 |
■書簡 その201 ふと思う |
若い頃には、幕末の激動の時代、若者達が本当に日本という国を憂いて激しく揺れ動いた時代に生まれて来たかった、と思った頃があった。
また、明治末期から昭和の初期に掛けて「至る処に青山あり」と大陸に飛び出していった時代に生まれれば等と思った事もあったが、
考えてみれば大戦後の廃墟から凄まじい発展を遂げ宇宙に行くという夢が実現した文明社会。
この現代に生きたということはすばらしい事だと思う。
つまらない事と言う人もいるかも知れないが、何より2000年という世紀を跨いで生きたという事は凄い事だと思う。
(ただ偶然でしきゃないのだが)でも、これって凄い事だと思いません?
こんなことを考えるようになたのは年の所為なのかなぁ。そんなことを思う、今日この頃です。ご意見、窺いたい。 |
■書簡 その202 思い出 |
新聞のコラムで宮尾登美子さんの高知では「ヤマモモの実を珍重する。
梅雨空になるとヤマモモ売りが来るのを心待ちにする」という記事を読んで、子どもの頃食べた、あの、あまずっぱい味を思い出した。
何処で採ったんだろう。
遊び場だった山王さんの境内か、虎ノ門の大倉集古館の庭か、それとも霊南坂を上がったお寺の裏だったのか。
そう思うと東京でもいろんな木の実を採って食べたものだ。
季節ごとにグミ、クワ、ビワ、イチジク、ヤマモモそれにすっぱいユスラウメ。広場や空き地で自由に採ることができた。
そうだ昭和20年代の赤坂はお屋敷跡の空き地がたくさんあって、そこにもぐりこんでは木の実を採ったんだ。
クワの実を食べて口のまわりをまっくろにして。
そうまっくろといえば小さな黒い(紫)さくらんぼの実も食べた。
これも手や口のまわりが、まっくろになり、一緒に食べたワルガキどもが顔を見合わせて笑いあったものだ。
東京にも古里があったんだ。物の少なかった時代、それでも何かを利用して明るく楽しく暮した時代があったんだ。
そんな東京の暮しを伝えたい。 |
■書簡 その203 思い出・2 |
公園を散歩していて、今年は野鳥の種と数が多いという話をしたが、今日も早朝歩いていると様々な小鳥のさえずり、啼く。
10種類くらいの小鳥が同時にあちこちで騒がしい。そんな中でふと思い出した。
僕が新国劇に入った頃には、音調部というのがあって、音響効果は実際に各音調さんが実技でおこなっていた。
雨音は団扇に糸で豆を付けたものを振って音を出す。波の音は行李に赤豆を入れて、緩急をつけて豆を左右に移動させ波音を作り出す。
笛や太鼓も、なま。僕の好きなカエルの声はザルの中に竹笛が山ほど入っていて、舞台の袖にぶら下がっている。
その中から、その都度、ひょいととって吹きわける。見事に的確に操る。
仕事というよりは自分たちも職人技を楽しんでいる様子で、あたたかく実に味のある光景であった。
現在では音響部と名称も変って、録音されたものを音響係がテープで回す。
あっ、いやパソコンを操作する。音としては正確かもしれないが・・・・。
昔を懐かしむのではない。そんな技術があった事を忘れないでほしい。
そんな人たちが活躍した時代があったことを。 |
■書簡 その204 日本タンポポ |
今年は三月の初めからポツリポツリと咲出したタンポポ。
数は少ないがよく見ると日本タンポポばかり。そして桜と同時に咲き出して今、真っ盛りのタンポポは、ほとんどが西洋タンポポ。
タンポポの変り物を探し始めて5年。今年になって初めて気がついたのだが、日本タンポポと西洋タンポポは少しばかり開花期にズレがあるようだ。
これは今年限りの現象かもしれない。
毎年、花の盛りに変わり物を探し歩いては西洋タンポポばかりで日本タンポポは何処へ行ってしまったんだろうと思っていたが、
花期にズレがあったとしたら納得がいく。気をつけて見ることにしよう。
それにしても江戸時代の名鑑にある緑花、朱金花、管花を探しているのだが、ないもんですねぇ。
何方か見つけた方、ぜひご一報を・・・。
僕は夏まで探して、もし見つけたら写真を載せます。 |
■書簡 その205 染井吉野の故郷 |
森耳の収録が早く終わったので、六義園のシダレ桜のライトアップを見様と出かけたのだが、まだ4時。
今日観る予定の中野のザ・ポケットで公演中の劇団くらげ荘の開演は7時。
