの前に、両手でボールを持って体の前に出した。
 宇尾はプレートの外し方から牽制の動作は早いが、肝心のピッチングは平々凡々としたものであった。サウスポーの久永に対して右投げで、それこそ本当に何処の野球部にも居る有り触れた投手だった。

 ソフトボールと硬式球のサイズの違い。マウンド(投手板)と本塁間の距離の違い。それらを考慮して、また体感速度だけで見るなら藤川夢乃の速球は圧倒的に普通の高校生の球よりも速かった。その速度はおよそ100km/h。
 女子ソフトボールの100km/hは、野球の計りで単純換算するなら140km/h。翔桜で言うなら青木の130km/h後半よりも速いことになる。しかも夢乃の場合は左投げでそのスピードを出してしまう。

「藤川は、背高いから……」
「背の分が少し胸にいけば、完璧なのに」
「バーカ。お前ら、何も分かってないな」

 宇尾が投げて、高木が捕って、二塁ベースカバーに入った長岡に送球する。
 内園の盗塁が決まった。宇尾の直球のスピードと、高木の肩の強さじゃ内園の足に敵わない。青木が投げて、大須が送球すれば盗塁刺殺だろう。

 ──胸がデカイ女なんか珍しくもないし、この学校にもちらほら居るし、AVの世界には沢山いるけど、さらに可愛ければ尚更凄いが、それでもそれ以上に左投げでソフトボール100km/h出せる女が早々存在するか?

 男だっていい、右投げでもいい、高校生で140km/h投げられる……宇尾にとってそれは憧れだった。自分では140は夢のまた夢で、130にも届かないだろう。130の壁を青木はもう楽々と超えて、140に到達する日も遠くないに違いない。
 高校生になって、ソフトボールを止めた夢乃に訊ねたものだ。それだけ速い球投げられて、才能あってなんでソフト止めたんだよと。ソフトボールを続ける気なら翔桜に来なかったろう。そしたら一笑に付された。

 ──天才ってのは世の中に沢山居るもんなんだよ。

 宇尾は勿論、東京の野球に携わる学生ならある程度知れた名前であった。
 全国区とはいえ女子選手で男子のように広く名前が知られているのが凄い。白沢は知らなくても、現に同じ翔桜生でも最初知らない部員は多かったが──神月と白崎(=日和。白崎は一般的に野球以外では藍璃ではなく日和を指す)はその世界の人間なら知らない方がモグリになる。

 週末の春季大会でぶつかる、私立成海高校に通う新二年生、神月志乃──女子ソフトボール日本代表投手。高速スライダーを筆頭に七色の変化球を投げる、100km/h超のサウスポー。
 ピッチングだけでなくバッティングも(ソフトボールの)身体能力も何もかもが夢乃より上で、極めつけに体だけ小さかった。
 同学年の天才に負けて、天才・夢乃はソフトボールの道を断念したらしい。

 そして彼女によって定義づけられた……天才とは最低でも全国大会に出場した人間──その中から自分で天才と名乗っていいのは、全国優勝した、一番に輝いた者のみ。中学一年生(白崎)から、或いは高校一年生(神月)で制覇すると尚素晴らしい。

「今のよくね?」
「ああ」
「ってか今日は球走ってるな」

 思わず周りに得意気に訊ねた。長岡にも賛同された。宇尾と二番手を争う長岡の言葉なら嘘ではあるまい。

 高木のグラブに収まっているボールを見つめなおす。何キロのストレートか分からないが、今の自分にはこれが精一杯だ。打者も居ないし、速さだけに拘って思い切り良く投げられたのもある。
 打者が居たら。先日、久永があっさり白崎藍璃に打たれたのを思い出す。彼や青木には今の渾身の直球でも軽々打たれてしまうのか。大須にだって拾われるのか?

 結構野球やって来たけど、やっぱりスピードボール投げるってのはそれだけで才能なんだよ、藤川夢乃。

 宇尾は彼女に笑われた後も内心ずっとそう思っていた。そしてそれだけに青木には、彼のことは好きではなかったが、次の成海戦でも負けて欲しくなかった。


                2


 午後五時過ぎになって病院から戻って来た青木優は、報告がてらに野球部グラウンドに立ち寄った。

 仮入部の三日目らしい、一年生男子がグラウンドの隅の方でキャッチボールや、素振りや、椅子に座ってティーバッティングを行っていた。入部期間になってから青木がグラウンドに訪れたのは初めてなので、新一年生部員と顔を合わせるのは初めてになる。

 新一年生は十三人居た。体験入部者の数は去年よりも若干多めか。彼らは一ヶ月前まで中学生でシニアで野球をやっていた人間でもないのだろうから、大半が華奢で初々しさが垣間見えた。
 そして入り口付近に顧問の小川の姿が見えた。内野で守備・走塁練習をしている二年生に声を飛ばしている。

 いっそ初めに申し上げとこう。青木は小川のことが嫌いである。とはいえ内心レベルで、その実、どうとも思ってないのが本心か。
 この理由は大したものではなく、シニア出身で実力ある投手の自分を去年、干していたからだ。それもあって、小川と顔を合わせたくないから青木はこの場所ではあまり練習しなかった。

 しかし前述の理由はあくまで一端。ここでの練習をパスする、もう一つ別の決定的要因がある。青木はシニアチームで、普通の球場で練習してきた。

(ここ狭いからな。他所ならただの外野フライが、ホームランになるとか、俺がやってきた野球とは別物だよ)

 もっとも青木の球が、翔桜の部員のバットで外野フェンスに運ばれたわけではない。先輩の久永の球が運ばれるのが理不尽でならなかった。だから、実際の試合では彼はそこそこ抑えているみたいではないか。

「青木」

 最初に自分に気付いたのは正面向き合っている、遊撃手の宇尾だった。
 その声で背中を向けていた小川が振り返った。

「お、どうだった、青木」
「ああ、先生。医者は特に問題はないって言ってました」

 ここ二日、部活には顔を出していない。前の試合で完封勝ちしたものの試合翌日から、右肩に少しの違和感を覚えて、月曜と今日の二度、病院で診断を受けた。
 特に大事にも至らず、単に疲労が関係しているとのこと。去年あまり試合で投げなかった自分が、今年の春季大会で、連戦完投とくればそれは疲れて当然だろう。ただし、青木は手を抜きながら、要所要所で本気を出して投げるのが得意だったので疲労は最小限度に抑えたつもりだったが。

「そうか、それは良かった」

 小川は安堵してみせたが、青木は彼を信用はしていなかった。昨年は殆んど出番を貰えなかったのに、今年に入ってからは急に投げさせられるようになって、それで学校の予想外に勝ち続けて、さらに投げ勝ってきたのが真実だろう。

「でも、肩に違和感はあるんですよ。少しだるいというか」
「それじゃあ、次はどうする」
「その確認もあって今から、少しだけ投げます。それでやっぱり変だな、と感じたら止めます。次の試合は久永先輩にお願いしますよ」

 青木は左肩の鞄を地面に下ろして、ピッチャーグラブを取り出した。そして制服の上着を脱ぐと、向こうで二年生のトスバッティングの練習を手伝っていた女子マネージャーの雪村を呼んで、鞄と一緒に、一塁ファウルグラウンドの椅子のところに持って行かせた。
 青木が右肩を回した時、不意に背後から視線を感じた。首だけ振り向くと、ユニフォーム姿の見知らぬ短髪の男子(なら一年生部員だろう)がグラウンドに入って来たところだった。

「彼が白崎だ」と小川が言った。
「え?」

「言っただろう。全日本少年軟式野球大会ベスト4の捕手が、今年うちに入ってきたって」
「ああ、そうなんですか。自分、軟式は、あんまり詳しくないので」

 軟式は範疇にないが全国に行くほどなのだから、優秀な野球人なのだろう。今度は振り返り、白崎の方からも近付いてくるので──同程度の背丈の二人が直ぐに向かい合った。相対すると青木の方から手を差し出す。

「二年投手の青木優だ。よろしく、白崎君」
「初めまして。白崎藍璃です」
「それで早速だが、俺の球を受けてくれないか? 君、捕手なんだろ」

 青木はすぐに握手を離し、背を向けながら素っ気無く言った。

「あ、でも、今、ここに防具なくて、部室から取って来ていいですか?」
「そっか。いや、時間掛かるからいいよ。代わりに」

 白崎の姿格好を見れば、その後の反応は予想内のものだったので、青木は既に視界を切り替えていたのだ。三年の正捕手、大須は今、久永の球を受けているから、他に都合が空いているのは……。

「高木たち呼ぶか?」
「あ、自分、捕手なんですよ!」

 小川の言葉を遮るように、これまた青木の見知らぬ部員がマスクを上げて、勢いよく前に出てきた。噂の白崎と違って、プロテクターやレガースを装着しているので、そんなに煩く言わなくても捕手だと一目で分かる。

「一年の来栖です。自分も先輩と同じ、関東リトルシニアでやってて、それで捕手で」
「ああ、そう。それじゃあ、君でいいや。そこ、マウンドで投げるから。アップ五球で、その後三球ぐらいで調子見る」
「はい」

 来栖は無駄に嬉しそうな高い声と(彼は地が高いのかもしれない)満面の笑みを浮かべた。青木が早々にマウンドに向かっていくと、命じたわけでもないのに、潮が引くように宇尾たちが内野から出て行く。

 中途振り返ると、来栖が白崎の脇を突いていた。
 ひょっとして捕手同士で牽制でもしているのだろうか? 白崎の方が有名な捕手みたいだが、彼ではなく自分が選ばれたぞという……。或いは単に仲の良い野球友達なのかもしれないな。
 青木としては捕手は大柄な方が安心できる。自分だけでなく大半の投手がそうであろう。本塁クロスプレーの接触は言うに及ばず、的が大きい方が心理的に投げやすい。

「ちょっと待って」
「はい」

 言い忘れた用件があったので、一年生捕手二人に声を掛ける。来栖が逸早く返事した。

「白崎君。あと君も。一年の捕手には一応最初に言っておかないとな。俺はリードいらない投手だから今後もし組むことになったら、そのつもりで頼む」

「え……っと」

 こう言うと、明らかに動揺して声を上げたのは白崎の方だった。
 なまじ全国大会に出る程の実力者だから、自分のリードにも自信を持っているのだろうが──青木は一年生捕手だからといって意地悪しているのではない。三年の大須にだって同じ態度を取っているし、ずっとそれで投げ勝って来た。

「あ……いや、リード不要論とか、相手を舐めてるとかそういう話じゃないよ。なんていうかな。俺は自分で配球組み立てるタイプの投手なんだ。むしろ、相手を舐めてないからこうするのであって、俺はその方が打たれないからね」

「分かりました」

 来栖は従順のようで、あっさり納得してくれた。白崎の返事がないので、青木は彼の瞳を凝視した。
 そういえば白崎はキャッチャー防具を付けずにここに来ている。来栖は装着しているのに。それで青木にはあらかた事情が読めて、一瞬小川の方を見て微かに笑った。
 白崎はコンバートされ、行く行くは来栖を正捕手に据えるつもりなのだ。

「ここでは素直じゃないと使って貰えないよ、白崎君」

 大声ではないが、一年生にも二年生にも聞こえる、グラウンドに通る声だった。
 実際に青木の発言には証拠がない。青木は素直になったから使って貰えるようになったのではなく、投手が足りない部の事情と学校の伝統(年功序列)で、投げさせられるようになっただけだ。

「今日はストレートしか投げないから、真ん中構えてるだけでいいから気負わずにな」

 部員たちが全員、縮こまったのか黙り込んでしまったので──それは一年生捕手の二人も例外ではなかったので、青木は口調を和らげておどけるように言った。だが眼光は、左瞼が片一重の瞳は、小川を睨み付けて居た。

 ──去年の結果を見ろよ、無能が。良い子の翔桜には野球は荷が重かったか。俺の右腕で、勝って来たのだけが事実だろ?

 そして左手にグラブをはめ、青木がマウンドに上がる。その顔付きは精悍で、自信に満ち溢れていた。
 シニアでは上杉に負けたが、逆に上杉以外が俺に勝てるのか? 春季大会、一次予選からここまで六試合投げて、防御率0.00だ。
 
 
 
「おい」
「ああ」
「アップなんだよな、もう先輩より……」

 マネージャーが新しいロジンバッグとボールを持って来て投球練習が開始された。すると、にわかに一年生が練習の手を止めて、ざわめき始めた。既に四球投げた。久永もそうだが、青木もまたウォームアップで肩を作るのが早い。

 来栖が投げ返してくるボールの速度は中々速い。正捕手の大須と比べても遜色ないなと青木は感じた。彼なりにアピールしてるつもりなのかもしれないが、こんな練習でのアピールはいらない。青木は心の中で彼に減点1を付けた。

「それじゃあ本気だ。いいな」
「あ、はい」

 ロジンバッグを軽く握り直し、マウンドの隣に置いた。小川と久永も見ているようなので、たった数球、一年には挨拶代わりに、試合の時の全力を見せてやる。

 青木は左足を下げ、腕を振りかぶった。右足を投手板に水平に、左足、ヒザを高く上げ軸足に体重を乗せる。
 肘は高く、背中も真っ直ぐに、そしてステップ幅は広く躍動するように、プレートに体重を乗せるように、右腕を振り切る。

 青木はお手本通りのフォームを持つ男だった。そこから生まれる140km/hのボールが、捕手のミットに吸い込まれていく。今のが青木の100%だが、あの捕手は瞬きせずにボールを取った。

 ここで青木の投球を知らない一年生がお約束のように驚き、騒いだが、プロ野球選手が投げるような140キロだというのに、翔桜の生徒じゃ滅多に生でお目にしたこともないスピードボールだろうに、想像したより反応は少なかった。ある意味、ウォームアップで投げていた時の方がざわめきが強かった。

「へえ。君、やるね……硬式だっけ?」
「は、はい。硬式の来栖です」

 名前は知っている。硬式出身かどうかを訊ねたのに、名前を返されるとは、まるで自分が物覚えの悪い人間みたいではないか。青木は自分のボールを取れた来栖に加点1を付けたが、前述の理由で1点マイナスした。

「白崎」

 白崎の隣に立っている、自分と同程度の身長の坊主頭の男が口を切った。この男が部員の中では美形なので目立つ。比べると、青木と同じくらい短髪の白崎も頷いて微かに笑っていた。

「……瀬谷は嘘付いたな。瀬谷より速い」
「いや、伸びてるのか」
「ああ、格段に伸びてる」

(セヤ……って誰だ?)

 一瞬、彼らの言い方が気になったがすぐにどうでも良くなった。今日グラウンドに顔を出した時から結末は決まっているようなものだから、大して興味も湧かない。
 そして二球目。一球目に劣らぬ140キロのスピードボールが、硬式のミットに収まった。二球ともコースはど真ん中で、高めならばもう少し速く見えるかもしれない。

 ボールを投げ返された青木が、不意にマウンドから降りると「え」と周囲が声を上げだす。

「よし、もう分かった。終わり。雪村」
「あ、終わりっすか」
「ああ、もう元の練習に戻っていいよ。先生」

 来栖はやや唖然としていた。三球と言ったのが、二球で終わったのに驚いたのか。
 女子マネージャーが鞄と上着を持って来て、代わりに彼女にボールを返した。ロジンバッグは彼女が処理し、これで用事も済んだので足早に本塁側の小川の元へ歩いていく。

「やっぱり、どうも調子悪いですね。連投し過ぎたのかもしれません。本番は夏ですし、安静を取りたいので、ここらで俺、休みます。次の先発は先輩に任せます」

「そうか。分かった」

 短いやり取りの後、グラウンドを立ち去ろうとすると「おい、青木」と宇尾から呼び止められた。
 青木は、宇尾とは一年生の頃、接点が多かったので彼はよく見知っている。仕方ないので無視せず振り返ってやった。

「ちょっと寄るとこあるからな。もう帰るぞ」
「投手じゃなくても次の試合出るんだろ?」

 言われると予想通りの言葉だったので、青木は思わず冷笑した。それが癪に障ったのか宇尾が不機嫌そうに眉を吊り上げた。青木本人は彼を馬鹿にしているつもりなど、これっぽちもないので機嫌を悪くしないで欲しい。

「俺は投手以外では試合には出ないよ」

 野球は何が起こるか分からないので、自分が投げなくても試合に出たら、全打席で打って万が一勝つ可能性もあるかもしれない。だが自分が出なければ100パーセント負ける。
 宇尾と長岡が、二年生の投手なんだから自分が消えれば、週末の試合では彼らが久永の次の二番手になる。

 宇尾、お前が翔桜を勝たせてみろよ。
 俺が居なければまた元のようにレギュラー一個開くだろ。

 ……などなど、激励と言う名の煽り言葉も見つかったが、喋り返事を受ける時間を費やしたくないだけなので青木は口には出さなかった。手を上げて「じゃあな、週末の試合、頑張れよ」とその場を立ち去っていった。

(興味ないのがな……)

 翔桜高校での野球は二年間。部員は基本、三年生になれば野球を止める。一年生の夏や秋が終わった時点で、青木優の翔桜での野球は半ば終わっているようなものだった。
 それだけの出来事で、ずっと続けて来た野球を止めるつもりはない。でも今はこことは別の所で練習して、大学に進学して今の学力なら東大にも行けるが、慶応や早稲田の方がより本格的だろう──野球の時間を再開するのはそれからでいい。

(春季大会とはいえ、東京でベスト8なら上出来だよな)

 一年間干されたもしたが、最後に高校野球で良い思い出が作れた。

 後は、自分が去った後の翔桜がどのような野球の経歴を築くか。外側からの視点なら、一年前のように悔しさは全く湧かない。今夏の大会のシード権という財産まで手に入れたのだし、翔桜には是非、頑張って欲しいと思う青木だった。
 



[19812] 8回裏: 御三家が一、白銀女子登場(1)
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/12/04 23:28
 
「たっきーから挑戦状が届いた!」

 これは遡ること火曜日、都内の名門女子校の、白銀《しろがね》女子学院──通称SJG女子ソフトボール部部室に舞い込んだ出来事の一部始終である。


 練習終わり、体育館のシャワールーム付き更衣室から戻って来た二年生の朝比奈が、バスタオルを頭に被せたままの状態でピンクの携帯電話を掲げた。

『やあ、ひなひな。私たっきーだけど、金曜か土曜の放課後に、翔桜高校《うち》の女子ソフトボール部と勝負しようぜ。←出来れば金曜ね』

 と復唱しても、部員全員に内容が伝わるわけはない。詳しく聞くに、どうも朝比奈の友人のたっきー(滝川)と言う翔桜高等学校に通う女子から、ソフトボールの練習試合を申し込まれたようだ。

「主将。引き受けますか?」

 二年生の斎藤が黒縁の眼鏡を掛けなおして、二年主将の胡桃田《くるみだ》を見遣った。一足先に戻っていた二人は、部室の中央四箇所を取り囲む白いソファーに向かい合い腰を掛けて優雅に、紙コップで冷たいお茶を嗜んでいた。
 他の幾人かの部員たちも部室端の冷蔵庫から、1.5リットルペットボトルを取り出しコップに水やジュースを注いで、中央ソファーにやって来て我先にと座り始める。当校の特色の一つとして部員たちは皆、私服姿だった。

「当然です」

 胡桃田の即答によって、白銀女子の次の対戦相手が決まった。


 翔桜学園、高等学校の女子ソフトボール部。白銀女子学院とは都内進学校の偏差値や、東大合格率の関係で好敵手の間柄に当たる。歴史と伝統は白銀の方が長い。

 ──翔桜の女には負けられない。

 と、白銀女子なら誰もが多少意識するところである。何故か? 東大等の難関大学に合格者を輩出する有名難関進学校……多くは男子校、女子校と男女別学が名を連ねる。だが翔桜は他校とは違う。

 一に男女共学。共学の特権でもあるが、男子女子お互い毎日顔を合わせるので、異性の目を意識してかおしゃれや化粧、会話等も多少なり上手くなるらしい。
 二に男女共学。当然、校内で密かにカップルが誕生する。生徒には基礎学力があるので、将来的に同じ大学に進学する可能性が高い。

 三に高偏差値。白銀女子を始め名門進学校と互角か、東大合格輩出数の都合でやや上に位置する。
 四に高偏差値。白銀女子とは違い、高校からの生徒募集を行っているタイプで、他所から優秀な人材も集まる。
 五に男女共学。男女別学で男っ気(女っ気)がなく、地味に毎日勉強し続ける青春があって、それでも勉強だけは出来る学校だから、将来的には良い大学に入るし、その先で彼氏彼女を作ってやるぞ、良い職にも就けるぞ、お前ら羨ましいだろ──というタイプではない。

 毎日、登校すれば男(女)の目があるから、髪のセットに時間掛かって困ることこの上ない。何故、他の学校の人より少し頭が良いかというと、男女で分からない問題を共有して一緒に勉強する姿勢が確立されているから。すると自然に一定数の男女の仲は深くなって交際を始めたりするし、頭が良くて将来有望なのは事実だから、今のうちに唾を付けといて損はないよ。

 さらに中高一貫だけど、高校で他所から新しい生徒も沢山入ってくる。見慣れた学友と仲良くつるむのもいいけど、息抜き、心機一転できるのも確かかな。可愛い子(格好良い子)もいるし新しい友達が100人出来るかもね。勉強とか少しだらけ気味だったけど、他所から来た奴に負けたくないから本腰入れ直そうかな、と刺激される。

「(他所から来た)お前、今回の試験学年20位だってな。やるじゃねえか。流石、高校から翔桜に来るだけあるな」

「いや、まだまだKには敵わないよ。精神的に向上心がある人はやっぱり凄いね」

 こうしてカップルだけでなく、男同士や女同士の友情も育まれる。

 それで──僕らはまあ、君たち(白銀女子とか)と同じ大学に行くし、いや、東大に行く人はこちらの方が少し多いんだけどね。いやはや、それはこちらの在校生徒数が少し多いからだよ。気にする必要はないさ……これからも互いに東京の名門校、良きライバルとしてやっていこう(爽やかに微笑まれて、握手を差し出される)。
 
 
 ……白銀女子ソフトボール部部員は、先輩OBから代々、このような話を定期的に聞かされて来た。ここで翔桜って、やな奴らだな! と発想してしまったら負けであろうか。翔桜を敵視するのは間違いか。だから少女たちは必死にその小悪魔の囁きを振り払った。

 現実のところ、白銀と翔桜は『舞台が違う』ので、歴史や学校の立地場所や学力で好敵手として意識はすることはあっても、あんまりいがみ合ったりはしない(先輩たちの愚痴は半分冗談だ)。向こうは共学。こちらは女子校。学校の地位を脅かす敵ではない。さらに時には両学校の生徒で合コンも行われたりと交流もある。
 それでも翔桜の女に対抗意識があるのは、憧れに似た感情かもしれない。自分と同じくらい頭の良い同世代の女に彼氏がいる。隣の芝生が青く見えるとやらで、翔桜の生徒募集制度にも目が行く。
 白銀は翔桜とは違い、高校から生徒募集をしていない完全中高一貫制で中学のメンツがそのまま上に進学する。中学から高校に掛けて桁違いに頭が良くなってたとしても他所には移れないし、その逆のパターンもある。高校でも他所から秀才を集めまくる翔桜との学力の差は、前述の理由(共学云々)ではなく、ここにあるのではないか、と実際は誰もが気付いている。
 中学受験は全ての人間が本人の意思で動いてるわけじゃない。高校生に上がる頃には価値観も変わってきて、何でも揃っているように見える万能の翔桜生が羨ましくなって来るのだ。

 まあそうは言っても……格好良いや可愛いだの言ってもどうせ、程度は知れてるんだろ?
 誰に特定するわけでもなく、世間一般がある種、願望の如く、そのような気持ちを翔桜に抱いていた。
 翔桜もまたお受験学校だから部活動が強いわけでもないし、例えばサッカー部や野球部が全国大会──国立や甲子園に行くことなんてありえないし、例えそうでなくても将来プロ選手に成り得るような、怪物高校生が入学という例はなかったはずだ。

 プロスポーツ選手になれるぐらいだから身長も180cmくらいあって、サッカー部や野球部のエースなんだから足だって速いだろうし、それでイケメンだったら言うことはない。その上、性格が優しかったり、さらに実は料理なんかも上手かったらもっと言うことはない。
 当然全部、翔桜の人間という基本スペックに上乗せされてる前提で話している。
 
 
 
「牛草、それがあんたの理想か」
「え、悪いかな? 本多さん」

 部室のソファー四方で、二人ずつ計七人が談話していた。
 牛草という少し肩幅広く、身長160台半ばのウェーブがかった茶髪のセミロングの女子が、専ら会話の切り口になっている。白銀女子ソフトボール部では、彼女と朝比奈がムードメーカーだ。

「馬鹿、そんな男いるわけないだろ」

 本多と呼ばれた牛草の隣、長身の女子がひらひらと手を振りながら茶化す。かと思うと手を後ろに差し出して「カバちゃん、私にも二つくれ」とお菓子を催促した。

「はい、ただいま」

 部室には九人の部員が、部活後のクールダウンと称して茶会を開いていた。部員自体は三年生を入れるともう少し増えるが、よく顔を出すのはソフトボールの試合を組めるギリギリの人数しかいない。

 そして一年生の加羽澤《カバザワ》だけはこの中で、お使い的役割をこなしている。
 冷蔵庫からプリン取ってきて。ジュース持ってきて。お菓子配って。購買でパン買ってきて。(同級生のみ)宿題見せて。CD貸して。色々頼んでいるけど、嫌な顔一つせずニコニコと何でも素直に言うことを聞いてくれる。
 傍から見るとパシリと勘違いされそうだけど、無理やりでも何でもない。下級生の彼女が率先して雑用をこなしてくれるだけだ。なにせ白銀女子生徒は中等部から三年間以上、ソフトボール部なら尚更のこと付き合ってきた間柄なのだから、気心は知れている。