さて弱った・・・どうやって時間を潰そうかと思ったが、そうだ今処は駒込、染井へ行こう。
染井とは駒込在は染井村。(現在の豊島区駒込)。言わず知れたソメイヨシノの古里だ。
江戸時代、植木職が多く、伊藤伊兵衛の輩出によって江戸園芸の中心地として栄えた。
そして幕末エドヒガンとオオシマザクラを交配して吉野桜として売り出したのがソメイヨシノ。
明治になって吉野山のヤマザクラと紛らわしいということで供給地の染井の地名を冠してソメイヨシノと命名した。
命名者は博物局の藤野寄名と伝えられる。
最近までエドヒガンとオオシマザクラの交配種と言われていたが、
近年、科学の進歩でDNA鑑定の結果、オオシマザクラと園芸品種である小松乙女の交配であることがわかったと聞いている。
ソメイヨシノは成長が早く、美しいので全国各地の公園、学校、河川堤などに植樹され、現在観桜の80%はソメイヨシノといわれるくらいだ。
その染井を歩いて見様と染井商店街に入る。狭い道の両側には商店がビッシリ。
夕方の買い物客もいっぱい。桜祭を開催中だが、桜は見当たらない。
道を聞くついでに桜の話をすると、墓地の桜が満開というので行ってみる。
散り出して地面をピンクに染め始めたが、ギリギリ間に合った。見事なソメイヨシノでした。
そのまま巣鴨まで歩いて中野のザ・ポケットに向った。現在の染井には桜の故郷の面影は無いが、
商店街には活気があり、どこか懐かしい味わいのある風情は、散策におすすめです。 |
■書簡 その206 今年の桜 |
高尾の駅前にある多摩森林科学園には、全国各地の珍しい桜を集めた保存林がある。
元々は森林・林業・木材産業の為の国立研究所であったが、平成13年に独立行政法人森林総合研究所として発足。
一般公開されるようになった。
この桜の保存林は昭和41年に設置され、江戸時代から伝わる栽培品種や天然記念物に指定された品種約250種を集め
、分類の見直し、保存の方法などを研究している。
二月の末ごろから五月中旬まで色々な桜を楽しめるので時々訪れるのだが、やっぱりこの時季が一番。
今年の桜は早かったが咲き出してから寒気が入り込んだため、長持ちした。
そして急に温度が上がって透きの品種が咲き始め同時期にいろんな花が見られた。
それにしても今年は日本にいるとは思えない花模様だ。
桜のほかにもモモ・レンギョウ・ヤマブキ・ムラサキシキブハナカイドウ。
地表ではスミレ・タンポポ・シャガからハナショウブまで、街路樹ではコブシが残っているところにミツバツツジ・洋種のシャクナゲ・イチョウが芽吹く。
かと思えばハナミズキが咲き出しツツジ・サツキまで色を染めて百花繚乱。
早春と初夏が一緒に来て楽しいというよりちょっと気味が悪い。それに気温の変化に身体が付いていけず、体調を崩す人も多いのではないか。
そんな思いが先立ってしまった。
日本人は桜好きが多い。平日だというのに沢山の人出。皆、笑顔で歩いている。余計な心配するより明るく楽しもう。
そして、今年の桜のように、長持ちする様、頑張ろう。 |
■書簡 その207 日本はきもの博物館 |
広島県福山市松永町に松永下駄産業日本一を記念して作られた博物館だ。
以前、しまなみ海道で四国に渡る時 だったと思うのだが、尾道あたりを通った時、街路に看板で「日本はきもの博物館」とあるのが目に入った。
それ以来、気になっていたのだが、そのためだけで行くには遠すぎる。
ついでにと思うときには時間がない。それが、ひょんな事から機会に恵まれた。
山口県徳山で仕事が終わって、明日は帰るだけ。これはチャンスと福山市に住む知人に連絡すると
詳しい友達と案内するから寄れ、というので甘えることにする。
翌朝、駅まで迎えに来てもらって車で20分位。車中での説明によれば所在地の松永町は日本一の下駄の生産地だという。
へえ〜。僕は下駄の産地といえば会津の桐下駄と四国のゴマ竹を細く切って貼り付けた下駄が有名で、
後はその土地土地で作られる位で、そんな大規模な生産地があることを知らなかったので驚いた、といっている間に到着。
そこには広い敷地内に「日本郷土玩具博物館」と隣接して建てられていた。早速入場料(両館共通で1000円)を払って中に入る。
すごい。中でも仕業用のはきものがおもしろい。田下駄や水中で浮かないように工夫された箱のような形で、
中に重い石などを入れた高下駄。わらじからぞうりまで種々のはきものが展示されている。
僕の好きな八つ割もあった。古代から現代まで日本を中心に世界のものまで、見ごたえのある数々。楽しい。
玩具博物館のほうは一日では見切れないほどの広さで、足早に回ったのだが 今度はゆっくりと見て回りたいものだ。
全国に珍しい博物館は多々あるが、此処は、わざわざ行っても十分に楽しめる。
一日いてもあきない。楽しい博物館だと思うよ。 |
■書簡 その208 無題 |
高校生か中学生か・・・女の子が数人で大きな声で話をしている横を通り過ぎた時だ。「うそ〜ありえな〜い」という声が飛び込んできた。
近頃は言葉の単略化というのか、短くした言葉や簡単な一言で、いろんな事を済ませてしまうようだ。なんでもかんでも「ありえな〜い」で・・・。
ふと思った。あり得ない事を例えた言い方って沢山あったよなぁ「西から日がでる」「雄猫が子を産む」「枯木に花が咲く」
「煎り豆に花が咲く」なんてぇのもあったなぁ。「ひょうたんから駒」これも元々は、ありえないことから来ているわけで、
「ひょうたんから米が出た」の米が訛って駒になった。(昔話「雀の恩返し」より) まだあるよ!
「冷や飯から湯気が立つ」 「根がなくとも花が咲く」もっともこれは外国にはそんな植物(エアープランツ)もあるようですがね。
あり得ないという例だけでも、これだけたくさんあるんですからね。
先人達の洒落心から生まれた言葉・文化、ちょっと使ってみませんか?
世の中スピード時代「呑気なこと言ってんじゃねぇ」とお小言食うかも知れないけど、
こんなところから心の余裕が生まれるんじゃないですかね。洒落てるよ。 |
■書簡 その209 アフレコ |
映画のロケーション部分や初期のテレビ映画は、全編アフレコでした。
アフターレコーディングの略で、活動屋用語の一つですね。画像だけ先に撮って音声を後で入れる。
簡単に言うと、撮影した自分の画面を見ながら、声を録音することを言います。
録音機材の発達で、現在はほとんど行われることはありませんが、雑音が入ったり、雨音などで問題が起きたときに、アフレコで・・・という事になります。
これが、意外と難しいんです。アテレコと言って、外国映画等で他人の声に合せるのは、基本的に口が合えば良いので気が楽に出来るのですが
自分の事となると、その時の感情を思い出しながら口を合せるというのは、結構難しいものです。
映画「牡丹燈籠」で、久々のアフレコ。台風四号の影響で荒れ模様。笠に当る雨の音が邪魔で現場ではOKだったのが
編集段階でアフレコになったんです。何十年ぶりですかねぇ。いや〜変わりましたねぇ・・・驚きました。
以前は各映画会社にアフレコルームというのがあって、映画の画面を見ながら口を合せる訳ですが
現在はビデオの編集室様な所でテレビを見ながら声を入れるんです。
そして以前は、録音が終わると、アトショリといって、録音部さんの仕事で、他の部署の者はそれでオツカレ様で帰っていくんですが
現在は機器の発達でアトショリなし。その場で編集ができてしまううんです。録音した音を、その場でパソコンで編集できるんです。
しかし、その間 監督を始め関係者全員が待ち。たった一人の技師がパソコンを操作している間、全員がボーッと待っているんです。
一区切りずつは短い時間ですが、区切りの数が多いと、長時間大勢の人が待ちになる。
便利になって仕上げにかかる時間は短く簡単になったとはいえ、何処かにシワヨセは来るもんですね。世の中の縮図を見る思いでした。
スローライフ・・・昭和三十年を懐かしむ声が高まっている昨今、そんな気持ちを実感する一日でした。 |
■書簡 その210 蝉 |
今年の異状気象は身近にいる小さな生物にも変化がおきている。
例年5月に孵化するスズムシが今年は4月に孵化して今はもう虫の息。
か細い声で、もう長くはない・・・(書いている間に聞こえなくなった・・・)
楽しみが二週間くらいで終わってしまいそうだ。
一番ヤキモキしたのは蝉だ。僕は子どものころから蝉が好きで、啼き声には敏感だ。
東京ではまずニイニイゼミが啼き出して次にアブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシと続く。