「まあ甲子園とか」

 60円のマドレーヌを頬張りながら、うっかり喋りかけた本多が口をつぐむ。反射的に牛草が彼女の口の前に手を出して塞いでいた。

「甲子園とか実際にプロに成った人の中から特に良い人だけ厳選とか、全国に範囲広げれば何処かには居るんだろうけど、普通はあたしたちの半径には居ないんだよね~」

 代わりに朝比奈が言葉を紡いでくれた。彼女もまた、というよりは白銀女子ソフトボール部は身長165cm前後の女子で多く構成されている。160cmに満たないのは加羽澤ぐらいだ。

「牛草先輩は夢見すぎなんだよ。そんな人が居たら、私が先に食っちゃうよ」
「お」
「岡、言うねー」
「岡さ~ん」

 一年生の岡がその長く太い左手を上げた。彼女が一年生ながら170cmと部内でトップクラスの身長を持つ。小柄の加羽澤と対を成す形となる。

 白銀女子学院高等部ソフトボール部は、(一部を除いて)ごく自然と運動が得意な仲間が集まった普通の部活なので、どこぞの学校のように美少女集団なんてことはない。それでも全員、中の中から上程度の顔面偏差値なのが自慢だ。
 勝負には何ら関係ないが、他所の学校と練習試合組んだら自分たちの方が綺麗に違いない。それには主将の胡桃田と、校内で人気トップ5の岡が貢献が大きい。二人は同性も認める美人だ。

 胡桃田は超美人なのと、苗字が珍しく格好良さ気という理由だけで(本人の資質に関係なく)中等部の時も主将に選出されている。岡はスポーツ刈り、長身、運動神経抜群、眉毛、鼻筋も整って居るなど中高一貫の女子校において、典型的な同性にモテて来た女である。

「あら~、そうは言っても岡さんは逞し過ぎるわ」

 牛草が最初ニヤリ口の端を上げたが、すぐに戻すと両目を伏せるように微笑みなおして反論した。

「なんだって」
「私だって自信があるもの」

 胸を乗せるように両腕を組んで、いつものように強調していた。彼女に言わせると、腕を寄せて脇を締めるポーズは下品だが、この仕草は格好良いらしい。

「おーおー、牛さんが良く言うよ」
「うふふ。この苗字だから、それ毎回言われるわ」

 彼女の胸は中学生の頭の頃から大きくなって、牛草という苗字だから牛女だと馬鹿にされてきたが(岡と本多もその内に入る)、ついにはコンプレックスを克服して今では堂々と羨ましいでしょ、と見せびらかすようになって来た。サイズがGかH程あって、芸能事務所にスカウトされたこともある。

「でも、女子校じゃ使う機会がないでしょ」
「だよな」
「やっぱ翔桜は、許せないね」

 盛り上がる牛草、岡、朝比奈、本多のお騒がせ四人組の話を無視して、胡桃田たち真面目三人組の会議は同時進行していた。そもそも今回の翔桜との練習試合の話を持って来たのは朝比奈だろうに、半ば本来の目的を忘れている。

「主将」
「なに」
「天羽《アモウ》とはやらないんですか」

 一年生の緒方が一変、それまでの流れを切った。黒髪ショートボブで、この中では背丈も顔も目の大きさも普通の、何の取立てもなさそうな地味な女子だった。だが去年、中等部のソフトボール部で副主将を務めていた程の人間で一目置かれているので、中々強い発言権を持つ(ちなみに主将は岡だった)。

 岡が運動神経抜群と前述したが、それは人気者の彼女を取り巻く風評もあって、実際には人気は高くないが、他校と比較しても抜群と呼べるのは一番打者の緒方だけだ。一、二年中心チームだと二番が胡桃田、三番が岡、四番が牛草と続く。

「……天羽は強すぎる」

 二塁手の胡桃田はテーブルの上の立て鏡と睨めっこしていた。練習でくしゃくしゃになったセミロングの茶髪をドライヤーを当てヘアブラシで整えている。胡桃田は主将で美人、牛草は副主将で巨乳だから、髪を伸ばすことが許されている。

「20回試合してもたぶん1回も勝てないわ」
「本気でやっても半分コールドかもね」

 天羽学園の名が挙がったので、釣られた牛草たちがこちら真面目グループの真剣話に入り込んで来た。

「同じ御三家なのに、どうしてあそこだけあんなに強いんだろうな」
「そりゃあ、やっぱりソフト部伝統の差だよ。あそこは長年掛けてベスト8から4ぐらいになったんだから、そう簡単には追いつけないって」

 本多の疑問を、朝比奈がフォローした。どうやら彼女が呼び込んで来た本題を思い出しつつあるらしく、真面目三人組は顔を見合わせて溜息を付いた。

「私も仲間に入れてよ」と牛草が笑いながら胡桃田の肩を揉んだ。牛草も中々優等生なので、真面目とお騒がせの中間層に位置する女子である。

「翔桜、弱いんでしょ」

 加羽澤を含み、九人目の部員がその時初めて部室に戻ってきてから口を開いた。
 冷蔵庫の前、赤い腰掛けクッションに寝転んで長方形ホワイトの携帯ゲーム機で消音で遊んでいた女子が、「翔桜ボコろうぜ」とゲーム機の蓋を閉めて傍に置いた。

「スカっとするよ!」

 立て続けに発した三つの言葉。全部、同一人物女子の物だが、一言目が普通の女子高生のような自然体の高い声。二言目が一気に低音に凄みが出て、三言目ではCMで喋る人気女優のようにあどけない、悪く言えば媚びた声音──一年の氷見山が立ち上がってソファーに歩み寄っていく。

「お前も下手だろ」
「そうそう」
「氷見山さん、八、九番じゃない」
「無理すんな」

 一瞬、部員全員が彼女の方に振り向いたが、本多の言葉を皮切りに口々に批難と同情の声が上がって直ぐに視線を戻してしまった。

「ちょっとっ、待って!」

 加羽澤が立ったままなので、氷見山が開いているソファー一席に、ちょこんと座り込んで両手を両膝に乗せた。最後の声は演劇風、昼ドラマの登場人物の如く語尾を強く強調して、悲壮感を漂わせながら涙声で喋っていた。
 そしてソファーに座った後は、ニコニコしながら足を組み始めて隣の斎藤がやや横に押しやられて眉を潜めて迷惑がっていた。

 これで練習時はさらに別の姿を見せるのだから、長い付き合いの部員たちすらも完全には断定出来ない。一体どれが彼女の地の姿なのだろうか。
 



[19812] 剣道編0: 白崎日和の宿命
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/12/15 23:03
 
 剣道、特に女子剣道と言えば世界的にも日本が強い。

 中でも高校剣道界にかけてまでは、福岡県が開催する玉竜旗大会が示すように九州が盛んでインターミドルからインターハイの大会でも九州の学校の活躍がよく見られる。
 九州が弱い、ある程度活躍しないとつまらない……と言った感覚は例えば高校野球で例えるなら、あの名門校が甲子園に出場していない、弱いのはつまらない、という気持ちに似ているかもしれない。

 そして、ここに川島紫という少女が居た。
 中学の新二年生。身長は約162cm。体重秘密、A型。出身は熊本。幼少の頃より剣道を始め、頭角を現し地元の剣道強豪校、私立天神学院中に進学。同級生の中では最強を誇り、流石に団体戦のレギュラー五人には入れなかったものの、一年生ながらにして補欠二名に推薦される。
 また、余談ながら川島紫はスポーツ少女、取り分け女子剣道選手にしては中々の美人だった。身長は同世代の女子に比べると大きいが、スポーツ女子ならよくある話で武闘派の彼女らの中においては一際輝いて、可憐と表現できた。

 剣道は顔を隠す競技なので露出は少ないが……熊本の名門校において一年生の期待のホープ、容姿だけでなく実力も備わっているのが素晴らしい。

「ポスターの依頼来るかもよ」

 この辺りなら川島姉妹の名は知れたものだ。県大会のイメージガールに選ばれても何ら不思議ではない。部員たちに褒めちぎられて、まるで褒め殺しのようでもあったが満更でもなかった。
 天神学院中は県の代表に輝き、全国大会に出場したが団体戦も個人戦も女子は二、三回戦であっさり敗退した。

(来年こそは……)
 と補欠の紫は心に誓った。来年はレギュラーになって全国の地に帰ってくると。
 新体制が始まる。三年生は卒業し、紫は二年生となり、一部前年からのレギュラーも残る粒揃いの新三年生を含めても五本指には入る実力を備えていた。このまま行けばレギュラー当確である。いや、今は五本指でも夏には……。

「東京から来ました。一年の白崎日和です」

 ──惨敗! 紫の歴史的大敗北だった。

 東京からやって来た神童。鳴り物入りで入部した白崎日和と軽く一戦勝負してやって、瞬殺された。得意とする面打ちを簡単に抜き胴で捌かれ、逆に正面打ちを決められた。
 二本先取までその間、僅か四十秒。早すぎる。あまりにも早すぎて「もう一度」と言おうとした声が出なかった。唇が震えていた。礼すらも忘れてしまう程に。

「おお、流石だな~。白崎」
「あの川島に勝つとは」

 試合を遠目に見ていた三年生の部長(兼主将)、明石と副部長の早乙女がやって来た。女子部員の中では大柄な部長と、漆黒と表現して短髪といい目付きが鋭い副部長の見学。さらに、

「でもひよりん、ゆかりんはうちら天神五人囃子の中で最弱なわけ。これくらいでいい気になっちゃ駄目だよ!」

 そう言ったのは同じく三年生の櫻井。団体戦ではレギュラーで先鋒を張っている。
 決して小柄ではないが、強豪剣道部に混じってしまうとやや小さく見える方だ。だが小回り素早く胴打ちと小手を得意としている。過去の戦績で見るなら大将の明石の次に強い。
 櫻井は部長達とは違って試合を間近で、練習をサボって座って眺めていた。

「それじゃ櫻井、お前白崎とやってみるか?」
「げ。パスパス。あっちで素振り三百再開してきまーす」

 そして櫻井はお調子者だった。練習も合間を見計らってはちょくちょくサボる。
 練習量はレギュラーの中では一番少ない。紫が見るに自分より断然少ない。
 なのに練習に対する集中力が凄い。他人が十時間練習して得られる経験値を七、八時間で吸収するような潜在力を秘めている。

「白崎はたぶん既に三番以内だろう」
 と明石は言った。その発言は明石、櫻井の次に白崎の名前が挙がるという意味合いを持つ。

「私とも勝負してみるか」
 副部長早乙女は、脅威の新人を見遣った。

「いえ」
 白崎日和は面を脱ぐと、さっぱりした顔で笑いながら、
「連戦で先輩方にとても敵いません。私も切り返しの練習を再開させて貰います」

 爽やかに言ってのけた。先輩一同に礼をすると奥で練習している他の一年生たちの元に引っ込んでいってしまった。なんと謙虚な態度だろう。完敗した二年の紫は、思わずドキリとしてしまった。
 紫に同性愛の趣向はないので、女子に惚れたとかそういうことではない。ましてや年下。悔しさの気持ちが渦巻いていた。

 彼女の言い分。そりゃあそうだろう。自分は四十秒で負けた。それで疲れるか? でもその前に数人他の部員を挨拶代わりに倒している。連戦連勝だ。それでレギュラーの世界に入って今は引いてみせた。

 白崎日和は大きかった。入学時で既に二年生の自分よりも図体が大きく圧倒していた。いざ相対した時、負けるんじゃないか? と戦う前から感じる程に。小学生王者という肩書きに負けたんじゃない。強そうだから負けると感じたのだ。

 強豪だが全国上位レベルとは言えない天神学院中女子剣道部に新たな風が吹き込んで来た。
 そして新体制が始まる。
 
 
                2
 
 
 翌日、翌々日。副部長の早乙女、主将の明石、揃って一本も取れずに僅か一分で、白崎に敗北を喫した。櫻井は勝負しなかった。
 紫はこの結果を薄々予想していた。自分だってそこまで弱くない。主将たちには劣るが大差はない。その自分が瞬殺された。まるで年上の男や父と剣を交えた時のように。

「流石だ、白崎」
「監督」

 白崎の元に剣道部の斎田監督がやって来た。
 三十代後半で福岡出身。その昔、高校時代は玉竜旗大会で準優勝、インターハイで四位の経験を持つほどの猛者である。さらにトントン拍子で段位審査会を突破し既に剣道六段。昨年、七段試験に不合格してまた今月末に受けるらしい。
 小学生部門の全国覇者、東京の白崎日和をスカウトして熊本に呼んだ男でもある。

「では男子と勝負させて貰えるのですか?」
「それが約束だからな」

 日和たちのやり取りを見ると、経緯を知らない紫でも大方想像が出来た。
 白崎は小学校女子では敵なしだった。たった今、うちの三年を破ったのだから中学女子として見ても既に軽く全国レベルに達している。
 白崎は身近な目標を探しているのではないか? それが男子だ。普通の中学高校に居る剣道部男子ではなく強豪校の男子でなくてはならない。だからはるばる東京から熊本にやって来た。監督の誘いに乗って。

(……男子に敵うものか)
 こう思った後で、嫉妬じゃないぞ。と紫は自分に言い聞かす。
 高校は論外として、中学でもそうだ。自分も軽く勝負したことがあるが、それでも桁違いに強い。部長の明石だって敵わない。しかし……それは同級生の話になる。

(白崎は太い(大きい)。たぶん一年の男子よりは……)
 二年生ともなると男子は成長期を迎えているが、入学したばかりの一年生だとどうだろうか? 勝ってしまう気がする。日本王者というプレッシャーもあるが、それ以上に体が大きい。
 紫は心配な面持ちで、監督に視線を向けていた。別に男子の太鼓を持つわけではない。九州で最強の男子軍団を、自分でない女子が打ち破るのが気に食わないだけだった。しかも一年だ。
 監督も同じ気持ちなのだろうか。ふふん、と余裕のある顔で口を開いた。

「しかし、言っておくがうちの男共は手強いぞ。女子も全国区だが、男子はさらに上位、優勝する連中だ」
「望むところです」

 監督に限った話ではないが、東京者の白崎がやって来て、みんな九州訛りが出ないよう必死に努めている。なんとも滑稽な姿だ。郷に入りては郷に従えで向こうがこちらに合わせればいいのだ。
 天神学院は全国屈指の剣道強豪校だが、元は男子校だから今も女子生徒の数の方が少ない。その都合上、剣道場は男女混合(といっても基本男女同士で練習することはない)だ。

 だから今の会話内容は大体、男子に聞かれていた。聞かせていたとも言う。監督は白崎を連れて男子側のコートに向かった。
 ああ、俺たち呼ばれるんだな。と男子も分かっていて、練習の手が若干止まっていて、その件で男子部長に怒られたりもしていた。

 まず最初に白崎と同学年である何人かの中学一年生が呼ばれ、道場のやや隅の方で試合が行われた。やはり中学に入学仕立ての男子ではまだ小さい。あの一年になら、恐らくは自分でも勝てると紫は思ってしまった。
 そして案の定、一分足らずで白崎がストレートで二人連続圧勝した。見守る部員たちからまばらな拍手が起きる。

(動きが速いな)
 当然、実際に自分の試合での体感速度や、先輩女子との試合を見ても白崎が速いのは分かっていたが男子と勝負することで一層強く感じた。
 実は明石たちの方が、あの一年男子よりも動きなら速かったのかもしれない。だが今の白崎の方がもっと速くなっているように紫は錯覚していた。

「あー、お前ら。女子だからって手加減はしなくていいんだぞ」
「え」

 監督が立つ瀬なさそうに目を瞑って口を開いた。「あー」と小声で、男子部員はお互いに顔を見合わせた。紫には気持ちが少し分かる。たぶん男子たちは真剣で、心では手加減してないつもりなのだ。
 でも体が無意識のうちにセーブしてしまうのではないか。相手が女子だから本当の本当にぶっ叩くことは難しいのではないか。紫はそれでも負けた。同級生、今は二年生の川上智樹に。

「川上。やってみろ」
「え、俺が?」

 早速、その川上がご指名された。一緒に地稽古していた部員が彼を小突いた。
 女子部長の明石たちが練習を一旦切り上げて紫の元にやって来た。本人は当に動向に付き添っていたようなものだが正式に許可が出た。期待の新星、一年女子対レギュラーの二年男子だ。見学してみろと周りの女子をうながしている。

「分かりました」

 呼ばれた二年生男が、白崎の前に相対した。
 川上智樹。紫の同級生で男子剣道部のレギュラー。団体戦は先鋒を務める。男子部員の中でも上から三、四番目に強い。
 何れにしろ、白崎日和は初めて自分より明確に大きい人間を相手にする。

(川上頑張れ)
 紫は断然川上を応援する。
 同級生の出世頭だ。川上には負けて欲しくない。

 試合前の蹲踞等の流れを経て、始めの宣告がされた。
 試合開始から十数秒。
 互いに間合いを計り合っている。遠間から一足一刀、両者の竹刀先端が10cm程度交わるが、その先に進まない。
 川上は自分からどんどん打って出る剣士だが、様子を見ている。白崎も紫らと戦った時は常に圧倒したが、今は攻めあぐねている。

 その場には厳しい空気が流れていた。紫や周囲は汗など浮かべて戦っている当事者より緊張していたかもしれない。そして、

「(小手)てえええぇぇぇ───っ!」

 と初めて白崎日和が怒声を上げた。刹那、鮮やかに右小手が決まってしまった。川上は反応出来ていなかった。

「小手あり」

 と審判の一年生が旗を上げた。
 白崎日和が小手を出したのも今のが初めてだ。彼女は背が高いから、低い女子や同程度の相手には面打ちがやり易かったのだろう。今度は反対に自分より大きい男を相手にして小手に出た。
 それでも両者の一振り目で一本が決まってしまうなんて紫にはショックだった。大きいから有利不利になるなんて言い訳するレベルじゃないのだ、川上も自分も。

「おいおい」
 一年生が負けても全く動じなかった男子部員たちも動揺の声を上げだした。

「もしかして、川上でも負けるのか?」
「ありえねえ」
「手抜いてないか」

 面を被っていても試合中でも本人の耳に入る、散散な言いようだ。
 監督を見ると何も言葉を吐かないが口を開きっぱなしだった。なんと分かりやすく動揺してるのだろうか、先ほどの不敵な態度が恥ずかしい。

「二本目」

 当事者の二人は至って冷静に再び向き合った。後一本決まると川上の負けになる。顔は見えないが、一番重圧が圧し掛かっているのは川上に他ならない。

「おら、川上本気出せ!」
「川上!」

 それまで黙っていた部員たちが大声で応援を始めた。声を出しての応援は原則禁止だ。しかし誰も、部長も監督すらもそれを咎めない。皆が男子の川上の勝利を願っている。東京者の女子が勝つのは面白くないのだ。

 たかが部の練習で凄い熱気だ。川上も釣られてか大声、剣道で良く見られる奇声を出した。前に打って出る。竹刀がぶつかり、体当たりから鍔迫り合いになり、すぐに白崎が回り込むように引き──初めて剣道らしい試合になった。
 少なくとも部活動らしくはなかった。同じ中学生なのに連戦連戦があまりにも一瞬で決まる。
 そして川上の逆襲の小手が白崎日和を捕らえた。

「よっしゃ!」

 審判が両旗を前下で左右に振る。有効打突と認められない。あの一年審判は何者か?

「おい」
「ふざけんな!」
「お前ら少し黙れ。判定あってるぞ」

 監督は流石によく見ている。審判の一年生を擁護した。監督が言わなければあの一年は明日から居心地が悪くなっていたかもしれない。紫も少し怪しいと思っていたが口には出さなかった。
 しかし攻めているのは依然川上だ。川上が前に押して面が決まった。小手からの面打ちだ。

(いや……浅い……)
 体は前に出ているが掠っただけに紫には見える。不十分だ。だが、

「面あり」
 と審判の一年生は旗を上げた。

「おっしゃあ」
「それでいんだよ、川上」

 男子部員は湧いたが、紫にして見れば判定は不服だった。今のは恐らく決まってない。一年審判はこの場の雰囲気に呑みこまれて誤審してしまったのか。それなら先ほどの小手の方こそ有効打突でいいと紫は思った。

「勝負」

 いよいよ最後の三本目に突入か。上げた旗が下ろされた。
 ……二本目からは白崎も川上も声を出している。が、膠着状態が中々終わらない。
 川上は二本目で飛ばしたためか攻め手が明らかに減った。一本目、二本目、三本目と段々試合が長引いている。三本目で三分を超えた。四分で延長戦突入だ(中学の試合なら普通は一分短いだろう)。

「延長行くか」
「延長」
「時間ないよ」

 部員たちが急かし立てる。二人とも軽く肩で息をし始めていた。
 両者竹刀で揺さぶってはいるが川上、攻められずに逆に下がるばかりだった。じりじり間合いを詰めているのは白崎の方だ。

「川上、攻めろ」
 監督が声を上げる。そうだ、と紫も心の中で同意した。それが二年の癖にレギュラーになった、いつも川上が勝って来た試合スタイルじゃないか。

 時計を見ると既に三分後半になっていた。紫には正確に分からないが針を見ると後十から数秒だ。
 その時、ドンッと床を踏む音が響いたので振り返る。白崎が前に出て、やはり川上が引いた瞬間だった。小手からの面打ちが決まった。
 誰が見ても文句なしの一本、「面あり」と審判が小さく言う。

「勝負あり」
「ああ……」
「なんだよ」
「結局負けか」

 周りの反応を他所に試合後の礼法が始まる。中段に構え、蹲踞し、竹刀を納め……。

(川上が……)

 二年男子の川上が負けた──。紫は呆然と立ち尽くした。今なお続く礼法などもう目に入らない。
 メダルが期待されていた日本代表が、五輪大会等で敗退するよりもショックが大きい。日本代表は誇りある存在だが、雲の上の存在で結局は別世界の人間だ。身内の大きな負けを見せられた方が何倍も衝撃がある。

「まー、一本取ったし」

 川上の去り際、同級生が背をぽんと叩いて慰めていた。当人は何も言い返さなかった。

「よし、それまでだ。白崎はこっちに来い。男子たちすまないな、時間取らせて」
「いえ」
「お前ら、分かったか。去年好成績だからといって気を抜くなということだ。女子に負けるようじゃ全国では勝てんぞ!」

 ……監督は予想外の物事を上手くまとめて、渇を入れるのが上手かった。男子たちはうす! と叫んで背を向けて竹刀を取り各自地稽古の練習に戻った。

 白崎と監督が女子側コートに戻って来ると、彼女らを見遣る周りの視線が先ほどまでとは違った。自分たちが負けた時は悔しがり、或いは呆然としていた部長たちですら「すげーな、こいつ……」のような羨望に近い眼差しを向けている。同級生一年の女子に至っては小声でひそひそ喋り合い、その表情、態度ももっと顕著だった。

「どうだ。二年は。最後の川上は」
 と監督から口を開いた。

「強かった、です。東京の男子よりもずっと」

 面紐を解く白崎はまだ肩で息をしていたからだ。試合の最後は白崎の方が攻めていたし動きも速かったが、延長に行く余力は感じない。あれこそが白崎の全力だったに違いない。
 不意に川上がこちらを見つめていたが、彼の方が回復していて息を乱していない。力を出し切ったのは白崎の方だ。

「当然だ。うちは、高等部に上がる男子は、全国優勝する連中だ。今はお前の方が大きいから一年にも充分勝てるが、この時期の男子は直ぐ大きくなる。一年二年後には逆転される。三年の大将と副将はお前よりも強いぞ」

「わたしでも、負ける。それがいいんじゃないですか」

 白崎は面と、頭に巻いた手拭いを取ると、同級生女子からタオルを受け取り、肩で少しずつ息を整え始めた。
 白崎の言い分に紫は何だか悔しくなった。大きい彼女はきっと今まで男にも負けなしなのだろう。いや今の試合だって結局負けていない。

「わたしはまだまだ強くなります。女子の玉竜旗と日本、世界選手権はわたしが獲ります。そのためにわたしを熊本に呼んだんでしょう?」
「気が早いのよ、一年」

 紫はそこで漸く会話に割って入った。目の前に居る女は中学生になったばかりなのにもう高校の話やその先を見つめている。レギュラーに定着しようとしていた自分が馬鹿らしくなる程、はっきり言ってのける。

「いや、白崎ならありなんじゃない」
「うん、白崎なら、たぶん中学は勝てそうだわ」
「ひよりんはまー強いよ」
「ちょっ」

 後ろからやって来た先輩たちは揃って白崎の発言の味方をした。予想してなかったこともないが、全員が全員とは思わない。しかも櫻井に至っては、

「ゆかりん頑張って。あんた、たぶんレギュラー落ち」

 同情するように紫の肩を叩く。そうなのだ。今の熱戦でつい忘れかけていたが、白崎がレギュラー入りすることで、五番手の紫は補欠に追いやられてしまう。さらに白崎は一番が濃厚である。
 紫は次鋒予定だったから、夏までに変わりに追い抜き落とすなら中堅の三年生、髙山しかいない。他は厳しい。

「し、白崎──っ」
 それまで貯蓄していた悔しさが爆発して柄でもなく声を出して怒ってしまった。そして彼女に詰め寄る。

 しかし頭では理解していた。白崎に当たったところで、悪いのは力のない自分の方なのだと。それでも昨年も補欠で来年こそは全国に行くと心に誓ったのに、二年進級早々この仕打ちはあんまりである。

「えっと、何ですか……勝負なら、明日で。流石に今日は疲れました」
「今日は?」
「今日は?」
「ひよりん?」
「櫻井は試合してねーだろ」

 部長たちが思わぬ援護射撃というか、一緒に白崎を詰問してくれた。白崎の奴はやはり先輩とはいえ女子相手には充分な余力を残していた。連戦逃れは単なる口実だった。

「今日も疲れました」
 すると白崎は言い直した。「ほう」と言う先輩だがとても信用している声音、眼差しではない。

「明石先輩は大きいのに速く、リーチの利がなかった。先輩が打って出てくれて巧く抜き胴が決まった」
「ほう」

「早乙女先輩は小回りが利いて特に小手が鋭かったです。わたしは最初から面を狙っていたので、巧く抜けて面が決まりました。実際は紙一重だった、かも」
「それじゃ、あたしならひよりんに勝っちゃうんじゃねえ? あたしの小手、この部で一番すげーっすよ」
「だったら櫻井やれよ」
 早乙女に突っ込まれると、