そして最後にヒグラシのカナカナカナ・・・・・で幕を閉じると定まっていた。
ハルゼミや夏の盛りのクマゼミは地方に出かけた時の楽しみだったが、最近はクマゼミは代々木公園や新宿辺りで耳にすることがある。
これも温暖化の影響と思われるが・・・。
今年はニイニイゼミの声が聞こえず他の蝉も、お盆までは、まったく音無しで、どうした事かと思っていたら、今処にきて大発生。
アブラゼミとミンミンゼミ、ツクツクボウシが大合唱。それも今まで聞いたことのない大音声でビックリした。
子どものころ箱根あたりでクマゼミのうるさい程の大合唱に驚いたのを思い出したが、その比ではない。
何か起こらなければ良いのだが・・・と思う程の異変である。
これが逢れた夏を惜しむ大合唱なら良いのだが・・と思うばかりである。
そう言えば、今年の6月、青森巡りをしているときに、行く先々でハルゼミの大合唱に感謝したのを思い出した。
ヒグラシの声はまだ聞こえないが、夕方になると秋の虫の声が聞こえてくるようになった。
まだまだ暑い日が続くようですが、秋は確実に来ています。夏の疲れに負けない様、食欲の秋を迎えてください。 |
■書簡 その211 大根汁 |
楽屋内では昔から常備品となっている、大根エキスを紹介します。これも今では愛用しているのは、
ほとんどが年配者になってきましたが(若い人は知らない人も多い)、効果抜群の民間療法です。
芝居で大声を出してシャガレ声になったり、出なくなったりした時、小さなグラス1/4か1/5くらいを口に含んで少しずつ飲み干すだけです。
時間をおいて何回か繰り返していると、不思議と声が出てくるようになります。
◆作り方◆
@広口ビンか、冷蔵庫でお茶を冷すポットなどの容器を用意する。
A新鮮な大根を2cm角くらいの大きさに切ります。それを用意した容器に入れます。
(量はどれくらいでも可)
B上からハチミツを大根の八分目以上まで入れる。
(僕は満杯にすると甘すぎるので、八分目に定めています)
C冷蔵庫で2日〜3日で、大根がシワシワになって、水分が出れば出来上がり。
(大根は取り出して、料理に使えます)
そのまま冷蔵庫で10〜15日くらい保存できます。(酸化したら捨てる)
民間療法は薬にもなれば毒にもなる。分量、用法を間違えると危険なものもありますが
これは大根とハチミツ・・・安心してお試し下さい。
(管理人・注・・・ここで紹介してい方法は、あくまで民間療法であり、その効果を保証するものでは有りません。 また個人差もあります。喉の疾病などの疑いがある場合は、医師または薬剤師にご相談下さい。)
|
■書簡 その212 ひと言 |
世の中、変りましたねぇ〜。雲の上の人が、どんどん地上に降りてきて・・・。
こんな事を言って良いのかわかりませんけどねぇ。国会議員の先生がテレビで ちょんまげ かぶって・・・・。
僕が子どもの頃「役者になりたい」と言ったら、僕の親父は「どんでもない・・・」。それでも役者になっちゃいましたがねぇ。
今、親父が生きていたら何て言いますかねぇ。こんなことを思う私も古い人間でございますかねぇ〜(鶴田浩二か!!)これも古かったかなぁ・・・。
まぁ、もともと雲の上の人なんて、いなかったって事ですかねぇ〜。 |
■書簡 その213 栗ぜんざい |
母が浅草に買い物に行きたいというので、ひさしりに浅草に行く。仲見世を歩いていると、突然「梅園に行こう」と言い出した。
え〜梅園とは、僕の子どもの頃は、浅草に行っといえば「梅園に行った?」と聞かれる程、甘党にとっては、名店中の名店。
しかし、僕は子どもの頃は甘いものが大の苦手だったので、一回か二回しか行ってないと思う。
まぁ近年は甘いものも食べられるようになったので、50数年ぶりで懐かしさも手伝って、ついていく。
いや〜老舗の力ってすごいもんですね〜。近所のお店は何処もガラガラなのに梅園の広い店内はお客でいっぱい。
注文は、母とカミさんが田舎汁粉。僕は名物の栗ぜんざい。
この店の栗ぜんざいは、汁気がない。こしあんの塊と、半殺し(つぶつぶの状態)の粟餅がお椀の中に入っているというシロモノ。
それに盃より小さな器にシソの実入りの佃煮がついてくる。甘かった〜!