「いや、今日はこの方、疲れてるそうなのでパスパス。あっちで練習してきまーす」

 櫻井は忙しい人ですぐに奥に引っ込んで行ってしまった。本気じゃないだろうに実際に凄い瞬発力、速度である。
 櫻井が向かった先、素振りする髙山と紫の視線がふと重なった。紫、思わず目を逸らす。

「川島さんは……」
 白崎が続けて言う。お待ちかねの自分への評論である。それとは別に紫は気になって、
「川島先輩」と注意した。
「川島先輩は……」
 白崎は言い直したが、その後数秒言いよどんだ。沈黙が流れた。

「バランス、いいですよ……うん」
「え……それって」
 何のバランスが良いのか? ちっとも話が読めない。

「どういうこと?」と白崎に問い訊ねると顔を背ける。部長の明石が肩を掴んで白崎と紫を引き離した。

「いや、川島。仕方ないだろ、お前三十秒で負けたんだ」
「四十秒です」
「四十秒も三十秒も一緒だろ」
(それなら四十秒も一分も一緒じゃないか)

 一分ながら、二人の先輩の型はそれとなく掴んでいたのに、紫に対してはバランスバランスの一点張りである。白崎は言葉が見つからないが、瞬殺された手前自分の剣の型をひけらかしたり出来ない。

「川島は特徴ないんだ。全体的にはいいんだけどさ」
「だなあ。明石は速く攻められるし連打や面打ちが凄い。私は小手や胴は得意だし、飛び込み面も速い」

 早乙女が言葉を紡ぐと、遠くで髙山と地稽古していた櫻井が自分たちを指差しながらこちらを振り向いた。

「練習続けろ」
「櫻井は細いけど一番速いよな」
「よかよか」
「櫻井それ言いたいだけだろ」
「髙山は粘り強か。体力あるし守備が巧い」
「中々一本取られないもん。髙山」
「だから中堅なんだ」
「そーそー。あたしが勝つ、次負ける。真ん中が負けると苦しい時、つないでくれるんだよねー」

 川島が介入する暇もなくレギュラー争いの筆頭、髙山の評価が鰻上りである。髙山は部員の中では負けが少ない方だ。つまり引き分けが一番多い。

「川島はな」
「うん」
「なんかこれといった武器ない」
「次鋒だな」
「待った。白崎どこ置くんだ?」
「それは……」
「副将の私か髙山が移るだろうな。いや、私が行った方がチームが硬くなるか」

 さらには大将を入部早々一年生の白崎が務めるのか……? 単純に実力なら既に白崎が一番だ。中学団体戦は勝数法なので、先鋒勝ち抜きの利点はない。

 レギュラーの井戸端会議が始まろうとしていた。そして繰り下がってレギュラー落ちした川島はこの会議の蚊帳の外だ。今年も、また補欠だ。いや前年は補欠二番手だから補欠一番手の今年は一つ昇格したのだろうか。
 何れにせよ、寂しい気持ちになった。ぽつんと一人その輪を眺めているだけだ。

「川島さん」
 そんな川島に白崎が近付いた。

「川島先輩」
 訂正だけは決して止めない。元レギュラー唯一の二年生である。白崎は気にする素振りなく言葉を続けた。

「先輩はこれから上手くなれますよ。わたしが保証します」
「本当?」
「本当ですよ。これは私の持論ですが、人は練習し続ける限り成長し上達すると思うんです。逆に練習をやめれば若くても進化しません」

 と白崎が爽やかに言うと──紫はこんな言葉は恥ずかしくて口に出せないが──先輩達も関心したらしく井戸端会議を止めてこちらに向き直した。

「白崎」
「白崎いい事言うな」
「だねえ」
「櫻井、お前のことだよ」
「練習しろ、櫻井」
「練習するっすよ。ほら素振り、バシバシ」
「毎日の練習量増やせ。髙山見習え」

 早乙女の一声で、もっとも他の平女子部員は大半休む間も無く練習しているのだが、とにかく練習が再開された。主にレギュラーたちが練習を再開した。

(練習する限り、成長するか……)

 紫もその台詞には納得した。白崎は東京者で一年生でしかも女子で一番強くて、いけ好かない奴だが、たった一つ良い言葉を言った。
 恐らく今から今年の夏まで努力しても、レギュラーの座は手に入るまい。
 しかし紫は自分には剣道しかないのだと思っていた。レギュラーの先輩達も自分と同じに違いない。

 その言い分は傍から見れば感覚的なものに過ぎないだろう。何も剣道だけに限った話ではない。昔からずっと触れてその世界で練習してきたのだから、それを取り上げられてしまったら抜け殻になってしまうのだ。

 白崎日和は、中学で東京からわざわざ遠い九州の熊本までやって来た。それは即ち白崎の志と覚悟に他ならない。紫は認めてやることにした。東京者から熊本の身内に昇格だ。
 
 

  
 ──そして、この年から光の射す時代──熊本天神学院中の最強の伝説が幕開けとなる。
 一年生の白崎を大将に、レギュラーの三年生四人と、二年生の補欠二人は熊本を制覇し、全国大会団体戦で優勝した。白崎は忌々しいことに個人戦でも優勝した。

 
 
                3
 
 
 ──二年後。
 今年もまた全国大会の時期がやって来た。天神学院中は今年も参加濃厚と言われている。
 なにせ中学無敗の三年生の白崎日和が居る。昨年の部長、川島紫の跡を継いで現部長。今ではすっかり九州訛り、熊本弁が達者だが標準語で喋る方面も達者である。

 昨年の全国大会個人戦では感動的な出来事があった。なんと部長の川島と、エースの白崎が決勝で激突したのである。
 同学校の二名が選出されて、両方とも勝ち上がるのは非常に難しいが、白崎は前年の覇者、別格なので逆ブロックに配置される川島の努力次第だったのかもしれない。結果は順当に白崎が勝利したが、川島も二年前より粘った方だ。

 一部では天神学院在学生、OB、熊本県民にだけ嬉しい全国大会と揶揄されている。でもこの二人は学生剣道界では綺麗所なので、中学生といっても実は結構、固定ファンが居る。案外、万人受けする決勝戦だった。

 その川島は高等部で、今後は高校女子剣道界に参戦である。精鋭揃いの天神学院でいきなりレギュラーは厳しいと言う声もあるが、なんと言っても個人戦全国準優勝経験者である。最低でも補欠には入ると囁かれている。
 そして中学三年生の白崎。個人戦は白崎の一人舞台と言われている。どうせ白崎が優勝するに決まっている、と。何せ一年生の段階で優勝出来たのだ。

 二年生になるともっと強くなって周りを全く寄せ付けなくなった。仮に男子と女子が同じ舞台でやり合ったら、ああなるんだと言わしめる程に圧勝した。
 一足早いが昨年の夏が終わった時点で、剣道ファンの頭にあるのは、高校で白崎が何処まで行けるかに絞られている。
 白崎なら高校でも一年生のうちから勝てるかもしれない。
 いや高校剣道は突き・上段の構えが解禁され、剣術の幅が格段に広がりレベルが高くなる。流石に白崎でもいきなり対応することは……。
 いやいや中高一貫の天神学院なら、夏が終わった後すぐに高校の練習にシフトできるし、あの剣道の申し子なら──。
 白崎日和なら、いずれ女子三冠を取るのではないか。本当に期待していいレベルの妄想は尽きない。 
 
 
 
 
 熊本某所。日曜にてファミレスで女子中学生の団体が集まっていた。十人前後居るが、この女子中学生、一見して中学生と言わなければ高校生以上と間違う。何しろ大半が普通の女性より図体が大きい。

 でも店長も他の客も迷惑がったりしない。それどころか長身集団において一際大きい真ん中の中学生──モデルとの決定的な違いは腕回りや胴囲が身長相応に太いところだろうか──身長170cmを優に超すポニーテールの女子は地元でも超有名人だ。
 あの子が訪問していると彼女見たさに来店客が増える。年上の高校生や大学生の癖にサインを強請る輩まで存在する。

「今年何処だっけ。持ち回り」
 視線が多く向けられても女子団体は気にしない。天神学院の剣道部生徒なら慣れっこだ。

「東京」
「東京か」
「見に行く?」
「いつだよ」
「何故王者のうちが」
「油断と慢心はいかんよー」
「実はデータ作ってあるのだ」
「東京は何処強いんだっけ?」
「あそこ……なんだっけ……あー駒富士!」
「たぶん水前寺より弱そうだけどな」
「いや……」
「三年の浅川。身長171。彼女が強いんだよ」
「ほー」
「よかよか」
「それ櫻井先輩の真似?」
「まー、日和さんの相手じゃない」

 女子の一人が呟く。別に太鼓を持つわけでもないだろう。限りなく100パーセントに近い事実だ。この主将は、昨年三年男子の川上と互角に勝負している。腕力や速さは当然川上が勝っているが、日和は巧い。一発で有効打突を決める感覚に優れている。

 それでも川上先輩は桁違いに強い。全国見渡しても他校の中学女子じゃ一本すら取れない。川上は高校でも即レギュラー当確と言われている。だからこそ日和に対する期待感は並々ならぬ物ではない。
 
 
 
 
「この子」
 その日和がフルーツパフェを食するスプーンの手を休めて、
「大きいですね」

 と女子剣道部強豪データ書全国版と記されたレポートの中から一枚取り出した。

「身長推定175以上。後半だって」

 隣の長身の女子が覗き込んで言った。中学の新三年生で175cm以上、このデータは身体面までは今現在の詳細な数字が分からない。だから以上と記されてある。日和並に大きい中学生女子はごくまれに見るが、同世代で明確に上の、それなりに強いと思われる剣道部員には初めて遭遇した。

「東京、三年の雪村綾依か」
「違う。この子は調べたけど確かに、あいりって読む」
「ちょっと待って。『り』何処行った」
「確かに」
「発想が不明」
「兄と名前が一緒ですよ」

 日和が口をはさんだので部員たちが一斉に顔を見合わせた。
 そもそも、あいりは普通は女子の名前ではないか。だから女子で遭遇したって驚きはしない。しかし本当に『り』の漢字は何処に行ってしまったのか。『あい』と読んでしまった。逆パターンで日和と書いて『り』を削って、『ひよ』としか読まなかったらどうにも気が抜けてしまう。

「日和さんの?」
「あのお兄さん」
「小さいお兄さん」
「可愛いよね」

 日和の兄は昨年の夏、全日本少年軟式野球大会に出場したので(野球部も強く、野球熱の高い天神学院内では)少し名前が知られるようになった。部員達の話も盛り上がる。

「よかよか」
「うんうん」
「え、大きいよ?」
「大きくもあるお兄さん」
「よかよか」
「だからそれ櫻井先輩?」
「面白いですね」

 日和も、中学で初めて、自分よりも大きい同世代の女子と真剣勝負できる……かもしれない。と嬉しくなって、パフェをパクパクパクパクパクパクと一気に飲むように食べほした。彼女は他人の三倍のスピードでパフェを食べる。

「あー、でも団体戦はない」
「この子の翔桜中は別に強くない。絶対負ける」
「へえ」

 学校単位では強くないのにプロファイリングされる程なのだから、期待していいのだろう。個人戦で勝ち上がって来て欲しいものだと日和は考えた。
 団体戦だと大半は大将戦に入る前に勝敗が決してしまう。相手が全国区のチームじゃなければこちらの補欠は相手の大将より遥かに強い。先に勝ちが決まっている試合は空しいものだ。手加減はしないが。

「雪村綾依……絶対来ますよ」

 何かの巡り会わせか、同じ東京出身で、兄上と同じ名前だ。あのレポートは写真は貼っておらず文字だけなので彼女の顔は想像するしかないが、ひょっとすると手強い輩かもしれない。いやそうであって欲しい。
 そう願って日和はお代わりのパフェを頼んだ。
 
 
                4
 
 
 最後に……。
 物語後半でさっぱり出番がない斎田監督の話。女子部員に忘れ去られて寂しい思いをしていた。天神女子は女子で勝手に突き進めるから、比較的若いといっても男監督の彼に日は当たらなかった。

 だが熊本天神の影のMVPに間違いない。白崎日和を連れて来て、女子剣道部の全国二連覇に導いた立役者である。天神学院は元々は男子校。男子剣道部はより有名で昔から強かった。
 高等部の男子は玉竜旗大会の数度の優勝経験すらある。女子も弱くはないのだが全国的に比べた時、どうしても見劣りする。

 斎田は数年前から、高校生からでは育成もろもろが間に合わないと考えるようになっていた。高校で他県から強豪女子選手を引っ張ってきても大戦力にはなるまい。指導方法ならうちの学校の方が良い。それもあって、大半は下から上がってきたうちの女子の方が強い。