ちょっともてあましましたが、食べ物を残せない悲しい世代。完食したが・・・。
田舎汁粉の二人はというとカミさんは甘さにビックリ。母も「こんなに甘かったかしら」と言いながら懐かしそうに食べていた。
場所は、雷門から浅草寺を正面に見て左側の仲見世の裏通りを浅草寺に向って歩いていくと左側に大きな「梅園」の看板が目に入ってきます。
浅草名物、舟和の「いも羊羹」と梅園の「栗ぜんざい」・・・話の種にぜひどうぞ。
左党の方には、神宮バーのデンキブランを・・・。 |
■書簡 その214 大(だい)と大(おお) |
先日新聞のコラムで大地震(オオジシン)を(ダイジシン)と読む人が多くなった。
大震災(ダイシンサイ)と混同してるのだろうが、どうしたのか?という記事が載っていた。
日本語のややこしいところだ。僕も仕事柄、言葉の発音や、移り変わりについては気になる。
過去において読み方や発音が変わってきた例はたくさんあるが、特にダイとオオは判別(と云っていいのかな)は難しい。
先日、家に遊びに来た若者が「僕も大舞台(ダイブタイ)に立ちたい」と言った。
すぐに、正しくは(オオブタイ)と言うんだ、と注意したのだが、今は、ダイブタイと言う人が多いようだ。
そのうちダイブタイになってしまうかもしれない。だって大劇場(ダイゲキジョウ)ですよね。これはオオゲキジョウとは言わない。
でも、大風呂敷(オオブロシキ)をダイブロシキとは言わないでくださいね。
他にもダイとオオは似たような言葉がいくつかありますよね。
大所帯(オオジョタイ)と大家族(ダイカゾク)、大喧嘩(オオゲンカ)と大論争(ダイロンソウ)等々・・。
日本語って面白くて楽しいと思いませんか? |
■書簡 その215 数の数え方 |
言葉が消えていく話をしていて、昨年物の数え方について「森耳」に頂いた質問を思い出した。
さまざまな物をさまざまな数え方をする。日本文化の最たるところである。そんな中で一種類の物が形状で数え方が変わっていく。
これは面白い。例えば「魚」。泳いでいる時は一匹二匹。魚屋に並べば一尾二尾、お皿に乗せれば一皿二皿、
たくさん盛れば、一山二山、大きく切れば一柵、小さければ一切、他にも一腹という場合もある。
、魚によっては一本二本(サンマ・マグロ)一枚二枚(カレイ・ヒラメ)・・・専門的にはまだある。
物の数え方・・これは調べてみると面白いですよ。昔の人はこんな物まで数えていたのかと感心することしきり。
ちなみに雪や風の数え方・・・知ってますか??