 だから中学の段階で呼び寄せることに決めた。それが白崎日和であり、今の女子三年生の数名の選手である。
 地元の選手はプライドがあるからそう簡単には負けられないし、推薦組も他から熊本まで来た以上、それは頑張る。プライドとプライドがぶつかり、彼女らは皆、立派な剣士に成長していくのだ。

 一方で中高一貫、中学一年生からの付き合いならお互いよく見知って長くなる、他県の人間とはいえ実力だけでなく認め合うことが出来た。
 女子の友情こそが真に美しいと斎田は思っていた。気持ち悪がられるので本人たちには言わないが、ここには努力と友情と勝利が揃っている。勝つのが学校的にも望ましい。だがそれ以上に彼女らは努力している。だから勝たせてやりたい。勝って欲しい。
 団体戦で真に苦しい時、負けられない時、白崎は味方チームを勝たすことの出来るエースだった。エースとは負けないものだ。白崎を目標にしている女子もいるが、一方で彼女を頼っている。

 そして女子の成績が上がると男子も負けてられないなと相乗効果を引き起こした……と斎田は解釈している。男子は元から強いので成績の見栄えは上がらないが、妙なやる気は感じる。

 何れにせよ、今の天神を支えているのは白崎日和に違いない。彼女は小学生の段階で全国一だった。光溢れる、紛れもない天才だ。
 だが努力もした。練習し続けたからだ。世代最高選手だからと言って楽な環境に身を任せずに、より厳しい場所で、より強いライバルたちと切磋琢磨した。天才かつ、努力の天才だ。

 天才が一人居ると周りがそれに引っ張られてレベルが上がる。うちの女子は付いて行けるレベルだと信じている。
 斎田は道場の奥の個人部屋で茶を啜りながら熱く語ってしまった。

 最後に言えるのは二年の白崎は一年時よりも強く、三年の白崎は二年時の彼女よりも遥かに強いことだ。白崎ならかのビッグ雪村やその他に負けるはずがない。夏の全国大会が待ち遠しい。

 そして中学の先にある、白崎日和が二年前に言った、高校剣道界制覇、達成できると確信している。そして自分も次こそは七段試験に合格できると信じている。
 
 
 
 
 本当に最後の最後に……。天神学院は中高一貫の私立学校であり、剣道部では高等部と中等部が同じ場所で一緒に練習する形式を取っています。ですので今回の話でも当然(監督の呼び出し、出番がなかっただけで)、彼ら高等部の部員は白崎の登場と活躍を目の当たりにしています。

 時の高等部部員と、中学一年生の日和の高校時代が被ることはなく、レギュラーの座を脅かされる心配もなかったので、何の気兼ねもなく将来有望な新入部員を大層可愛がり良く稽古を付けました。
 全国中学最強の日和は、全国高校最強の高校生たちを間近で見て、彼らの剣を知り、戦い続け、剣術を磨き続けたのです。それこそが斎田監督が、彼女を熊本に呼び寄せることに成功した取引内容。すなわち白崎日和が熊本に旅立った目的でした。
 



[19812] 剣道編1: 雪村あいり14歳。178cm!
Name: ひなせ◆5051e34d ID:7e467102
Date: 2010/12/15 23:58
 
 身体測定と言えば、全国津々浦々、女子生徒にとって憂鬱な日に違いありません。
 やれ、その日の朝食は抜かした、いやいや、その近辺から取らないという自慢なのか苦労話なのか分からない話をうんざりするほど聞きます。計測直前にトイレに行くのなんて当然ですよ。
 きっと0.5kgでも減るだけマシだし、1kg以上減れば万々歳なんでしょう。

 数日もすれば元通りになるだけなのに、見た目は隠せないというのに、何故彼女らはその時だけの数字に拘るのでしょうね?
 それって見栄に他ならない。女子に限らず、形に残る記録って大事なのかなあとも思います。

 しかし……しかし、それらはぜんぶぜんぶ体重の話です。体重ってのは確かに、誤魔化しが利きますからね。50kgの女性が、一時的に49kgに体重を落とせばかなり見栄えが良くなるでしょう。

「雪村綾依さん」

 今、保険の女性先生にあたしの名前が呼ばれました。そう、桜の花がそろそろ散り始める頃、今日は三年生になってから初めての身体測定の日です。大半の女子諸君が嫌いな日です。私も大嫌いですよ。

 でもあたしは中学校皆勤の女なので学校はサボれないのです……。気が付くと体操着になって、あたしは女子の最後尾で保健室にやって来ていました。それで体重、身長、座高、視力の順番で、最初の体重計の列に並んでいます。

 では体重計に乗ります。これで昔ながらの赤針が見える計測器なら、ぎゅ~んと一気に針が動いたことでしょうが、淡々と先生が無言で数字を書き込むだけです。周りにも見えていません。もっともあたしは体重なんかは気にしません。
 気にするのはこれからです。地獄の身長測定の時間がやって来ました。憂鬱な気分で、「はあああ~」と溜息を付きながら身長計に乗ります。

「雪村さん、顎を上げて」
「はああ……」

 顎を引いて、じゃなくて上げろと注文されるのがあたしなんです。そして先生は小声であたしにだけ教えてくれます。

「179……cm」
「せんせい」

 少しの安心感と、すぐに襲い掛かった戸惑いで胸が一杯になりました。
 あたしは今年四月、中学三年生になりました。日本の中学三年生です。14歳です。14歳で179cmの女子は聞き間違えのようにしか思えません。皆さんの周りにいますか? 179cmの女子中学生って……いたら友達になりたいのですが。

 それでも後方に立っている先生が、あたしよりずっと背が低くて見下ろせてしまうのを確認すると、やっぱり夢じゃないんでしょうねえ……。でも、でも正確な数字を見間違えているって線は捨て切れませんので、なんとか粘ります。

「もう一度、よーく、よ~く見てください。178じゃないですか?」
「え、ええ……」

 先生もあたしの気持ちを汲み取ってくれたのでしょう。何せ今年初めての出来事ではありませんし、去年もお願いしているのです。去年の先生はこんなに小さくありませんでしたが……心の大きさは変わっていません。再測定してくれました。本当に感謝感謝です。

 果たして身長に誤魔化しは利くのでしょうか。あたしは精一杯身を縮めました。

「178.5……」

 すると先生がオマケをしてくれてあたしの身長は0.5cm程下がりました。この時、あたしは朝食を抜かす女子の気持ちがよく分かりました。数値が0.5減るというのは大変素晴らしいことなのです。

「四捨五入して」
「雪村さん、四捨五入すると179よ」
「ひぃ、切捨てでお願いします」

 ……そんなこんなで今年の4月の身体測定も終わりました。この後、憂鬱その2の座高測定タイムなども待っているのですが、もうどうだっていいんです。一番大事なのは身長で、後はオマケのように結果が付いて回るだけです。
 身長がそうなら、座高も、体重もあたしがトップで、今年も三冠王雪村です。あ……これは数少ない自慢なのですが、視力もあたしが一番でしたので四冠王でした。

 ──あたしの名は四冠王、雪村綾依《ゆきむら・あいり》。
 東京の私立翔桜中学校に通う新三年生で、今年178.5cmになりました。これは学校では言いませんが、四月一日生まれです。
 
 

  
「あい~」

 制服に着替えて廊下に出ると、先に測定を終えて教室に戻ったはずの清水が待っていて、前から抱き付いてきたので頭に肘を軽く乗せます。
 そして「あいり」と名前を訂正しました。あたしの名前は『あい』ではなく『あいり』と読みます。名字や名前をよく呼び間違われる人は中々苦労すると思うのですが、あたしの場合は相手に全く非がないのがまた奇妙なところで、漢字は『綾依』というものです。

 これ何と読みますか。初対面では大抵『あやい』もしくは『あい』って言われます。『あい』なら可愛いんじゃないのって納得できます。
 でも答えは『あいり』です。当て字ならぬ当て読みってやつでしょうかね。しかも無理やり『り』を捻り出したもので、『り』の漢字は何処に行ってしまったのでしょうか。不思議とあたしはこの理由を両親に聞いたことがありません。

 おっと……放置されていた清水さんが、あたしの腕の中で暴れ始めたので解放してあげました。彼女も他の周りの女子に比べると大きい方ですが、あたしよりは一回り小さいので掴まれたら脱出できないのですね。

「ってぇ……あんた何センチだった?」
「175だった」
「ぷ。うっそだあ。だって並ぶと大伴より大きいよ」

 清水が名を挙げた大伴と云うのは同学年の男子です。三年生の男子の中で万能的な人で明るく爽やかで、何かとクラスの中心人物で、比較にもされやすい奴です。勉強もスポーツもバレンタインで貰ったチョコレートの数も大伴より上ならお前は凄いと認定されます。こういう万能さんは男子でなく女子にもいますよ。

「178」
 あたしは唯一、他人に比較される身長について述べました。いよいよ大台に迫ってきました。

「ほう……伸びたねー」
「なんか一、二年時よりも伸び幅が大きいかも」
「流石、三冠王」
「四冠王だよ」

 左目を指しながら少し得意げに言います。あたしの視力はクラスでもトップの筈の2.0です。しかしこれは視力検査で計る数字の限度が2.0までなだけなので真の数字は4.0くらいあるのかもしれません。

「ソフトでは三冠王だよね」
「そう。ソフトボールは、あたしの天下です」

 ソフトボールというより体育の授業全般が得意範囲でして、これ幸いなことにあたしはでくのぼうではありません。勉強はさほど得意ではありませんが運動が出来るおかげで、ここぞというときは周りにもちょっとは一目置かれますし、比較的楽しく学校に通っています。具体例を出すと体育の授業は勿論のこと、球技大会とか体育祭の日は輝けます。

 あたしが入るチームは連戦連勝。バレーボールでもサッカーでも何でも来いですが、特にソフトボールがお気に入りでした。何故かというとエースで四番をやらせて貰えるからでして、四番雪村はサウスポーのピッチャーなのです。それであんまり活躍しすぎたから、毎回違う種目に参加させられるんですよね。

 まあしかし、こういう大会がある時だけは大きくて良かったーと思いますし、勝てばみんなも喜んでくれます。折角デカく産まれたのだから運動オンチだったら目も当てられません。その点は丈夫に産んでくれたお母さんに感謝しています。
 
 
 
 
 あたしたちは並んで、一階の保健室前廊下から歩いていきます。三階の教室まで、他のクラスの前を横切るときは静かに口をつぐみますが、タイミングを見計らっては小声でお喋りをします。

「昔って胸囲の測定あったらしいね」と最近胸が発育してきたためか、無駄に自信を付けて来たのか、清水は言いました。以前はあたしのプレッシャーもあって、この手の話は彼女にはタブーだったわけです。それはともかく、二十一世紀に生まれたあたしたちは胸囲測定なんてしたことはありません。

「あれば、五冠王だよね。アイリはさ」

 あたしは、バストは100cm近く、ウエストも70cmはあります。今はコンプレックスとも思ってません。それより単純に痛いんですよ。何にも増して痛いのが一番嫌なわけです。
 胸が大きくて、走って揺れたりすると本人は乳首がこすれて痛い。あたしの場合は運動もしますからスポーツブラを付けて、その上からテーピングをしたりと試行錯誤します。小学生高学年から中学生になる頃にはそうでしたけど……疑問がありました。

「あたしはおっぱいとモテ度には因果関係があると思ってました」
「あるでしょ」
「それはある程度の身長までの話なの。現に、あたしより断然小さい、眞田さんとかはよく告白されてるそうで。でも私は生まれてこの方、一回も告白されたことありません」

「あ、やっぱ、されたいの? アイは」
「そりゃ……まあ、どんな人だって全くされないよりは、された方が嬉しいわけで」
「だよね。それでさ。大抵、好みじゃないから断るんだよね。自分は選ぶ側だぞ~って」
「うっふふふ、そうそう、そうです」

 清水を小突こうとすると、彼女は逸早く察してさっと身を引きました。「あぶねー」と苦笑いしたので、あたしも謝りました。つい間違えて手が出てしまったのです。あたしが女子を小突くと、首や頭に突き刺さるので禁止技にされています。

 その時、廊下のやり取りを耳にしたのかガラガラと勢い良く教室の前扉が開かれました。あたしたち三年一組の教室の前です。担任はまだ戻ってきてないはずですから、最悪叱られることはないなと思っていると、中から出てきたのはクラス委員の皆山さんでした。

「雪村」

 見上げる皆山さんの目付きが心なしか普段より鋭くなっていました。彼女は小顔で、あたしより身長が20cmも小さいので何の迫力もありません。しかし立ちはだかるように入り口を塞いでいるので通ることが出来ないじゃないですか。腕を出して彼女の肩をそっと押して退けました。

「うわっ……と」
「なんですかね、皆山さん」
「なんだじゃないよ。今日も部活出ろよ。眞田が待ってるぞ」

 はいはいと、とりあえず返事をして、あたしは定位置の左後方隅の自分の席に行きました。その一つ前の席は清水なので彼女も後ろに付いて来ます。途中、先に戻って来たクラスメートたちから「アイ何センチだったー」と冷やかされましたので「176ジャスト」と答えておきました。

「嘘、178だから」

 すかさず後ろの清水が余計な情報を振りまき始めました。「ああ」「さっすが」と女子たちは満足げに納得します。「清水め、余計なことを言って」と思うと同時にこれであたしの身長公表は178cmだということに気が付きました。

 着席するまでに女子一人、男子一人と一言二言言葉を交わしました。先生が戻ってくるまでの自習時間に、持参して来た剣道の指南書をパラパラ流し見してルール等を再確認。すると後ろを向きっぱなしの清水が、「眞田とやってるんだっけ?」質問してきたので頷きます。

「うん。団体戦の大将賭けて、ライバル視されてて」
「それでああいう言い方か。アイ、モテモテだね」
「女子にモテたって嬉かぁないです」

 別に男子に向かって言ったわけじゃないのですが、意識させちゃいましたかね。さらに突然右を向いて男子たちをギロギロと睨み付けると、彼らは真正面を向きなおして固まっていました。

 そう、この日は女子も男子も全体的にあたしへの態度が和らぎます。あたしも馬鹿じゃないので、ここ数年でその理由を解明しつつあります。
 まず健康診断、身体測定というのが大前提でこの日が好きな女子は変わり者です。この日が嫌いな女子にとって、雪村は一番目立つスケープゴートなんじゃないでしょうかね。あたしにネタを振ることで、周りの目は全てこちらに来ますから、気を紛らすことが出来る便利な存在と云うわけです。

 そして男子連中! こいつらは至って単純で下心だけです。身体測定で学校一の巨乳の女子の胸がどれだけ成長したかとかそんな話で(内輪で)盛り上がってるだけです。普段から眺めて来ますが、この日は一段とじろじろ見てくるのですっごいうざったいのです。
 しかも以前聞いた話によるとおっぱいを見る分には楽しいが、付き合うには雪村は(身長が)デカすぎる、大変だって話です。これであたしも堪忍袋の緒が切れたので、男子には強く警戒するようになりました。

 この苛立ちをぶちまける様に、あたしは声高く言いました。話は脱線しましたが、一応再び剣道部の話に戻しました。

「迷惑なんですよね。こっちは大将なんて別にどうでもいいのに。先鋒でいいんです」
「じゃあ眞田にそう言えばいいんじゃない?」
「あの人はクラブ一の実力者が大将になるべきだ、みたいな考え一点張りだから、どうしても決着を付けたいって」

「んじゃギタギタにしてやりなよ」
「言われなくてもしてるよ。あたしは、最強だから」
「言うねー」
「うっふふふ、いいでしょー。事実だもん」

 ここで丁度タイミング良く、先生が戻って来たので本を仕舞います。さて……こんな日ということもあって今日の授業はあんまり頭に入らないので、放課後にあたしを待ち受けている部活の話でもしましょう。

 あたしは現在剣道部に所属しています。話題の眞田さんも剣道部所属のエースで、団体戦のポジションは大将でした。今はこの新三年生の二人が部活内でトップツーの実力者ですので、部内では二人が試合をして勝者を新しい大将にする……みたいな話の流れになっています。

 あたしと眞田さんの関係を一言で表すなら新旧のエースです。今から二年前、中学入学時当初は、剣道部であたしだけが新一年生唯一のレギュラーでした。その頃、眞田さんや皆山さんは新入生らしく下っ端でした。
 後述しますが、この後問題があってあたしは剣道部を一年間以上離れます。その間に皆山さんや眞田さんは腕を上げてレギュラーの座を掴んだのです。眞田さんは元々実績があった人だそうで順調に成長して今ではエース、大将の身です。そこに剣道部に戻って来たあたしが、実力の一点でいつの間にか大将の座を奪おうとしている……という七面倒くさい話が展開しているのです。

 あたしより一年間も剣道部で頑張ってきた眞田さん。経験者で実績を持つ彼女からすれば、急に部を離れて今になって戻って来た雪村なんかに負けたくないんでしょうね。だからはっきりと実力の優劣を示して、大将の座を守るつもりなんです。

 もし、あたしが運動オンチのでくのぼうで剣道も素人の女だったら、彼女の身長が160cmちょっとしかなくても容易に勝てるでしょう。ですが前述通り、あたしはでくのぼうでもなければ運動神経だけは抜群です。中学一年生の時、レギュラーだったということから分かるように、あたしは剣道を習ってきた経験者なんです。

 はっきり言ってしまえば、スポーツの世界は最終的にサイズの差、力の差だとあたしは思ってるので、ずっと同じ女の子には勝って来ました。160cmの自分が140cmのあの子に『負けるわけがない』し『負けちゃいけない』んです。
 無論、練習して技術を鍛えれば人間は誰でも一流になる可能性はありますけど、同じだけ練習して技術を付けた170cmの男子が、190cmの男子に運動で勝てるんでしょうか。あたしが言いたいのは、つまりそういう、最強の資格を持った人間の話なんです。

 あたしは、小学生の頃からどんなスポーツでもナンバーワンでした。十四年間生きてきて、物心付いた時から整列では常に一番後ろの女子です。あたしも、雪村綾依(ゆきむらあいり)も眞田さんのように小さく生まれていたら、彼女のようにライバルが見つかっていたかもしれません。
 
 
                2
 
 
「はじめっ!」

 剣道部顧問の田中先生が素振り開始のかけ声をして、今日も中学生、高校生一緒に練習を始めます。
 中等部主将の大田さんらの「一!」の声で、全員が竹刀を振り上げて、右足出して部員たちが「メンッ」と膝下まで振り下ろして左足を引きつけます。また振りかぶって左足から下がり、もう一度振り下ろして右足を引きつける。基礎となる上下素振りを50本します。
 次に竹刀を真っ直ぐに振り上げて剣先を右斜めから左斜めに振り下ろす。同じ要領で逆の動作をこなす斜め素振りが50本。中段の構えから大きく振りかぶり、すばやく振り下ろし面打ちの姿勢になる正面素振りを50本。これに斜め素振りの要素を加えて、相手の面の左右45度の位置を打つ、左右面素振りを50本。

 素振りの本数などは部活時間の長さで変動するので、まあ、あたしの方から細かいことは言いません。
 部活動の趣旨は結局団体行動ですよね。周りの部員はみんな主将たちの指示に従って行動を合わせる。そうすることに意味が生まれるのでしょう。特に運動部で上の方針に逆らうなんて言語道断なのです、が。
 あたしの場合は、基本的にもう少し動きが早く、かつ、運動量が膨大です。皆さんの素振りのペースははっきり言って遅いので合わせられません。彼らの素振りの本数は少ないでしょう。
 だから素振りでは一人で、どんどん先に練習して良いと顧問や主将たちに了承を得ていました。基本は正面素振りと一緒ですが、床を蹴って前に踏み込んで打つ、繰り返し打つ、跳躍素振りを最後に50本加えておきます。
 
 
 
 号礼で中高男女剣道部員全員が、田中先生の下に集まりました。

 あたしが通う学校は中高一貫。同じ校内で生活をしているので、剣道部を始めとする多くのクラブは中高一緒に行うのが恒例です。
 その中で剣道部はあたしも含めて中等部女子が7名。男子が6名。高等部女子が4名。男子が4名で全21名。外から見るとどう映るか知りませんが、別に部員数も特別に多くもなければ少なくもなく、特別な実績もない(あたしの存在以外は)平凡な運動部です。ただし、ここには中学二年生と三年生、高校二年生、そして内部生の高校一年生しかいません。
 中学校の新一年生が入部するのはこれからなので部員数はすぐに増えるでしょう。高校でも外部生が入部する可能性はありますし、いえ、流石に男女各5人にまで増えてくれないと団体戦がきびしいんですけどね。

 さて、ここでいよいよ面付けをします。皆さん正座になって最初に手ぬぐいをしっかり頭に巻きつけます。面をかぶって面紐を引っ張って結ぶ。最後に左小手、右小手の順に付けてさあ完成!
 見渡すと、今日も僅差で一番は俊敏なあたしのようでした。面手ぬぐい付け方一つ取っても、なんだって一番ってのは嬉しいものです。これが遅いと練習に早く入れなくてイライラするし、体が大きいから動作がのろまだなんて馬鹿にされることもあります。

「次はいつも通り、切り返しだ。二人一組になれ。雪村」

 田中先生があたしを呼びました。そう、部員は21名だから二人一組で一人あぶれてしまいますし、あたしが切り返しの相手だと、身長の問題で中学生はやり難いそうなので、普段は先生と一緒に稽古しています。

 準備体操(足さばき含)、素振りと来て、最後に切り返しを30分やったら前半の練習は終わりですが、剣道部に体験入部した一見さんはこの辺りから体がきつくなってくるようです。後半はかかり稽古や地稽古などが待っていますし、やがて練習に耐えられなくなって毎年、仮入部の一年生の半数以上が脱落します。最終的に一学年5人も残ればいい方でしょう。

 翔桜の運動部には野球部、サッカー部、バスケ部、女子バレーボール部、剣道部、陸上部、水泳部、ダンス部……など生徒数が少ない割には諸々あります。うちは体育部弱小の学校ですが、それでも野球部やサッカー部、バスケ部、女子バレー部は敷居が高いと思われていて、まったくの初心者が入部する例は少ないようです(補足すると人気自体はもの凄く高いです)。
 そういう大規模な運動部に入るのは気が引ける。けれど体を動かすのは好き、運動自体はしたい──という方々が剣道部とかは比較的、楽かな? と思って入部してくるみたいですが、剣道部も練習が多いこと。厳しいこと。体が痛いこと。あと地味なこと。防具(は仮入部さんには貸し出してます)が少し臭いこと。部室がどんどん臭くなること。体育館締め切って練習すると死ぬこと等を知って、残念ながら夏場の練習と部室がシャレにならないこと(でも慣れますよ)を本格的に経験する前に、入部を考え直したり退部して離れていきます。

 まあ、あまりやる気がないのに、その場の勢いで剣道部に入るのは大変だと思いますよ。まず剣道用具代がそれなりにしますから、入って直ぐ部活やーめた、じゃ親は堪りません。翔桜の人は暮らしに余裕がある家庭が多いそうですけど、それでも家計のこと考えろってのは常識だと思った方がいいです。
 そうして残った部員たちはみんな多かれ少なかれ根性ありますし、凄くいい顔つきしてますし、それに入部したときは初心者だったって人も中にはいます。それでも実力面はやっぱり最初から経験者だったという人の方が上ですね。

 中等部女子の場合もあたしは別格として、小学生の頃から習っている眞田さん。そして新二年生でホープの黒瀬佳奈ちゃんも経験者です。あたしたち経験者三人がレギュラーで先鋒、副将、大将の何れかを務める三強なわけです。
 残り二人、三年生の次鋒と中堅は確か初心者側だったはずです。どちらもあたしより20cmは身長が低い、女子主将の大田さんと副主将の皆山さん。後者は入部時、早くから練習に付いて行ったりと体力がある人で、運動部経験者なのかなと、あたしもチェックしていました。その流れであたしが一回、剣道部を止めた後も皆山さんの名前は覚えていたし、学校でもよく話したりしたわけです。

 一方、大田さんの方は完全な初心者だったのは間違いありません。最初に彼女はそう申告していましたから。皆山さんとは反対に練習に付いていくのがやっとの細い子で、かかり稽古の疲労で後でゲロを吐いて泣いていたこともありましたっけ。いや、別に運動部のシゴキで嘔吐する程度は普通なんですけどね。ちょっとあげっぽかっただけで。
 その彼女が今やなんと主将で、団体戦レギュラーの一人ですよ(次鋒だけど)。あたしは大変驚きました。たぶん剣道部の出来事で一番仰天したと思います。むしろ大田さん、あれから、よく剣道続けてましたねって少し感心しました。でも剣道部に戻った直後、ブランクありのあたしが一戦したら瞬殺してしまって、やっぱりよわっ……と安心したりとね。

 彼女は主将ですが、他のレギュラー陣と試合をして回ってあたしが見比べるに、レギュラーでは最弱ですね。レベルで言うなら十段階の相対評価で4か5。トップのあたしが10。眞田さんが8。皆山さんが6。佳奈ちゃんが6か7。こんなところでしょう。

「雪村、手が止まってるぞ」

 おっと……長々と想像してましたけど、今は切り返し稽古の最中、あまりにも手を抜いていたので田中先生に叱られました。

 先生は中学校時代は剣道部員だったそうですが、高等部に居るN先生みたいに全国大会ベスト4! みたいな「あなたは本当に翔桜の先生なのですか?」と問いかけたい超人的な実績は持ち合わせていません。そして現役時代から結構時が経っていること、あたしよりも10cmは背が低いこともあって、試合の実力は然程ありませんでした。

「ふっ」

 手首を切り返して右面、左面、右面、左面と前進しながら、後退し受けてくれる先生をパンパン叩いていきます。

 いやあ~。気持ちいいですね。気持ちいい! 分かりますか? これは学校にもよりますし、切り返しなんかに付き合ってくれる優しい顧問がいるかは別にしてもね。実力さえあれば、剣道部って顧問の先生を合法的に竹刀で叩ける(機会がある)んですよ。たぶんそんな部活は剣道部以外にはないといっても良さそうです。
 別にあたしはこれといって田中先生に恨みはありませんし、むしろ良い性格の方の先生だと思っているのですが──なんというかこう──あの学校の歩く法律! お偉い教師さまをパンパン叩けるんだから不思議なものですよね~。付けたして言うと、あたしは178cmですけどね。