どうしても知りたい方・・・僕のほうへメールで質問してくださいね。 |
■書簡 その216 メモ・江戸という名前の由来 |
僕の陣地の周りには、新聞・雑誌の切り抜きやメモが山積している。
別に趣味ではないのだが、覚え切れない忘れてしまうと思うとついためてしまう。そして捨てられない。
・・・これは悪い癖だと思っているがやめられない。
これらの雑物の整頓が悪いので探し物をするとき、大変な苦労をする。我ながら困ったものだ。
そんな中から、一片のメモが現れた。
「お江戸あちこち」より昭和44年とある。このころ、昭和30年代から40年代中ごろまでに書かれた本は面白い。
江戸の話なのだが口伝も多く残っていて現在のように机上の勉強や記録ではないので読んでいて実に楽しい。
僕たちが子どものころ、昭和20年代に、80歳代のお爺さんなら幕末生まれ。江戸時代の話をナマで聞けたものだ。
子どものころに聞いた話を思い出しながら、このメモをチョット紹介。
江戸は「荏処」と書かれていた。葭葦、荏草が、生茂った海辺のところという意味だろう。
また「江処」「江門」とも書く。海岸が入り込み至るところに入り江があったのだろう。
江の門戸、河口などの意味から「江戸」の名前ができたらしい。
また他の本には。江は入り江のこと、戸は入り口、谷戸とか瀬戸というように、入り江の入り口を江戸という・・というのもあった。
地名は文化なのに、変えてしまうのは、そんなもんでしょうかね。 |
■書簡 その217 おいらん |
言わずと知れた、吉原の太夫のことである。
太夫付きの「かむろ」が「おいらのねえさん」と言ったのが語源との説が有力だが、こんな説もある。
おいらん・・漢字では、はなにさきがけると書いて「花魁」と書く。だから一番という意味だというのである。
たしかに太夫は最高位だから、一番でおいらんなのだ。
魅けて咲く花が一番ならば「梅」が一番だと言った梅好きがいた。
たしかに、昔から「梅は春一番に百花に魅けて香りを放つ」という言葉がある。
以前にも書いたが、日本人は梅が好きか、桜が好きかの論争は平安時代から繰り返されてきた。(それほどオーバーではないか・・・)
何にしても良い季節になった。満開の梅を見ていたら胸が膨らんだが・・・鼻はグシュグシュ・・・,目はショボショボ・・・おあとが宜しいようで・・・。 |
■書簡 その218 忘れてほしくない話 |
戦場のメロディ(モンテンルパの・・・)テレビを観て久しぶりに泣いた。涙が止まらなくて自分で驚いた。
話は戦後、昭和20年代に実際にあった話で、戦犯としてフィリピンで死刑判決を受けた108人の元日本兵が
人気歌手渡辺はま子の努力で助け出された話だ。
当時、大変な話題で、僕もニュース映画で帰国の様子を観て知っていたのだが、すっかり忘れていた。
このドラマは、実写や当時戦犯で現在、健在の方へのインタビュー(108人中健在の方は10数人)。
90歳の方の涙と二度と戦争は嫌だという言葉に心を打たれた。
いくつかのエピソードも今語り継がれなければ失われてしまう感動の物語だ。
僕は来月、10月9,10日に「歌のないライブ」として、忘れて欲しくない昭和20年代とその頃活躍した芸人たちの話をするのだが
こんなステキな話を忘れていたなんて・・・・・。久々にみんなが歌っていた、戦犯の人たちが作った「モンテンルパの夜はふけて」が
よみがえった。思い出させてくれて「ありがとう」と言いたい。
忘れて欲しくない話、思い出して欲しい話、知って欲しい話がまた一つ増えた。
|
■書簡 その219 ライブを終わって |
やってみるもんですなぁ・・いろんなこと。いえね、歌の無いライブと称して、昭和20年代頃の話とその頃活躍した芸人の話を1時間20分程したんですがね。
まぁ良し悪しは来て頂いたお客様が決めることですが、僕自身はやってよかったです。若い人に興味を持ってもらったり(特に都々逸)、年配の方には懐かし
がって頂いたり。それもさることながら、初めての試みで新しい発見がたくさんあった事。面白いもんですねぇ。客席に向かって話をするから、お客さんと目が
合うし、頷いたりされるともうドキ!それに気が付かなかったのか僕だけなのか、声の出し方も芝居の時とは違って、声が掠れたり、息切れしそうになったり、
第一の発見は、長い間 一人でしゃべっているので何処まで話したのか、同じ事をまた喋っているのではないかと不安になったりする。
芝居だと相手の台詞、効果音や音楽などでキッカケがつかめるのだが、初なので、話のキッカケで音を決めてしまったから、比方が出すばかりで頼る処が
ない。だから話が前後したりして大変だった。裏ではさぞヒヤヒヤしたことだろう。
なんとか回り道をしながらも継ったが、二回聞いた人は あれっ?と思ったかもしれない。よい勉強をした。
この次は今回を活かして、すっきりと作りたい・・・。あれ・・もう次をやる気でいる自分が怖い・・・。みなさんご協力を。 |