 今度は後退の送り足で、左面、右面、左面、右面、左面の五本。

「あはは」
「笑うな」と注意されました。
 ここで間合いを取って、次に攻めて出ます。

(それじゃあ本気を見せてやりますか)

 本気といっても試合ほどのフルパワーではありませんが、こういった対人の練習時であたしは中学生相手に常に相応の力に落として面を打っていました。
 そうでなければ稽古の相手が限定されてしまうからです。いえ、生徒の方が拒否するのではなくね。あんなに大きい生徒と一緒に練習させるな、頭を叩かせるな(じゃあ剣道するなよ)、怪我をするって保護者の方から苦情があるみたいなんですよ。それもあってこんな組み合わせで練習しているのですが……とにかく先生は大人ですから、子どもよりは体も頑丈でしょう。

「きいいぃ」
 あたしは竹刀を強く握り直して、気合いを入れて、
「ヤアあああああああああああアアアアァ────アアアアアアァ!」

 体育館がひっくり返るような大声が響き渡りました。否、奇声ですね。普通の切り返しの稽古ですし、単純に「ヤア!」って掛け声を出したいだけなのですが、いつもの癖で最初に思いっきり深呼吸して口を尖らせて「キィヤアアー」と叫んでしまいました。
 周りの部員が全員びくっと、練習の手と足が止まってこちらに集中しました。剣道部員だけでなく(ここで初めて紹介するのですが)同時間帯に体育館コートを半面以上使用してやがる女子バレーボール部員たちが奇怪な視線を向けます。

「出たぞ」
「うんうん」
「雪村、いけえー!」
「雪村ーっ!」

 お前らも練習しろ! だから二回戦程度で負けるんだよ!
 あたしは内心突っ込みましたが、今の標的は他の誰でもなく、目の前の田中先生ですので直ぐにそちらをキッと面越しに睨みつけます。


 この怒声は、あたしが必殺の剣を出す前の儀式みたいなものだ。必ず殺すと書いて必殺技。剣道で死人が出るとかそんな物騒な話じゃありません。ここは現代日本ですから竹刀の先から、変な光や衝撃波や炎が出たり、打突で相手の防具がぶっ壊れたりとファンタジックな必殺技なんかありません。

 単なる正面打ちです。シンプルイズベストって言ってね。真っ直ぐに相手の面を打つ! ただそれだけですよ。毎日の鍛錬。道場帰りや部活時間外に行う、一人でのあくなき素振りが、この二の腕を育て、面打ちを昇華させた。
 あたしには体格を活かした必勝の型というのが確立されていて、普段試合を運ぶときはそちらを重視しますし、それプラス技術があるからどんな時でも勝って来ました。けれどこの正面打ちはそれとはまた別の剣だ。

 あんなでかいやつには勝てない。あんな大きい子と練習させるな。
 そう言われるからずっと抑えて一人で練習して来た、あたしの渾身の力をこの一瞬だけ完全に解き放って、力強く打つための前動作です。約180cmの長身に比例して長く太くなった腕が生み出す、相手のリーチの外からの面打ちに、身長150や160のチビの女子が対応できるものか。

「雪村、待てっ!」
「雪村!」「雪村さん」
「雪村さん!」

 田中先生と、続いて女子部員たちが一斉にあたしを呼び止めます。背後から忍び寄るその気配に振り返りあたしの視線が下がって、同時に腕の力みと熱さが少しずつ下がっていきました。女子を捕捉するとき、必ず目線を下げなければならないのがあたしの唯一の欠点です。

「雪村さん、落ち着いて」
 中等部女子剣道部、暫定大将の眞田さんでした。彼女が片手であたしの背中を掴もうとして、結局躊躇していました。

「雪村さん」
「眞田さん……何慌ててるんですか。ちょっと気合い入れ直しただけですよ? これ、切り返しですし」

 そう、前に出て打ち抜けた後、相手側へ振り返る。一連の動作が切り返しですから、あたしはその途中にあっただけです。もちろん忘れずに残心も取るつもりでした。
 そのように考えながら眞田さんを見下ろしていると、何を思ったのか彼女はあたしと先生の間に入って行きました。

「先生。雪村さんを借りてもいいですか?」
「うん、いいよ」
(二人とも人を所有物みたいに!)
「お前ら、試合してるんだろう?」
「はい。それで、団体戦の大将を決めたいかと」

 先生、巧く誤魔化しましたね~、とあたしはわざとらしく舌打ちしました。それに助け船を出した眞田さんの考えは読めていますよ。

 放課後前に説明した通り、今剣道部では、あたしと眞田さんの新旧エースで団体戦大将を賭けて試合をしていました。三本勝負で二本選手したら勝利という普通の一試合ではなく、『五勝先取』した方が勝ちというルールなのです。だから一日で決まるわけではありません。延長ありで引き分けはなしとして、最長で九試合目まで、もつれ込む可能性があります。今のところあたしが三連勝してますから、最短であと二試合です。

「雪村さん。休憩前の今のうちに今日の分の勝負をしましょう」

 後半の練習に入る前、この切り返し稽古の時間帯に都合を貰って、今日の分の勝負をしたいのが彼女の言い分でした。
 あと二つなら今日で終わってしまう気がしますねえ。なぜこれから負けるって分かってる勝負に、彼女はここまで乗り気なんでしょう?

「ちっ。あたしと先生の仲を引き裂いて。一人練習仲間外れにしておいて気楽なもんですよね」

 ですので、正直あまり興味がない試合でした。というよりも眞田さんにもさして興味が湧かないのです。しかし、気楽に言うあたしとは対照的に彼女の言葉は棘がありました。

「何、馬鹿なこと言ってるんですか? 冗談は外面だけにしてください」
「うわ……」

 ドン引きですよ……。今の言葉って、あたしの胸が冗談だって貶していますよね。よく胸が大きい女はそこに栄養が行きすぎて馬鹿だ、みたいなセリフがありますけど、あたしが嫉妬台詞のランキングを作るなら女子の三位はそれですから。
 それにあたしの全身を見て欲しいものですね。14歳女子、178cm。全身に栄養が行き届いて、胸が大きくなったのはその副産物でしかありません。
 大きい雪村は他人より多くの作物を摂取してエネルギーを吸収し、さらなる運動量を生み出す、これすなわち女の中の女なんです。基礎的な器の小さい眞田さんたちが、あたしと互角なのは脳みその大きさ1400cc程度でしょうよ。

「まあ、いいでしょう。あと二連敗もすれば、流石の眞田さんでも身の程を知るでしょうよ」
「雪村さん!」

 あたしと眞田さんの勝負が決まって、周りにもそれとなくこれから行われる内容が伝わり始めたので、練習をしていた部員たちが動き始めます。剣道部コートの中央付近を譲ってくれました。ここに白のラインテープで試合用の境界線が設けられています。そして眞田さんと一緒に、切り返しの稽古をしていた谷沢さんが面と小手を取り、一度この場から離れて行きました。

 こうして着々の試合の準備が整えられていく中、眞田さんの小言は止まりません。毎回、雪村さん! と語尾を強くして怒鳴って来ますから、正直面をしてて条件反射で耳を塞ぎたくなりますしきらいです。

「あなたの欠点は、その態度です。あなたの強さは認めていますが」
「別に眞田さんに認めて貰わなくたっていいですよ。大体オーダー決めてるの眞田さんじゃないし」

「雪村さん! あなたの……考えは分かるんです。こんなに大きい自分が負けるわけないって思ってる」
「ええ、思ってますよ」
「剣道が……いえ、スポーツや武道がそれだけじゃないってのを私が教えてあげます」

 試合前ということもあって、今回の小言は比較的あっさりしたものでした。彼女は踵を返して試合場の向こうの方に歩いていきます。その後ろ姿、背中があんまりにもちっぽけですから戦う前から残念になるってのは眞田さん、あなたにも分からないですかね?

 ……はっ。格好いい台詞です。エースの眞田さんが凛と言うから一見それっぽく聞こえますが、あなた現実に三連敗してるんですよ。
 残念ながら翔桜で、ましてや剣道でこの雪村に勝てる人は一人もいないでしょう。男女問わず高等部の部員たちだって、誰一人あたしより大きくなくて。小さいから怖くて一度も勝負を挑んで来ないんです。
 
 
 
 至大至剛──この上なく大きく、この上なく強い。

 よく剣道場の壁に書道の半紙が張り出されていて、四文字熟語とか格言とかが書かれていますよね。冬休みの宿題で、元旦の日に書道をしたり──そこであたしが書いた大好きな格言がこの言葉でした。
 大きいものが絶対的に強い、と昔からあたしは信じています。小さい人にも強い人はいるけど、大きい人は根本的にもっともっと強い。大だから至剛であって、大でなければ至高になる資格はない。

(だから、あたしが負けることはありえない)

 体育館奥の中央、白のラインテープを貼った正方形の試合場で帯刀する眞田さんと向かい合いました。ここから三歩進み竹刀を抜き合わせて、テープ前で蹲踞の姿勢を取ります。
 審判を務めるのは中学三年生の谷沢さんです。三年生で唯一、レギュラー入りしてない補欠ながら、主将で五番手の大田さんより上の実力者だとあたしは睨んでいました。また補助員には、佳奈ちゃんじゃない方の二年生の子が付いてくれました。

 ──見せてやりましょう。この雪村の力を。

「始め!」の合図がかかり、試合が開始されます。中学生なので時間は三分。もっとも三分使い切った試合はありません。早速「ヤア!」とあたしと眞田さん、両者が前に出て打ちこんで行きました。

「眞田先輩、頑張ってください」と試合前、眞田さんの横に付いていた黒瀬佳奈ちゃんが言っていました。その応援は無駄に終わるでしょう。どうせあたしが勝つのですから。

 眞田さんは普段はそうではないのですが、あたしと戦う時は決まって積極的に打って出て来ました。間合いを詰めて、懐に飛び込んでつば迫り合いになる瞬間に引いて小手を打つのです。
 この判断は正しいでしょう。先ほど話したように、間合いを取って相手のリーチ外から仕掛ける、渾身の正面打ちがあたしの必殺技で、これが放たれると眞田さんクラスでも高確率で一本決められてしまいますから封じるにはこの方法が最適です。しかしつば迫り合いになってあたしと力勝負する流れになるとそれはそれで一気に分が悪くなります。だから引き技で攻めていくのが、対雪村のいつものスタイルです。

(見慣れてるんですよ)

 そんな相手は今まで腐るほど見て来ました。相手が前に出るなら、あたしだって引きません。前に出ることで重圧を掛けて戦います。
 今、眞田さんが微かに腕を動かし、剣先を上げました。こちらが一番注意するのは何よりも小手です。フェイントに引っかかって腕を上げてしまうと小手が飛んできます。あたしの身長が大きいことで、胴体が一瞬無防備になるから胴打ちという手もあります。
 こちらも面狙いのフェイントを二つ入れましたが、彼女は動じず、一刀一足の間合いで竹刀がパシパシ触れ合い、揺さぶり合います。そうです、これが良い。あたしが力を加えて前進していくことで徐々に彼女が後退し始めました。竹刀を払い面が飛んでくるというプレッシャーが彼女にはあります。

 つば迫り合いの姿勢に持ち込むと何度かは彼女が引き技を打ちますが、こちらも学習しているので毎回そうはなりません。今度はこちらから仕掛けます。右こぶしに力を掛けて上から左斜めに体重をぐっと乗せる。身動きが取れない彼女は押し返すしかありません。これを見計らってすっと下がり、竹刀を振り上げます。力を抜かれて眞田さんの体勢が戻ります。彼女がそのまま手元を振り上げるなら、胴打ちに行きます。引き胴を警戒した場合でもあたしは左に体を捌いて小手に行けます。

 眞田さんは咄嗟に手元を下げました。結局、彼女が最後に取ったのは胴打ち対策なので、これでがら空きになった面に打ち込みます。審判が旗を上げました。
 さあ、一本決めてやりましたよ。強く打ったので彼女が少しよろけましたね。

「やっぱり眞田勝てないな」
「雪村は大きいだけじゃなくて巧いもんね」
「レベル違うよ」

 また、バレーボール部の一部の連中が、隙を見計らってこちらの見学をしていました。

 いえね。そうは言いますが、眞田さんはたぶん今のあたし並みに巧いですから。校内運動部員の傑出度だけで言ったら、この眞田さんはバレーボール部の誰よりも凄いし、成績だって残している方です。今の試合だってあたしが慎重に事を運ばなければ、中盤で出ばな小手を食らっていたかもしれません。

 ふと眼下に目をやると、眞田さんが何か言いたげに悔しそうにこちらを見上げていますが、あと一本残ってますし、あと一回あなたは負けられる。勝負はまだまだこれからですから、最後まで頑張ってくださいと笑って返しました。

 ──それでも最後にはあたしみたいな子が勝つ。だからスポーツは楽しいんだ。

 東京有数の進学校、私立翔桜学園に雪村あいりという、身長178cmの女子中学生がいるんです。
 


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